透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

続「潮鳴り」葉室麟

2016-06-29 | A 読書日記

■ **「昔のことなど忘れなさい。女子は昔など脱ぎ捨てて生きるのです。それは武門の覚悟も同じなのですよ。昔、どのような手柄を立てようが、いまの戦場で働かねば武士とは申せません。かつてどのような失態を演じたにしろ、いまの戦でご主君をお助けする者こそ天晴(あっぱれ)な武士なのです。たったいまを懸命に生きてこそ武門です。(後略)**(300頁)

これは櫂蔵の継母・染子がお芳に語る言葉だが、この言葉こそ葉室麟の読者に向けてのメッセージと解して良いだろう。サラリーマンに向けての言葉に翻訳することは容易だ。

それにしてもお芳には幸せになって欲しかった・・・。物語の構成上お芳の死は必然かもしれないが。


**湊の 店で酒の相手をしてくれたお芳の顔にはいつもさびしげな笑顔があった。そのせつないほどのさびしさに惹かれたのだ。**(331頁) 

さびしげな笑顔に惹かれるというのは私にはよくわかる。


 


読まねばならぬ

2016-06-28 | A 読書日記


『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス/紀伊國屋書店

■ 読んでいて心ズキズキワクワク、笠置シズ子の歌のようになる本ではないが、少しずつ読み続けている。今さら義務感で本を読むこともないが、この本はそんな感じで読んでいる。そう、読まねばならぬ、という気持ちから。


『華氏451度』レイ・ブラッドベリ/ハヤカワ文庫   購入日160630

このSFも読まねばならぬ、と思っている作品。いつか読もうとおそらく学生のころから思っていて、まだ読んでいない。

本を読むことを禁じられた未来社会が舞台の作品。SF界きっての抒情詩人と呼ばれるレイ・ブラッドベリが現代文明を鋭く風刺した不朽の名作、という評価が定着している。

読んでおもしろいのかどうか・・・、夏休みまでには読みたい。


 


「潮鳴り」葉室麟

2016-06-27 | A 読書日記



 『潮鳴り』葉室 麟/祥伝社文庫を読み終えた。

主人公の伊吹櫂蔵は勘定方を務めていたが、大坂商人との大事な宴席での失態がもとでお役御免となる。その後、家督を異母弟に譲り、海辺の粗末な漁師小屋で物乞い同然の暮らしをしていた。

そしてお芳。足軽の娘だったお芳は父親が病に倒れたことから料理屋で働かなくてはならなくなった。お芳は心奪われた若い藩士にもてあそばれ、金を貢がされた挙句、**「江戸詰めになったゆえ、もう会えぬ」**とあっさり別れを告げられる。その藩士が自分だけではなく、何人もの女を慰み者にしていたことが分かってから、料理屋で言い寄る男たちに体を売るようになる。

櫂蔵もお芳の店に入り浸って酒を飲み、お芳と床に入る。賭場にも出入りして、実家から送られてくる金は泡と消える。

**「わたしは襤褸蔵と蔑まれるまで堕ちた男だ。だから、世間など怖くはない。これからは、襤褸蔵の意地を見せて生きてやろうと思う。そして、お芳が言った、落ちた花は二度と咲かぬという世の道理に、抗ってやろうと思う。だから頼む。わたしのそばにいて、この闘いの行く末を見届けてくれぬか」**(88頁)

櫂蔵がお芳に女性に向かって言うこの言葉にこの小説のテーマが集約されている。

櫂蔵のこの言葉にお芳は**「咲きゃしませんよ。どんなにしたって、一度落ちた花が咲くもんですか。わたしにはわかっているんです」**(88頁)と答える。

櫂蔵とお芳に加えてもうひとり、俳諧師の咲庵。もとは江戸の呉服問屋の大番頭を務めていたが、店を辞め、妻も子も捨てて江戸を出た男。

櫂蔵は捨ててしまった武士としての矜持を取り戻すことができるのか、悪の陰謀にはまり自死した弟の無念を晴らすことができるのか、お芳とともに咲かないはずの花を咲かすことができるのか・・・。

櫂蔵は継母染子の暮らす伊吹屋敷にお芳と咲庵とともに帰る。櫂蔵は弟に代わり家督を継ぎ、新田開発奉行並として出仕することになる。それから弟の自死の真相を探り始める。次第に明らかになる藩の暗部・・・。 

**「(前略)見るからにその女子は商売女ではありませぬか。さような者を家に入れることができると、本気で思っておいでですか」**(101頁)から始まる継母染子とお芳との関係の推移も読みどころ。その結末は書かない。


 


時には下を向いて街中を歩こう

2016-06-25 | B 地面の蓋っておもしろい











松本市内 撮影日160625

◎ 凡そ世の中のもので人の趣味の対象になっていないものなどない。

今どき犬が街中を歩いたって棒に当たることなどないだろうが、マンホール蓋はちょっと街中を下を向いて歩けばいくらでも見つかる。

マンホール蓋は種類が多く、いろんなデザインのものがあるから日常生活の中や旅行先の街中で見つけたものを紹介するブログも数多い。

ところで、火の見櫓の脚元に防火水槽を設置してあるところも少なくない。今まで火の見櫓を見上げていた視線を脚元に落としてその存在を意識するようになった。

時には下を向いて街中を歩いて路上の蓋を観察してみたい。観察してみると漫然と見ていた時には見えなかったものが見えるようになり、今まで気づかなかったことに気がつくようになるだろう。そう、火の見櫓の場合と同様に。

観察の視点が定まってきたら、それにふさわしい写真を撮ることができるようになるだろう。 それまでは試行錯誤を重ねる他ない。



 


里山辺下金井の防火貯水槽の蓋

2016-06-25 | B 地面の蓋っておもしろい



 前稿に取り上げた火の見櫓の脚元の防火水槽の蓋 撮影日160625

蓋の中央の〇の中に松本市の市章を入れているが、市章が円いのでぴったりおさまっている。

松本市のホームページには昭和13年制定の市章について次のように説明されている。**外側の円は陽春の若松をあらわし、市の将来の円満な発展を象徴しています。円の中心は「本」の字によって六合をあ らわし、宇宙に本市の光輝発揚をねがい、形は雪の結晶をあらわしています。また突起の部分は北アルプスの山岳を意味し、六角は松本藩6万石の歴史的意味、あるいは旧藩主戸田氏の六星紋所の意味もふくまれています。**

なるほど、いろんな意味を込めたデザインなんだなぁ。


 


630 松本市里山辺下金井の火の見櫓

2016-06-25 | A 火の見櫓っておもしろい


630 松本市里山辺下金井 撮影日160625

■ 下金井集落内の生活道路の辻に立っている火の見櫓。3角形の櫓に6角形(6角錐)の屋根、6角形の見張り台はごく一般的な組合せ。櫓内に設置された梯子の段数と間隔から見張り台の床までの高さを約7.5mと推測した。屋根頂部までの総高は約11mとなろう。



屋根頂部の大きめの「団子」はこのあたりの火の見櫓ではなじみ。下り棟先端に蕨手は無い。5つのスピーカーが半鐘を囲むかのように設置されている。強度的に大丈夫かな、と思わせるような頼りない感じの手すり。


脚部。第一横架材の中央部と柱材の下端部を斜材でつないでいるだけの簡素なつくり。部材接合は溶接。





柱材とガセットプレートとはリベット接合、横架材とガセットプレートとはボルト接合。注目はブレース端部。ガセットプレートとボルト接合しているが、これは珍しいかもしれない。ガセットプレートの孔にブレースの端部を曲げて通して、ただひっかけてあるだけのものが多いように思う。

この火の見櫓ではリベット接合とボルト接合、それから溶接と3種類すべての接合方法が採られている。


南信のヤグラー・それがしさんのブログから情報を得て、里山辺の火の見櫓巡りをした。それがしさんに感謝。


― 中尾彰「村の坂道」に描かれた火の見櫓

2016-06-25 | A 火の見櫓っておもしろい

 6月23日付信濃毎日新聞朝刊の17面に長野県内の展覧会・イベント情報が掲載されているが、そこに「村の坂道」中尾彰/1969年が紹介されている。その絵の中に火の見櫓が描かれていることに気が付いた。火の見櫓センサー、感度良好なり。



茅野市美術館のホームページを見ると現在開催中の「地域をみつめる 紡ぐ」展のチラシが載っていて、チラシにもこの絵が使われていた。



茅葺きの民家や白壁の蔵などから成る集落に火の見櫓が立っている。単純化した民家、緑の集落の坂道、白い火の見櫓が際立つ。

*****

中尾彰(なかおしょう 1904-1994)は島根県津和野町の生まれの画家、詩人。

1953年に茅野市の蓼科高原にアトリエを建て、以後一年の半分近くを過ごしたということだから、「村の坂道」は茅野の風景かもしれない。茅野は火の見櫓も多い。後方の青い山は単純化した八ヶ岳? さて、ここは一体どこだろう。この火の見櫓は今でも立っているだろうか・・・。





― 盛岡市紺屋町の番屋

2016-06-24 | A 火の見櫓っておもしろい


 盛岡市紺屋町 撮影日160610

 先日同僚のI君が盛岡に出かけた際、この消防番屋の写真を撮ってきてくれた。大正2年に建設されたという木造の望楼付き番屋。望楼は平面が6角形で、壁面は下見板張りペンキ仕上げ。



番屋の隣には消火ホース乾燥塔が立っている。さすが、I君はポイントを押さえて撮影している。



望楼のてっぺんには半鐘が吊り下げてある。

この番屋は以前にも取り上げた。その時はKさんがこの番屋の写真を撮ってきて来てくれた。

春の東北、火の見櫓巡りか、いいな・・・。


写真は適宜トリミングした。 


ねずみと球状黒鉛

2016-06-24 | B 地面の蓋っておもしろい


松商学園高等学校(松本市県) 撮影日130419 

◎ マンホール蓋には強度(例えばT8)や仕様(例えば密閉型)の違いにより何種類かあることは知っていたが、鋳鉄の種類にまでは関心が及ばなかった。

下の表(カネソウのカタログからの転載)にはねずみ鋳鉄と球状黒鉛鋳鉄の2種類が載っている。「ねずみ」と「球状黒鉛」という名称か・・・、系統だって付けられた名称ではなさそうだ。まあ、ものの名称なんて、あらかじめ総体を把握したうえで体系的に付けられているわけではないから、驚くこともないか。

どうやら蓋は球状黒鉛鋳鉄(FCD)、枠は強度的にはそれほど必要ないのでねずみ鋳鉄(FC)という組合せになっているようだ。なるほど。


(カネソウ総合カタログ2016版より転載させていただきました)


 


古今東西の「東西」って・・・

2016-06-24 | A あれこれ




 昨晩(23日)、上掲の記事を偶々目にした。この「解説しているページ」というのが私のブログの記事(*)だった。 ベストアンサーとして取り上げられているのはうれしい。

小1の子どもさんが私と同様の疑問を持ったそうだ。いや、私が子どものような気持で同様の疑問を持ったということか・・・。これもうれしい。


* 解説記事として以下の2稿が紹介されている。 

記事1

記事2

ブログを書いていると予想もしない出来事が・・・。





防火水槽の蓋(桔梗荘)

2016-06-23 | B 地面の蓋っておもしろい


桔梗荘(塩尻市広丘郷原)撮影日160622

 発散型人間故、火の見櫓関連で防火水槽の蓋につい注目してしまった。世の中、いろんな趣味の人がいるけれど、マンホール蓋に魅せられた人も少なくないようで、検索してみると多数ヒットする。「路上の芸術品」として観れば楽しいかも。

昨日所用で出かけた塩尻市内の特別養護老人ホーム 桔梗荘の敷地内で見かけた防火水槽の蓋。

自治体が設置した防火水槽ではない。この蓋はメーカー既製品で消防章の真ん中の〇の中に消という漢字が入っている。


とりあえず新たに「路上の蓋」というカテゴリーを設置しておく。



 


「現代建築のトリセツ」

2016-06-22 | A 読書日記


『現代建築のトリセツ』松葉一清/PHP新書

 リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』を中断し、建築評論家・松葉一清さんの『現代建築のトリセツ』をここ数日間読んでいた。

**ヨーロッパの都市において、「現代建築」が市民の議論の洗礼を受けて、やがてはその街に定着し、歴史的な資産とともに、今日の文明となっていくのを目の当たりにするのは、決して珍しいことではありません。それは「流行」とは異なる世界です。
日本の現代建築もそうあるべきです。そして、そのために、まずは市民が、そして建設の旗振り役となる政治家や経済人が、さらに公金としての税金を建設に投じる公務員が、もっと建築に対する「目を肥やす」必要を痛感します。**262頁 松葉さんは巻末の「おわりに」代えて にこのように書いている。

市民の現代建築への疑問に丁寧に
答えること、これが本書を書いた主たる目的。とすれば本書は現代建築観察ガイドブックといったところ。

ヨーロッパやアメリカの市民は建築に対する知識が深く、関心も高いことから、新しい建築のデザインに異を唱えることもしばしばだと聞く。市民がデザインを了解しないことには、計画が前に進まないという。比してこの国の状況は、上掲文から明らか。

アメリカでは建築に関する教育プログラムがきちんとしていて、建築について子どものころから広く学習するようだ。この国でも環境教育(その実情を知らないが)の一環として、建築について学ぶ機会をつくるべきだろう。


 


「青い猿の夜」

2016-06-21 | A あれこれ

 知人が最近ブログを始めた。絵の才能があって公募展に入選したり、個展を開いたり、確か漢詩が好きで、算命学やチャクラにも関心がある知人。ブログのタイトルは「青い猿の夜」。

青い猿? 何それ? 本人に訊いた。マヤ暦に関する言葉だそうだ。

知人は精神世界というか、スピリチュアルな世界というか、どうやらそのような世界に関心があるようだ。で、第1稿には瞑想ツアーに出かけた時の様子を詳細に書いている。

これからブログでどんな世界を展開するのだろう・・・。自分と趣味というか関心事の重なるところが少ない人のブログを読むのも意義深い。