■ 「火の見櫓のある風景 スケッチ展」が安曇野市豊科のカフェ、BELL WOOD COFFEE LABを会場に明日(30日)から始まります。
本日、スケッチを展示しました。2014年から今年にかけて描いた8点を展示する予定でしたが10点展示しました。
展示空間の大きさも壁面のニュートラルな白も私のスケッチとよく合っていると思います。普段天井のダクトレールから下げている大きめのコードペンダント(天井から吊り下げる照明器具)を外し、照明はスポットライトのみ。すっきりとした、得難い展示ギャラリーになりました。
会期は10月25日までです。週末土日の午後はカフェに居ります。カフェトークできれば幸いです。
■ 「ぼくはこんな本を読んできた」 このカテゴリーの最終、100稿目は北 杜夫の作品。
北 杜夫の作品は文庫本で38冊、単行本他でも同じくらい書棚にあるが、次の4作品を取り上げたい。
『どくとるマンボウ青春記』(中公文庫1973年6版)
『幽霊』(新潮文庫1981年29刷)
『木精』(新潮文庫1979年4刷)
『楡家の人びと 上下』(上:1978年16刷 下:1978年14刷)
『どくとるマンボウ青春記』過去ログ
**そうしたつまらない、そのくせ貴重なように思える数々の追憶も今は幻(まぼろし)となって、闇に溶けこんでいる。私は卒業生で、たとえ松本にいるにせよ、もはや松高生ではないのであった。たしかに、あれこれの変ちくりんな友人たちの姿は私のかたわらにすでになく、自分は借着のように身につかぬ大学生とやらになって、ただ一人、懐しさのこびりついた町を単なる外来者として蹌踉(そうろう)と歩いているのだな、と私は思った。**(173、4頁)
北杜夫はこういう表現が上手い作家だなあ、と改めて思う。私が惹かれるのは作品に漂うこの寂寥感。
『幽霊』過去ログ
『木精』過去ログ
**ぼくは椅子にかけた女に近づき、その腕を調べようとして、なにげなくその顔立ちを見た。すると、幼いころから思春期を通じて、ぼくが訳もなく惹きつけられていった幾人かの少女や少年の記憶が、たちまちのうちに、幻想のごとく立ちのぼってきた。あの切抜いた少女歌劇の少女の顔にしても、たしか片側は愉しげで、もう一方の片側は、生真面目な、憂鬱そうな顔をしてはいなかったか。その女性―まだ少女っぽさが残っている彼女の顔は、あの写真の片面同様、沈んで、気がふさいで、もの悲しげだった。**(33頁)
ぼくはブログにこの件を何回も載せた。
『楡家の人びと』過去ログ
下巻のカバー折り返しに三島由紀夫の書評が掲載されている。その一部を抜粋する。
**戦後に書かれたもっとも重要な小説の一つである。
これほど巨大で、しかも不健全な観念性をみごとに脱却した小説を、今までわれわれは夢想することもできなかった。
これは北氏の小説におけるみごとな勝利である。これこそ小説なのだ!** 三島、激賞。
本稿を以って「ぼくはこんな本を読んできた」を終了するが、総括的な一文を別稿で書きたいと思う。
安部公房、夏目漱石、北 杜夫、この3人で文庫本80冊。 131
■ 夏目漱石の作品は手元に文庫で23冊ある。その中から1冊を挙げるなら、私は『吾輩は猫である』だ。
『吾輩は猫である』夏目漱石(角川文庫 左:1966年18版 右:2016年改版121版)
猫という第三の眼を設定して漱石自身をほかの友人たちと同列に置き、客観的に自己観察している点がこの小説、漱石のすごいところ。
この作品は漱石38歳の時のデビュー作。ストーリーらしいストーリーがあるわけではなく、苦沙弥先生の自宅を訪ねてくる友人たち(迷亭、寒月、東風、独仙ら)を猫が観察し、彼らが交わすさまざまな会話を論評するという趣向。彼らの会話にはユーモアがあるし、単なる与太話ではもちろんない。この作品の魅力は彼ら知識人の会話そのもの。
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■ 「ぼくはこんな本を読んできた」 最後の3稿は安部公房、夏目漱石、北 杜夫、この三人の作家の作品にしようと少し前から決めていた。手元にある文庫本の少ない作家から順番に掲載したい。
安部公房の作品は単行本で何冊か、文庫本では19冊あるが、その中からあえて3冊、3作品選ぶとすれば、次の作品だ。
『砂の女』(新潮文庫1981年発行)
『方舟さくら丸』(1990年発行)
『箱男』(新潮文庫1998年31刷)
更にこの中の1作品となるとやはり『砂の女』かな。例によってこの文庫のカバー裏面の紹介文から引く。**(前略)ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のなかに人間存在の象徴的姿を追求した書下ろし長編。20数カ国語に翻訳された名作。**
何作も文庫化されていて、よく読んだ作家は他に大江健三郎や川端康成、三島由紀夫、松本清張、司馬遼太郎、藤沢周平、吉村 昭、南木佳士、村上春樹・・・、と少なくないが、この先再読するとすれば誰だろうと考えた結果、先の三人を残したという次第。
『方舟さくら丸』:核時代の方舟に乗ることができる者は、誰と誰なのか? 現代文学の金字塔。
『箱男』:読者を幻惑する幾つものトリックを仕掛けながら記述されてゆく、実験的精神溢れる書下ろし長編。
カバー裏面の作品紹介文より。
安曇野市豊科吉野にて 撮影日2020.09.26
◎ マンホール蓋を撮り歩く趣味の人は多く、全国的に撮り尽くされている、と思う。大きさが決まっている円形の面、という制約がある中で、何をどのように表現するか・・・。デザイナーがあれこれ考えて創作した作品を観るのは楽しい。
私はマンホール蓋を撮る際、背景に火の見櫓を入れるという条件を課している。この様にしてニッチな世界に入り込んでいる。既に豊科のマンホール蓋もこのような条件で撮っている(過去ログ)が、カラー蓋はまだ撮っていなかったようだ。
このカラー蓋は今月(9月)30日から始まる「火の見櫓のある風景 スケッチ展」の会場、BELL WOOD COFFEE LABのすぐ近くで見つけた。
長野県内の各自治体で設置しているマンホール蓋のデザインのモチーフについて調べたことがあるが、植物と動物で56%、5割を超えている。山や川などの自然を加えると67.3%、7割近くになっている。豊科のマンホール蓋は犀川白鳥湖の白鳥、バックは常念岳。やはりこの中に入る。
BELL WOOD COFFEE LABの近くにこの火の見櫓が立っているが、残念ながらこの火の見櫓を背景に入れてカラー蓋を撮ることはできなかった。カラー蓋の場合には上記の条件は解除してはいるが。
安曇野市では合併前の町村のマンホール蓋をそのまま使っているが、新しいマンホール蓋のデザインを公募し、採用案を決めている。徐々に新しいデザインの統一蓋に替えていくことになるだろう。
■ レイ・ブラッドベリの『華氏451度』が映画化されていたことを知り、DVDを借りて観た。
本を読むことも所有することも禁じられた社会が舞台。隠匿されている本を探し出し、消火器ならぬ、昇火器で焼くことを仕事にしている昇火士(ファイアマン)のモンターグが主人公。偶然知り合った女性、クラリスによって本があること、本を読むことの意義に気づかされたモンターグが取った行動とは・・・。
知的美人のクラリスとモンターグの妻・リングを一人二役で演じたジュリー・クリスティ。既視感のある女優だな、と思って調べると「ドクトル・ジバコ」でラーラを演じていた。
本を所有することが禁じられている社会で、物語を暗記している人々が映画のラストに出てくる。物語を暗記している、と言えば古事記の稗田阿礼が浮かぶ。古事記は稗田阿礼が暗記していた物語を太安万侶が筆録したもの。
『華氏451度』を読むか、映画「華氏451」を観るか。どちらもおすすめしたいと思う。
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■「ぼくはこんな本を読んできた」 このカテゴリーに載せる記事は本稿を含め、あと4稿。最後に取り上げる作品をあれこれ迷った。で、本稿は『文学と私・戦後と私』江藤 淳(新潮文庫2007年10刷改版)にした。
江藤 淳の随筆集のカバーデザインはもっと落ち着いた感じのものが合っているのではないかと思うが、このデザインには何か意図するものがあったのだろう。
あとがきには次のような件がある。**この戦後の二十八年という歳月のあいだに、私も人並の苦労はして来たような気がする。そういう私が、今までどうやら生きて来られたのは、文学というもののおかげであり、とりわけていえば、文章を書くという行為のなかに、喜びを見出して来たためだったような気がする。
そして、どんな文章を書くのが愉しいといって、随筆を書く喜びにまさるものはない。(後略)**
江藤 淳の作品では既に「夏目漱石」を取り上げているが(過去ログ)、このような論考は気楽に書けるものではないということは容易に分かる。比して筆に任せて書くことは、楽しいだろうなぁ、と思う。
**自身の文学への目覚め、戦後の悲哀を喪失感。海外生活について、夜の紅茶が与える安息、そして飼い犬への溺愛――。個人の感情を語ることが文学であるという信念と、その人生が率直に綴られた、名文光る随筆集。**(カバー裏面の本書紹介文からの引用)
本書の初版:1974年
■ 今日(25日)届いた封書には上掲の書類が同封されていた。日本自費出版文化賞に応募していた『あ、火の見櫓!』の入選が決まったという知らせだった。入賞することはできなかったが、結果に満足している。
11月28日に東京で開催予定だった表彰式の中止の知らせも。表彰式をしない代わりに、誌上表彰式となるような記念冊子を制作し、配布することしたと書類に記されている。どんな冊子か、楽しみにしていよう。
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■ 今日(24日)の朝カフェ読書でしばらく前に購入した『巨人たちの星』ジェイムズ・P・ホーガン(創元SF文庫2017年46版)を読み始める。460ページ超の長編で海外の作品、しかもSFとなると読み始めるのにはそれなりの気構えというか覚悟(大袈裟か)が必要だ。まあ、読書の秋だから、大作を読むのも良いだろう。
**冥王星の彼方から届く〈巨人たちの星〉のガニメアンの通信は、地球人の言葉と、データ伝送コードで送られていた。ということは、この地球はどこからか監視されているに違いない。それも、もうかなり以前から・・・!
50000年前に月面で死んだ人々の謎、月が地球の衛星になった謎、ミネルヴァを離れたガニメアンたちの謎など、前2作の謎が見事に解き明かされる、シリーズ第3作!** (カバー裏面の本作紹介文からの引用)
前2作を読んでいるので、この作品を読まないわけにはいかない。まあ、逆に前2作を読まずして本作だけを読むというのは無し、かな・・・。
「読まずに死ねるか本」の1冊、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』ハヤカワ文庫
■ 思考実験は何も理系的な課題・内容ばかりではない。小説もまた思考実験の所産、ということができるだろう。
『華氏451度』を読んだのは2019年の7月。このSF小説のことを知ったのはたぶん大学生の頃。あるいはその時にざっと読んだのかもしれないが、記憶に無い。
本を所持することも読むことも禁じられた社会。主人公はファイアマン(消防士ではなく、昇火士)。隠匿されている本を昇火器で焼き尽くすのが仕事。こんなディストピアで人はどうなるのか、生きていくことができるのか・・・。
読書離れが指摘されて久しい。最も多読な4年間を過ごすはずの大学生ですら本を読まなくなって、部屋に書架も無ければ蔵書もないという現実。現代社会はブラッドベリが風刺した社会になりつつあるのではないか・・・。
2019年7月15日「本が好き」の記事 再掲。 96稿目、あと4稿・・・。
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■ 図書カードで『本所おけら長屋 十一』畠山健二(PHP文芸文庫2020年第1版第6刷)を購入。さっそく読み始める。この巻に収録されている5編の短編のタイトルもやはりひらがな5文字。
「こまいぬ」
**「吉五郎、見事な出来だったぜ。腕を上げやがったなあ」
お澄の頬を涙が伝う。
「おとっつぁん。この人はね、おとっつぁんに認めてほしくて、寝る間も惜しんで修行に励んできたんです。その一心で・・・」**(61頁)
名人と謳われた石工・貫助が狛犬を彫らなくなったのには理由(わけ)があった。その貫助と弟子の吉五郎が弁天社に納める一対の狛犬を彫るに至るまでの経緯、本所おけら長屋の住人・松吉と万造の奮闘ぶりが語られる。
今日は一日読書三昧、でもないか。他にすることがあるなぁ。
1248 松本市和田(JA松本ハイランド和田支所近く)3脚86型 撮影日2020.09.21
■ 中型の火の見櫓。生活道路沿いの敷地、駐車スペースの奥に詰所があり、その横、やや後方に火の見櫓が立っている。このような立地のために、残念ながら火の見櫓のある風景の写真を撮るような構図にはなっていなかった。
で、いきなり全形の観察。屋根と見張り台の大きさのバランスが良い。なだらかにカーブする末広がりのフォルムの櫓はやはり好ましい。
屋根頂部、風向計付きの避雷針の貫通部には半球状の冠蓋(かんがい)。3本の柱で8角形(*1)の屋根を支える一般的な方法、即ち柱で直接屋根を支えるのではなく、水平部材を介して支える方法を採っている。センターを外して半鐘を吊り下げてある。見張り台の床面に赤いモーターサイレンを設置してある。床面の出隅を反った方杖で突いている。
踊り場の様子。梯子の切り替え。梯子の側木の上端をまるく面取りしてあり、細やかな配慮が見て取れる。
脚部の様子。大きな円弧状の部材で脚を相互に繋いでいる。
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まだまだ近くに見ていない火の見櫓が何基もありそうだ。
*1 四角形、八角形と表記するのが一般的だが、このブログでは4角形、8角形などと表記している。
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『君たちはどう生きるか』吉野源三郎(岩波文庫2018年第83刷発行)
■ およそ1,400冊あった文庫本、今年5月の減冊で250冊になった。残った文庫本は20代、30代のころ読んだものが多いが、この本を読んだのは一昨年、2018年の5月のことだ。
巻末に著者が書いた「作品について」という文章が収録されているが、それによると「君たちはどう生きるか」は1937年に出版されたという。岩波文庫に加えられたのが1982年。以降、版を重ねて手元にあるのは第83刷。何回も同じことを書くが、名著は読み継がれる。
**著者がコペル君の精神的成長に託して語り伝えようとしたものは何か。それは、人生いかに生くべきかと問うとき、常にその問が社会科学的認識とは何かという問題と切り離すことなく問われねばならぬ、というメッセージであった。(後略)**(カバーにある本書紹介文からの引用)
「ぼくはこんな本を読んできた」 本稿が95稿目。このカテゴリーは100稿で終わりにすると決めているので残すところあと5稿。
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松本市笹賀にて 2020.09.05
■ 旅行先でスケッチをするとすれば、線描から着色まで30分くらいにしたい。このことを意識して描いてみた。実際には線描に20分、着色に30分かかっている。
後方の山に余分な線を描いてしまった。電線、雲・・・。気になる線がいくつもある。まあ、スケッチには可もあれば不可もあるさ。
9月6日の記事 再掲
■ 「火の見櫓のある風景 スケッチ展」の会場となる安曇野市豊科のカフェ、BELL WOOD COFFEE LAB。都会的でおしゃれな外観・内観。
スケッチを掛ける壁面は白。この塗装仕上げのニュートラルな壁面だと、どんな作風の作品でも引き立つと思う。壁の仕上げや色が作品をディスターブしないというのは欠かせない条件。もちろん例えばワインレッドの壁によく合う絵画だってあるだろうが、私のスケッチはそのような「強い」壁面には負けてしまう。この白い壁に掛けられる額装したスケッチ、その様をイメージする。なんだか良さそう。
10月15日(木)の夜はここでギャラリートーク。まだ先のことだが、既に何人か申し込みをしていただいたようだ。キッチリ準備をしなくては。
■ 会期:9月30日(水)~ 10月25日(日) 10:00~18:00 月・火曜日休み
■ 会場:BELL WOOD COFFEE LAB 0263-75-3319