透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「密教」を読む

2013-05-28 | A 読書日記



 『伊勢神宮 ―東アジアのアマテラス』で著者の千田 稔氏は**日本において神仏習合がなされ、神と仏が習合しえたのは、神道が言語化されていないという特質をもっていたからこそ、多弁な経典を持つ仏教とも、思想的な対立関係を生みだしにくいという構造があったためである。**(14頁)と指摘している。私の中でも興味の対象として神道と仏教との間を隔てるものなど無い。

で、今読んでいるのは『密教』 松長有慶/岩波新書。

密教あるいは広く仏教に関する素養がないと読みこなせない。仏教用語がどのようなことを意味しているのか、概念規定が分からないので、内容がきちんと理解できない・・・。それでもピントが合っていない画像でも、なんとなく写っているものの輪郭や色が分かるように、馴染みのない言葉で書かれた文章でもその内容がおぼろげながら浮かび上がってくる。仏教は思想であり哲学でもあるからもともと難しいのだ。

別に読了する義務など無いのだから、途中で投げ出しても構わないが、最後まで読んでみたい。何かひとつでも「なるほど!」ということがあればそれでいい。



 


祝 山雅ホーム初勝利!

2013-05-26 | A あれこれ

 

 松本山雅 VS カターレ富山

山雅、船山のハットトリックでホーム初勝利。

カターレのライカくんは、雷鳥とニホンカモシカをベースにデザインしたんだとか。やはり雷鳥をデザインした山雅のガンズ君。今日は頭にリボンをつけてスカートで登場。女装したのか・・・。

ゲームの前半はなんだか淡泊な内容で得点できそうな感じではなかった。後半はカターレのディフェンスが甘くなって、得点できた。ヒヤッとさせられる場面もあったが、何とか守りきった。



得点直後 サポーターがタオルマフラーをくるくる回す光景はすごい。


 


信州岩波講座 高村 薫 講演会

2013-05-26 | A あれこれ



 まつもと市民・芸術館で高村 薫の講演「私たちはどういう時代に生きているのだろうか」を聴いた。作家の講演を聴くのは大江健三郎以来。今、社会問題や政治問題に積極的に発言している作家を私はこの二人くらいしか知らない。聴講者約1000人。

繁栄の終わりの時代をどう生きるかという問い。対する答えがきちんと時代を見つめ、未来への意思を固めてそれを言葉にすること。多数の意思が未来の社会をつくる。

以下にメモを基にした再構成(私の理解不足で講演の内容と異なっているところがあるかもしれない。文責はもちろん筆者にある。といっても匿名で書いているのだが・・・)を載せる。

繁栄の終わりを迎える時代、何かがおかしいと感じる。政治も経済も社会も。山一証券の破たん、バブル経済、リーマンショック、東日本大震災、福島原発の事故・・・。よりどころだった優れた科学技術や経済が崩れた。80年代にはまだ国民が自分の未来を見ていた。

政治家の思想も哲学もない発言はあまりにも軽く、薄い。人口が減りつつ得る現在、右肩上がりの経済、産業構造は無理だ。年金制度は破たんするかもしれない。

だが、文化生活をするためのインフラ、教育、医療などは維持するために低成長社会を築く必要がある。のほほんとしてはいられない状況だ。気合いを入れて生きなくてはならない。「釣りバカ日誌」の鈴木建設のハマちゃんも営業三課もいらない。

今は未知の視点に立っている。未来が見えない。だがまだ絶望的な状況ではない。現代の状況を見つめ直し、未来社会をどうしたいのか意思を固めなくてはならない。そして言葉にしなくてはならない。未来への意思を言葉にすることで多数の意思が形成されていく。それが社会を変え、未来の社会をつくる。


 

高村 薫の初期の作品は好んで読んだが、作風を変えた『晴子情歌』以降の作品は未読。『新リア王』か最新刊の『冷血』を読むか・・・。


 


アイストップ 常念岳

2013-05-25 | A あれこれ



春のフォトアルバム 松本市内から望む常念岳 (左側の稜線の端部に槍ヶ岳の先端が見えている)

 『見えがくれする都市』 槇 文彦他/鹿島出版会SD選書に収録されている論考「微地形と場所性」で若月幸敏氏は**日本には古くから周囲の山を生けどって借景とする造園手法があった。この場合遠景の山は単なる背景ではなく、より積極的に庭園内部の構成と関係付けられている。**(118頁)と日本の伝統的な造園手法を紹介し、この手法が江戸市街地の町割りにも活かされたのではないかと述べている。

通りの軸線方向に富士山を仰ぐような計画が江戸のまちづくりにみられる。

私が昔住んでいた東京都国立市には富士見通りと名づけられた通りがあるが、アイストップ(eye-stop)として通りの正面に富士山があった。計画的につくられた町にこの手法が使われたのだろう。

同様のことが地方都市でも行われていたのではないか。「常念通り」の正面に座る常念岳を見るとこの思いを強くする。だが、そのような計画性は認められないという調査結果(どのような分析手法でなされたのか分からないが)を以前新聞で読んだ。

*****

北アルプスの残雪と地肌が形づくる雪形の季節になった。松本市内からは見ることができないが、常念岳に出現する常念坊という雪形はよく知られている。他にもいくつもの雪形が北アルプスのあちこちに出現する。

この地方の人々は北アルプスの秀峰を朝晩仰ぎ見て暮らしている。恵まれた環境だと思う・・・。


 


「伊勢神宮―東アジアのアマテラス」

2013-05-25 | A 読書日記



■ 今年は伊勢神宮の式年遷宮の年。690年に始まり今回で62回目。その一連の行事のひとつ、完成した正殿の外構に敷く白石を奉献する御白石持行事に7月末に参加を予定している。

この機会に伊勢神宮に関する本を読もうと手にした『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』千田 稔/中公新書を読了した。本書は序章から終章まで7章から成るが、第1章の「アマテラスの旅路」と第2章の「中国思想と神宮」を興味深く読んだ。

「天空を照らしておられる太陽神(日神)」という意味の天照(アマテラス)大神。記紀神話で語られる天孫降臨神話、その垂直的な降臨のイメージを水平方向の到来伝承と読みかえるのがふさわしいと現実的(?)に考える著者は**ホアカリノミコトという海洋民の神がアマテラスという神格を獲得する直近の神とみ、九州南部の天孫降臨伝承から、中国南部に私の視線は投げられる。**(50頁)と述べている。

中国の道教は北極星を象徴化、最高神としているとのことだが、この「星の宗教」が日神アマテラスの祭祀にとりいれられたという指摘。つまり**星の宗教の太陽の宗教への変換的受容**(66頁)。

内田 樹さんは『日本辺境論』/新潮新書で「(華夷秩序に於ける)中華の辺境民」でOKだと自ら認めているからこそ「漢」字と自国で工夫したかなを併用して平気なのだと指摘した。このメンタリティは古代の日本人の心も占めていたようだ。たぶん今よりずっと強く・・・。




 


山形村の石仏群

2013-05-23 | B 石神・石仏



 東筑摩郡山形村の下竹田地区の集会施設(公会堂)の庭に40体を超える馬頭観音が祀られている。もともとは別々の場所にあったものをここにまとめたのだろう。全て文字碑でここに馬頭観音像は1体も無い。

馬頭観音には煩悩や悪心を断つ功徳があるそうだが、後世になるとその名前故、馬の神様として崇められるようになって、馬が死ぬと供養のために建てられたという。

石仏群の中に庚申塔もあった(下の写真)。左側面に大正七年十二月と彫ってあるが、この年の干支は庚申ではないし、11月9日がこの年最後の庚申の日で、12月に庚申の日はない。すべての庚申塔が庚申の年に建てられたわけではないのだ。





上半分だけの青面金剛像(江戸時代以降、庚申様の仏教的な解釈で青面金剛が本尊とされた)もあった。


 


養浩館

2013-05-22 | B 繰り返しの美学

 江戸時代には「御泉水屋敷」と呼ばれ、福井藩主松平家の別邸だった数寄屋造りの養浩館。
先日所用にて福井まで出かけた際、見学しました。





柱や桁、垂木(たるき)に丸太が使われています。垂木に注目。杉のみがき丸太とこぶし(数寄屋建築用材として香節とも表記されます)の丸太が使われています。杉材2本とこぶし材1本の繰り返し。軒天井がリズミカルで美しいです。数寄屋における繰り返しの美学・・・。


 


朴の葉で包む 遊ぶ

2013-05-21 | A あれこれ

 今年も「ほう葉巻」の季節になりました。「包む」というカテゴリーはほう葉巻のためにあるようなものです。

毎年同じことを書いています。

 

ほう葉巻は木曽地方の季節限定(5月中旬から7月下旬)の蒸し菓子です。米粉をこねた生地で 小豆餡を包み、朴(ほお)の若葉で包んで蒸してつくります。朴(ほお)の葉で包むのですから「ほお葉巻」という表記ではないかと思いますが、「ほう葉巻」という表記が一般的のようです。

今年もAさんからほう葉巻をいただきました(写真)。Aさん毎年ありがとうございます。

 *****

朴の葉は枝の先端に放射状に付きます。子どものころ朴の枝を折って、葉の片側を手でちぎり取って風車(かざぐるま)を作って遊びました。

これだけの説明ではなぜ風車ができるのか分からないですよね。肝心のところの説明が難しいのです。放射状に付いた葉の付け根のところで皮がリング状に枝から抜けるんです。それを向きを逆にして元あった枝先に挿し戻して、って分かりにくいですね・・・。興味のある方は調べてみてください。田舎の素朴な遊びです。


 


福井その3 福井県立図書館

2013-05-19 | B 繰り返しの美学









柱頭のデザインが印象的だ。空間のボリューム、天井の高さなど、バランスがよく好ましい。





このサッシの縦横のフレームの割り付けは槇さんが好んで使っている。


繰り返しの美学!


コードペンダントが印象的


繰り返しの美学な空間

 福井県立図書館 福井市郊外の田園地帯の広大な敷地(約7万㎡)に建つ大型図書館(平成15年開館)。久しぶりに槇文彦さんの建築を体験した。

感想をひと言でいえば、知的で上品な空間だということ。

デザインということばの原義は「整理すること」だとか。複雑な建築構成要素を整理して秩序だてることが、ものとしての建築のデザインだと解せば(その逆、意味もなく複雑な構成をしたとしか思えない、デザインの意図が分からない建築もあるが)、槇さんの建築は形が単純化され、各部の寸法が整えられ、材料や色、ディテールが限定されている。その洗練されたデザインが効果を充分発揮して実に上品な空間が創出されている。

だがそれだけではない。例えば基調となる水平・垂直線に敢えて斜めの線を加えたり、イレギュラーな形や色を採りこんだりと、建築を秩序だてるデザインルールから少し外した「遊び」も採り込んでいる。そしてこれが実に魅力的なのだ(青山のスパイラルはちょっとルールから外しすぎ、遊び過ぎではないかと思うが・・・)。

この辺りがよく似た作風、デザイン傾向の谷口吉生さんとは違うところだろう。谷口さんの建築には遊びがない。隅から隅まで徹底して端正にデザインされている。

槇さんの建築には「繰り返しの美学」が頻出する。繰り返しは建築を秩序だてる最も基本的で、最も有効な手法だから当然、というのが私の見解。


 


福井その1 永平寺

2013-05-18 | A あれこれ


境内の案内図  山の斜面に配置された伽藍

 30数年ぶりの福井、福井と言えば曹洞宗大本山永平寺。 




法堂から見た仏殿と山門


山門から望む中雀門


納経塔




 自然と一体化した伽藍。新緑がまぶしい。この寺にも日本人の「隅」から「奥」への志向が表れている。西洋の「中央」へという志向とは対照的な構成。


 


気持ちを同調させる

2013-05-16 | A あれこれ



 先日読んだ内田 樹さんと三砂ちづるさんの対談集『身体知 カラダをちゃんと使うと幸せがやってくる』講談社+α文庫で、いちばん最初の母子経験がコミュニケーション能力と大いに関係しているという三砂さんの指摘は至極もっともだと思った。

三砂さんはこの指摘に続けて**言語化される以前の受容の感覚、自分の思いが相手に伝わっている、という安心感が必要なのだと思います。**と語っている。

まだ言葉を発することができない赤ちゃんは泣くことで気持ち、して欲しいことを伝えようとする。母親は泣き声(泣き方)で母乳(ミルク)が欲しいのか、おむつを替えて欲しいのか判断しなくてはならない。そのためには赤ちゃんに自分の気持ちを同調させることが必要だ。そして赤ちゃんの気持ちを代弁して言葉を発しなくてはならない。(うん、わかる、わかる。私はあなたの気持がよくわかりますよ~。) 「おっぱいが欲しいんだよね~」、「おむつを替えて欲しいんだよね」というように・・・。
そうすることで、赤ちゃんは、この人(母親)は私の気持ち、して欲しいことをちゃんとわかってくれている、と思うのだ。

今乳児を育てているお母さんたちは母乳(ミルク)を与える時やおむつを替える時に赤ちゃんの気持ちを代弁する言葉をちゃんと発しているだろうか・・・。終始無言でおむつを替えたりはしていないだろうか。

お袋が、転んで泣いている幼い孫に向かって「お~お~ 痛かった、痛かったね~」と声をかけて抱き起していたこと、離乳食を食べさせながら「おいしい、おいしい」などと声を出していたことを思い出す。そう、幼い子に自分の気持ちを同調させて言葉を発していたことを。

もし今もお袋が元気でいてひ孫と接していたら、きっと泣き声に「お腹が空いたね~、おっぱい欲しいね~」とか「うんちで、おしりが気持ちわるいね~」とかなんとか、いろんな言葉をかけるだろう・・・。


 


― 十基十色

2013-05-15 | A 火の見櫓っておもしろい


山梨県北杜市にて 撮影日121007


長野県木曽町日義にて 撮影日130514

 似て非なる2基。 北杜市の火の見は外観上火の見梯子に斜材を設置して櫓にしていると見做せる。木曽町の火の見は姿・形の印象から火の見柱に梯子を設置していると見做せる。垂直部材を構造上の主材と見ることによる判断。


火の見櫓 みんなちがって みんないい!


 


善光寺西街道起点の石神石仏

2013-05-15 | B 石神・石仏

  

  

  

 塩尻市宗賀で中山道から枝分かれして善光寺西街道が始まります。そのY字路のところに庚申塔と道祖神が祀られています。元々この場所にあったのか、どこか他所から移されたものなのかは不明ですが。

の庚申塔の側面に萬延改元年と彫り込んでありますが、この年(干支は庚申、1860年)の3月18日に安政から萬延(万延)に改元されました。何月の建立か不明ですが、江戸の情報が地方に伝わるのにそれ程日数を要しなかったようです。

の庚申塔は寛政12年(1800年)の建立ですが、この年の干支も庚申です。各地で庚申塔が建立されたと思いますが、この年のものを初めて見ました。この年のことを調べてみると、伊能忠敬が蝦夷地を測量しています。これで1800年、1860年、1920年、1980年と過去4回の庚申の年に建立された庚申塔を見たことになります。

は文字書き道祖神で、側面に「昭和十三年五月 宗賀洗馬支部 女子青年団」と彫り込んであります。このように建立した人たちまで刻んである道祖神を見たのもたぶん初めてです。

太平洋戦争が始まる数年前のことですが、若い女性たちは一体どんなことを願ってこの道祖神を建立したのでしょう・・・。


 


417 筑北村の火の見櫓

2013-05-14 | A 火の見櫓っておもしろい

 
417 東筑摩郡筑北村坂井(旧坂井村)山崎にて(長野自動車道 麻績インターの近く)撮影日 130513



 3角形の櫓に6角形の屋根と見張り台、オーソドックスな形の火の見櫓です。これと比べると前稿に載せた火の見櫓のユニークさがよく分かります。 この火の見櫓も形が整っていて好ましいです。