■ 『伊勢神宮 ―東アジアのアマテラス』で著者の千田 稔氏は**日本において神仏習合がなされ、神と仏が習合しえたのは、神道が言語化されていないという特質をもっていたからこそ、多弁な経典を持つ仏教とも、思想的な対立関係を生みだしにくいという構造があったためである。**(14頁)と指摘している。私の中でも興味の対象として神道と仏教との間を隔てるものなど無い。
で、今読んでいるのは『密教』 松長有慶/岩波新書。
密教あるいは広く仏教に関する素養がないと読みこなせない。仏教用語がどのようなことを意味しているのか、概念規定が分からないので、内容がきちんと理解できない・・・。それでもピントが合っていない画像でも、なんとなく写っているものの輪郭や色が分かるように、馴染みのない言葉で書かれた文章でもその内容がおぼろげながら浮かび上がってくる。仏教は思想であり哲学でもあるからもともと難しいのだ。
別に読了する義務など無いのだから、途中で投げ出しても構わないが、最後まで読んでみたい。何かひとつでも「なるほど!」ということがあればそれでいい。