透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

安部公房の「夢の逃亡」を読む

2024-03-31 | A 読書日記

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『夢の逃亡』安部公房(新潮文庫1977年)を読んだ。奥付を見ると、この本の発行日は昭和52年(1977年)10月30日。この本を読み始めたのが同年11月2日と記録されている。発行された直後に早速読み始めたことが分かる。この初読の後に再読した記録も記憶もないので、今回46年ぶりに再読したことになる。

この『夢の逃亡』には初期の短編が7編収められている。初読の時に引いた傍線が数か所ある。

**そういった存在の窪みである頁の間からようしゃない実体としてこぼれ出たこの本だけを、真に〈名前〉に耐え得るものであったと書かねばなるまい。**(76頁) この引用箇所に傍線を引いてある。前後の文脈を考慮しても意味がよく分からない。

7編ともよく理解できず、字面を追っただけだった。従って読み終えたとは言えないが、読んだということにしておく。46年前はどうだったのか、理解できたのかどうか。傍線を引いたり、▽印を付けたりしてあることから、それなりに読み解いていたのだろう・・・。

今回再読して付箋を貼った箇所から引く。

**一体、性格なんていうものがあるのでしょうか。仮にあるとしても、それが人間の本質とどう関係してくるのでしょう。**(「牧草」20頁)
**第一、人間を掴むといったって、実際問題として、一体どうやったら良いでしょう。一体人間とは何者でしょう。**(「牧草」21頁)

人間とはなにか、人間が存在するとはどういうことなのか、安部公房がずっと問い続けることになるテーマがこの文庫に収録されている最も初期の作品にも出ている。

私の脳は加齢とともに確実に劣化していて、読解力も記憶力も低下していることを実感する。先日、図書館の職員とも話したけれど、本は若い時にたくさん読んでおくべきだ。


手元にある安部公房の作品リスト(新潮文庫22冊 文庫発行順 戯曲作品は手元にない 2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印は絶版と思われる作品)

『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月


 


「重伝建」 選定への期待

2024-03-30 | A 火の見櫓っておもしろい



 今月(3月)15日、文化審議会が国の登録有形文化財に登録するように文部科学大臣に答申した長野県内の建造物は12件。その中に辰野町の3件、「旧小野村下町火の見櫓」と「旧小沢家住宅主屋」、「旧小沢家住宅表門」が入っている。このことを翌16日の信濃毎日新聞他、地元紙が報じた。

小野下町の火の見櫓が国登録有形文化財へ登録されれば、長野県内初。鉄骨造の火の見櫓としては全国で6基目。このことに祝意と感謝の意を表し、26日に拙著『あ、火の見櫓!』を辰野町の図書館に寄贈した。このことを信濃毎日新聞他、地元紙が27日に報じた。

昨日(29日)信濃毎日新聞社 伊那支社から上記の記事が掲載されている2日分の新聞が郵送されてきた。感謝。

上掲見出しの記事が飯田伊那版の地域面(2024年3月16日付 紙面の22面)の大半を占めている。小野の答申建造物3件のカラー写真が掲載されているが、火の見櫓の写真は縦15.8cm×横7.2cm、と大きい。掲載紙の購読者がこの記事で火の見櫓に関心を持っていただければうれしい。今回の3件が登録有形文化財に登録されれば、辰野町の登録有形文化財は7件となるが、その内の6件が小野宿の建造物だ。

上掲見出しの信濃毎日新聞の記事は次のように結ばれている。**町教委学びの支援課は「宿場町だった小野宿の町並みが評価されてありがたい。保存の機運を高める一助となればいい」としている。**

また、やはりこのことを取り上げた、たつの新聞も**町教育委員会は「新たな登録によって町内外の多くの人が小野宿に関心を持ち、町並み保存について深く考える切っかけになれば」としている。**と報じている。

そうなると次のステップとして見据えるのは小野宿の重伝建、重要伝統的建造物群保存地区に選定されること。名称からも分かるがこれは建造物単体ではなく、群としての選定で、ハードルはかなり高い。文化庁のHPを見ると、2023年(令和5年)12月15日現在、全国で127地区が重伝建に選定されており、長野県内では7地区選定されている。

新聞記事が伝える辰野町の教育委員会のコメントには重伝建という名前は出ていない。だが、それを意識していることがなんとなく窺える。小野宿の修理修景事業に取り組むことにもなるだろう。今後の活動に注目したい。


 
拙著寄贈のことがXに投稿されていた。投稿者の了解を得たので転載する。
画像提供:知人のKHさん(4カット中2カット掲載)


 


カフェトーク@cafe&sweets 彩香

2024-03-29 | A 読書日記


唐突ですが問題です。これ、いくらでしょう。クロワッサンサンド、ヨーグルト(左)、ポテトサラダ(右)、コーヒー。
① 600円未満
② 600円
③ 600年より高い

答えは記事の最後に。昼近くだったのでカフェトークでこれを注文、昼食にしました。


 昨日(28日)久しぶりに松本駅近くの丸善へ出かけた。3月2日付 朝日新聞の書評欄に**来歴不詳  身近で謎多き食べ物**という見出しの書評が掲載されていた。『豆腐の文化史』原田信夫(岩波新書2023年)の書評(評・編集委員 長沢美津子)。この書評を読んでおもしろそうだなと思った。それで買い求めて読もうと思って出かけた次第。

丸善の地階の文庫と新書のコーナーを見て歩いていて『源氏愛憎 源氏物語論アンソロジー』編・解説  田村 隆(角川ソフィア文庫2023年)が目に入り、手にした。内村鑑三、与謝野晶子、田山花袋、芥川龍之介、正宗白鳥、和辻哲郎、折口信夫、谷崎潤一郎、湯川秀樹、円地文子、小林秀雄、太宰 治。目次のⅠ古典篇に知っている人は少ない。Ⅱ近現代篇に並ぶこれらの人たちが「源氏物語」についてどのようなことを書いているのだろう。読んでみようと思った。やはり本は書店で買わないと。ネット注文でこういうことはないだろう。



この2冊を手に、エスカレーターで1階のレジカウンターへ行こうとしていたところで、声をかけられた。帽子にマスク、それにメガネ。誰だか分からなかった。彼は帽子を取り、メガネを外した。高校の同期生のN君だった。 

丸善の中にあるcafe&sweets彩香でカフェトーク。高校時代に安部公房の小説をよく読んだというN君と小説談議。あの頃は大江健三郎や安部公房が人気で、ぼくも読んでいたので話が弾む。

ぼくはこのふたりの作家の他に、北 杜夫の小説をよく読んでいた。ある時、図書館で『さびしい王様』を借りようとしたが貸出中だった。偶々その場に居合わせたK先生(英語の厳し~い先生)に「持ってるから貸してやるよ。職員室に来なさい」と言われ、借りて読んだことなど、想い出を話した。

在学中に演劇部が安部公房の戯曲「友達」を公演したが、そのことを話すとN君も覚えていた。

共通の想い出をもつ友人とのカフェトークは楽しい。これって、老いた証拠なのかな。


 
借りた本は返しました、もちろん。その後、買い求めた本は今も書棚にあります。


cafe&sweets 彩香は2024年3月31日をもちまして閉店させていただきます。SNSに残念なお知らせが載っていました。

① 450円でした。(モーニングサービス)


 


知的喜び 感覚的喜び

2024-03-28 | D 新聞を読んで

 信濃毎日新聞の文化面。毎週火曜日は「火曜アート」、アートに関する記事が掲載される。「国・個人超えた 感覚的喜び」は3月26日(火)に掲載されたアート逍遥の記事の見出し。この記事のもう一つの見出しは 東京都美術館「印象派   モネからアメリカへ」展 。4月7日まで開催されている同展の解説記事で、作家の中野京子さんが印象派の絵画について書いている。

知的喜びから感覚的喜びへ

ぼくは文中のこの言葉に惹かれた。西洋美術史の大きな変換点を捉え、的確にそしてこれ以上無いほど簡潔に表現しているから。ぼくも知的好奇心、美的感性というような言葉を何年も前から使っているが(過去ログ)。感覚的喜びというのは美的感性を刺激されるという喜びということであろう。

記事から引く。**注文主が教会や王侯貴族など超富裕層に限られていた時代は、歴史、神話、聖書といった教養必須の大作が求めらてきたが、(後略)**

宗教画には宗教的な約束事がある。このことについて『名画を見る眼Ⅰ』高階秀爾(岩波新書1969年10月20日第1刷発行、2023年5月19日カラー版第1刷発行)から引く。**マリアの服装は、(中略)普通は赤い上衣に青いマントをはおることになっている。(中略)キリスト教の図像学では、赤は天の聖愛を象徴し、青は天の真実を象徴することになっているため、聖母の衣装はつねにこのふたつの色の組み合わせによるということに決められているからである。**(51頁)

だからラファエロでもレオナルドでもボッティチェリでも色は同じ。これは一例に過ぎず、約束ごとはいろいろある。宗教画鑑賞にはこのような約束ごとに関する知識が必要というわけだ。

時は流れ、時代は変わる。印象派からポスト印象派へ。

また記事から引く。**(前略)知識無しで、つまり己の感覚だけで絵を楽しみたい、と思う鑑賞者が増えていたのだ。読み解く絵から、意味のない、見て疲れない絵への移行、知的喜びから感覚的喜びへの移行である。**

印象派といえばモネ、モネといえば「睡蓮」。でもぼくは印象派の絵よりその後、ポスト印象派の絵の方が好きだ(*1)。中でもセザンヌの絵。例えば「リンゴと桃のある静物」。机上の対象物の形を輪郭線によって表現している。このような表現は好み。そして、もっと好きなのがマティス。

ポスト印象派の定義、範囲は曖昧でよく分からないが、「芸術新潮」の特集記事に掲載されているポスト印象派の系統図にはマティスやキュビズムのピカソやブラックまで入っている。ブラックの作品も好き。

現在、国立新美術館で「マティス 自由なフォルム」展が開催中(02.14~05.27)だ。この展覧会には行く。

構成も考えずに書き出してしまうと、まとまりのないこんな記事になってしまう・・・。ま、いいか。


*1 「芸術新潮」4月号を買い求めた理由(わけ)、それはポスト印象派の画家と作品を特集していて、そのナビを原田マハさんがしているから。


火の見櫓に関する取材を受けた新聞記事の記録

2024-03-28 | A 火の見櫓っておもしろい

火の見櫓に関する取材を受けた新聞記事の記録


信濃毎日新聞デジタル(2023.03.27)

① 2012年  9月18日 タウン情報(現MGプレス):魅せられた2人の建築士が紹介  火の見やぐら
② 2014年  4月18日 信濃毎日新聞:われら「火の見ヤグラー」
③ 2019年  5月26日 中日新聞:奥深い魅力のとりこに 県内外の火の見やぐら巡り ブログで紹介
④ 2019年10月21日 MGプレス:「火の見ヤグラー」魅力まとめて本に
⑤ 2019年11月 * 旬 Syun! :魅せられた“火の見ヤグラー” の本刊行      (* 月1回発行)

⑥ 2019年11月16日 市民タイムス:火の見櫓の魅力1冊に
⑦ 2020年  8月13日 市民タイムス:スケッチ「火の見櫓のある風景」(市民の広場 私の作品)
⑧ 2020年  8月23日 中日新聞:合理性追求 構造美しく 
⑨ 2022年  4月21日 日本経済新聞:火の見櫓  孤高の姿撮る(文化面)
⑩ 2022年  8月10日 たつの新聞:地域の「火の見」の魅力学ぶ

⑪ 2023年12月24日 中日新聞:しなのQ&A   火の見櫓    役目終え無用の長物?  地域史の生き証人  保存、活用の事例も
⑫ 2024年  3月16日 読売新聞:辰野の火の見櫓 国文化財に 文化審答申 地域のランドマーク(長野県版)
⑬ 2024年  3月16日 たつの新聞:小野の建造物3件 国登録有形文化財に 国の文化審議会が答申
⑭ 2024年  3月16日 信濃毎日新聞:登録有形文化財 県内初 火の見やぐらも(飯田伊那版)
⑮ 2024年  3月27日 信濃毎日新聞:上掲写真デジタル版の見出し(紙面の見出しとは異なる)

⑯ 2024年  3月27日 たつの新聞:火の見やぐらに関心寄せて
⑰ 2024年  3月27日 長野日報:コラム 見出し無し


 


原田マハのポスト印象派物語「芸術新潮」4月号(改稿)

2024-03-27 | A 読書日記


 「住宅建築」を長年定期購読していた。また、若かりし頃には「文藝春秋」や「山と渓谷」などの雑誌も購読していた時期もあった。だが、ここ何年かは雑誌を購読する、ということはあまりしていなかった。

「芸術新潮」の4月号に「ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ ―― 原田マハのポスト印象派物語」という特集が組まれていることを知り、行きつけの書店で買い求めた。原田マハさんの小説の大半を読んできたから(*1)、この雑誌も読みたいと思って。ただし、安部公房の作品を特集した3月号とは異なり、4月号は原田さんの作品の特集ではない。

本号はおよそ140頁。その過半を特集記事が占め、内容が充実している。「ポスト印象派」を理解するために(文:三浦 篤)という記事もある。

特集記事の最初に、ゴッホの作品「オーヴェールの教会」(1890年)が左の頁、その教会の前に立つ原田さんの写真が右のにドーンと見開きで大きく掲載されている。またゴッホが亡くなる直前に滞在していたラヴェー亭(*2)の3階の部屋の写真も1頁割いて掲載されている。他にもカラー写真が何カットも。

特集のポスト印象派の作品を巡る旅を原田ハマさんは小説仕立てにしている。小説を読んでいて感じることだが、原田さんの構想力はすごい。

《パリのカフェでばったり出会う》というタイトルが付けられたプロローグ。私(原田マハさん)はポスト印象派の画家、エミール・ベルナール(1868~1941)とパリのカフェでばったり出会う。それから私はエミールとふたりで5人の画家に次々と会いにいくことになる。

1人目はフィンセント・ファン・ゴッホ。

**驚くべきことに、私は地下鉄(メトロ)に乗っていた。
いや別に、メトロに乗っていること自体に驚いているわけじゃない。私のとなりの席に座っている人物が、どうやらほんとうにポスト印象派を代表する画家、エミール・ベルナールであること、そのエミールと一緒に二十一世紀のいま、パリのメトロ七号線に乗っている ―― という信じがたい事実に驚いているのである。**(22頁) 

エミールが私をドアの向こうから現れたフィンセントに紹介する。ところが、フィンセントは私の姿が全く見えていない。彼の眼が見えないというわけではない。私は相手には見えないという設定。部屋に招き入れられたエミール(私も背後霊のように一緒に)はフィンセントと、あれこれタブロー(絵画作品)談議をする。

それから次にポール・ゴーギャン(私が運転するレンタカーにエミールを乗せて)、3人目にポール・セリュジエ(ふたりで下宿屋に向かってゆるやかな坂道をゆっくり上って)、4人目にオディロン・ルドン、5人目にポール・セザンヌと、次々訪ねて行ってタブロー談議をする、という趣向。偶然にも3人がポールという同じ名前。

60頁にエミールが実際に1904年に撮影したセザンヌの写真が載っている。制作途中の《大水浴図》の前の椅子に座るセザンヌ。まさにこの時にエミールと一緒に出かけていた私は撮影の様子を見ている(という設定)。

**「最新型のカメラを持ってきたんです。写真を一枚、撮らせていただいてもいいでしょうか?」
「ああ、いいとも」セザンヌが応えた。
「この絵の前でいいかな? 描きかけなんだが・・・」(中略)
小気味よいシャッター音が響いた。
エミールの最新型のカメラとは、なんとスマホだった。**(60頁)

ひえ~っ、原田さん遊んでるな(楽しんでるな、と同義)。

この「小説」単行本で出版して欲しいなぁ。

雑誌を購入するのは久しぶりだが、好かった。


*1 原田マハさんの既読作品リスト
『モダン』
『異邦人』
『楽園のカンヴァス』
『美しき愚かものたちのタブロー』
『黒幕のゲルニカ』
『本日はお日柄もよく』
『たゆたえども沈まず』
『カフーを待ちわびて』
『デトロイト美術館の奇跡』
『リーチ先生』
『リボルバー』
『フーテンのマハ』
『ジヴェルニーの食卓』
『常設展示室』
『アノニム』
『風神雷神』

*2 外観はSVで見ることができる。


 


名刺 昨日の5枚

2024-03-27 | C 名刺 今日の1枚

 
 拙著『あ、火の見櫓! 火の見櫓観察記』は辰野町小野下町の火の見櫓が登録有形文化財に登録されるきっかけにもなった(過去ログ)。登録が決まったら辰野町の図書館に寄贈しようと決めて、1冊袋に入れて保管していた。

自費出版した本の寄贈の申し出に図書館が苦慮することもある、と承知しているが、今回の登録有形文化財への登録申請書類にも参考資料として載せていただいていることから、蔵書として受け入れていただけるだろうと思っていた。で、登録申請手続きを担当された職員の方に連絡して、昨日(26日)の午後、持参した。

驚いた。図書館へ行くと、町の担当者の他にも何人かの人が待っておられた。本の寄贈について取材する地元の新聞社他の記者の方々だった。下記の5人の方(名前は記さない)と名刺交換した。お渡ししたのは237~241枚目の名刺だった。

信濃毎日新聞伊那支社 記者、長野日報社諏訪湖総局 記者、たつの新聞社・みのわ新聞社 記者、エルシーブイ 放送制作部 取材担当、辰野町役場 まちづくり政策課。

対面取材は何回か経験しているけれど、同時に複数社の取材を受けるのは初めてで、戸惑った。

私のコメントをごく簡単にまとめた小さな記事が掲載されるのだろう。


 


北 杜夫が現代語訳した「竹取物語」を読んで

2024-03-26 | A 読書日記

 私の村では4か月児にファーストブック(絵本)を、小学1年生にセカンドブックをプレゼントする事業を既に実施している。令和6年度から小学6年生にサードブックをプレゼントする事業を実施する予定とのことで、図書館協議会委員を務めている関係で私もサードブックに相応しい本の推薦を依頼され、3冊推薦した(過去ログ)。その中の1冊に「21世紀版 少年少女古典文学館」(講談社)の第1巻、橋本 治が現代語訳した「古事記」を選んだ。


私が推薦したサードブックの3冊

先日、図書館へ推薦本を持参し、担当者に3冊の本の推薦理由を説明した。その際、図書館に「21世紀版 少年少女古典文学館」全25巻が揃っていると聞いた。このシリーズの第2巻に北 杜夫の「竹取物語」と俵 万智の「伊勢物語」が収録されている。北 杜夫の「竹取物語」も読んでみたい、と前から思っていたので、第2巻を借りてきた。

本の見返しに「寄贈本」というスタンプが押してある。どなたかが全巻寄贈されたのだろう。すばらしい。


スタバで朝カフェ読書。昨日(25日)第2巻の『竹取物語』(図書館本)を読んだ。私は小学生の時に「かぐや姫」という書名の『竹取物語』を読んでいると思う。多くの人が私と同様に小学生の時に読んでいるだろう。

『竹取物語』は平安前期に成立した物語で、『源氏物語』に出てくる。第17帖「絵合」に**まず、最初につくられた、物語の元祖というべき「竹取物語」と「宇津保物語」を取り上げて勝負を競う。**とある。(角田光代 現代語訳『源氏物語』上巻 河出書房新社 518頁)

『竹取物語』はこのように日本最古とも言われる物語。改めてこの物語を読んで、これはSFだと思った。そう、日本最古の『竹取物語』はSF。物語の最後に、「え、そうなのか」と思った箇所があったので、記しておきたい。

**調石笠(つきのいわかさ)はそのおことばをうけたまわって、兵士たちをおおぜい引きつれて、山にのぼったが、そのときから、その山を「富士の山」、つまり「士(つわもの)に富んだ山」と名づけたのである。**(112頁)

私は、二つとない山という意味で不二の山、その表記が富士の山となったという説明を記憶しているが・・・。富士山という名前の由来が『竹取物語』にあったとは。

調石笠は帝の使者で、本の注釈に**調氏(つきし)は古く応神朝に帰化した百済系の氏族。もちろん、月と同音なので選ばれた登場人物。石笠(いわかさ)の名も、山の岩と月の暈(かさ)を響かせてあるのかもしれない。**(112頁)とある。少年少女向けとはいえ、解説は詳しい。「古事記」もそうだった。

このシリーズには朝ドラ「らんまん」の寿恵子がこよなく愛した『南総里見八犬伝』も収録されている。第21巻の「里見八犬伝」だ。現代語訳したのは栗本 薫。これ、読んでみよう。

他にも、「うつほ物語」津島佑子、「西鶴名作集」藤本義一、「東海道中膝栗毛」村松友視など、読みたい物語がこのシリーズに収録されている。安部公房も年内に手元の新潮文庫22冊を読みたいし、他にも読みたい本は次々出てくる。忙しいなぁ。でもうれしい。


 


明治時代に撮影された火の見櫓の写真

2024-03-25 | A 火の見櫓っておもしろい


東筑摩郡山形村下竹田の火の見櫓(火の見梯子) 撮影1909年(明治42年)
山形村史談会会報167号15頁より転載

 長野県立歴史博物館の特別館長・笹本正治氏の「激突する権力の狭間で ~武田氏滅亡後の信濃~」と題した講演会が昨日(24日)の午後、山形村であった。本稿はこの講演に関するのもではないので、以下に私なりに理解した講演の趣旨を記すにとどめたい。

戦国時代は戦乱の世。戦国武将が勇敢に戦うというようなイメージとはだいぶ違う。民衆もまき込む戦禍、多くの女性や子どもたちも犠牲になった。また捕らえられた足弱は売られた。山形村にも複数ある山城は民衆の避難所として整備されたと考えられる。戦争といる愚行の様相はウクライナでもガザでも変わらない。人類はいつまで戦争を続けるのか・・・。歴史を研究する意義、それは歴史を学ばずに未来づくりはあり得ないから。

*****

令和6年は山形村150周年、史談会創立50周年の記念の年とのことで、講演会の主催は山形村教育委員会と山形村史談会だった。受付で配布されたのは講演で使われるパワポを出力したシートと史談会の会報(167号)だった。

史談会の会報に「村で最初の「下竹田消防組」=明治42・43年の写真=山形村消防団前身の組織に」というタイトルの記事があり、①私設下竹田消防組発会式記念 M42.4.3、②私設下竹田消防組発会式記念 M42.4.3 (上掲写真)、③公設山形村消防組発会式記念 M44.4.3 以上の3枚の写真が掲載されていた。①と③は消防団員の集合写真だが、上掲した写真②は発会式の何か催しの様子を撮影したものだろか、かなり背の高い火の見梯子が写っている! 旭日旗を目にすると私は平和な時代をイメージできない・・・。明治42年(1909年)というと日露戦争(1904~1905)の4年後だ。

講演会終了後に史談会の会長に②の写真のSNSへの転載をお願いして、了承していただいた。今までに大正時代に写された火の見櫓の写真は見たことはあったが、明治時代の写真を見るのは初めて。

火の見梯子には消防団員が10人以上も登っている。団員の身長などから推測するに梯子桟の間隔は50cm以上あるだろう。火の見梯子の高さは優に20mは越えていると推測される。

控え柱は無さそうだ。残念ながら支柱の固定方法は写真からは確認できない。梯子の中間に双盤型の半鐘を吊り下げてある。屋根付きだが、このような様子はその後も変わっていない。

キッチリ火の見梯子のてっぺんまで写っている。これは貴重な写真だ。



東筑摩郡朝日村の火の見櫓 撮影1925年(大正14年)


 


異日常、非日常

2024-03-24 | A あれこれ


上高地にて 2023.07.20

 昨年(2023年)の7月と10月に大学院時代の仲間3人と上高地へ出かけた。「新緑の上高地、いいだろうね。また行きたいね」ということで、同じメンバーで5月にまた上高地へ行くことになった。7月は明神池の対岸にある明神館、10月は松本市内のホテルに泊まった。今度は白骨温泉に泊まろうと、先日宿の予約をした。日程の調整や宿の相談にグループラインが有効だった。

昨年は2回とも天候に恵まれたが、今回はどうだろう。ま、みんな晴れ男だから大丈夫だろう。

その前、4月には上高地仲間に大学時代の後輩を一人加えた4人とぼくとで、恩師を囲む会(食事会)が予定されている。で、1年ぶりに上京する。昨日(23日)JRのきっぷを買い求めた。囲む会の翌日にマティス展に行こうと思う。他にも東京都復興記念館や八幡橋(旧弾正橋)など、行きたいところがある。

日常の中に異日常を挟む。そうすることで日常生活に変化を付ける。さらに非日常な日を設ける。月に何回かの異日常と年に数回の非日常。今年もそんな年になればうれしい。


33会の旅行 松山城にて 2024.01.11


28会の旅行 横浜中華街 状元楼にて 2024.02.15

今年は非日常なイベントとして既に1月に33会の松山旅行、2月に28会の南房総旅行があった。そして、4月の恩師を囲む会と5月の上高地。

このような生活が送れることに感謝しなくては。 


 


「異日常」な日常

2024-03-23 | D 新聞を読んで

 今日、23日の朝日新聞のオピニオン面に生活文化アナリスト・高井尚之さんの**仕事の場「異日常」で刺激**という見出しの記事が載っていた。異日常という言葉があることをこの記事で初めて知った。

記事で高井さんはスターバックスなどのカフェチェーンで一人でパソコン作業をするスタイルが2010年ころ出現して10年代後半にはだいぶ一般化したと指摘し、その理由について次のように書いている。

**わざわざカフェで仕事をするのは、そこに「異日常」があるからだと思います。非日常というほどではないけれど、自宅とは違う。周りのざわざわした声が適度な刺激になるから、時々日常を使い分けているのでしょう。**

私は週に2回、この頃は大概火曜日と木曜日の午前中1時間から1時間半ほどスタバで読書をしている。このことについて以前は異日常という言葉を知らなかったから次のように書いていた。

**日常の中で非日常なひと時を過ごすつもりで始めた朝カフェ読書だったが、週2回のペースの今ではすっかり日常、となった。**(2020.12.17)

日常と非日常。日常に中には別の日常、異日常があるという捉え方か・・・。なるほど。

では、なぜスタバに異日常を求めて週2回も出かけるのか。自宅でドリップしたコーヒーを飲みながら本を読んでもよいではないか。それは日常生活にめりはりというか、変化を求めているから。

高井さんは最後に**いい店というのは、それぞれの時間を楽しめる店だと、私は思います。本を読む人の隣で、おしゃべりする人も、静かに仕事する人もいる。元々カフェや喫茶店は、多様性が持ち味なのですから。**と書いている。

私は以前次のように書いた(過去ログ)。

**平日の朝、このスタバの2階を利用するお客さんは、大概ひとりで席に着く。パソコンで作業をする人、参考書を開いて勉強する人、私のように本を読む人。皆似たようなことをしている。

スタバの建築空間そのものが魅力的だから利用を続けているのだろうか。自問するにどうもそうではないような気がする。同じような目的の人が空間を共有しているという状態が心地よいのだと思う。**

休日にスタバを利用することがほとんどないのは、混むこと、それから平日とは客層が変わって上記のようにはならないから。


 


新聞記事の記録 追記

2024-03-22 | A 火の見櫓っておもしろい


 上伊那郡辰野町小野に立っている「旧小野村下町火の見櫓」を旧小澤家住宅(油屋)主屋と表門と共に国登録有形文化財にするよう今月(3月)15日、国の文化審議会が文部科学大臣に答申したことが16日付の新聞各紙で報じられた。

私はこの件で地元のたつの新聞からも取材を受けていた。今日(22日)、記事が掲載されている16日付 たつの新聞が郵送されてきた。電話取材だったが、この火の見櫓についての私の説明などがきっちり書かれている。

**平林さんによると鉄骨造の火の見やぐらの登録は5件とわずか。地域のランドマークである下町の火の見やぐらが県内第1号として登録されると「住民からの認識が変わる」とし、「ほかの市町村でも主だった火の見やぐらを撤去せずに残す動きが出てくれば」と期待を込める。** 記事はこの様に結ばれている。そう、この様に私は願っている。

一方で同日、16日に「市民タイムス」には「火の見やぐら 撤去進む」という見出しの記事が掲載された。塩尻市が老朽化した火の見やぐら(新聞記事では火の見やぐらと表記されることが多い)の撤去を少しずつ進めている、という内容で**消防団各部で必要とする20基を残して順次解体していく方針だ。**と記事のリード文の結びにある。これが各自治体の対応の現状だ。このような状況にあって、小野の火の見櫓が登録有形文化財になるということは意義深く、大変うれしい。

登録有形文化財に登録されている火の見櫓(過去ログ

火の見櫓に関する取材を受けた新聞記事の記録

① 2012年  9月18日 タウン情報(現MGプレス):魅せられた2人の建築士が紹介  火の見やぐら
② 2014年  4月18日 信濃毎日新聞:われら「火の見ヤグラー」
③ 2019年  5月26日 中日新聞:奥深い魅力のとりこに 県内外の火の見やぐら巡り ブログで紹介
④ 2019年10月21日 MGプレス:「火の見ヤグラー」魅力まとめて本に
⑤ 2019年11月 * 旬 Syun! :魅せられた“火の見ヤグラー” の本刊行      (* 月1回発行)
⑥ 2019年11月16日 市民タイムス:火の見櫓の魅力1冊に
⑦ 2020年  8月13日 市民タイムス:スケッチ「火の見櫓のある風景」(市民の広場 私の作品)
⑧ 2020年  8月23日 中日新聞:合理性追求 構造美しく 
⑨ 2022年  4月21日 日本経済新聞:火の見櫓  孤高の姿撮る(文化面)
⑩ 2022年  8月10日 たつの新聞:地域の「火の見」の魅力学ぶ
⑪ 2023年12月24日 中日新聞:しなのQ&A 火の見櫓 役目終え無用の長物? 地域史の生き証人 保存、活用の事例も
⑫ 2024年  3月16日 読売新聞:辰野の火の見櫓 国文化財に 文化審答申 地域のランドマーク(長野県版)
⑬ 2024年  3月16日 たつの新聞:小野の建造物3件 国登録有形文化財に 国の文化審議会が答申


 


「石の眼」を読む

2024-03-21 | A 読書日記

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 安部公房の作品を高校生の時に読み始め、よく読んだのは大学生の時、その後も読み続けていた。今年は1924年(大正13年)生まれの安部公房の生誕100年の年。雑誌「芸術新潮」が3月号で特集を組んでいることからも分かるが、ノーベル賞に最も近い作家と評されていた安部公房は過去の作家ではない。

今月(3月)刊行された遺作『飛ぶ男』(新潮文庫)は、よく売れているようだ。紀伊国屋書店新宿本店の文庫のランキング(3月4日~10日)で1位になっていた(全国紙の書評欄)。新潮社のHPによると『飛ぶ男』は読者全体の3分の1を50~70代が占めているそうだ。若かりし頃、安部公房の作品を読んでいた読者が約30年ぶりの新刊を手に取っているとのことだが、私もそのひとり。

安部公房の『石の眼』(新潮文庫1975年1月30日発行)の初読は記録によると発行直後の同年2月、再読は1993年2月。それから31年後、またこの小説を読んだ。

安部公房の作品には観念的な内容が硬い文体で綴られている、というイメージがあるが、この作品はそのようなイメージからは遠く、読みやすい。

内容についてカバー裏面の作品紹介文から一部を引く。**完成近いダム建設地、しかしそのダムは業者と政治家の闇取引による手抜き工事で、満水になれば必至であった。不正の露見を恐れ、対策に狂騒する工事関係者たちへの審判の日が来た――。**

私が好む推理小説仕立ての小説で、よくできたストーリーだとは思うが、なんとなく物足りなさを感じてしまうのは、私が安部公房の作品に求めているのは既に読み終えた『人間そっくり』や『他人の顔』、今後読むことになる『箱男』、『砂の女』などの「人の存在」そのものを問う観念的で濃密な作品を求めているからではないか、と思う。

ところで、松本清張に『眼の壁』という推理小説がある。『石の眼』を間違えて『眼の壁』だとある人に伝えてしまった。シマッタ! 安部公房には『壁』という芥川賞受賞作があるので間違えた?

尚、『石の眼』は現在絶版になっている。


さて、次は『夢の逃亡』(新潮文庫1977年)。


手元にある安部公房の作品リスト(新潮文庫22冊 文庫発行順 戯曲作品は手元にない 2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する)
月に2、3冊のペースで読んでいけば年内に一通り読むことができる。

『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月


 


おつカレーさまでした!

2024-03-19 | A あれこれ


 我が村で今年度予定されていた子ども食堂「カレー大作戦」全10回が先日終了して、今日19日の夕方反省会&交流会が行われた。28会からは予定通り3人が参加した(過去ログ)。 会場に集まったのは30人ほどだっただろうか。いやもっと多かったかもしれない。

パワポを使った今年度の振り返りと今後の活動作戦。実績報告ではお米や野菜の寄付がたくさん寄せられたことなども報告された。村外からも寄付があったとも。嬉しい報告だ。

パワポで示された各回の様子を見ていて、地域社会を支えているのは人、そして人と人との繋がりなんだ、と改めて思った。多くの人の善意が支えているんだなぁ・・・。

3歳、そう保育園から一緒だったから気ごころの知れたおっさんたちが来年度もチーム力を発揮して、楽しく出来たらいいな。


交流会で供されたカレーを自宅でいただいた。

カレーと言えばこの味、というド真ん中の味で美味かった。10回目のカレーのニンジンはいちょう切りだったが、このカレーのニンジンは乱切りだった。28会のカレーづくりで、ぼくも乱切りした。簡単だし、カレーの具材はジャガイモもそうだけど、ニンジンも大きい方が好きなので。


 


今年度最後のカレー大作戦

2024-03-18 | A あれこれ

 全国各地で行われている子ども食堂。我が村でも今年度10回予定されていた。題して「カレー大作戦」。28会も参加した(過去ログ)。

今月(3月)16日は10回目の「カレー大作戦」だった。最終回ということで28会の仲間ふたりと一緒に出かけた。この日、昼間独身な私は1個買い求めた(子どもは無料、大人は300円)。

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家で早速いただいた。具材は豚肉の他にジャガイモ、ニンジン、タマネギ、トウモロコシと、ごく一般的なもの。甘めの味は子どもたちが喜ぶだろう。

28会の回も何人ものボランティアの方にお世話になったが、最終回の今回も同じで何人もサポートしていた。すばらしい。

19日の午後、カレー大作戦の反省会がある。私も28会のFM君とMS君と一緒に参加することにしている。来年度も実施することになれば、28会は参加することになるだろう。飲んでばかりではダメだから・・・。まあ、当日の慰労会が楽しみなんだけど。