■ 漱石の『道草』新潮文庫をようやく読み終えた。それ程長い小説ではないが、いや、細かな活字で269ページは長いか・・・、さくさくと読める作品ではないので時間がかかった。読書時間も減っているし。
高田郁の「みおつくし料理帖」シリーズをある方から薦められているから入手して読んでみなくては・・・。その前にもう1冊漱石、晩年の随筆集『硝子戸の中』新潮文庫を読むことにした。で、今朝(31日)もスタバのお気に入りの席でおよそ40分間、読書に集中。
このカバーデザインは好き。
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■ 漱石の『道草』新潮文庫をようやく読み終えた。それ程長い小説ではないが、いや、細かな活字で269ページは長いか・・・、さくさくと読める作品ではないので時間がかかった。読書時間も減っているし。
高田郁の「みおつくし料理帖」シリーズをある方から薦められているから入手して読んでみなくては・・・。その前にもう1冊漱石、晩年の随筆集『硝子戸の中』新潮文庫を読むことにした。で、今朝(31日)もスタバのお気に入りの席でおよそ40分間、読書に集中。
このカバーデザインは好き。
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■ 映画「殿、利息でござる!」を観た。
時は江戸時代中期、所は仙台藩吉岡宿。重い年貢や伝馬(てんま)と呼ばれる労役で住民が困窮し、夜逃げをするなどして宿場町は疲弊し切っていた・・・。
千両(3億円)もの大金を集めて仙台藩に貸し、その利息で宿場町を救済しようという奇想天外なプロジェクトの顛末。これが実話をもとにした物語だなんて・・・。
先代の浅野屋甚内(山崎努)のふたりの息子、穀田屋十三郎(阿部サダヲ)と浅野屋甚内(妻夫木聡)や仲間たちが宿場町のため、住民のために私財を投げ打つ。彼らは土地を売り、家宝を売り、家財を売り・・・、ここにこの映画の原作の「無私の日本人」が出ている。どこかのM知事にも観て欲しい。もちろん自費で。 オッと、このブログには政治的なことは書かないことにしている。
竹内結子が宿場にある居酒屋の女将を演じている。ユーモア感ある彼女の表情・演技はいつも魅力的。 千両まであとわずか、というところで、彼女が金を出すと言うところは痛快だった。
*****
吉岡宿のはずれに立っているこの櫓は何?
映画が始まってすぐ、この櫓が登場。これは宿場を行き交う旅人を監視する櫓?でもそんな櫓が宿場にあったなんて聞いたことがない。もしかして火の見櫓? 映画の中に半鐘の音が聞こえてくる場面も出てくる。この櫓に半鐘が吊り下げてあれば間違い無しだけれど・・・。
殿さま(仙台藩七代藩主伊達重村)役で羽生結弦君が出てきたのにはびっくり。彼の演技は浮いた感じもなく、なかなかのものだった。若殿さま役にぴったりの雰囲気だった。
ユーモア感とシリアス感の絶妙なバランス。笑って泣いて
、また笑って
、また泣いて
の映画だった。
△表表紙 錦絵「松本中学校開校式繁栄之図」左半分
△裏表紙 享保十三年秋改 松本城城下絵図 部分(戸田氏時代)
■ 『松本城・城下町絵図集』が発行されたことを数日前の新聞記事で知り、さっそく松本市立博物館の売店で買い求めた(上の写真は表裏両表紙)。
松本市教育長のあいさつ文が巻頭に掲載されているが、その中に**松本市教育委員会では、平成二十二年度から松本城歴史資料保存事業として、主に絵図史料の修復・複製製作・デジタル化を進めてきました。この事業や従来からの研究活動によって、松本市が所蔵する絵図史料に加え、県内外の施設が保存する松本城及び松本城下町に関する史料も、一部収集することができました。本書は、それらの成果をまとめたものです。**と、この絵図集の説明がある。
収録されているのは、信濃国松本藩領大絵図、城下図、屋敷割図、城図、御殿図、城址・天守図面、筑摩県博覧会他の錦絵で計37枚。
巻末にそれぞれの絵図の所蔵先、寸法、伝来、解説文が収録されている。解説文をきちんと読めばそれぞれの絵図について理解が深まると思う。
松本城下絵図と都市計画図の重ね図も載っている(22、23頁)。享保13年の絵図と平成27年度の都市計画図を重ねたもので、絵図はかなり正確な測量をもとに描かれているとのこと。
この重ね図の絵図には本丸を囲む内堀、その外側の外堀、さらにその外側の総堀が描かれている。総堀の南側は女鳥羽川のすぐ北側の縄手通り辺りと重なっていること、その先は日銀や市役所のすぐ東側に続き、さらに北側は裁判所辺りを通り、西側は丸の内消防署辺りを通っていることが分かる。総堀の内側の渕に土塁を築いてあったことなども表現されている。総堀の内側に入るところは5か所に限定されていて(北側2か所、西側、南側、東側各1か所)、そこは今も5か所とも道路になっている。何かそこに江戸の痕跡が残っていないかな(って、ブラタモリ的になってきた)。
少し残念に思うのは、かなり大きな絵図を見開きA3サイズに縮小しているので細かな文字が読み取りにくいこと。だが、本であるからこれは仕方がない。絵図そのものを複製して販売する方法もあるだろうが、広く一般の人たちに入手してもらうのであれば、やはり本にするのが最良の方法だと思う。
絵図を読み解く能力があればいろんなことが分かるだろう。残念ながらその能力、私は皆無に近い。地図は好きだけど・・・。
A4判 128ページ 1620円(税込み)
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■「算命学」という言葉をHさんからしばらく前に聞いた。Hさんとは週末のサードプレイスでよく一緒になる。何年くらい前だろうか、天中殺が流行ったことがあったが、あるいはその頃この算命学という言葉も聞いていたかもしれない。
先週Hさんに私の生年月日を正直に伝えたが、昨日(27日)次のような3つの図表を作ってきてくれた。
①私の生まれた日と月と年の各干支で表される陰占という9コマの表 生まれた日の干支のところは己、亥、甲の順に縦3コマに並び、36という番号がついている。月のところは庚、申、戊が並び、57の番号がついている。年の番号は30。
②人の運命を表す星を人の頭や胸、腹、左手など8つの部位に対応する8コマに当てはめた陽占と呼ばれる人体星図
③自分の日、月、年の3つの干支につけられた番号(上記の通り私の番号は36、57、30)によってできる3角形 この3角形は下の写真のように環状に並べられた60の干支のうち、該当する番号3つを結んででき、行動領域を示している。○印がついている57の庚申は私の月の干支。
3角形の大きさや形、占める領域によって、行動や生き方を占うというもののようだが、私の3角形はAの領域には全く入り込んでいない。Aは安定型、Bは自由な生き方。気になるのは3角形の大半を占めるCとDだが、Cは知的な行動、Dは行動力(未知な世界)とのことだ。
Hさんが持参していた別の用紙にはCの領域について、知的な欲求をもつ生き方、創造力を発揮などの記述があり、Dについては、攻撃性と冒険的な生き方、行動力を発揮などの記述があった。
この3角形の意味する内容が望ましければ、そのことを意識することで、ここに示されているような行動や生き方をするようになるのかもしれない・・・。だが、これは自分の3角形と気になる相手の3角形を描いて相性を占うことが主な目的か。
②の人体星図の場合、中央のコマの私の星は「石門」。あるサイトにはこの胸の石門について「心に柔軟性があり、和合性を持つ。人生の長距離に強い」とあった。右足のコマの星「天報」については「晩年期にいたり、精神的上昇がめざましい。自己の精神哲学を確立する」とあった。
占いの結果については納得できると思うことだけ、こうありたいと思うことだけを意識していれば、いいだろう。
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■ 一昨日の朝、スタバのいつもの席で漱石の『道草』を読んだ。ようやく半分以上まで進んだ。横浜の神奈川近代文学館で開催されていた漱石展に先週末出かけたが、会場でこの小説の自筆原稿(展示されていたのは偶々新宿に向かうあずさで読んだ節の原稿だった)や小説に出てくる資料などを見てきたばかり。『道草』を読んでいると、漱石展で見た展示品が目に浮かぶ。
『吾輩は猫である』を「ホトトギス」に発表したのが1905年、そして『道草』を朝日新聞に連載したのが1915年。わずか10年ばかりの間にあれだけの作品を残した漱石はやはりすごい。
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626 木祖村小木曽
■ 木曽の藪原から旧奈川村に向けて県道26号を走っていて、前方右側の小高い丘の上にこの火の見櫓を見つけた。あんなところに火の見櫓がある! すれ違い不可な狭い道路を上ってこの場所に着いた。
上の写真の左側、青い小屋の横に県道が写っている。あの辺りからこの火の見櫓を撮れば、立っている場所の様子がよく分かったと思う。
丘の上にしてこの大きさはびっくり。見張り台からは下の集落が一望できるだろう。見張り台の大きさに比して屋根が小さい。
カンガルーポケット型の踊り場は東信方面によくある。火の見櫓周辺は草が生え放題、近くの集落の人たちは存在すら意識していないのかもしれない。
5月20日に出合った火の見櫓の紹介は以上
625 伊那市西箕輪
伊那から木曾への帰路でこの火の見櫓に遭遇した。櫓のカーブが実に美しい。 これぞ火の見櫓の理想形。これでスピーカーがついていなければ、脚元のデザインが正面だけでなく他の面にも施してあれば減点無し。
踊り場の半鐘には小屋根がかけられているが、その屋根が反っている。このこだわりがまた良い。しかもこの半鐘はつるりんちょではない。表面に乳が付いている。消防信号板も半鐘を叩く際に見ることができる位置に設置されている。
このプレートの右に寄付者名と製作した年月日、昭和35年3月10日を記したプレートが設置してあった。
624 伊那市西春近
20日、味噌川ダムカレーを食べに出かけたが、昼までの数時間、伊那で火の見櫓が2、3基見つかればいいなと思い、木曽谷から権兵衛トンネルを抜けて出かけた。下調べはしてないから、勘と運まかせ。
木裏原の火の見櫓と同じようなホース掛けが設えてある。こちらはたまたま消火ホースを掛けてあった。
脚元の消火ホースはいったんブレースに巻きつけてある。消火ホースの長さ、20メートルの半分で10メートルに対して火の見櫓の高さが低いのでこのようにしているのだろう。こうしないとホースの端部がコンクリートの床面についてしまう。でも・・・、こうするとホース内の水が抜けない。風対策も考えているのだろうか・・・。
623 伊那市東春近
やはりこの火の見櫓のようにくるりんちょな蕨手がついている屋根がいい。てっぺんの避雷針につけられたハートをひっくり返したような形の飾りとともに楽しい雰囲気を醸し出している。このくらいの遊びはあっていいと思う。
部材の接合部に注目。柱材のアングル(等辺山形鋼)はボルトでつないでいる。
ガセットプレートは柱にリベットで接合している。横架材はボルト留め。ブレースの丸鋼はリベット接合と同じ方法で端部を留めている。ボルトとリベットはどのように使い分けていたのだろう・・・。
621 伊那市西春近
梯子段のピッチと段数から見張り台の高さを9.3メートルと概算した。何回も繰り返すが脚部としてのデザインがされていないのは残念。細身の上部から幅広の下部まで、末広がりのカーブはベストではないにしろ美しい。
見張り台の手すりに輪っか付きブレースをモチーフにしたデザインが施されている。つるりんちょな半鐘の向こう側に木槌が掛けてある。
消火ホースを掛けるための仕掛けがなんとも物々しい。これで火の見櫓がかなり変わった形の印象になっている。手すりまでの高さは10メートルを超えるから、そこに長さ20メートルの消火ホースを掛けても地面に着くこともない。なぜこのような仕掛けにしたのだろう・・・。
620 伊那市ますみヶ丘
姿形が美しい火の見櫓 梯子段の間隔と段数から求めた見張り台の床の高さは約10メートル。総高は13.5メートルくらいだろう。櫓の横架材の間隔がやや狭い。
半鐘は偏心させることなく、屋根の中心に吊り下げてある。スピーカーも無くすっきりした見張り台。
踊り場の半鐘の小屋根。半鐘を大切にする気持のあらわれ。
■ 神奈川近代文学館のカフェで昼食を軽く済ませ、みなとみらい線の元町・中華街駅へ。中目黒駅で日比谷線に乗り換えて六本木駅で下車。サントリー美術館で「広重 ビビッド」を鑑賞。
「若冲は知的好奇心による絵、広重は美的感性による絵」とざっくりと括ってしまおう。
その広重の「六十余州名所図会」と「名所江戸百景」をみた。前者は五畿七道の68ヶ国の名所を題材にしている、とリーフレットにある。信濃は「更科田毎月 鏡台山」。 いずれの絵も近景から遠景までを巧みにデフォルメした構図に魅せられる。それから色にも。
原安三郎氏が蒐集した浮世絵は「初摺」のなかでもとくに早い時期のもので国内に数セットしかないそうだ。保存状態も極めてよいからビビッドな浮世絵ということなのだろう。
一通り鑑賞して、ミュージアム・ショップで火の見櫓が描かれているポストカードを買い求めた。
「日本橋 朝之景」今の日本橋からは想像もつかない江戸の日本橋の光景 屋根の上に火の見梯子
「びくにはし雪中」 京橋川に架かっていたびくに橋 遠くに火の見櫓 山くじらって何? ネット検索してイノシシの肉のことだと分かった。山くじらね~、面白い表現だな。
「市中繁栄七夕祭」 七夕の日の江戸の風景だがネットで調べても場所は分からなかった。右側の遠くに火の見櫓が見える。蔵の間に立っているのは火の見櫓かどうか分からない・・・。
サントリー美術館を出ると5時を過ぎていた。
この後、ギャラリー間に立ち寄り、大江戸線で新宿へ移動。
タカシマヤタイムズスクエアのレストランはどこも満席、インド料理の店にかろうじて空席があった。そこでアルコール摂取+食事をして21時発のあずさで新宿を後にした・・・。