透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

路上観察 

2013-06-29 | A あれこれ

 本と建築のことを書こうと思ってこのブログを始めたのですが、私のような発散型人間にはテーマ限定ブログは無理で、結局いろんなことを書くようになってしまいました。



「繰り返しの美学」でも、対象として考えていたのはこの写真のようにあくまでも建築でした。そう、建築に繰り返しの美学を見い出そう、繰り返しの美学という視点で建築を観察してみようという試みでしたが、いつの間にかその箍(たが)が外れてしまいました。




今回は久々に路上観察です。

松本市内某所で見かけた住宅です。軒桁に丸太を用いています。写真はその交叉部です。桁の上端は屋根の勾配に合わせて落としてあって、そこに垂木が埋め込まれています。交叉部には隅木が架かり、丸太に比べてかなり細い柱で受けています。

昔の大工さんは朝飯前だったかどうか分かりませんが、こんなにすごい仕事をしていたんですよね、普通に。墨付けをしてノミなどの大工道具を使って、このような仕口や継ぎ手を加工するのが当たり前でした。でも今は大工さんに替わって機械が加工するようになりました(なってしまいました)。

この国にはるか昔から連綿と続いてきた木の文化の危機です。設計者には 大工さんの技を活かす建築を構想する力が求められている、ということでしょう・・・。


 


「夏目漱石の美術世界展」

2013-06-28 | D 新聞を読んで



 「夏目漱石の美術世界展」が上野の東京藝術大学大学美術館(なんだか変なネーミングですね)で開催されています。この展覧会のことは知っていました。今月の初めに上京した時は、レオナルド展と大神社展の鑑賞に時間がかかり、この展覧会はあきらめました。

今日(28日)の朝刊(信濃毎日新聞)に、この展覧会に関する茂木健一郎さんの文章が掲載されました。

展覧会では漱石自身が描いた絵画も公開されているそうですが、漱石はなかなか絵が上手かったようで、茂木さんは**漱石にとっての絵は「趣味」の世界を越えていたということを、展覧会「夏目漱石の美術世界展」を見て、あらためて感じた。**と書いています。

漱石は絵に深い関心をもっていたようで、作品にもそのことが表れています。『草枕』の主人公は若い画家ですよね。この小説にはミレイ(*1)の「オフィーリア」、そうシェイクスピアの「ハムレット」の悲劇のヒロインを描いた絵が出てきます。何年か前にこの絵を渋谷で観ました。



『吾輩は猫である』の主人公・苦沙弥先生は多趣味で、謡もやれば俳句もやり、絵も描きます。**「どうもうまくかけないものだね。ひとのを見るとなんでもないようだがみずから筆をとってみると今さらのようにむずかしく感ずる」**(16頁)と感想を友人に語っていますが、これはもちろん漱石自身の感想でしょう。

茂木さんはこの展覧会について**漱石の作品だけでなく、自分自身人生の見え方まで変わる。奥深く、すてきな展覧会だった。**と文章を結んでいます。

そうか・・・。この文書を読んで、ああ、この展覧会、観ておくべきだったな~と、ちょっと後悔。芸大の美術館での開催は7月7日まですが、その後、静岡県立美術館に巡回すると記事にあります(7月13日~8月25日)。静岡に出かけるのもいいかも。でも今年の夏はいろいろあって忙しいかな・・・。


*1 ミレイは「落穂拾い」のミレーとは別の画家です、念のため。


漱石の「門」を読む

2013-06-27 | A 読書日記

 SBC(信越放送)のラジオ番組「武田徹のつれづれ散歩道」(放送は土曜日の午前中)を車の運転中に聴くことがあります。この番組では堀井正子さんの近代文学作品を紹介するコーナーが好きです(ローカルな話題です。県外の方、申し訳ありません)。

先週の土曜日(22日)には夏目漱石の『門』を取り上げていました。放送を聴いて、この小説を読みたくなりました。たぶん高校生の時に読んだと思いますが。それで、翌日名古屋に向かう特急しなので読み始めました。


新潮文庫なら やはりこのカバーでしょ!

帰りのしなのでも読みましたが、集中できませんでした。

窓外の景色の中に火の見櫓が見つかるかもしれないと思うと、気になって・・・。多治見・中津川間で進行方向左側に1基見つけました。中津川・木曽福島間でも1基、今度は右側に見つけました。

結局往復のしなのでは読み終えることができず、その後少しずつ読み続けてようやく読み終えました。

漱石の作品は、高校生の頃にひと通り読んだという方が多いのではないかと思います。漱石の作品を青春小説だと括ってしまうのは乱暴に過ぎるでしょうが、そう読めないこともないのでは。『坊っちゃん』などはまさに青春小説ですよね。『三四郎』も『こころ』も、そしてこの『門』も。ちなみに前述のラジオ番組の堀井さんのコーナーは「近代青春グラフィティー」といいます。

もっとも、この青春ということば、テレビの「青春ドラマ」の青春とはイメージが違うのですが。主人公が若いという単純な意味での青春でもないのです。ドラマでは明るく元気な心の持ち主の主人公に深刻な悩みなど無縁ですが、漱石の小説の登場人物は若いのに深い悩み、そう人生の悩みをかかえています。

さて、『門』ですが、主人公の宗助は親友の妻・御米(およね、内縁の妻かな)と結ばれます。小説ではその経緯(いきさつ)は終盤になるまで明かされません。そしてその時の様子の静かな描写で、具体的には表現しないところがなかなか味わい深いです。そのことで心傷つき、負い目も感じて、宗助、そして御米、ふたりはひっそりと生きていくことになるのです。

**宗助と御米の一生を暗く彩どった関係は、二人の影を薄くして、幽霊の様な思を何所かに抱かしめた。彼等は自己の心のある部分に、人に見えない結核性の恐ろしいものが潜んでいるのを、仄かに自覚しながら、わざと知らぬ顔に互と向き合って年を過ごした。**(171頁)

そして偶然にも親友のその後を知った宗助は心を乱し、鎌倉の禅寺へ・・・。

夫婦の日常の会話と共に物語が進んでいきます。この小説を高校生が読んでもどうでしょうかね。理解が深くには及ばないのでは。年を取ってから雨に打たれる紫陽花でも見ながら、じっくり読むのがいい、そう思います。


 


方丈庵

2013-06-24 | A あれこれ

 

 昨日(23日)「ポートメッセなごや」で開催されたセミナーに参加した。名古屋は久しぶりだった。会場では「住まいの耐震博覧会」という展示会が行われていて、セミナー前に少しだけ見てまわった。私がおもしろいと思ったのはこの方丈庵。

「丈」はあまりなじみがないが、長さの単位で1丈は10尺、約3メートル。「方」は正方形、長方形の方で四角という意味。だから方丈とは辺の長さが約3メートルの正方形のこと。4帖半は辺の長さが9尺、約2.7メートルの正方形だから、それよりひと回り大きい。

鴨長明の随筆の方丈記という名前は方丈の大きさの庵で綴られたことに由来するが、方丈庵というネーミングはこのことを意識したものだろう。





方丈庵の内部はこんな様子。柱サイズの部材を金物で接合して立体トラスをつくっている。木造の場合には接合部の構造解析、設計が難しいが、金物を使えばこんなこともできるという好例とみた。金物を使わないでこのように部材を接合するのは難しいだろう。どんな仕口にすればいいのか見当もつかない。伝統的な仕口では対処できないのでは・・・。



案内の看板によると、普段は趣味の部屋として使っていて、震災時にはエマージェンシーハウスとして使うというもの。シンプルな形がなかなかいい。それに黒の板壁と木地の窓枠の組み合わせもいい。

柱脚がどうなっているのか、建設コストはどのくらいかなどについて確認しておけばよかったなと今になって思う。何でもそうだが、後で後悔しないようにきちんと調べておくことが肝心だと反省・・・。


 


緑の中の隠れ家

2013-06-23 | A あれこれ



 安曇野穂高ではここで休憩した。緑の林の中にひっそりと隠れ家のようにたたずむカフェ、書翰集(しょかんしゅう)。

店内には古い本が何冊も置かれていて、荒塗りの壁とともに落ち着いた雰囲気を醸し出している。

窓台に平積みされた本の中から、安部公房の対談集を手にする。こんな本が出ていたのか・・・。深煎りのコーヒーを飲みながら、大江健三郎との対談を読む。

またいつか本を持参して来よう・・・。秋、紅葉の季節がいいかな。


 

 


安曇野の石神石仏

2013-06-23 | B 石神・石仏



 昨日(22日)は穂高まで足を伸ばした。その帰路、安曇野市穂高牧で見かけた石神石仏。 左から道祖神、二十三夜塔、庚申塔。まん中の二十三夜塔の高さは約2メートルと大きい。理由は分からないが二十三夜塔は大きなものが多いように思う。



抱肩握手像の道祖神。表面に刻まれた文字が読めない・・・。像の上の扁額のようになっている文字はたぶん道祖神。左右に建立年月日が刻まれているが。右は○○元年酉年。読めない・・・。元年で酉年で江戸後期となると、(ここで検索)寛政かな。なんとなくそう読めるような気もするが・・・。左は十一月吉祥日か?下の牧村は穂高牧と今も地名に残っている。

古文書を読み解く場合には読めないくずし字は文脈から判断したり、持ち合わせの知識から推定する。やはり知識がないと読めない・・・。


 


424 安曇野市堀金の火の見櫓

2013-06-22 | A 火の見櫓っておもしろい


424 安曇野市堀金

 火の見櫓巡り。本日(22日)2基目は安曇野市堀金の火の見櫓。3角櫓に丸屋根、丸見張り台はよくあるタイプ。



見張り台を貫通する梯子。このようにしておくと昇り降りしやすい。床面のところで梯子が終わっていることがあるが、その場合は昇り降りしにくい。

鳥かごのような手すり。このくらいシンプルなデザインが好ましい。屋根の中心を外したところに吊るされたツルリンチョな半鐘。中心を外すのはその方が見張り台に立って半鐘が叩きやすいから。



脚部は「がに股」形。



銘板。「株式會社 松本鐡工所 昭和33年○月製作」 何回も塗装されて銘板の細い文字が不鮮明になっていて何月かは読みとることができなかった。

この道は初めてではないのに以前はこの火の見櫓に気が付かなかった。


 


423 火の見を訪ねて3里

2013-06-22 | A 火の見櫓っておもしろい

 
423

 火の見櫓巡り。本日(23日)の1基目は松本市和田太子堂の火の見梯子。 消火ホース格納箱に太子堂町会と記されている。梯子の高さは約5メートル。2本の縦材はサイズ75×125の角型鋼管、横材(段)は逆三角形に配置した3本の丸鋼でピッチは40センチメートル、幅は74センチメートル。久しぶりに寸法を測った。



柱材に貫通させた鋼管にフックを付けて半鐘を吊るしている。半鐘に雨がかからないように鋼板を折った小さな切妻屋根をかけているところがいい。ここに半鐘を大切にしようという地域の人たちの心が表れている。

街灯兼用か、照明が付いている。


 


北杜夫の本

2013-06-22 | A 読書日記

 北杜夫の作品を読み始めたのはいつ頃だったのか・・・。高校生のときに読んでいたことは確かだが、中学生のときはどうだったか・・・。

高校生のときのことだ。図書館で『さびしい王様』を借りようとしたが、貸し出し中でなかった・・・。そのとき偶々居合せた英語のK先生に「自分の本を貸してやるから職員室に来るように」とおっしゃっていただき、貸していただいたことを覚えている。遠い、遠い、もう40年以上も昔のことだ。


新潮文庫の北杜夫作品をよく読んだ(20代に読んだ本には水色のテープが貼ってある)。



今朝(22日)、新聞で北杜夫の本の広告を目にして、思わず声を出してしまった。「お! 北杜夫」 

『マンボウ思い出の昆虫記 虫と山と信州と』信濃毎日新聞社出版部 **過去の単行本未収録作品を中心とした「昆虫・山・信州」のエッセイなど39編**

7月刊行か、読まなくては・・・。


 


記事のタイトルはどこから・・・

2013-06-20 | A あれこれ

前々稿のタイトル「火の見櫓観察の世界に出口なし」は「ポストモダンに出口はない」に倣った。これは建築家・丹下健三の言葉だ。

建築デザインにもポストモダンが流行ったとき、丹下健三はこの言葉をポストモダンは建築デザインの大きな潮流にはなり得ず、優れた成果も得られないという意味で使ったのだった。



だが、丹下健三の晩年の代表作、東京都新庁舎はポストモダンではないか、とも評された(私はあのデザインがポストモダンだとは思わないが)。

ポストモダンを批判というか揶揄しておきながら、ポストモダンなデザインをするのか・・・と、その節操のなさを指摘されて**あの時に言いたかったのは、ポストモダンは非常に魅力的な領域だから、いったん入ったらなかなか出てこられない。そしてその中でおぼれてしまう。**(157頁)『東京都新庁舎』日経アーキテクチュア編/日経BP社 1991年9月発行 と釈明コメントをしている。

「火の見櫓観察の世界に出口なし」というタイトルには先の引用文に倣えば「火の見櫓観察は非常に魅力的な領域だから、いったん入ったらなかなか出てこられない」という意味を込めている。まあ、その中でおぼれてしまえば本望というものだが、そんなことにはならないだろう・・・。


 


巨人大鵬卵焼きに加えて・・・

2013-06-19 | A あれこれ


2005年11月 浜松市内で撮影

 昔「巨人大鵬卵焼き」という言葉が流行ったが、調べるとそれは昭和40年代のことだった。
あの頃はプロ野球では巨人、大相撲では横綱大鵬が圧倒的な強さと人気を誇っていた。卵焼きはお弁当のおかずの定番だった。

そして巨人戦や大相撲を見ていたテレビはナショナル製だった。田舎にはナショナルショップしかなかったのではないか。都会の事情は分からないが田舎ではナショナルは信頼のブランドだった(たぶん、まちがいなく)。 

♪ 明るいナショナル 明るいナショナ~ル みんな 家中(うちじゅう) なんでも ナショ~ナ~ル~ 

まさにこのコマーシャルソングのように、我が家ではテレビでも洗濯機でも冷蔵庫でもとにかく家電はみんなナショナル製だった。巨人大鵬卵焼きにナショナルを加えてもいいのではないかとさえ思う。

だが今は事情が違う。我が家でナショナル、いやパナソニック製は冷蔵庫のみ、でもないか・・・。ファクスもパナソニック製、私の部屋のミニコンポもパナソニック製。でもテレビも洗濯機もオーブンレンジも炊飯器も違うメーカーの製品だ。

家電製品で圧倒的なシェアを誇るメーカーなど無くなっている。ブランドは気にしないでコストパフォーマンスで製品を選ぶ時代になったのかもしれない。国産でなくて、韓国など、国外メーカーの製品でも性能さえよければかまわないという消費者も多いと思われる。

パナソニックの業績不振がここ何年か続いている。これは上述したような時代の流れに因るもので、仕方がないと思う。でも何かすごい「すぐれもの」でも開発できれば事情は変わるかもしれない。

今朝、いつもより早く家を出て、車中で久しぶりに「歌のない歌謡曲」を聴いた。この長寿番組は1951、2年から続いているようだが、スポンサーはずっとナショナル、パナソニックで変わっていない。

「歌のない歌謡曲」を聴きながら、今夜はナショナルのことを何か書こうと思った・・・。


 


421 422 火の見櫓観察の世界に出口なし

2013-06-19 | A 火の見櫓っておもしろい

 火の見櫓観察などという趣味はあまり他人(ひと)の理解は得られないかもしれませんね。まあ、マニアな世界というもには他人の理解の及ばないところにあるものだと思っていますから、気にしない、気にしない。まだマニアなどと言えるほど火の見櫓を究めてはいませんが・・・。

でもこのような記事を読んだとこがきっかけで火の見櫓が気になりだしたということを友人から聞くとうれしくなります。何でもいいと思いますが夢中になれるものを一生持ち続けたいものですね。

さて、本題。

松本市の神林地区は自宅から比較的近くにもかかわらず今まで火の見櫓巡りをしたことがありませんでした。それで先日(16日)出かけて3基見つけました。そのうちの1基は既に載せましたので、本稿では残りの2基を載せます。

 
 
421 神林川西で見かけた火の見櫓

背の低い火の見櫓です。梯子段の間隔(30センチメートル)と段数(18段)とで見張り台の床まで5.7メートルと求めました(30×(18+1)=570)。←段数に1を足さないと・・・。見張り台の床から屋根のてっぺんまで2.5メートルとして、この火の見櫓は8メートルちょっと、(8.2メートルなどとしないでざっくりと押さえればいいんですよね)ということになります。



写真のアングルがよくなかったですね、屋根のてっぺんの避雷針についている矢羽がきちんと写っていません。写真を撮る前にじっくり観察しないとこのような失敗をしてしまいます。反省。ドラ型の半鐘が吊るしてあります。どんな音がするのでしょう・・・。



3本の部材から成る脚ですが、トラス材は脚の付け根を繋ぐもののみです。背の低い火の見櫓によくある脚部の構成です。

櫓全体に錆が目立ちます。メンテナンスをしていないのでしょう。たとえ本来の機能が無くなったとしても地域の安全遺産としていつまでも健全な状態を保持し続けて欲しい、そう思います。


  
422

もう1基、水代橋のたもとに立っていました。なぜか屋根が目立ちます。特に大きいわけでもないのに。



屋根は少し傾いています。見張り台直下の構造ががっちりしています。6角形の見張り台のシンプルな手すり、好みです。



背が高い火の見櫓ですから途中に踊り場がありますが、なんとも簡素な造りです。でも踊り場があると恐怖感が和らぎます。私は経験的にこのことを知っています。



脚部に注目。よくある「がに股」タイプです。はっきり書きますが、このタイプは私的には好みではありません。美しいと思う脚部を参考までに載せます。比べてみてください。


東筑摩郡山形村上大池にあった火の見櫓の美脚

どうでしょう、こちらの方が美しいと思いませんか? でも人それぞれですから「いいえ、私は上の方がかわいくて好み」なんてね。

残念ながらこの火の見櫓は撤去されてしまって、もうありません。


火の見櫓観察の世界には出口がありません・・・。


プロ野球監督を経済学的に評価する

2013-06-17 | A 読書日記



 経済学という学問には全く無縁というか、関心がありませんでした。でも今年は何でも読んでやろう、ということで手にしたのが『経済学的思考のセンス』大竹文雄/中公新書です。帯のコピーも効きました。

著者はあとがきに**「こんなことも経済学なのか」と驚かれた読者も多いのではないだろうか。本書をきっかけに、少しでも経済学に関心をもっていただければ望外の幸せである。**(224頁)と書いていますが、読了後にまさにこのような感想を持ちました。

「計量経済学」という言葉が出てきます。この言葉をウキぺディアも参考にして説明するなら、経済学的な仮説に基づいて、分析対象の事象に関する理論モデルを作成し、統計学の方法によってそのモデルを分析する学問 となりましょうか。

仮説を周到な思慮に基づいて打ち立てるのが難しいのでしょうが、そこがまずポイントとなることがわかりました。統計学では高度な数学的手法を用いたデータ処理、分析が行われるようですが、本書ではその辺りについては具体的には取り上げていないので統計学の難しい数式は出てきません。

本書で取り上げているプロ野球監督の評価については、平均打率、本塁打数、平均防御率というチームの戦力と監督固有の効果を示す変数(本書ではこの辺りをもう少し厳密に扱っていますが)で、チームの勝率を予測する計量経済学的なモデルを推定すれば、同一の戦力を率いた時に勝率を引き上げるという意味での名監督のランキングをつくることができるとして、実際に分析した結果も示してあります。

他にもプロゴルファーのやる気と賞金額との関係など、身近で興味深い話題を取り上げて経済学的に分析して論じており、それらがなかなかおもしろくて経済学の世界をちょっと覗いてみようと思った私にはぴったりの本でした。

で、次はこの本です。