透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

鉄腕アトムのマンホール蓋

2024-02-29 | B 地面の蓋っておもしろい

◎ 諏訪大社下社の春宮と秋宮の近くに鉄腕アトムをデザインしたマンホール蓋が設置されたことを知った。ネットで検索するとこのことを報じているメディアの記事が見つかる。昨日(28日)早速見に行って来た。自宅から下社春宮までは25km足らずで、たいして遠くはない。


諏訪大社下社春宮 幣拝殿(中央)と片拝殿(両側)

ふた活、ヤグ活の前に参拝。


秋宮近くにある「おんばしら館 よいさ」の敷地内に設置されているマンホール蓋。空飛ぶ鉄腕アトムと春宮の鳥居がデザインされている。鮮やかな色。アトムってこんなにかわいい顔をしていたんだ。



諏訪大社下社秋宮 神楽殿 


秋宮にアプローチする通りに設置されているのは春宮の近くに設置されているものとは違うデザインのアトム蓋。アトムとお茶の水博士が秋宮の幣拝殿の前に立っている。


後方左側に秋宮の杜が見えている。このマンホール蓋の設置されている場所は既にグーグルマップに示されている。

なぜ下諏訪町のマンホール蓋に鉄腕アトムなのか。説明板にこのことが記されている。





春宮の鳥居前に設置されている御柱をデザインしたカラー蓋



このマンホール蓋は既に一度載せているが(過去ログ)、その時の蓋はカラーではなかった。

下諏訪町の木・さくらと町の花・つつじをデザインしている。単純に直線で6分割するのではなく、蓋が円形であることをちゃんと意識して回転運動をイメージさせる分割ライン。すばらしい!

「おんばしら館 よいさ」の近くで偶々見つけた。


ふた活、ヤグ活はよく歩く。半日で歩数はおよそ6,900歩だった。


下諏訪町の火の見櫓

2024-02-29 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)過去ログ 諏訪郡下諏訪町 4柱44型トラス脚 内梯子(地上から踊り場まで梯子を櫓内に掛けてある)

 背の高い火の見櫓。ざっと13,4mくらいありそうだ。


屋根葺き材は何だろう。避雷針の飾りが写っている。ステンレス板か?


見張り台は大きく隅取りしているから図形的に割り切って8角形と捉えても良いほどだ。上部の梯子にも手すりを付けている!


踊り場も見張り台とよく似たつくりになっている。


トラス脚 いかにも脚という感じがして好ましい。南信地域ではこのタイプが最も多く、約5割を占めている。ちなみに次に多いのが交叉ブレース囲いで約3割。この二つのタイプで全体の8割を占めている。


 


下諏訪町の火の見櫓 屋根は木造

2024-02-28 | A 火の見櫓っておもしろい


1493 諏訪郡下諏訪町 火の見櫓3柱1構面梯子型 2024.02.28

 この火の見櫓は諏訪大社下社秋宮から程近い(200mくらい離れた)所に立っている。


①と反対方向から全形を見る。






屋根を見て、下り棟を珍しい納め方にしていることに気がついた。厚めの鋼板で屋根をつくる場合にはこのようなことはしない。


なんと屋根は木造だった。3本のアングル(等辺山形鋼)の柱の頂部を同材で水平に繋ぎ、その上に木造の軒桁を載せている。そこへ梁を1本渡して、中央に真束を立てて扇垂木(扇状に架けた垂木)の上端を受けている。野地板を張っているので、屋根葺き材は薄い鋼板(厚さ0.35か)でよい。これで下り棟の納め方に合点がいった。木造の屋根は京都の伏見で見て以来だ(過去ログ)。


梯子桟の下2段は撤去されているが、端部だけ残している。なぜ? 小さい子どもは上れないように、大人の消防団員は上れるように、という工夫。

興奮して何枚も写真を撮ったのはずいぶん久しぶり。


 


下諏訪町の火の見櫓

2024-02-28 | A 火の見櫓っておもしろい

 下諏訪町で鉄腕アトムをデザインしたマンホール蓋を設置するということを知ったのはいつ頃だっただろう・・・。ここ数日、テレビも新聞もこのニュースを報じていて、21日に諏訪大社下社の春宮と秋宮の近くに設置されたことを知った。春宮と秋宮の近くにはまだ見ていない火の見櫓が立っていることも分かり(*1)、今日(28日)、ふた活とヤグ活をしてきた。

本稿からその成果を載せていく。



1492 諏訪郡下諏訪町 2024.02.28 火の見梯子控え柱付き

初見の火の見櫓は昨年(2023年)の11月19日に茅野市玉川で見て以来。諏訪大社下社春宮から徒歩で5分くらいのところに立っている。近くに万治の石仏がある。


この火の見櫓のタイプ分けは悩ましい。火の見梯子控え柱付きとするか火の見櫓3柱1構面梯子とするか判断に迷う。横架材で手前の梯子と後ろの柱を繋いでいることとブレースを設置していることから後者、火の見櫓3柱1構面梯子とする。いや、第一印象から火の見梯子控え柱付き、か。


半鐘の上の切妻屋根に注目。束に天秤状に水平部材を付け、その先端を繋いで屋根の先の方を支えている。


*1 某タヌキさんの「火の見櫓をさがして」で知った。某(それがし)さんはご自身のブログに長野県内の火の見櫓を市町村毎に網羅的に掲載しておられる。


火の見櫓のある雪景色を描く

2024-02-27 | A 火の見櫓のある風景を描く


長野県朝日村古見 描画日:2024.02.26

 昨年(2023年)の10月に安曇野は豊科のカフェでスケッチ展をした際、TMさんから雪景色を描いてください、と言われた。TMさんには2020年10月のスケッチ展の際にも同じことを言われていた。で、この冬は描かなくてはならぬ、と強く自分に言い聞かせていた。

先日初めて描いたが(過去ログ)、昨日(26日)も描いた。手袋をして線描することはできないので素手で描いたが、案の定と言うべきか、手が悴んで思うような線が引けず、後は着色で何とかしようと20分程で切り上げて自宅に戻った。スケッチブックを持つ左手も冷たくなって辛かった。

ぼくは風景を構成している要素の形をきっちり描き、その後、線描したものを着色するという描法を採っている。では、雪が積もって白くなっている屋根も輪郭線を描くのか、同様の樹木も? 白いものの輪郭線を黒いペンできっちり描いたものか・・・。前回も今回も輪郭をきっちり描かなかった。だが、このいつもとは異なる線描法にどうも馴染めず、着色する際もしっくりしなかった。もちろん塗り絵ではないが。

浮世絵では雪景色をどう表現しているんだろう。今は便利だ、浮世絵と雪景色の二語でネット検索すると、いくつも見つかる。下の浮世絵は歌川広重の「名所江戸百景 びくにはし雪中」だが、雪屋根も輪郭線を描いている。よく見ると後方の樹木(松かな)にも輪郭線がある。手前の落葉して枝だけになった樹木に積もった雪の輪郭線は無い。ぼくも広重の雪景色と同じように描いていたんだ。 

今週の金曜日は降雪の予報になっている。予報通りだったらまた描いてみよう。線描も着色もあれこれ試してみたいが、さて・・・。

360
山くじらはイノシシのこと


 


気がついていなかった・・・

2024-02-26 | A 火の見櫓っておもしろい

 先日長野県の南信地域と中信地域の踊り場のある火の見櫓について、梯子が櫓内設置か櫓外設置か調べた(*1)。その際、朝日村の第二分団の詰所脇に立っている火の見櫓の踊り場と見張り台の間に掛けられている梯子が外付けであることに気がついた。既に何回か見ているのに今までこのことに気がついていなかった・・・。漫然と見ているだけでは気がつかない。今日(26日)改めて見に行ってきた。


(再)長野県朝日村 撮影日 ① ③ 2020.11.01    ② ④ ⑤ 2024.02.26



③(全形写真をトリミングした)

隣接する消防団詰所の2階と火の見櫓をブリッジで繋ぎ、そこから外付けされた梯子で見張り台まで上るようになっている。櫓の外側に設置された梯子を上り下りするのは内側に設置されたものより怖いだろう。ブリッジのところで叩くことができるように双盤型の半鐘が設置されているのは、そのことに配慮して、見張り台まで上らなくて済むようにするためか。


避雷針が曲がってしまっている。

見張り台直下の構面のブレースだけ割枠式のターンバックルが使われている。このことにも今まで気がついていなかった。

直線材下留め(直線上補強部材 柱脚留め)


*1 調べたのは地上と踊り場の間に掛けられている梯子について。その際、踊り場が無い火の見櫓の梯子についても一通りチェックしていた。)


「ゴッホのあしあと」原田マハ

2024-02-25 | A 読書日記

『モダン』
『異邦人』
『楽園のカンヴァス』
『美しき愚かものたちのタブロー』
『黒幕のゲルニカ』
『本日はお日柄もよく』
『たゆたえども沈まず』
『カフーを待ちわびて』
『デトロイト美術館の奇跡』
『リーチ先生』
『リボルバー』
『フーテンのマハ』
『ジヴェルニーの食卓』
『常設展示室』
『アノニム』
『風神雷神』




 上掲の原田マハの作品を読んできた。そして『ゴッホのあしあと』(幻冬舎文庫2020年8月10日初版、2023年7月5日9版)を読んだ。

『たゆたえども沈まず』の副読本とでも言うべき一冊。本書でその創作の背景が明かされるが、ゴッホに想いを寄せるマハさんのゴッホゆかりの地を巡る旅の記録でもある。本書は『たゆたえども沈まず』を読んでから読むのが望ましい。

本書では2020年の7月に蓼科で書かれた「失われた春 ――あとがきにかえて」が一番印象に残る。2020年3月、コロナウイルスが蔓延したパリで都市封鎖(ロックダウン)を体験したマハさん。あとがきでマハさんはその時の心情を書いている。

**流れゆくセーヌの川音を聴きながら、いま、自分が直面している孤独。私は初めて我が身をゴッホにぴたりと重ね合わせることができた。そして、彼が人生のどん底にいたときにこそ、最も清澄で、最も美しいタブローの数々を生み出した、その強さを思った。**(167,8頁)

ゴッホへの深い共感。

**セーヌ川が流れる静かな音は、私の耳の奥にいまも響いている。〈失われた春〉の調べは、この先も幾度となく私の中に蘇るだろう。そしてそのつど、孤高の画家、フィンセント・ファン・ゴッホを思うに違いない。古い友人をふと思い出しては、たまらなく会いたくなるように。**(169頁)

ゴッホへの敬愛の念。


 


飯碗の形について考える の巻

2024-02-24 | A あれこれ

 最近飯碗を①から②に変えた。




①と②の容量はほぼ同じ

今まで使っていた①の飯碗と、使い始めた②の飯碗とどこが違うのか。

まず全体の形が違う。具体的には底から口縁までのカーブが違う。②のカーブの方が勾配がなだらかで縁に向かって徐々に急勾配になっている。①は勾配が途中で急激に変化している。それから口縁の形が違う。①は口縁が外側に反っている。このようなことは『空想の補助線』の著者・前川 淳さんなら数理的にスマートに説明するだろうな。

口縁が外側に反っていると、お茶漬けが食べにくい。お茶漬けを食べる時は飯碗の縁に口を付けて、箸でご飯を飯碗の内側の面を滑らせるように上げて口に運ぶ。この時、口縁が外側に反っているとスムーズに口の中に流れ込まないのだ。汁物を飲んでみれば、両者の違いがはっきりすると思う。口縁が反っていると、飯碗を傾け過ぎると口の両側から汁がこぼれそうになり、飲みにくい。

私は毎朝納豆をご飯にかけて食べるが、残りわずかになった時はお茶漬けと同じ食べ方をする。飯碗の縁に口を付けて箸でごく少量になったご飯と納豆を一緒に飯碗の面を滑らせるように(って、ネバネバで上手くいかないが)上げてきて、口に入れるが、やはり食べにくい。

そうかなぁ、違いがあるのかなぁ、と思われる方は①と②の形の飯碗で試してみていただきたい。

今日の昼間はひとりだったので、昼食をたまごかけご飯にして①と②の飯碗で食べ比べてみた。上述したことが改めて確認できたし、他にも気がついたことがあった。それは②は箸を自由に傾けて使うことができるが、①だと箸をある程度傾けると飯碗の縁に当たってしまうということだ。箸の使い方が制限されてしまうので食べにくい。

結論。以上のことから縁に口を付けて食べることがあるような場合には②のような形の飯碗の方が食べやすい。たまごかけご飯だって、残りわずかになったらお茶漬けと同じように食べた方が美味いと思う。常に上品な食べ方をしている人には分からないだろうなぁ・・・。

*****

飯碗の選び方をネットで調べたが、持ちやすさ、持ち心地については書かれているが、食べやすいかどうかについて触れているものは見つからなかった。確かに持った時の感じも大事だとは思う。でも一番大事なのは食べやすいかどうかだと思うが、どうだろう・・・。


 


酒は百薬の長にあらず?

2024-02-23 | A あれこれ

360

 2月20日付 信濃毎日新聞の第二社会面(24面)に、上掲した「飲酒 疾患別リスク例示 大腸がんなら日本酒1日1合相当以上 厚労省 指針決定」という見出しの記事が載っていた。記事のリード文は次の一文から始まっている。**飲酒に伴うリスクを周知し健康障害を防ぐため、厚生労働省は初の指針「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン」を正式決定し、19日公表した。**


上掲記事の過去ログ

禁酒を始めたのは2016年の6月。この時は「禁酒 週3日」としていたが、今は「禁酒 週4日」として飲酒制限を続けている。昨年(2023年)52週で達成できなかったのは5週だけだった。正月やお盆のお酒がつきものの時期を含めてだから、これはすばらしい(自分を褒める)。達成率9割(47/52)。

厚生労働省が示したという「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン」を同省のHPで閲覧した。不適切な飲酒を減らして、健康障害の発生を防止するために活用されることを意図したもの、という意味のことが書かれている。で、次のような表が掲載されている。値には個人差があるとの注釈がある。


厚生労働省のHPより

表の男性の欄を見ると、4 高血圧、5 胃がん、9 食堂がんは  0ℊ<  となっている。これは酒類(純アルコール)をたとえ少量でも飲むとこれらの病気の発症リスクが上がる(発症しやすくなる)ということだ。胃がんや食道がんに飲酒がこれ程の影響があることは知らなかった。肝がんの場合は思いの外許容量が多い。

** 高齢者は若い時に比べて酔いやすく、一定の酒量を超えると認知症発症や転倒のリスクが高まる。**と記事にあるが、同じ内容のことがHPにも出ている。

アルコール摂取の身体への影響のことも気になるが、この頃はそれよりもたとえ少量(缶ビール350㎖を1缶、純アルコール量14g *1)でも飲むと何もする気がなくなって、本を読もうとも思わなくなってしまい、夜を無為に過ごすことになることが切ない。

今週は既に19日から22日まで4日間禁酒したから、この3連休は飲酒可だが、さてどうするか・・・。


追記(2023.02.24)
*1 
夜、食事をしながら缶ビール(350㎖)を1缶飲んだ。
純アルコール量(g)を算出する。
350(㎖)×0.05×0.8(g/㎖)=14g (ビールのアルコール度数5% アルコールの密度0.8g/㎖) 
厚生労働省などのHPではアルコールの比重(単位無し)としているので左辺の単位が㎖、右辺がgとなっている。
両辺の単位が揃っていないのはおかしいと思うのだが。


「空想の補助線」を読む

2024-02-23 | A 読書日記

320
朝カフェ読書@スタバ 2024.02.22
『空想の補助線 幾何学、折り紙、ときどき宇宙』前川 淳(みすず書房2023年)

 本書にはみすず書房の月刊『みすず』に連載された数理エッセイ10編に書き下ろしの8編を加えた18編が収録されている。

**このエッセイ集は、そのような図形や数好きとして、そして、美術・文芸好きのつぶやきとして、さらには、歴史上最も古い数理科学の末裔である天文学の一端にたずさわってきたエンジニアとして、頭の中に浮かんだあれこれを書き留めたものである。**(149頁)著者の前川 淳さんは本書について、収録されている「無限の御幣」というエッセイの中でこのように紹介している。


パスタの幾何学

前川さんの頭の中では普段目にするパスタがとても高度な数学の世界に結びつく。両者を結びつける補助線となり得るのが折り紙(いや折り紙そのものではなく、折り方を考える時の思考法)ということなんだろうか。

320
ネジに似たパスタのフジッリ DELISH KITCHENのHPより

前川さんはフジッリの曲面の曲がり具合について考える。**種々のパスタの構造と造型の原理を想像するのは楽しい。**(21頁)

「パスタの幾何学」にはフジッリの形から、曲面の曲率、ガウス曲率(ガウスは天才的な数学者でぼくも名前だけは知っている)などの言葉が出てくる。マリー=ソフィ・ジェルマン という知らない女性数学者のジェルマン曲率も。

まずスパイラル(蚊取り線香のような平面図形としての螺旋)とヘリックス(螺旋階段の手すりのような立体の弦巻線)とは違う、と説明がなされ、ヘリコイド(常螺旋面)とヘリカル・コンポリュート(類似螺旋面)というフジッリと似ている曲面に話しが及ぶ。

数学的素養の無いぼくには全く無縁な世界の話。そうか、テーブルのパスタを前にしてこんな数理的なことを考える人がいるんだと驚き、面白そうな世界だなとも思った。


五百年の謎

前川さんは『メレンコリアⅠ』という有名な銅版画の左側に大きく描かれている多面体について考える。**正多面体のような一般的な多面体ではなく、ほかでは見たことのない立体なので、これはいったいどういうものなのかと気になるかたちをしているのだ。**(66頁)

320
『メレンコリアⅠ』アルブレヒト・デューラー

前川さんは**〈あらゆる凸型の多面体は、面がいずれかの辺で一連につながった展開図にすることができる〉**(72頁)というこの銅版画の作者であるデューラーの予想を紹介し、話題は立体の展開図にも及ぶ。さらに立方体と正八面体とが双体関係にあることも紹介している。双体のことはだいぶ前に何かで読んだことがあり、知っていた。建築も入れ物としての立体を扱うので。


『メレンコリアⅠ』の右上にはこの魔方陣が描かれている。縦横斜めの数字の和が同じになるように数が並んでいて、下一段には15と14が並ぶ。1514はこの銅版画の作画年だという。数学者でもあったこの絵の作者・デューラーがこんな遊びをしていることに前川さんはちらっと触れるだけで、話を先に進めている。天文台のエンジニアであった前川さん(*1)の好奇心は広大な星空のようにどこまでも広がっていくのだろう。

好奇心が及ぶ領域は人それぞれ。いつまでも好奇心を失いたくないものだ。


*1 あとがきに**2023年の春、わたしは野辺山宇宙電波観測所のエンジニア職を退いた。**(183頁)とある。



梯子の設置 櫓内か櫓外か

2024-02-22 | A 火の見櫓っておもしろい

 県歌「信濃の国」の歌詞に「松本 伊那 佐久 善光寺 四つの平は肥沃の地」とあるが、この四つの平に対応するように長野県は中信、南信、東信、北信という四つの地域に分けられる。火の見櫓はそれぞれの地域によって姿かたちに特徴があることが分かっている。

ある程度背の高い火の見櫓には踊り場が設置されることが多いが(中には踊り場が設置されていないものもある(写真①))、以前から地上から踊り場までの梯子が中信地域では櫓の内側に設置されていることが多く(写真②)、南信地域では櫓の外側に設置されていることが多い(写真③)という印象を持っていた。

だが、単なる印象では説得力がない。そこで、手元にある両地域のデータを調べてみた。統計的に処理した客観的なデータは説得力を持つ。


写真① 飯田市龍江 踊り場を設置していない火の見櫓 地上から見張り台まで櫓の外側に梯子が設置されている。


写真② 安曇野市穂高 地上から踊り場まで梯子が櫓の内側に設置されている。


写真③ 伊那市上新田 地上から踊り場まで梯子が櫓の外側に設置されている。

手元にある中信、南信地域の火の見櫓の全形写真の中から踊り場のあるものを選び出し、前述のことについて調べてみた。その結果は次の通り。

中信地域 踊り場付き火の見櫓 201基 外付け梯子 59基 設置比率 約30%
南信地域 同上                      289基 同上     211基   設置比率 約73% 

この結果をざっくりと外付け梯子  中信3割南信7割と押さえる。  


    
 


「暗夜行路」を読む

2024-02-20 | A 読書日記

360
朝カフェ読書@スタバ 
『暗夜行路』志賀直哉(新潮文庫1990年3月15日発行、1994年9月5日12刷)

 志賀直哉唯一の長編小説『暗夜行路』をおよそ30年ぶりに再読した。やはり日本の近代小説は良い。ほぼ同時期に発表された島崎藤村の『夜明け前』を読んでいた時にもやはり感じた、満たされているという気持ち。昔の細かい活字の文庫だと尚更「小説を読んでいる」という気持ちになる。

『暗夜行路』のあらすじはよく知られていると思う。だからあらすじを記すことなど不要であろうが、本書のカバー裏面の紹介文から引く。**祖父と母との過失の結果、この世に生を享けた謙作は、母の死後、突然目の前にあらわれた祖父に引き取られて成長する。鬱々とした心をもてあまして日を過ごす謙作は、京都の娘直子を恋し、やがて結婚するが、直子は謙作の留守中にいとこと過ちを犯す。(後略)**

長編ではあるが、東京編、尾道編、京都編、鳥取大山編というように括れるほど、分かりやすく構成されているし、文章は衒いもなく読みやすい。

読みながら何か所か付箋を貼った。その中の鳥取大山編から引きたい。

**人間が鳥のように飛び、魚のように水中を行くという事は果たして自然の意思であろうか。こういう無制限な人間の欲望がやがて何かの意味で人間を不幸に導くのではなかろうか。人智におもいあがっている人間は何時かその為め酷い罰を被ることがあるのではなかろうかと思った。**(473頁) 90年近く前の志賀直哉の危惧は、現代の状況にそのまま当て嵌まるなぁ・・・。

主人公の謙作は自分が祖父と母親の間に生まれたことを知り、我が子を生後間もなく亡くし、さらに妻がいとこと過ちを犯すという「暗夜行路」な人生を歩む。

長編小説の最後、鳥取大山編では、過酷な運命を懸命に乗り越えて行こうとする謙作に光明の兆しが見え始めるところが描かれる。例えば次の件のように。

**疲れ切ってはいるが、それが不思議な陶酔感となって彼に感ぜられた。彼は自分の精神も肉体も、今、この大きな自然の中に溶込んで行くのを感じた。その自然というのは芥子粒(けしつぶ)程に小さい彼を無限の大きさで包んでいる気体のような眼に感ぜられないものであるが、その中に溶けて行く、――それに還元される感じが言葉に表現出来ない程の快さであった。**(503頁)

これは大山に夜行登山をして途中で疲れ果てて休んでいるときのことだ。その後、次第に米子の町の夜が明けていく様子が描かれる。その件は敢えて引用しないが、実に印象的で記憶に残るだろう。

謙作は体調不良のために大山登頂をあきらめて、夜が明けてから引き返し、宿泊している寺に十時頃帰って来る。寺では謙作の顔色が悪いことに驚き、離れに寝かせるも熱が40度にも昇る。医者の診断で急性大腸カタルだった。知らせを受けて、謙作の妻、直子が京都から夜汽車で駆けつける。

直子は謙作の顔を見つめながら、**「助かるにしろ、助からぬにしろ、兎に角、自分はこの人を離れず、何処までもこの人に随(つ)いて行くのだ」というような事を切(しきり)に思いつづけた。**(514頁)

この最後の一文は夫婦の心からの和解。暗夜行路の先の光。よかった、と安堵の涙。ふたりのその後は読者に委ねられている。


巻末に「志賀直哉の生活と芸術」という阿川弘之(*1)の解説文が掲載されている。その文中に、芥川龍之介が夏目漱石に**「志賀さんの文章みたいのは、書きたくても書けない。どうしたらああいう文章が書けるんでしょうね」**(560頁)と訊ねると、**「文章を書こうと思わずに、思うまま書くからああいう風に書けるんだろう。俺もああいうのは書けない」**(560頁)と漱石が答えたということが紹介されている。なるほどねぇ。

*1 志賀直哉に師事した阿川弘之。娘の佐和子さんは小学校入学祝いに志賀直哉からランドセルを贈られたそうだ。このことを佐和子さんのエッセイか何かで読んだ(って、この小説とは何も関係ない)。


 


28会バス旅行の記録、雑感

2024-02-17 | A あれこれ

 1月に33会で2泊3日の松山旅行をした。そして今月(2月)15,16日に28会で南房総は鴨川までバス旅行をした。

同じ鄙里に暮らす同年齢の仲間の親睦会・二八会(28会と略記する)でこれまでに海外旅行を2回、国内旅行を4回してきたが、今回は新たに仲間入りしたTT君も参加して9人の旅行だった。前回、コロナ禍前、2016年11月の北陸旅行には参加できなかったので(*1)2009年2月の京都旅行(過去ログ)以来実に15年ぶりの朝からビールのバス旅行だった。

出かける数日前までの天気予報では鴨川市は晴れではなかったが、二日間ともほぼ晴れだった。案外、みんな日頃の行いがよいのかもしれない。加えて私の晴れ男効果もあったのかも。

*1 2016年、この年は地元の神社の総代だった。11月13日(日)に七五三が予定され、旅行日と重なってしまった。

以下、28会旅行の記録(集合写真は参加者のプライバシーに配慮して掲載しない)。


2月15日の記録

360
朝7時に小型観光バスで出発。 長野道、中央道、圏央道を通って横浜へ。






中華街の状元楼にて予約してあった北京ダックランチコースの贅沢な昼食。状元特性 フカヒレスープは実に美味であった。

東京湾アクアライン、房総スカイラインを通って鴨川へ。途中、カステラ工房ルアーシェイアで買い物。酒蔵見学を予定していたが、定休日だったために変更した、とガイドさんから聞いた。


繰り返しの美学 誕生寺参道沿いにならぶ石灯籠

ほぼ予定通り、午後3時半ころホテルに到着、チェックインを済ませて近くの誕生寺(*2)へ。参道沿いに何基も石灯籠が並ぶ様は繰り返しの美学。


参拝した後、御朱印をいただく。2013年(平成25年)の11月に京都の東福寺で御朱印帳を買い求めて、初めて御朱印をいただいた。それから10年間で、ほぼ使い切った。そろそろ新たに買い求めなくては。新しい御朱印帳を使い切ることができるだろうか・・・。

*2 日蓮宗大本山、創建1276年(建治2年)、開祖 日蓮聖人、開山 日家上人

360
ホテルの部屋から撮影した夕景 日が暮れて、6時半から宴会。掲載可能な写真無し。

2次会用にとグラスを部屋に届けてもらったものの、使うことなく床に就いた。宴会でみんなアルコール摂取過多だったようだ。

歩数:5256歩


2月16日の記録


内浦湾 小湊港の朝 2024.02.16 06:17AM

1月22日付 信濃毎日新聞に掲載された「老化と寿命の謎を探る」という連載記事に、年を重ねるとともに睡眠時間が減っていくことを示すグラフが載っていた。60代では6時間余り、70代では5時間半を超える程度になっていることが読み取れる。

朝食の席で睡眠時間を訊くと、何人かこのデータを裏付ける答えをした。早朝覚醒自慢。自分だけじゃないんだと安心した。未明、3時半ころ、グループラインの着信音が鳴った。確認するとKB君から宴会で撮った写真が送られてきていた。MT君はそのころ缶ビールを飲んでいたという。みんな元気というべきか、生活が乱れているというべきか・・・。




予定時刻を15分遅らせて8時半にホテルを出発。途中予定を変更して南房総市にある千倉オレンジセンターでみかん狩りをした。何種類かの柑橘類を味わった。ハッサクの味が好み。


写真提供KB君(他の写真と同様に適宜トリミングした)

房総半島西側の国道127号を北上。バスの窓外に富士山を望む。昼食は木更津の食事処 やまよの宴会メニュー。刺身、アナゴ等の天ぷら、煮魚、熱々のカニグラタン(宴会の席で供される少量のグラタンで熱々というのはめったにない)、その他。食べきれずに天ぷらをパック詰めして持ち帰った者が大半だった。帰宅してこの店をネット検索してみた。人気店のようだ。確かにボリューム満点で味も良かった。


東京湾アクアラインの「海ほたる」で休憩。アクアラインを通るのは初めてだった。


アクアライントンネルの換気塔「風の塔」を望む。映画「シン・ゴジラ」のゴジラ出現スポットはこの辺り。




直線上に等間隔にもの並べるというシンプルな数理的ルールによって秩序づけられた状態、様子を見ると美しいと思う。脳がその様を歓迎しているのだろう。「海ほたる」で見た繰り返しの美学。

その後、バスの走行音を子守歌にしばしまどろむ。気がつけば初台あたりまで来ていた。後は中央道で我らが鄙里に向かう。途中SAで食事をして、無事帰宅。バスガイドのKIさんに感謝。ガイドとしての仕事の範囲外まであれこれ面倒をみてもらった。前回の北陸旅行でもお世話になったガイドさんだと聞いた。


動く宴会場 

歩数:4736歩


このメンバー全員であと何回旅行が出来るだろう・・・。

 


「暗夜行路」志賀直哉

2024-02-14 | A 読書日記

480
『暗夜行路』志賀直哉(新潮文庫1990年3月15日発行、1994年9月5日12刷)

 本に黄色のテープが貼ってあるが、これは40代に読んだ本の印。ちなみに20代に読んだ本には水色、30代に読んだ本には緑色のテープが貼ってある。50代になっても続けたかったが、松本でこのテープ(レトラライン)が入手できなくなり、止めてしまった。仮に70代まで続けたとすれば、6色のテープの本が書棚に並んだはず。並ぶ背表紙を見るだけでいつ頃読んだ本か分かる、という目論見だったが・・・。

原田マハの『風神雷神』、朝井まかての『白光』。このところ長編小説を読んでいるので、長編小説を読むモードになっている。ならばと書棚から『暗夜行路』を取り出して読み始めた。およそ30年ぶりの再読。何回も書くが名作は再読、再々読に耐える。『暗夜行路』というタイトルからして暗いが、内容も暗い。「暗さ」は近代日本文学の特徴ではないか。私はこの暗さに惹かれる。

仮にこの先10年で読みたい本を500冊挙げるとすれば、この長編小説は間違いなくその中に入るだろう。