透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「とりばっち」と「くるっち。」

2022-11-30 | A あれこれ

  
とりばっち(左)             くるっち。(右)
 長野県朝日村の山鳥場遺跡の発掘調査が県道改築事業に伴って行われた(2016年度~2018年度)。発掘調査報告書(*1)には発掘調査で出土した土偶12点、ミニチュア土器18点、土製円板33点、土製耳飾32点などが掲載されている。土偶12点はすべて破片資料で完形品はない。

朝日村では土偶12点の中の頭部2点に付ける愛称を募集していた(土偶に愛称を付けるというアイディアに拍手)。このことを報じている信濃毎日新聞の記事(2022.10.28)によると、県内外の250人超から応募があったという。朝日美術館や教育委員会で最終候補作をそれぞれ5案に絞り、投票によって愛称を決めた。で、選ばれた愛称が「とりばっち」と「くるっち。」。 「とりばっち」は安曇野市の小学1年生の男の子の応募案、「くるっち。」は山梨県在住の方の応募案とのこと。

ところで、人の名前にちゃんを付けて呼ぶことがある。ぼくも小さい頃、親戚のおばさんたちからちゃん付けで名前を呼ばれることがあった。高校生の時も「女子」から名前にちゃんを付けて呼ばれることがあったが、くすぐったいような嬉しさを感じたものだ。「ちゃん」ではなく「ちん」を付けて名前を呼ぶこともある。この「ちん」について調べると、人名に付けて親しみを表す接尾辞という説明がある。

さて、当選案。両案とも「っち」を付けている。これも親しみを表す接尾辞としてよいと思う。とりばっちは山鳥場(やまとりば)に因んだ固有の名前で、他のものには付けようがない。しかも、女の子っぽかったので「っち」を付けた方がもっとかわいくなると思ったという趣意のコメントが美術館で紹介されている。男の子のコメントで思い出すのは黛ジュンの「恋のハレルヤ」のジャケット。耳の前の髪が土偶と同じようになっている。

こんなすばらしい名前を付けた小学1年生の男の子の顔の表情を読み取る能力とことばに対する感性にびっくり。

今後、「とりばっち」と「くるっち。」にどんな活躍をしてもらうのか、村の構想力が試されるだろう・・・。


発掘調査報告書はとりばっちについて、**顔面部を隆帯で囲み、沈線と刺突で目や鼻孔を表現する。(中略)顔面部の隆帯際・頬部・頸部には先端が鋭利な施文具で沈線文様を施文する。**と説明している。なるほど。 


*1 長野県埋蔵文化センター発掘調査報告書120 
    県単道路改築事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 2019年3月20日発行


凹凸

2022-11-29 | B 地面の蓋っておもしろい



 信州スカイパーク(松本空港の周囲に整備されている広域公園)をカメラを提げてウォーキングしている。広葉樹はすっかり落葉して、撮影対象がなかなか見つからない。で、夕日を受けてギラギラ輝くマンホール蓋、略してギラマンを撮った。手前に落ちている影が文字や図をより高く見せている。錯覚効果で凹凸が強調され、おもしろい写真が撮れた。


 


「フィクションの方が現実的」

2022-11-28 | A 読書日記

 本年度16回目の本の寺子屋は作家・島田雅彦さんの講演会だった。人気作家だから聴講申し込みが多く、抽選になった。運よく当たった(田中優子さん(法政大学前総長)、小泉今日子さんの講演会は抽選で外れた)。昨日(27日)の午後、えんぱーくで行われた「フィクションの方が現実的」と題した講演で島田さんは広範な知識をもとにいくつかのテーマで90分間、きっちり話をされた。

以下ノートにメモしたことば(私の聞き違いなどによる誤記があるかもしれない)
・現実とフィクションの関係は相反するものではなく、表裏一体。
・よく見るという韓流ドラマの展開パターンの分析
・歴史は周期的に繰り返す、外圧で変わる日本。日本を変えた5つの歴史的な出来事とは・・・。白村江の戦い 2回の蒙古襲来 戦国時代の南蛮貿易 明治維新 日米戦争(敗戦、対米従属) 
・最新作「パンとサーカス」について 小説だとディストピアに生きながらユートピアを描くことができる。小説は天下国家を語る「大説」とは違い、わたくしごとを扱うが、そこには社会の反映がある。
・VR(仮想世界)の話 デジタルファッション(イメージだけの服、自分のアバターの着せ替え、エアファッション)
・エア〇〇につういて エア食品 エア出張(カラ出張)エア政治
・仮想世界を映すゴーグルを装着、ラーメン画像を見ながらそばを食べると、ラーメンを食べていると脳が認識してラーメンの味がする。これ最近読んだ本に同じような話が出ていた。脳は騙されやすい。

講演が終わった後、参加者からの質問にも丁寧な答。
Q:10代、20代で読んだ作品で印象に残っているのは? A:梅崎春生の「幻化」とトーマス・マンの「ベニスに死す」
Q:食通の島田さん、塩尻の山賊焼き食べましたか?   A:食べました。感想とトリ料理についてあれこれ。
Q:芥川賞の受賞を逃しているが、現在選考委員をされている。 A:6回候補に挙がった。そのうち5回は受賞作なしだった。反対者が誰だったのか、聞いている。「名前は言えませんが」に続けてふたりの選考委員の名前を挙げた。ここには書かないでおく。
もう一つの質問は政治的な内容だった。Q&A省略(具体的な質問、具体的な回答)。



ぼくは島田さんの小説を読んだことがない。自室の書棚にあるのは『衣食足りて、住にかまける』(光文社2004年)だけ。帯にあるように住宅論。建築関係の本と同じところに並べてある。


講演会場で『小説作法XYZ 作家になるための秘伝』(新潮選書2022年)を買い求めた。今週はこの本を読む。帯の顔写真は近影のようで、昨日の顔と同じ。イケメンで女性のファンが多いらしく、昨日の講演会場も女性が多かった。


 


卒業50周年の集い

2022-11-27 | C 名刺 今日の1枚


出席者のプライバシーに配慮して横フレの画像を適宜トリミングしました。壇上で開式のことばを述べるI君。

 昨日(11月26日)、松本市内のホテルで高校卒業50周年の集いが開催された。式典は開式のことばに続き、校歌斉唱で始まった。

蒼溟遠き波の涯 黒潮たぎる絶東に
たてり大和の秋津洲 光栄の歴史は三千年
そのうるはしき名を負へる 蜻蛉男児に栄えあれ

なんとも壮大な歌詞だ。5番まであるけれど昨日歌ったのは2番まで。3番以降の歌詞は時の流れと共に忘却の彼方へ・・・。


193 S君 
式典は午後の開催だったが、午前中から出かけて前日から松本入りしていたS君と松本駅のスタバで久しぶりに再会した。彼は都内の某大学で教職に就いていたが、定年退職して現在は別の大学で一般教養科目の生物を非常勤で教えているとのことだった。渡された名刺には「自然誌愛好家」とあった。


194 U君
銀行に長年勤めていた彼の名刺には某会社の顧問とあった。彼からは今年の4月に日本経済新聞の文化面に掲載された僕の記事に過分なことばを受け取っていた。式典開始を待つ間に声をかけられて挨拶をした。


195 T君
2次会で同席したT君。歯科医の彼の名刺には医療法人の名前の下に理事長とあった。直接会って話をするのはずいぶん久しぶりだった。


196 B君
彼とも2次会で同席、名刺交換した。名刺には国立研究開発法人(以下省略)、理学博士とあった。B君と話をするのは高校生の時も含めて初めてだったと思う。


197 T君
懇親会の締めで、応援団の団長だった彼の掛け声で応援歌斉唱をした。首都圏の高校で世界史を教えていたと聞いていた。何種類も名刺を持っているような様子だったが、渡された名刺にもいくつもの肩書きが記されていた。そのうちの国際政治 東西思想史研究だけ挙げておく。T君と話をするのはおそらく初めて。


司会者の話によると、式典に出席した同期生は99人とのことだった。受付で渡された名簿には100人を超える名前が載っていたが、出席が出来なかった人が何人かいたということだろう。

うれしかったのは担任だったI先生が出席されたこと。式典が始まる前に挨拶すると、僕の名前ばかりか出身地まで覚えていてくださった。90歳を超える高齢であるのに未だ矍鑠(かくしゃくってこんなに難しい漢字なんだ)として居られ、壇上での挨拶には目頭が熱くなった。

高校生の時、I先生には本当にお世話になった・・・。高校の近くに城山公園がある。その公園の桜が見ごろになった時、職員室に行って授業をやめて花見に行きましょうとお願いしたという想い出がある。一緒に職員室に行った同級生がいたのかどうか、記憶にないので分からない。その時、厳しい指導で有名だったK先生が意外にも応援してくださって、「いいじゃねえかい、先生行ってきましょ」というような言葉をかけていただいたと思う。それで城山に花見に行ったのだった。はるか昔のなつかしい想い出だ。K先生には北 杜夫の『さびしい王様』を貸していただいたこともあった。

遅くに自宅に帰って、出席者名簿に二言三言言葉を交わしただけの人も含めて話をした同期生に〇印をつけてみた。39人に印が付いた。これからも会う機会があると思われる人、昨日の会話が最後になるだろうと思われる人。人生いろいろ・・・。


 


名刺今月の1枚 188~192

2022-11-27 | C 名刺 今日の1枚

 「名刺今日の1枚」が「名刺今月の1枚」状態になっているのでまとめて掲載しておきたい。


188 MGプレスのYさん。Yさんとは初対面ではなく、既に取材を受けたことがあるが、先日久しぶりにあることで取材を受けた。その際、改めて名刺交換をした。ボツになっていなければそろそろ記事になるかと。


189 後藤和美さん(@池田町のカフェ 風のいろ)  料理研究家で料理教室をしておられる方。出版された自著を手にしていただき、写真撮影。ご自分で撮られたという料理の写真が掲載されている。実に美しい写真ばかり。やはり料理は五感で味わうもの。

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190 カフェ 風のいろのSさん だいぶ前に名刺をお渡ししているような気がするが、改めて。


191 藤田亜紀子さん ひのみ好きな女性、SNSでは既知の方。茅野市内のお店「大麦小麦」を訪ねた。居心地の良いお店だった。気さくな方で話がはずみ、ずいぶん長居をした。御柱ポーズで1枚。2022.11.08

 


192 Hさん 何年も前からの知り合い 作品展開催の案内カードを受け取り、初日(19日)に出かけてきた(会期11月19日~27日)。心象風景を具象的なモチーフによって表現した作品。彼女と会うのは3年ぶりか。これからは游子(ゆうし)という作家名で活動するとのこと。


 


「諏訪神仏プロジェクト」

2022-11-25 | A あれこれ

■ 明治元年(1868年)に新政府が発布した神仏判然令が廃仏毀釈運動を招き、全国で多くの寺院が取り壊され仏像などの貴重な文化財が破壊されました(過去ログ1 過去ログ2)。松本地域は全国でもこの運動が激しかったようです。山々で松本地域と隔てられている諏訪地域はどうだったのでしょう。諏訪大社に祀られていた多くの仏像は諏訪地域の寺院に移されて難を逃れました。

「諏訪神仏プロジェクト」は各寺院で大切に保管されてきた諏訪大社ゆかりの仏像を一斉に公開するという初の企画で、**諏訪大社の神さまと仏さまが150年ぶりに再会**というコピーが付けられています(開催期間は11月27日まで)。昨日(24日)諏訪地域の寺院に出かけてきました。今の世の中、文章より画像。以下、訪れた寺院を画像で紹介します。


平福寺
岡谷市長地

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本堂


阿彌陀如来(鎌倉期) 顔の表情がおだやかで実に美しい座像です。案内していただいた寺院の方の許可を得て撮影させていただきました。立像には全身のバランスの美がありますが、座像は安定の美?、どっしりとした姿で観る者に安心感を与えます。


慈雲寺 
諏訪郡下諏訪町

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苔むす参道 正面に仁王門




本堂


本堂前の枯山水の庭園 


温泉寺
諏訪市湯の脇

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本堂


遠く諏訪湖を望む庭園 


多宝塔の周囲に御柱が立っています。寺院なのに御柱? そう、神仏習合を表す光景ですよね。そう思って写真を撮りました。アングルを工夫すればもっとわかりやすい写真が撮れたかもしれない、と反省しています。


佛法紹隆寺
諏訪市四賀桑原

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山門


本堂 庭は一面の敷イチョウ


普賢堂


台座の白象 鎌倉期 普賢菩薩像 1593年(文禄2年*1 戦国時代)


諏訪大明神御本地佛 普賢菩薩像


照光寺
岡谷市本町


山門を望む


本堂


本堂屋根の四隅に吊り下げられている風鐸

風鐸には魔除けの意味があるそうです。祭り神輿や灯籠、さらに火の見櫓の屋根の蕨手はこの風鐸と同じ意味があるのではないか、と考えています。座布団の四隅の房も魔除けの意味があるそうです(「チコちゃんに叱られる!」)。大相撲の吊屋根の四隅の房もやはり魔除けで、神聖な土俵を守るために下げられていると理解しています。

*****

今回のプロジェクトで特別公開されている千手観音は本来60年に一度の御開帳。高さは2、30cmほど。実に繊細なつくりでしばらく見入ってしまいました。


*1 諏訪市博物館の説明文

自宅から諏訪地域の諸寺へは車で小一時間、近くにすばらしい寺院がいくつもあることを知りました。廃仏毀釈運動で全国で数多の仏像などが失われてしまったこと(*2)、改めて残念に思います。

*2 **廃仏毀釈によって日本の寺院は少なくとも半減し、多くの仏像が消えた。哲学者の梅原 猛氏は、廃仏毀釈がなければ国宝の数はゆうに三倍はあっただろう、と指摘している。**(『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』鵜飼秀徳/文春新書 11頁)


 


火の見言葉 実例

2022-11-23 | A 火の見櫓っておもしろい

栃木県藤岡町
道路またぎ
 道路(公道・私道、敷地内通路)を跨いで立っている火の見櫓

長野県諏訪市四賀
水路またぎ 水路を跨いで立っている火の見櫓(実例は多くないと思われる)

長野県茅野市塚原
倉庫またぎ 消防倉庫を跨いで立っている火の見櫓 倉庫と干渉していない状態

山梨県北杜市高根町
ガッチリホールド 火の見櫓の脚部が消防倉庫を抱え込むようになっている状態(倉庫またぎの形態のひとつ、倉庫と多少干渉状態にあるものも含む)

貫通やぐら 脚が消防倉庫に貫通している火の見櫓(貫通状態を次のふたつの言葉で表現する)

長野県飯田市鼎下茶屋
ガッツリ貫通 脚が消防倉庫の屋根を貫通して倉庫内に出ている火の見櫓

長野県茅野市湖東
ぷち貫通 脚が消防倉庫の軒を貫通している火の見櫓(プチ貫通とも表記する)

東京都武蔵野市境南町
松本市寿小赤            
高さかせぎ 消防団詰所の屋上や道路より高いところに建てて高さをかせいでいる火の見櫓

長野県小海町
カンガルーポケット 櫓の1構面からバルコニーのように張り出している踊り場


 


松本市高宮中の火の見柱

2022-11-23 | A あれこれ


1404 松本市高宮中 火の見柱 撮影日2022.11.22


 サクラの古木の枝に取り囲まれるように火の見柱が立っている。まだまだ身近なところに今まで見ていない火の見櫓が立っている。ごく最近この火の見柱を火の見友だちのSNSで知り、早速見てきた。


火の見柱としては背が高い部類に入ると思う。


消防団員が立つ足場と取っ手が設置されている。半鐘とは違い、すき焼き鍋のような形の鉦(かね)を吊り下げてある。ところで鉦、今まで双盤と呼んでいた。鉦と双盤、意味に違いがあるのだろうか・・・。ネット検索すると、**双盤念仏は4つの鉦と1つの太鼓を使って行われます。**というような説明文が見つかる。鉦と双盤は同じという説明もあるし、双盤鉦という言葉も見つかる。詳しく調べればこのふたつの言葉の意味や使われ方の違いが分かるかもしれない。とりあえずこれからは鉦としたい。

ところで、新型コロナウイルス感染に関して、エアロゾル感染と空気感染とは違うと書かれていたり、同じと書かれていたりする。このふたつの用語が明確に定義されていないということなのだろうか、科学用語なのに・・・。では鉦と双盤はどうだろうか。


この火の見柱を来春、サクラの花が咲くころ再訪したい。



晩秋 火の見櫓のある風景を描く

2022-11-22 | A 火の見櫓のある風景を描く


火の見櫓のある風景 長野県朝日村にて 描画日2022.11.21

 上手く描こうなどという邪念をはらわないと、また制限時間を短めに設定しないと活きた線は引けない。この場所に立ち、風景を構成している要素を把握する。で、それらを再構成してこの風景の魅力を30分くらいで線描すると決めて描き始めた。分析的に風景を捉えようとするのは僕の脳のクセだろう。

道路の左側に何本も立つ電柱をざっとラフに描く。ゆっくり引けばもっと真っすぐな線を引くことができるが、それではおもしろくない。ラフな線が「味」だと思っている。しまった、と思うような線を引いてしまっても、それを踏まえてその後の線を引く。このスケッチにも引き直したい線が何本もある。だが、あえて引き直さない。消すことができない油性ペンで線を引く、しかもいきなり本ちゃんの線を引くのが僕の流儀、こだわり。

この頃は彩色を自宅でしている。あまり忠実に再現しようとな思わない。建物の屋根や壁の色を変えることもあるし、紅葉していない樹を紅葉させることもある。

風景の再構成は創造的行為だ。それ故、自分の感性に素直に従って線描が、彩色ができるかどうか、それがポイントだと思う。

スケッチは楽しい。 


 


火の見言葉

2022-11-21 | A 火の見櫓っておもしろい

 凡そ世の中のもので趣味の対象になっていないものはない。自然のものであれ、人工のものであれ、趣味の対象にしている人が必ずいるものだ。中でも鉄道が趣味という人は多く、その数100万人とも200万人とも言われている。これだけ多いと鉄番組も成り立つということだろう。NHKのラジオ第1で毎週土曜日の午前10時5分から「鉄旅・音旅 出発進行!~音で楽しむ鉄道旅~」という番組が放送されている。19日、車で移動中にこの番組を聞いた。 鉄道好きな出演者の会話に鉄言葉が出てくる。思い出すままに記すと「鉄教育」「親子鉄」「鉄音」「鉄グッズ」・・・。

100万人、200万人もいる鉄道好き、鉄ちゃんに対して火の見櫓好きな人、火の見ヤグラーはどのくらいいるのだろう・・・。仮に各県100人とすれば、全国でざっと5,000人。こんなに多いかなぁ、と思ってしまう。根拠はないけれど、この6割として3,000人くらいか。このくらいの人数だと火の見言葉が一般化することなどないと思う。火の見言葉を使うのは極々少数の人に限られるだろう。が、一応ここに挙げておきたい。尚、火の見言葉には私の他に、火の見櫓好きな人たちが考えたものもいくつかある。

言うまでもないが言葉は文化だ。日常交わされる言葉に方言があるように、火の見言葉にも人によって違いがあってよいと思う。その違いを楽しみたい。

   
信濃毎日新聞2014年4月18日付朝刊29面に掲載された火の見言葉

火の見ヤグラー 火の見櫓好きな人 マヨラーとかアムラー、サウナーなどと同じ発想の言葉。ヤグラーと略すこともある。
やぐら女子(今の世の中、ことさら女子と強調することもないだろうから、あまり使う機会はないと思う。)
やぐる 火の見櫓を観察するという意味の動詞  使用例:山梨までやぐりに行く予定だ。
ひのみる 火の見櫓を観察するという意味の動詞 やぐると同義 使用例:今日は一日中ひのみっていた。
道路またぎ 道路(公道・私道、敷地内通路)を跨いで立っている火の見櫓
水路またぎ 水路を跨いで立っている火の見櫓(実例は多くないと思われる)
倉庫またぎ 消防倉庫を跨いで立っている火の見櫓。倉庫と干渉していない状態
ガッチリホールド 火の見櫓の脚部が消防倉庫を抱え込むようになっている状態(倉庫またぎの形態のひとつ、倉庫と多少干渉状態にあるものも含む)
貫通やぐら 脚が消防倉庫に貫通している火の見櫓(貫通状態を次のふたつの言葉で表現する)
ガッツリ貫通 脚が消防倉庫の屋根を貫通して倉庫内に出ている火の見櫓
ぷち貫通 脚が消防倉庫の軒を貫通している火の見櫓(プチ貫通とも表記する)
高さかせぎ 消防団詰所の屋上や道路より高いところに建てて高さをかせいでいる火の見櫓
カンガルーポケット 櫓の1構面からバルコニーのように張り出している踊り場
ひのみくらぶ #ひのみくらぶ をつけてSNSに投稿する火の見好きな人たちの会(加入条件は特にありません)

とりあえず本稿はこれで終わりにしたい。次稿でこれらの火の見言葉の具体的な例を写真で紹介したい。


#ひのみくらぶ


「モダン」原田マハ

2022-11-20 | A 読書日記

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 正直に書く。ぼくはこの作家をずっと原田ハマだと思っていた。書店で平積みされている本を見て、アート小説か、原田ハマって確かキュレーターをしている人だったな、などと・・・。この本も我が村の文化祭の企画「中古本プレゼント会」で見つけた。あ、原田ハマの本だ、読んでみようと思って。家でカバーを見ていてようやく気がついた、あ、ハマじゃない、マハだと。源氏物語に鬚黒という人物が出てくるが、ぼくは黒鬚だと思い込み、ブログにもそう書いていた(気がついて訂正したけれど)。思い込みってこわい。

さて、『モダン』原田マハ(文春文庫2018年)はMMA(ニューヨーク近代美術館)が舞台の短編集。MMAは大規模な増改築が行われ、2004年に再オープンしたけれど、その設計者は1997年の国際コンペで選ばれた谷口吉生氏。谷口氏の作品はあまり見ていないが、豊田市美術館、土門拳記念館、法隆寺宝物館が印象に残っている。長野市にある信濃美術館の東山魁夷館も谷口氏の設計。どの作品も隅々まで端正で実に美しい。

収録されている5編の短編には3.11、そう東日本大震災と福島第一原発の大事故やニューヨークの9.11が取り上げられている。

「中断された展覧会の記憶」 3.11の時、福島の美術館で開催中だった「アンドリュー・ワイエスの世界」展にMMAは「クリスティーナの世界」を貸し出していたが、連れ戻すことにする。やはり放射能の影響が心配されたのだ。で、MMAの展覧会ディレクターの杏子がその役で日本へ飛び、福島へ向かう。ふくしま近代美術館で対応した学芸員の長谷部伸子と杏子との僅かな時間の交流、ふたりの間で交わされる言葉がなかなか好い。

原田マハさんは美術作品に関わる仕事を経験してきているだけに、リアルなフィクションだと感じた。開催される作品展の裏側には人間ドラマがあるんだなぁ・・・。


 


読んだ本、誰にすすめる?

2022-11-18 | A 読書日記

『三四郎はそれから門を出た』三浦しをんの読書エッセイ集を読み終えた。彼女はあとがきにかえてに**「この作品は、あのひとの好みにずばり直球ストライクだろうな」とか、「この作品について、ぜひだれかと語りあいたい!」などと、思いを馳せることもできる。**と書いている。

読んだ作品について語りあう、という機会は20代の頃(かなり昔)にはあった。が、その後は無くなってしまった。読書好きの知人・友人はいるけれど、同じ作品を読んでいたということはあまりない・・・。

『三四郎はそれから門を出た』に取り上げられている本で、読んだことがあったのは『海辺のカフカ』村上春樹(新潮文庫)『私の家は山の向こう』有田芳生(文藝春秋)『白い巨塔』山崎豊子(新潮文庫)『黄金を抱いて翔べ』高村 薫。ほとんど重なっていなかった。

読書は十人十色。ひとにすすめられて読むと、おもしろいと思う作品もあるけれど、そうでない作品もある。「そうか、あのひとはこういう作品が好きなのか」とすすめてくれた知人・友人のことを考える。昔(って20代の頃)はそういうことが時々あったなぁ。そのころの本は今でも書棚に並べてある。


 


「三四郎はそれから門を出た」

2022-11-18 | A 読書日記


『三四郎はそれから門を出た』三浦しをん(ポプラ文庫2012年第3刷)@朝カフェ(松本市渚のスタバ)

 我が村の文化祭で行われた中古本プレゼント会でもらってきた本6冊のうちの1冊。三浦しをんは『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を、『舟を編む』で本屋大賞を受賞している。このふたつの賞を受賞しているということから、実力のある作家だということが分かる。だが、ぼくはこれまでこの2作品の他に『しをんのしおり』くらいしか読んだことがなかった。

『三四郎はそれから門を出た』はとにかく読書が好きだという彼女の本に関するエッセイをまとめた本。ユーモアたっぷりに綴られる日々のくらしや読書のことなど。

まえがきにかえてに**私が一日のうちにすることといったら、「起きる。何か読む。食べる。ないか読む。食べる。仕事をしてみる。食べる。なにか読む。食べる。なにか読む。寝る」である。**と書いている(001頁)。**先日、友人の新居に何人かで押しかけ、昼間から宴をした。「お疲れさま!」と、まずはビールで乾杯だ。**(238頁)まあ普通の人はこの文章はこれで終りにすると思うけれど、彼女は続けて次の様に書く。**休日の昼間なのに、いったいなにがどう「お疲れ」なのかわからないが、とにかく乾杯だ。**(238頁)これがこの本に収められたエッセイに共通する彼女のユーモア。

「きらいな動物」というタイトルで猿について書いている。**猿への憎悪が高まりつつある。なんであんな動物が、干支に入っているんだろう。できることならリコールしてやりたい、とまで思う。**(234頁)この先の引用は控えるが、なぜ猿がきらいになったのか、子どものころの出来事を紹介した後、**「さる」と聞いても、意地でも動物の猿を思い浮かべないよう、自分を鍛えたのだ。その甲斐あって、「さるといえば秀吉」と、反射的にすり替えがきくようになった。**(235,236頁)と書く。さらに続けて**「都内に秀吉出没」「イモを洗うかしこい秀吉」「秀吉の群れに荒らされる農作物」といった具合である。人間の知恵の勝利。我が脳内から、ついに動物の猿を駆逐せり・・・・・!**(236頁) このユーモア、この表現力。かと思えばきっちり書評を書いてもいる。才能ある人だなぁ。

最後に、ぼくならこの本のタイトルを「門を出た三四郎はそれから」ってする。こっちの方が良くないか、などとひとり思っている。