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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

67枚目の名刺 

2015-02-28 | C 名刺 今日の1枚

67枚目 川上さん @とりでん

■ とりでんは松本のラーメン屋です。高校生のころから時々とりでんのラーメンを食べています。今日(28日)の昼に出かけて、川上さんに偶然会いました。

川上さんは松本市内に建築設計事務所を構え、衒いのない堅実な住宅を数多く手掛け、古民家の再生にも取り組んでおられます。川上さんの作品は時の経過とともに魅力が増すような建築で、竣工した時が一番美しい建築の対極にあるような建築です。またこの何年かは信州大学で学生たちに建築について講じてもこられました。

とりでんのカウンター席で注文したラーメンを待つ間、建築談義をしました。で、話の流れから川上さんが書いているブログを読んでいることを話したのです(
川上さんのブログ)。その際、私もブログを書いていることを伝え、ブログ名を記してあるプライベート名刺の67枚目を渡したのでした。 


 


― 解体工事始まる

2015-02-26 | A 火の見櫓っておもしろい


撮影日 150226

 カタクラモールの再開発エリア内にある消防団の詰所と火の見櫓の解体工事が始まった。今朝、友人が電話でこのことを知らせてくれたので出かけた。現場では解体のための準備工事が始まっていた。詰所を解体してから火の見櫓を解体する手順だと聞いた。





大正15年に建てられたこの火の見櫓は、松本市内で最も古い部類の1基。手続きさえすれば登録有形文化財になり得ただろう。この歴史的建造物をカタクラモールのシンボルタワーとして活かす方法もあっただろうに・・・。


魅力的な街並みに欠かせない条件はいくつか挙げられるが古い建造物と新しい建造物とが共存する、歴史の重層性もそのひとつ。このことを考えると、この歴史的建造物が消えてしまうのは何とも残念だ。


 


「駅をデザインする」

2015-02-24 | A 本が好き 


『駅をデザインする』赤瀬達三/ちくま新書

 不特定多数が利用する公共空間はとにかく分かりやすいことが肝心、だが分かりにくい。病院然り、庁舎然り、そして駅はその最たるもの。日本の駅はとにかく分かりにくい。出口までの行き方が分からない、乗り換えホームまでの行き方が分からない・・・。渋谷駅は迷路そのものだ。 

著者は渋谷駅について**本来ここに地下都市を建設するというなら、地下であっても広場と呼べるような〈集合点〉を設け、それを遠くから望めるような〈街路〉を構築する必要があった。そうした展望もなくつくられた狭隘な地下通路を、ただ表示にしたがって歩けというのは、人間の本性を無視した対策としか言いようがない。**(221頁)と書いている。

本書で著者は駅の空間構成と案内サインの両面から駅を分かりやすくするための方法について論じている。単にその理論だけでなく、実践事例も紹介しているので分かりやすい。

本書の章立ては以下の通り。

第1章 駅デザインとは何か
第2章 案内サイン
第3章 空間構成
第4章 海外の駅デザイン
第5章 日本の駅デザイン
第6章 これからの駅デザイン

分かりやすさを論じている本だけあって本書の構成も明快で分かりやすい。

著者は分かりやすい空間構成の方策として自然光を採り入れる、外の景色を見えるようにする、地下駅では地上と連続していることを感じられるようにすることなどを挙げている(第6章)。要は空間を外と繋げる、ということだ。

この考え方を仙台市の地下鉄で実践しようと、ガラスの屋根(筆者注:ガラスのピラミッド)で覆って光を地下広場まで落とし込むといった案を示したところ、仙台交通局は大いに関心を示したものの、**建設省(現、国土交通省)から「こんな遊びごとをするなら補助金をカットする」と言われて、結局建設を断念することになった。**(88、9頁)そうだ。

このことについて著者は**わが国行政の想像力の欠如と公共意識の貧困さの証左ではなかったか。**(89頁)と手厳しい。また、ルーブル美術館の例のガラスのピラミッドの計画が発表されたのは、仙台の提案の1年後だったというエピソードも紹介している。

いろんな制約があって、実現するのが難しいということも、本書で分かる。海外の駅の優れた空間構成やサインデザインとの差はどうやらデザイナーの力量の差ということではなさそうだ。


改札出口のサインは黄色の地になっていること、改札入口への誘導サインは緑色の地になっていることに本書を読むまで気がつかなかった。



でも、避難口誘導灯が緑だから、改札出口誘導サインが緑で、改札入口誘導サインが黄色の方がイメージが統一できてよかったのではないかな・・・。


 


525 松本市神林梶海渡の火の見櫓

2015-02-24 | A 火の見櫓っておもしろい


525 松本市神林梶海渡の火の見櫓 撮影日150222

 前稿に載せた火の見櫓を見てから集落内の生活道路を更に進むとこの火の見櫓が立っていた。この美しいフォルムを見た瞬間に分かった、これはかつて小野にあった大橋鐵工所の「作品」だと。帰宅して資料を確認して、昭和31年3月に竣工した火の見櫓だと分かった。なだらかな曲線を描く柱がつくる末広がりの櫓が美しい。



反りのついた屋根、避雷針の飾りの形、大きい蕨手。見張り台の手すりの○とハートを逆さにしたような飾り。床面の梯子貫通部の円い縁取り。どれも大橋鐵工所のデザインの特徴だ。


理想的な美脚

きちんとコンクリート基礎までトラスが達している脚部。美しいし、構造的にも合理的だ。

踊り場まで架けた外梯子には手すりが付いている。丸鋼を2本並べた梯子段は足を掛けた時、1本とはかなり違うはず。このような気配りに製作者の人柄が窺えるように思う。

松本市の隣村、山形にも大橋鐵工所の「作品」(私が確認できたのは3基)があったが、残念なことに撤去されてしまった。辛うじて山形小学校の前庭に見張り台から上の部分のみ残されている。

   
左:神林南荒井の火の見櫓(117)撮影日150222  右:神林寺家の火の見櫓(448)撮影日130609

実は大橋鐵工所では神林地区で3基の火の見櫓を同時に一括受注している。それが梶海渡と南荒井、寺家の3基。共に昭和31年3月に竣工している。

梶海渡の火の見櫓の高さを押さえるために梯子段のピッチ(間隔)を測ると37センチメートルだった。南荒井もピッタリ同じ、37センチメートルだった。寺家の火の見櫓は測っていないが、同じではないかと思う。

神林三兄弟、いや三姉妹だから櫓の姿・形も屋根も見張り台もそして脚もよく似ていて、美しい。  


過去ログ  ←やはり大橋鐵工所で造られた火の見櫓


鐵工所を実名で記すことについて了解を得ています。

 


松本市神林梶海渡の石像

2015-02-22 | B 石神・石仏





 松本市神林梶海渡の火の見櫓は同地区の公民館の敷地に立っていましたが、同一敷地内に5基の石像が祀られていました。

左から2番目は道祖神。男神が盃を、女神がひさごを持っています。このような酒器像は抱肩握手像とともによく見かけます。道祖神の建立は1786年(天明6年)、道祖神の右側に彫ってある文字はなんとか天明六年と読めます。左側の文字は・・・、読めません。

左端は庚申塔で1693年(元禄6年)の建立だと案内板にありました。この年の干支は庚申ではありません。庚申の年でなくても庚申塔を建立することがあったんですね。ずいぶん古い庚申塔ですから、損耗していて表面はつるりんちょ、像を確認することができませんでした。残念。

ちなみに石像は案内板により右から南無阿弥陀仏、御嶽座王大権現、念仏供養塔、そして道祖神、庚申塔。建立は全て江戸時代。


 


524 松本市神林町神の火の見櫓

2015-02-22 | A 火の見櫓っておもしろい


524  

 自宅から比較的近いエリアにもまだ観察していない火の見櫓があるはず、そう思って普段通ることのない神林地区の狭い生活道路を進んでいくと、火の見櫓が道路沿いに立っていた。

平面形が3角形の櫓に円形の屋根とやはり円形の見張り台の火の見櫓。






梯子の段数とそのピッチから見張り台の床までの高さは約8.8メートルだと分かった。仮に床面から屋根の頂部までを3メートルだとすると総高11.8メートルの火の見櫓ということになる。


 


「日本の風景・西欧の景観」

2015-02-19 | A 本が好き 



 出勤途中スタバで早朝読書。『日本の風景・西欧の景観』オギュスタン・ベルク/講談社現代新書、1990年に読んだ本を読み返す。このころの講談社現代新書のカバーデザインは今とは違う。

**平野や盆地などの平地のある場所において、人が背後による所のある山の辺、野(ノ)に棲息地を求めるということは、なるほど、そこが、背後による所があるという「身を隠す場所」の条件と、広がりのある場所を見渡せるという「眺望・見晴らし」の条件を備えているということなのかもしれない。**

読み終えた『日本の景観』樋口忠彦/春秋社にこんな記述があったが(106頁)、今朝スタバで先の新書を読み始めると**アプルトンは名高い動物行動学者コンラート・ローレンツの研究業績から直接に着想を得て、眺望/隠れ家という二重の観念を明確にしている。原始人にとって風景は、見られずに(隠れ家)見る(眺望)ことを可能にすればするほど高い価値があったのである。**(18頁) という同様の内容の記述が出てきて驚いた。

子どものころよくかくれんぼをして遊んだが、隠れるのに適した場所はオニの姿を見ることができて、なおかつ見つかりそうにない所だった。見つかりそうにない所でもオニの様子が分からないと不安だったし、オニの様子が分かる所でもすぐ見つかりそうな所だとやはり不安だった。 

引用したふたつの文章が指摘していることは子どものころのかくれんぼの経験から理解できるのではないか。

今年は景観に関する本を読んでみることにするか・・・。


 


66枚目

2015-02-18 | C 名刺 今日の1枚

66枚目 Kさん

■ 今年になって初めてプライベート名刺を渡す機会があった。

「チャーミング」 第一印象のこの言葉の他にKさんを評する言葉が今のところ見つからない。あなたは平成生まれですか、昭和生まれですかと問うたところ、昭和○○年生まれですとの答えが。

なんとなくなイメージを書いておく。読書好き。お酒はワインが好き。それとも。 違うかな・・・。


 


週末読書

2015-02-15 | A 本が好き 



 独身週末、昼間っからウイスキーで酔っぱらっていたわけではありません。専ら『吉田松陰 「日本」を発見した思想家』 桐原健真/ちくま新書と『日本の景観 ふるさとの原型』 樋口忠彦/春秋社を読んでいました。 と、ここまでは特定の読者を意識してこの週末をどのように過ごしたか書きました。

*****

読了した2冊のうち、『吉田松陰』については、結局字面を目で追っただけでした。やはりこの時代の基礎的な知識がないと読みこなせません。著者は大学で卒業論文も修士論文もそして博士論文も松陰について書いたとあとがきにありました。

**日本に生まれながら、日本が日本である根拠を知らなければ、どうして生きていけようか―松陰は水戸学者たちとの交流のなかで、そのように反省したという。(中略)ついに兵学者としてのみずからの存在意義を「長州藩」を越えた「皇国」を守ることに求めるに至る。彼はついにみずからが守るべき存在―「日本」―を発見したのであった。**(81頁)

**後期水戸学は、三百諸藩からなる封建的分邦という部分を越えた全体としての「日本」という自己像を、幕末日本の知識人や志士たちに与えたのであり、松陰もまたこうした主張に感化された一人だったのである。**(82頁)

このような論述を読んだことだけで良しとしておきます。今、書店には吉田松陰について書かれた本が平積みされています。他の本も読んでみよう、と思います。

『日本の景観 ふるさとの原型』はいままでに数回読んでいます。水色のテープは20代の時に読んだ本に貼ってあります。巻末に19811122 新宿紀伊國屋書店とメモ書きしてあります。どうも減冊していって残るのは若かりし頃読んだ本になるような気がします。

内容については稿を改めて書きます。食前のアルコール効果が出てきました・・・。


 


 


繰り返しの美学

2015-02-15 | B 繰り返しの美学


安曇野市新本庁舎1階、市民サービスカウンター上部の案内サイン

■ 繰り返しの美学についてはその対象を次第に広げてきたが、もともとは建築の構成要素を一方向に一定の間隔で繰り返すことによって生まれるりズミカルな美しさに注目したものだった。

前稿に書いたようにこの庁舎は使う材料もその色も限定的で、壁や天井の構成要素を平面的に、あるいは直線的に繰り返すことにより、美しさ、心地よさを得ている。そう、繰り返しの美学なデザインだ。

この写真で分かるようにレンガ色の案内サイン板の吊り棒も天井の照明を組み込んでいるスリットも壁の板張りも同じパターンの繰り返し。繰り返しの美学






安曇野市新本庁舎

2015-02-14 | 建築・歴史的建造物・民家









 安曇野市の新本庁舎が今年(2015年)1月に竣工して、先日見学会が開催されたので参加した。この庁舎については公開で行われた設計プロポーザルのプレゼンを聴いたこともあり、注目していた。設計・監理はプロポーザルで選ばれた内藤 廣さんのチームが担当した。

新本庁舎の特徴を外装にも内装にも木が多用されていることだと理解した。外装に安曇野市の市有林のヒノキの間伐材が使われていて、外観上の特徴になっている(写真上)。

内装では壁と天井にカラマツ材が使われている(写真中)。他の内装材は種類も色も限定的で、床は茶色のカーペット、執務室などの天井は岩綿吸音板、加えてプレキャストコンクリートの柱と梁は仕上げ無し(写真下)。白い壁はクロスと化粧ケイカル板など、あとは黒く塗装されたスチールとレンガ色のサインプレートだけ。材料の素材感がストレートに表現された空間になっている。

厚化粧どころか薄化粧すらしていないすっぴんの美しさ、心地よさ。内藤さんが唱える「素形の美」がどのような概念なのか理解していないが、あるいはこのようなすっぴん仕上げのことも指しているのかもしれない。

クライアントから「質実剛健」というコンセプトが提示され、内藤さんらがそれに応えて実現した新本庁舎。 内藤さんの建築は例えば渋谷のギャラリーTOMや三重の海の博物館、安曇野ちひろ美術館、それから十日町情報館や高知駅、旭川駅は写真でしか見ていないが構造と意匠が不可分な関係で成立している。

建築についてはいろんな考え方があるが、この庁舎はもの(建築構成要素)をなるべくシンプルなルールで秩序だてることで魅力的な建築になっている。構成要素の複雑な関係をいかに単純化するか、このような判断というか価値観で設計がなされていると見た。

これは建築生産という面からも理にかなった考え方であり、従ってコストダウンにもつながる。「質実剛健」という設計課題に対する明快な答えが示された建築だ。


 


「まとまりの景観デザイン」

2015-02-11 | A 本が好き 

 『まとまりの景観デザイン 形の規制誘導から関係性の作法へ』 小浦久子/学芸出版社 読了。

著者の研究論文をベースにしたものだろう。まえがきは論文の梗概のようなもので、本書も「はじめに」を精読すれば、著者の景観に関する問題意識も、問題の解決への見解というかみちすじも分かる。

以下、「はじめに」をもとに稿を書きたい。

景観はまちの姿で、まちを構成する要素相互の関係から説明されるとし、景観の計画は構成要素とその関係性のデザインだと著者は書いている。関係性はサブタイトルにもあるように、まとまりとともに本書のキーワードだ。

景観にはまちの歴史や地形との呼応といったコンテクスト(文脈)だけでなく、経済活動や暮らしの文化が反映されていて、このような背景をも踏まえなければならないと指摘している。
工学系の研究でありながらこのような模糊とした領域まで含めて考察しなければならないことに、景観に関わる要素が多様なこと、そして景観の難しさが表れている。

歴史的に見ればまちは空間秩序の解体と再構築を繰り返してきたことが分かるが、今日の経済的、文化的選択はまちのコンテクストを継承していない、と問題点指摘している。その一方で、今なお地形風土の制約、地域に限定された材料、集まって暮らすための相互の配慮など、その地域で継続的に、安全に暮らすための空間秩序がある集落もあることも指摘している。

なるほど確かに近在のまちに見られる宅地開発などには、まちを構成している既存の要素との関係性を無視したものが少なくない。結果、景観上の秩序が乱れる。

**景観をとらえることは、まちのあり方や地域環境の特徴をとらえることであり、その計画は都市を構成する様々な計画に対して持続可能な地域環境のあり方を示す可能性を持つ。そこにふつうのまちの景観まちづくりの意味がある。
景観のまとまりから、まちの空間構成を理解し、景観を計画することにより、地域の環境資源や空間コンテクストにもとづき空間を構成する道や建築物の関係性をデザインする。そこにふつうのまちの変化を前提とした景観まちづくりをつなぐ計画の可能性がある。 **(6頁)と説いている。

このようないわば景観計画に関する出発点とも思われる理論を実践の場にまで落とし込むことにはいくつも越えなければならないハードルが並んでいる。やはり景観は難しい。


 3900


― 火の見櫓の添え束

2015-02-11 | A 火の見櫓っておもしろい

 先日穂高まで所用で出かけた。その際、安曇野のヤグラー・のぶさんがブログ「狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々」で紹介していた火の見櫓の添え束(@安曇野市穂高牧)を見てきた。



ゴミステーションの左に立っているのが火の見櫓の添え束(*1)。

花崗岩の柱で高さは人の背丈くらい。昭和三十二年十一月建之という刻字がなんとか読める。安曇野には花崗岩を用いた道祖神も多いが花崗岩は風化しやすいので、損耗しているものが少なくない。



この場所に元々3本柱の火の見櫓が立っていて、その柱脚を固定するための添え束で、3本の内、2本は撤去されてこの1本だけが残ったとのこと。ボルトを貫通させるための孔が2つある。

火の見櫓の柱脚をこのように添え束で固定している事例として長野市小柴見の火の見櫓がある。


昭和16年建設





石造の添え束にボルトを貫通させて、柱材の山形鋼(アングル)にひっかけて留めている様子が分かる。同様の事例は北安曇郡池田町にもある。それが下の写真。





鋼製の火の見櫓の柱脚を固定するために、このような添え束が必要なのかどうか。なぜこのような方法にしたのかは不明。コンクリートの塊状基礎に台柱の刻字が埋もれていることから、コンクリート基礎は後施工と判断できるが。

さて、添え束を用いている事例としてこれを挙げないわけにはいかない。大町市美麻(旧美麻村)の木造の火の見櫓。私の火の見櫓巡りはここから始まった。


(移設前、100504撮影)



3本の添え束のうち1本は木のまま、2本は石に替えられている。

さて、穂高の添え束だが、ここに立っていた火の見櫓は木製だったのか、それとも鋼製だったのか・・・。

昭和32年という建設年から判断すれば鋼製とするのが妥当のように思われる。昭和30年代に鋼製の火の見櫓が盛んに建てられた。

だが、添え束を使った鋼製櫓は稀だろうし。仮に使ったとしてもあくまでも補助的なものであって、高さもそれ程必要ないことなどから、人の背丈もある添え束を用いた穂高の火の見櫓は木造であったと考えたいが・・・。ボルト貫通孔の大きさもこの判断を補強するように思われる。鋼製の櫓ならボルトはもっと細いものを使ったのではないか、だとすれば孔はもっと小さいのでは。

木造の火の見櫓が前から立っていて、添え束を木から石に替えた年が昭和32年で、その年を刻んだということはないだろうか。


美麻では移設の際、その年を刻んだ石柱を使っている。

今なおここに木造の火の見櫓が残されていたとすれば、素晴らしい景観要素になり得ただろうと、のぶさんが書いているが、全く同感。北アルプスを背景に凛と立つ木造の火の見櫓・・・。

ここの火の見櫓の立ち姿を写した写真が見つかるといいのだが・・・。


*1 のぶさんのブログに掲載されている資料の呼称に倣って台柱としていたが、添え束に改めた。2023.05.26 踏み台という言葉があるが、台の上に火の見櫓を載せるようにして建てているわけではない。火の見櫓に添えて設置している束(短い柱の意)とする方が状態を的確に表していると判断したので。


展示作品 「火の見櫓のある風景」

2015-02-10 | A 火の見櫓のある風景を描く

■ 前にも書いたが藤森照信さんは建築家を物の実在性を求める赤派と抽象性を求める白派にスパッと分けてみせた。藤森さんによると赤派の祖はル・コルビュジエで白派の祖はミース・ファン・デル・ローエだという。

松本市梓川のカフェ バロの内部は抽象的な「白」の空間だ。床に無垢のフローリングという「赤」を使っているから、「真っ白」というわけではないが。このような空間は絵画などの作品展示にも適している。

実際、ポスターなどの芸術作品が展示され、バロはアートな空間になっている。昨年、東面の壁はオーナーのKさんの企画で「珠玉の一枚」を掛ける壁となった。既にプロの作家ふたりの作品が掛けられ、上質な空間を演出し、お客さんたちを楽しませてきた。

私がKさんから「火の見櫓のある風景のスケッチを」とオファーを受けたのは確か昨年の初秋のことだった。固辞すべきところ、何年か前から自己表現というか、情報発信は大いにすべきと考えているので臆面も無くOKしてしまった。

先週の金曜日(6日)、昨年の秋に描いたスケッチを持参した。今、珠玉の一枚の壁面に私のスケッチが掛けられている。



うれしいような申し訳ないような・・・。 → 「カフェ バロの居間心地」