透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ニセアカシアのフローリング

2007-05-31 | A あれこれ



● 昨晩に引き続き『雪形』について。

で、このフローリングと小説と何か関係があるの・・・?

主人公のふたり、外科医の信彦と奏子(かなこ)は穂高町の小さな美術館で開かれた、ある内科医院の開業パーティで出会う。

信彦がシャンペングラスを手にとって奏子で差し出す。グラスの中身はヨーグルト、上にかけられているシロップはあかしやの花の蜜だと奏子が指摘する。この先のふたりの会話がなかなかいいのだが、引用はしないでおく。

**松本平でも、梓川や奈良井川の堤防ばかりでなくあかしやの群生する場所がある。** 

上の写真はこのあかしやの木を加工したフローリングのサンプルというわけ。これで写真と小説が繋がった。ニセアカシア(ハリエンジュ)を小説ではあかしやとしているが、著者は語感を気にして敢えてそう表現したのだろう。

で、ここからはこのフローリングについて。

手元にあるパンフレットによるとニセアカシアのフローリングは水まわりに適している、堅いので傷がつきにくく土足でもOK、保温性が高くて床暖房にも適しているとのことだ。

アメリカ原産のこの木が日本に持ち込まれたのは明治時代、街路樹として広まったらしいが現在では野生化して小説にもでてくるように河原にも群生している。私は奈良井川の堤防道路を車でよく通るが、しばらく前は藤に似た白い花が咲き乱れ、甘い芳香を放っていた。

この木がフローリングとして商品化されていることを最近知った。松本の業者が製品化したこのフローリング、アルプス公園(松本市内の公園)に最近オープンした施設(用途は忘れた)に使われているとのことだ。

地産地消(建築材料の場合には地産地生とでもしたほうがよさそうだが)を心がけている者としてどこかに使ってみたい。

『雪形』に戻る。

**信彦もコンビニの弁当を食べないわけではないが、プラスチックの四角やら丸やらの容器が好きではなかった。(中略)たとえば材質はプラスチックでもいくつもの容器に別盛りしてあると気持ちが和む。**

こういうところから著者の食に対する考え方を窺い知ることができる。

やはり「文は人なり」だ。そう、私はブログで私をさらけ出している・・・。


「雪形」

2007-05-30 | A 読書日記



● 数日前から『雪形』を再読していた。この小説のテーマは重い。ここに読後の感想をどのように書いたものか・・・。

「雪形」は安曇野の後方に連なる北アルプスの山肌に毎年春になるといくつも出現する。残雪と岩肌とがつくりだす自然の造形を動物などに見立てたものだ。爺ケ岳の「種まき爺さん」や五竜岳の「武田菱」、常念岳の「常念坊」などが有名だ。

松本が舞台のこの小説には白馬岳の名前の由来となった「代掻き馬」が特別な意味を持って登場する。代馬に白馬と漢字を充てているが代馬は岩肌がつくる「黒い馬」なのだ。小説のタイトルの「雪形」もたぶんこのあたりから採られているだろう。

『雪形』は交通事故で妻と幼い娘を失った外科医と結婚後まもなく夫を病気で失った女性との恋愛小説だが、そこに乳がんの治療をめぐっての思索が織り込まれている。あるいは主従が逆なのかもしれない。

小説に「ルビンの壺」がでてくる。ある図形の白い部分に注目すると左右対称の壺に見え、黒い部分に注目すると向かい合ったふたりの横顔が見える。地と図どちらに注目するのかによって見えるものが違う、有名な図形。

乳房切除か温存か。救命と生活の質、どちらに注目するのかで治療法も変わる。無条件に救命優先ではないのかと私などは思うのだが、そんなに単純なものではない、ということがよく分かる。どのように折り合いをつけるのか、患者にも医者にも重い課題なのだ。

**「黒い馬を見ていないのよ」奏子は呟いた。白馬の雪形は白くはない。現実は黒い馬だ。**

悲恋に涙するのもいいが、やはりラストは安堵の涙がいい、そうこの小説のように・・・。


遊び心がいっぱい!

2007-05-29 | A あれこれ
 
                        ■
 

● 旧いちやま旅館を解体前に見学したことは書きましたが、腕の立つ大工さんの「遊び心がいっぱい」な仕事を紹介しておきます。

建築家なしの建築です。銘木というより変木といった方が相応しい材料をうまく使って仕上げていますね。材料の接合部をぴったりと合わせるのには「腕」が必要です。こういう味のある建築が少なくなってしまったのは残念なことです。

ケンさん、コメントありがとう。


フェイルセイフな設計

2007-05-29 | A あれこれ

 新聞が報ずるところによると、27日に全日空の国内線のコンピューターシステム(予約や搭乗手続き、手荷物管理などをするシステム)に障害が発生して130便が欠航、約7万人に影響が出たという。

フェイルセイフなシステムにすることは設計の基本ではないのかな。コンピューターシステムならバックアップシステムを組み込むのは当然だと思うのだが、どうやらそういうシステムにはなっていなかったらしい。

人は必ずミスをする、コンピューターシステムも必ずトラブルを起こすということを前提に設計をしなくてはならないはずだが、何故かそういう設計がなかなか浸透しないようだ。

高速道路の入り口付近でときどき逆送する車が事故を引き起こす。その都度原因を運転者に帰着させてしまうが、これとて人は間違うということを前提に、下り線と上り線を結ぶサブルートを設ける設計になっていれば防げるはず。上り線に行くはずが間違えて下り線に進入してしまっても、上り線に戻ることができるのだから。未確認だがアメリカの高速道路はそのようになっているらしい。

以前読んだ本『クモはなぜ糸から落ちないのか』によると(残念ながらその本の所在がわからないので記憶に頼るしかないが)蜘蛛がぶら下がる糸は1本に見えるが実は2本だという。1本で蜘蛛を吊るすのに十分な強度があるいうことだが・・・。

つまり、蜘蛛がぶら下がる糸は1本が切れても大丈夫、そうフェイルセイフになっているのだ。自然界にはこのような例がいくらでも見つかるだろう。

建築も工学的なハードな面は広義の「システム」、やはりフェイルセイフなシステム設計をしなくてはならない。例えば屋根の雨水処理などは屋根材がダメになっても下地材が雨水を排出できるような設計でなくてはならない。屋根下地材が仕上げ材をバックアップするようにしておかなければならないのだ。

過日とり上げた木造の陸(ろく)屋根のFRP防水はこの点でやはり疑問だ、FRP防水のバックアップがなく、その劣化が直ちに雨漏りに繋がるのだから。

技術者がもしかつて野球少年だったら、守備の基本としてのバックアップを想起すべきだろう・・・。

ここで結論として人が設計するシステムは未だ虫が採っているシステムにも劣る、などと書けば技術者に申し訳ないだろう。必ずしも責任の全てがシステム設計者にあるわけではないという事情も斟酌すべきだ。


 


詠美さんの日常を読む

2007-05-28 | A あれこれ



 書店に平積みされていた文庫本からこの2冊を購入。

『建築ジャーナリズム無頼』宮内嘉久/中公文庫  

建築ジャーナリズムか、あまり関心の無い世界だな。でも解説を加藤周一が書いているから、ちょっと読んでみようと購入。

戦後に始まった日本の建築批評史を綴ったものだが、それがそのまま宮内さんの自分史になっている。つまり著者の宮内さんとはそういう人。ざっと文章を目で追って終らせた。

『ご新規熱血ポンちゃん』山田詠美/新潮文庫

このところ、詠美さんの作品に注目している、で、購入。
帯が詠美さんのミニスカートを隠していたから外して写真を撮った、ってどうでもいいことだけど。詠美さんのビバ自分、ビバ人生な生活ぶりが綴られたエッセイ集。

編集者や作家仲間とよく飲んでるな。島田雅彦とも友だちなのか、船戸与一のおっさんと飲むこともあるんだ。飲んでいて話題がを臍下に及んでも大丈夫なんだ。ま、なんとなくそんな雰囲気してるな。そうか泳美なんて誤字の手紙が届くとこもあるんだ・・・、水泳が得意そうだな。

**結構うぶじゃん、自分、と胸を張るわたし(意味ないか)。** こういう表現は自分にはできないな、と思いながら詠美さんの日常を知る読書を楽しんだ。そうか、この人があの『無銭優雅』を書いたんだ・・・。

たぶん、詠美さんも夜中にふと目が覚めて、孤独を感じることがあるに違いない・・・、このエッセイを読んでなぜかそう思った。ふだん元気で社交的な人ほどそんなときがあるんじゃないかな。

タイトルが「ご」で始まる本は少ない、年末に必要になるな。


 


観光客気分なひととき

2007-05-27 | A あれこれ



 松本で観光客によく知られた喫茶店といえばやはり「まるも」だろう。市内を流れる女鳥羽川のほとりに在る。川の対岸は縄手通りだ。昨日の午後、久しぶりにここで観光客気分で珈琲(コーヒーより旨そう)を飲みながら、読書をした。非日常な時を過ごすもいいものだ。

蔵造りの喫茶店の後方は木造3階建ての旅館だが、こちらは喫茶店ほどは知られていないのかもしれない(私が勝手にそう思っているだけであるいはこちらも有名なのかもしれないが)。創業は慶応四年だという。

ところで何年か前、「いちやま旅館」(公園通りのパルコの斜め向かいの老舗旅館)が改築に先立って一般公開された。腕の立つ大工さんの遊び心満載な内装工事は実に興味深かった。

この「まるも旅館」は外観の印象から内部は渋くて落ち着いた空間のような気がする。旧「いちやま旅館」とは対象的ではないだろうか。大工さんの技をじっくり観察してみたい。

一泊朝食付で6,000円(税別)だそうだ。手頃な料金ではないか。泊まる機会をつくろう!?


今夜は この人

2007-05-26 | A あれこれ


「他人に書棚を見られることは裸を見られることより恥かしい」とのコメントを雑誌か何かで目にしたことがある。

読書はきわめてプライベートな行為であって、確かに敢えて他人に公開することもないようにも思うが、別に恥かしいという思いはない。さすがに自分の書棚まで公開しようとは思わないが。

読書傾向はそれ程はっきりしてはいない、と自分では思っているが、案外偏っていることに気がついていないだけなのかもしれない。せいぜいいろんな本をとり上げて読書傾向をぼかしておこう・・・。

昨晩は島倉千代子の「人生いろいろ」な出来事を綴った本をとり上げたが今夜はテレサ・テン。 今年はテレサの13回忌だという。テレビでテレサの名曲誕生秘話をやっていた。テレサの哀愁を帯びた歌声を久しぶりに聴いた。番組に登場した三木たかし、荒木とよひさ、福住哲也らの証言はこの本にも納められている。

テレサもまた「人生いろいろ」だった。台湾と中国との政治的な確執に巻き込まれ、「時の流れに身をまかせ」ざるを得なかったテレサ。偽造パスポート事件、謎の死因・・・。



今夜は中国語で歌うテレサを聴きながら夜更かしをするか・・・。

民家 遠い昔の記録

2007-05-26 | A あれこれ


● いままで何回か「民家 遠い昔の記録」を載せた。それらは全てここに収めてあるものを再録した。こんな写真を載せると本を出したのか、と思われそうだが、これは卒業論文の製本を依頼していた会社にお願いしてつくった一冊しか存在しない「本」。



● 民家 遠い昔の記録 (197903)

「本」の写真を今回も接写したが、小雨が降っているかのような湿った雰囲気になった。

山形蔵王にスキーに出かけた際に見かけた民家。雪囲いをきちんとしてある。完全に塞いでしまうと室内が真っ暗になってしまうから、上部は空けてあるが、軒先との位置関係でこれで雪仕舞いに支障はないのであろう。手前の切妻屋根は、柱から軒先に方杖を突いている(この写真ではよく分からないが)。共に多雪地域の雪対策。

昔の民家はその地方の諸条件に合わせていろいろな工夫を施している。漫然と見ていたのでは気がつかないことが多いが、注意深く観察しているとそこに暮らす人々の創意工夫が次第に「見えてくる」。民家が風景によく馴染んでいて美しいのはそのような理由によるのだろう。

写真を保存してある別のGファイルを探してもこのスキー旅行の写真のなかに民家を撮ったものはなかった。この一枚だけしか撮らなかったのだろう。遠くまでスキーに出かけて浮かれていて民家などには気がまわらなかったに違いない、当然か・・・。

ああ湖に 小舟がただひとつ

2007-05-25 | A あれこれ

 今夜久しぶりに歌謡番組をみた。BS日本のうた(NHK衛星第2)。

誰だ?? オープニングで出演者が全員そろって「恋の季節」を歌ったが、誰だか分からない歌手がいた。

石川ひとみだった。「まちぶせ」は何回も聴いたことがある。彼女はすっかり雰囲気が変わってしまっていて分からなかった。昭和56年の歌、ということはもう26年も経ったのか・・・。今日はロングヘアだったけれど、たしか昔はショートカットではなかったかな。

島倉千代子も出演していたが、彼女は昔から全く変わらないような気がする。声量はすっかり落ちてしまったけれど。



 手元にこんな本がある。

島倉千代子は戦時中松本市平田に疎開していた。当時小学生だった島倉はある日腕に大怪我をする。偶々近くにいた軍医が手術をしてくれて(48針!も縫って)九死に一生を得たのだという。お千代さんは後年、男に騙されて巨額の借金を背負う。乳がんの手術もしている。そんな彼女の人生を知って聴く「人生いろいろ」は味わい深い。

私はお千代さんの「愛のさざなみ」が好きだ。

あなたが私を きらいになったら
静かに静かに いなくなってほしい
ああ湖に 小舟がただひとつ
別れを思うと 涙があふれる
くり返すくり返す さざ波のように

 作詞 なかにし礼 
 作曲 浜口庫之助


松本駅の観察

2007-05-24 | A あれこれ

 駅の両側で町の雰囲気が大きく異なることが多い。東京駅然り、新宿駅然り、都内の中央線の各駅も然り。町の発展(という表現が相応しいのかどうか)を線路や駅が防波堤のように止めるということに因るものかどうかは分からないが、とにかくそういう傾向が強いと思う。昔住んでいた国立もそうだった。駅の北側と南側とでは雰囲気が全く異なっていた。

松本駅も例外ではない。駅の西側と東側とでは雰囲気が全く異なる。しばらく前、駅の両側を結ぶ自由通路が完成した。人の通行が自由にできるようになると町の雰囲気は均一化するものなのだろうか。

今回は松本駅の観察記。 



 自由通路のトップライトには太陽光発電システムが採用されている。セルの間隔をあけて自然光も採り入れていて明るかった。

 通路に設置されている案内板には点字表示と音声ガイドがついていた。



 多目的トイレはこんな様子。パウチ洗浄用の流し(右端)も設置されている。背もたれ付きの便器、はねあげ手すり。縦長の垂直カガミ(以前は傾斜カガミが一般的だったが車椅子使用者以外の利用者には不便だ)、ベビーシートにベビーチェア(左側に設置してあるが写真には写っていない)、フル装備だった。ここに手荷物を置くことができる可動棚があったらもっとよかっただろうに。

新しい駅ではこの位の設えが当たり前なのかもしれない。ようやく身体的なハンディを持った人たちにとっても大分利用しやすい駅になったと思うがどうなんだろう・・・、利用者の声を聞いてみたい。


凄い本読み

2007-05-22 | A あれこれ

 以前から松岡正剛氏の著書を読んでみたいと思っていて、書店でパラパラと立ち読みしたことは何回もあったが、その都度とても読みこなせそうにないと思って購入するには至らなかった。



先日書店で『17歳のための世界と日本の見方』という本を見つけた。17歳のための本ならば・・・、と思って買い求めた。

内容は主としてキリスト教や仏教の発生の過程に関する講義録。時に冗談を混えた平易な語り口ではあるが、内容は私には全く予備知識が無い世界なので難しかった。

松岡氏は「千夜千冊」で様々なジャンルの本について詳細な書評を書いている。例えば内藤廣さんの本についてはこんな調子↓

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1104.html

世の中には「凄い本読み」がいくらでもいるものだ。



路上観察

2007-05-20 | A あれこれ

■■■
● 路上観察 松本市内 

数日前の夕方撮った写真。普段よく通る道路に架かる橋の脇の桐の木が花をつけていた。但しこの写真には花は写っていない。河川敷に生えているものと思いきや間知ブロック擁壁の手前に幹が写っていない。

近くでよく見ると擁壁の上から幹を出している。間知ブロックを積むときには無かっただろうから後から生長したものだろう。植物の生命力には驚かされる。 

但しこれは擁壁のためには好ましくないはずだ。根の生長と共に擁壁を手前に押し出そうとする力が働くのではないか。桐の生長は早い。そろそろ伐採したほうがよいのでは・・・。

今日は終日体を使ってよく働いた。ブログはこの辺で切り上げてビール、ビール。


民家、遠い昔の記録

2007-05-19 | A あれこれ



● 民家 遠い昔の記録 (7904)埼玉県入間郡名栗村?(当時)

昨晩、リサイタルに間に合わなくて懇親会だけ出席した旧友がいた。現在飯能市に住んでいるという。花岡さんとは私同様高卒後初めての再会とのことだった。

飯能と聞いて、昔西武秩父線(だったと思う)に沿って山あいの田舎道を歩いたことを思い出した。現在はすっかり様変わりしただろうが30年近く前には、まだ茅葺の民家が点在していた。

上の写真はその時撮った一枚。軒先に吊るされた洗濯物から生活感が漂ってくる。棟の断面が半円形なのは関東地方の特徴で下の写真のように「瓦巻き」にしているものもある。



● 民家 遠い昔の記録 (7909) 埼玉県比企郡小川町(当時)

東京で生活していた頃、休日には郊外に出かけることもあった。ただ漫然と民家の外観を写真に撮っていたが、少し民家のことを勉強してポイントを押えてディテールも撮ればよかったな、と今頃になって思う。

当時の写真をデジカメで接写した。


壁面緑化

2007-05-16 | A あれこれ

● 今回の緑はこれ。



●『藤森流自然素材の使い方』 
  

藤森照信さんの主要な作品をとりあげて、自然素材をどのように使っているかを共同設計者と共に解説している。写真やディテールも載っていてなかなか興味深い。

藤森さんの場合、自然素材には植物も含まれる。自邸には屋根や外壁にタンポポを植えたし、赤瀬川原平さん家(ち)の屋根にはニラを植えている。他にも屋根のてっぺんに松を植えたり(一本松ハウス)、壁に高麗芝を張ったりと「緑の建築」が何軒かある。

屋上緑化は最近それ程珍しくない。確か東京都は数年前に条例である規模以上の建築の屋上の緑化を義務付けたのではなかったかな。藤森さんがこの本で書いているが壁面緑化は屋上緑化に比べると技術的に相当難しいという。そのことは容易に想像がつく。

上の写真は松本市内の壁面緑化ビル、ツタが壁の北面を完全に覆っている。道路側(西面)は白い壁面の大半がまだ見えているがこの壁面も北面同様完全に覆われたら「緑化建築」と化す。壁の北面と西面とではツタの生育環境に違いがあるのだろうか。東面はどうなっているのだろう、今度確認しよう。

ツタよ頑張れ!

中年オジサンの常識は・・・

2007-05-14 | A あれこれ

● この頃 外観からは鉄筋コンクリート造なのか鉄骨造なのかあるいは木造なのか構造が分からない住宅を雑誌などでよく見かける。昨日の午後、住宅の着工から竣工までを追ったテレビ番組をみた。

若い建築家が設計した木造住宅は陸屋根(平らな屋根)、合板でわずかな勾配をとってその上にFRP防水をしていた。外周にはパラペットが立ち上がっていた。陸屋根は鉄筋コンクリート造、もしくは鉄骨造の場合に採用する構法だと認識しているのだが・・・。外壁はボードを張ってペンキ仕上げ。屋根が平らで外壁がこれでは構造は分からない。鉄筋コンクリート造だと思ってしまうだろう・・・。

木造の場合には勾配屋根にする、というのが中年オジサンの常識。そしてできれば軒の出もきちんと確保したいところ。多雨な日本、長い長い年月がそのような形を規定した。屋根の雨をできるだけ速やかに排水する、外壁になるべく雨がかからないようにするという要求に応える形(ルール)だ。

番組に登場した住宅の外壁はよく分からないが多分セメント系のボード。ペンキで白く塗っているので木造というイメージからますます離れていく。

抽象的な内部空間は若い夫婦のライフスタイルにぴったり。こういうデザインセンス、中年オジサンは羨ましいのだが・・・。

かつての住宅はみんな先のルールに忠実に従って造られた。同じ形状の屋根、材料も同じ、その地方で入手できるもの。それが美しい街並みを形成したのだが、今ではルールは消え去り「百件百様」の住宅が建ち並び、落ち着きの無い景観を形成している。

平らな屋根の白い住宅、外壁は雨にうたれて数年で汚れてしまうのでは・・・、木造合板下地のFRP防水って10年後も大丈夫なんだろか。中年オジサンは気になってしょうがない。

中年オジサンの常識は若い人たちには非常識なんだろうな、きっと。