■『東と西の語る日本の歴史』網野義彦/講談社学術文庫読了。日本は東西で政治も経済もそして文化も違っていた・・・。
東西という視点から観る日本通史。植生、動物相の東西の違いに求める石器文化の相違、二万年の昔から近代史の東西相違まで。
さて、年越し本は『神社霊場 ルーツをめぐる』武澤秀一/光文社新書。この著者の『法隆寺の謎を解く』に魅せられて、『マンダラの謎を解く』、『空海 塔のコスモロジー』を読みました。グレーゾーンなど残すことなく、スパッと歯切れよく自説を展開するこれらの著書。
大晦日、2009年は今日でオシマイ。では、皆さん良いお年を!!
元日、このブログは例の書籍のタイトルによる新年の挨拶から始めます。
■ 金子みすず 大正末期に優れた作品を発表した童謡詩人。
よく知られているのは「わたしと小鳥とすずと」という作品でしょうね。
**わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
(中略)
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。**
みすずは西条八十に童謡詩人の巨星とまで称賛されながら、26歳の若さで自ら命を絶ってしまいました。
そのみすずが娘ふさえが3歳のときに発した言葉を書きとめていた、というのです。ふさえさんは「私は捨てられたのだ」と思っていたそうですが、『南京玉』を読んで深い愛情を持って接してくれたことがわかったそうです。
『南京玉』を読むと母親が我が子に注いだ愛情が伝わってきます。
この小さな本をなぜ買い求めたのか忘れてしまいましたが、記録するということの意義がよく分かります。
■ 松本清張の代表作に私は『点と線』『砂の器』『ゼロの焦点』を挙げます。清張作品の多くがテレビドラマ化、映画化されていますが、これらの作品もテレビドラマにも映画にもなっています。
今年は清張生誕100年、先日はNHKで『天城越え』が、民放で『火と汐』が放送されました。『顔』も放送が予定されています。
『天城越え』は再放送で清張自身も出演していました。清張がちょい役で出演するシリーズの1作品でした。このシリーズを観た記憶があります。
映画『砂の器』は邦画の中では一番印象に残っている作品です。ハンセン病の父親とまだ小さい息子が故郷を離れて全国各地を放浪する(北陸から山陰だと思いますが、ロケは別の場所でも行われたのでは)後半のシーンはとても切なくて泣きました。美しい風景も音楽も印象的でした。
清張作品の主人公は孤独な人が多いです。芥川賞受賞作の『或る「小倉日記」伝』の主人公の青年 田上耕作がそうです。『砂の器』の主人公 和賀英良も、『ゼロの焦点』の室田佐知子もそうです。『球形の荒野』にもやはり孤独な外交官 野上顕一郎が登場します。タイトルが孤独な世界を暗示しています。
『砂の器』を読んだのは中学生のときでしたが、『ゼロの焦点』もたぶんそうだったと思います。『球形の荒野』は高校生の頃かな。
『ゼロの焦点』は71年(昭和46年)にNHKでドラマ化されています。このドラマも観ました。主な登場人物は女性3人。見合い結婚した直後、夫が失踪してしまう主人公鵜原禎子を演じたのは十朱幸代、金沢の煉瓦製造メーカーの社長夫人 室田佐知子を演じたのは奈良岡朋子。その会社で働く田沼久子は誰だったか名前を忘れてしまいましたが、ネットで調べて「渡る世間は鬼ばかり」に出ている長山藍子だったと分かりました。
今秋『ゼロの焦点』が映画化され、現在公開中です。先のテレビドラマと配役を対応させると十朱幸代が広末涼子、奈良岡朋子が中谷美紀、長山藍子が木村多江となります。
テレビドラマ化や映画化される場合、時代の設定を現在に変えることもよく行われますが、『ゼロの焦点』は小説と同じ、もはや戦後ではないと言われた昭和32、3年です。
この作品の場合、終戦直後の立川での出来事が重要な意味を持っていますから、時代の設定を変えるわけにはいかないでしょう。上野駅を発車して行くSL、雪の金沢の街、路面電車やバス、車。映画では昭和が実にうまく再現されていました。
期待して観た映画でしたが・・・。残念だったのは、なんだかホラー映画に思えてしまったことです。再現された昭和の金沢でホラーな演技の中谷美紀。リアルな舞台から遊離した演技。原作とは全く別の世界です。これは彼女のせいではもちろんありません。原作をどのように理解しても、どのように映画化してもいいとは思いますが・・・。ただ、好きな役柄を演じた木村多江はよかったです。
終戦直後、占領下で生きるのに必死だった室田佐知子。過去との突然の遭遇、そして悲劇。それは田沼久子にも鵜原禎子にも及んで・・・。
私には野村、橋本コンビの『砂の器』の印象が強く残っているせいか、どうも馴染めないままラストシーンへ。小説では印象的なラストシーンが映画では上手く描かれてはいませんでした。
エンドロールに流れる曲がなぜ中島みゆきなのか、私の感性では分かりません。静かにバッハでも流れてきたらよかったのに・・・、荒涼とした海の底から響いてくるように。
民家 むかしの記録 戸狩にて8008
戸狩へは学生のときスキーに出かけたことがあります。北信濃に位置する戸狩は多雪地域です。
この写真、もう30年近く前、東北旅行の帰路、寄り道をしたときに撮影したものです。
雨や雪を防ぐことと室内の煙を外に出すこと・・・。相反する条件ですが、長い年月がこのような形を導き出したのですね。
民家の外観ではやはり屋根に注目です。大きな棟(漢字変換をまちがえないように)は「雪割り」の役目も果たしていると思います。棟の両端に小棟が付いているのが分かります。以前も紹介しましたが、長野(特に北部)から群馬にかけて見られる特徴です。
このころ既に鋼板で屋根を包んでしまっている民家が多かったのですが(下の写真)、茅葺の屋根を見ることが出来たのは幸いでした。ただ、やはり棟廻りは傷みやすいのでしょう、鋼板瓦棒葺きになっています。
上の写真と同日に撮影 戸狩にて
棲息地:坂井歴史民俗資料館の唐破風@筑北村 観察日091224
旧坂井村の歴史民俗資料館の玄関ポーチは古い施設から移設したようですが、詳しいことは分かりません。地元在住の知人に訊いてみましたが、「知らない」とのことでした。唐破風についている懸魚(げぎょ)は木彫りの鶴と松です。
鶴は大変おめでたい鳥ですから、建物に棲むことを歓迎されています。おそらく全国各地で観察できると思います。下の鶴は奈良県当麻町で81年の5月に観察しました。
懸魚のルーツはどうやら中国のようで、魚を吊るしていたらしいのです。それには魔除けというか、火除け、火伏せの願いが込められていたのだと思います。水と関係がありますから。
しばらく前に囲炉裏の自在鉤に棲む魚を紹介しましたが、その魚にも火除けの願いが込められているのでしょう。火を使うところですから。
今夜はクリスマスイブ、トナカイが見つかればよかったのですが・・・。
■ 22日は冬至。晴天、朝7時の外気温氷点下8度。
朝8時半に始まるNHKの「ラジオビタミン」で最初に取り上げられた投稿は冬至の日に「ん」がふたつある名前の食べ物を食べると風邪をひかないという内容だった。「ん」がふたつ・・・、にんじん、れんこん、ぎんなん、かんてん・・・。
冬至だからかぼちゃを食べたが、「ん」がふたつのものは食べなかった。例えば、昼にわんたん、スイーツはモンブラン、夜食にあんぱんか・・・、太るな~。
さて、今回は・・・。
路上観察 北安曇郡小谷村にて 091222
長野県の北部は先日の降雪でこの通り。棟木や軒先の梁に柱を突いてあるのが素直に理解できる。百聞は一見に如かず、か、論より証拠か。
過去ログ
『東と西の語る日本の歴史』網野善彦/講談社学術文庫
久しぶりに書店へ出かけた。古今南北ではなく、古今「東西」なのはなぜだろう・・・、と先日書いた。「東西」を意識しだすと不思議、こんな本が見つかった。普段はチェックしない講談社学術文庫の棚、この本が私を呼んでいた。
目次を見ると3章「考古学からみた東と西」、8章「東国国家と西国国家」、13章「東と西を結ぶもの」、15章「東の文化と西の文化」
歴史には疎い。でもこの内容なら面白く読むことが出来そうだ。やはり「東西」には何かある!
■『住まい方の思想』渡辺武信/中公新書 84年初読、88年再読。
サブ・タイトルに「私の場をいかにつくるか」とあるように、住宅では私的な領域がいかに大切か、そしてその領域をつくるにはどうすればよいか、が主に論じられています。
映画評論家としても知られている建築家 渡辺武信さんの著書には映画のシーンがよく引用されています。この本にも例えば第2章「居間」にはオーソン・ウェルズの「市民ケーン」に登場する居間、第3章「食堂」には「家族の肖像」の食事の場面、第4章「厨房」にはダスティン・ホフマン主演の「クレイマー、クレイマー」の食事の場面などが写真と共に載っています。
渡辺さんは**宇宙船と同じように、内部の私性を外部に洩らさず、外部の公共性を内部に持ち込まないために、なんらかのエア・ロック的媒介空間が必要なのである。**と説いています(エア・ロックは宇宙船の出入口に必ず設けられていますね)。
**人間が一つの空間から他の空間へ移る場合を考えると、その際の心理的移行に効果的に対応するためには、二つの空間の間にヴォリュームのある媒介空間を置く必要がある。**とも説いています。渡辺さんは更にこの媒介空間について**住宅に足を踏み入れた瞬間に、視線がすぐ近くで跳ね返されることなく奥へ引き込まれ、到達目標となる居間の入口が、かなり遠くにあるか、または屈曲するルートの蔭になって見えないような空間である。**と具体的な説明を加えています。
ときどきお邪魔するカフェ・マトカ。玄関で脱靴するという行為によって意識する公的空間から私的空間への転換、ハイカウンターに隠されて見えない「奥」の席、渡辺さんの説明に合致する奥性のある空間。
公的空間とカフェという私的空間との間にも必要な媒介空間、更に私的空間の中に欲しい「奥性」。
このことを先日オーナーに話しました。そのとき、ちょっとした設えを検討中だと聞きました。その設えが空間の奥性を更に増すと思います。後は実行あるのみ・・・。
* 奥性という概念は建築家の槇文彦さん他の『見えがくれする都市』SD選書に出てきたと思います。また媒介空間は黒川紀章さんの中間体と同義。
棲息地:クラフト体験館の入口の戸@長野県朝日村古見 観察日 091217
朝日村クラフト体験館ではクラフトマンの指導で木工体験ができます。小さな木のオモチャから大きなタンスなどの家具まで作品づくりにチャレンジする人たちが利用しています。
やはり単に飾りではなくて、このように機能的に必要な「生き物」がいいですね。
流れる星は生きている 藤原てい/中公文庫
生きて故郷まで帰るという強い意志。子どもを死なせてなるものかという執念。
あの夏、少年はいた 川口汐子、岩佐寿弥/れんが書房新社
淡い恋慕の情を抱きつづけて60年。その相手との奇跡の再会が生んだ本。
胎児の世界 三木成夫/中公新書
生物の進化のプロセスを短期間で再現する胎児の不思議な世界。
書名をクリックすると過去ログへ。
■ 永田昌民さん(N設計室)設計の住宅が安曇野市内に完成し、オープンハウスをしていると聞き、先日の日曜日の午後見学してきました。
コンパクトにまとめられた木造住宅。吉村順三流の開口部に注目しました。玄関ドアは内開きでした(日本では外開きが圧倒的に多いのですが)。金物は堀商店製。
リビングの大きな開口部の建具、室内側から障子戸、木製ガラス戸、網戸、雨戸の順。アルミサッシは使っていません。それらはすべて戸袋に収納できるようになっています。
障子の組子の割り付けはやや大きめで横長、はがきとほぼ同じ寸法比。框と組子の見付寸法は同じ。普通は框の方がだいぶ大きいのですが。浴室の出入口は吊り戸。
永田さんの作品は『住宅建築』という月刊誌(写真は90年の7月号)でときどき見ていましたが、作品を実際に見るのは初めてでした。開口部に限っても「なるほど」な箇所がいくつかありました。
紹介していただいたMさんに感謝。
棲息地:高山市内の金物屋の庇の上 観察日060610
きちんと記録しなかったので金物屋かどうかは定かではありません。抽象的な鳥ですね。咥えているのは四つ葉のクローバーでしょう。いろんな生き物が建築には棲んでいますね。なかには「かくし絵」のように建築にうまく隠れていて見つけにくい生き物もいます。
建築に棲む生き物シリーズ、まだまだ続けることができそうです。
「こんにちは」
「やあ、ここ 分かった?」
「ええ、分かりました。靴を脱いで入るんですね」
「そう」
「なんだか、とても居心地が良さそうですね」
「そうでしょ、こういうところMさん、好きだと思って」
「手づくりって聞きましたけど。居心地の良さの素ってこの床?壁?それとも椅子?」
「なるほど、居心地の良さの「素」ね。そうだね、今挙げたすべてだと思う。手編みのセーターが着心地が良いのと同じなのかも、ね」
「ところで、U1さん私出かける前にブログをチェックしてきたんですけど、なぜ古今東西なのかって・・・。そんなこと考えたことないですよ。で、ここに来るとき考えたんですけど、北半球に大陸の大半がありますよね。そのことと関係があるんじゃないかな」
「そうだよね。実はそのことは僕も考えたんだよ」
「あ、そうなんですか。北半球に集中しているから、南北より東西に広がっていますよね、世界の国って。だから東西なんじゃないかな」
「そうかもしれないね。洋の東西を問わず、なんて言うね。でもそれだけじゃやっぱりない、と思う。方角にいろんな意味を込めているでしょ。例えば極楽浄土は西方にあるとかさ。それから演歌ってやっぱり北、でしょ」
「演歌は北・・・」
「そう。北の宿からとか、♪北へ帰る人の群れは誰も無口でとか、さ。♪北の町ではもう、悲しみを暖炉で・・・とか。やはり演歌は北なんだよ」
「さすが中年、演歌ですね。そうか・・・、北国の春とか」
「中年って、まあそうだけど。ね、北でしょ」
「そうですね。南のイメージじゃないですね」
「今イメージって言ったでしょ。それだよね。方角のイメージ」
「確かにありますね。そういえば東日本と西日本って対で使いますけど、北日本と南日本とはいいませんね」
「そうでしょ。日本列島って、どちらかというと南北に長くない? ならさ、南北日本っていう捉え方があってもいいと思うけど、無いよね」
「そういうことと、古今東西という言い方が無関係ではないんだと・・・」
「そう。 菜の花や 月は東に 日は西に」
「誰でしたっけ・・・。蕪村かな・・・。南北より東西を重視する、世界観って大袈裟かな、それが文学にも表れているってことなんですか」
「さすが」
「そうか・・・、東西ってなにかありそう」
「♪それでいいのさ あの移り気な 風がふくまま 西東・・・」
「誰の歌ですか」
「橋幸夫のデビュー曲、潮来笠」
「知らな~い。でも、確かに西と東なんですね」
「そう。それであちこち気ままな旅を表現している。相撲でも力士は西と東から土俵に上がるよね」
「あ、そうですね。ところでU1さん、カウンターにクウネルが並んでますね。ここで、クウネル読んでます?」
「読んでる。以前は本屋で立ち読みしてたけどね。川上弘美の文庫も書棚にあるよ。Mさんは読まないんだっけ、川上弘美」
「私はどうも・・・」
■ しばらく前、まちの魅力に欠かせない要素ってなんだろう・・・、ということについて考えました。郡上八幡に出かけたのがきっかけでした。
①まちが小規模なこと
②まちの全体像が把握できる「俯瞰場」があること
③まちなかを川が流れていること
④まちに歴史的な重層性があること
以上、まちの魅力の構成要素として私なりの結論を得ました。学術的な論考ではもちろんありませんから、まあ、実証性などない、いいかげんな結論ですが・・・。でも「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」などという結論ではつまらないです。
②の俯瞰場というのは分かりにくい表現ですが、要するにまち全体を見渡すことができる小高い場所のことを意味しています。
③についてはまち全体の構造を理解するのに川が有効だと考えました。でも、もっと重要な効果が川にはあるのではないか、と思い始めています。例えば飛騨高山で春と秋に行われる高山祭り。川に架かる橋を渡る山車、この時の光景は実に美しいのですが、それは何故か・・・。
④は街並みに情緒があって魅力的なことと捉えていましたが、少し捉え方を変えるとこのようになるのかなと思います。歴史的な重層性、これもなんだかよく分からない表現ですね。都市の郊外に短い期間で出来てしまうようなインスタントなまちではなく、いろんな時代の建築が街並みに顔を出しているようなまち、時の重なりがまちの表情に出ている・・・、長い時を経てじっくり出来てきたまちということです。
さて、自分への次なる設問は「なぜ古今南北ではなくて古今東西なのか」。古今東西って、日本だけ?中国も同じ?欧米ではどう表現しているんでしょう。
時間的な流れと空間的な広がりを併せて古今東西と簡潔に表現しますが、空間的な広がりを南北ではなくて東西としたのは何故か・・・。
私は東から西へと移動する太陽と月の動きが関係しているのではないかと思うのです。空間は四方八方均等に広がっているのに、太陽や月の動きによって東西方向に引き伸ばされた状態で地理的空間の広がりを認識しているのでは・・・。
認知心理学の問題でしょうか。人々が空間の広がりをどのように認知してきたのかを知ろうとするなら古典文学などをひも解かなくてはならないでしょう・・・。
全く分からない世界です・・・。
■ 以前、娘に「おとうさんはNHKマニアだね」と言われたことがあります。ちょっと揶揄する気持ちがあったのかもしれません。まあ、確かに民放の番組はあまり観ません。かなり前から観ている番組といえば「週刊ブックレビュー」と「日曜美術館」です。
「週刊ブックレビュー」は放送日が日曜日から土曜日に変わってしまって、観る機会がぐっと減ってしまいました。「日曜美術館」は放送開始から既に30年以上も経っている長寿番組なんですよね。それだけ根強いファンがいるということでしょう。ちなみにこの番組の初代アシスタントは作家の太田治子(太宰治の娘)さん。
今月の6日は「根津美術館の至宝」でした。鉄道王 根津嘉一郎が「美術報国」、美を通して公に奉仕するという理念のもと、海外流失を防ぎたいと収集した名品を収蔵・展示するためにつくられた根津美術館。3年半の改修工事を終えて過日オープンしました。
設計した隈研吾さんが番組のアシスタントの中條アナに美術館のデザインの意図を説明していました。美術品だけでなく、美術館を紹介することはあまりないと思います。
切妻の大屋根に包まれたホールは外との繋がりを強く意識していることがわかります。ホールの作品は日本庭園を背景に鑑賞するように展示されています。
国宝の「漁村夕照図」が番組で紹介されました。3月13日から4月18日まで展示されるそうです。機会をつくって鑑賞に出かけたいと思います。
松岡正剛さんがゲスト出演した「根津美術館の至宝」は13日の夜8時から再放送されます。