透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「日本狛犬大全」

2024-12-24 | A 読書日記


『日本狛犬大全』荒 勝俊(さくら舎2024年)

 この本の新聞広告を見て即買いしていた。狛犬好きとして、関連本は読みたいと思っているので。著者の荒 勝俊さんは生物学、生物工学の研究者。30年ほど前に狛犬沼というそれこそ底なし沼にヌマって今日に至っておられるようだ。

関東、北海道・東北、中部、近畿・中国、四国・九州・沖縄と全国を5つのブロックに分け、各ブロックの個性的な狛犬を紹介している。その数270体。写真は全てカラー。

この本に書かれている狛犬の歴史を読む。**中国では皇帝の守護獣として獅子像が定着しており、それを見た遣唐使が日本に持ち帰ってきてから、宮中にその文化を持ち込みました。これが日本独自の「狛犬」のはじまりで、時期は平安時代中期から後期といわれています。**と書かれている。

このことについて、『新・紫式部日記』には次のような描写がある。彰子の出産。**中宮の出産ということで、土御門第には宮中から一対の獅子・狛犬が、中宮の御帳台の守護のため運び込まれた。**(114頁)この小説の作者・夏山かほるさんはもともと古典文学の研究者、このような文化的背景にも詳しい方なのだろう。

『日本狛犬大全』に戻ろう。

獅子、狛犬を見たことがない石工たちは想像をめぐらせ、造形したのだろう。掲載されている写真を見ると、実に多様な姿で楽しい。欲を言えば、文章をもっと減らし(って、それ程多くはないが)、文字サイズも小さくして、掲載写真をできるだけ大きく掲載して欲しかった。


 


「新・紫式部日記」を読む

2024-12-23 | A 読書日記

420
朝カフェ読書@スターバックス松本笹部店(2024.12.22)

『新・紫式部日記』夏山かほる(第11回日経小説大賞受賞作 PHP文芸文庫2023年)を一気読みした。

**(前略)『源氏物語』が人気を博すにつれ、道長が権力を握るための深謀に巻き込まれることになり・・・。虚実の間(あわい)を大胆に描き、絶賛された〝極上の宮廷物語〟。**とカバー裏面の本書紹介文にある。

大河ドラマ「光る君へ」では賢子がまひろ(紫式部)と夫・宣孝との間に生まれた子どもではなく、道長との間に生まれた子どもという設定なっていて驚いた。だが、『新・紫式部日記』の設定はもっと意外なものだった。小姫(紫式部)は死産する。その後、信長に藤式部という召名を授かった小姫は女房として宮中に上がる。

**「扇を忘れて取りに戻ったが、思いがけず朧月夜尚侍のお出ましに遭遇したところだ」道長はそう言って、扇を持った藤式部の指にいきなり自分の手を重ねた。初めて触れたその掌は思いのほか熱かった(太文字化した)。
「お戯れを」
藤式部はさりげなく手を放そうとしたが、道長はより固く握りしめた。**(96頁) 太文字化したことばで道長が『源氏物語』をちゃんと読んでいることが分かる。

その後・・・。

体調を崩して里帰りしていた藤式部に乳母がささやきかける。**「小姫さま、もしや、おめでたではありませぬか」**(101頁)夫の宣孝はとうに亡くなっている。時が経ち、藤式部は無事出産する。生まれた子は当然女児、いや男児だった!。

ぼくはスタバでこの辺りを読んでいたが、思わず声をあげそうになった。生まれたのは女児ではないのか・・・。その後の展開はネタばらしになるので、ここには記さない。虚実の間(あわい)を大胆に描き、と紹介文にあったが、まさかこんなことになっているなんて・・・。

紫式部と清少納言が石山寺で偶然出会い、語らう。具体的には書かないが、この時の紫式部に対する清少納言の冷静な忠告が印象に残った。

この小説のトリッキーな展開をおもしろいと思うかどうか、評価は分かれるだろう。


積読状態解消のために、次は『日本近代随筆選  1 』(岩波文庫)を読もう。


「枕草子」を読む

2024-12-22 | A 読書日記

420
『枕草子』清少納言  角川書店編(角川ソフィア文庫2001年7月25日初版発行、2024年9月20日70版発行)を読み終えた。

春は、曙。やうやう白くなりゆく、山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる(第1段 上掲書12頁)。

春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる(岩波文庫の『枕草子』から引用した)。(過去ログ

『枕草子』は複数の出版社の文庫に収録されていて、それぞれ表記が異なるようだ(全て確認したわけではないが)。ぼくはひらがなを多用した岩波文庫の表記が好きだ。きわめて主観的な私の印象だが、清少納言の美的感性をより感じるし、漢字表記だと硬くて、柔らかな印象から遠のくようにように感じるので。

清少納言がカメラを持って、美しいと感じる風景を撮ったらどんな写真になるだろう・・・。ぼくが全く気付かない美を風景に見い出すに違いない。

ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。人の齢(よはひ)。春、夏、秋、冬。(第245段 209頁)

清少納言はものごとを簡潔に、的確に捉える能力に長けていたことが分かる。平安の才女だな。


大河ドラマ「光る君へ」ではファーストサマーウイカさんが清少納言を演じた。『枕草子』を読んでいて時々、ウイカさんの顔が浮かんだ。



2月末までに読み終えたい本

2024-12-22 | A 読書日記


2月末までに読み終えたい本 Canon IXY650 最初のカット 2024.12.21

 未読本が溜まってしまった。

『日本近代随筆選 1 出会いの時』(岩波文庫2016年):高校の同期生TKさんが印象に残っているという柳田国男の作品「清光館哀史」が収録されている。
『天保悪党伝』藤沢周平(新潮文庫2001年)
『方舟さくら丸』安部公房(新潮社1984年):好きな安部公房作品。一番最後に年越し本として読むことにする。文庫はページがバラけてしまっているので単行本で読むことにする。
『江戸東京の明治維新』横山百合子(岩波新書2018年)
『戦後総理の放言・失言』吉村克己(文春文庫1988年)

『免疫力を強くする』宮坂昌之(講談社ブルーバックス2019年)
『日本狛犬大全』荒 勝俊(さくら舎2024年)
『鋳物』中江秀雄(法政大学出版局2018年):群馬のヤグラーさん紹介本
『イモと日本人』坪井洋文(未来社1979年)
『稲を選んだ日本人』坪井洋文(未来社1979年):こういう本は好き。

『日米戦争と戦後日本』五百旗頭  真(大阪書籍1989年):高校の同級生・IT君の紹介本。
『日本文化の多重構造』佐々木高明(小学館1997年):タイトル買い。


 


「紫式部」を読む

2024-12-21 | A 読書日記


スマホで撮った写真

『紫式部』清水好子(岩波新書1973年4月28日第1刷、2024年4月19日第18刷)

 『散華 紫式部の生涯 上 下』(中央公論社1991年)の著者・杉本苑子さんはあとがきで清水好子さんの『紫式部』(岩波新書)に触れ、啓発される所が多かった、と書いていた。それで、いつか読もうと思っていた。先日、松本の丸善で買い求めて、読んだ。

帯に**クラシックス 限定復刊 往年の赤版、青版、黄版から厳選**とある。このことから、本書が名著であることがわかる。

本書の章立ては次の通り。

序章
第一章 娘時代
第二章 旅
第三章 結婚
第四章 宮仕え
第五章 源氏物語の執筆
終章

鳴き弱る籬(まがき)の虫もとめがたき秋の別れや悲しかるらむ(9頁) 夜更けに別れを告げにきた友人に対して、別れを惜しだ歌。この歌を清水さんは次のように読み解く。

**止(とど)めがたく秋は去り、夜が明けると冬の朝になっていた。そのように、友の別れも止めがたい。涸れがれの虫の声も悲しいのか、声を振り絞って鳴く。「虫も」といったのは、自分も声が涸れるほど泣いたということをあらわにいわぬためである。「も」がそのような働きをする。折からの景物に託し、比喩がひとつひとつ、現実の人間関係や心情に符合して、まともな稽古の跡が見える歌である。**(11頁)

**友だちと、その離別が数多く歌われているのが式部の娘時代の歌の特色であり、そこに私たちは、彼女が青春時代とは何かということを正確に摑んでいたことを、また、青春の核心がいつの時代にも不変であることを知るのである。**(12頁)

長々と引用したが、このように清水さんは「紫式部集」に収録されている和歌を丁寧に読み解き、紫式部の生涯をたどる。

「そうなのか、このことばにはそんな意味が込められているのか・・・」と、読んでいて、何回も思った。清水さんが優れた研究者であったことが窺える、紫式部論。

以下私的メモ

第五章の「源氏物語の執筆」に次のようなことが書かれている。**薫と匂の宮の二人から逃れて尼になった浮舟が、夢の浮橋の巻で、薫にその存在を知られた段階で物語の終る意味が、浮舟の尼生活さえも、大政治家に成長した権門薫によって庇護され維持されることを暗示しているとしたら、作者は女の生き方について、すこしも曖昧な目測をしていなかったことが解るのである。**(171頁)

塩尻市広丘の「えんてらす」で今年(2024年)7月11日に行われた堀井正子さんの講演会(過去ログ)で、堀井さんに好きなヒロインを尋ねた。その際、私は「浮舟はどうでしょう」と尋ねた。堀井さんは答えの最後に「浮舟は尼として生きていけるのかな?「夢浮橋」ですからね・・・」という意味内容のコメントをされた。少し釈然としなかったが、上掲したように、同じような見解を清水さんが示していることに驚いた。

浮舟の生き方について再考を求められたように思う・・・。


12月25日を以って閉店するスターバックスなぎさライフサイト店。この店で朝カフェ読書ができる日もあとわずか・・・。


安部公房 最も初期の作品群と最晩年の作品を読む

2024-12-15 | A 読書日記

480 
**世界を震撼させた安部文学、その幕開け** **鬼才・安部公房  幻の遺作**

 安部公房生誕100年の今年(2024年)、最も初期の作品群と最晩年の作品が新潮文庫に収録され、同時期(*1)に刊行された。このようなことは個人全集ではあるだろうが(発表順に刊行する場合が多いだろうから全集でも稀かもしれない)、文庫では極めて珍しいだろう。この2冊を続けて読んだ。続けて読むことで分かることがあるだろう、と漠然と思ったから。

『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』の作品はなかなか晦渋だ。だが、そのことこそ安部公房の最初期の作品の特徴ではないか。

建築でも文学でも最初期の作品にはその後展開される作品群の萌芽があるものだ。処女作『(霊媒の話より)題未定』で、安部公房が問い続けた「人間の存在とは何か」というテーマを既に扱っている。

ゴツゴツした大きな石もゴロゴロと川を流れ下るに従って次第に角が取れて丸くなる。しかし石質は変わらない。未完の遺作『飛ぶ男』も石の譬えのように、テーマは変わらないが、表現が初期の作品と比べるとだいぶ滑らかになっていて、読みやすい。収録作「さまざまな父」は父親が透明人間になる薬を飲んで透明になる話だが、息子との会話はまさにそんな感じ。そして透明になるという設定は、存在するということと大いに関係がある。

3月に新潮文庫に収録された安部公房作品を読みはじめた。手元には既に絶版になっている作品(下表中*印の作品)も含めて23冊あるが、22冊読み終えた。残る1冊『方舟さくら丸』は年越し本にしたい。


新潮文庫23冊 (戯曲作品は手元にない。再読した作品を赤色表示する。)

今年(2024年)中に読み終えるという計画で3月にスタートした安部公房作品再読。12月15日現在22冊読了。新潮文庫に収録されている安部公房作品( 発行順)

『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月 

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月


*印の作品は絶版
『死に急ぐ鯨たち』は「もぐら日記」を加えて2024年8月に復刊された。


*1 
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月
『飛ぶ男』2024年3月


安部公房 あと3冊

2024-12-12 | A 読書日記



 新潮文庫に収録されている安部公房作品を全て読む。今年(2024年)3月からほぼ月2冊のペースで読んで来た。で、残りは以下の3冊になった。

『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月
『飛ぶ男』2024年3月
『方舟さくら丸』1990年10月

初期短編集と幻の遺作を年内に読了したい。 好きな作品『方舟さくら丸』を年越し本にするつもり。


 


「燃えつきた地図」を読む

2024-12-11 | A 読書日記

320
『燃えつきた地図』安部公房(新潮文庫1980年発行、2022年38刷)を読んだ。

物語をよく理解できないまま読み終えてしまった。

ドナルド・キーンさんは解説文に**(前略)『燃えつきた地図』の場合、前提から出発する発展は合理的ではなく、むしろ、いつの間にかメービウスの曲面のように、表裏の区別のつかない形になったり、又はポジがネガになるような過程になったりする。(394,5頁)**と書いている。失踪した男とその男の調査を依頼された興信所の男の関係を言い表しているのだろうか・・・。失踪者を探す男が次第に自分を見失っていく・・・。

安部公房はこの物語でも人間の存在とは何か、人間が存在するということはどういうことなのか、という根源的な問いかけをしている(のだと思う)。



**こうして、上から見下ろしていると、人間が歩く動物だということがよく分かる。歩くというより、引力と闘いながら、内臓を入れた重い肉の袋を、せっせと運搬している感じだ。**(17頁)

安部公房はこういう捉え方、表現ができるから、独特の文学的世界を創り出すことができ、読者を惹き付けるのだろう。ぼくはそう思う。

今回も読書メモと割り切り、これで終りにする。


新潮文庫23冊 (戯曲作品は手元にない。再読した作品を赤色表示する。*印の作品は絶版)今年(2024年)中に読み終えるという計画で3月にスタートした安部公房作品再読。12月10日現在20冊読了。予定通り今月中に読了したい。あと3冊!

新潮文庫に収録されている安部公房作品( 発行順)

『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月 ※1 

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月


※1 『死に急ぐ鯨たち』は「もぐら日記」を加えて2024年8月に復刊された。


「論理的思考とは何か」を読む

2024-12-07 | A 読書日記

320
 『論理的思考とは何か』渡邉雅子(岩波新書2024年)を読んだ。

筆者は論理的思考はひとつではないと指摘する。**領域ごとに異なる目的を達成するために最も適した思考法が存在するということである。**(終章「多元的思考」162頁)とし、目的に応じて異なる論理的思考方法を使いこなすことが重要だと説く。このことを意識することで、自分も考え方、説き方が変わるかもしれない・・・。

論より証拠。証拠(根拠)を以て論ぜよ、と常に言いきかせているが、本書が示すように対象の領域(テーマと言い換えてもよいだろう)によってその理路、即ち論理の道筋と結論そのもののあり方が変わるということを再認識した。



さて、次は安部公房の『燃えつきた地図』(新潮文庫1980年発行、2022年38刷)。


少しでも多く読書に時間を割きたいので、読書メモ的な簡単な記事に留めています。

 


「紫式部の実像」を読む

2024-12-05 | A 読書日記

320
『紫式部の実像 稀代の文才を育てた王朝サロンを明かす』伊井春樹(朝日選書2024年)を読んだ。

今日5日は積読状態の本を読むことに時間を割きたいので、ブログは時間をかけず読書メモ的に。

**紫式部の激しい口ぶりからすると、『枕草子』をかなり読み込み、むき出しの対抗心を燃やしていたと思われる。道長から宮仕えを求められた折、中宮彰子を、かつてはなやかだった定子文化サロン以上にし、具体的に清少納言をもちだし、匹敵する働きをするように厳命されたのではないかと思う**(291頁)と著者の伊井さんは論じ、さらに次のように続ける。**紫式部は必要以上のライバル意識を植え付けられ、その向かうところが『源氏物語』であり、中宮彰子の姿を描く『紫式部日記』であった。**(291頁)

人のこころの動きは今も1000年前も変わらないものだ。

清少納言と紫式部は同時期に宮仕えをしてはおらず、宮中で対面したことはなかったというのが一般的な見解ということだが(本書でもこのことに言及している。290頁)、大河ドラマ「光る君へ」ではこの点を変え、宮中で二人が会っていたことにしてドラマを展開していた。

**(前略)道長の出家のあたりになると、紫式部の姿はなく、その後の動向はまったくつかめない。**(318頁)とのこと。「光る君へ」ではこの空白期間を上手く使い、まひろ(紫式部)が大宰府へ旅をしたことにしている。

本書で紹介される清少納言のイメージは「光る君へ」でファーストサマーウイカさんが演じている清少納言とよく合っている。

**皇太后彰子の御所では、実資の「心寄せの人」は女房紫式部であったといえる。**(325頁) 実資の『小右記』の記述から読み解けるそうだ。そうだったのか・・・。本書の発行は2月25日。もっと早く読んでいれば、「光る君へ」の見方も変わっていたかも。


『枕草子』ビギナーズ・クラシックス 日本の古典(角川ソフィア文庫2001年7月25日初版発行、2024年9月20日70版発行)

紫式部もきっちり読み込んでいたという清少納言の『枕草子』。昔読んだ文庫本も橋本 治の桃尻語訳も書棚に見当たらず、新たに買い求めた。読まなくては・・・。






「水辺の環境学」「続・水辺の環境学」

2024-11-27 | A 読書日記


『水辺の環境学 生きものとの共存』『続・水辺の環境学 再生への道をさぐる』桜井善雄(新日本出版社1991年、1994年)

 友人のIT君から借りた上掲本2冊を読んだ。ともに30年も前に出版された本。水辺の環境保全の必要性を論じている。

そのころは治水という観点のみから河川改修が盛んに行われ、水辺の環境が大きく変わってしまうという結果を招いていた。著者はそのような状況を各地に取材し、環境保全という観点から課題を指摘している。そして、その解決策について、先進国であるドイツなどの事例を紹介している。

例えば「ブランケット」と呼ばれる河川改修について、著者は次のように紹介している。**ブランケットの造成は、漏水防止には有効な工法の一つであるし、また造成された平坦な高水敷は、野球グラウンド、公園、ゴルフ練習場などにも利用できる。しかし一方で、このような工法は、河岸帯の自然環境を広い範囲にわたって犠牲にすることも事実である。(後略)**(106頁)

これは長良川の下流域の事例。かつてここにはヨシやヤナギ類などの植物群落があり、付近の浅瀬には多種の水生植物の生育も確認され、魚類や野鳥たちの生活・繁殖の場所になっていたという。

『続・水辺の環境学』はサブタイトルが「再生への道をさぐる」となっている通り、環境保全を考慮せずに行われた治水のための河川改修によって失われた水辺の環境を取り戻すために、再び行われた河川改修事例の紹介。

治水から利水、そして環境保全へと大きく変化してきた河川の捉え方。今現在、どのように論じられているのか、勉強してみたい。


この辺で切り上げて、本を読まなきゃ。


安部公房の「砂の女」を読む

2024-11-26 | A 読書日記


 安部公房の『砂の女』(新潮文庫)の発行は1981年2月25日。この頃も安部公房を読んでいたから直後の1981年3月2日に買い求めて読んでいる。このブログを検索して、2008年12月、2020年12月にも読んでいることが分かった。ブログを始めた2006年より前にも読んでいると思う。

人間の存在を根拠づけるのもは何か、人間は何を以って存在していると言うことができるのか・・・。人間の存在の条件とは? 安部公房はこの哲学的で根源的な問いについて思索し続けた作家だったと、『箱』の読後に書いたが(2024.05.29)、『砂の女』にもこのまま当て嵌まる。

砂浜へ昆虫採集に出かけた男が、砂丘の大きな窪みの底の一軒家に閉じ込められる。脱出を試みる男と、男を引き留めておこうとするその家で暮らす女。蟻地獄的状況。最後に、男は脱出可能な状況になるが、脱出せずに女とともに留まる。その結果、男は失踪者となる。

この小説の最後のページに主人公の男・仁木順平を失踪者とするという審判結果が表示されている。奥さんの失踪宣告の申立に対する家庭裁判所の審判だ。

**(前略)不在者は昭和30年8月18日以来7年以上生死が分からないものと認め、(後略)(230頁)** 7年以上生死が分からないと死亡したものとみなされる。仁木順平は自らの意志で砂の穴の底の家で生きているのに。この小説のテーマがここに象徴的に示されている。

小説ではそのプロセスが描かれているが、なるほど、ありかもなと思わせ、説得力がある。安部公房の作品の中では読みやすい。


新潮文庫23冊 (戯曲作品は手元にない。再読した作品を赤色表示する。*印の作品は絶版)今年(2024年)中に読み終えるという計画で3月にスタートした安部公房作品再読。11月25日現在19冊読了。あと4冊!

新潮文庫に収録されている安部公房作品( 発行順)

『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月 ※1 

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月


※1 『死に急ぐ鯨たち』は「もぐら日記」を加えて2024年8月に復刊された。



「五色の虹」を読む

2024-11-12 | A 読書日記


『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』三浦英之(集英社文庫2017年)第13回  開高 健ノンフィクション賞受賞作。

 少し前のこと。塩尻の「本の寺子屋」で9月8日に行われた三浦英之さん(朝日新聞記者・ルポライター)の講演を聴いた。講演会場で講演内容とも重なる本書を買い求めた。他にも読む本があったために、なかなか読めなかった。

講演を聴くまで満州建国大学という大学があったことすら知らなかった・・・。

満州建国大学は日中戦争の最中(1938年)、日本が満州国に設立した大学。日本、朝鮮、中国、モンゴル、ロシアという五つ民族から選ばれたエリートたちが学ぶ。「五族協和」というスローガンを実践し、日本の傀儡国家を担う人材育成を狙うという国策大学だ。この大学は日本の敗戦に伴い満州国が崩壊したことで消滅する(1945年)。開学からわずか8年で。

本書はこの大学で学んだエリートたちの戦後のルポ。著者の三浦さんは国内はもとより、大連、長春、ウランバートル、ソウル、台北等に卒業生を訪ねる旅をする。

カザフスタンのアルマトイ国際空港。第六期生の元ロシア人学生のゲオルゲ・スミルノフさんと宮野 泰さんは65年ぶりの再会を果たす。
「スミルノフ!」「ミヤノ!」
宮野さんは5,000キロ離れた日本からはるばるカザフスタンまでやって来たのだ。再会のシーンには涙が出た。加齢とともにますます涙もろくなった。

アルマトイに残された日本人抑留者たちの墓参りをする宮野さん。その時のことを三浦さんは次のように書いている。

**「日本から来ました」という声だけが私の耳に届いた。
それが、宮野が「彼ら」にかけることのできる精一杯の言葉だったのだろう。(中略)六五年前、宮野もまた中央アジアのキルギスの地で、彼らと同じように生活していた。そして六五年後の今、土の中にいる人々と土の上にいる自分とを分けたものは、ほんの少しの偶然でしかなかったことを、彼は誰よりも知り抜いていたに違いない。(292頁 太文字化は私による)

生きるとはどういうことなんだろう・・・。生きているということはどういうことなんだろう・・・。


 


「大阪・関西万博「失敗」の本質」を読む

2024-11-07 | A 読書日記


ガラスの高層ビルを背にする東京駅 2024.11.03
ガラスは東京駅の外装の化粧煉瓦とは対照的で、時間の経過とともに表情が味わい深く変化していくということがない。 


 今月(11月)3日、友人と鎌倉に行く約束をして東京駅で待ち合わせしていた。待ち合せ場所は八重洲中央口改札。そのすぐ近くのカフェ(JAPAN RAIL CAFE)で『大阪・関西万博「失敗」の本質』松本 創  編著(ちくま新書2024年)を約束時刻の10分前まで読んでいた。読む時間があろうがなかろうが、本を常にリュックに入れて持ち歩いている。それは旅行の時も変わらない。

大阪・関西万博については、パビリオン建設が遅々として進んでいないことを時々メディアが報じている。それにしてもまだ開催前だというのに、本書ではなぜ「失敗」だと断じているのか。

私は万博には関心がなく(NHKの世論調査によると関心がない人は62%、読売新聞では69%に達したという。本書9頁)、会期中に出かけようとは思っていない。だが、本書が明らかにする万博の失敗の理由については知りたいと思った。

本書は次のように全5章から成り、各章異なる執筆者が担当している。

第1章 維新「政官一体」体制が覆い隠すリスク 万博と政治
第2章 都市の孤独「夢洲」という悪夢の選択 万博と建築
第3章 「電通・吉本」依存が招いた混乱と迷走 万博とメディア
第4章 検証「経済効果3兆円」の実態と問題点 万博と経済
第5章 大阪の「成功体験」と「失敗の記憶」 万博と都市

目次が示すように、政治、経済、メディア、都市、建築というテーマからこの万博を論じ、問題点を指摘している。万博の裏側の政治事情など、全く知らないし、その他のテーマについても知らないことばかりで、なるほど、そういうことなのかと、知ることも多く、勉強になった。

万博は2025年4月13日に開幕する予定だが、間に合うのだろうか。会期中に大きなトラブルは起こらないだろうか・・・。本書を読んで今まで以上に気がかりになった。

これからはメディアが報ずる万博に関する情報に注意するようになると思う。