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■ 安曇野市の穂高神社の近くに立っているこのユニークな火の見櫓、実は黒部ダムの工事(黒部ダムは昭和31年に着工して昭和38年、東京オリンピックの前年に完成しています。昭和の国家的な巨大プロジェクトでした)に関わる監視塔だった・・・。この情報を安曇野市のヤグラ―のぶさんが入手、自身のブログで経緯を記事にしています。→こちら 監視塔だった時の様子を写した写真も紹介しています。のぶさんの取材力に脱帽です。
その写真が大町市のくろよんロイヤルホテルにあるらしい。 ♪ぼくは知りたい きみのふるさと(*)ということで、行ってきました。
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ホテルのエントランスホールの奥まったところに黒部ダム建設当時の写真等の資料を展示しているコーナーがありました。展示棚の上段の左端のパネルに監視塔が写っていました(ホテルの方の許可を得て撮影しました)。
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持参したカメラでパネル写真を撮影(最近買い替えたカメラの性能は以前のものより数段上です)
ここで余談です。
写真のキャプションは「高瀬川骨材砕石場トラック群」となっていました。産業技術総合研究所のHPに掲載されているレポートのグラフを見て、昭和40年ころまではコンクリート骨材の大半が河川砂利で砕石はまだあまり使われていなかった事が分かりました。 高瀬川の河川敷なら砂利はいくらでも採取できたでしょうから、わざわざ砕石することもなかったのではないか、と思うのです。このことからここは砕石場ではなくて採石場ではないかと思ったのですが、やはり砕石(大きな石を砕いて所定の大きさにしたもの)だったようです。
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現在穂高神社の近くに立っているこの火の見櫓のふるさとを知ることができました。それぞれの火の見櫓にそれぞれの誕生の経緯、歴史があるのですね。のぶさんの記事を読んで、改めてこのことを思いました。
この火の見櫓は穂高に移築・保存されている貴重な近代遺産、とみることもできるのです。これを安易に取り壊してはいけません。
* 「ふるさとのはなしをしよう」 北原謙二 昔流行った歌です。本稿のタイトルはこの歌の歌詞から採りました。