■ 2002年(平成14年)に国の重要文化財になった「牛伏川本流水路」を見る機会があった。フランスの砂防技術を参考にして、明治から大正にかけて延長141m、高低差23mあるところに19段の石積み階段を施工した「牛伏川階段工」で、2012年(平成24年)に国の重要文化財に指定されている。
リズミカルな川の流れ、繰り返しの美学。
現地にある説明板
■ 2002年(平成14年)に国の重要文化財になった「牛伏川本流水路」を見る機会があった。フランスの砂防技術を参考にして、明治から大正にかけて延長141m、高低差23mあるところに19段の石積み階段を施工した「牛伏川階段工」で、2012年(平成24年)に国の重要文化財に指定されている。
リズミカルな川の流れ、繰り返しの美学。
現地にある説明板
■ 山梨県全域をカバーした地図(昭文社の分県地図シリーズ19「山梨県」)を購入した。
先日、山梨県の甲州市まで車で出かけて、JR中央本線の甲斐大和駅近くに立っている「道路またぎ櫓」を見てきた(過去ログ)。当日は中央自動車道を勝沼ICで下り、国道20号を4、5キロ走って現地に着いたが、改めてその位置を地図で確認して、抱いていたイメージとはだいぶ違っていることに気がついた。
道路またぎ櫓は山梨県のかなり東側に位置していると思っていた。このことは、JR甲府駅に最も近い甲府昭和IC辺りが山梨県のほぼ中心というか、中央(南北方向ではなく、東西方向の中央)だという認識が違っていたことに因る。山梨県の東西方向の中央は、中央自動車道で言うと一宮御坂IC辺りで、その次のICが勝沼だから、かなりずれていたことになる。
当日はカーナビを頼りに出かけたが、それだと山梨県全域に対してどの辺りにいるのか分からない。帰りは一般道を走行し、出会った火の見櫓の場所をカーナビ頼りに控えたが、その場所もやはり山梨県のどの辺りなのか、ごく大雑把にしか分かっていなかった。
やはり予め地図を見て全体像を把握してから出かけ、帰ってきてから地図で確認しなければならない、ということだ。学生時代、民家を見て歩いたことがあったが、その頃は実行していた(過去ログ)。ああ、ずいぶんずぼらになってしまったなぁ。
GPSのデータを取り込んで画面に表示させて云々、アナログな私には無理。それに本も地図も「紙」が好き。
■ この雑誌は時に建築専門誌に優る建築の特集を組む。先日コンビニでこの雑誌を目にして買い求めた。「おさらい」、既に学んで知っていることを復習するという意味だが、中村外二の伊勢神宮茶室も、吉田五十三の旧北村邸も知らなかった(無知を晒す覚悟がないとブログは書けない)。私には「はじめて学ぶ」という内容。
火の見櫓に夢中で建築から離れてしまっているが、建築のことも勉強しないと。
■ 昨日(26日)の夕方まつもと市民芸術館の小ホールで行われた建築家・伊東豊雄さんの講演「地域を元気にするために」を聴いた。まつもと市民芸術館は伊東さんの設計。
講演は伊東さんの作品などを写しながら、それを説明するかたちで進められた。まずスクリーンに映し出されたのは東日本大震災で揺れる「せんだいメディアテーク」の動画。震災直後、被災地を訪れた伊東さん。その後、伊東さんは若い建築家たちと共に被災地の復興計画に取り組み、何棟もの「みんなの家」を計画し、完成させる。
「みんなの家」の計画案を練る過程で提示される若い建築家たちの計画案、建築作品をつくろうとする彼らの案をみて伊東さんは「この期に及んでまだ建築家根性でものをつくるのか」と思ったという。
国の基準に基づく復興事業によって、まちの個性がなくなり、過去の記憶が消され、自然と人間が切り離されていく・・・。復興事業に関わる中で建築に対する考え方、建築観を変えさせられた伊東さんはその後、瀬戸内海の美しい大三島を元気にするためのプロジェクトを地域の人たちと進める。その活動が紹介された。
それからは伊東さんが手がけた作品が紹介された。その中で興味深かったのは水戸市民会館と信濃毎日新聞松本本社のプロジェクト。
水戸市民会館は大断面集成材の構造フレームから成る「やぐら広場」とコンクリートのボックスによって構成されている。このプロジェクトには新国立競技場のコンペでのスタディが活かされているそうだ。
信濃毎日新聞松本本社は来春の完成に向けて現在工事が進めらているが、計画のスタート段階からワークショップによって地域住民と同じ方向を向いて計画が進められたことが紹介された。さしずめ「みんなの新聞社屋」といったところか。
技術によって自然を征服できると考えるのではなく、
自然から祝福される建築をつくらなければならない
講演の最後にスクリーンに映し出されたことばに伊東さんの建築観が示された。
有意義な時間であった。
(再)塩尻市の奈良井宿に立つ火の見櫓 撮影日171023
■ この火の見櫓の方形の屋根には筒状の穴が開いている。一体、何のための穴? この穴が無ければごく普通の屋根だが。形から管楽器を連想するが、機能的にも同じで、音を、この場合半鐘の音を遠くにとばすためではないかと思う。効果の程は分からないが。ただ残念ながら半鐘は既に無い。
■ 所用で木曽方面へ。となると昼食は「木曽川源流の里 きそむら道の駅 げんき屋」のダムカレー。しばらく前にもここのダムカレーを食べているが、その時は同行者がいたため、ダムの計測を控えた。が、今日(23日)はひとり、計測した。
ダム型式:ロックフィル式ライスダム
堤体長:約16cm(計測値)
堤体高:約5cm(同上)
堤体幅:約4cm(同上)
堤体重量:不明
総貯ルー量:不明
ダム湖:面積が広く、浅い 円弧状の湖岸
敷地:円形の白い皿 直径27cm
施工費:800円(税込み)
施工に要した時間:うっかり計測するのを忘れたが、15分くらいか。
施工会者:源流の里 げんき屋(木曽郡木祖村藪原)、作業員は3人の中年女性。
味:まろやかで、私としてはやや甘め。
施工会社が入る建物の外観
秋淋し
日月ともに
ひとつゆゑ
生駒大祐
今朝20日の信濃毎日新聞の一面、けさの一句にこの俳句が載っていた。
**(前略)冬の覚悟が決まる前の心細さが秋の淋しさの根底にはある。それゆえ、太陽も月も常日頃親しく見慣れたものまで、さみしさの極まりのように映るのだ。「ひとつ」とは、最小の単位であり、それは代えがきかない数、なくなればゼロになってしまうもの。(後略)** 上掲の句について俳人の土肥あき子さんが解説している。
月がふたつだったら、月見うどんには玉子をふたつおとすことになるのかな、などと考えてしまう。太陽がふたつ、「2001年宇宙の旅」の作者のアーサー・C・クラークの作品に太陽がふたつあるSF作品(*)があったような気がするなあ、などと思う私は俳句からは遠い・・・。
追記 *「2010年宇宙の旅」 無数のモノリスの影響で木星が太陽と化す。
■ 信濃毎日新聞朝刊の文化欄に「しなの歴史再見」というコラムが連載されている。昨日(18日)のコラムは磨製石庖丁を紹介する内容だった。
写真のような石庖丁のイラストが小学校だったか、中学校だったか忘れたが教科書に載っていたと思う。新聞のコラムによると磨製石庖丁は東アジアに分布していて、稲作とともに日本列島に伝わったという。であれば、各地に復元されている竪穴住居の屋根の萱を「刈る」ような道具は縄文時代にあったのだろうか・・・。
2200年前、弥生時代中期にこのような道具、刃の中央部がえぐれるような道具が使われていたのなら、縄文時代には茅を刈るような切れ味鋭い道具は無かったと考えるのがごく自然だと思うのだが。縄文時代の竪穴住居の茅葺き屋根もこのような石庖丁を使って復元を試みれば、ほとんど不可能、ありえな~いということが分かるだろうに・・・。過去ログ
写真:Y君提供 撮影日171017
◎ 東京都小平市には10年くらい前に行ったことがあるが、当時はマンホール蓋には興味が無かったので写真は無い。昨日小平市まで所用で出かけたY君に撮影をお願いした。Y君はカラー蓋も撮ってきてくれた。
小平市のマンホール蓋には中央に大きく市の木・ケヤキ、右後方に富士山を配した住宅地の風景が描かれている。富士山の左の塔状の工作物は火の見櫓ではないか、という指摘もある。てっぺんが□ではなく、△なら、間違いなく火の見櫓だと思うが、どうなんだろう。火の見櫓ファンとしてはこれは火の見櫓だとしたいが・・・。
この蓋について調べると、一般公募で選ばれた作品で、場所は特定できないそうだ。小平市のイメージなんだとか。
■ 講談社の日本の歴史 全26巻が刊行されて15年くらい経つ。この本を買うために専門誌の定期購読を止めた。日本史に疎いので少し勉強しようなどと考えたからだった。全巻通読したわけではなく、未読の巻もある。第20巻『維新の構想と展開』鈴木淳を読み始めた。
「明治維新」という歴史の大きな転換点は結果的にこの国の伝統(成熟した文化、社会システム)を破ることになったわけだが、これをどのように評価すればいいのだろう・・・。このことの答えを読み取ることができるのかどうか分からないが、読み進めることにする。
951 北杜市武川新奥 撮影日171009
◎ 旧武川村(*1)の農業集落排水のマンホール蓋。「むかわ」と「農集排」の表記あり。周囲に稲穂、中央に精進ヶ滝、その左右にサクラ(神代桜が有名)と村の木・マツを配している。どちらかというと地味な印象。
*1 明野村、大泉村、須玉町、高根町、長坂町、白州町、武川村 以上7町村が2004年に合併し、北杜市が誕生した。
943 韮崎市龍岡町若尾新田にて 撮影日171009
◎ 韮崎市のマンホール蓋は外周に市の花・レンゲツツジを配し、内側に市の鳥・チョウゲンボウとスズランを描いている。「武田の里」と「おすい」の表記と市章がある。枠は武田菱の繰り返し。
上の写真で分かる通り、直ぐ近くにこのマンホール蓋があった。蓋マニアではないので分からないが、このようにデザインの違うマンホール蓋が並んでいることは少ないのでは。
これは釜無川流域下水道のマンホール蓋 関係する旧16市町村章(*1)を入れている(合併により現在は7市町 こちらのHP参照)。こういうのは僕の好み。 この蓋の枠も武田菱の繰り返し。
*1 韮崎市、南アルプス市(八田村、白根町、若草町、櫛形町、甲西町)、甲斐市(竜王町、敷島町、双葉町)、中央市(玉穂町、田富町)、昭和町、市川三郷町(三珠町、市川大門町)、富士川町(増穂町、鰍沢町)