透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「天保悪党伝」を読む

2025-01-24 | A 読書日記

 1冊減って2、3冊増えるという状況で、積読本が減らない。

あの本、この本。読みたいと思う本を読んできた。だが、この気持ちをセーブして、この先、太平洋戦争関連の本を読もうと思っている。系統的に、というわけでもないが・・・。

先日(18日)、松本の古書店 想雲堂で『生体解剖 九州大学医学部事件』上坂冬子(中公文庫1982年8月10日初版、1983年2月10日4版)を目にし、買い求めた。遠藤周作が『海と毒薬』でこの事件を取り上げている。

五百旗頭(いおきべ)真さんの『日米戦争と戦後日本』(大阪書籍1989年)を読んだ(過去ログ)。内容は易しくはないけれど、論考の流れが分かりやすく、文章が読みやすかった。他の作品も読みたいと思った。偶々、新聞広告で『大災害の時代 三大震災から考える』(岩波現代文庫2023年)を目にして、買い求めた。書評欄に載っていた『「お静かに!」の文化史 ミュージアムの声と沈黙をめぐって』今村信隆(文学通信2024年)も。

*****

いつまでも続くと思うな我が人生。

もう、全く知らない作家の小説を読むことはあまりしないことにする。若い作家の作品は、よく分からない。既に何作品か読んでいる馴染みの作家に絞りたい。その分、上記したように、太平洋戦争関連本を読もうと思う。だが、これはいわば守りの姿勢。生き方としては好ましくないかもしれない。「チャレンジしなくて、どうする」という内なる声が聞こえる。


藤沢周平作品は何作も読んだが、この数年は全く読んでいなかった。いや、短編集『橋ものがたり』を2023年5月に再読している(過去ログ)。

天保悪党伝』 読み始めて思った。そうか、藤沢周平はこういう作品も書いていたのか、と。収録されている6作品は書名から分かるが、悪党を主人公にしている。好きな作品は「泣き虫小僧」。異色作の中で一番藤沢作品らしい。

料理人の丑松は、あちこち料理屋を手伝っては手間をもらっている。だが、賭場で大金を賭けて・・・、という暮らし。

丑松は紹介された花垣という料理屋で神妙に働く。喧嘩っ早い丑松だが、つまらない喧嘩で花垣から追い出されたくなかったので。なぜか。おかみさんに惹かれていたから。二十半ばを過ぎたころかと思われたおかみさんは三十二歳。色白で細おもての美人。

**おかみさんを見ていると、丑松は何かしら有難いようなもの、うやうやしいようなもの、それでいて何かひどく物がなしいものに出会ったというような気がしてならない。
だが、それがどういうことなのかはわからずに、丑松はまごまごしていた。しかしまごつきながら、十分に幸福だった**(180頁)

こういう描写は、藤沢周平だな。

客の一人に気になる男がいた。政次郎という名で、筋金入りのやくざ者と知れた。蝮の政と綽名されていた。時には花垣に泊まっていくことを丑松は知る。何年か前、花垣が潰れかけたとき、政次郎から金を借りていたのだった。利息がわりにおかみを抱いているということを知った丑松は・・・。


 


「お地蔵さまのことば」を読む

2025-01-21 | A 読書日記


 『お地蔵さまのことば』吉田さらさ(ディスカヴァー・トゥエンティワン 2014年 図書館本)を読んだ。読んだというより、見たかな。

タイトルはお地蔵さまのことばとなっているけれど、観音さまや阿弥陀さま、そしてうれしいことに狛犬のことばも載っている。黙して語らぬ石仏だけれど、著者の吉田さらささんが耳を澄ましてみると、お言葉が聞こえてくるそうで、この本には58のお言葉が載っている。

こころに染みるそれらのお言葉も好いけれど、吉田さんが撮影した石仏の写真がとても魅力的。見開きワンセットで写真とお言葉が載っていて、カラー写真が左のページの全て、中には両ページに大きく載せているものもある。石仏の全形写真もあれば、顔だけのアップ写真や周辺の様子まで写し込んだ写真もある。載っている写真はどれも石仏の魅力をきちんと写している。

カバー折り返しに吉田さんのプロフィールが載っていて、寺と神社の旅研究家、早稲田大学第一文学部美術史学科卒と紹介されている。なるほど、鑑賞眼がきっちり磨かれているのだろう。だから石仏の魅力を的確に捉えることができるのだ。

上掲の表紙の写真は長崎市の清水寺の地蔵菩薩。赤い毛糸の帽子がお地蔵さまの童顔によく似合っていている。元々の顔が破損したため、新しい顔にすげ替えられたとのこと。

で、このお地蔵さまのお言葉は・・・。

**変わらないのが一番のご利益** 全58のお言葉で一番共感したのはこのお言葉。この言葉の通りだなぁ、と思うようになったのは歳を取ったから?

**僕、困ってるんです。
ご利益はまだかとせかす人が多すぎて。
でも、もっと困るのは、ご利益に気づかない人。
健康で家があって仕事があって。
みんなのそういう「普通」を支えているのが
実は僕たちだって、知ってましたか?**(006頁)


 


読書@善光寺仲見世通りのスタバ

2025-01-20 | A 読書日記

 
 建物の全形を入れようと広角で撮ると、歪む。そうか、こんな時はスマホで撮ってあおりの操作をすればいいんだ。今ごろ気がついた。これからはそうしよう。

19日の善光寺参りではよく歩いた。スマホのデータによると11,856歩。朝、篠ノ井でも歩いたから。お参りしてから、仲見世通りのスタバで休憩。和の空間でなかなか居心地が良かった。


一人で出かけるときは必ず本を持っていく。善光寺参りには藤沢周平の連作長編『天保悪党伝』(新潮文庫2001年11月1日発行、2022年6月10日34刷)を持って行った。スタバで小一時間読んだ。行き帰りの電車でも読んだから、6編のうち、4編を読み終えた。

藤沢作品は好きでよく読んだが、この作品は読んでいなかった。積読状態が解消されたら、また藤沢作品を読むのも好いかも・・・。


 


「散華」 本が好き

2025-01-17 | A 読書日記

360
 杉本苑子の『散華 紫式部の生涯 上・下』を昨年(2024年)の7月に図書館本で読んだ(過去ログ)。

手元に置いておきたいと思い、文庫本を買い求めた。こんなことをするって、理解してはもらえないのではないか、と思うが・・・。いや、そうでもないのかな。所有欲ってあるから。


以前のように色んなこと書いて、という声あり。

 


「日米戦争と戦後日本」を読む

2025-01-17 | A 読書日記

320
 高校の同級生IT君に薦められていた『日米戦争と戦後日本』五百旗頭  真(大阪書籍1989年)を読んだ。良書。論考の展開が分かりやすいことに因るのだろうが、思いの外読みやすかった。

著者は本書で日米開戦から日本の敗戦、占領に至るまでの間、政治家たち、それも主にアメリカの政治家たちがどのように考え、どのように行動したかを詳細に説いている。

アメリカの対日占領政策の検討が開戦直後に既に始められていたという。冷静に分析すればアメリカが勝利することは、日本でも分かっていたのだから、驚くにはあたらないか。

本書は序章から終章まで六つの章で構成されているが、第一章で六つの日本処理案が示されている。その中で最も過激な〈国家壊滅・民族奴隷化論〉が採られていたら・・・。アメリカの世論調査では3~4割の国民が戦争中にこれを支持していたという。〈隔離・放置論〉もあったそうだが、やはり、採られなかった。知日派による冷静で寛大な対応が採られたことを本書で知った。日本にとって、不幸中の幸いだったと思う。

今日17日付信濃毎日新聞に朝鮮戦争に関する記事が掲載されていた。記事に朝鮮戦争について次のような解説がある。**1945年8月の日本の敗戦を受け、植民地だった朝鮮半島は北緯38度線を境に南側を米国が、北側をソ連が分割占領し、48年、韓国と北朝鮮が成立した。(後略)**(17面文化面)

このようなことは日本では起こり得なかった、と言えるのか、言えないのか・・・。

本書を紹介してくれたIT君に感謝したい。ぼくも本書(*1)をブログ閲覧者にお薦めしたい。


*1 講談社学術文庫に収録されています。


『『罪と罰』を読まない』を読む C1

2025-01-17 | A 読書日記

360
『『罪と罰』を読まない』岸本佐和子、三浦しをん、吉田篤弘、吉田浩美(文春文庫2019年)を午後カフェ読書@スターバックスコーヒー 松本平田店(今後スタバ平田店と略記する)で読み終えた。


自室にある『罪と罰』ドストエーフスキー(米川正夫訳 河出書房版 世界文学全集 18)の巻末を見ると昭和44年11月20日48版発行、となっている。このことから、ぼくがこの本を読んだのは昭和44年(1969年)か、その翌年だと思われる。55年!くらい前。

主人公のフルネームがロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ、ということだけは今も忘れず、覚えている。重要な登場人物のソーニャという女性のフルネームは全く覚えていない。同書の最初に出ている主要人物の紹介で、ソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードヴァだと分かった。他の登場人物の名前は全く覚えていない。当時も登場人物の名前を全て覚えて読んだわけではないと思う。無理、無理。ちなみにドストエフスキーのフルネームはフョードル・ミハイロヴィビッチ・ドストエフスキーだって(312頁)。

全国の高校生が出場するクイズ番組で登場人物を5人フルネームで答えよという問題がでたら、答える高校生はいるだろうか。いるかもしれないな。

ストーリーは忘れてしまった・・・。ラスコーリニコフが金貸しの老女を殺害する(忘れていたけれど、その時もう一人殺害していた)。そのことを娼婦のソーニャに告白する。ソーニャに説得されて自首する。ラスコーリニコフはシベリア送りとなり、ソーニャも一緒に行く・・・。こんな程度ではあらすじにもならない。

さて、『『罪と罰』を読まない』。

この長編小説『罪と罰』を読んでいない岸本佐和子、三浦しをん、吉田篤弘、吉田浩美の4人が、それぞれ知っているごく少ない情報からストーリーを推測していく様子が収録されている。

4人の未読座談会の当日、小説の最初のページと最後のページだけが資料として配布される。だが、いくら何でもそれを読むだけで、ストーリーを推測することなど到底無理。そこで、六部(六編*)から成るこの小説の各部(各編)について4人が、最初がいいとか、いや最後から20ページ遡ってとか相談して決めた1ページを立会人が朗読する。これを各部2回することで推しはかる、ということに。

このような試みを冷めた目で見れば、なんだかなぁという否定的な評価もあるだろう。でも物語の構成も推測しながらあれこれ語る様子はなかなかおもしろかったし、さすがと思うこともあった。ストーリーがきっちり頭に入っていれば、しをんさん鋭い!とか、全然外れているとか、4人の推測を楽しむこともできるだろう。まあ、覚えていなくても『罪と罰』を参照しながら、未読座談会の発言を確認してもよいと思うが、それには相当時間がかかる。

4人は未読座談会の後、**読んだあとに、また集まって話そうよ―。**(202頁)となって、『罪と罰』を読む。そして今度は読後座談会をする。4人の発言を読んで、さすが読みが深いと思うことしばしばだった。長編なのにきっちり読み込んでいる。

**(前略)ソーニャはすごくかわいい容姿なんだろうなって想像してたんですよ。でも、読んでみたら、じつはそうでもないみたいで。(後略)**(241頁)これは吉田浩美さんの発言。ぼくの記憶の古層に辛うじて残っているソーニャはとてもかわいい娘なんだけど・・・。どうやら記憶も改変されてしまうらしい。

このくらいで切り上げて、読みかけの『日本文化の多重構造』佐々木高明(小学館)を読まなきゃ。


* ぼくが読んだ河出書房版 世界文学全集の『罪と罰』は「編」となっている。


細かい活字で2段組、およそ630頁。


 


本が好き

2025-01-15 | A 読書日記


 久しぶりの丸善は、東京の友人からメールで紹介された本『『罪と罰』を読まない』岸本佐和子、三浦しをん、吉田篤弘、吉田浩美(文春文庫2019年)を買い求めるため。名前を並べる時って、読点「、」カンマ「,」なかぐろ「・」のどれを使うのが良いというか、正しいのだろう・・・。調べると、どれも使うことがあるようだ。ならば、文章全体との兼ね合いの中でどれを使うのが好ましいか適宜判断すればよいだろう。


新書コーナーを一通り見てまわり、『ゴッホは星空に何を見たか』谷口義明(光文社新書2024年)も買い求めた。この本の著者の谷口さんは、巻末のプロフィールによると銀河天文学、観測的宇宙論が専門の研究者。面白そうなので、買い求めた。

丸善の中のカフェで『日本文化の多重構造 アジア的視野から日本文化を再考する』佐々木高明(小学館1997年)を40分ほど読む。『日米戦争と戦後日本』五百旗頭(いおきべ) 真(大阪書籍1989年)を読み終えたが、今日(15日)上の2冊が増えたのでなかなか積読状態が解消しない。

『『罪と罰』を読まない』は読むのにさほど時間がかからないから、『日本文化の多重構造』を中断して先に読もう。面白そうだし。


 


原 広司 逝く

2025-01-05 | A 読書日記



『空間〈機能から様相へ〉』(岩波書店1987年3月24日第1刷発行、1989年12月5日第6刷発行) この本を1990年に読んでいる。30年以上経過して、内容を忘れてしまっている。ただ、ヤマトインターナショナルビルは、この本に書かれていることが体現されているんだな、と思ったのではなかったかな。今読んだらどんな感想を持つだろう・・・。そして『集落への旅』(岩波新書1987年)も。こうして読む本が増えていく。

『集落の教え  100』(彰国社1998年)で、タイトル通り、100の教えを示している。なるほどな教え、15と81を載せる。

**幾何学的な形態と不定形な形態、一義的に意味づけられた場所と多義的な場所、明るさと暗さ、荘厳された場所と日常的な場所、古いものと新しいもの等々の二律背反するものを混在せしめよ。また、それらのグラジュアルな変化を混在せしめよ。そして、全域をなめらかに秩序づけよ。**(15 混成系 36頁)

**材料が同じなら、形を変えよ。形が同じなら、材料をかえよ。**(81 材料 168頁)

原さんの建築は上の教えに忠実だ。

『集落の教え  100』の帯の文章を大江健三郎さんが書いている。原さんと大江さんは友人同士で、大江さんの出身中学校を原さんが設計している。建築雑誌に掲載されたが残念ながら手元にその雑誌はない。


大江さんも自身の作品に原さんをモデルにした建築家を登場させている。以下は2008年02月02日に書いた記事だが、すこし手を加えて再掲する。


『揺れ動く 燃えあがる緑の木 第二部』大江健三郎(新潮社1994年)

 この本は大江さんがノーベル文学賞を受賞した直後に出版されて、よく売れたのではないかと思う。第三部の帯には**ノーベル賞作家の最後の小説、完結!**とある。

大江さんはこの小説に荒先生として原さんをモデルにした建築家を登場させている。「あら」と「はら」、よく似ている。

**荒さんは、その独創的な構想を、粘り強くあらゆる細部にわたって実現する建築家だった。** 小説から引用したこの文章は原さんの評価そのものだ。

こんな記述もある。**この土地の民家の建物と集落をイメージの基本に置いて、木造小屋組みの上に和瓦を載せたものだった。** 

こんなくだりもある**教会のために建設しようとしている礼拝堂は、直径十六メートルの真円が基本形です。**(185頁)これは原さんが設計した大江さんの出身中学校の音楽室ではないか。音楽室の直径はどのくらいだろう。

円形は音響的には好ましくない。そこで**荒さんは、かれの建築事務所の費用で、生産技術研究所の同僚の専門家に実験を依頼されました。二十分の一の縮尺模型を作って、実験が行なわれたわけです。**(185頁) この先もまだ続く。こうなれば、この中学校の設計の解説文だ。

作家はこのように実話を小説のなかに取り込む。それが時に問題になったりすることもあるが、この小説を読んだであろう原さんはどんな感想だったんだろう・・・。

原さんは大江さんと同じ88歳で旅立たれた。ご冥福をお祈りします。


 


読み初め本「免疫力を強くする」

2025-01-05 | A 読書日記

420
午後カフェ読書@スタバ笹部店

「書き初め」ということばがあるのだから、「読み初め」ということばがあってもおかしくないだろう・・・。ネットで調べると、あった。意味は新年、初めて読書をすること。年またぎ本は『方舟さくら丸』、読み初め本は『免疫力を強くする』だった。

『新型コロナ 7つの謎 最新免疫学からわかった病原体の正体』宮坂昌之(講談社ブルーバックス2020年)
『ルポ  副反応疑い死 ワクチン政策と薬害を問いなおす』山崎淳一郎(ちくま新書2022年)
『コロナワクチン  失敗の本質』宮沢孝幸・鳥集  徹(宝島社新書2022年)
『免疫「超」入門』吉村昭彦(講談社ブルーバックス2023年)

ワクチンや免疫について関心があり、上掲した本などを読んでいる。

日本で最初のコロナウイルス感染者が確認されたのは2020年1月15日だった。『免疫力を強くする 最新科学が語るワクチンと免疫のしくみ』宮坂昌之(講談社ブルーバックス)はその前年の2019年12月20日に発行されており、コロナウイルスやコロナワクチンについては記載がないのは残念だが、読んでみた。

文章だけだと内容を理解するのが難しいけれど、ありがたいことに本書には理解を助ける図がいくつも掲載されている。例えばヒトの体に備わっている自然免疫機構獲得免疫機構という2種類の免疫システムについて、3枚のプレート(レイヤー)が示され、それぞれ物理的・化学的バリアー、細胞性バリアー(この2枚が自然免疫機構)、細胞性・液性バリアー(獲得免疫機構)となっている。病原体が3枚のプレートを突き抜けてしまうと発症する。各バリアーに説明文がついていて、理解しやすい(などと図を文章で説明しても分かりにくい)。

**免疫学者である私がもっとも自信を持っていえる科学的な免疫力増強法は、本書で繰り返し取り上げた「ワクチン接種」です。現在、存在する医薬品の中では、もっとも確実に免疫力を上げる方法です。**(264,5頁) 免疫力を強くするにはどうすればよいのだろう、と本書を読んだが、その答えがワクチン接種というのは、拍子抜というか、なんというか・・・

いや、さらに読み進めると、次のような記述があった。**こうした薬剤に頼らずとも、免疫力を高める方法は存在します。**(265,6頁)そう、こうでなきゃ。**それは、血管系やリンパ系における細胞の往来をすみやかにする方法です。**(266頁)**往来が悪くなると、免疫応答に必要な細胞が必要な場所に運ばれなくなるために、免疫系の機能が低下するのです。**(266頁)

で、血流、リンパ流を良くするのに有効なのはウォーキングだと、宮坂さんは説く。さらに過度のストレスも免疫力全般を低下させるとも。

日々の生活について。**暴飲暴食を控えて、寒すぎず暖かすぎずの環境の中で節度ある生活をして、毎日、適度な運動をする。**(280頁)
よく言われることが本書の結論。 


『コロナワクチン失敗の本質』宮沢孝幸 鳥集 徹(宝島社新書2022年) 
本書に出てくる用語を例示しておきたい。ADEとワクチン後遺症は気になる。
自然免疫・・・体内に侵入した細菌・ウイルスや体内で発生した異常細胞をいち早く感知して、排除する免疫反応のこと。好中球、樹状細胞、マクロファージ、NK(ナチュラル・キラー)細胞などがこれを担っている。(27頁)
サイトカイン・・・免疫細胞の活性化や抑制をコントロールし、体内の免疫機能のバランスを保つ働きを持つ物質の総称。(29頁)
ADE(抗体依存性感染増強)・・・ウイルス感染やワクチンによって体内にできた抗体が、感染や症状をむしろ促進してしまう現象。(31頁)
ワクチン後遺症・・・新型コロナワクチン接種後に生じた体調不良が長期的に続く状態を指す。(99頁)





越年読書「方舟さくら丸」/安部公房作品23冊読了

2025-01-04 | A 読書日記


『方舟さくら丸』安部公房(新潮社1984年、新潮文庫1990年)/ 新潮文庫の安部公房作品23冊(付箋本は絶版)

  年越し本の『方舟さくら丸』を読み終えた。

《もぐら》という綽名(あだな)のぼくは地下採石場跡の巨大な洞窟に核シェルター・方舟さくら丸を造り上げる。核の脅威から逃れて、生き延びるために・・・。

もぐらは3人の男女を探し、方舟で一緒に生活を始めるが、そこに侵入者が現れるという想定外なことが起こり・・・。

『方舟さくら丸』の原型となった『ユープケッチャ』の原題は「囚人志願」(『カーブの向う・ユープケッチャ』253頁)。この原題とユープケッチャという自己完結的な生態の生物が暗示する世界を望むぼくは、外界との関係を断ち切られた状況で若い女と暮らすことを最終的に自ら選択した『砂の女』の男と似通っている。これは作者・安部公房の願望か。世間との煩わしい関係を断ち切って、ごく限られた人との生活をしたいという願望。

ぼくは何でも吸い込んで処理してしまう便器に片足を吸い込まれて身動きが取れなくなってしまって万事休す! だけれど、それほど悲壮感もなく、ユーモアを感じる。

この小説は難解で読み解くのが難しい。安部公房は本当に核の脅威ということをベースにしてこの小説を書いたのだろうか・・・。前述のような設定のためのシビアな条件付けではないのか。

何回も書いたけれど、安部公房は人間が存在するということは、どういうことなのか、人間の存在とは何かを問い続けた作家だった。この小説もこの観点から読み解くことができるのだろうか・・・。最終章の次のくだりはどうだろう。

**それにしても透明すぎた。日差しだけではなく、人間までが透けて見える。透けた人間の向うは、やはり透明な街だ。ぼくもあんなふうに透明なのだろうか。**(374頁)


手元にある安部公房作品、新潮文庫の23冊を全て読み終えた。 

一通り読み終えて『けものたちは故郷をめざす』『R62号の発明』『第四間氷期』が印象に残った。『砂の女』はストーリーがシンプルで読みやすい。代表作と評されるのも分かる。これらの作品はまた読みたいと思う。


手元にある新潮文庫の安部公房作品リスト(23冊)

『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月 

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月


*印の作品は絶版


越年読書

2024-12-30 | A 読書日記

360

 越年登山。年末に入山して山中で新年を迎え、下山する登山のこと。ならば、年末に読み始めて年明けに読み終える読書を越年読書と言ってもよさそうだ。意味も通じるだろう。越年読書で読む本を年越し本としてきた。だが・・・、年越しそばを大晦日に食べるように、年越し本も大晦日に読み終えてしまう本にならないだろうか。道路を跨いで立っている火の見櫓を道路またぎと呼ぶなら、年またぎ本が好いかもしれない。そう、年またぎ本。

年またぎ本、安部公房の『方舟さくら丸』(新潮社1984年)を読み始めた。文庫本は製本がばらけてしまっているので、単行本にした。文庫本を読むのとは、なんだか気分が違う・・・。普段とは違う特別感を感じて良いかも。





「江戸東京の明治維新」を読む

2024-12-27 | A 読書日記


 このところ本が読みたいという欲求、読書欲が強い。なぜだろう・・・。今月(12月)11冊目は、『江戸東京の明治維新』横山百合子(岩波新書2018年)。

明治維新について歴史の教科書的な総論ではなく、具体的に論じている。本書については何も知らなかったが、年に何回か行く想雲堂という松本市内の古書店で偶々目にして、買い求めていた。なかなか好い本と出合ったと思う。

明治維新。身分制解体。旧来の身分制が取り払われた社会に、人びとはどう対応し、どう生きたのか・・・。

本書の著者・横山さんは旧幕臣(第2章)、遊郭の女性(第4章)、屠場で働く人びと(第5章)を取り上げて、詳細に論じている。明治維新という新しい社会システムにうまく適応して生きた人もいれば、飲み込まれてしまった人もいる。

私は第4章の遊郭の明治維新を興味深く読んだ。遊郭を取り上げる理由について横山さんは次のように説明している。少し長くなるが引用する。

**明治維新期の遊郭の変容は、身分制の下での役と特権による社会の仕組みが否定され、新たな社会に転換していくことの大変わかりやすい事例だからである。新吉原遊郭は五つの遊女町で構成されている。五町における遊女屋と遊女の社会的な位置づけの変化は、江戸東京の、とくに町方における維新の意味を象徴的に示しており、近世/近代移行期の都市の変容に迫るうえで格好の素材となる。**(104頁)

第一節 新吉原遊郭と江戸の社会
第二節 遊郭を支える金融と人身売買
第三節 遊女いやだ ― 遊女かくしの闘い
第四節 変容するまなざし

横山さんは第四章 遊郭の明治維新 を上掲したように節立てして論じているが、第三節では、かくしという名前の遊女を取り上げ、かくしが明治維新のうねりの中でもがいた様を詳細に記している。司馬遼太郎のように歴史の総体を俯瞰的に捉えるのではなく、藤沢周平のように市井の人たちの中に入り込んでその暮らしぶりを捉えている、とでも書けば、イメージが伝わるだろうか(こんな喩えでは伝わらないか・・・)。

密度の濃い論考だと思う。



年越し本は安部公房の『方舟さくら丸』と決めている。その前にもう1冊、『戦後総理の放言・失言』吉村克己(文春文庫1988年)を読むことに。スタバ笹部店で朝カフェ読書。



スタバなぎさライフサイト店が閉店してしまったから、これからはここ、笹部店で朝カフェ読書。


 


「日本近代随筆選」をスタバ最終日に読む

2024-12-26 | A 読書日記


スターバックス コーヒー松本なぎさライフサイト店(2024.12.25  閉店の日)

 2013,4年ころ、このスタバで朝カフェ読書をするようになった。それから今までおよそ10年間、週2回ほど、出社前の小一時間、読書を続けてきた。クリスマスの25日はこのスタバ閉店の日だった。20年の営業に幕を下ろす日、最後の朝カフェ読書をした。

*****


『日本近代随筆選  1  出会いの時』(岩波文庫2016年4月15日第1刷発行、2018年9月5日第4刷発行)を読み終えた。

森鷗外、北原白秋、幸田露伴、太宰 治、斎藤茂吉、正岡子規、永井荷風、中島 敦、井伏鱒二、夏目漱石、伊藤 整、寺田寅彦、中谷宇吉郎、湯川秀樹、朝永振一郎・・・。本書に収録されている42篇の随筆の作者は作家や詩人、科学者と多彩な顔触れ。

本書を買い求めたのは、柳田国男(国は本書の表記)の「浜の月夜/清光館哀史」が収録されているから。

11月10日、この日の午後、塩尻で行われた作家・関川夏央さんの講演を聴きに来ていた高校の同期生たちとカフェトークした。読書に話題が及び、Tさんからこの随筆が印象に残っていると聞き、読んでみたいと思ったのだった。驚いたことに、Kさんは中学生の時に谷崎の『痴人の愛』を既に読んでいたという。Iさんは浅田次郎をよく読むとのことだった。

*****

さて、「浜の月夜/清光館哀史」。

「清光館哀史」は高校の教科書に載っていたようだが、ぼくは全く記憶にない。本書の解説文に**戦後になって高等学校用「国語」の教科書にも採録されてよく知られるようになったけれど、(後略)**(330頁)とあるから、Tさんの記憶の通りなのだろう(*1)。

お盆。岩手の小子内という小さな漁村。
柳田國男の一夜の宿は清光館。
月夜。柳田は勧められて盆踊りを見にいく。
歌に合わせて踊っているのは女たちばかり。
歌詞が聞き取れない。
柳田が見物役の男たちに尋ねても誰も教えてくれない・・・。
翌朝。前夜に何も無かったかのように、早くから女たちは日々の暮らしに戻り、水汲み、隠元豆(いんげんまめ)むしりと、仕事をしている。

六年後。柳田は小子内を再訪する。
あの清光館は既に無かった・・・。
海難事故で宿の若い主人が亡くなり、女房は奉公に出て、子どもは引取られれ・・・。
六年前、盆踊りで聴いたあの歌。
何遍聴いてもどうしても分からなかった歌詞の意味。
年かさの一人が鼻歌のように歌ってくれた。

なにャとやれ なにャとなされのう

柳田が歌詞の意味を解く。

何なりともせよかし どうなりとなさるがよい

男に向かって呼びかけた恋の歌。

柳田の洞察。
**この日に限って羞(はじ)や批判の煩わしい世間から、遁(のが)れて快楽すべしというだけの、浅はかな歓喜ばかりでもなかった。忘れても忘れきれない常の日のさまざまの実験、遣瀬(やるせ)無い生存の痛苦、どんなに働いても尚迫って来る災厄、如何に愛しても忽ち催す別離(後略)**(102頁)

なぜ、宿の細君に歌詞の意味を尋ねても、黙って笑うばかりで教えてくれなかったのか・・・。洞察は続く。
**通りすがりの一夜の旅の者には、仮令(たとえ)話して聴かせてもこの心持は解らぬということを、知って居たのでは無い迄も感じて居たのである。**(103頁)

実に味わい深い紀行文。

柳田國男は民俗学者だが、優れた作家でもあった、と思う。

さて、次は『江戸東京の明治維新』横山百合子(岩波新書)。


*1 昭和40年から59年まで現代国語の教科書(筑摩書房)に採録されていたことが分かった。


「日本狛犬大全」

2024-12-24 | A 読書日記


『日本狛犬大全』荒 勝俊(さくら舎2024年)

 この本の新聞広告を見て即買いしていた。狛犬好きとして、関連本は読みたいと思っているので。著者の荒 勝俊さんは生物学、生物工学の研究者。30年ほど前に狛犬沼というそれこそ底なし沼にヌマって今日に至っておられるようだ。

関東、北海道・東北、中部、近畿・中国、四国・九州・沖縄と全国を5つのブロックに分け、各ブロックの個性的な狛犬を紹介している。その数270体。写真は全てカラー。

この本に書かれている狛犬の歴史を読む。**中国では皇帝の守護獣として獅子像が定着しており、それを見た遣唐使が日本に持ち帰ってきてから、宮中にその文化を持ち込みました。これが日本独自の「狛犬」のはじまりで、時期は平安時代中期から後期といわれています。**と書かれている。

このことについて、『新・紫式部日記』には次のような描写がある。彰子の出産。**中宮の出産ということで、土御門第には宮中から一対の獅子・狛犬が、中宮の御帳台の守護のため運び込まれた。**(114頁)この小説の作者・夏山かほるさんはもともと古典文学の研究者、このような文化的背景にも詳しい方なのだろう。

『日本狛犬大全』に戻ろう。

獅子、狛犬を見たことがない石工たちは想像をめぐらせ、造形したのだろう。掲載されている写真を見ると、実に多様な姿で楽しい。欲を言えば、文章をもっと減らし(って、それ程多くはないが)、文字サイズも小さくして、掲載写真をできるだけ大きく掲載して欲しかった。


 


「新・紫式部日記」を読む

2024-12-23 | A 読書日記

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朝カフェ読書@スターバックス松本笹部店(2024.12.22)

『新・紫式部日記』夏山かほる(第11回日経小説大賞受賞作 PHP文芸文庫2023年)を一気読みした。

**(前略)『源氏物語』が人気を博すにつれ、道長が権力を握るための深謀に巻き込まれることになり・・・。虚実の間(あわい)を大胆に描き、絶賛された〝極上の宮廷物語〟。**とカバー裏面の本書紹介文にある。

大河ドラマ「光る君へ」では賢子がまひろ(紫式部)と夫・宣孝との間に生まれた子どもではなく、道長との間に生まれた子どもという設定なっていて驚いた。だが、『新・紫式部日記』の設定はもっと意外なものだった。小姫(紫式部)は死産する。その後、信長に藤式部という召名を授かった小姫は女房として宮中に上がる。

**「扇を忘れて取りに戻ったが、思いがけず朧月夜尚侍のお出ましに遭遇したところだ」道長はそう言って、扇を持った藤式部の指にいきなり自分の手を重ねた。初めて触れたその掌は思いのほか熱かった(太文字化した)。
「お戯れを」
藤式部はさりげなく手を放そうとしたが、道長はより固く握りしめた。**(96頁) 太文字化したことばで道長が『源氏物語』をちゃんと読んでいることが分かる。

その後・・・。

体調を崩して里帰りしていた藤式部に乳母がささやきかける。**「小姫さま、もしや、おめでたではありませぬか」**(101頁)夫の宣孝はとうに亡くなっている。時が経ち、藤式部は無事出産する。生まれた子は当然女児、いや男児だった!。

ぼくはスタバでこの辺りを読んでいたが、思わず声をあげそうになった。生まれたのは女児ではないのか・・・。その後の展開はネタばらしになるので、ここには記さない。虚実の間(あわい)を大胆に描き、と紹介文にあったが、まさかこんなことになっているなんて・・・。

紫式部と清少納言が石山寺で偶然出会い、語らう。具体的には書かないが、この時の紫式部に対する清少納言の冷静な忠告が印象に残った。

この小説のトリッキーな展開をおもしろいと思うかどうか、評価は分かれるだろう。


積読状態解消のために、次は『日本近代随筆選  1 』(岩波文庫)を読もう。