512 金沢市内の浅野川大橋のたもとに立つ火の見櫓 (登録有形文化財)
写真提供T君 (感度良好な火の見櫓センサーの持ち主)
■ 1924年(大正13年)に建てられた火の見櫓で、当時の総高は23mほどだったという。なぜこのようなユニークな姿をしているのか?1971年(昭和46年)に老朽化のため櫓の上部を切断、撤去したことによる。現在の高さ約11.6m(ネット検索で得た情報による)。
踊り場に柱を建て、腕木を出して半鐘を吊り下げている。
512 金沢市内の浅野川大橋のたもとに立つ火の見櫓 (登録有形文化財)
写真提供T君 (感度良好な火の見櫓センサーの持ち主)
■ 1924年(大正13年)に建てられた火の見櫓で、当時の総高は23mほどだったという。なぜこのようなユニークな姿をしているのか?1971年(昭和46年)に老朽化のため櫓の上部を切断、撤去したことによる。現在の高さ約11.6m(ネット検索で得た情報による)。
踊り場に柱を建て、腕木を出して半鐘を吊り下げている。
撮影日時 141031 06:05AM
撮影日時 141031 06:08AM
■ 8月の半ば頃と比べると朝焼けする時間帯が1時間ほど遅くなった。今朝はリビングだけでなく別の部屋の窓からも朝焼けを撮った。
時は流れ、季節は移ろうことを実感する。
■ 久しぶりに松本市渚のスターバックスで早朝読書をした。カフェは朝7時20分に開店する。開店直後、いつもの通り「ホットのショートをマグカップで」と注文した。
若い女性店員から「お二階、一番乗りです」と言われた。「そうですか」と答えたが、そっけなかったかもしれないなと席についてから反省した。そこで少し会話をしなくては・・・。
小松左京の『日本アパッチ族』*1 を鞄から取り出し、コーヒーを飲みながら読み始めた。前にも書いたが、この小説のことは高校生の時に生物のA先生から紹介されて知った。
小松左京といえば、やはり映画化された『日本沈没』が一番有名な作品だろう。その続編の『日本沈没第二部』/小学館のあとがきに**日本人とは何か、日本とはどんな国なのかを、じっくりと考えてみよう、という思いで、『日本沈没』を書きはじめたのである。**と書いている。戦争で国を失ったかもしれない日本人が、高度成長で浮かれている。このままでいいのかという思いから、もう一度そのような危機に直面させてみようという思いで書いたという。
日本列島を沈めてしまうなどという発想が凄いし、それを壮大な物語に仕立て上げてしまう力量もまた凄い。
『日本アパッチ族』は鉄を食べて生きている食鉄人種・アパッチたちの物語。荒唐無稽な物語ではあるが、戦後日本が選択したかもしれな別の社会の可能性を示して見せている。再軍備、理不尽な法律・・・。
『日本沈没』同様、この小説も小松左京の思考実験と言えなくもない。残り100頁、この週末に読了できそうだ。
*1 昭和46年発行の角川文庫、細かな活字で390頁、定価260円。
■ 今月は本を読む時間が極端に少なく、小松左京の初期の作品『日本アパッチ族』をまだ読み終えていない。
別に義務感で読んでいるわけではないが、仕事偏重生活が続いているということがその理由だとすれば問題だ。それに近い生活であることは間違いない。それから心や体の調子がすぐれない時も本を読むことが億劫になる。今春入院した時、本を終日読める!と思いきや、全く駄目だった。まあ、とにかくもっと読書に時間を割くように努めよう・・・。
『高野山』松長有慶/岩波新書。新聞広告でこの本を知り、早速買い求めた。来月18日に高野山に出かける。それまでに読み終えたい。そのためには『日本アパッチ族』を一日でも早く読み終えなければならない。もう、この読書は自分に課した義務だ。
今朝(30日)は久しぶりにスタバで早朝読書をしよう・・・。
■ 「LIXIL eye」は株式会社LIXILが発行する無料の情報誌だが、内容が充実していて、有料の○○誌などは足下にも及ばない。
最新号(NO.6)の特集記事に名古屋大学豊田講堂が取り上げられている。建築家・古谷誠章氏と豊田講堂を設計した槇文彦氏、槇総合計画事務所副所長・福永知義氏との鼎談が14ページに亘って掲載されている。こんな記事は先の○○誌には望むべくもない。
1960年5月に竣工した豊田講堂は槇文彦氏のデビュー作で日本建築学会賞を受賞している。知らなかったが、この建築は2006年12月から2007年12月までの工期で増改築工事が行われている。
コンクリート打ち放しの細い柱を並べ、中央にマッス(用途は講堂)を配したファサードデザインを知ったのはいつ頃だっただろう。地震国日本でどうしてこんなにスレンダーなコンクリート柱(上の写真参照)が成立するのか、恥ずかしながらその訳がずっと分からないままだった。
「LIXIL eye」に収録されている鼎談に次のような槇氏の発言がある。**「豊田講堂は、打放しのコンクリートで、どちらかというとコルビュジエ的なところもあるんです。もちろんまだ出来ていませんので、模型写真ぐらいしかなかったんですが、彼(引用者注:コルビュジエ)がそれをずっと見ていて、わりと気に入ってくれたんです。ところが、建物の両端のコの字型の柱が耐震壁につながっているのを見て「これは何だ」と言われた。「日本は地震があるので耐震壁だ」、「自分は、あまりそれは気に入らない」と。地震のある国で仕事をしていないですから、耐震壁を見たことがないんですね。**
この件(くだり)を読んで改めて掲載されている外観写真を見て両サイドに耐震壁があることに気がついた。そうか、これか・・・、長年の疑問が解けた。
この壁が有効で改修にあたって行った耐震性のチェックで耐震補強がほとんど必要のない構造だと分かったことも鼎談で明かされている。
記事に載っている講堂の断面詳細図は見た記憶がないから、おそらく初めてだろう。ちなみに出典は「新建築」1960年8月号。図面から講堂の大空間を構成するシェル構造の屋根を4方から出したキャンティレバー(片持ち梁)の先で支えるという大胆なシステムが見て取れる。
施工した竹中工務店の現場所長はシェルの施工の前日に現場事務所に神棚をつくったらしい。キャンティレバーの先でシェルを支えるという大胆な構造が怖かった、本当に成立しているのか心配だったということだろう。確かに図面を見ていても構造的に成立しているということが直感的に分からない。
鼎談の中で槇氏は**僕は建築の評価を決めるのは“時”だと思っている。**と言っている。**建った時の竣工写真じゃなくて情景ですね。そこで人々がどんなふうに建物を使っているかとか、交わっているかというシーンで初めてそれが分かる。**とも。この発言が印象に残った。
*****
知的なモダニズム建築を創り続けてきた槇氏の設計による新しい長野市民会館、(仮称)長野市民文化芸術会館が来春竣工する。今から空間体験が楽しみだ。
■ 今朝(26日)9時ころ氷見の宿を出発して向かった先は高岡市の瑞龍寺。曹洞宗高岡山瑞龍寺は加賀二代藩主前田利長の菩提寺として三代藩主利常によって建立された寺。この寺を訪ねるのは2009年4月以来2回目(過去ログ)。
シンメトリックな伽藍配置。総門と山門の間は白砂の庭、仏殿を囲む芝庭。この白から緑へのシーンの転換という空間演出は見事。
総門の前に立つ説明板の空撮写真を撮った。
こけら葺き(サワラの薄板を重ね葺きした屋根)の山門(国宝)。
軒の出が上下の屋根でほぼ等しいのは冬季に上の屋根からの落雪で下の屋根(裳階 もこし)を傷めないようにするため、記憶が定かではないが総高18m、サワラ板の間につく虫を烏が狙って、板を傷つけてしまうとガイドさんの説明にあった。
下層、裳階の屋根は平行垂木だが、上層の屋根は扇垂木。見上げるとその迫力に圧倒される。
山門から仏殿を見る。かつてこの庭には松が植えられていたそうだが、それらを撤去してヨーロッパ的な手法に通じる幾何学的でシンプルな庭に変えられた。
総欅造りの仏殿(国宝)。屋根は瓦葺きに似せた鉛板葺き。屋根重量は50トン近くもあり、新幹線1両相当の重量だとか。本尊の釈迦如来と脇に文殊、普賢の両菩薩を祀っている。
繰り返しの美学な構成の回廊と鐘楼。城郭としての機能を持っていたそうで、攻撃対象となる鐘楼だと気付かれないように建具で囲ってある、とはガイドさんの説明。
法堂(国宝)のこの座敷で映画「蜩ノ記」のロケが行われたそうだ。
御朱印 過去ログ
■ 最も有名な県歌といえば長野県の「信濃の国」。ウィキペディアにもそのような記述がある。その1番の歌詞に「海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき」とある。これは海なし県長野の県民というか、作詞した浅井洌の強がりではないのか。
毎日海を見て育つのと、山を見て育つのとでは世界観がまるで違ってしまうだろう・・・。そう、周りを山に囲まれていたのでは大志など抱けるはずがないのだ(などと決めつけてしまってはいけないが・・・)。幕末に活躍した若き志士たちは皆、海を見て育ったではないか・・・。
昨日、今日と富山県は氷見まで出かけてきた。うまい魚を食べ、うまい酒を飲もうという一泊旅行だった。
幹事のTさん推薦の宿は魚料理がうまいことと温泉で人気だそうだが、提供されたきときとの魚(富山では新鮮な魚をきときとの魚ということを富山出身の室井滋のエッセイで知っていた)を始め、数々の料理はその評判を裏付けるに十分だった。だが、その前に私はこの風景に魅せられ、それでもう満足だった。
宿から望む富山湾の夕景(撮影25日17時28分)
宿について、さっそく露天風呂に入って、しばらくして5階の客室から1階の宴会場に行く時に見たこの景色に感動した。
*****
東向きの客室から望む朝焼けの富山湾、シルエットの立山連峰(撮影26日5時41分)。
朝、目が覚めて客室の窓外に見たこの景色。海なし県育ち故、この朝焼けには感動した。
富山湾に浮かぶ立山連峰から昇る朝日(撮影26日 6時24分)
食レポは苦手。宴会場にカメラを持ち込まなかったので写真も無し(閲覧者諸氏の想像に委ねます)。「北陸美食旅」なのに・・・。
宿はこちら ↑ 磯破風(いそっぷ) 富山県氷見市泊
■ 早いもので小学校のPTAの役員をやってから15、6年経つ。当時一緒に役員をやったTさんの企画で「北陸美食旅」に出かけることになった。ひと月くらい前に案内のチラシが届いていたので参加する旨、Tさんに伝えておいた。
今日、富山の氷見に出かける。一泊旅行だから荷物は少ない。鞄には着替えの他にカメラ、小さなスケッチブック(明日の朝、宿から海が描けるかもしれない)、御朱印帳(立ち寄る寺で書いていただくことができるかもしれない)、それから必ず持ち歩くダイヤリーを入れた。
マイクロバスの中では「朝からビール」ということになりそうだ。
日頃の行いが良いので今日明日の予報。
きときとの魚と地酒を楽しみに出かけよう!
▲ ワタリウム美術館のHPより
▲ ギャラリー間のHPより
日本を代表するふたりの建築家の展覧会が東京都内で開催されている。
ひとつはワタリウム美術館の「磯崎新 12×5=60」で会期が来年1月12日まで、もうひとつはギャラリー間の「伊東豊雄展 台中メトロポリタンオペラハウスの軌跡」で12月20日まで。
先日伊東豊雄展のことが新聞に紹介されていた。そして今日、24日の朝刊(信濃毎日新聞)の文化面に磯崎新の展覧会の紹介記事が載っている。両方の展覧会を観るとなると年内、12月20日までに東京しなくてはならない。なんとか休日一日を空けて行ってこよう。
内容について興味のある方はHPを閲覧してください。
♪ かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀がすべった後ろの正面だあれ?
童謡「かごめかごめ」の歌詞は地方によって違いがあるようですが、私が覚えている歌詞は上の通りです。すべったの意味は「滑った」だとずっと思っていました。
ところで、星座の「すばる」は和名で、漢字では昴と書きますが、もともとは統べるという意味からきているという説明を数年前にある方から受けたことがありました。「すばる」は「統べる」から転じたものだということなんです。星座はいくつかの星を統べる、つまり集めてつくられています。
で、先の童謡のすべったですが、滑ったではなくて、統べったではないのかとその時以来思っています。ウィキペディアには滑ると統べるの両方が紹介されていますが、どうも滑ったではなさそうです・・・。この歌の歌詞の解釈については諸説あるんですね~、知りませんでした。
子どものころに覚える歌の歌詞の意味を間違えてしまうことはよくあることです。「蛍の光」の ♪今こそ別れめ を今こそ分かれ目と理解していて、高校で古文を勉強してその誤りに気がつく人も少なくないようですね。
テレビアニメ「巨人の星」の主題歌、♪思いこんだら試練の道を、これを重いコンダラ試練の道をと誤解して、コンダラってなんだろうとずっと思っていたという知人がいます。
♪赤い靴はいてた女の子、いいじいさんに連れられて行っちゃった 異人さんなどという言葉は小さな子どもには無縁ですから、良い爺さんと思ってしまうのも無理からぬことです。
♪雪の降る街をオモイデダケが通りすぎてゆく オモイデダケって一体どんな動物なんだろう・・・。実はこれ、私が小さい頃の疑問です。
こんな誤解、他にもいろいろありそうです。
510 秋のフォトアルバム 火の見櫓のある風景 塩尻市塩尻町にて 撮影日141019
■ 遠景に2層の山の連なり、やや紫を帯びた色。中景には樹の帯を背景に瓦葺き屋根の民家が並び、その中に火の見櫓がすくっと立っている。そして黄色く色付く稲刈りのまだ済まない圃場。近景は稲刈りが終わった圃場と緑の畦道。
いままで描いたことがない構図。だから描いてみようと考えるか、だから描くのをやめようと考えるか、この違いは大きい。ここでは前者を採って描いた。このような構図は着色次第だと気がついた・・・。
■ 先日、所用があって上京した折りにチューリッヒ美術館展を観たことは既に書いた。会場にはホドラーの絵も数点展示されていた。水彩画のような描法の風景画を観て、スイスの清澄、静謐な自然を大胆なタッチの油彩では描くことができないのかもしれないな、と思った。
フェルディナント・ホドラー「日没のマッシア川とモンテ・ヴェリタ」
国立新美術館のミュージアム・ショップで買い求めたポストカード
ホドラーの人物画からは明るい表情を感じることはなかった。画家の不幸な人生が投影されているのかもしれない。あるいは僕が無意識のうちにそのような先入観を持って観たのかもしれない。
「フェルディナント・ホドラー展」が上野の国立西洋美術館で来年(2015年)の1月12日までの会期で始まった。展覧会のウェブサイトに次のような解説文があった。
**自然の世界にはさまざまな秩序が隠されており、類似する形態の反復やシンメトリーをなす構造がいたるところに存在すると考えていました。彼はそれを「パラリズム」(平行主義)と呼び、絵画のシステムとして応用していったのです。**
類似する形態の反復に美を見い出す・・・。これは「繰り返しの美学」そのもの。
1853年生まれのスイスの画家が自然に反復すなわち繰り返しの美を感じとっていたことを知り、うれしくなった・・・。
会期中に上京の機会があれば観に行きたい。
配布された資料
■ 池田町のカフェ 風の色で毎月開催されている星空ウォッチングに今回初めて参加した。
子どものころ見た天の川は粒々の星が帯状に広がっていたように記憶しているが、今夜久しぶりに見た天の川はごく薄い雲の帯のようだった。視力の低下が原因か?
6時ころからカフェの芝庭にセットされた数台の望遠鏡と天文ドームで雲ひとつない星空の観察が始まった。星の位置を示すために星座を目安にするようで(って、そんなことも知らないで参加したのだ)、カシオペヤ座や秋の四辺形(初めて聞いた名前)、夏の大三角、こぐま座などを教えてもらった。北極星が意外に高い位置にあった。
M15、M31、アルビレオの二重星、それから何だっけ・・・。そう天王星も見た。青白い粒に見えた。見る機会など一生なかったかもしれない惑星だ。天空を移動していく人工衛星も見たし、流れ星も見た。
広大な宇宙に思いを馳せるのもいい。
近距離野鳥に遠距離星空か・・・。