透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

よいお年を!

2019-12-31 | A 読書日記

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 いつもの通り、読みたいと思った本を買い求めた。結果、この『「街道」で読み解く日本史の謎』安藤優一郎(PHP文庫2016)が年越し本となった。

明治になるまでは街道が情報インフラでもあったわけで、人も物も情報も全て街道を行き交っていたということから、街道の役割に注目して日本史を論ずる、という試みは興味深い。「道路」に着目した歴史書は読んだことがあるが(過去ログ1 過去ログ2)、司馬遼太郎の「街道をゆく」はつまみ読み(などという言葉はないと思うが)、全43巻のうちの何巻か読んだだけ。

次から次へと読みたい本がでてくる。来年はどんな本を読むことになるだろう・・・。


皆さん 拙ブログをいつも読んでいただき、ありがとうございます。
どうぞ良い年をお迎えください。

2019年12月31日 透明タペストリー工房 U1


 


ブックレビュー 1912

2019-12-31 | A ブックレビュー




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月末の日をつもごりといい、一年最後の日をおおつごもり(大晦日)ということは知っていた。樋口一葉に「大つもごり」という作品がある。このつもごりが月隠(つきごもり)が変化した言葉だと、昨日(30日)の信濃毎日新聞朝刊で知った。そうか、つきごもりか、なるほど。

さて、今年最後のブックレビュー。12月に読んだ本は7冊。以前は毎月このくらいの本を読んでいたけれど、このところ4、5冊ということが多かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この中では『脳には妙なクセがある』池谷裕二(新潮文庫2018)が興味深い内容だった。脳科学の最新の知見を分かりやすく説いている。

『本所おけら長屋 一』畠山健二(PHP文芸文庫2013)。シリーズ累計100万部突破と大きく表示カバーが目を引く。今は右のようなカバーが好まれるのだろう。確かに面白そうだな、読んでみようと思わせるのは右だ。来年はこのシリーズを読もう。

『ことばの教育を問いなおす―国語・英語の現在と未来』鳥飼玖美子・苅谷夏子・苅谷綱彦(ちくま新書2019)。大学入試、特に英語の入試問題について何かと話題になった今年。国語(日本語)重視の教育でないと、思考力の低下を来す、と私は思っている。

『「歴史認識」とは何か』大沼保昭(中公新書2015)はメディアが報ずる日韓、日中問題を自分なりに考える上で大いに参考になるだろう。

『日本人はどう住まうべきか?』養老猛司・隈 研吾(新潮文庫2016)。養老さんは解剖学者だが、建築について広い知識をお持ちで、隈さんとの「建築放談」は読んでいて面白かった。ビルの足元を花屋さんやカフェにしたら街の雰囲気がガラッと変わるという隈さん提言に、なるほど。

『火の見櫓の上の海 東京から房総へ』川本三郎(NTT出版1995)「火の見櫓」付きの書名に以前から気にはなっていた。先日友人の書評で紹介されていたので、買い求めて読んでみた。房総への紀行文。鄙びた漁村に出かけてみたくなった。「火の見櫓のある漁村の風景」が描けたらいいなあ、と思う。

『「松本清張」で読む昭和史』原 武史(NHK出版新書2019)。松本清張の作品には大いに関心がある。私が読書の楽しみを知ったのは中学生の時に読んだ『砂の器』だった。

 

 

 

 

 

 

 

これは松本清張の『砂の器』の出てくる「日本方言分布図」。出雲地方の一部でも東北と同じズーズー弁が使われている。このことが事件の謎を深めることになる。この小説を中学生のとき読んだが、いまだにこの図のことを覚えている。

**小説でありながら、ある種ノンフィクションの要素が混じっている。(中略)多かれ少なかれ、清張作品に共通して見られる一つの特徴だと思います。**(33頁) そう、この特徴にこそ清張作品の魅力がある、と思う。

これからも松本清張作品論が出たら読みたい、いや、読む。


 


『「松本清張」で読む昭和史』を読む

2019-12-29 | A 読書日記

320

 『「松本清張」で読む昭和史』原 武史(NHK出版新書・2019)を一気読みした。松本清張の作品から社会状況を読み解く、という試み。

本書で取り上げている作品は第一章「点と線」、第二章「砂の器」、第三章「日本の黒い霧」、第四章「昭和史発掘」、それから第五章「神々の乱心」。

「神々の乱心」は清張の未完の遺作で、第五章で著者の原さんは、結末のシナリオを予想している。天皇制、宮中の闇を(暗示的に)扱ったこの作品を読んだときは内容そのものが信じがたく、すんなり受け入れることができなかった。だから、原さんが示した結末予想も奇想としか思えなかった。

類書は今までも読んできたが、これからも松本清張の作品はもちろん、作品論も読み続けたい。

過去ログ1 過去ログ2 過去ログ3 過去ログ4 


 


「火の見櫓の上の海」読了

2019-12-29 | A 読書日記

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 年越し本になるかな、と思っていた『火の見櫓の上の海 東京から房総へ』川本三郎(NTT出版1995)を読み終えた。本書はサブタイトルが示すように、東京から房総への紀行文学で、何人もの作家のエピソードを織り交ぜながら房総の魅力を綴っている。

書名について著者の川本さんはあとがきで**画家の谷内六郎の言葉「上総の町は貨車の列 火の見の高さに海がある」からとっている。**と明かしている。房総半島は低い山が海のすぐ近くまで迫っているところが多く、町が狭い傾斜地に出来ているために、「火の見の高さに海がある」ということになるという。

海沿いの火の見櫓、そう、灯台のように立つ火の見櫓を見たいものだと前から思っている。この本には房総の風景を写した何枚もの写真が載っているが、残念ながらその中に火の見櫓が写っているものは無かった。「海の上の火の見櫓」がテーマではないのだから、仕方が無いが。

房総に「海の上の火の見櫓」は無いだろうか。房総でなくてもよいが、どこかにこのような火の見櫓があるのなら、見に行きたい。知多半島辺りにはありそうだが・・・。


本稿から取り上げる本の出版年も示し、今までと表記を変える。


― 枠火の見の半鐘を叩く(再掲)

2019-12-28 | A 火の見櫓っておもしろい

拙著『あ、火の見櫓!』に写真①のセットの間違いが分かりますか?というクイズを載せています(31頁)。答えを示していませんが、2016年3月27日に掲載したこの記事に答えを示していました。このことをすっかり忘れていました。消防博物館で正しく直してあったことも忘れてしまっていました(写真②)。ここに再掲します。


週末東京7

 深川江戸資料館から消防博物館へ地下鉄で移動。消防博物館は地下鉄丸の内線四谷三丁目駅のすぐ近くにある。この資料館には2012年7月に行った。

 

その時に枠火の見で半鐘を叩く火消しの向きの誤りに気が付いた。では左側に半鐘があり、叩くことができない。そのことを後日博物館に電話して指摘したが、その後どうなったか気になっていた。で、行ってみた。

 ②

火消しがこちらを向いている。②  正しく直してあった。 私の指摘を受けて直したのかどうか分からないが、嬉しかった。



江戸時代の火の見櫓の模型 左から大名火消の火の見櫓、定火消の火の見櫓、町火消の火の見櫓、一番右は小さくて分からないが、町火消の枠火の見(上の写真と同類)。





消防博物館には消防自動車の模型も展示されているが、車にはあまり興味はない。


20160327



1229 東筑摩郡生坂村の火の見櫓

2019-12-28 | A 火の見櫓っておもしろい


1229 東筑摩郡生坂村北陸郷草尾 3脚無4型 撮影日191226

 角形鋼管(角パイプ)の柱3本から成るの消火ホース乾燥塔に半鐘を吊り下げている。ブレースのターンバックルは鉄骨造に一般的な割枠式を用いている。



3角形の櫓と4角形の作業台の組み合わせの場合、上の写真のように納めるのが「正解」だと思う。落下防止かごの設置も好ましい。



梯子の下端が地上2メートルくらい。建設当初からこうなっているのか、後年の対応かは不明。ただし一番下の水平部材(等辺山形鋼)を注意深く観察して、梯子を取り付けるための部材の溶接痕の有無を確認すれば分かったはず。いまだにこのような観察漏れがあるのがなんとも情けない。



踊り場に吊り下げてある半鐘は乳付きの立派なもの。以前この辺りに火の見櫓が立っていて、そこに吊り下げてあったものを移設した、と想像する。近在の方に伺えば分かることだが・・・。


 


「日本人はどう住まうべきか?」

2019-12-27 | A 読書日記



 このところ読むのは専ら新書だが、先日久しぶりに文庫のコーナーを覘き、この本を見つけた。『日本人はどう住まうべきか?』養老猛司・隈研吾/新潮文庫(2016)。両氏の建築「放談」を収録している。

** (前略)すべてのテナントからきちんと家賃を取らなきゃいけないわけです。最低家賃×平米数で、月々上がる利益をサラリーマンは必死に計算します。でも、そうやって計算を積み上げると、家賃が高くなって、なかなか普通の店は入居できなくなる。入居できたとしても、長期的に商売ができるところは少なくて、短期的に成り立てばいいようなショールームやアンテナショップがほとんど。(中略)何年か後には撤退するような店しかないわけです。それでは楽しく歩ける街ができるわけがないですよね。**(92頁)

** アメリカでは超高層ビルの足元に花屋さんがよくあるんです。家賃をものすごく安く抑えて、1階に入ってきてもらうわけです。(後略)**
**養老 確実に花を飾ってくれて、しかも自分でメンテナンスもしてくれるでしょう。そんなにいい並木はないよね。**
** 要するに人間付き緑地ですよね。で、アメリカ人はコーヒーショップも同じように考えるんです。コーヒーショップは街に楽しい雰囲気を作ってくれるんだから、家賃を取っちゃダメだ、と。実際に、そういう店を低層部にうまく配置するだけで、街全体のイメージはガラッと変わります。**(93頁)

ふたりのこんなやり取りを読むと、なるほどな、と思う。

確かにビルの足元が街路に対して開いていないと、よそよそしい雰囲気が漂い、街歩きを楽しもうなどという気持ちにはならない。それと反対に通りに開いていると、隈さんが指摘しているように街歩きが楽しい。極端な例だが、浅草の仲見世通りが賑わうのは、それぞれの店が通りに開いていて歩くのが楽しいから。地元松本だと縄手通り。

これに関連することを既に書いている(過去ログ)。

建築や都市について縦横に語り合うふたり。飲みながら(でなくてもいいけれど)このような語らいを楽しみたいものだ。


 


記念切手

2019-12-26 | D 切手



天皇陛下御即位記念 84円切手 

この雅なデザインにはきっと名前も表現しているものもあるはず。

宝相華文様(ほうそうげもんよう):唐代の唐草文様のうち、あたかも花を思わせるような豊麗な形のものを一般に宝相華文様と呼んでいる。

ネット検索してこの解説文を見つけた。

この知らない名前をメモしておこう。


 


― 火の見櫓のタイポロジー(再掲)

2019-12-25 | A 火の見櫓っておもしろい

火の見櫓の分類については拙著『あ、火の見櫓!』でも書いた。その原稿の元となった記事を再掲する。この記事をもう少し使ってもよかったな、と思う。


 火の見櫓は十基十色。長野県内を中心にこれまで500基以上の火の見櫓を見てきての実感だ。千差万別の火の見櫓を分類したいという欲求も当然生まれる。タイポロジー、分類学は学問の出発点だ。

無数のヴァリエーションがあるように思われる火の見櫓だが、適切な視点を据えればいくつかのタイプに分類できる。そうすることで、火の見櫓の総体を見通すことができるだろう。

火の見櫓分類上の有効な視点として既に柱の数を挙げている。柱1本の火の見柱、柱2本の火の見梯子、柱3本の火の見櫓、柱4本の火の見櫓。これ以上の多柱櫓は理論的には存在し得ても実際には存在しないのではないか、そう思っていた。だが、茨城に柱6本の火の見櫓が存在することが分かった。

では他に有効な分類上の視点、火の見櫓の特徴を捉える視点はないだろうか・・・。柱の数ともうひとつ別の視点を設定することで火の見櫓を明確に分類することができるのではないか。

植物の分類に関する知識のない小学生でも、たとえば花の色と花の特徴(具体的には花びらの数)というふたつの視点によって、いろんな花を分類することができるだろう。もちろん判断に迷うような花もあるし、この視点では分類できない花もあることも分かり、花のデザインの多様性に気が付くだろう。



こんなイメージだ。これは火の見櫓分類ひき出し。小さなひき出しが縦横、2次元のマトリックス状に並んでいる。
1段目の列は柱が1本、火の見柱を入れる引き出しが並ぶ。2段目は柱が2本、火の見梯子のひき出しの列。以下3段目が3本、次が4本。

5段目はそれ以上の柱の火の見櫓。一番下、6段目はその他の火の見櫓、つまり柱の数という視点では分類できない火の見櫓を入れるひき出しの列。

上から3段目のひき出しにはどれも3本柱の火の見櫓(の写真)が入っている。その1番目(左端)と2番目のひき出しの火の見櫓の違いは・・・。どんな視点が有効だろう。今年はこの横軸に据えるべき分類上有効な視点を見つけたい。


20150205


― 火の見櫓の見直しを!(再掲)

2019-12-25 | A 火の見櫓っておもしろい

 今日(5日)勤め帰りに車のラジオで聞いた各地の話題。


広報すずか2014年10月20日号より見出しを転載しました。

鈴鹿市では津波の避難訓練で防災行政無線のスピーカーの音が聞こえにくいという住民がいるために、寺の梵鐘を叩いて知らせる訓練をしたそうだ。 

寺の住職が梵鐘を叩くのかと思いきや、消防団員が叩くのだそうだ。住職に大きな音が出る叩き方の指導を受けたという。消防団員が叩くのなら火の見櫓の半鐘でしょ!と放送を聞いていて思った。

以前も災害時に半鐘を叩くことが情報伝達に有効なことを、海岸沿いの自治体が再認識したという内容の新聞記事を読んだ(という曖昧な記憶がある)。また、東日本大震災で死を覚悟して半鐘を叩きつづけた年配の消防団員がいたことを伝える記事も読んだ。

防災行政無線のスピーカーって停電時に放送することができるんだろうか。台風などで停電した時に避難指示を伝えることができないかもしれない。そんな時、半鐘は有効だろう。そう、半鐘の見直しがなされて、叩き方も決めて避難指示などに叩くことにすれば、火の見櫓も撤去されずに済むことになるかもしれない。

確か、鈴鹿市では避難指示をする時の半鐘の叩き方は、まだ決まっておらず検討中だということもラジオで聞いた(と思う、これまた記憶が曖昧だが・・・)。

どうも防災行政無線のスピーカーで聞く放送は間接的で、一体誰がどこで放送しているのか分かりにくい。それに対して半鐘の音は直接的で、誰が叩いているのかも分かる。 誰が知らせているのか分かることは大事ではなかろうか。

半鐘、火の見櫓の機能の見直しを!


20141105 


ブログ開設5,000日目

2019-12-24 | A あれこれ

 2006年4月16日にブログを始めて、今日(2019年12月24日)がちょうど5,000日目だ(13年と7ヵ月ちょっと)。他のSNSに移行したのか、休眠状態のブログも少なくないが、僕はこのブログを継続するつもり。

しばらく前にフェイスブックも始めたが、短文向き。情報発信ツールとしてはブログの方が好きというか、合っている。いままで書いてきた火の見櫓の記事をベースにして本にまとめることができたのは、ブログならではの成果だったと思う。

以前も書いたが、人は程度の差こそあれ、情報発信することを欲している。そして情報受信も。

閲覧していただいている方々に感謝しなければならない。


 


「「歴史認識」とは何か」読了

2019-12-23 | A 読書日記

 『「歴史認識」とは何か 対立の構図を越えて』大沼保昭/中公新書を読み終えた。

**二十一世紀になり、日本の国内ではかつての侵略を否定する声まで出てきている状況であり、片や中国や韓国は日本をますます厳しく批判し、「歴史認識」をめぐる対立は以前より強まっています。この状況を克服して、日本が「歴史認識」について中国や韓国とわだかまりのない関係を結ぶことは、果たして可能なのでしょうか。そのためには、わたしたちは日本国内で、あるいは中国や韓国に対して、さらに国際社会全体に対して、どのような姿勢で臨むべきでしょう?**(210、211頁)

この難問に対して自分の見解を述べることなど到底無理。では、自分は一体何ができるのだろう・・・。せめて、メディアの報道に関心を寄せ、論調に注目していたい。


 


書評

2019-12-22 | H 「あ、火の見櫓!」

 安井建築設計事務所の佐野吉彦氏が拙著『あ、火の見櫓!』の書評をご自身のウェブマガジン「建築から学ぶこと」に書いてくださった(こちら)。



書評の中で『火の見櫓の上の海』NTT出版が取り上げられている。これは川本三郎氏の紀行文学で、房総への旅がテーマ。この本のことはネット情報で以前から知っていたが(「火の見櫓」で検索して)、未読であった。先日、コンビニで注文した。翌日、オーナーのYさんから注文した本が絶版であることを知らされた。親切にもYさんは中古本を探して取り寄せてくださった。中古本とのことだったが、総じて大変良い状態で、写真で分かる通り、きれいな状態の帯もついているし、読者アンケート用カードと新刊案内のチラシも挿まれている。新品と何ら変わりない本だ。そして初版第1刷(1995年7月5日)。

今読んでいる『「歴史認識」とは何か 対立の構図を越えて』大沼保昭/中公新書を読み終えたら、読みたいと思う。この本が年越し本になるかもしれない。

本には房総の風景写真やイラストが何枚も載っているが、そこに火の見櫓が写っていないのは残念。書名が「海の上の火の見櫓」ではなく、「火の見櫓の上の海」であり、房総の海が主題だから仕方がないが。

さて、佐野氏の書評。

佐野氏は火の見櫓を次のように評しておられる。**おそらく、それらがコミュニティの結び目であるからこそ、先人はそこにすっくとした表情を与え、細やかな意匠を施し、鐘がただしく機能するように屋根掛けして風雪から守ることを考えたのではないか。** 

書評を佐野氏は次のように結ぶ。**平林氏は、そこに作り手の荒ぶる魂のようなものを感じたのかもしれない。あるいは、そこに人が住み続けることの覚悟のようなものを。**

この件は佐野氏が私の本を通じて火の見櫓からこのようなことを感じ取った、と読むべきであろう。


書評のタイトル「人文学的風景にひそむ、魂と言うべきもの」

※ 何人かの知人・友人がブログ等に書評を書いてくださっています。皆さんありがとうございます。