透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

533 白馬村神城飯森の火の見櫓

2015-04-28 | A 火の見櫓っておもしろい


533 撮影日150428

 狛犬にまで観察対象を広げてしまったのでヤグラセンサーが鈍くなっているのでは、と思いきや、感度は依然として良好なようで、国道148号を走行中に(私は助手席に座っていたが)この火の見櫓を見つけた。

洗練されてはいない、そう、武骨な印象の火の見櫓だ。ブレースがそのような印象を与えているのかもしれない。四角い櫓に四角い屋根、円い見張り台というのはよくあるパターン。



見張り台の大きさに比して屋根が小さい。白馬村が豪雪地帯であることを勘案すると、冬季には見張り台に雪が積もってしまうのではないのか、と気になる。四方に向けてスピーカーが設置されていてここに半鐘はない。





踊り場に半鐘が吊り下げてある。



脚元はこんな様子。このデザインだと火の見櫓だと気がつかないかもしれない。


 


米澤神社の青面金剛像

2015-04-27 | B 石神・石仏

■ 松本市寿北にある米澤神社には青面金剛立像と三猿像も祀られている。


三猿像 昭和5年(1930年)3月建立



この青面金剛立像の建立は説明板により元禄7年(1694年)だから、古い部類に入るのではないか。像の上に太陽と月があって、下に三猿、更にその下に二鶏と全てきっちり揃っている。いまだに太陽と月にどんな意味があるのか分からない・・・。


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縁結クッキー

2015-04-26 | A あれこれ



 二週続けて週末のサードプレイス、バロに顔を出せなかった。

17日の夜はY君とMさんと遅くまではしご酒をしていたし、一昨日(24日)は勤務先の飲み会だった。で、昨日の昼に出かけた。午前中は米澤神社の狛犬を観察し(前稿)、その後「戦後日本住宅伝説」@松美を観ていた。

バロの昼のお弁当にはデザートとコーヒー(or紅茶)が付く。デザートのチーズケーキに桜の花を模したピンク色のクッキーが添えられていた。訊けばMさんの出雲大社みやげとのこと。出雲は縁結びの神様だから縁結(えんゆい)クッキー。そうだった、Mさんから出雲大社まで瞑想ツアーに出かけるとしばらく前に聞いていた。

別に示し合わせていたわけではないけれど、Mさんも金曜日の夕方に「バロする」ことが何週間か続いていて、その都度雑談していた。彼女の朴訥とした話しぶりには癒し効果があるかも。

今度会ったら出雲大社の狛犬(どうやら木造らしい)の写真を見せてもらおう・・・。 


 


米澤神社の狛犬

2015-04-25 | C 狛犬



 松本市寿北にある米澤神社を訪ねた。木造、石造の鳥居の先に山の斜面を直登する長い参道が見える。



社殿の一般的な配置から判断すると、この急勾配の切妻屋根の建物が拝殿で、その後方の建物が本殿ということになる。



本殿は板塀に囲まれていてよく見えなかった。


社務所

この山中の神社を守護している狛犬は大変だな。鳥居の脇の案内板によると米澤神社の御祭神は猿田彦命と大己貴命(おほなむち)。

猿田彦命は古事記に出てくる神様。古事記を現代語訳で読んだから、この神様の名前は知っていた。天孫、邇邇芸命が降臨した際のガイド役を務めた神様。大己貴命(おほなむち)はいくつもある大国主の別名のひとつだそうだ。



この山中の神社及び御祭神の猿田彦命と大己貴命を守護することがここの狛犬たちに課せられた仕事(ミッション)。 

 

台座に狛犬の誕生年が刻まれていた。弘化3年(1846年)というから江戸末期ということになる。右側の獅子も左側の狛犬も歯が見えているから阿形、吽形とはなっていないようだ。あるいは通常とは逆で、右の獅子が吽形で、左の狛犬は阿形なのかもしれない・・・。







玉を持っている左前脚が浮いている! 何とも不安定な姿。よく石工はこのような姿を彫る決心をしたものだ。



ともにつるりんちょな体で、鬣(たてがみ)としっぽ、それから前脚の部分に毛があるだけ。このことが特徴かな。蹲踞の姿勢をしていることが分かる。

江戸時代に生まれた狛犬はユニークで、観ていて飽きない。


 


会田神明宮の狛犬

2015-04-25 | C 狛犬

 県内のあちこちに出かける機会が少なくない。その際、今までは火の見櫓や道祖神、庚申塔などを意識していた、もちろん茅葺きの民家や建築にも。加えて狛犬の棲息地・神社にも目がいくようになった。

昨日(24日)、松本市会田(あいだ、旧四賀村会田)に出かけた。会田という地名は善光寺街道の会田宿として知られている。会田地区内を移動中にこの神社の前を通りがかった。

神楽殿から拝殿を見る。一対の狛犬が見張っている。



拝殿後方の本殿の屋根。棟木の上に鰹木が6本載っている。両端の千木、上端は水平。棟持柱の脚部は礎石に載っていた。

御祭神は天照皇大神。



拝殿の左後方に摂社が並んでいた。狛犬の棲息環境はこんな様子。



  

右側の獅子()は玉に前脚を載せている。物事がうまく転がるようにという意味があるそうだ。左側の狛犬には子どもがいる。共に太いしっぽがある。鬣(たてがみ)のボリュームは程よい。蹲踞の姿勢が見て取れる。

 狛犬はもともと獅子と狛犬、別々の霊獣として扱われていたそうだが、時代が下ると両者まとめて狛犬と呼称するようになったとのこと。







線刻が目立つような気がするがどうだろう・・・。







痩せているわけでも太っているわけでもなく、程よい体躯ではないか。

この狛犬の誕生年、皇紀2600年が台座に刻まれている。皇紀2600年は神武天皇の即位から2600年という節目の年で昭和15年(1940年)。この年に生まれた狛犬。


 


― もじもじさんの火の見櫓巡り

2015-04-25 | A 火の見櫓っておもしろい



■ もじもじさんが仕事の合間に千曲市西部地区の火の見櫓巡りをして写真をCD-Rにまとめてくれた。火の見櫓の所在地をプロットした地図とレポートまで付いていた。感謝感激!誠実で真面目な彼の人柄がこのまとめ方に表れている。

もじもじさんが取材してくれた火の見櫓はなんと31基! 私もこの地域の火の見櫓を観察して廻りたいと思う(5月中には実行したい)。



これは今月21日に載せた火の見櫓 別の方向から撮ったこの写真で火の見櫓が立っている場所の様子がよく分かる。

ここは善光寺平の周縁で斜面に集落が形成されている。写真の右側、民家の屋根の上に長野自動車道のトンネルが写っているが、このトンネルの先(松本方面)に姨捨サービスエリアがある。近くには眺望がよいことで有名なJR篠ノ井線の姨捨駅もある。

この場所なら背の高い火の見櫓は不要だ。彼も梯子段のピッチ(間隔)とその数によって見張り台の高さを求めているが、それによるとこの火の見櫓は取材した中で最も低く、2,880(単位はmm)だという。

この高さなら火の見「柱」か「梯子」でも事足りるとも思うが、やはり火の見「櫓」という形式にこだわったのだろう・・・。




 


松本市白板の八幡神社の狛犬

2015-04-25 | C 狛犬



■ 先日善光寺の御開帳に出かけたが、その帰りに列車の窓からJR篠ノ井線沿いにあるこの神社の狛犬が見えた。早速出かけてみた。


拝殿


本殿


宝物庫

狛犬の棲息環境はこんな様子。石畳の参道が拝殿に向かって伸びている。拝殿の手前にかなり高い台座があってその上に狛犬が1対、顔をこちらに向けて構えている。狛犬が守護する御祭神は譽田別命(ほむだわけのみこと)。

神社は永正年間(1504~1520年)に白板神田の地に創設されたが、永禄2年(1559年)に近くを流れる奈良井川の氾濫で社殿などが流失してしまった。その後、慶安元年(1648年)に至る凡そ90年の間、幾度も社殿を造営しては水禍の惨を被ってきた。漸次荒廃し、神社の跡と名前を残すのみとなっていた。慶安4年(1651年)に現在地に社殿を造営して遷座の大典を執行した(境内の案内板の由緒書の大意)。

   



拝殿に向かって右側、阿形の獅子。豊かな鬣(たてがみ)が渦を巻いている。若々しくワイルドな印象。後脚は見えない。前脚の下に子どもがいる。





左側、吽形の狛犬 やはり子どもがいる。本来獅子(右側)と狛犬(左側)は別の動物だが、そのような意識は両者の造形からは感じられない。



 

誕生年は昭和3年(1928年)。石工は田近勝之。




境内の奥に立っていた。


 取材日 150418、25


69枚目

2015-04-22 | C 名刺 今日の1枚

69枚目  Cさん

市内のとある事務所で69枚目のプライベート名刺を渡したCさん。私と共通の知り合いがいることが分かりびっくり。

趣味を訊けば神社仏閣巡りだとか。好きな作家は重松清と江國香織とのこと。減冊のために自室の書棚にある両作家の文庫本をプレゼントすることを約束した。

忘れていたが、重松清の作品の何冊かは手放していた。で、手元にあるのは7冊だけだった。江國香織の作品は読んでいないので1冊しかなかった。

近々渡す機会があると思う。


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532 千曲市桑原の火の見櫓

2015-04-21 | A 火の見櫓っておもしろい


532

 長野自動車道の姨捨(おばすて)サービスエリアの近くの集落でこの火の見櫓に出会ったもじもじ君から写真を受けとった。

左は桜、右はハナモモ?紅梅?、その後方に背の極端に低い火の見櫓が立っている。この辺りは勾配が比較的急な斜面だから火の見櫓は背が低くても特段支障ないのだろう。

JR篠ノ井線も長野自動車道の近くを通っているが、姨捨駅から長野駅までの間、窓外に何基も火の見櫓が見える。先日、善光寺の御開帳に出かけた際にも何基か見えた。いつかこの辺りの火の見櫓巡りをしようと前から思っている。

「いつか」という言葉を使うような意識だといつまで経っても実現しない。 ここは今年中には、いや今年の夏までには、いやもっと具体的に、5月中に火の見櫓巡りをしようと思っている、と書かなくては。

そう、新緑の5月に出かけよう!


 

 


今町亘理神社の狛犬の誕生年

2015-04-20 | C 狛犬

 前々稿で取り上げた今町亘理神社(松本市大手)の狛犬について、建立年は確認できなかったと書いた。このことについて狛犬研究家・のぶさんから吽形の狛犬の台座に刻字してある旨、コメントしていただいた。確かに18日の朝撮った写真をよく見ると写っていた。



今朝(20日)、再度行って確認した。こんなにはっきり刻字してあるじゃないか。18日の早朝は一体どこを見ていたんだろう・・・。

明和六己丑年九月吉日、調べるとこの年の干支は己丑(つちのとうし)で間違いなく、西暦1769年だと分かった。

この狛犬が生まれた年は、そう、これからは建立年ではなく、生まれた年とか誕生年と表現したいと思うが、1769年。のぶさんによると**松本市内の石造狛犬のうち記銘のあるものでは最も古い狛犬**だそうだ。

狛犬の棲息環境、守護している祭神、それから誕生年、そして狛犬の頭部、顔つき、体つき、脚、その他の特徴。

観察すべき内容が次第にはっきりしてきた。 でも・・・、これだけでは、なにか物足りない。


 

 


今町亘理神社の狛犬

2015-04-19 | C 狛犬


撮影日 150418

■ 松本市内を流れる女鳥羽川の右岸の細い道路沿いにある今町亘理神社(松本市大手)。女鳥羽橋の上から見るとこんな様子。徐々に狛犬観察のスタイルを固めていきたいが、まずは狛犬の棲息環境の全体像を把握することにしたい。

この神社に狛犬がいることに以前から気がついていた。昨日(18日)の早朝、善光寺に出かける前に行ってみた。



鳥居のところから拝殿を見る。なんと狛犬が2対いる! この狛犬たちが守護する御祭神も知っておきたい。

     
いろんな神様を祀っているんだな~

昭和26年(1951年)に両社が合祀されて今町亘理神社となったそうだ。拝殿前の説明板によると、亘理(わたり)は渡りに由来し、女鳥羽川の渡し場の安全を祈願したものだという。そう、かつては女鳥羽川を舟が行き来していたのだ。その様子を撮影した写真を見たことがある。

*****

さて、まずは手前の狛犬から。台座を見ても建立年が見つからない。でもなんだか古そうな雰囲気。頭のてっぺんが窪んでいる。

右側の獅子 顔の表情にそれ程の恐さは感じない。嵌め込んだような卵型の眼。阿形の口の中が紅い。首の位置に、ケーキを飾るクリームのような形のたてがみがついている。鳥居側に顔を向けないで前を向いている。

前脚は長袖のシャツでも着たかのよう。後ろ脚を折り曲げて蹲踞の姿勢。体は少し痩せ形。






しっぽはすっとまっすぐ伸びている。



左側の狛犬 首周りの意匠が特徴的。



後ろ姿はこんな感じ



狛犬はもともと頭に一角があったのに。その角のところが窪んでいるのはなぜだろう、どのような意図があるのだろう・・・。

*****

拝殿に近いもう1対の狛犬



右側の獅子は大きな玉を左前脚で押さえている。脚の細部まで表現していない。

玉の表面の様子が獅子とは違う。玉は後年、交換されたのではないか。



しっぽの意匠が1対目とはかなり違う。なるほど、違うんだな~。



左側の狛犬には子どもがいて、前脚で頭を押さえている。この子どもも後年のものではないか。石の表面の様子が親と違う。親の方はなんだか老いた印象。疲れた顔のようにも見える。



なんとも不思議な形のしっぽ。 この狛犬はしっぽに特徴がある、と観た。


火の見櫓もおもしろいが狛犬もなかなかおもしろい。


善光寺御開帳

2015-04-19 | A あれこれ

■ 数えで7年に1度、丑と未の年の春に行われる善光寺の御開帳。前稿の通り、一昨日の夜は遅くまで飲み歩いていたが、昨日(18日)の朝は早起きして、計画通り松本駅06:16発の電車で長野へ。

長野駅から善光寺まで2kmくらいだろうか、歩いて向かう。



8時前の様子。まだそれほど混雑してはいない。顔が写らないようなタイミングで撮る。

    
本堂前に建てられた高さ約10メートルの回向柱。

回向柱の上部に白い「善の綱」が結ばれ、本堂内に入ると五色の糸、さらに金糸となって厨子の前の前立本尊(絶対秘仏の善光寺本尊の分身)右手につながっている。

願いを込めて回向柱に手を当てる。本堂内で前立本尊(中央に阿弥陀如来、両脇に観音菩薩と勢至菩薩)に向かって合掌礼拝する。



信濃美術館で開催中の「いのりのかたち」展を観て戻ってくるとこの混雑! 

善光寺如来さまと結縁させていただいたことに感謝(歳を取ってこういうことをありがたく思うようになった)。


 

善光寺境内に立つ小林一茶の句碑

春風や
牛に引かれて善光寺

開帳に逢ふや
雀も親子連


 前回(2009年)の御開帳→ こちら