(再) 松本市平田東 3脚66型 撮影日 190928
国道19号沿いに立つ火の見櫓。すぐ近くの南松本郵便局に用事があったので出かけた。そのついでに撮影した火の見櫓のある風景。
(再) 松本市平田東 3脚66型 撮影日 190928
国道19号沿いに立つ火の見櫓。すぐ近くの南松本郵便局に用事があったので出かけた。そのついでに撮影した火の見櫓のある風景。
映画館で入手したチラシより
学ぶことの大切さ
■ アフリカにある国の名前をいくつ挙げることができるだろう・・・。10本の指で足りてしまうような僕がマラウイという国を知っているはずも無い。モザンビークやタンザニア、ザンビヤに囲まれた南北に細長い小国・マラウイが舞台の実話に基づく映画「風をつかまえた少年」。
昨晩(27日)塩尻の東座でこの映画を観た(東座での公開は昨晩で終了)。
2001年、主人公の少年が中学生になった年にマラウイを大干ばつが襲う。少年の愛犬は餓死、村人の中にも死者が出る。穀物は収穫できず、少年の家族は一日一食の生活に。父親は学費を払うことができなくなり、少年は退学を余儀なくされる(この国では中学校は義務教育ではない)。教師が教室で少年に向かって「立て、君は退学だ」と言い、「帰れ!」と叫ぶ。
「勉強なんか無駄だ」「学校や図書館は忘れろ」という父親。少年は学ぶことをあきらめない。こっそり図書館で学ぶ。 雨が降らなければ雨乞いをする村で育った少年に知識を授けた1冊の本『エネルギーの利用』。
少年は風車をつくり風力発電をしてポンプを動かし、井戸から水を汲み上げて畑に引くことを思い立つ。
少年の「知」が「力」になり、家族を飢饉の村を救う。
撮影日時 190927 05:22AM
**そのとき体が欲しがるものを好きなように食べてきました。質素なものばかり食べていたのが長寿につながったのだとしたら、それはお金がなかったからできたのです。貧乏はありがたいことです。**
『阿弥陀堂だより』南木佳士/文春文庫 129頁より
撮影日時 190926 05:32AM
今まで生きてきた中で、一番幸せです。
岩崎恭子さんが1992年のバルセロナオリンピックの女子水泳200m平泳ぎで金メダルを獲得した時の言葉
初めて自分で自分をほめたいと思います。
有森裕子さんが1996年のアトランタオリンピックの女子マラソンで銅メダルを獲得した時の言葉
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人生の自己ベストはいつ、どんなことだった?
その自己ベストは更新できる?
360
■ 4年前に読んだ『駅をデザインする』赤瀬達三/ちくま新書をまた読み始めた。
カバー裏面に著者のプロフィールが載っている。**営団地下鉄、みなとみらい線、つくばエクスプレス、高速道路などの交通施設やアートヒルズ、六本木ヒルズなどの大規模複合施設のサイン計画に従事。(後略)**
不慣れな駅では、乗り換えホームや出口までの行き方が分からないということを時々経験する。何年か前、代官山から東横線に乗り、渋谷駅で山手線に乗り換える時、迷路のような構内で時間をロスして、帰りのあずさに乗り遅れそうになったことがあった。
長年、分かりにくい駅を分かりやすくするために案内サインや駅の空間構成について研究してきた著者の方法論、実施例の紹介。
■ ゲノム編集という言葉を時々目にするようになった。今夜(23日)のNHKテレビのクローズアップ現代+ でもゲノム編集食品を取り上げる。
昨日の信濃毎日新聞1面下段のコラム「斜面」でもゲノム編集を取り上げていた。遺伝子を切断するだけの食品はゲノム編集か従来の技術か判別できないため、消費者庁発表の流通ルールではこれらの食品の大半はゲノム編集の表示を義務づけられないことになったという。
『ゲノム編集の光と闇 ―人類の未来に何をもたらすか』青野由利/ちくま新書を読んだ。
人類は生命の設計図を自在に編集する技術を手に入れてしまった。
本書には映画フィルムの何コマかをチョキンと切り取って、そこに別のフィルムをはめ込むというようなイメージのイラストが載っている。まさにこのような、いやそれ以上のゲノム編集が可能になったということだが、造物主が創った設計図を人が勝手に変えてしまっていいのだろうか・・・。
上掲の「斜面」の最後に**便利な技術には用心深い方がいい。**とあるが、全く同感だ。いつか取り返しのつかないようなしっぺ返しを受けるのではないか・・・。
■ 秋になると南木佳士の作品を読みたくなる。『阿弥陀堂だより』文春文庫を読むのは何回目だろう。
上田孝夫は信州の山村の生まれ。母親は孝夫が三歳のときに肺結核で死に、父親は彼が小学三年生のときに家を出て行ってしまう。彼は祖母に育てられる。
三年間連絡のなかった父親から手紙が来て、孝夫は都内で暮らす父親のもとへ。成績が良かった彼は都立の進学校に進む。そこで彼は神谷美智子と知り合う。美智子は医学部に、孝夫は文学部に入る。やがて二人は結婚する。
孝夫は稼ぎのない作家。美智子は内科医で母校の大学の非常勤講師と都立病院の内科医長を兼ねていて多忙な日々。美智子が恐慌性障害となって3年目になる頃に発作の誘因が東京の都市環境そのものであることが分かり、ふたりは孝夫の生まれ故郷にUターンすることに。
村の広報に掲載されていた「阿弥陀堂だより」は村外れの阿弥陀堂を守り暮らすおうめ婆さんの達見を村役場の若い女性職員、小百合さんが書いていた。
主な登場人物は孝夫、美智子、おうめ婆さん、小百合の四人。
美智子は田舎暮らしを通じ、また、おうめ婆さんの「(前略)南無阿弥陀仏を唱えりゃあ、木だの草だの風だのになっちまった気がして、そういうもんとおなじに生かされてるだと感じて、落ち着くでありますよ。(後略)」(169頁)といった生活観に触れて次第に心の健康を取り戻していく。
一方、孝夫は農作業を手伝ったりしながら、やはり山村暮らしに馴染んでいく。
淡々と進む物語だが、唯一小百合さんが病気で入院していて肺炎を起こし容態が悪化、生死の間をさまようことになってしまうという展開にはハラハラ。
**阿弥陀堂に入ってからもう四十年近くなります。みなさまのおかげで今日まで生かしてもらっています。阿弥陀堂にはテレビもラジオも新聞もありませんが、たまに登ってくる人たちから村の話は聞いています。それで十分です。耳に余ることを聞いても余計な心配が増えるだけですから、器に合った分の、それもらるたけいい話を聞いていたいのです。**(185頁)
**祖母と山で働き、木を生活の糧としていた頃には覚えるはずのなかった疎外感。ふところの深い自然に囲まれていながら、それらと無縁であることの寂しさ。そして、すべてのものが枯れ、死に向かってゆくのだと認識せざるを得ない晩秋のもの哀しい寂寥。**(206頁)
不安な気持ちの時に南木佳士の小説を読むとこころが落ち着く。医者でもある作家が処方してくれる「抗不安剤」だ。
芥川賞受賞作の『ダイヤモンドダスト』は単行本で読んだ。
荒川区立ゆいの森あらかわ外観 撮影日190920
■ ゆいの森あらかわは図書館・吉村昭記念文学館・こどもひろばからなる複合施設。延床面積約10,900㎡、地上5階・地下1階 (設計:梓設計 2017年3月開館)。
建築を複数のボリュームで構成し、外壁をいくつもの表情で構成することで、また薄くてフラットな庇を連続的に設置することで分節している。それほど大きい建物のない周辺に配慮してのデザインか。
1階 エントランスホール
ホールの奥からエントランス方向を見る。左は総合カウンター、ここで館内の撮影許可を得た。
1階 エントランスホール カフェの前から見る
ずいぶん広いエントランスホールだ。このサイズが最適なのかどうか。
1階 エントランスのすぐ横に配置されたカフェ
ホールと一体的なスペースではなく、独立性が高いカフェ。本に囲まれた喫茶スペースだったら好かったのに・・・、以前の東京駅前の丸善本店のカフェのように。
1階 ゆいの森ホール
両側の壁は書架になっている。「本の森」というイメージの具体的な表現であろう。後方はガラスでエスカレータが見えている。
1階 えほん館
このスペースにソファーがあれば、カーブした書架によってつくり出された楽しい空間で絵本を読むことができると思うが・・・。
2階 コミュニティブリッジと名付けられたスペース
大きな吹き抜けの周りにカウンターデスクが配されている。落ち着いてじっくり使うということを意図した設えではない。今はこのような空間が好まれるのであろう。
2階 吉村昭記念文学館
記念館内は撮影禁止。文学館に展示されている小説の原稿などを興味深く見た。
私の自室の書棚に並ぶ吉村昭の作品
4階から3階を俯瞰する
なんともユニークな空間構成だ。移動(動線)スペースと閲覧スペースが区分されていない。エスカレーターが設置された吹き抜けに向けてカウンターデスクが設置され、利用者はガラス越しにその吹き抜けを見ながら読書することになる。
えんぱーくの吹き抜け空間 吹き抜け沿いにカウンターデスクを設置してあるところはゆいの森あらかわと同じ構成
塩尻市のえんぱーくでも同様の空間構成、吹き抜けに向けてカウンターデスクを設えてあるが、空間の質というか雰囲気が違う。えんぱーくの場合、カウンターの前の隔ての上の手すりのような形状の部位に照明器具が設置してある。このような設えが利用者個人のエリアというか、領域を上手く決めている。
4階
他の階と同様の設え 敢えて閲覧空間と動線空間を明確には区分ていない。これだけ閲覧者の背後が大きく開いていたら落ち着かないのでは・・・。
樋口忠彦氏は『日本の景観 ふるさとの原型』(ちくま文芸文庫)で**広がりのあるところでは背後によるところがないと落ち着かないものである。背後によるところがある場所は、人間に心理的な安心感・安定感を与えてくれる。** と書き、続けて**日本の古くからある集落を見ても、それが盆地や谷や平野であろうとも、ほとんど山や丘陵を背後に負う山の辺に立地している。**と指摘している。
山の辺空間を現代人はもはや欲していないのだろうか、この様子を見ていてふと思った。いや、人の心理的条件は変わらないと思うのだが・・・。そもそもこの施設の空間構成のねらいというか意図は別のところにあるのかもしれない。
4階 香のてらす
1階から最上階の5階まで吹き抜けによって空間が繋がっている。贅沢な空間構成だと言えなくもない。
5階(最上階)
あくまでも吹き抜けを囲むようにデスクカウンターを配置している。
書架の外側にはこんな空間も。 デスクがないから長時間の利用を意図してはいないだろう。
落ち着いた雰囲気の空間もある。
私は本に囲まれたやや閉じた空間で本が読みたい。
ゆいの森あらかわを見学して思った。「図書館、読書空間はどうあるべきか、再考しなければ」
今回初めて都営荒川線の路面電車に乗った。
■ 旧朝香宮邸(1933年竣工 現・東京都庭園美術館)では建物公開展を年1回開催している。今までにもこの公開展で建築観察しているが(過去ログ)、20日に所用で上京した際、また行ってきた。今回は茶室「光華」も観てきた。以下記録として写真のみ掲載する。
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1217 塩尻市広丘原新田 広丘小学校の南側 3脚66型 撮影日190918
■ 「今なら火の見櫓の全形を見ることができる」数日前、いとこのY君から電話があった。ぼくが火の見ヤグラー(*1)であることを知っていて連絡してくれたのだった。
今朝(18日)広丘小学校の南側に立っている火の見櫓を見てきた。今までここにあった市立図書館広丘分館が解体されて、広丘児童館の建設工事が始まったばかり。仮囲いが設置されているが、なるほど確かに火の見櫓の全形を見ることができる。 児童館が完成すると、この火の見櫓はまた児童館後方に隠れてしまい、全形が見えなくなってしまう・・・。
6角形のとんがり屋根のてっぺんには避雷針があり、そこに矢羽形風向計とだんごがついている。屋根の下には半鐘とモーターサイレンが設置されている。6角形の見張台の手すりは実にシンプル。平鋼縦使いの手すりに消火ホースを掛けるフックがついている。屋根がもう少し大きい方が全形のバランスが良いと思う。
櫓の中間の簡素な踊り場。半鐘を吊り下げてある。
脚元は仮囲いに隠されない別の方向から。簡素なトラス脚。柱材のなだらかなカーブが脚まで及んでいるのは実に好ましい。
*1 火の見ヤグラー(略してヤグラー)は火の見櫓好きの男性の呼称、女性の場合はやぐら女子。火の見ヤグラー、やぐら女子にひとりでも多くなって欲しい。もっと熱心に広報活動をしないといけない。
■ 『慈雨』柚月裕子/ 集英社文庫を読みえた。
物語の最後に「私、前にあなたに、根っからの刑事なのね、って言ったことがあったでしょう。私は根っからの、刑事の妻なのよ」ということばが出てくる。(397頁)
また、少し前には**こうして香代子は、ずっと自分についてきてくれたのだ。人生という名の坂を、つかず離れず、自分のあとをずっと歩いてきてくれたのだ。**(385頁)という主人公の心情描写がある。
この文庫本のカバー裏面の紹介文には**安易なジャンル分けを許さない、芳醇たる味わいのミステリー。**とあるが、これは夫婦愛の物語とも読める。このように捉えると慈雨というタイトルの意味が見えてくる。
もう何年も前のことだが、沢木耕太郎の『深夜特急』を、出てくる都市の位置を世界地図で確認しながら読んだ。移動ルートが分かり、少しだけ旅気分が増した。
『慈雨』には四国遍路の旅の様子もかなり詳細に描かれている。今回は出てくる寺を画像検索して、なるほど、こういう寺なのかと確認しながら読み進んだ。
行ってみたい寺がいくつかあった。中でも道後温泉のすぐ近くにある51番札所の石手寺には是非行ってみたいと思った。いつか機会があるだろう・・・。
■ 『慈雨』柚月裕子/集英社文庫。3連休最後の日(16日)の朝、松本市内の書店でこの文庫を手にした。平積みされていなかったら手にすることは無かったと思う。この作家のことは全く知らないし、集英社文庫を読むこともあまりないから。不思議なことに本に声をかけられたと感じるようなことが時々ある。この本もそうだった。
カバーの裏面にこの小説の紹介文があり、冒頭に**警察官を定年退職し、妻と共に四国遍路の旅に出た神場。**とある。四国遍路には憧れる。八十八か所すべての寺院を歩いて回ることができたらいいなと思っているので、続きを読んだ。
**旅先で知った少女誘拐事件は、16年前に自らが捜査にあたった事件に酷似していた。手掛かりのない捜査状況に悩む後輩に協力しながら、神場の胸には過去の事件への悔恨があった。場所を隔て、時を経て、世代をまたぎ、織り成される物語。事件の真相、そして明らかになる事実とは。安易なジャンル分けを許さない、芳醇たる味わいのミステリー。**
ミステリーは好きだ。僕の読書好きは中学生の時に読んだ松本清張の推理小説『砂の器』がきっかけだった。迷うことなく『慈雨』を買い求めた。
カバーの折り返しには作者・柚月裕子さんのプロフィールが写真と共に載っている。受賞歴がすごい。2008年に『臨床真理』で第7回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、13年『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞受賞、16年『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞受賞。
早速読み始める。この作家の作品とは相性が良さそうだ。
■ 本離れが進み大学生の2人に1人は月に1冊も本を読まないという時世に「読書の秋」という言葉が有効なのかどうか。もっとも私は読書は秋に限らず通年の生活の一部を成すべきことだと思ってもいるが。
J・P・ホーガンという英国作家の『星を継ぐもの』創元SF文庫の続編、320ページ細かな活字がびっしりの『ガニメデの優しい巨人』を読み終えた。
人類は地球ではなく、ミネルバという火星と木星の間にあった惑星で進化した・・・。このミネルバを破壊した生き残りが地球に来て今の人類の祖先となった・・・。これよりはるか昔、ミネルバにはガニメアンという巨人(知的生命体)がいた・・・。
宇宙から木星探査船に向かって急接近してきた謎の宇宙船。その宇宙船からくり出され、探査船とドッキングした飛行体の中から姿を現したのは2500万年前のガニメアンたちだった・・・。
やがて彼らは木星探査隊と共に地球を訪問、そして再び宇宙へ・・・。
奇想天外な発想がリアルな科学的知見によって壮大なストーリーに仕立て上げられている。登場人物の原子物理学者や生物学者らが交わす専門的な会話。そう、これはまさにサイエンス・フィクション!
ストーリーはさらに『巨人たちの星』、『内なる宇宙』へと続く。
スマホで短文読むのもいいけど、紙の本で長編読むのはもっといい、とおじさんは思うのだ。