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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ブックレビュー 1511

2015-11-29 | A ブックレビュー

11月に読んだ本6冊のレビュー


『空海』 高村薫/新潮社

 昨年(2014年)の4月から月2回のペースで新聞に1年間連載された「21世紀の空海」をまとめたもの。毎回熟読していたが、本書で再読することができた。

**日本古来の自然やアニミズムを滲みこませた身体の直接体験と、中国語の論理や修辞が合体したとき、まさに空海独自の比類ない密教世界が開かれた。** 「終わりに」 183頁

804年空海を乗せた遣唐使船は約1ヶ月漂流した後、福州に漂着した。このとき肥前国田浦を出航した遣唐使船は4隻、内2隻は行方不明になっている。

このとき空海が無事長安に入ることが出来なかったら・・・、恵果が生きていなかったら・・・、空海が後継者に指名されなかったら・・・。



『建築の大転換』 伊東豊雄・中沢新一/ちくま文庫

**人間と自然環境を切り分けるのではなく、人間と自然との密接な関係を前提として緻密な配慮に基づいた計画が必要なはずです。**(72頁)

伊東さんのこの言葉が本書のポイントと解した。このような理念に基づいて計画された伊東さんの最新作「ぎふメディアコスモス」を見学しなくては・・・。


 
『銀の匙』 中 勘助/岩波文庫 1935年11月30日 第1刷発行

名作は読み継がれる。少年時代の思い出、心情をこれほど詳細に瑞々しく綴れるとは・・・。



『廃線紀行』 梯久美子/中公新書

**廃線とは地理と歴史が交わる場所(後略)**204頁

**昔の路盤を歩いていると、今自分が踏んでいる土の上を、かつて多くの人々の人生を乗せて列車が走っていたことを実感するのである。**204頁

土地は歴史を記憶するという梯さんのことばは、火の見櫓は歴史を記憶すると言い換えてもよいだろう・・・。

マニアな世界は他人の理解の及ばないところにあるものだが、本書を読んで共感することが少なくなかった。 



『事故のてんまつ』 臼井吉見/筑摩書房

川端康成自死の真相、深層。



『伊豆の踊子』 川端康成/新潮文庫

出会いと別れ、人生は寂しい・・・。



『古事記』 太安万侶・撰録  橋本治/講談社

上、中、下巻の三巻から成る古事記の上巻、神話の世界をわかりやすい現代文にしている。神様たちのはらはらどきどきわくわく大冒険、小学校高学年生なら楽しく読むことができるだろう。注釈はきっちり大人向け。


 


78、79、80 名刺 昨日は3枚

2015-11-28 | C 名刺 今日の1枚

■ プライベート名刺を作ったのは2012年の5月のことでした。

なぜ作ったのか、はっきりとは覚えていませんが、仕事上の名刺をお渡しするのはなんだかな~、ということが時々あったからでしょう。それから3年半、77枚の名刺をお渡しする機会がありました。100枚作った名刺、残りは23枚、ではなく、もう少し少ないのです。メモ用紙代わりに使ったりもしましたから・・・。

で、先日新しい名刺を作りました。この名刺のデザインいいなぁ、と思った大学の後輩の名刺を参考にデザインを一新しました。

昨日(27日)の夕方、カフェ バロで新しい名刺をお渡しする機会が早くもありました。


78枚目(新しい名刺の1枚目)

先週末も居合せたIさん。私が川端康成のことを話題にすると、光源氏と境遇がよく似ていることを直ちに指摘された古典の先生。


79枚目

週末バロで時々一緒になるHさん。9枚目の名刺も渡しています。Hさんのいくつかある趣味のひとつは絵を描くこと。ある公募展で入選、東京の国立新美術館で開催された展覧会に展示されました。既に個展も開いています。京都土産の生八ッ橋、3社の味の評価をしてもらったひとりです。


80枚目

Fさんは学校の先生。一番の常連さんでしょう、たぶん。とにかく博識。地理、歴史、動植物、文学などあらゆるジャンルに詳しい方、そして食通。やはり生八ッ橋の味の評価をしていただきました。

時々バロに顔を見せる教え子たちとの会話の様子から、とても慕われている先生だということが分かります。

名刺をお渡しする機会を逸してしまっていました・・・。


 


「古事記」

2015-11-25 | A 本が好き 

 21世紀少年少女古典文学館1 『古事記』 橋本治/講談社 をまた読み始めた。



**日本にまだ固有の文字がなかった八世紀初頭に成立した『古事記』は、漢字の音と訓を利用して、神話や古くからの言い伝えを書き表した日本最古の書物である。国の成り立ちを説いた歴史の書にとどまらず、古代の人々の想像力にみちた豊かな文学性を感じさせる。
とりわけここに収めた「上の巻」には、イザナキ・イザナミの国産み、天の岩屋戸、スサノオの八俣の大蛇(おろち)退治など、日本神話としてなじみ深い話の数々が、飾り気なく力強く描かれている。ここには、日本人の心と行動すべての原初の姿を見つけることができる。**(カバー裏面の紹介文)

太安万侶、稗田阿礼、高天原、葦原の中つ国、黄泉の国・・・。キーワードをメモしながら読み進む。

「古事記」過去ログ1 過去ログ2


 


地域の絆

2015-11-23 | B 石神・石仏

 私は60数戸から成る山際の鄙びた集落で暮らしています。今年度この集落(地区)の役員を務めています。地区長、副地区長、会計の3役のうち、地区長を務めているのです。

この役は地区内の「雑務よろず引き受け役」です。ゴミステーションや集会所の管理、草とり、その他諸々の仕事をしています。今年は5年に1度の国勢調査の年でしたが、その調査員も地区長の仕事として務めました。

ところで地区内には道祖神や石仏などが何基も祀られていますが、そのなかに昭和55年に建立された庚申塔があります。昭和55年は干支が庚申で、この年に我が僻村では13基もの庚申塔が新たに建立されたと聞いています。

他地区の様子は分かりませんが、私の地区では毎年勤労感謝の日に3役が代表して、その庚申塔にお参りをしています。昨日(22日)の午後、庚申塔の前に榊(さかき)を立て、注連縄を飾って準備をしました。このようなことも地区役員の仕事なんです。



今日(23日)の朝8時半に3役が庚申塔に集合し、清酒と米と塩を奉げてお参りをしました(写真)。

また、今年は初めての試みとして地区の人たちの趣味の世界を紹介する展示会も開催しました。私も火の見櫓の写真を出品しました。 

午後は集会所で盛大に祝宴をしました。このような催しをすることで地域の絆、人と人との信頼関係といえば大袈裟でしょうか、そう、地域の人たちのつながりが深まることに意義があると思っています。

ちょうど1年前になりますが、昨年の11月22日に長野県北部で大きな地震が起き、白馬村や小谷村で多くの家屋が倒壊するなど甚大な被害がありましたが、亡くなった人がいませんでした。倒壊家屋に取り残された人を地域の人たちが力を合わせて助け出したのでした。この時、「地域の絆」ということが話題になりました。強い絆が住民の命を守った、と。

また、最近ネットで読んだソーシャル・キャピタルに関する記事によると、人と人のつながりが長寿と関係がありそうだとのことです。今日の祝宴の挨拶で、このふたつのことを話ました。 

今日で今年度の地区の大きな行事が終わりました。 やれやれ・・・。


 


母への追慕の念

2015-11-22 | A 本が好き 

**老人が宮子にも梅子にも渇望しているのは母性だということは、第一に明らかだった。有田の産みの母は二つの時に離縁されて、(後略)**(「みずうみ」川端康成/新潮文庫 46頁)

川端康成は3歳のときに亡くなってしまった母への追慕の念断ちがたく、若い女性(亡くなった母親も若かったから当然)に母を求め続けていたんだなぁ・・・。

週末にカフェバロでこのことを居合せたIさんにお話すると、直ちに光源氏と同じですね、との答えが。さすが古文の先生。源氏物語のことは知らないけれど、光源氏も母親を3歳のときに亡くしてはいなかったか、そして何人もの女性と・・・。



臼井吉見の『事故のてんまつ』筑摩書房を再読して、川端康成の作品を読み返してみようと『みずうみ』新潮文庫を書棚から取り出した。ものがたりの輪郭がぼやけている、フレームが分かりにくいとでも言ったらいのか、読みにくい。

**ここでは、小説の地肌は、外部の現実ではなく、主人公の意識である。従って、そこは時間空間の束縛を免れている。私たちは丁度、プルーストの小説におけるように、ふとした小さな物事を転機として、全く異った時間の別の事件に案内される。そうして、その事件(というより、その断片)は、いかにも川端氏らしい抒情的感覚的映像であるから、一編の小説は幾つかの華やかな布地の綴織り(つづれおり)のような面影を作ることになる。**と中村真一郎が「みずうみ」の解説に書いている。

この小説を読み続けるのを止めて、別の小説を読もう。



「みずうみ」を書棚に戻して、「伊豆の踊子」新潮文庫を取り出した。川端康成と言えば「伊豆の踊子」と「雪国」だろうから。

ずいぶん昔の本だ。この頃は文庫本にカバーは無かったのだろう。**私は二十歳、高等學校の制帽をかぶり** **そこで旅藝人の一行が休んでゐたのだ。** 活字が・・・、まあいいか。


 


583 山形村下竹田の火の見櫓

2015-11-20 | A 火の見櫓っておもしろい


583 東筑摩郡山形村下竹田竹原 撮影日151119

 山形村は松本市に境を接する農村。この村では消防団詰所の建て替えに伴い、何基かの火の見櫓が解体撤去された。それでもまだまだ火の見櫓が集落内の生活道路沿いに何基も立っている。いままでに数回村内を巡り、火の見櫓を見つけてきたが、まだ全てを見尽くしたわけではなかった・・・。

南信在住のヤグラー・それがしさんのブログでこの火の見櫓を知り、昨日立ち寄った。なだらかにカーブしている狭い道路がなかなか渋い。その道路沿いにこの火の見櫓が立っている。


平面が3角形の櫓にブレースが2段、櫓に外付けされた梯子段の間隔と段数から見張り台の高さを約6メートルと概算した。



反りのきつい、平面が6角形の屋根。頂部には長い避雷針。下り棟の先に細い平鋼の蕨手。鋼板が薄いのか屋根面が変形している。軒下に消火ホースを掛けるフックがある。屋根の下に山形村に比較的多いと思われる双盤を、見張り台の柱に木槌を吊り下げてある。

やはり平面が6角形の見張り台。縦の手すり子の下部にハート型の飾り。この写真では分かりにくいが昔懐かしい形の街灯がついている。点灯している様子も見てみたい。



トラスを組んだ脚部。櫓の中に立て掛けてある梯子の使途は?

赤錆がかなり目立つ、残念。


 


「事故のてんまつ」読了

2015-11-19 | A 本が好き 

 『事故のてんまつ』臼井吉見/筑摩書房の再読を終えた。

小説というかたちをもって川端康成の自死の背景を追求した作品。遺族の訴訟や他者からの圧力もあったそうで絶版になっているから、あまり具体的に内容を記さない方がいいのかもしれない・・・。

1箇所のみの引用に留めておく。先生にどうしてもと乞われてお手伝いさんになった主人公による分析だ。

**先生は母の胎内にあること七か月の未熟児だった。その母にも、三つのとき死なれてしまったのだ。先生と生母とのつながりは、そんなにもろく、はかなかったのだ。だからこそ、先生の無意識の世界では、生涯を通じて、母につながろう、ゆくえの知れない母の姿を追いかけようと必死になったにちがいない。それが先生の文学の動力だったのかもしれないと思った。母の愛への飢えが、若い女性への根強い執着となって現れたのではないかしら?**(145、6頁) 

過去ログ1

過去ログ2

なるほど、確かに例えば「山の音」には息子の嫁に恋心をゆさぶられる老人の心模様が描かれている。

これを機に川端康成の作品を再読するか・・・。


 


お食事処 三洛の黒部ダムカレー

2015-11-18 | F ダムカレー

 本稿とは直接関係の無いことから 

15日の日曜日、松本市内にあるシネマライツで「エベレスト3D」を観た。普段メールなどしてくることのないMが「観ていないなら、是非」と、この映画を薦めてくれたのだった。


「エベレスト3D」は1996年5月にエベレストで実際に起きた大量遭難に基づいて制作された映画だが、日本人登山家・難波康子さんも登場する。ベースキャンプのテントの中だったと思うが、「なぜ山に登るのか」という問いかけにエベレスト登頂ツアーに参加していた登山家たちは一斉に「山があるから!」と答える。「それは答えじゃない」と言われて、難波さんは「6つ登ったから、7つ目も登りたい」と答える。難波さんは7大陸の最高峰のうち既に6座登頂していて、残るはエベレスト1座のみとなっていたのだった(難波さんは登頂を果たすも下山途中で遭難死してしまう・・・)。

Mに映画を観たことをメールで知らせ、続けて「なぜ人は危険を冒して山に登るんだろうね」と問うと、「山あるから」と返信が。「それは答えになっていない」と再送すると、「6つ登ったから、7つ目も登りたい、という難波さんの答えが好き」、続けて「明快な答えはできないと思う。彼らにとって山に登ることは生きることだから」という答えが送信されてきた。

考え方が遺伝するとは到底思えないが、脳みそというか、脳みその構造(?)は遺伝するのかもしれない。ならば、考え方も似てくるのかもしれないな、と私はその答えを読んで思った。

黒部ダムカレーが20店舗で提供されているのなら、それを全て食べ尽くしたい、と思うことと、7大陸最高峰を全て登頂したいという欲求は、達成の困難さは到底比較にならないが、発想は似ているのではないだろうか。




JR大町駅前の「お食事処 三洛」で黒部ダムカレーを昼食に食べた。ここで9月10日にも食べているから、2回目。

ラーメン500円、魚フライ定食750円、この大衆食堂は美味くてボリュームがあって安い。

写真では分かりにくいがごはんダムはかなりのボリュームだ。カレーは家庭の味。みそ汁まで付いて840円(税込)は安い!


 


「事故のてんまつ」臼井吉見

2015-11-17 | A 本が好き 

■ ノーベル文学賞を受賞した作家、川端康成が自ら命を断ったのは1972年のことだった。その2年前には三島由紀夫が衝撃的な死を遂げている。相次ぐ大作家の自殺が世間を驚かせたことは今でも記憶している。

川端康成の死の真相を描いた臼井吉見の『事故のてんまつ』筑摩書房が1977年5月に単行本で出版された。雑誌『展望』に掲載された後、単行本として出版されたのだった。当時、話題になったというか、やはり世間を騒がせた。

自室の書棚を見ていてなぜかこの本に目がとまり、取り出した。



私は単行本を出版後まもなく買い求めて読んだ(77年6月)。この本はその後遺族から名誉毀損で訴えられ、また他からの圧力もあったそうで絶版になった。


当時U1というゴム印を作って蔵書印代りに使っていた。まもなくこのマークを「あるもの」で復活させる予定。

内容をすっかり忘れている。中 勘助の『銀の匙』岩波文庫も読み終えたので、再読してみよう・・・。


 


「廃線紀行」

2015-11-15 | A 本が好き 



 『廃線紀行 ―― もうひとつの鉄道旅』 梯久美子/中公新書を読んだ。

以前梯さんの『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』新潮文庫を読んでいたので(過去ログ)、特に廃線好きというわけでもないが興味を覚えて読んでみた。

「おわりに」に記された文章によると、この本は2010年1月から2014年12月まで読売新聞の土曜夕刊に連載した「梯久美子の廃線紀行」の中からの選んだ、北海道から九州までの50路線をまとめたもの。1路線に4ページ割き、紹介文と自ら撮影した写真1枚、所在地を示す地図とで構成している。写真を1枚に限定しているところが潔い。

最初に紹介しているのは昭和38年に廃止となった北海道の下夕張森林鉄道夕張岳線。インターネットで夕張市のシューパロ湖にかかる三弦橋の写真をみて一目惚れして出かけたという。写真はこの橋を写した1枚。

緑の森に囲まれたダム湖に架かる真っ赤なトラス橋が実に美しい。この橋は地元の技術者が景観に配慮して設計したという。残念なことに橋は後に完成した新しいダムに水没してしまったとのこと。

同じく北海道の定山渓鉄道が紹介されている。写真は唯一残っている石切山駅。なんと駅舎の隣に火の見櫓が写っている。  読み始めて気が付いて驚いた。梯さんは火の見櫓には関心がないとみえ、全く言及していないが・・・。

1987年(昭和62年)に佐賀駅と瀬高駅間が廃止となった国鉄佐賀線の紹介。筑後川橋梁の写真が載っている。国指定重要文化財のこの橋は筑後川を航行する船のために中央部が昇降する構造になっていて、真っ赤なキリンが2頭向かい合っているように見える。

やはり人は美しいものと珍しいものに惹かれるのだ。(*1

梯さんは危険をともなう探索はしないことに決めているし、また無理をしないことにもしている。だから全部を歩き通すことが難しい場合は、バスやタクシーを利用したりもしている。それでも廃線の魅力を十分楽しむことができる、ということがこの本で分かる。

**お寺にたどり着いて毘沙門天を拝み、境内の食堂でうどんをすすっていると、相席になった中年女性が「私は毎年、ここにお参りするんや。金運がつくでぇ」と言って豪快に笑った。**(145頁 近鉄東信貴鋼索線)

この本で梯さんは現地の人やタクシーの運転手との会話なども記しているが、それが単なるマニアな廃線記録にはないほのぼのとした雰囲気を醸し出していて好ましい。

JR篠ノ井線の漆久保トンネルもこの本で紹介されている。地元の人たちの手によってトンネル周辺が整備されていて、見学者も多いと聞く。まだ見学したことがないから出かけたい。

**地面の上を水平方向に移動するのは地理的な旅であるが、廃線歩きはこれに、過去に向かって垂直方向にさかのぼる歴史の旅が加わる。(中略)廃線とは地理と歴史が交わる場所であることに気づく。
天災、戦争、線路の付け替え、モータりゼーションの普及、そして過疎。さまざまな理由で鉄道は消えていった。だが昔の路盤を歩いていると、いま自分が踏んでいる土の上を、かつて多くの人々の人生を乗せて列車が走っていたことを実感するのである。**(204、5頁)

引用(*2)が長くなった。これは「おわりに」の文章。


*1 シューパロ湖にかかる三弦橋と筑後川橋梁はネット検索で画像を見ることができます。

*2 拙ブログでは**で引用箇所を示しています。


藪原宿にぎわい広場 笑ん館

2015-11-14 | 建築・歴史的建造物・民家



 中山道の宿場だった薮原(木曽郡木祖村)に昨年(2014年)12月にオープンした「藪原宿 にぎわい広場 笑ん館」に立ち寄った。  




君たちという意味の方言「わらんか」と「笑い」とから「笑ん館」という名称が付けられたそうだ。「人が集まって笑ってもらえる施設に」との願いが込められているという。

空間構成も、簡素な仕上げ()もなかなか魅力的だった。休日には地元の人たちや中山道を歩く観光客で賑わっているのだろう・・・。

 1階集会スペース 床:鉄平石とコンクリート平板ブロックを組み合わせた、なるほど!な仕上げ   
               壁:ラワン合板
                 天井:OSB合板


 




581 須原駅の火の見櫓

2015-11-14 | A 火の見櫓っておもしろい


581 木曽郡大桑村 JR須原駅の構内 




消火ホース乾燥塔+火の見櫓+防災行政無線塔、かな・・・。屋根の上の小屋にはモーターサイレンが納められていると思われるが・・・、この半鐘をまだ叩いているのかな?

半鐘を吊り下げてある腕木の鋼材は柱材に溶接接合してあるのかな? 半鐘はかなりの重量だから(具体的にはどのくらいだろう・・・)、片持ちだと根元の接合部にかなりの負担がかかる。溶接だと野ざらし状態では錆びてダメになってしまうような気がする。接合部を確認しなかった・・・。機会があればもう一度観察したい。



柱はレール型の鋼材。レールの転用かどうかは分からない。火の見櫓が駅の構内に立っていて、柱材がレールの転用だとすると、そこには明快なストーリーが浮かぶが・・・。



現在ごみステーションとして使われているがもともとは消防車車庫だったことを示す館名板が撤去されずに残っている。



 


福来屋の黒部ダムカレー

2015-11-12 | F ダムカレー



■ 福来屋は2回目です。全20店の黒部ダムカレーを食べ尽くすという私的企画は今年の5月26日にここから始まりました。

楕円のお皿は長径約37cm、短径28cmとかなりの大きさです。黒部の氷筍水のペットボトル(500ml、高さ21cm)との比較で皿が大きいことがわかります。遊覧船ガルベに見立てたトッピングは信州サーモンのサクサクフライ。ダムの下流側には新鮮野菜。

前回はどんな感想を書いたか確認していませんが、ここのカレーは懐かしい家庭の味で美味しいです。氷筍水のペットボトル付きで964(くろよん)円はお得でしょう。 


 


「建築の大転換」

2015-11-10 | A 本が好き 


『建築の大転換』 伊東豊雄 中沢新一/ちくま文庫

 先週の土曜日(7日)に久しぶりに松本駅近くの書店、丸善に出かけた。

高村 薫の『空海』新潮社を買い求めるためだったが、地階の文庫と新書のコーナーもざっと見て回った。その時、『建築の大転換』 伊東豊雄 中沢新一/ちくま文庫を見つけた。

『銀の匙』 中 勘助/岩波文庫を中断して『空海』を読み、そしてこの本も読んだ。

中沢新一さんは本書の中の「建築のエチカ」という文章で、チベットの仏教寺院のありようについて、**自然からできるかぎり祝福されていなければならないのである。**(272頁)と書き、続けて**彼らは自然のなかにおかれる寺院という建築が、人間の作るものとしてどうしても自然に同化しきれない部分を持ってしまう運命にあることを知って、だから人間の精神の作り出すものは自然のプロセスが産み出すものより優れているのだ、とその優位を誇ったりするのではなく、可能なかぎり自然から祝福されたものであろうとした。**と説いている。

伊東豊雄さんは「おわりに」のなかで3.11以降、自然から祝福される建築という言葉の持つ意味は重いと述べている。

この言葉は本書のキーワード、伊東さんが舵を切って向かうべきとする建築のありようを示す言葉なのだろう。