透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

スタバでカフェトーク

2024-05-31 | A あれこれ


なぎさライフサイトのスタバにて 窓際の一人用の円卓をふたつ使用した。 2024.05.30

 昨日(30日)、IT君と3カ月ぶりにいつものスタバでカフェトークした。カフェトークではいつも本のことが話題になる(過去ログ)。IT君は『県犬養橘宿禰美千代』義江明子(吉川弘文館  人物叢書)を、ぼくは『村野藤吾  建築案内』村野藤吾研究会 編(TOTO出版)と読み始めたばかりの『川端康成』十重田裕一(岩波新書2023年)を持ってきた。

県犬養橘宿禰美千代? 知らないなあ。歴史に疎い私はこの名前を初めて目にした。藤原不比等の奥さんだとIT君。藤原不比等の奥さん? ぼくは藤原不比等のこともよく知らないのに・・・。

この女性について、はしがきに次のように紹介されている。**県犬養橘宿禰(すくね)美千代は、七世紀末から八世紀前半の宮廷において、絶大な影響力をもった女性である。彼女は、敏達(びたつ)天皇系王族である美努(みぬ)王の妻となって葛城(かずらき)王・佐為王・牟漏(むろ)女王を生み、のち、藤原不比等の妻として安宿媛(あすかべひめ 光明皇后)と多比能(たひの)を生んだ。(後略)** 

読書家のIT君は日本史に関する本をよく読んでいて、この紹介文に出ている人物が頭に入っている。(そっと書く。ぼくは不比等という名前を知るのみ)。

彼が古代から現代まで、何回も行き来していて、随分深い世界に入り込んでいることが分かる。その一方で難しい数学の本も読んでいるということだから、読書世界がぼくとは全く違う。喩えれば、ぼくは海岸を歩き、拾った貝殻を見ているようなものだが、IT君は沖に出て、海中に潜って、きれいな魚を観察してるかのよう。

『川端康成 孤独を駆ける』でぼくが示したのは1963年に行われたという、高校生が5月1カ月間に読んだ本を調査した結果の一覧表(188頁)。男女別、学年別に示されている表で、男子は3学年とも1位は「伊豆の踊子」。女子は1年生が「友情」で、2年生と3年生はモーパッサンの「女の一生」。「伊豆の踊子」は1年生が4位、2年生は10位に後退、3年生は20位までの表に入っていない。

この極端な男女の違いは何を意味するのか・・・、議論した。男子生徒はロマンチストで淡い初恋にいつまでも惹かれているけれど、女子生徒は高校生になってリアルな恋に目覚めて、「伊豆の踊子」には見向きもしなくなる・・・。中学生の時に読んでいる子が多いんだよ。というのがふたりが出した結論。

ぼくはもう一度「伊豆の踊子」を読んでみようと思っている、とは言えなかった・・・。


※ 一覧表(188頁)には「戦争と平和」、「罪と罰」、「復活」など海外作品も入っています。「源氏物語」も。書店で岩波新書の『川端康成』を手に取って他にどんな作品が入っているのか、ぜひご覧下さい。


「わたしだけ観て」

2024-05-30 | A あれこれ


初夏のフォトアルバム 信州スカイパークにて 2024.05.25


「わたしだけ観て」
バラは近くで観られることを歓迎する。バラは自分が美しいということが分かっているから。


信州スカイパークには100品種、3,000本ほどのバラの花があると地元紙が伝えている。


安部公房の「壁」を読む

2024-05-29 | A 読書日記

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 安部公房の『壁』(新潮文庫1969年発行1975年7月20日15刷)を読んだ。初読は高校生の時だったと思う。貼ってある水色のテープで10代、20代の時に読んだ本、ということが分かる。高校生の頃、同期生の間では安部公房と大江健三郎に人気が集中していたと記憶している。

『壁』には「S・カルマ氏の犯罪」「赤い繭」「洪水」「魔法のチョーク」「事業」「バベルの塔の狸」の6編が収められている。どれもシュールな作品で、読み解くのが難しい。

6編の中で一番長い作品「S・カルマ氏の犯罪」の主人公はある朝、自分の名前を喪失してしまう。わずか5頁の「赤い繭」では、主人公が自分の家を失い、せっかく家が出来ても今度は自分が消滅、いや透明人間になってしまう・・・。

また「洪水」では**不意に体の輪郭が不明瞭になり、足のほうからとろけ、へなへなとうずくまり、(中略)最後に完全な液体に変って平たく地面に拡がった。**(146頁) 世界のいたるところで始まった人間液化が様々な混乱を引き起こす。例えば**一村の農民全部の液化による小洪水などが、相ついで新聞紙上につたえられた。**(147頁)また**蒸気機関車の鑵は液体人間の混入で全く役に立たなかった。**(148頁)などということも。

「バベルの塔の狸」の主人公は自分の影をなくし、やがて自分の肉体も消えて透明人間になる・・・。

安部公房は人間が存在することの意味を問う。この本に収録されているのは初期の作品だが、その後も安部公房は人間の属性を喪失させている。『他人の顔』は顔の喪失、『砂の女』『箱男』は存在・帰属の消去・喪失・・・。

以下は既に書いたことだが、再掲する。名前、顔、帰属社会、そして故郷。属性を次々捨ててしまった人間の存在を根拠づけるのもは何か、人間は何を以って存在していると言うことができるのか・・・。人間の存在の条件とは? 安部公房はこの哲学的で根源的な問いについて思索し続けた作家だった。


手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫22冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印は絶版と思われる作品)

今年中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。5月25日現在10冊読了。残りは12冊。今年3月に出た『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』(新潮文庫)を加えたとして13冊。6月から12月まで、7カ月。2冊/月で読了できる。 5月は既に3冊読んで、ノルマクリア。


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月


*記事中の過誤を訂正しました。


屋根のてっぺん

2024-05-28 | A 火の見櫓っておもしろい

 
左(上):朝日村針尾               右(下):朝日村小野沢

 火の見櫓のある風景で取り上げた2基の火の見櫓。どちらも3柱1構面梯子33型(屋根と見張り台の平面が3角形)という同じタイプ。でも細部を観察すると両者の違いに気がつく。例えば屋根。

 
ともに反りのついた3角錘(平面は3角形)の屋根だが、右(針尾)の屋根には蕨手が無い。びっくりするのはてっぺん。尖がった先っちょまで一体にしている。これはすごいとしか、言いようがない。

火の見櫓のある風景を見て終りではなく、細部まで注意深く観察したい。


先端部 溶接してシームレス(材料の一体化)にしている。


 


火の見櫓のある風景(朝日村小野沢)

2024-05-27 | A 火の見櫓っておもしろい

① 
(再)東筑摩郡朝日村小野沢 3柱1構面梯子33型 2024.05.26


 朝日村の火の見櫓16基でまだスケッチしていない3基の内の1基。この風景をスケッチするなら・・・、①と②のどっちが好いか。②はこの風景を構成している要素が少なすぎるから①。

①の風景は構成が単純ではない。火の見櫓の横の道路はすぐ先で急な下り坂になっているから、火の見櫓の奥の民家は赤い屋根しか見えていない。この辺りの土地にはかなり高低差があるが、それを違和感なく表現できるかどうか。正確に描けばよい、というものでもない。正確に描けば却って違和感が出てしまうことはよくあることだ。左側にある何軒かの民家はかなり遠くにある。まとめ難い構図だが、面白そう。 フラットルーフの住宅はこの風景に馴染んでいないが、このまま描こう。


 


火の見櫓のある風景(朝日村針尾)

2024-05-27 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)東筑摩郡朝日村針尾 3柱1構面梯子33型 2024.05.26


 長野県朝日村には火の見櫓が16基立っている。その内、既に13基のスケッチをした。その過半は複数回スケッチした。この火の見櫓はまだスケッチしていない。スケッチしたくなるような構図にはならないだろうと、なんとなく思っていたから。

昨日(26日)、荻野良樹写真展「山神3」に出かけたが、その帰路ここに立ち寄ってみた。道路山水的な構図、描きやすい構成要素。近々、また出かけてこの風景をスケッチしよう。


 


244枚目 写真家 荻野良樹さん

2024-05-26 | C 名刺 今日の1枚
 長野県朝日村針尾にあるBLUE HOUSE STUDIOで開催されている荻野良樹写真展「山神3」は今日26日が最終日。荻野さんが在廊されているとの情報を得て、出かけてきた。

荻野さんは三重県鈴鹿市在住の写真家で、私が会場のスタジオに出かけた時、荻野さんの知り合いという方が居られた。訊けば荻野さんと同郷、三重県から日帰りの予定で出かけて来られたとのこと。

写真展のタイトルは「山神3」。山神が祀られている祠なり、石碑なりと人々との繋がる様を撮影した作品が展示されていると思いきや、農家の裏側のような、どちらかというと美しくなくて何気ない風景が写された作品が展示されていた。これは一体、・・・・・。どうしても作品を理解しようとしてしまう。

萩野さんから作品について説明を受けて、納得。展示作品には山神に繋がる対象が写されていることが理解できた。展示作品は美的感性によって切り取られた美しい風景ではなく、理性によって捉えられた、荻野さんだけの風景なんだ、と私は解した。既視感を感じてしまうような写真は見ていてつまらないが、それを全く感じない荻野さんの写真が魅力的に見えてきた・・・。


会場で名刺交換。荻野さんにお渡ししたのは244枚目の名刺だった。
 

火の見櫓のある新緑の風景を描く

2024-05-26 | A 火の見櫓のある風景を描く

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上伊那郡辰野町小野にて 描画日2024.05.24

 道路山水的な風景の遠近感を線描で表現するのは、遠近法の基本を押さえていればそれ程難しくはない。着色、即ち色の濃淡と彩度の高低によって遠近感を表現する方法(空気遠近法に近いと思う)は、私には難しい。着色のテクニックを身に付けないとなかなか思うような表現ができない。絵筆の使い分け、筆に含ませる水の加減、混色の可否の見極め・・・。

線描と着色の相乗効果を意識してもよいのではないか。そう思って、影の部分をハッチングしてみた(表示部分他)。学生の頃描いたスケッチを見ると、岩の影などをハッチングしている。

描いたスケッチを冷静な第三者的な眼で評することも必要だろう。ということで以下はその試み。

山の稜線を一本の線で表現することもないだろうと、一番奥の山は縦の破線で表現した。決定的な一本の線で表現すると(今まではこのことにこだわって描いていた)、遠くに霞む山の雰囲気が出せない。左側手前の立ち木の表現はあまり好くない。もっとはっきり線描しなくてはならないし、色もあまり美しくない。近景だからきちんと線描することも必要だろう

このスケッチで好いところを敢えて挙げるなら手前に向かって流れてくる小川の表現。ただし色に変化がなくてフラットな印象だ。川に覆いかぶさるように伸びている雑草の影が川面に写るだろうが、それが表現されていない。

秋までにはもう少し、好いスケッチ(上手いスケッチではない)を描けるようになりたい。



スケッチしたポイントと一致していないので道路の見え方、カーブがスケッチと違う。

過去ログ


 


「都会の鳥の生態学」を読む

2024-05-26 | A 読書日記

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『都会の鳥の生態学』唐沢孝一(中公新書2023年)

 4月に『カワセミ都市トーキョー』柳瀬博一(平凡社新書2024年)を読んだ。生息環境の変化により、青梅や奥多摩湖まで生息域を後退させていたカワセミが1980年代に徐々に都心に戻ってくる。この本は都心の環境に適応したカワセミたちの生態観察記、と括ることができるだろう。

環世界ということばをこの本で知った。柳瀬博一さんは『生物から見た世界』を参考文献として取り上げ、次のように書いている。**さらに人間の場合、生き物としての「環世界」だけじゃなく、自身の経験に基づく、ごく個人的な「環世界」の中でも暮らしている。この環世界はユクスキュルが定義した「感覚器で知覚できる世界」とは、ちょっと違う。個々人が後天的に獲得した言語と知識と経験と好みがつくり出す大脳皮質がつくった「文化的な環世界」である。**(265頁 赤字表記は私がした)

自分の環世界に存在しないものは認識できないということは、経験的に知っている。先日、上高地を散策した。ウグイスが盛んに鳴いていた。他の野鳥も鳴いていたが、名前は分からなかった。私の環世界には野鳥は存在していない。

上掲書の関連本である『都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰』で唐沢孝一さんは観察対象を広げ、都会で生息するスズメやツバメ、カラスなどの身近な鳥の生態を明らかにしている。サギなどの水鳥やハヤブサなどの猛禽類も取り上げられている。鳥たち相互の関係についても述べられていて興味深い。

**ツバメは、雌も雄も、若鳥も、別々に渡りをする。日本に戻ってきてから婚活を始める。雄ツバメには、早く日本に戻って営巣場所を確保し、婚活を有利に進めたい思惑がありそうだ。**(27頁)

ツバメは幼鳥だけで渡りをするとのことだが、**親鳥に教えてもらうことなく渡りのコースをどのように知ることができるのだろうか。**(51頁) 知らなかったなぁ・・・。知らないことは当然のことながら疑問にも思わない。

電柱の腕金(角型鋼管の水平部材)を単独ねぐらにしているスズメがいる、ということが紹介されている。つがいと思われる2羽のスズメが隣り合う電柱の腕金をねぐらにしていることも観察できたとのこと。既に書いたように、鳥の生態については何も知らないので、読み進めていて、鳥たちの興味深い生態に驚くことばかりだった。

新宿副都心の超高層ビル群を生息地にしているハヤブサのことも紹介されている。ハヤブサにとって、超高層ビルの壁面はそそり立つ岩場そのものだろう。六本木ヒルズの窓枠の外に止まっているハヤブサの写真が掲載されているが、他にも鳥たちの生態を捉えた何枚もの写真が掲載されている。


漫然と鳥を見ていても分からない生態が、観察を続けていると、徐々に分かってくるだろう。そうすれば私の環世界に野鳥が入り込んでくるかもしれない・・・。

知らない世界を覗いてみるのは楽しい。新書はそのガイドブック。



撮影日2023.01.16 みぞれが降る中、柿を啄ばむヒヨドリ


 


5月の二八会は屋外で

2024-05-25 | A あれこれ


 5月の二八会は屋外で焼肉。昨夕(24日)「安否確認飲み会」。  


火は人に人生を語らせる

3歳、保育園の時から一緒だからつきあいは長い。気の置けない幼なじみとの語らいは楽しい。この仲間と海外旅行もしたなぁ。今年2月には南房総バス旅行もした。みんなといつまでも。


 


路傍の馬頭観音

2024-05-25 | B 石神・石仏


長野県朝日村西洗馬にて 2024.05.24

 Y字路に馬頭観音が何体も祀られている。前側に馬頭観世音塔、後ろ側に文字塔。散在していたものを一カ所にまとめて祀ったもの。




頭上に馬の頭を置く像。右側に弘化二巳九月と、建立年が刻まれている(1845年)。穏やかな顔の観音さま。


上と同じく頭上に馬の頭を置く像。

馬頭観音について『安曇野  道祖の神と石神様たち』西川久寿男(穂高神社 発行 第1刷1987年、第2刷1990年)から得た知識もかなり薄れてきているので改めて読み直した。以下引用は同書から。

観世音菩薩は阿弥陀如来の脇侍。**来世において理想が実現する阿弥陀仏の救いとは対照的に、観世音菩薩の救いは極めて現世の利益と結びついているためか、中国・日本には古くから、観世音菩薩が救ってくださった物語が多く作られています。**(119,120頁)

六観音の一つである馬頭観音は六道のうちの「畜生」を教化する観音さま(*1)。ちなみに「餓鬼」担当は千手観音。また、お地蔵さまが六体並ぶのは六道にそれぞれ対応しているから。

**時代が下るにしたがって簡単になり、宝冠をつけるかわりに馬の像を置く像が多くなっています。**(123頁)

**「馬頭」ということからでしょうか、次第に馬の神様として崇められるようになり、馬が死ぬと供養のために石像や文字塔が建てられたり、運送業者や馬持仲間が、馬の無病息災を願ってこれを建てたりしました。このように馬頭観世音の信仰は、後世になるほど次第に本来の性格からはなれて、民間信仰の中に生きる石仏に変わっていったといえます。**(123頁)

路傍に祀られていてよく目にする道祖神や二十三夜塔、馬頭観音、庚申塔などの石神・石仏について調べてみるとそれぞれなかなか奥が深い・・・。


*1 このことについてある方からコメントをいただいていた。


晴れ男4人組 三たび上高地を散策する(22日)

2024-05-24 | A あれこれ

22日(水)

5時起床。露天風呂。和の朝食をいただく。8時半、白骨温泉を出発。さわんど(沢渡)のバスターミナルまで所用時間は15分。最寄りの駐車場に車を停める。9時発のバスで上高地へ。上高地バスターミナルの手前、大正池で下車(健脚の方はここで下車して河童橋まで歩くことをおすすめします。距離は約4kmです)。晴れ男4人の相乗効果で上高地は晴れ。2,3日前までの天気予報では曇りだったのに・・・。

大正池から河童橋へ 上高地の山に向かひて言ふことなし。ということで以下しばらく写真のみ。
















大正池から河童橋までは以上の通り。緑色と一言では括れない、多様な緑色。


12時前、河童橋右岸のホテルのテラス席、パラソルの下で贅沢な食事、食後のコーヒー。梓川右岸を上流へ。


ニリンソウ(二輪草)


この花の名前は? 調べて、ユリ科のシロバナエンレイソウだと分かった。漢字表記は白花延齢草。花の直下に大きな3枚の葉。

新緑の上高地を満喫。上高地バスターミナル午後2時15分発のバスでさわんどバスターミナルへ。所要時間約30分。車に乗り換えて松本へ。松本駅着4時10分。3人は4時台の列車で首都圏へ。


夜、3人から無事帰宅した旨、グループライン。何枚もの写真とともに。

歩数 21日:約4,600歩 22日:約12,500歩(歩行距離は8kmくらいか) 
車の走行距離:157km(2日間)


**焼岳火山群の火山活動により岐阜県側への流路が堰き止められ、巨大な堰き止め湖が誕生しますが、その時期については(中略)湖底に最初に積もった地層から採取した植物片の放射性炭素年代を測定すると、約1万2400年前と出たのです。**『槍・穂高・上高地地学ノート』竹下光士、原山 智(山と渓谷社2023年 163頁)

巨大な堰き止め湖である古上高地湖の湖底に厚く(約300m)堆積した土砂が、渓谷に平坦な上高地の原型を形成した。約6000年前、地震によって古上高地湖が決壊した。決壊場所は? 上掲書によると、釜トンネル付近。梓川は岐阜県側から長野県側へ流路を変えた。


 


晴れ男4人組 安曇野をめぐり、白骨温泉へ(21日)

2024-05-23 | A あれこれ

21日(火)

11時前、首都圏から来松の友人3人を松本駅で迎える。今日は白骨温泉泊、明日は上高地。

・大王わさび農場

 


・安曇野高橋節郎記念美術館


美術館外観(庭園側)


高橋節郎の作品を紹介するリーフレット

現安曇野市出身で文化勲章受章者・高橋節郎の作品を展示する美術館(2003年)。鎗金(そうきん)という漆工芸の技法によって安曇野の自然などを幻想的に表現した作品には強く惹かれる。墨彩画にも魅せられる。 

この美術館の設計者・宮崎 浩さんは後に長野県立美術館(2021年)を設計している。安曇野では碌山美術館が有名だが、この美術館もおすすめ。大王わさび農場からは車で5,6分。旧高橋家住宅(国登録有形文化財)に隣接配置されている。

 
旧高橋家住宅の小屋組み見上げ 


障子戸


・穂高神社


穂高神社鳥居越しに神楽殿を望む。その後方は拝殿。

昨年の7月、上高地の明神池畔に鎮座する奥宮を参拝していることもあり、今回は穂高神社を参拝することにしていた。


白骨温泉

穂高の農産物販売所に立ち寄って買い物。白骨温泉へ向かう。白骨温泉は4人とも初めて。予定通り夕方5時ころ宿泊する宿に着く。一休みする間もなく露天風呂へ。白骨は白船(白濁した湯船)だった、と聞いたことがある。ゆっくり湯に浸かる。紅葉シーズンもいいだろうな・・・。


部屋の窓、あふれる緑 

KBさんの誕生月を祝う夕餉。ビールがうまい。食事好し。


 


火の見櫓ある風景を再び描く

2024-05-21 | A 火の見櫓のある風景を描く


長野県朝日村針尾にて 描画日2024.05.20

 今月16日に描いた風景を昨日再び描いた。同じ位置から描いたので、構図に違いはないが、火の見櫓や奥の民家が前回より少し大きめだ。その民家の細部がどうなっているのか、近くまで行って確認した。こうなっているのか・・・。やはりきちんと理解して描くのと、そうでない場合とでは違う。

影を意識的に表現した。着色に濃淡をつけたい。まだまだ課題あり。


火の見櫓のある風景

2024-05-20 | A 火の見櫓のある風景を描く


(再)上伊那郡辰野町小野 2024.05.19

 まだ描いたことがない火の見櫓のある風景を描こうと、何か所か候補を挙げた。で、辰野町小野のこの場所に行った。

難しい・・・。

まず線描。風景を構成している要素の民家も火の見櫓も小さい。背景の山なみが大きすぎる。カーブしている道路にガードレール、これを描くのは難しい。川も厄介だ。

着色。緑がこの風景の大半を占めている。後方の山の青みを帯びた緑、火の見櫓の手前の黄緑、川の両側の鮮やかな緑は左右で草の種類が違うので形も色も違う。この違いをどう塗り分ける・・・。

線描もし、着色もしたが、不合格! 

この風景をきちんと把握して、自分なりに再構成できたら描けるような気がする。もう一度描こう。