透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「Y字路はなぜ生まれるのか?」を読む C6

2025-02-20 | A 読書日記


 「ヤバ! Y字路に沼るかも・・・」という記事を1月20日に書いた(過去ログ)。

Y字路に興味を持ったきっかけは、昨年末だったかと思うが、書店で『Y字路はなぜ生まれるのか?』重永 瞬(晶文社)を目にして、掲載されていたY字路のカラー写真を何枚か見たことだった。それ以来、Y字路が気になるようになって・・・。先日、本書を買い求めて読んだ。


小説を読んでいても、登場人物の名前が覚えられない。それから、例えばブルーバックスのような自然科学系の本を読んでいても専門用語が頭に入らない。このように記憶力が低下して、メモを取りながら読むようにしている。速記に近いような書き方だから、後になると自分でも読めない文字がある(と断っておくことにしよう)。

著者の重永 瞬さんは、まずY字路の定義を示す。それは「Yのかたちをした交差点」というもの。このような純粋なY字路はそう多くはないとのことで、トやXのような鋭角な交差点も広義のY字路として取り上げる、としている。

次に重永さんが示すのはY字路鑑賞の3つの視点。それは路上の目、地図の目、表象の目。次のように視点ごとにそれぞれ章立てして、Y字路を鑑賞している。

一章  Y字路へのいざない
二章  Y字路のすがた  ――  路上の目 
三章  Y字路はなぜ生まれるのか  ――  地図の目
四章  Y字路が生むストーリー  ――  表象の目
五章  Y字路から都市を読む  ――  吉田・渋谷・宮崎
六章  Y字路とは何か  

実におもしろい内容。たとえば二章は、Y字路のすがたの路上観察について。本書のカバー写真のようなY字路の角地がどのように使われているのか、何か所も(*1)観察・分析している。この章の各節の見出しを挙げればその内容が分かるだろう。

1  Y字路の角には何がある?
2  表層 ―― 角はY字路の顔である
3  角オブジェ ―― 角地の役者たち
4  残余地利用 ―― 「余った」からこその空間利用
5  角地のマトリックス
6  Y字路の角度は何度が理想か?
7  角壁面の長さ
8  Y字路の調査票

三章の「 Y字路はなぜ生まれるのか」はY字路の形成要因に関する論考。重永さんは地理学を研究する京大の大学院生とのこと。本書は平易で柔らかな文章で書かれてはいるが、はじめにきちんとY字路の定義と本書の全体の構成が示されているし、論拠を示しながらなされる分析的な論考は論文のようだ。角地の使われ方は建築学を専攻する学生の研究テーマとしてもおもしろいだろう。


これからは、本書をテキストに、Y字路の角地、Yの上のVの部分がどのように使われているか、観察してみたい。


塩尻市大小屋 2025.02.18 
旧中山道(左)と国道153号(右)から成るY字路(五差路)

角はY字路の顔、ということで「角壁面」に看板が設置されている。「残余地」の「角オブジェ」は庚申塔や道祖神、蠶玉大神などの石仏・石神。


松本市城西 2025.02.16
木造の軸組構法(工法とは異なる概念)ではなかなか大変な仕事

**あくまで個人的感想だが、駐輪場や駐車場になっている角地は、あまりおもしろみを感じない。角地に建物がないと、Y字路特有のとんがり感は味わえない。私としては、建物が建て詰まったY字路のほうが嬉しい。**(67頁)と、重永さん。全く同感。このことについて、1月20日に次のような記事を書いた。

**単なる空地とか、花壇のような処理ではなくて、出来るだけ先っちょまで攻めて欲しいなあ。たい焼きだって、シッポの先まであんこが詰まっていたほうがうれしいじゃないか。これは、関係ないか。**


*1 何カ所、何箇所 何ヶ所 どれが一般的なんだろう。カとヶは、3カ所、3ヶ所のように算用数字に付ける時は使うかもしれないが、見た目が好きではないので、これからは「か」と「箇」を意識的に使いたい。


 


「稲を選んだ日本人」を読む

2025-02-18 | A 読書日記


『稲を選んだ日本人 民俗的思考の世界』 坪井洋文(未来社1982年11月25日第1刷発行、1983年2月15日第4刷発行)を読んだ。本書には『イモと日本人』以降の論文が収録されている。どちらか1冊を読んで済ませるという訳にはいかない。

稲作民的農耕文化(イネ文化)と畑作民的農耕文化(イモ文化)。イネ文化を中心的文化、イモ文化を周縁的文化と位置付けられることが一般的だ。イモ文化が価値的劣位に置かれている。坪井氏は両文化を等価値なものとして位置付けなければならない、と一貫して主張している。

弥生時代は両文化で綯(な)われた縄のような複合的文化なのだろう。ぼくはそのようなイメージを抱いた。

**少なくとも日本の農耕を基盤とした民俗文化には、稲作民的農耕文化と畑作民的農耕文化があり、その両極を挟んで、無数といってよいほどの人々による長い歴史を通しての、主体的選択と支配的強制とがあったこと、その事実の存在そのものが農耕を基盤とした民俗というものであったことを主張しなくてはならない。**(223頁)

坪井氏は次のようにも書いている。実に手厳しい指摘だ。

**おそらく多くの民俗研究者は、筆者が指摘している点に関して、すでに疑問を抱き続け苦悩してきたと考える。しかし研究者が組織化され、組織によって認定された公式がいったん定着してしまうと、よほどの勇気がある者でない限り、公式に対する批判なり反仮説を提唱することはむつかしい。学問の停滞と形骸化、腐敗はそこから生まれてくるのである。**(223,4頁)

天孫の瓊瓊杵尊が降臨した時、稲作が地上にもたらされた、と記紀神話にあるから、そこを源流とする稲作単一文化論の流れが観念としてできていて、民俗学は、その流れに乗ったということもあるのかもしれない。


このところ読書は二減二増、二減三増で、積読状態が解消しない。『イモと日本人』と『稲を選んだ日本人』を読み終えたが『Y字路はなぜ生まれるのか?』と有吉佐和子の『青い壺』(文春文庫)が増えた。


 


「イモと日本人」を読む

2025-02-15 | A 読書日記


 速読で事足りる流動食のような文章で書かれた本もある。よく噛まないと食べることができないような読み応えのある本もある。『イモと日本人 民俗文化論の課題』坪井洋文(未来社1979年12月25日第1刷発行、1983年1月第8刷発行)は後者。

本書は、松本市内の古書店・想雲堂で買い求めていた。しばらく積読状態だったが、ようやく読み終えた。本書の内容を帯の**単一文化論へのアンチテーゼ**というコピーが的確に表している。

「縄文時代と弥生時代はどんな時代だったか、簡潔に言うと?」 このような問いには、「狩猟採集の縄文、稲作の弥生」と答えるのでは。問うた人は「正解!」と発するだろう。著者の坪井氏はこの答えを否!として、そのことについて本書で論理的に、そして緻密に論考している。

稲作文化起源=日本文化起源論 再考

稲作文化を日本文化の起源と捉え、この単一文化が一元的に発展してきたという考え方に坪井氏は異を唱える。畑作農耕に注目し、水田稲作農耕と等価値があるものと捉えているのだ。

坪井氏は農耕の弥生時代起源論は『記紀』などを典拠とする神話を史実とする史観を肯定的に捉える側に力を与えてきたとし、それが学校教育によって補強されてきたことを指摘する。そして、更に次のように続ける。

**稲作を基盤とした単一文化の一元的発展という形で、単純に日本文化を稲作農耕文化と規定するばかりでなく、稲作にかかわる民俗諸現象の比較を通して、その原型をとらえるという志向を強め、変化の過程の追求に関する民俗的意味の認識が欠落しがちになり、文化の起源論や系統論といった、一義的目的と短絡する面を露呈することがあった。その結果、稲作農耕に先行する農耕技術の存在や文化要素の存在の可能性とか、複数の農耕文化を仮定する視点といった、文化の多様性を考える方向を、その方法自体のなかに持つことがなかったため、文化を構成する諸要素のなかに存在する、稲作農耕文化以外の要素は排除するか、最初から対象とはしなかったのである。**(204頁)

研究対象としてきちんと取り上げらて来なかった畑作文化、畑作儀礼。

坪井氏は稲の生産過程における多様な儀礼において、畑作儀礼的要素は特殊なもの、稲作儀礼の模倣、亜流として扱われた、と説く。「餅なし正月」、正月に餅を搗かなかったり、食べなかったりする行事に注目して、全国にこんなにもあると、数多くの事例を紹介する。餅が主役ではなく、主役はイモ。紹介されている事例やその理由(わけ)を読むと、なるほど、稲ではなく、イモもありなんだな、と納得する。

日本は稲の文化だけではない、イモの文化もある。それも稲と対等な文化として。稲作農耕文化と畑作農耕文化が相互に関係を持ちながら、日本文化を形成してきた、と。このような観点を持たないと日本の民俗文化の多様性を体系的に描き出すことはできない。

しばらく前に読んだ佐々木高明氏の『日本文化の多重構造』のテーマとも重なる論考。






「狛犬学事始」を読む(改稿)

2025-02-13 | A 読書日記


『狛犬学事始』ねずてつや(ナカニシヤ出版)

広く浅く総論 狭く深く各論 
狛犬学事始』という書名から、ぼくは狛犬(獅子・狛犬2体まとめた呼称 以下同じ)の世界の入門書として、その世界を総論的に説いた本だろうと思って、内容を確認することなくネットで買い求めた。本書の奥付に1994年1月20日 初版第1刷発行、2012年6月10日 初版第7刷発行と記されていることから、よく読まれていることが分かる。

本書で扱われているのは主として宇治市の狛犬を中心に京都府南部の狛犬だった。エリアを限定して詳細に調べたものを全国的に統合することで、全体像を明らかにしようとする大きな構想があって、その事始ということと解するのがよさそうだ。著者、ねずさんは『京都狛犬巡り』『大阪狛犬の謎』という本も出しておられる(本書の帯による)。

本を読んでいて、「なるほど!」と思うことがよくある。書かれている内容について、知らなかったときや納得した時など。本書を読んでいて、なぜ、どうして? と思うことが何回かあった。やはり、マニアックな世界は他人(ひと)の理解の及ばないところにあるのだ。

研究対象は参道狛犬 
**「神社等の参道をはさみ、その両側に設置された一対の狛犬」を研究対象とする。**(10頁) 「え、どうして?」
研究対象を参道狛犬に限定し、神殿狛犬を取り上げないのは、なぜ? 

狛犬は仏教とともに仏の守護獣として大陸から日本に伝わったというから6世紀中ごろ、飛鳥時代のことだ。この頃は獅子一対、左右同じ姿だったようだ。それが獅子・狛犬という日本独自の組合せになっていくのは平安時代だという。獅子・狛犬のことは清少納言も『枕草子』に書いている。だが、紫式部は『源氏物語』に獅子・狛犬のことは書いていない。ぼくが読んだ現代語訳の記憶(もうかなり薄れてきているが)をトレースしても狛犬は登場してこない。

冗長になった。はじめ神社の狛犬は神殿内に置かれていた。それが時代が下るに従って、神殿の縁に置かれ、やがて神殿から完全に屋外に出て、参道に設置されるようになる。神殿狛犬から参道狛犬へ。

ねずさんは、なぜ、このプロセスの前半の狛犬を取り上げなかったのだろう・・・。先に書いたことを繰り返すが、マニアな世界は他人(ひと)の理解を越えたところにあるから、これは愚問とするしかない。

ねずさんは、神殿狛犬を研究対象としない理由を次のように書いている。**神殿の奥深くに眠っており、我々が簡単に接することができないのもその理由の一つだが、それ以上に「民衆の願い」を感じさせないのである。支配者か、それに近い人物の財力により、腕の立つ名人上手に造らせたものというイメージが強すぎるのである。**(17頁)

確かに神殿狛犬は簡単に接することはできない。近くで観察することもできない。ましてや寸法を測るなどということは到底無理。研究対象から外す一つの理由だと、ねずさん。

   
上の写真は、社殿の中をそっと覗いて、狛犬にズームインして撮った。これはマナー違反だろう。

角の有無 狛犬に角あり、獅子に角なし 
ねずさんは狛犬の角の有無について、**話を原点の戻し、単純化することにする。狛犬と獅子との違いを検討するから例外が出てくるのだ。**(102頁)ということで、**頭に角があるものを狛犬と言い、角がないものを獅子と言う(狭義)。**(103頁)としている。2体どちらにも角がなければ両方とも獅子ということだ。「でも、どうして?」


茅野市宮川の酒室神社 2023.06.04

角がどちらにも無くても、社殿に向かって右側に配置され、口を開けている阿形が獅子で、左側に配置され、閉じている吽形が狛犬だと一般的には言われている。でも、図③のように、そうでない場合があって、あれこれ考えるのが楽しいのに・・・。

図③の狛犬は向かって右側に設置され、阿形なのに、角がある。これを角があるから狛犬、とぼくは割り切れない。まあ、趣味の世界だから、人は人、自分は自分と割り切らなくてはいけないのだろう。人の世界をのぞき見て、自分との違いから、自省することはもちろん可。

角の有無だけで獅子か、狛犬かを判断するのなら、②は両方とも獅子なのだろうか。参道狛犬が対象であって、②のような神殿狛犬は対象外だから関係ないということなのだろうか? 

平安時代末期の成立と考えられている『類聚雑要抄』という書物がある。


国立国会図書館デジタルコレクションより

獅子・狛犬が図解され、簡潔に特徴が記されている。

左側(神殿に向かって右)獅子 色が黄色で口を開いている
右側(神殿に向かって左)狛犬 色が白く、口を閉じている 
図中には角について記されていない。


『諸職画鑑』北尾政美(鍬形蕙斎)1794年(寛政6年) 
 国立国会図書館デジタルコレクションより

江戸時代、寛政6年に刊行された『諸職画鑑』には③とは逆で、右の獅子に角があり、左の狛犬に角はない(代わりに宝珠がある)。このように判断するのは、獅子は向かって右で阿形、狛犬は左で吽形だということを前提にしているから。で、④の図では右の獅子に角あり、左の狛犬に角なし、となる。

角なしが獅子、角ありが狛犬と判断すると、右が狛犬、左が獅子で、阿形、吽形で判断するのとは逆になる。

ぼくは『類聚雑要抄』の図の獅子と狛犬の特徴の記述に注目したい。角の有無より、口の開閉で判断するのが妥当ではないか、と思う。

右か左かは混乱しやすい。社殿を背にして見るか、社殿に向かってみるかで左右逆になるので。だから、右か左かは必ず(社殿に)向かってというように注記する必要がある。本来は『類聚雑要抄』の図のように社殿から見た左右。 

参道狛犬の多くは石造だ。石造では角は折れやすい。制作時、あるいは運搬時、施工時と折れてしまう可能性はどのフェーズでもある。角が折れてしまった狛犬を発注者が受け取らないケースが結構あったのではないか。瑕疵だと指摘されれば、つくり直さざるをえないのでは。それで、石工は角をつくらなくなった、とは考えられないだろうか。だから、角の有無を獅子か狛犬かの判断根拠にするのは妥当ではないのではないか、とぼくは思う。このことについて、稿を改めて書きたい。

繰り返すが、右が獅子、いや獅子は左じゃないか、とあれこれ考えるのが楽しいのだ。

角の長さの計測 
ねずさんは狛犬の角の長さを測るという。『狛犬学事始』にそのベスト5を載せている。そう、この辺りがマニアなところ。ぼくは角の長さを測ろうとは思わない。そこまで関心が向かない。角の長さを把握してからの展開がイメージできない。第一、台座に登らないと角の長さが測れない場合が少なくない。これをするのは躊躇われる。脚立を持参されているのかも? さげ振りも持参されているとのことだから調査が本格的だ。他にも狛犬の全長とともに台座の寸法を測ったり、と、なんともマニアな調査。ぼくの場合は、まず、お参りして、狛犬をあちこち観察して写真を撮って、おしまい。

歯の観察から食生活を知る 
もっとマニアックなのは狛犬の歯を観察して、その形などから食生活を調べていること。これは凄いとしか言いようがない。

本書を読んで、さぼっていた狛犬めぐりを再開しようと思った。本書に詳述されていた尻尾をぼくもこれからはもっときちんと観察しよう。


 


「古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究」を読む C5

2025-02-08 | A 読書日記


『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』古部族研究会  編(人間社文庫 2017年9月15日初版1刷発行、2024年1月28日7刷発行)を読んだ。

巻末に古部族研究会について、次のように紹介されている。**学生時代からの知り合いで、ともに藤森栄一の著作などから諏訪に関心を抱いていた田中 基と北村皆雄が新宿の喫茶店プリンスで意気投合し、野本三吉と合流して立ち上げた研究会。1974年7月に在地の研究者・今井野菊を訪ね、1週間泊まり込んで教えを乞うた伝説の糸萱合宿で本格的に始動。**(後略) 北村皆雄さんは話題のドキュメンタリー映画『鹿の国』のプロデューサー。

本書には古部族研究会の野本三吉、田中 基、北村皆雄、それから諏訪大社と関連する信仰の研究に邁進した今井野菊、藤森栄一に師事した考古学者の宮坂光昭、以上の5名が執筆した論考が収録されている。

以下、読んでいて付箋を貼った箇所からの引用。

**諏訪神社の文化というのは、洩矢民族を中心とした、いわば原始狩猟文化と、出雲系の建御名方命を中心とした、原始農耕文化の混合であり、その重層といえるのだが、そうであってもなお、山岳民族としての洩矢族の狩猟文化は、かなり色濃く、そして特異な形で現在まで続いているといっても過言ではないのである。**(「地母神信仰の村・序説」野本三吉 47頁)異文化の重層と混合。

**古代の諏訪の信仰も、〈石〉と〈木〉の崇拝でいろどられている。**(「「ミシャグジ祭政体」考」北村皆雄 72頁)
**〈木〉を伝って天降る精霊が〈石〉に宿り給うという古代観念は、山国諏訪も、海の彼方の南島においても共通しているようである。**(同上 78頁)
**人々は、大地にあらゆる力を凝集しようとしたのではないか。地面から直立する石棒、それに降りてきて宿る精霊、それによって大地が力を得て、新しい存在が生まれ出てくると信じていたのではないだろうか。**(同上 96頁)聖なる石棒と母なる大地との婚姻。

本書に収録されている宮坂光昭氏の「蛇体と石棒の信仰 ――諏訪御佐口神と原始信仰――」はなかなか興味深い論考だ。

この中で蛇が取り上げられ、日本原始信仰は、蛇の形から男根を、脱皮するその生態からは出産が連想されるために蛇を男女の祖先神(おやがみ)としたと思われるという説を紹介している。(138頁)そして、頭上にまむしを乗せた土偶の図を載せている。(139頁)

このくだりを読んで、縄文のビーナス(茅野市尖石縄文考古館)の頭部のうずまき(写真①)はとぐろを巻いた蛇ではないか、と思い至った。

縄文のビーナスを観た2015年6月27日に、このうずまきについて、次のように書いていた・・・。**頭の上部はなぜか平です。そこにうずまきがあります。このデザインの意図を作者に訊いてみたいです。なんとなく恣意的にこうしたのか、何か意味があるのか。意味があるとしたら、どんな? **




縄文中期(およそ5,000年前) 身長27cm 体重2.1kg 国宝(平成7年)


宮坂光昭氏は「蛇体と石棒の信仰」で次のように考察している。**蛇は生命力の強い、また繁殖力の旺盛な動物である。九月に穴に入り地中の暗い所で冬眠し、春には穴を出て活発に動きまわり、そして脱皮して成長してゆく。この姿を、古代の人々は、冬眠が理想的な物忌みの姿にみえ、春に穴から出た姿と見事な脱皮成長を、驚嘆すべき生命の更新現象とみたものに違いない。**(148頁)

宮坂氏は次のようにまとめている。**人間自身も蛇と同様な行為により、蛇と同じく物忌みと生命の更新ができると考えた、いわゆる類感呪術というものが諏訪神社の蛇体信仰になったものであろう。**(148頁)

映画『鹿の国』で再現された御室神事。なぜこの神事は冬に行わていたのか? 

御室神事はこの蛇の生態を模しているのか、それで冬なのか、なるほど!

出雲系の侵入神である建御名方神と八坂刀売神。その下の厚い古層の自然崇拝、自然信仰。蛇体信仰・石棒信仰・ミシャグジ。

諏訪は深い。


 


一向に減らない積読本

2025-02-07 | A 読書日記


2025.02.07


2025.01.29

■ リビングにちょこっと設えてある書斎コーナー。
その端っこに積読状態になっている本。
1月29日は6冊だったが(写真下)、2月7日現在9冊(写真上)。
一向に減らない積読本。


『狛犬学事始』ねずてつや(ナカニシヤ出版)を早く読みた~い。
『大江健三郎前小説全解説』尾崎真理子(講談社2020年 図書館本)も読まなきゃ。
うれしい悲鳴ってこんな時にも使うことができるのかな。


 


「諏訪の神」を読む C4

2025-02-07 | A 読書日記

360
『諏訪の神 封印された縄文の血祭り』戸矢  学(河出書房新社2014年12月30日初版発行、2023年1月30日6刷発行)を読み終えた。

論より証拠。さらに、証拠を以って論ぜよ。つまり、確たる証拠を示して、論考を展開していくこと。このようなことが本書が扱うようなテーマで、できるものだろうか、やはり無理なのだろうか・・・。

松本清張に『火の路』(文春文庫 2021年上下巻とも新装版第3刷)という長編小説がある。松本清張が飛鳥時代の謎の遺跡に関する自説を主人公、ある大学の史学科助手(助教)の若い女性に語らせる。酒船石や益田岩船、猿石など飛鳥の謎の石造物がペルシャ(古代イラン)に始まったゾロアスター教と大いに関係があるとする論考だが、大変おもしろく読んだ(初読は1978年7月)。

ぼくは、『諏訪の神』も『火の路』と同じように、ものがたりとして読んだ。本書の性急な結論出しも、ものがたりであれば気にはならない。大変おもしろかった。

原始農耕文化の弥生のモレヤ神と狩猟文化の縄文のミシャグジ。これが混合・重層していた諏訪。そこに入り込んできた建御名方神と八坂刀売神。諏訪信仰は縄文の古層にまでつながっている・・・。

やはり諏訪は深い。**弥生時代以降に成立した神道と、それ以前に縄文時代から連綿と続く土俗信仰が共存併存、あるいは融合混合して、なんとも不可思議な状態にある。**(1頁 )と著者の戸矢氏は諏訪についてまえがきに書いている。戸矢氏はこのような状態にある諏訪の縄文の神・精霊に迫る。

縄文人の自然を畏怖する心、自然を崇拝する心がミシャグジをいう精霊を生み、それを巨石や巨木に託した。本書を読んでぼくはこのように理解した。

戸矢氏はミシャグジはミサクチだろうとし、その意味を「境目」、「割く地」と解して、諏訪湖が巨大断層の真ん中にできた臍であることから、ミシャグジを地震の神であろうとしている(171頁)。

第五章の「「縄文」とは何か」では、「巨大断層を封じる諏訪の神」「「まつり」の本質は「祟り鎮め」」「神が宿るもの」などについて論じられる。この中では「巨大断層を封じる諏訪の神」がおもしろかった。

**断層の中心に鎮座して大地を押さえ込む大いなる力、あるいは二度と大災害が起こらないよう祈りを込めてここにいざなわれた強力な神・建御名方神。**(185,6頁)
**諏訪を中心に、とりわけミシャグジ信仰が目立つのは、その大地震によって出現した奇岩巨石への畏敬があったからだろう。**(186頁)

戸矢氏も本書で触れているが、諏訪は大きな断層が交叉しているところだ(過去ログ)。大きな地震が縄文人も弥生人も、その前も後もいつの時代の人たちも驚かせただろう。もちろん現代人も。自然への畏怖、地震に対する恐怖感。

建築工事や土木工事に着手する時に行われる「地鎮祭」。この神事を執り行う現代人のこころは古代の人たちのこころと同じなのだろう・・・。


280
『神と自然の景観論』野本寛一(講談社学術文庫2015年第7刷発行)

この本が『諏訪の神』の第五章の参考資料として巻末のリストに掲載されている。ぼくはこの本を2020年9月に読んだが、興味深い内容だった。

**日本人はどんなものに神聖感を感じ、いかなる景観のなかに神を見てきたのだろうか。(中略)古代人は神霊に対して鋭敏であり、聖なるものに対する反応は鋭かった。「神の風景」「神々の座」は、常にそうした古代的な心性によって直感的に選ばれ、守り続けられてきたのである。**(6頁)



『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』(人間社 2017年9月15日初版1刷発行、2024年1月28日7刷発行)
『諏訪の神』を読んだだけでは、深い諏訪を理解することは到底できない。この類書を読むことにした。それから更に「諏訪」に入り込むかは未定。


 


朝カフェ読書「諏訪の神」 C4

2025-02-04 | A 読書日記

 週2回くらいのペースでしている朝カフェ読書@スタバ笹部店。

朝の店内にはパソコンに向かう人、ぼくと同じように本を読む人がいる。同じようなことをする人たちが占めるスタバの空間。そこに、なんとなくみんな繋がっているというような仲間意識を感じる。店内のデザインがモダンですっきりしているところもぼくの好み。

読み始めたのは『諏訪の神』戸谷  学(河出書房新社2014年12月30日初版発行、2023年1月30日6刷発行)。今話題のドキュメンタリー映画「鹿の国」を観て、諏訪のことを知りたい、と。

御柱って何? 映画にも出てきたミシャクジって何? 御頭祭って? 御贄柱って? ・・・? 


映画「2001年宇宙の旅」にこんなアングルで撮った宇宙船がゆっくり進んでいくシーンがあったような気がする。宇宙船じゃなくて、モノリスだったかもしれない。


敢えて影を入れて撮った。これでコンパクトカメラをどう構えているのか分かる。 C形にした左手の人差し指と中指でカメラをがっちりホールド。右手で縦に構えたカメラの右下をホールド。両脇を絞めて手振れを防いで、右手の人差し指でシャターボタンを押す、って横道にそれちゃった。

*****

この本を読むだけでは、深い諏訪のことは分からないし、記述内容がどうなのかも判断できない。類書を何冊か読まなくては・・・。こうして「読まなきゃ本」が増えていく。


 


『「お静かに!」の文化史』を読む C3

2025-02-02 | A 読書日記


『「お静かに!」の文化史』今村信隆(文学通信2024年)を読み終えた。

「ミュージアムの声と沈黙をめぐって」というサブタイトルにあるように、本書で著者の今村氏は美術館で作品を鑑賞するときの相反する二つの欲求、「静かに鑑賞したい」、と「誰かと語りあいながら鑑賞したい」に関する論考を展開している。なるほど、こういうテーマも研究対象になるんだ、読み始めてまずそう思った。

今村さんはこのテーマに関する既存の論をいくつも示しながら、丁寧にじっくり議論を進めている。


本書の内容については横着をしてこの写真を載せるだけにする。

**熟視し、黙想し、芸術作品の深みへと沈潜していくこと。
  対話し、ときには笑い合い、隣にいる人たちとのコミュニケーションを含めて作品を楽しむこと。
  人は、その両方を求めてきたし、現在も求めているのではないか。芸術作品はこれまでその両方
  の求めに応じてきたし、現在も、そして未来も、応じ続けていく力を備えているのではないか。**
引用したこの部分は、はじめにで書かれ(7頁)、第7章  声と語らいの価値で繰り返されている(292頁)。本書で今村さんが主張したかったことだろう。


本書で今村さんは上掲した2冊の本、『古寺巡礼』(岩波文庫1979年)と『大和古寺風物誌』(新潮文庫1953年発行、2002年76刷)を取り上げ、ふたりの仏像の捉え方が違うことについて言及している。和辻哲郎は仏像を美術作品として鑑賞しようとし、亀井勝一郎はあくまでも仏像を礼拝するものとして接していると。

ふたりの間には仏像に対する基本的な態度の違いがあるけれど、どちらの場合でも、仏像には静粛の雰囲気が漂っていると、今村さんは指摘している。なるほど。

本書読了後に考えたのは、「静寂」か、それとも「語らい」か、ということについては、芸術作品が鑑賞者に求めるということもあるだろう、ということだった。

例えば黒田清輝の「湖畔」(東京国立近代美術館で開催された「重要文化財の秘密」展にて2023年4月)は鑑賞者に静寂のなかでじっくり対峙して鑑賞することを求めるだろう。同じ絵画でも、例えばジョアン・ミロの作品はそうではなく、語らいを歓迎するのではないか・・・(*1)。

例外はもちろんあるだろうが、インスタレーションも同行者がいれば、作品について語らいながら鑑賞することを歓迎するだろう。


*1 東京都美術館で3月1日からミロ展が開催される。ぜひ行きたい。ミロの作品がどう反応するのか確かめたい。


積読状態解消?

2025-01-29 | A 読書日記


 リビングにちょこっと設えてある、わたしの書斎コーナー。その端っこに積読状態になっている本が現在6冊(写真)。2月中には読み終えて、積読状態を解消したいと思う。だが、これから注文する本も2,3冊あるから、解消できるかどうか・・・。

心のどこかで、こんな状態が続くことを望んでいるのかもしれない。ではなくなのかも。


 


「大江健三郎 江藤 淳 全対話」を読む

2025-01-28 | A 読書日記

   

 『死者の奢り』『芽むしり仔撃ち』『見るまえに跳べ』『われらの時代』『遅れてきた青年』『性的人間』『個人的な体験』・・・。

ぼくが大江健三郎の初期の作品を読んだのは高校生の時だった。そう、あの頃は、ぼくのまわりの同期生の間で、安部公房と大江健三郎、このふたりの作家は人気があって、みんなよく読んでいた。読まなければならない作家のような感じだったようにも思う。上に挙げた初期の作品では、大江さんが描いた世界にすんなり入り込むことができた。『個人的な体験』を再読した時は子育て中だったこともあり、いや逆かな、子育て中だから再読したのかもしれない、縁遠い世界のことではないことで、共感したことを覚えている。

『万延元年のフットボール』も高校生の時に読んだ(随分昔のことだ 箱入の本で定価が490円)。大江健三郎の作品だから読まなきゃ、と義務感のように感じて読んだのではなかったか、と思う。

だが、この小説で描かれている世界に入りこむことができなくて、もちろん難しくて理解できなかったということが前提としてあるけれど、大江健三郎の世界に共感できないというか、全く自分にはかかわりのないことと感じて、それこそ義務感だけで字面を追ったということを覚えている。


大学生になってからも、大江作品は読み続けてはいた。『万延元年のフットボール』と同様に字面だけを追った作品もあったが。2020年の5月、もう大江作品を再読することはないだろうと、単行本だけ残して(写真)、何冊もあった文庫本はすべて古書店に引き取ってもらった。

なぜ、『万延元年のフットボール』はだめだったんだろう・・・。


『大江健三郎  江藤 淳 全対話』(中央公論新社2024年 図書館本)をえんぱーく内の塩尻市立図書館で借りて読んだ。この本には以下の通り、4つの対話、というか、対談が収録されている。

  安保改定 われら若者は何をすべきか(1960年)
  現代の文学者と社会(1965年)
  現代をどう生きるか(1968年)
 『漱石とその時代』をめぐって(1970年)

この中で興味深く読んだのは 「現代をどう生きるか」だ。この対談で『万延元年のフットボール』が取り上げられている。ここで、江藤さんが語っていたことによって、ぼくがこの作品に入り込めなかった理由(わけ)が分かった。

江藤さんはこの作品を徹底的に批判する。発言の一部だけ切り取るのはどうかと思うが、敢えてそうして載せる。以下、引用するのはどれも発言の一部。

**『個人的な体験』と今度の作品とを比べると、複雑なことをうまく重ね合わせてまとめているという点では技術的に今度のほうがすぐれているかもしれない。だけれど文学的には大江さんが以前『個人的な体験』で提出された主題が一歩も前進させられていないという印象を持った。**(71頁)

この発言を江藤さんは**技術的な進歩と文学的な足踏みというところに大江さんの現在の問題が集約されているように思う。**(72頁)と括っている。この発言に対し、当然大江さんは反論する。フェアではないが、その反論はここには載せない。このふたりに関心のある方には、この本をお薦めしたい。

**ぼくは、正直にいって何度もページを閉じながらある義務感からやっと読み通した。**(75頁)そうか、江藤さんもぼくと同じだったのか。江藤さんはこの発言に続けて**だからはっきりいえば、ぼくにとってあれは存在しなくてもいいような作品です。**(75頁)とまで言う。本人に向かってなんとも辛辣なことばだ。この対談で、ふたりは実に激しい論戦を繰り広げている。とにかく興味深く、そしておもしろい。ふたりとも決して逃げることなく、キッチリ論戦している。

**あなたの小説では呉鷹男とか蜜三郎とかいう奇妙な名前の人物が出てくるでしょう。この名前を認めるか認めないかがいわば読者に対する踏み絵になっているのです。**(80頁) ぼくは踏み絵とまでは思わないけれど、このような名前(鷹四、蜜三郎)に違和感というか、抵抗感をを覚えるというのは確かだ。

名前を認めた人間は大江さんの主観的な世界にコミットすることを強要されてしまう、と江藤さん。続けて**これは主観的・恣意的な世界をそれが本当に共用され得るかどうかという問題を回避して読者におしつけようとする一種の詐術です。**(80頁)

強要されるとまでは思わないけれど・・・、でもまあ、そういうことかもしれない。ぼくの理解力の無さを棚に上げていえば、難解な文章でがっちりガードして、それでも入り込んでくる読者に向けて書かれた小説ということではないのかな。これはぼくにとって都合の良い解釈か?

江藤さんの指摘に対して大江さんは**この小説を最後まで読んでこれを受けいれた人がいるということだと受けとっています。そしてそれは客観的に江藤さんが受けいれられないといわれる証言と少なくとも同じ重みを持つ証言じゃないでしょうか?**(82頁)と返す。

また、大江さんは次のようにも語る。**たしかにぼくは太郎や次郎から出発したわけじゃない、蜜三郎や鷹四から出発した。そうしてでき上った作品において、そういう名をもつ人物たちが普遍性を、いくらかなりとコミュニケートする力を読者に対して持てば、それは小説家として自分の作業が社会化したと考えることなんです。**(85頁)

**『万延元年』の最初の章であなたは非常に難解なイメージを出した。胡瓜を尻に突っこんで死んだ人を出したでしょう。あれは非常にわかりにくい鬼面人をおどろかす仕掛けです。いろいろな魂胆からあの小説を支持する人でも最後まで分からないといっているイメージ。**(115頁) (単行本を確認すると29頁にこのことが書かれていた。)江藤さんが指摘することをぼくも感じてしまう。

「現代をどう生きるか」で分かるのはふたりの文学観、文学の社会性についての考え方の相違だ。

江藤さんのことばを引用したい。**いまになって十年をふり返ってみると、あなたの客観世界との乖離というか外界の喪失という形でそれらをとらえるよりぼくにはとらえられない。**(83、4頁) この指摘がポイントだろう。

江藤さんは対談の成り行きもあって、大江さんに何のために小説を書くのかとまで問う。大江さんは**自分自身がどのように現実とかかわって生きているかということを小説に書くことによって確かめるために書いています。**(96頁)と答えている。正直なことばだと思うし、小説家として、当然の態度だと思う。読者に阿るようなことはするべきではない。

この対談を読んで、ぼくは思った。大江健三郎の内的世界、江藤 淳が指摘した外界を喪失した世界にぼくはついていけなかった、ということだろうな、と。どんどん難易度が上がる世界について行くことができないで、早々と脱落してしまったということだろう。


 


「ゴッホは星空に何を見たか」を読む C2

2025-01-26 | A 読書日記

 新潮新書の創刊時(2003年)のキャッチコピーは「現代を知りたい大人のために700円で充実の2時間」だった。2時間で読了できるのかどうかはともかく、手軽に読んで欲しいという願いが込められていたものと思われる。新書もいろいろ。かなり分厚くて内容も濃いとなると、読了するのに何時間もかかるものもあるが・・・。


『ゴッホは星空に何を見たか』谷口義明(光文社新書2024年)の大半を昨晩(25日)読み、今朝読み終えた。約180ページと、それ程厚くない上、図版が多く、文章が冗長でなく簡潔なので、読了するのにそれ程時間がかからなかった。3時間くらいだっただろうか。

著者の谷口義明さんは天文学者で光文社新書にも『宇宙はなぜブラックホールを造ったのか』、『宇宙を動かしているものは何か』、『宇宙・0・無限大』などの著書がある。

さて、『ゴッホは星空に何を見たか』。

谷口さんは本書で「星月夜」をはじめ、「夜のカフェテラス」「ローヌ川の星月夜」「糸杉と星の見える道」など、星空が描かれている絵を取り上げ、そこに描かれている星座が何か、同定を試みている。本の帯の絵は「星月夜」。

ゴッホといえばひまわり、ひまわりといえばゴッホだけれど、上に挙げた絵も、どれも有名だ。谷口さんは天文学者、これらの絵に描かれている星空が気になっていたようだ。

帯の「星月夜」に描かれている星について、「はくちょう座」説が紹介されている。この絵の星座に関する論文もあることを知った。単なる趣味の世界ではなさそうだ。ただ、同定はできていないとのことだ。

本書を読んで知ったのは、ゴッホが星の色まで観ていた、ということ。このことが分かる手紙を弟や妹に宛てて書いている。本書ではその手紙が紹介されている。

ゴッホは星空に豊かな色彩を見出し、それに魅せられていたのだな。凄い画家だ。



『たゆたえども沈まず』原田マハ(幻冬舎文庫2022年11月25日12版)のカバーも「星月夜」だ。

この小説でで原田さんは画家のゴッホと弟の画商・テオ、それからやはり画商の林 忠正という3人の実在の人物に林の助手の重吉という架空の人物を加えて、リアルな物語を紡いだ。


今年から来年にかけて「大ゴッホ展」が開催されることを知った。神戸、福島、東京と巡回する展覧会。東京では上野の森美術館で2026年5月29日~8月12日の会期で開催される。 ゴッホの絵の力強いタッチを観たいなぁ。





「日本文化の多重構造」を読む

2025-01-25 | A 読書日記

360
『日本文化の多重構造 アジア的視野から日本文化を再考する』佐々木高明(小学館1997年)を読んだ。松本市内の古書店で目にし、タイトルに惹かれて即買いしていた。

巻末に載っているプロフィールによると、著者の佐々木氏は1929年生まれ。本書の出版が1997年だから、著者が67,8歳の時のことだ。本の帯に「日本文化論」総集成とある。正にそのような、充実の内容で密度が濃く、読むのに時間がかかった。佐々木氏の長年に亘る調査、研究の成果だろうが、これ程の研究を成し得たということに驚く。

論文はT字型構造と聞く。Tの上の横棒は総論を、縦の棒はその内のごく限られた対象を深く詳細に研究し論ずるという研究論文の構造。それに対し、本書で論じられている様は櫛型と表現すれば伝わるだろうか。全ての範囲を深く研究し、論じている。

本書の内容を簡潔に要約するのは難しい。例によって本書から引く。**長い歴史的過程の中で、日本列島にはアジア大陸の北方や南方から、それぞれ特色を異にする諸文化が伝来し、それらが列島内に堆積するとともに、その諸文化が相互に関係し合う中から、日本文化の特色が形成されてきたという事実である。**(319頁)

「照葉樹林文化」と「ナラ林文化」、南北二つの異なる文化の重層、複合。

「第六章 焼畑農耕とその文化の探求」の「第三節 狩祭りの伝承 ―― 豊猟と豊穣の祈り―― 」に興味深い記述があった。それは先日(22日)岡谷スカラ座で観た映画「鹿の国」で紹介されたことと重なる記述。

**インドや東南アジアあるいは東アジアの照葉樹林帯の、主に雑穀を栽培する焼畑民たちの間には、農耕の折り目折り目にムラの男たちが集団で狩猟を行い、それによって豊猟や豊作の予祝を行う慣行がある。**(190頁) このような儀礼的狩猟は日本でも焼畑を営んでいた山村でもかなり広く見られたという。

本書には、愛知県東栄町の月というムラの次のような神事が写真付きで紹介されている。それは、杉葉でつくったシカに神官が矢を射込み、倒れたシカの杉葉を抜き、神前に供えて豊作を祈願するというもの。

諏訪では行われなくなった、これと同じような神事がやはり愛知県の野登瀬諏訪神社で行われているとのことで、「鹿の国」でこの鹿討ち神事が紹介された。この神社の神事では、実物大でつくられた雌雄2頭のシカに二人の青年が矢を射込む様子、その後シカの腹の中に入れてあるいくつもの餅を奪い合う様子が映された。

愛知県新城市のHPにこの神事が紹介されている(こちら)。HPに**農作物の豊作を祈願する儀礼としての「種取り」、「田つくり」の神事と、「しかうち」という狩猟儀礼とが複合した形で行われる全国的にも少ない特色ある予祝行事であります。**とある。

それからもう一つ、本書で紹介されている『播磨風土記』の次の記述。**生ける鹿を捕り臥せて、其の腹を割きて、其の血に稲種(いねま)きき。仍(よ)りて、一夜の間(ひとのほど)に、苗生(お)ひき。即ち取て植ゑしめたまいき**(195頁) この様子も「鹿の国」で映像化されていた。

このようなことについて、佐々木氏は**狩りの獲物の血や肉や内臓の中に豊作をもたらす呪力が存在するという信仰**(196頁)が背景にあり、**古代の習俗は、少なくとも弥生時代初期にまで遡ることが可能であり、その基層には、稲作以前の狩猟民たちによる豊猟を祈願する狩祭りの伝統があったことは間違いないと考えられるのである。**(196頁)と指摘している。諏訪の神事もその起源は一万年も前、ということになるのだろう・・・。凄い!

長くなり過ぎたのでこの辺で・・・。

『日本文化の多重構造』 読み応えのある本だった。


 


「天保悪党伝」を読む

2025-01-24 | A 読書日記

 1冊減って2、3冊増えるという状況で、積読本が減らない。

あの本、この本。読みたいと思う本を読んできた。だが、この気持ちをセーブして、この先、太平洋戦争関連の本を読もうと思っている。系統的に、というわけでもないが・・・。

先日(18日)、松本の古書店 想雲堂で『生体解剖 九州大学医学部事件』上坂冬子(中公文庫1982年8月10日初版、1983年2月10日4版)を目にし、買い求めた。遠藤周作が『海と毒薬』でこの事件を取り上げている。

五百旗頭(いおきべ)真さんの『日米戦争と戦後日本』(大阪書籍1989年)を読んだ(過去ログ)。内容は易しくはないけれど、論考の流れが分かりやすく、文章が読みやすかった。他の作品も読みたいと思った。偶々、新聞広告で『大災害の時代 三大震災から考える』(岩波現代文庫2023年)を目にして、買い求めた。書評欄に載っていた『「お静かに!」の文化史 ミュージアムの声と沈黙をめぐって』今村信隆(文学通信2024年)も。

*****

いつまでも続くと思うな我が人生。

もう、全く知らない作家の小説を読むことはあまりしないことにする。若い作家の作品は、よく分からない。既に何作品か読んでいる馴染みの作家に絞りたい。その分、上記したように、太平洋戦争関連本を読もうと思う。だが、これはいわば守りの姿勢。生き方としては好ましくないかもしれない。「チャレンジしなくて、どうする」という内なる声が聞こえる。


藤沢周平作品は何作も読んだが、この数年は全く読んでいなかった。いや、短編集『橋ものがたり』を2023年5月に再読している(過去ログ)。

天保悪党伝』 読み始めて思った。そうか、藤沢周平はこういう作品も書いていたのか、と。収録されている6作品は書名から分かるが、悪党を主人公にしている。好きな作品は「泣き虫小僧」。異色作の中で一番藤沢作品らしい。

料理人の丑松は、あちこち料理屋を手伝っては手間をもらっている。だが、賭場で大金を賭けて・・・、という暮らし。

丑松は紹介された花垣という料理屋で神妙に働く。喧嘩っ早い丑松だが、つまらない喧嘩で花垣から追い出されたくなかったので。なぜか。おかみさんに惹かれていたから。二十半ばを過ぎたころかと思われたおかみさんは三十二歳。色白で細おもての美人。

**おかみさんを見ていると、丑松は何かしら有難いようなもの、うやうやしいようなもの、それでいて何かひどく物がなしいものに出会ったというような気がしてならない。
だが、それがどういうことなのかはわからずに、丑松はまごまごしていた。しかしまごつきながら、十分に幸福だった**(180頁)

こういう描写は、藤沢周平だな。

客の一人に気になる男がいた。政次郎という名で、筋金入りのやくざ者と知れた。蝮の政と綽名されていた。時には花垣に泊まっていくことを丑松は知る。何年か前、花垣が潰れかけたとき、政次郎から金を借りていたのだった。利息がわりにおかみを抱いているということを知った丑松は・・・。


 


「お地蔵さまのことば」を読む

2025-01-21 | A 読書日記


 『お地蔵さまのことば』吉田さらさ(ディスカヴァー・トゥエンティワン 2014年 図書館本)を読んだ。読んだというより、見たかな。

タイトルはお地蔵さまのことばとなっているけれど、観音さまや阿弥陀さま、そしてうれしいことに狛犬のことばも載っている。黙して語らぬ石仏だけれど、著者の吉田さらささんが耳を澄ましてみると、お言葉が聞こえてくるそうで、この本には58のお言葉が載っている。

こころに染みるそれらのお言葉も好いけれど、吉田さんが撮影した石仏の写真がとても魅力的。見開きワンセットで写真とお言葉が載っていて、カラー写真が左のページの全て、中には両ページに大きく載せているものもある。石仏の全形写真もあれば、顔だけのアップ写真や周辺の様子まで写し込んだ写真もある。載っている写真はどれも石仏の魅力をきちんと写している。

カバー折り返しに吉田さんのプロフィールが載っていて、寺と神社の旅研究家、早稲田大学第一文学部美術史学科卒と紹介されている。なるほど、鑑賞眼がきっちり磨かれているのだろう。だから石仏の魅力を的確に捉えることができるのだ。

上掲の表紙の写真は長崎市の清水寺の地蔵菩薩。赤い毛糸の帽子がお地蔵さまの童顔によく似合っていている。元々の顔が破損したため、新しい顔にすげ替えられたとのこと。

で、このお地蔵さまのお言葉は・・・。

**変わらないのが一番のご利益** 全58のお言葉で一番共感したのはこのお言葉。この言葉の通りだなぁ、と思うようになったのは歳を取ったから?

**僕、困ってるんです。
ご利益はまだかとせかす人が多すぎて。
でも、もっと困るのは、ご利益に気づかない人。
健康で家があって仕事があって。
みんなのそういう「普通」を支えているのが
実は僕たちだって、知ってましたか?**(006頁)