『天頂より少し下って』川上弘美/小学館
**奇妙な味とユーモア、そしてやわらかな幸福感 川上マジックが冴えわたる、極上の恋愛小説7篇。**(帯より)
くっきり、はっきりなカバー装画はパウル・クレーの「人形劇場」。川上弘美の小説に相応しいのかどうか、でもきれいですね。
さっそく読みはじめます。
読み終えたら加筆します。
『日本の建築遺産12選 語りなおし日本建築史』 磯崎新/新潮社 とんぼの本
「磯崎流日本建築史」を読む。
日本の建築は常に外部から技術を取り入れ、それをオリジナルとは違う形に独自に変形させてきた。磯崎さんはこの変化の過程を「和様化」と捉え、その歴史を語りなおすという試みをしている。
この論考で取り上げられる日本建築を特徴づけるふたつの流れ、「垂直の構築」と「水平の構築」。柱を立てる行為に象徴的な意味があるとする垂直の構築と横の広がりを建築の内部にとりこむ営み、水平の構築。取り上げた12件の建築をこのふたつの概念で対にして読み解いていく。その過程で明らかにされる「和様化」とは・・・。
それを私なりに解釈すると、「くずしの美学」だ。
形式がきっちりして固すぎるヨーロッパや中国のデザインのかたちをくずし、固さを取り払っていく日本の建築。そういえば伽藍配置もシンメトリックな構成が次第にくずされていったのだった(『法隆寺の謎を解く』 武澤秀一/ちくま新書)。それは漢字が楷書から草書へとくずされていき、ひらがなを生んだ文化にも通じる。
しかし、今や「グローバリゼーション」の時代。「和様化」の時代は終わった・・・。これからどうする?
『映画空間 400選』 長島明夫+結城秀勇 編/INAX出版
「映画の建築・都市・場所・風景を読む 映画史115年×空間のタイポロジー」
■ こんな本が出版されたことを知ると直ぐ注文してしまう。一気に通読する、という本ではない。書棚の取り出しやすいところに置いて、ときどきパラパラとページをめくって楽しむ本だ。マニアな雰囲気かつ上品なカバーデザインがいい!
熱心な映画鑑賞者でなくとも400本も紹介されていると、知っている映画、観た映画も取り上げられている。
映画の「空間」、それも「都市空間」が最も印象に残っているのは『第三の男』だ。この映画の舞台というか、都市は大戦直後のウィーン。その大観覧車、その地下水路。モノクロの光と影。この映画では建築よりも建築的に空間の奥深さが表現されていた。
ちなみに「時間」が最も印象に残っている映画はスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』だ。この映画ほど「時間」、それも「宇宙時間」とでもいったらいいのか、を意識させられた作品は他にない・・・。
166
■ 今月読み続けている漱石の『吾輩は猫である』に次のようなくだりがある。
**ますます神の全知全能を承認するように傾いた事実がある。それはほかでもない、人間もかようにうじゃうじゃいるが同じ顔をしている者は世界じゅうに一人もいない。顔の道具はむろんきまっている、大きさも大概は似たり寄ったりである。(中略)よくもまああれだけの簡単な材料でかくまで異様な顔を思いついたものだと思うと、製造家の伎倆に感服せざるをえない。よほど独創的な想像力がないとこんな変化はできんのである。**(164頁)
火の見櫓の観察を続けていると、同じ想いを抱く。
Tさんに謝謝。
■ この火の見櫓の見張り台の優雅なフォルム!
「リボンの騎士」の王女の服の短いスリーブのよう。
写真を撮ってきてくれたTさんに感謝。
■ 今月は毎日少しずつ『吾輩は猫である』を読んでいる。この小説を読むのはたぶん3回目。
名前のない猫の飼い主、苦紗弥先生は英語教師。モデルは漱石自身。そして猫は漱石を客体化して観察するもうひとりの漱石。ビートたけしを客観視する北野武と同じだ。
猫が台所で今まで一ぺんも口にいれたことがない雑煮を食べたもののかみ切れず、前足を使って餅を払い落そうとあと足二本で立って台所じゅうあちら、こちらと飛んで回るという、まるで赤塚不二夫のニャロメのようなシーンが早々に出てくる。ここで笑った。
読み進むと苦紗弥先生の家に夜中に泥棒が侵入するという「事件」が起きる。泥棒は先生の枕元に大切そうに置いてあった箱と、奥さんの着物や帯を盗んでいく。箱の中身は価値ある書画骨董の類かと思いきや、山芋だった・・・。実際に漱石家には泥棒が入ったそうで、小説同様、奥さんの帯や着物を盗んでいったという。
**先生この猫をわたしにくんなさらんか。こうして置いたっちゃなんの役にも立ちませんばい**と多々良さんに言われて(179頁)、鼠も捕らず、泥棒が来ても知らせようとしない猫はピンチに陥る・・・。
今月中に読了できるかどうか。
『環境デザイン講義』 内藤廣/王国社 読了。
今週もおつかれさま
がんばったご褒美は
VALOのコーヒー
人生はよく旅に喩えられますね。
ならば、道路標識って人生訓というか、人生案内として理解することができるかもしれません。
では、この標識って何を意味しているんでしょう。
この数日考えていたのですがどうも分からないんです。
VALOでKさんやYさんにきいてみたのですが・・・。
人生の意味って自分で見つけ出すしかないんですね。
だから、この標識も自分で何とか理解しないと、ね。
・・・・・
夕暮れの帰路、ふと浮かんだのが石原裕次郎の「わが人生に悔いなし」でした。
♪ 右だろうと 左だろうと わが人生に 悔いはない
♪ 純で行こうぜ 愛で行こうぜ 生きてる かぎりは 青春だ
作詞:なかにし礼/作曲:加藤登紀子
■ 昨晩(22日の夜)、「たけしアートビート」というNHKのテレビ番組を見ました。ビートたけしが宮大工棟梁の小川三夫氏を斑鳩の里に訪ね、ふたりで薬師寺の東塔(国宝)の内部に入って、1300年も前の職人たちの技を観たり、師匠の話をしたりするという内容でした。以前見た同番組ではピアニストの辻井伸行さんがビートたけしのイメージを即興で弾いていました。
ところで小川三夫氏の師匠は昭和の名工、宮大工棟梁の西岡常一氏です。西岡氏の『木のいのち木のこころ』新潮OH!文庫に「塔堂の木組みは寸法で組まず木の癖で組め」という口伝が紹介されています。上の左の+のように寸法だけにこだわって組むのではなく、右の+のように不揃いな部材を癖を見抜いて組むことの大切さを説いているのです。
**左に捻じれを戻そうとする木と、右に捻じれを戻そうとする木を組み合わせて部材同士の力で癖を封じて建物全体のゆがみを防ぐんですな。もしこのことを知らずに、右に捻じれそうな木ばかりを並べて柱にしたら、建物全体が右に捻じれてしまいますな。(中略)法隆寺の五重塔や金堂を解体してみまして、この口伝が完璧に守られているのを感じました。**(155頁)
1300年も前となると、今のような大工道具、例えばのこぎりも無くて、部材の寸法も不揃いだったそうですが、それらを上手く組んで塔堂を造り上げているというのです。凄いですね。その技は私には見えないでしょうが、その塔堂の前に立ちたいです。
晩秋の奈良・・・。
常念岳 110622
■ NHKの連続テレビ小説「おひさま」をときどき見ています。今朝(22日)はBSプレミアムで朝7時半から見ました。
時は太平洋戦争末期、昭和20年3月。この月の10日、東京大空襲。東京から安曇野に縁故疎開している幼い姉妹の両親が列車で信州に向かう途中に空襲で亡くなってしまいます・・・。
陽子先生はそのことを静かに杏子(漢字表記は新聞のテレビ欄で知りました)ちゃんに伝えます。悲しみにじっと耐える杏子ちゃんの姿・・・。だめです、涙もろい中年はここで涙、涙。
「もおらしいわや~」、お袋ならきっと声に出したに違いありません。「もおらしい」というのはこちらの方言で「かわいそう」という意味です。
杏子ちゃんが今度はこのことを妹に話します。「うそだぁ~」泣きくずれる妹(ときどきしか観ていないので名前を知りません)。 このシーンでも涙がポロポロ・・・。
このとき、ふと思いました、東日本大震災で両親を亡くした子どもたちのことを。「あの日、幸福な家庭を津波が奪ってしまった・・・」
幸せってごく普通の暮らしの中にある、ということを改めて感じました。 不幸せって、「幸せ感度」が鈍くなってしまうことなのかもしれません。
■ 奈良。入江泰吉の風景写真が浮かんできます。季節は晩秋か早春。奈良に似合うのはススキか白梅。奈良にはそんなイメージを持っています。ちなみに京都に似合うのは紅葉と桜です。
奈良で行きたいのは法隆寺、薬師寺、そして秋篠寺。
法隆寺 法隆寺の謎を解く・・・。この本を読んでから行ってみたいと思っています。
薬師寺 宮大工棟梁西岡常一氏によって再建された西塔。西塔の屋根の勾配は東塔よりも少し緩やかなのだとか。次第に屋根の先が下がることを考慮していると聞いた曖昧な記憶があります。西岡棟梁の言葉だったと思うのですが、五百年後くらいには東塔と同じくらいの勾配になるそうですね。
秋篠寺 伎芸天。仏像を特集した雑誌でみて魅せられてしまいました。一番美しい仏様を拝観したいと思っています。
ああ、奈良に行きたい・・・。
■ 松本清張の作品に『数の風景』という推理小説があります。手元に文庫があるはずなんですが、書棚に見つかりませんでした。で、えんぱーくで単行本を取り出して写真を撮りました。 このタイトルに倣ってこれからは時々「数字のある風景」について書いてみようと思います。
「数字」は風景の中にあふれていますから、いろんな写真を撮ることができそうです。写真にどんなことを書くことができるか分かりませんが始めてみようと思います。
第1回目はこの写真。今日(20日)、JR大糸線の梓橋駅で撮りました。
衣料品売り場、ズボンのウエストサイズの表示がなぜこんなところにあるんでしょう・・・。
■ 『神様』は川上弘美のデビュー作で、第一回パスカル短篇文学新人賞を受賞した。くまにさそわれて(小説では「くま」も「さそわれて」もひらがな表記)川原へ散歩に出かけるというごく短い物語だが、この作品に福島第1原発のトラブルの後、手を加えたのが『神様2011』で、雑誌「群像」に掲載されている。今日(19日)えんぱーくで読んだ。
**「いい散歩でした」
くまは305号室の前で、袋から鍵を取り出しながら言った。**
**「いい散歩でした」
くまは305号室の前で、袋からガイガーカウンターを取り出しながら言った。**
『神様』ではくまが袋から取り出すのは鍵だが、『神様2011』ではガイガーカウンターになっていた。帰宅すると外部被曝線量と内部被曝線量を計測し、累積外部被曝線量と累積内部被曝線量を計算するのだ。 そう、 花たちが日々の外気温の積算値を「計算し」、それがある値になると咲き出すのと同様に、被曝線量は日々の値ではなく、その「累積値」が問題になることを川上弘美はきちんと書いている。
あとがきには**静かな怒りがあれ以来去りません**とあった。 いち早く福島第1原発のトラブルを小説で取り上げた川上弘美はやはり作家としてスゴイ。
165 夏のフォトアルバム 奈良井宿 110619 早朝
中山道奈良井宿。 木造2階建て平入りの建物が軒を連ねている。緩勾配の切妻屋根、出桁造りで軒が深い。軒下両端のうだつ壁がリズミカルに並ぶ。
それぞれの火の見櫓にはそれぞれの歴史がある。宿場を後方からそっと見守る姿が凛々しい。