■ 久しぶりに民家 遠い昔の記録、今回は西伊豆の松崎町のなまこ壁の民家です。この町には伊豆長八美術館(設計:石山修武)があり、3回訪れたことがあります。なまこ壁の民家が連なる街並みは日本のような、そうでもないような独特の雰囲気が漂っています。
西伊豆は台風の通り道、屋根も壁も雨仕舞を完璧にする必要があり、この写真のように屋根瓦も壁の平瓦のジョイント部分も漆喰で塞いでいます。この幾何学的なパターンが美しいのだとテレビ番組「美の壺」で指摘していました。「幾何学模様に機能美あり」というわけです。
なまこ壁はこの写真のパターンが一般的だと思いますが、他にも漆喰の目地が芋目地のものや馬目地のものなどがあります。目地の部分の雨水を早く下方に流すことを考えると、水平な目地のある芋目地や馬目地よりこの写真のパターンが排水機能上たぶん有利。
機能的なデザインは美しい。美しいデザインは機能的という捉え方もありますが、両者の違い(そもそも違うのかどうか)を論理的に説明するのは難しく、今回はそのことには触れないでおきます。
建築雑誌08年04月号の表紙と特集記事
■ スティーブン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演の「ターミナル」、この映画の公開からもう3年経ちました。主人公ビクターは祖国がクーデターで事実上消滅、パスポートが無効になってアメリカ入国を拒否されます。出国も入国もできない状況に陥ったビクター、このにっちもさっちもな状況で彼はJFK国際空港の国際線ターミナルで生活することになります。
ビクターが空港という公的空間を私的空間として器用に使いこなし、やがて仕事を見つけ恋もするというストーリーでした。彼の空港での暮らしぶりは空間の公共性、私性を規定する根拠が曖昧で希薄なものであるということを示していて興味深いものでした。
ところで日本建築学会発行の「建築雑誌」の4月号の特集は「拡張する「私んち」?」です(写真)。電車の中で化粧に勤しむ人の出現からすでに久しいのですが、このような社会現象を建築的視点で捉えて空間の公共性、私性について考察しています。
**「私の家」という概念から少しはみだしたオルタナティブな「私の家的なるもの」の存在をこの「私んち」?という言葉に託した。**ということですが、この特集を先日目にして映画「ターミナル」を思い出しました。
電車内という公的な空間に出現する化粧のための「私んち」?。乗客が違和感、不快感を感じるのは公共空間の中に私的な領域が突如出現するから。親の顔が見たい「人の出現」などと社会現象として捉えるのではなく私的「空間の出現」と捉えるこの建築的視点って面白いかもしれません。
「私の家」を持たずネットカフェに暮らす人々、公共の場で暮らすホームレス、自宅に本のサロンをつくって地域に開放した研究者、遊歩道に蚊帳を張ってその中に私の部屋の一部を表出させる、千葉県の「おゆみ野の私んち」という試み。
この特集をとりまとめた杉浦久子さんはこのような現象を私有・公共の境界が変容、曖昧化している事例と指摘し、更にそこに新しい公共性/私性の萌芽を予測しています。
『「おじさん」的思考』内田樹/晶文社を読んでいますが、この中に「押し掛けお泊り中学性」というタイトルの論考が収められています。「押し掛けお泊り」とは本文の説明によると**住所を調べ上げて、前連絡もなしに合宿所よろしく突然人の家に上がり込んで好き放題する** ことだそうです。知りませんでした、そんなことが起こっているなんて。で、このような現象を建築的な視点で捉えると、私的空間に突如別の私的空間が出現してしまう、ということになるでしょう。この事態、驚く他ありません。
このような現象に応答するように空間を規定するハードな建築も変容していくことになるのでしょうか。
う~ん、どうなる建築? どうする建築?
■ 今月読んだ本、4冊。
『終らない旅』小田実/新潮社
ベトナムのホテルで偶然再会したふたり。男は日本人、女はアメリカ人。男がかつてアメリカに留学した時に知り合った女性との奇跡の再会。「偕老同穴」の恋のはずだった・・・、しかし男は阪神大震災で死亡、女は9.11に衝撃を受けて病没。
ふたりの恋をべトナムに神戸に辿ることになるそれぞれの娘、久美子とジーン。
戦争とはなにか、平和とはなにか、そして民主主義とは・・・。小田実の思索が恋愛小説という形式を通じて綴られていく。
例えばこんなくだり。
**「私の母はよく言っていました。」ジーンは久美子の反応に力を得たのか、先刻よりも自信のこもった、そう久美子に感じられた声で、軽くウェーブのかかった薄栗色の髪に手をやりながら言った。
「民主主義は、価値の多様性を政治的に容認、保障するとともに、各価値観の対等、平等関係を政治的、社会的に形成、維持する政治技術だ、と。」
久美子はそのあともつづけようとするジーンを、また「ジーン」と呼んでさえぎった。「私の父も私によく同じようなことを言っていました。」
ふたりの恋は理性的で良識的だった、と思う。
『風花』川上弘美/集英社
真人(まこと)、マコちゃんはのゆりの叔父。この物語はふたりが東京駅で待ち合わせて東北の温泉に出かけるところから始まる。
ふたりが叔父、姪の関係だという設定が不自然だと感じさせないところがこの作家。
**「ねえマコちゃん、わたし、離婚した方がいいのかな」のゆりが突然聞いた。真人は答えなかった。考えているらしい。
雪はまるで空気よりも軽いものであるかのように、なかなか地面には落ちず空中をただよっている。
「風花(かざはな)っていうんだっけ、こういうの」真人は言った。**
雑誌「すばる」に連載された恋愛小説、「風花」から季節は巡って「下萌」までの13章。
さて5月はどんな本と出会うことになるだろう。
「播隆上人」 松本駅東口広場
■ この像の後方に設置されている石碑には槍ヶ岳開山の祖 播隆上人(1782年---1840年)は幾多の苦難をのりこえ1828年に槍ヶ岳登頂を極めた
日本アルプスの命名者の英人ガウランドの登頂に先だつこと50年、まさに近代アルピニズムの黎明を開く不滅の業績を残した
ここに岳都松本の駅頭にその像を建立し偉業を永く讃える とあります。
この像の作者が長野県朝日村出身の彫刻家上條俊介です。
■「国の中央に立つ」松本市役所
■「東天紅」 今井小学校
■「でいらぼっちゃ」 朝日小学校
■「あすを拓く」 朝日村中央公民館
■「春の祭典」 朝日美術館
■ 朝日美術館と「播隆上人」
これらの彫刻の他にもあがたの森の「蒼穹」や美ヶ原頂上にある美しの塔の「山本俊一胸像」などここ松本平を中心として何点もの作品があります。
彫刻に関心がなければ松本駅前の播隆上人像すら気がつかないかもしれません。ましてその作者にまで関心が及ぶことなど無いかもしれません。
上條俊介(1899~1980)は長野県朝日村に生まれ、松本中学(現・松本深志高校)を卒業後早稲田大学に進学。卒業後北村西望(長崎平和記念像の作者)に師事。日展を始めいくつもの展覧会に作品を発表し続け、前述のように郷里にもいくつかの作品を残しました。晩年は心のやすらぎを求めてでしょうか、仏像なども手掛けています。「播隆上人」の制作に上條俊介は10年の歳月を費やし、完成(1979年)の翌年、81歳で亡くなりました。この最高傑作を遺して。
上條俊介を顕彰して計画された朝日美術館は今年開館5周年を迎えました。美術館では現在「線と彫刻」展が開催されています。それに合わせて『線と彫刻--- 上條俊介の生涯---』が刊行されました。
地方の美術館はどこも入館者が少なく運営が困難だと聞きます。この美術館も例外ではないでしょう。厳しい財政、支出の縮減対象として真っ先に挙げられるのが「文化的事業」です。このような施設は批難もされます。「文化」など不要というわけですね。このようなこの国の現状はやはり残念です。このような状況下、この事業を実施した朝日村に拍手です。中央の大きな美術館の展覧会にばかり関心が向きがちですが、地方の小美術館でも興味深い展覧会が開催されます。
新緑の季節、地方の美術館巡りを! 新たな美の発見を!
■ 久しぶりの「建築トランプ」、今回引いたカードはこれ、「宇部市民館」。
日本の建築界の巨星、村野藤吾の代表作。村野藤吾は建築の「芸術性」を追求し続けた。
もうひとりの巨星、丹下健三は建築を都市との関係を重視して捉えた。都市の中に建築をどう位置付けるかが大きなテーマだった。その意図が最も明確に表現されているのが広島平和記念公園計画。
丹下健三の作品は遠景の建築と評していいと思う。建築にぐっと近づいてディテールを観察しても面白くない。一方村野藤吾の作品は近景、ディテールにこそ魅力がある。
村野藤吾は数多くの名作を残した。ここ長野県にも小山敬三美術館と八ヶ岳美術館がある。残念ながら小山敬三美術館は未だ見学していない、なんということだ。八ヶ岳美術館は八ヶ岳山麓の唐松林のなかに静かに佇んでいる。内部ではレースのカーテンによる天井の構成が印象的だ。何回か行ったことがあるがこのところ遠退いている。
先日新聞でこの八ヶ岳美術館で特別展「村野藤吾の八ヶ岳美術館・偉大な建築家が残した、晩年の傑作」が開催されることを知った。設計図や模型、写真などを展示して同館の建築の歴史を紹介する企画。6/8(日)には建築評論家長谷川尭氏のギャラリートークが開かれるという。久しぶりに訪れてみたい。
特別展の会期は4/25から6/10まで、期間中は無休。
■ このところフォトログと化したブログ、久しぶりに(でもないか)本を取り上げておく。夕方書店に出かけてこの本を見つけた。
**「正しいおじさん」たちがその生き方の支えとしてきた「常識」はいまことごとく否定された。聖なる労働も、暖かい家庭も、「桃太郎の正義」も、「話せば分かる」も、かつて「日本の正しいおじさん」たちが心の支えとしてきた基本的なモラルは、「歴史のごみ箱」へ打ち捨てられようとしている。それなのに、「正しいおじさん」たちは、この状況にどう対処してよいか分からぬまま、ただ呆然と立ち尽くしているばかりである。**(あとがきから引用)という現状認識の著者(内田樹 神戸女学院大学文学部教授)が「正しいおじさんの常識」擁護のために立ち上がった! のだそうだ。
明日からおじさんにとっての(もしかしたらおばさんにとっても)必読書!?を読む。
■ 福島県の三春町、この町名が梅、桃、桜の花が同時に咲く三つの春に由来することは既に書きました。先日この三春町にある有名な「滝桜」からの中継を見ました。樹齢が千年ともいわれている紅枝垂桜が満開でした。
千年前というと世は平安時代、桜をこよなく愛した西行が生きた時代ですね。西行がいなかったら日本人はこれほど桜を愛するようにはならなかったのではないか、と松岡正剛氏が指摘しています。
前稿に載せた枝垂桜のすぐ近くに滝のように咲くこの枝垂桜があります。波、噴水、そして滝。枝垂桜の咲く様をいずれも水の諸相に見立てました。
春のフォトアルバム 8 080423
080420 10:39PM
■ 昨晩は満月でしたね。満月下の満開の桜を観たい、と思っていたのですが、残念ながら月は雲に隠されていました。諦めていたのですが夜10時半頃には空を覆っていた雲が消えて満月が・・・。
満月下に咲き満ちる桜を観に出かけました。桜は月の光を浴びて不気味にそして妖艶に枝を揺らしていました。昼間とは全く違った表情の桜を観ました。
来年、09年4月の満月は9日、10年は28日、共にこの鄙里では満開の桜とは重なりそうにありません。次回満月下の満開桜を観ることができそうなのは3年後の11年4月18日。晴れていれば、そして元気ならば・・・。
■ 春爛漫、鄙の山里が桜に彩られています。今夜は満月、月の明かりに朧に浮かび上がる満開の桜・・・。
満開の桜と満月って確か東山魁夷が描いていたはず、そう思って手元の小画集/新潮社を開いてみると・・・、ありました。「宵桜」。
宵桜
満開の桜。峰を出る満月。
両者の巡り合う一瞬に、
この世のいのちの充足を見る。
魁夷はこのように書いています。
満開の桜と満月・・・、数年に一度くらい訪れる巡り合わせでしょうか。いや、晴れていないと観ることができませんから機会はもっと少ないでしょう。
満月に浮かぶ桜を観よう、などといままで思ったこともありませんでした。残念ながら月は雲に隠されています。
■ 今年もカタクリの花の季節が巡ってきた。
うつむき加減の姿からは控えめな印象を受けなくもないが、薄紫の色、花びらの反りと相まって妙に艶めかしさを感じてしまう。この花には清楚とか可憐といった形容は当て嵌まらない、と思う。
薄紫、好きな色だ。
春のフォトアルバム 6 080420
■ カフェ・シュトラッセの前庭の白梅が咲いた。木をだいぶ剪定してしまったせいだろうか、花の数が少なくて寂しい。が、来春はもっとたくさん花が付いてコーヒー色の壁をバックに綺麗に咲くだろう・・・。
今回はここで『感光生活』を読んだ。小池昌代さんの作品を読むのは今回が初めて。しばらく前「週刊ブックレビュー」にゲスト主演していた。そのときは『タタド』(川端康成文学賞受賞作品)が取り上げれれていたと記憶している。文庫を探してこの短篇集を見つけた。平易な文章で物語っているがなかなか味わい深い。詩人でもある作家の感性が光る作品集。次はやはり『タタド』かな。
『感光生活』小池昌代/ちくま文庫
春のフォトアルバム 5 080420
上:高山市|松本城
下:塩尻市洗馬
華やかな和傘 高山の春
なごり花 水面(みなも)に咲く
湖面を染めて桜咲く
グリーンストライプをみつめる桜たち
「優美」「幽玄」「侘び」「さび」「綺麗」 多様な美の世界・・・
このミラー細胞は大人にもあって、赤ちゃんの微笑みと同様な反応をするのだとか。陽気な人に会えば楽しくなり、陰気な人に会えば暗くなるのはミラー細胞がそのような刺激を相手から受けるから。もちろん意識的な反応というか行為もあるのでしょうが。
よく相手は自分を写す鏡だといいますが、そのことが実はヒトに備わった(サルなど動物にも勿論あるということですが)脳細胞の反応だということが明らかになってきたというわけですね。相手の行為にそのままの反応を返すことで社会生活を身につけるようにプログラミングされているということでしょうか・・・。
「人の振り見てわが振り治せ」という故事を思い起こすべきなのかも知れません。ミラー細胞の存在など全く知られていない時代の故事ですが・・・。
■ この季節、この本が気になって手にしました。『日本の美意識』宮元健次/光文社新書。この本で指摘しているのは日本人の美意識は無常観に基づく「滅びの美学」に根差しているということです。
桜はあっけなく散るから美しい。日本人が桜を愛でるのはこの「滅びの美学」に拠ることはよく指摘されますよね。
平安末期の歌人、西行の旅を慕って芭蕉も旅に出て、草庵を結び、そして旅の途中で客死したこと、そして桂離宮の美を発見したあのブルーノ・タウトもまた旅先で死んだという指摘。三人に共通する人生。
日本人の美意識、その潮流から「クール・ジャパン」までの総論、速読。