透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

岡谷市塚間町の火の見櫓

2025-01-23 | A 火の見櫓っておもしろい




1530 岡谷市塚間町 44〇型複合脚(正面ショートアーチ、他面リング付き丸鋼交叉ブレース)後面ブレース撤去

■ まだまだ見ていない火の見櫓が近場にもある。岡谷市とは塩尻峠で隔てられており、自宅から車で40分足らずであるのにもかかわらず、あまり行く機会がない。昨日(22日)「鹿の国」というドキュメンタリー映画を観るために岡谷まで出かけた。

この映画を上映しているスカラ座という映画館には初めていった。映画館の場所は分かっていたけれど、行き時はカーナビのお世話になった。途中、あれ、遠回りするなぁと思いつつ、素直に従った。すると、火の見櫓が立っているではないか。まだ見ていない火の見櫓だ。映画館までとりあえず行き、車を停めて徒歩で戻ってきて観察した。火の見櫓の末広がる姿は実に美しい。見張り台より大きい踊り場は、南信方面の火の見櫓に多いような気がする。


見張り台廻りにスピーカーがない。スッキリしていて好ましい。見張り台の手すりにもブレースと同じデザインを採っている。4本の柱に方杖を2本ずつ取り付け、見張り台の床を支持している。




踊り場は見張り台と同じ構成にしている。半鐘を設置してある。2か所に設置した半鐘の使い分けをしていたのだろうか、それとも専ら踊り場の半鐘を叩いていたのだろうか・・・。




脚部を観る。道路から見て、後ろ側から梯子に昇り降りするようになっている。で、脚部はショートアーチとし、他の3面は交叉ブレースにしている。ただし手前側のブレースは撤去されている。コンクリート面をよく見ると、もともとブレースがあったことを示す丸鋼の断面が見えていた。


 


長野市篠ノ井の火の見櫓

2025-01-20 | A 火の見櫓っておもしろい

 塩尻駅6時36分発の普通列車で長野に出かけた。善光寺参りをするために。途中、ふと、篠ノ井で火の見櫓を探そうと思いついて、篠ノ井駅で下車した(7時51分)。

駅の東西を繋ぐ自由通路の西の端から遠く(手前の電柱の右後方、オレンジ色の切妻屋根のところ)に火の見櫓が見えた。東側のデッキからも探したが、見つからなかった。かなり市街化されているので、撤去されてしまったのかもしれない。下車した甲斐があった。やぐらセンサーの感度が良くなくても見えたと思う。篠ノ井線の次の長野行き(8時31分)まで、40分。充分間に合うと踏んで、歩いて見に行くことにした。






1529 長野市篠ノ井五明 44〇型 複合脚(正面ショートアーチ他面交叉ブレース)水路またぎ

見張り台と屋根の大きさのバランスが良く、整った姿かたちの火の見櫓。交叉ブレースは全てリング付き丸鋼製。久しぶりに興奮して、写真を何枚も撮った。昨年末まで使っていたカメラより、解像力が落ちるが仕方ない。コンパクトでポケットに入るので持ち歩びに便利。だから良しとしよう。


幅広の平鋼の蕨手 あまり「くるりんちょ」していない。見張り台の手すりはシンプルなデザイン


見張り台の床は一方向すのこ敷き。




端正なつくりの踊り場。


脚部 正面はショートアーチトラス脚 他の3面は丸鋼の交叉ブレース。交叉部はリング付きターンバックル。


 


火の見櫓の建設年判明

2025-01-14 | A 火の見櫓っておもしろい

360
△この写真のみ友人提供

 長野県朝日村の西洗馬区で長年保管されていた諸々の書類が西洗馬防災センターで12日から3日間公開された。西洗馬区内の5基の火の見櫓の建設に関する記録があるだろうと、出かけて「記録簿」を閲覧した。

5基の内の1基、中組の火の見櫓は昭和30年の8月に建設されたことが分かっていた。契約書の写しと竣工時の記念写真が手元にあるので。おそらく他の4基も同時期に建設されただろうと予測して、昭和30年6月から昭和34年10月までの記録簿を読み進めた。5基全ての記録があった。



   
中組地区の火の見櫓 建設年月:昭和30年8月(撤去され、現存しない)
昭和30年の記録(画像を加工して名前を消去した)八月一日 警鐘楼起工式とある。八月十二日 落成式という記録もあった。


  
上組(左)と原新田(右)の火の見櫓 建設年月:昭和31年8月




 
三ヶ組の火の見櫓 建設年月:昭和32年6月

六月十三日 警鐘楼地鎮祭 三ヶ組警鐘楼地鎮祭へ区長及地区部落長参列する
六月十六日 警鐘楼落成式 午后二時より三ヶ組警鐘楼落成式に区長参列する


 
下組(下洗馬)の火の見櫓 建設年月:昭和33年3月


建設費用に関する記録もあったが、ここでは省略する。

記録って大事だな、と改めて思う。


 


諏訪市小和田の火の見櫓

2024-11-25 | A 火の見櫓っておもしろい

 八剱神社(諏訪大社上社摂社)は諏訪湖御神渡神事を執り行うことで知られている。この神社の前に火の見櫓が立っていることをしばらく前に知った。それ以来行きたいと思っていたが、多忙で・・・(と言い訳)。ようやく一昨日(22日)行くことができた。


1527 諏訪市小和田 444型トラス脚 2024.11.22


あまり撮らないアングル

見張り台の高さは9~10mくらいあるかと思われるが、途中に踊り場を設けておらず、1本の梯子を直登するようになっている。


がっちりつくられた反りの強い屋根。程よい大きさの蕨手。屋根の中心から吊り下げられたつるりんちょな半鐘。

見張り台の手すりの外側にぐるっと設置された横材(バー)は消火ホースを掛けるためだろう。一部下方に曲がっていることからそう判断した。横材の設置位置が見張り台の高さの推定値が妥当であることを裏付ける。見た目には無い方が好ましいが、必要なものだから仕方ない。スピーカーやサイレンが設置されていないのは好ましい。


トラス脚の正面だけ上部をアーチ部材で繋いでいる。お迎えゲート的なことを意図したデザインだと思われるが、構造的にも好ましい。4面すべてにアーチ部材を取り付ければ尚好かった。

消防信号板を脚に取り付けてある。何回も書くが、これは見張り台に取り付けて信号を見ながら半鐘を叩けるようにするのか好いと思うが、なぜかそうしてあることは少ない。なぜだろう・・・





火の見櫓のビフォーアフター

2024-11-24 | A 火の見櫓っておもしろい




Before 2012.07.14




After 2024.11.22(再)辰野町平出 444型複合脚(正面開放他面交叉ブレース)

 岡谷市の川岸から県道14号で辰野町へ向かう。辰野町平出に立っているこの火の見櫓、今から12年前の2012年に見た時と屋根が替わっていた。火の見が跨いでいる倉庫も更新されていた。

屋根を修復した事例や屋根を撤去してしまった事例は知っているが、屋根をつくり替えた火の見櫓をみたのは、たぶん初めて。こんなことがあるんだ! びっくり。


更新後の屋根と櫓とのミスマッチ感、デザインはトータリティだということがよく分かる事例だ。


岡谷市川岸西の火の見櫓

2024-11-23 | A 火の見櫓っておもしろい

 岡谷市の川岸は諏訪湖から流れ下る天竜川の両側に形成された河岸段丘に集落が連なるところ。川岸西地区にまだ見ていない火の見櫓があることをひのみくらぶ会員の投稿で最近知った。

以下のような予定を立てて昨日(22日)実行した。まず岡谷市川岸西の火の見櫓を見る。それから辰野町を通って伊那市高遠町へ行き、火の見亭でラーメンを食べる。その後、茅野へ出て、久しぶりに大麦小麦へ行く。それから諏訪市でまだ見ていない火の見櫓を見て帰る。以上で一日要し、走行距離は約130kmだった。


1526 岡谷市川岸西 3〇無型 脚は判断し難く・・・2024.11.22


写真で分かる通り、火の見櫓は集落内のかなり狭い生活道路脇に立っている。


この火の見櫓は河岸段丘の地形を利用した「高さかせぎ」といえる。なかなか好いロケーションだ。



土地に高低差があるために、こんなアングルの写真を撮ることができた。

柱3本の櫓。正面に梯子を外付けしてある。正面の垂直構面にはブレースが設置してない。他の2構面には片掛ブレースが設置してある。変則的な構成の櫓だ。屋根は陣笠。下地組を確認しなかった・・・。


この脚の分類、どうしようか。複合脚。道路側の正面は斜材が入っていない。残り2面は短い脚だがタイプとしてはロング3角脚とするか・・・。なんとも判断が難しい。



実はこの火の見櫓を見る前にもう1基見たが、なんとなく前に見たような気がするなぁと思った。帰宅して確認すると、既に見ていた(過去ログ)。


 


火の見亭という名のラーメン屋の隣に火の見櫓

2024-11-23 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)伊那市高遠町西高遠 444型トラス脚 2024.11.22

 ①  
①2018.10.06撮影  ②2024.11.22撮影

 伊那の高遠に火の見亭という名前のラーメン店があり、昨日(22日)に行ってきたことは前稿で書いた。火の見亭の隣に立っている火の見櫓は既に2018年10月6日に見ている(写真①)。昨日も6年前と変わらぬ姿で立っていた(写真②)。 店主によると、2年ほど前にこの火の見櫓を撤去するという話もあったという。ヤバ。

改めてこの火の見櫓を見る。


反りのついた方形(ほうぎょう)の屋根のてっぺんの避雷針には存在感たっぷりな飾りがついている。蕨手はついていない。表面がつるりんちょな半鐘。見張り台は四隅を大きく隅切りした4角形(純粋に幾何学的にみれは8角形だが)で、二股の方杖を角に突いている。床にはU形の開口。その上部に同形の手すりがある。安全上の配慮だ。梯子を床面から突き出して上まで伸ばしている。これは上り下りしやすいようにという配慮。手すり子は縦しげで飾りなし。


外付け梯子から櫓内へ入る開口部廻りのデザインに注目。逆U形の開口部の両側に飾りがついている。見張り台には無いけれど。梯子の支柱を開高の縦枠に留めるために上部の幅を広げている。そのカーブが手工芸的で好ましい。小屋根の下の半鐘は乳や帯付きの鋳造品。二つの半鐘が撤去されずにあるのは嬉しい。


トラス脚に消防信号板が設置されている。脚の直上の横架材に施工した会社が分かる銘板が設置されていた。昼時が過ぎてお客さんがいなかったので、店主に半鐘の叩き方を説明した。「東京スカイツリーより東京タワーが好きだ」と店主。私も同じ。

来年(2025年)の桜の季節にまた来よう・・・。


 


塩尻市宗賀の火の見櫓

2024-11-17 | A 火の見櫓っておもしろい


▲ この写真のみ2024.11.18撮影

1525 塩尻市宗賀 366型トラスもどき 2024.11.16

 火の見櫓めぐりを始めたのは2010年の5月だが、この年の11月13日にこの火の見櫓を見ていた。だが、ブログには載せていなかった。あの頃は撮った写真の整理もきちんとしていなかった・・・。新たに番号をつけて載せる。


平面が3角形の櫓に6角形の屋根、同じく6角形の見張り台。366型は中信地域で最も多いタイプ。脚は分類したが、屋根を見張り台はまだ分類できていない。屋根下に半鐘と共に木槌を吊り下げている。


消防団詰所の外付け階段をさらに伸ばして火の見櫓と繋いでいる。建設当初は火の見櫓に外付け梯子が設置されていたのではないか、と思う。注意深く観察すれば、このことが確認できるかもしれない。いつも課題を残してしまう。


トラスもどきの脚


 


信濃町の火の見櫓

2024-10-25 | A 火の見櫓っておもしろい


(―)上水内郡信濃町野尻 444型トラス脚 2024.10.**(撮影日不明)

 上掲したのは松本市内にお住まいのKさんから送られてきた火の見櫓の写真。Kさんの姪御さんが撮った写真とのこと。豊科のカフェで昨年の10月に開いた「火の見櫓のある風景 スケッチ展」で姪御さんにもお会いしているかもしれない。

さて、火の見櫓。

一見して珍しい姿かたちだと分かる。脚元から直線的に逓減している櫓のてっぺんにちょこんと屋根と見張り台を載せているかのように見える。
見張り台は櫓から外側に張り出すことなくぴったりに合せている。

姿かたちの印象が昨年(2023年)2月に見た北杜市長坂町の火の見櫓(写真② 森林の監視用だろうか。では監視目的は?)とよく似ている。

屋根形状は判然としないが方形(ピラミッド型)だろうか。櫓の部材構成が送電鉄塔を思わせる。櫓の中間と屋根下に半鐘を吊り下げてある。

隣りの防災行政無線に役目をバトンタッチして、泰然としている様子にも見えるが、所在なさそうにも見える。どちらかといえば後者かな。



(再)山梨県北杜市長坂町 2023.02.05





戦前の手曳き型消防ポンプ

2024-10-20 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)塩尻市洗馬 48○型ブレース囲い 2024.10.19


 手すり付きの本格的な踊り場が3つも設置されていて、下から2段目と3段目の踊り場には半鐘が吊り下げられている。がっちりした火の見櫓。




この火の見櫓は今までに何回も見ているが、今回注目したのは櫓の下に置かれている「ガソリン消防喞筒機(?)」。喞筒はポンプのことで、しょくとう、またはそくとうと読む。取り付けられているプレートにガソリン消防喞筒機(機とは違うのでは?)とある。手曳き型消防ポンプだ。製作昭和12年4月と刻字されている。

いつ頃からここに置いてあるのか分からないが、雨ざらしにならない場所に保存していただきたいな、と思う。

手回しのサイレンをで囲った。T形のハンドル(?)を倒し、ふたりで曳いたのだろう。関心があるのは火の見櫓で、このようなものにはそれほど関心があるわけではないが、覗いてみた。こんなサイトも見つかった。 →こちら


佐久市御馬寄の火の見櫓

2024-10-14 | A 火の見櫓っておもしろい


1524 佐久市御馬寄(みまよせ) 44〇型トラス脚 2024.10.05

 群馬県高崎市倉賀野にある洋菓子店・ミリオンを出発したのは午後1時45分だった。ここ、佐久市御馬寄に着いたのは午後4時30分。その後、立科町から岡谷市に出て、塩尻峠を越え、自宅に着いたのは午後6時32分。走行距離約151km。

スレンダーで随分背の高い火の見櫓で、遠くから見えていた。少し手前にも1基立っていたが、スルーしていた。この火の見櫓も駐車スペースが見当たらず、辛うじてこの1枚を撮った。この日最後の火の見櫓。

梯子桟のピッチ(間隔)が不明だが、仮に0.4mとすると、火の見櫓の総高はおよそ20mになる。細身だから高く見えるのかもしれない、桟のピッチを.035mとすると総高はおよそ18m。

櫓の上部にバルコニータイプの踊り場・カンガルーポケットが設置されている。このカンガルーポケットの平面形は四角だが、前面が半円に近いものもある。この日見た火の見櫓は9基だったが、どれも個性的。

ヤグ活も15年目(2010年5月に始めた)だが、これまで飽きることなく続けてこられた理由として、姿かたちが多様なこと、それぞれの火の見櫓には建設されてから今に至るまでの歴史・物語があることが挙げられる。後者は短時間ではなかなか知ることができないが、そのような存在であることは常に意識している。

火の見櫓は今や絶滅危惧種。だからこそ、ヤグ活して記録に残すことには意義があると思う。これからも続けていきたい。


 


佐久市塚原の火の見櫓

2024-10-12 | A 火の見櫓っておもしろい


1523 佐久市塚原 44〇型ショート3角脚

 44〇型、柱4本で櫓の平面が4角形、屋根も4角形、見張り台が円形が東信地域では最も多く、66%(218/329)を占める。実に3基に2基はこのタイプ。


屋根:カチッとしていて変形しそうにない軒の4隅にくるりんちょとは言えないような半円形の蕨手がついている。半鐘がある。サイレンやスピーカーが無いのは好ましい。

見張り台:手すりは飾りっけ無し。床は井桁状に構成した下地材に幅の狭い平鋼を1方向に敷き並べている。


簡素な踊り場 必要最低限の設え 開口はロング3角型。


補強部材をショート3角に構成した脚部は短脚。南信地域に多く50%を占めるトラス脚と比べると実にシンプル。この潔さは好ましい。