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■ 国道153号を塩尻市街に向かって車で走っていてこの火の見櫓に気がついた。狭い生活道路を通って何とか火の見櫓の前まで行くことができた。スレンダーな櫓だが、上方に向かって逓減していないといまひとつ美しくない。反りのついた6角錘の屋根は形が整っていて美しい。屋根の下に半鐘とサイレンが吊り下げてある。
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■ 国道153号を塩尻市街に向かって車で走っていてこの火の見櫓に気がついた。狭い生活道路を通って何とか火の見櫓の前まで行くことができた。スレンダーな櫓だが、上方に向かって逓減していないといまひとつ美しくない。反りのついた6角錘の屋根は形が整っていて美しい。屋根の下に半鐘とサイレンが吊り下げてある。
■ 塩尻市洗馬、太田地区の火の見櫓の脚元に庚申塔と青面金剛像、道祖神が祀られていた。
▲ 碑の裏面に安政七年三月と彫り込んであった。大老井伊直弼が江戸城桜田門外で暗殺されたのも同年同月だ。この月に年号は万延と改められた。この年の西暦が1860年ということは大江健三郎の小説『万延元年のフットボール』で覚えている。で、この年の干支はやはり庚申(こうしん、かのえさる)。庚申塔の文字は皆達筆だが、この行書もやはり達筆だ。
今では冠婚葬祭のときにかろうじて筆で文字を書くくらいだが、江戸時代だと日常的に筆文字を書いていたわけだから、当然書きなれていただろうし、上手い人も多かったのだろう。自宅の近くには寺の住職が書いた庚申碑があるが、このころも事情は今と同じなのだろうか・・・。
▲ 庚申塔と青面金剛像 この庚申塔の建立年は不明だが、とても古そうな気がする。右の青面金剛像の下には三猿が彫られていることが多い。二猿も見られると手元の資料にある。この像も二猿。
ところで、青面金剛は不動明王と姿がよく似ていることに最近気がついた。共に背にする火炎、憤怒の相。関連があるのかもしれない。
▲ 高さ80センチくらいの双体道祖神。摩耗していて男神と女神が正面を向いているのか、お互い見つめあって、抱擁しているのかよく分からない。足元の様子を見ると正面を向いていると思われるが・・・。
塩尻の「えんぱーく」でこの本を少し読んでみた。道祖神と庚申塔について解説した古い本。この本によると道祖神と庚申塔との習合が見られるという。道祖神は猿田彦だという説と庚申の申(さる)で、ともにさるということに由来するのだそうだ。
10月の後半の連休に時間を割いてこの本をきちんと読みたい。石仏・石神に関する知識を少しでも増やして、観察したい。この繰り返しが必要だ。
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■ 久しぶりに夕方まで特に用事のない休日。ならば、と塩尻市内の火の見櫓を見に出かけた。秋空がすばらしく青い。
6角錘の屋根は上方に引き伸ばされかのよう。表面がつるりんちょな半鐘が吊り下げてある。
特徴的な脚部。体操で大きく脚を開く動作をしたかのような姿。脚の付け根から櫓身へ連続的にカーブを描くようならいいのだが・・・。
■ ざっくりと言えばカテゴリーを問わず、興味の対象は美しいものと珍しいものだろう。多々ある同類のものの中で、やはり美しいものには心惹かれる。それからいままで見たこともないもの、個性的なものにもやはり惹かれる、というか興味を覚える。火の見櫓然り。
433 塩尻市堀の内
■ これは塩尻市堀の内の火の見櫓。狭い生活道路の先にこの火の見櫓が見えた時、美しいプロポーションだと思った。なだらかなカーブを描いて末広がる理想的な形。櫓と屋根、見張り台のバランスもよい。
次、屋根と見張り台。やはり形が整っていて美しい。屋根の先端の避雷針に付けられた飾りも洗練されている。見張り台の手すりの飾りも程良い。
脚部の形もなかなか整っていて美しい。前稿に挙げた火の見櫓と比べればその違いは歴然(比較するのはどうかと思うが・・・)。
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■ 洗馬は「せば」と読みます。平安時代に書かれた藤原実資(さねすけ)の日記『小右記(しょうゆうき)』に「洗馬の牧」と出てくるということですから、随分古い地名ということになります。
今回はこの塩尻市洗馬の太田地区に立っている火の見櫓です。櫓の外に設置されている梯子段の数とその間隔によって、この火の見櫓の高さを概算すると、8メートルちょっとになります。櫓を構成している3本の柱は50×50×4(たぶん)の等辺山形鋼です。
絞り込みのないずん胴な櫓に「反り」のきつい3角錘の屋根が載っています。幸いなことに半鐘もまだ吊るしてあります。
3角形の角を面取りした(6角形とは私は捉えません)見張り台の手すりにもやはり山形鋼を使い、手すり子には丸鋼を用いています。
脚部にも山形鋼を用い、立体的なトラス構造をつくっています。オーソドックスなタイプです。
■ 人との出会いは縁だと思う。いくつかの偶然が重ならないと出会うことはない。重なる偶然を必然ではないかと思わせる何か、それが縁。今年の春から鄙里で暮らし始めたKさんご夫婦(以下ふたりと書く)の歓迎会が昨晩(27日)あった。歓迎会が秋になってしまったのには訳があるけれど、ここでは省略。
*****
日曜日の午後、近くのカフェで(鄙里にもカフェがあるのだ)美味いコーヒーを飲みながら読書をして過ごすひとときを楽しみにしている。今年の春のことだった。カフェに居合わせたふたりをマスターから紹介された。聞けば鄙里の木工体験館に職を得たものの、住むところが見つからない・・・、とのこと。なんとかできないかな・・・。カフェから28会(幼なじみの親睦会)のY君に電話。彼なら貸家情報を持っているかも知れない・・・。で、話はとんとん拍子に進み、やはり28会のM君の旧宅を紹介して、ふたりはそこを借りることになった。家賃はM君の希望額の半分に値切った。
夏にはやはり28会のA君に採れたての野菜をふたりに届けてもらった。都会では到底味わうことのできない新鮮野菜を味わって欲しかったから電話でA君に頼んだのだった。
昨晩の歓迎会にはふたりとカフェのマスターとママさん、Y君、大家さんとなったM君、それから私の7人が集まった。まさか、このメンバーで飲むことになろうとは・・・。あの日、父ちゃんが酒さえ飲んで帰ってこんかったら、いや違うって、あの日、カフェに行かなければ・・・、マスターが居合わせたふたりを紹介してくれなければ・・・、他に借家が見つかっていたら・・・、いやそもそもふたりがこの鄙里で暮らそうと考えなければ・・・。いくつかの偶然が重ならないと実現しなかった歓迎会だ。
「縁あってこうして飲んでいるんだな」と思いつつ、ふたりの過去ログを聞き出し、マスターが熱く語る村おこし論に耳を傾け、バイクについて語るM君の話を聞きながら、杯を重ねに重ね・・・。楽しい宴の夜は更けゆく・・・。
人との出会いはやはり縁だと思う。
■ 京都、奈良への2泊3日の旅行を計画中です。11月の中旬、紅葉が始まる頃の古都。
京都では南禅寺の塔頭金地院の茶室・八窓席(重要文化財)の見学を予定しています。俄か知識で書きますが、この茶室は小堀遠州(←過去ログ)が金地院に住した崇伝に請われて指図をしてできました。
手元にある本にこの茶室の平面図が載っています。書院の隣に計画された三畳台目で、客座と書院とは二枚襖で仕切られているだけです。書院と一体に使うこともできるでしょうし、襖を貴人口とすることもできそうです。
この茶室について瀬戸内寂聴さんは『京の茶室 名僧と語る茶の心』婦人画報社で**窓が多いのは、茶室の密室めいた緊張感はほぐされるが、落着きを失う。障子に映る陽の移ろいの影は楽しめるかもしれないが、私は窓が多すぎるのは好きではない。**(65頁)と語っています。
私がこの茶室に身を置いたとき、どのように感じるのか・・・、いまから楽しみです。
他に京都でどこを見学するか、いま何ヶ所か候補を挙げて検討中です。
奈良に行きたい と2011年の6月にブログに書いていますが、奈良では法隆寺と秋篠寺に行こうと思っています。
左右対称を好まない日本人、法隆寺では五重塔と金堂とを左右に配置しています。(←過去ログ)もっと古い寺院では左右対称の伽藍配置が採られていますが。改めて左右非対称の美を鑑賞しようと思っています。
それから、秋篠寺。
秋篠寺といえば伎芸天(←過去ログ)。2009年に伎芸天に会いたいと書いていました。この秋、ようやく実現しそうです。
■ NHKの朝ドラ「あまちゃん」で薬師丸ひろ子演ずる鈴鹿ひろ美がチャリティコンサートで潮騒のメモリーを歌いましたね。
透明感のある歌声がとてもさわやかで、偶々昼休みにテレビを見た私は心打たれました。春子(小泉今日子)が歌う同曲の都会的な雰囲気とは全く違う印象でした。
ドラマではコンサート会場が大いに盛り上がり、アンコール・コール。ここで、鈴鹿ひろ美が「実は私、薬師丸ひろ子さんの「セーラー服と機関銃」が好きなんです。アンコールにお応えして歌います」なんてことになったらおもしろいのに・・・、なんて思ってしまいました。ここまで遊ぶのは無理でしょうか・・・。
今までの朝ドラは「おしん」に代表されるように、つらい境遇、といって大袈裟なら、逆風にもめげることなく、明るく、強く生きる女性を描いた、真面目と評してよいかどうか分かりませんが、いかにもNHKといったドラマが主流ではなかったかと思います。それが、今回は違っていました。
遊び心いっぱいの、今までにない朝ドラですね。鈴鹿ひろ美の影武者(?)を春子が務めるという発想がまずおもしろい。宮藤官九郎の脚本が冴えています。音楽のアドリブっぽい感じもいい。
ところで潮騒のメモリーの歌詞の、来てよ その火を 飛び越えて が三島由紀夫の『潮騒』から来ていることは明らかで、ドラマの中にもこのことが出てきました。
今年の紅白で潮騒のメモリーが歌われることは確実だと思いますが、一体どんな演出になるのでしょう・・・。じぇじぇじぇな演出を期待しています。
『子供の「脳」は肌にある』 山口 創/光文社新書
■ 先週末東京した(「東京する」などという表現は変ですが・・・)ことは既に書いた通りです。火の見櫓を探そうと、行きのあずさではどうしても窓外に目を向けてしまいます。中央東線の沿線には火の見櫓が何基も立っているのです。今回は小淵沢駅近くに立っている火の見櫓を見つけました。
ということで、車内ではどうしても読書に割く時間が少なくなってしまいますが、今回は持参した小冊子2冊と司馬遼太郎の講演録を読みました。小冊子にこの本をベースにした記事が載っていました。
東京駅前のオアゾ内の丸善で早速買い求めました。カフェで待ち合わせした友人からは子育ては終わったでしょ、と言われましたが、関心があることなんです。
まだ読了してはいませんが、子どもにはスキンシップがいかに大切かを説いた本、と括ってよいでしょう。こんなくだりがあります。**これまで繰り返し述べてきたように、肌や身体といった一見、脳からかけ離れた身体の末端部への快い刺激こそが、心を形成する上で実は意外に大きな力を秘めていることは、いくら強調しても強調しすぎることはないのである。**(120頁)
このことをいろんな調査の結果などを取り上げながら実証的に述べていて大変興味深い内容です。
■ 鎌倉から都内に戻って、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催中のレオナール・フジタ展を観ました。
フジタ(藤田嗣治)といえば「乳白色の肌」が特に有名な画家ですが、戦後、子どもたちを実にたくさん描いています。独特の表情をした子どもたちの絵が何点も展示されていました。小さなサイズの絵が多かったのですが、子どもたちのちょっと物憂げな表情は独特で存在感がありました。
フジタの絵はどれもスカッとした明るさがないんですよね。なんとなく暗い影が付きまとっているような・・・。
**国籍不明で、無表情、思考も感情もないような子どもたちの姿に日本とフランスの間で揺れ動く複雑な心境がみえます。**会場で手にしたリーフレットにはフジタの描く子どもたちの絵についてこのような説明文があります。
上の写真は2006年の秋、竹橋の国立近代美術館で開催された藤田嗣治展のチケットですが、ここに採用されている絵の女性の表情からもやはり同じ印象を受けます。
**現在、竹橋の近代美術館で藤田嗣治生誕120年の展覧会が開催されている。ポスターに採用された「カフェにて」の女性の物憂げな表情には、必ずしも生活が幸せではなかったという藤田の内面が現れている・・・。 **
私はブログの初めての記事に、このように藤田の絵の印象を書きました。
ところで、今回、ザ・ミュージアムで開催中の展覧会にはアトリエで制作するフジタの姿を捉えた、土門拳の写真も展示されています。乳白色の肌を一体どのようにして描き出しているのか・・・。フジタはその答えを明かさなかったそうですが、なんと、その答えが写真に写っているのです。貴重な写真だと思います。
また、フジタと交流があったというモディリアーニらの作品も少しですが展示されています。
10月14日までの会期です。
以上で今回の「週末東京」の記事を終わりにします。
■ あずさ東京週末フリーきっぷで横浜も、その先の鎌倉にも行くことができます。で、鎌倉まで行ってきました。
JR鎌倉駅で江ノ島電鉄の電車に乗り換えて長谷駅へ。駅から徒歩で10分とはかからずに鎌倉の大仏に到着。鎌倉の大仏を訪ねたのは小学校の修学旅行以来かもしれません。違うかな・・・。
ランチは古民家をリノベーションしたオシャレなレストランで。どうやら人気のレストランらしく、お客さんが次々に。満席と分かると予約をしていました。早めに入ったのは正解でした。
それから長谷寺へ。この寺には何年か前、紫陽花を見に来たことがあります。
長谷寺の山門
和み地蔵と彼岸花
長谷駅まで戻って、再び江ノ電で極楽寺へ。
茅葺きの山門。境内は撮影禁止ですから、写真はありません。
■ 東京でデート、じゃなかったアートなひとときを。
東京駅前のオアゾは丸善内のカフェで待ち合わせ。久しぶりに再会した友人と三井記念美術館で開催中の特別展へ。こちらの記事でこの展覧会のことを知りました。八重洲口北口から日本銀行の隣にある美術館までは徒歩で10分くらいでしょうか。
「志野、織部、瀬戸」 名陶鑑賞。
たっぷりとした志野。そのおおらかな造形がいいです。心が静まります。黄瀬戸の繊細なつくり、端正な作行き。これもまたいいです。織部の大胆な色使いと造形は現代アートのよう。
400年以上も前に造られた多様な茶陶に魅せられました。
自然に想を求める日本人の美意識ってやっぱりすばらしい、です。
アートな時を。次は根津美術館で開催中のこの展覧会。
理想の自然を描く室町水墨の世界。
余白の美学。
根津美術館は都会の喧騒の中に、こんなにも静寂な空間があるのかと驚かされます。時間があれば回遊式の庭園をゆっくり歩くのもいいかもしれません。カフェも素敵です。
■ 「あずさ東京週末フリーきっぷ」(←クリック)という便利で得なきっぷがあることを知らない人が案外多いように思います。下図に示されている東京フリーエリア内は週末(原則的に土日)の2日間乗り降り自由のきっぷです。このきっぷを利用して21、22日の両日、東京してきました。
JR東日本のHPの図を転載しました。
21日(土)の朝、松本発6時51分、いつものスーパーあずさ4号に乗りました。八王子で下車して高尾まで引き返しました(高尾は上図で分かりますがフリーエリア内です)。
高尾駅のすぐ近く、国道20号(甲州街道)沿いに火の見櫓が立っていることに、以前から気がついていたのです。列車の窓から見えましたから。
高尾駅を出て、国道20号を大月方向にしばらく行ったところにあるはず・・・。ない!ないぞ、火の見櫓。
消防団の新しい詰所がありました。屋上にモーターサイレン、後方に消火ホース乾燥塔。もしかして、もしかして・・・。
左隣のお菓子屋さん(写真)で訊ねました。
私「この辺りに火の見櫓があったと思うのですが・・・」
女性店員さん「隣に立っていましたが、去年取り壊しました」
やはりそうでした。火の見櫓は次第に姿を消しているのです。気を取り直して、駅まで引き返し、さらに八王子方面に向かって国道20号を歩くこと10分近く。
ありました!
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遠くから、こんなふうに見えると、こころウキウキ、ワクワク、「東京ブギウギ」な気分です。
もっと近づいて、国道の反対側から撮りました。3角櫓に6角形の屋根と見張り台。オーソドックスなタイプです。消火ホースを引き上げる滑車の屋根がついています。残念ながら半鐘はありません。替わりにモーターサイレンが見張り台の下に設置してあります。
踊り場なしの外付け梯子、昇り降りするのは怖いでしょう。
手すりにはくるりんちょなデザインを施してあります。
美脚度 ★★★☆☆ の評価です。
メモ 「八王子市消防団第11分団第4部
高尾駅まで戻り、急いで停車中の電車に乗り込んで東京へ。
次稿に続きます。
『群れは意識をもつ』郡司ペギオ-幸夫/PHPサイエンス・ワールド新書
■ 群れの全体をどのように見ればよいのか?
■ 神経細胞の集団と、動物の群れの違いをどう見るか?
■ 群れがもつ集団の知性、知能の正体とは何か?
■ 群れのなかの個体が隣接する個体と衝突しないためには?
■ 群れを構成する個体が従うシンプルな原理・原則とは何か?
■ 個体にとっての自由と、集団にとっての統率・秩序の関係とは?
以上本書の帯からの引用。
実に興味深いテーマの本を買い求めた。「スイミー」のものがたりを読むと、上掲したような内容の疑問が湧いてくる。
数日前に読み始めたが難しい・・・。
今日東京するが、行きの「あずさ」で読もうかな・・・。
秋のフォトアルバム 撮影日 130919
中秋の名月に浮かびあがる火の見櫓
● 中秋の名月というのは旧暦の8月15日の月のことで、なんとなく満月というイメージを抱いていたが、違っていた。必ずしも満月になるとは限らないそうだ。今年は偶々満月になっただけだという。次回、中秋の名月が満月になるのは2021年だそうだ。このときはもう、東京オリンピックは終わっている・・・。