透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

小つごもり 今年最後の投稿

2023-12-30 | A あれこれ

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 月末の日をつもごりといい、一年最後の日を大つごもりということは知っていた。樋口一葉に「大つもごり」という作品がある。このつもごりが月隠(つきごもり)が変化した言葉だと知ったのは2019年の今日、12月30日。この日の信濃毎日新聞朝刊に出ていた。で、今日12月30日は小つごもりという。この耳にしたことがないことばを今日(30日)の未明にNHKのラジオ深夜便で聞いた。

さて、小つごもりの今日は覚えておきたい今年の出来事を挙げておきたい。ダイアリーには日々の出来事を事細かく記してあるから、それを見ればわかるが、ざっくりとした年譜を仮につくるとして、載せるとすればこれ、というようなことを。


全3巻、約2000ページの大著

昨年2022年は 4月21日付 日本経済新聞文化面に「火の見櫓  孤高の姿撮る」という私の記事が掲載されたことと『源氏物語』を角田光代の現代語訳で読んだことを挙げた。



日光東照宮 陽明門


火の見櫓のある風景スケッチ展② 10.04(初日)


上高地河童橋にて 大学院で共に過ごした仲間

今年は4月に友人と初めて日光東照宮に行ったことと10月に火の見櫓のある風景スケッチ展② を開催したこと、それから上高地に7月と10月の2回行ったことを挙げておきたい。


「ウクライナ全土 一斉攻撃」「難民施設攻撃 35人死亡 ガザ中部」今日(30日)の信濃毎日新聞にはこんな見出しの記事が載っている。 

来年はどんな出来事があるだろう・・・。平穏な日々を過ごすことができればそれで良い。そう、平穏な日々の暮らしが夢、それもいつ実現するのか分からない一生の夢だという人たちも大勢いるのだから。


今年もブログをご覧いただき、ありがとうございました。
よい年をお迎えください。

来年は1月1日 新年の挨拶からブログを始めます。

透明タペストリー工房 U1
2023.12.30

ブックレビュー 2023.12

2023-12-29 | A ブックレビュー

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 今日は29日。今年、2023年も残すところあと2日。11月末に12月は不要な外出を控え、本を読もうと決めていた。で、読んだのは15冊。ほぼ二日に一冊というハイペースで読んだ。月に15冊も読んだのは初めて。写真に写っているのは図書館本1冊を除く14冊。それにしてもよく読んだ。

原田マハさんのアート小説3冊とエッセイ1冊、建築本3冊、大塚ひかりさんの源氏解説本2冊、その他6冊という内訳。それぞれの作品のレビューは省略する。原田マハさんの作品では後『風神雷神』を読んで一区切りとしたい。

※ 今日読み終えた『眩』朝井まかて(新潮文庫2018年)について、前稿に追記した。


 


「眩」読了 どうする年越し本(追記)

2023-12-29 | A 読書日記

 NHKのEテレの番組 木村多江の、いまさらですが・・・ で11月27日に放送された「浮世絵~北斎親娘とジャポニズム」を見た。12月25日の再放送も見た。番組で紹介された作品の中では北斎の娘・葛飾応為の「吉原格子先之図」が特に印象に残った。葛飾応為を取り上げた小説(小説だけだったのかどうか・・・)もまとめてワンカット映像で紹介され、その中に朝井まかての『眩(くらら)』があった。表紙のカバーに「吉原格子先之図」が使われている(写真)。


この夜の光景、陰影のグラデーションがすごい! 番組では応為が光と影の魔術師レンブラントに例えられることも紹介された。江戸のレンブラント、応為。

『眩』か・・・、読みたいなぁ。番組を見ていてそう思った。幸いにもよく行く塩尻の中島書店にあったので、買い求めた。朝井まかての作品では直木賞を受賞した『恋歌』と『ぬけまいる』(共に講談社文庫)を2017年の5月に読んでいる。過去ログ

『眩(くらら)』は約450頁、全十二章から成る小説。今日(29日)読み終えた。朝井さんは直木賞はじめいくつも賞を受賞している実力者だ。文章の生きがいい。年越し本はこの『眩』で決まりと思っていたが、どうするか・・・。


以下追記

年越し本のつもりで読み始めた『眩(くらら)』朝井まかて(新潮文庫)を読み終えてしまった。葛飾北斎の娘、絵師のお栄さん(葛飾応為)の行く先見据えた骨太の生き様。

絵師と結婚するもさっさと別れてしまったお栄さん。素行が悪く厄介者の甥っ子に手を焼くお栄さん。父親の世話をし、画業を手伝いながらも自分自身のオリジナルな絵をずっと追求し続けたお栄さん。

最終第十二章で「吉原格子之図」が取り上げられる。作者がこの肉筆画をどのように捉えているのか、観ているのか知りたいと思う。本のカバーに採用されているこの絵について、朝井さんはキッチリ書いている。他の絵についても。すばらしい。

長くなるが引用したい。

**お栄は下絵も描かずに、いきなり筆を持った。(中略)紺暖簾の下には、ちょうど茶屋から戻った花魁が通っている。先導の禿(かむろ)は影だけで描き、花魁の襠(うちかけ)の文様は後ろに従う男衆の提灯が照らしている。岩紅と岩紺、岩黄の絵具しか量が足りそうにないので、墨の他にはいっそこの三つだけで彩色しようと決める。
色数を矢鱈と使わずとも、濃淡を作ればいくらでも華麗さは出せる。むしろ怖いのは色を使いすぎることだ。不用意に一色足すだけで、すべてが駄目になることさえある。
入口の左手に、格子を縦に何本も引いていく。店の奥行の線と通りに並んだ格子の影の線、この角度をきっちりと揃えた。
うん、これでいい。この平行に並んだ線があの場の、弾むような賑わいを呼び起こしてくれる。画面の上方には軒先の影しか描くつもりはないが、二階から太鼓や三味線の音、笑い声が降ってくる。**(437頁)

「吉原格子之図」を描いた葛飾応為の美的感性、描画力、すばらしい。 

年の瀬に好い小説を読むことができた。


 


火の見櫓 新聞掲載記録

2023-12-27 | A あれこれ

 12月24日付 中日新聞に火の見櫓に関する記事がかなり紙面を割いて掲載された。何日か前、記者の取材を受けていた。新聞掲載の記録をリストにしたが、火の見櫓に関する記事は11回目。他にマンホールや仕事についても取材を受けて記事になっているが、それらは省略している。

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取材を受けると、私の発言を記者がどう捉え、それをどう記事に書くのか、またどんな見出しにするのかなど興味がわく。今回の記事の見出しはリストに示した通り。

記事は**平林さんは「火の見櫓はその地域の歴史の生き証人。文化財として代表的なものだけでも保存することを考えて欲しい」と願っているよ。**と結ばれている。

防災行政無線が整備された現在、火の見櫓は見出しの通り役目を終えている。見出しは無用の長物の後に?を付けている(写真)。本当に無用の長物なんだろうかと思う私の気持ちを汲んでいただいたとも思うし、おそらくそう思っているであろう一般読者の関心を惹くための?でもあると思う。記事の結びは私の気持ちをストレートに表現していただいている。取材していただいた記者に感謝したい。

① 2012年  9月18日 タウン情報(現MGプレス):魅せられた2人の建築士が紹介  火の見やぐら
② 2014年  4月18日 信濃毎日新聞:われら「火の見ヤグラー」
③ 2019年  5月26日 中日新聞:奥深い魅力のとりこに 県内外の火の見やぐら巡り ブログで紹介
④ 2019年10月21日 MGプレス:「火の見ヤグラー」魅力まとめて本に
⑤ 2019年11月 * 旬 Syun! :魅せられた“火の見ヤグラー” の本刊行      (* 月1回発行)
⑥ 2019年11月16日 市民タイムス :火の見櫓の魅力1冊に
⑦ 2020年  8月13日 市民タイムス:スケッチ「火の見櫓のある風景」(市民の広場 私の作品)
⑧ 2020年  8月23日 中日新聞:合理性追求 構造美しく 
⑨ 2022年  4月21日 日本経済新聞:火の見櫓  孤高の姿撮る(文化面)
⑩ 2022年  8月10日 たつの新聞:地域の「火の見」の魅力学ぶ
⑪ 2023年12月24日 中日新聞:しなのQ&A 火の見櫓 役目終え無用の長物? 地域史の生き証人 保存、活用の事例も


 


「はぐれんぼう」を読む

2023-12-27 | A 読書日記

■  図書館で北 杜夫の『巴里茫々』と一緒に借りてきていた青山七恵の『はぐれんぼう』を読んだ。青山七恵の小説を読むのは芥川賞受賞作の『ひとり日和』(河出書房新社)を2007年3月に読んで以来16年ぶりだ(過去ログ)。『ひとり日和』は芥川賞の選考会で石原慎太郎と村上 龍がそろって褒めたという(『芥川賞の謎を解く』鵜飼哲夫(文春新書))。

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『はぐれんぼう』青山七恵(講談社2022年)

『はぐれんぼう』というひらがな表記の書名、それから見返しに貼られている帯の**誰もが生き難さを抱えたこの世界の片隅にまるで光が溢れでるように紡がれた言葉たち。不可思議で切なく瑞々しい救済と癒しの物語。**という紹介文から心温まるハートフルな物語なのかな、と思って借りた。そうならばこの時季に読むのにふさわしい作品だ。だが、違っていた。これはホラーといってもいい作品だった。そう、ちょっとSF的な雰囲気のホラー。

主人公はクリーニング店でパートで働く優子。書名の「はぐれんぼう」とは持ち主が受け取りに来ない預かりものの衣類のこと。一か月以上経っても持ち主が現れない「はぐれんぼう」は箱詰めにされて倉庫に送られる。優子はクリーニング工場も倉庫もどこにあるのか、はっきりした所在地は知らない。

ある日、優子は箱詰めのはぐれんぼちゃんを自宅に持ち帰る。翌朝、優子が目覚めると持ち帰ったはぐれちゃんのブラウスやジャケット、スラックス、スカート、マフラー、ネクタイを身に着けていた・・・。 何これ、カフカ?

この日勤めを休んだ優子はそのままの格好で外に出て歩き始める。見慣れない住宅街を歩いて行くと、「諸」という表札の家の前に出た。クリーニング店で目にしたことがある一文字「諸」。優子は考える。**このネクタイが家に帰ろうとして、クリーニング屋の体を使ってここまで歩いて来たのではないか。**(39頁)そこはやはりネクタイの持ち主の家だったが、受け取りを拒否される。スカート、マフラー。他の家でも同様の対応だった。心温まるハートフルな物語ではなかった・・・。

この小説は「出発」と「倉庫」の二つの章でできているが、「出発」では優子と同じチェーン店のクリーニング店で働いていて、同じような経験をした人が一緒に「倉庫」を探し求めて歩いていき、「倉庫」に着くまでが描かれる。

「倉庫」に着いた優子たちが大きな倉庫の内に入っていくと、そこはスーパー銭湯のようなところだった。天国かと思わせるようなところで、何人かの人たちが自分に合った仕事をしながら自分のペースで暮らしていた。

読み進むと状況が一変する。天国から地獄へ。そして物語はホラーな展開に。

**(前略)床下からゴオオオと低い音が鳴り響く。わたしは反射的にアンヌさんを抱きしめてその場にしゃがみこんだ。次の瞬間、床ぜんたいが奥に向かってゆっくり傾斜しはじめて、わたしたちは床に散らばる服と共に、ずるずる下の方に滑りはじめた。**(313頁)

ここでは運び込まれた「はぐれんぼう」を大きな焼却炉で燃やして風呂の熱源や電源にしていて、はぐれんぼうを置いた部屋の床を傾斜させて焼却炉に落とし込んでいたのだ。落とし込んでいたのは衣類だけではなかった・・・。ひぇ~、ホラー。

ラストを書いてしまっていいのかどうか、「倉庫」から外に出てきた人たちは**煙突は先の方からひび割れていき、根本まで達した次の瞬間、屋根もろとも轟音を立てて爆発した。**(342頁)ところを見る。この先は省略する。

このシュールな作品で作者は一体何を描きたかったんだろう・・・。「はぐれんぼう」は何かのメタファーなのか? そうだとすればそれは何? 読み終えてあれこれ考える。忘れてしまいたい、でも完全には忘れたくないこと? そうだとすればそれを焼かれてしまうことってどうなんだろう。完全なる記憶喪失・・・。このことってどんな意味を持つ? ん~、分からない。

この作家の作品を何作か読めば、それらに共通するメッセージが分かるかもしれない。もう1作くらい読んでみてもいいがその機会があるかどうか。


 


80円切手2枚と50円切手2枚

2023-12-26 | D 切手



 Kさんから角型2号(240×332 A4サイズの書類が折らずにそのまま入る)の事務用封筒であるもの(敢えて秘す)が郵送されてきた。260円分の切手4枚を縦一列に貼ってある。きちんとまっすぐ隙間なく貼ってあるのは几帳面なKさんらしい。

初めて見る4種類の切手をネットで調べた。上から順番に書く。

1 「郵便物投函の図 中村洗石」2001年(平成13年)4月20日発行
1901年(明治34年)に東京日本橋に赤い丸型ポストが試験的に設置されてからちょうど100年目の2001年に発行された切手。尚、切手の発行日の4月20日は郵政記念日。

2 郵政切手歩みシリーズ第6集「見返り美人 菱川師宣」1996年(平成8年)6月3日発行

3 平成14年ふるさとの切手「沖縄の花」 ヒガンザクラと八重岳から望む伊江島 2002年(平成14年)8月23日発行

4 3と同じ。ハイビスカスと海中道路 シートは3,4を含む5種類の切手各2枚で構成されている。

LINEでお礼のメッセージを送り、切手のことにも触れた。返信によれば切手を集めていた時期があったとのこと。何枚かある切手の中からどれを貼ろうかな、と考えたことだろう・・・。


 


「巴里茫々」北 杜夫 

2023-12-26 | A 読書日記

 
『巴里茫々』北 杜夫(新潮社2011年)

 同じことを何回も書くが、2020年に自室の書棚のカオスな状態を解決しようと約1,700冊の本を古書店に引き取ってもらった。文庫本が最も多く、約1,100冊だった。この時、残した文庫本は約250冊。北 杜夫、安部公房、夏目漱石は残した。この3人の作品は再読することがあるだろうと思ったので。川端康成、三島由紀夫、大江健三郎、司馬遼太郎、藤沢周平、吉村 昭、松本清張、南木佳士、ロビン・クック、マイケル・クライトン・・・。他の作家の作品を読みたくなったらまた買い求めればよい、と割り切った。絶版ならあきらめようと。過去ログ

北 杜夫の作品を高校生の頃から読み続けてきたが、『巴里茫々』は未読だった。先日図書館で偶々この本を目にしたので借りて読んだ。大好きな作家北 杜夫は2011年10月24日に逝去した。この本は同年12月20日に発行された。借りてきた本は帯が外され見返しに貼られているが、そこには大きく 追悼 北 杜夫 と記されている。

本書には2編の小説(読んでみて小説でもエッセイでもないと思ったが帯に小説とあるのでそれに依った。)が収録されている。帯に本書について簡潔に紹介されているので引用し、読書記録としたい。

**著者が謳歌した人生が、走馬灯のように現れては消える。刊行が待たれていた詩情溢れる最後の小説集。 『どくとるマンボウ航海記』時代のパリを舞台に、濃霧の中に漂う記憶の幻影を描く「巴里茫々」。山岳小説の傑作『白きたおやかな峰』で描かれた地を再訪し、当時の優しい案内人を探し当てる旅のドラマ「カラコルムふたたび」。哀感に満ちた二つの小説(単行本未収録)を収める。**

*****


北 杜夫の作品の多くは絶版になってしまったようだが(確か北 杜夫がこのことについてどこかに書いていた)、この本の巻末には新潮文庫に収められている7作品が載っている。これらは代表作といって良いだろう。書棚から取り出して掲載順に右から並べて写真を撮った(*1)。『楡家の人びと』は三島由紀夫に激賞された作品。『木精(こだま)』は最も好きな作品。


*1 手元にある『どくとるマンボウ昆虫記』は角川文庫、『どくとるマンボウ青春記』は中公文庫。


ダイアリー

2023-12-25 | A あれこれ

 
 今日は12月25日。今年も残すところあと1週間となった。

使っているダイアリー(写真)は年によって異なるが年末年始のおよそ1週間が重なっていて、2004年のダイアリーは今日から使えるようになっている(*1)。で、使い始めた。

保存、保管 どっち? 

ネット検索すると、現在使用中かどうかで使い分けるというような説明が見つかる。いくつかの説明文をまとめると、現在活用中の書類等で使用頻度が高いものを取り出しやすいように「保管」し、既に使用済みの書類で使用頻度がかなり低いものを「保存」する、ということになる。自室に1981年から昨年、2022年までのダイヤリーを「保存」している。来年、2024年のダイアリーは44冊目だ。長年、見開きで1週間分のダイヤリーに生活の記録を付けてきた。

1981年のダイアリーを見ると、今と同じような使い方をしている。この年の春に東京国立近代美術館で開催されたマチス(と表記している)展のチケットを貼ってある。他にもいろいろ貼ってあるし、毎日欠かさず生活上の出来事があれこれ記されていて、見ると40年以上も前のこの年のことが思い出される。何しろ電話や手紙のやりとり、〇〇と飲んだというようなことまで記録してあるのだから。他にも・・・。


ダイアリーには飲酒の有無もずっと記録していて、ここ何年かは週に4日以上禁酒できた場合には欄外に書いた禁酒4日!に印をつけている(写真)。今年1年間の記録を見ると✕印がついているのは5回。禁酒4日が守られなかったのが52週でたった5週とはすばらしい。 体重や血圧の数値にその効果が出ている(と信じたい)。

記録することは好きだから全く苦にならない。だから40年以上続けられたのだと思う。


*1 2024のダイアリー 2023.12.25~2025.01.05


「シン・ゴジラ」再び

2023-12-24 | E 週末には映画を観よう

 11月に「ゴジラ-1.0」をシネコンで観たが、前作の「シン・ゴジラ」と比べてみようと思って再度DVDで観た。シネコンで「シン・ゴジラ」を観た時はどんなことをブログに書いているだろう・・・。

以下、過去ログ(2016.08.28)からの引用。

**東日本大震災、福島第一原発事故が東京で起こったら・・・。「シン・ゴジラ」は東京大災害シミュレーション映画。その時、政府は対処できる? 自衛隊はどうする? アメリカの対応は?**

**この映画でゴジラは徹底的に災厄の象徴として描かれている。そう、大震災や原発事故のメタファーとして。ゴジラには同情する余地が全くない。ゴジラは核をつくり出した人間の罪の結果として生まれてきた、ある意味かわいそうな存在でもあるのに。** 

なるほど、こう見たか・・・。

今回の感想。

まるで進化するかのように姿を変える(変態ということではないらしい)ゴジラが最初に東京の蒲田に上陸した時の長い尾を振りながら這うように進む姿、まあそれはなんとか良しとしても眼がダメだった。全くまばたきしないまん丸の眼はなんだかちゃっちいおもちゃのようでリアリティなし。体はなかなか好いのに・・・。ゴジラが鎌倉の稲村ケ崎に現れた時は二足歩行、見慣れた姿になっていた。でもやはり眼が動かず、表情がない。

自衛隊が出動して超巨大害獣・ゴジラを駆逐するためにいろんな兵器を繰り出す。その都度、それらの名称が大きく表示される。それもなんだかなぁ。軍事マニア向け映画のようで。

血液凝固剤を投与されて東京駅でフリーズしたゴジラ。**「事態の収束にはまだ程遠いからな」** この台詞、やはりゴジラって福島第一原発?

「ゴジラ-1.0」の方が好きだな。


他にもDVDで映画を観ているのでここでリストアップしておく。

・「点と線」松本清張の代表作の映画化 
・「アンドロメダ」原作マイクル・クライトン
・「あなたへ」高倉 健の遺作 故郷の海に散骨して欲しいという妻(田中裕子)の手紙。ロードムービー ビートたけし、草彅 剛。
・「AALT] フィンランドの建築家の人生
・「カジノロワイヤル」007シリーズに何人のボンドガールが登場しているのか知らないが、仮に1作品に1人としても24人となる。ボンドガールの中ではこの「カジノ・ロワイヤル」のヴェスパー(エヴァ・グリーン)が一番好きだ。他の作品は知らないが、この作品のエヴァ・グリーンは知的美人、どことなく陰があり、時々見せる寂しげな表情が好い。


岡谷蚕糸博物館

2023-12-24 | B 繰り返しの美学
 製糸業を抜きには語ることができない長野県岡谷市の歴史。




その岡谷にある岡谷蚕糸博物館で昨日(23日)の午後に開催された齊藤有里加さん(*1)の講演「150年の眠りから目覚める・・・! 勧工寮葵町製糸場図面 3D復元プロジェクト報告」を聴いた。

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このプロジェクトは東京農工大学の博物館収蔵庫から2017年に見つかった勧工寮葵町製糸場の諸図面(繰糸部の機構、水車、竈、煙道など)41点を読み解いて3D化するというもので2019年から20年にかけて行われた。

葵町製糸場は現在の東京都港区虎ノ門(虎の門病院が立っている場所)に建設され、1873年(明治6年)に開業した。その前年、1872年に富岡製糸場が開業している。共に官営の製糸場。明治初期とはいえ、東京のど真ん中に製糸場があったことは知らなかった。

博物館で2024年2月18までの会期で企画展が開催されていて、展示室にはこのプロジェクトの成果である葵町製糸場の3D画像と1/100の模型、それから大学博物館収蔵庫で見つかった絵図(図面)などが展示されている。私が興味を持ったのは製糸場の模型で、見つかった図面の中に製糸場の平面図と立断面図があり、その図面に基づいて作られた。

建物は木造、小屋組みは1間(約1.8m)ピッチ(スパンは5間、約9mだと思われる)で同形のフレームが並んでいて美しい。これぞ繰り返しの美学。





ここで繰り返しの美学の復習。

建築の構成要素そのもののデザインには特にこれといった特徴が無くても、それを直線的に、そして等間隔にいくつも配置すると、「あ、美しいな」とか、「整っていて気持ちがいいな」とか、そういった感情を抱く。このような経験は私だけの個人的なものではないだろう。シンプルなルールによって、ものが秩序づけられた状態・様子を脳が歓迎しているのだ。

建築構成要素を直線状に等間隔に並べるとそこに秩序が生まれ、それを美しいと感じる。これを私は「繰り返しの美学」と称している。

製糸業が盛んだった岡谷にあるこの博物館には繰糸機が何基も展示されていて、その進化をみることができ、なかなか興味深い。博物館には宮坂製糸所が併設されていて、実際に繰糸の様子を見ることができる。




機械化されてもすることは手作業と変わらない。



博物館のアプローチ沿いの繰り返しの美学な仕掛け。かつてこの場所にあった農林省蚕糸試験場岡谷製糸所ののこごり屋根をモチーフにデザインされた。


岡谷蚕糸博物館には今回初めていった。機会があれば再訪したい。

*1 東京農工大学科学博物館 特任准教授

「常設展示室」を読む

2023-12-23 | A 読書日記

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『常設展示室』原田マハ(新潮文庫2021年11月1日発行、2023年5月30日8刷)を読んだ。1年半で8刷。『常設展示室』には6編の短編が納められている。「群青」ではメトロポリタン美術館に展示されているピカソの青の時代の作品、「デルフトの眺望」ではマウリッツハイスに展示されているフェルメールのデルフトの眺望。それぞれ物語で美術館に常設展示されている絵画が重要な意味をもって出てくる。

**確かにピカソの作品は、時代時代で変化していく大らかな色彩が特徴だ。悲しみをたたえた青の時代、恋に燃え上がったバラ色の時代、キュビズムの時代は茶色やグレー、シュルレアリスムの時代は黒と白。生涯を通してユニークなかたちと色を追い続けた人である。彼にしか描き得ない、かたちと色を。**(36頁)「群青」ではこのようにピカソの作風の変遷を簡潔に紹介している。原田さんのキュレーターとしての確かな眼。

収録されている6作品の中では「薔薇色の人生」が印象に残った。原田さん、こういう小説も書くんだ・・・。

主人公はバツイチの女性・柏原多恵子、45歳。パスポート窓口の受付業務担当。で、相手はパスポートの申請に来た男・御手洗由智(よしのり)、64歳。

受付カウンターの背後の壁に飾られた色紙にフランス語で書かれた言葉、意味は「薔薇色の人生」。この色紙を見た御手洗が「どなたの色紙ですか」(119頁)と多恵子に声をかける。**この十年くらいで初めてといっていいほど、ひとりの男性に好奇心の針がぴくりと動いたのだった。**(125頁) 恋の始まり。

多恵子が仕事を終えてバス乗り場に向かうと停留所に御手洗が立っていた。電話中の御手洗に多恵子が近づくと、流暢なフランス語で話をしていた。待っていたバスが来た。同時に反対側からハイヤーが近づいてくると、御手洗は「乗ってください」と多恵子に声をかける。促されるままに後部座席に乗り込むと、続いて御手洗も乗り込む。運転手がドアを閉める。どうしよう、まさか新手の拉致?乗ってしまってから動揺する多恵子。ストーリーをトレースしていくときりがない。

タクシーの中で御手洗は語る。祖母はフランス人、女流画家で藤田嗣治といっとき恋仲だった。父も画家を志していた。祖父が遺し、父が手放さなかった一枚の絵。それはゴッホの絵だった・・・。**「いまも、その、お・・・・・・ひとり、なんですか?」思い切って訊くと、「はい。ひとりです」**(137頁) 恋。

七日後の夕方、パスポートの受け取りに来た御手洗。その夜、多恵子は御手洗に抱かれた。翌朝、目を覚ました多恵子。御手洗はいなかった。テーブルの上の長財布、お札がなくなっていた。代わりに入っていたのはゴッホ展のチケットだった。その後の展開、省略。なるほど、最後はこうなるのか・・・。

これって何? ロマンス窃盗? いや、春の一週間の恋。


 


まあ、こんなこともあるだろう・・・

2023-12-21 | A 読書日記

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 図書館から借りてきた本を昨日(21日)の午後から読み始め、今日の午前中に読み終えた。敢えて書名も作家名も書かない。この作家の名前は以前から知っていたが作品を読むのは初めてだった。

そもそもこの小説のテーマが何なのか、それさえよく分からなかった。**(前略)結局のところ我々が抱え持つ絶対的な孤独は、どんな相手、どんな出来事、どんな救いによっても決して癒されることはないのだろうという気もするのだった。**(175頁)こんな件を引くまでもなく、「孤独」がテーマだと書けば、違うという指摘はたぶん受けないだろう。読了後のもやっと感はこの本のカバーのようだ(私の撮った写真がピンボケなのではない)。

主人公はじめ登場人物の境遇、ドロドロとした男と女の関係、彼らがすること、この小説が描く全く馴染めない世界に戸惑った。このことに関して本文中に要領よくまとめられている箇所があるので少し長くなるが引用する。

**三十八年前に小学二年生の少女がここで車に撥ねられたことも、その少女が成長し、南の海で死んでしまっただことも、少女を撥ねた車の持ち主が徳本産業の創業者だったことも、その妻が、夫の死後、ここを訪れて少女やその兄の面倒を見るようになったことも、さらにはその兄がその未亡人と関係を結び、挙句、妹に怪我を負わせた男と未亡人との間に生まれた一人娘と結婚したことも、その一人娘が不実を働き、実母の愛人だった夫を奈落の底に突き落としたことも、(後略)**(204頁)

主人公が結婚した相手の実母と婚前深い関係だったというだけで、なんだかなぁって思う。結婚後に今度は奥さんの不倫が明らかになる。で、妊娠、出産という驚きの設定、他にもあるが省略する。物語の展開に戸惑いながらも最後まで読んだ。

「源氏物語」だって同じでしょ、という声もありそうだが、平安の貴族社会と現代社会とでは規範が違うし、「源氏物語」には1,000年という厚い時のフィルターがかかっているから読む者の構えが違う。

物語のラストもなんだかよく分からなかった。結局、恋愛物語なのかなと終盤で思ったが、どうやら違うようだ。物語の流れからして、社員500人という規模の会社社長の座から退いた主人公は、物語のはじめに登場した若い女性と一緒になって自分の母親が営んでいた食堂を復活させ、切り盛りするのかもしれない。そうなれば恋愛小説、としてもよいのかも。

原田マハの『風神雷神』を借りようかとも思ったが、読了後に手元に残しておきたいので文庫本を買い求めて読むことにして、別の作家の作品を探した。川上弘美の作品は何年か前までかなり読んだが、現在東北の街に暮らすYさんにあげてしまった。久しぶりに読んでみようかと思って、書架から読んでいない小説を2,3冊取り出してパラパラページを捲ったがやめた。



で、読んだのはあれこれ迷って借りた長編小説だった。まあ、こんなこともあるだろう・・・。

*****

さて、今夜は33会の忘年会。集まるのは正月明けに旅行に行くメンバーだ。気の置けない仲間と飲んで語るのは楽しい。


※ 小説との相性は人それぞれでしょう。この小説をおもしろいと思う読者も決して少なくないと思います。言うまでもないことですが上記の感想はあくまでも個人的なものです。


「ジヴェルニーの食卓」を読む

2023-12-20 | A 読書日記

 原田マハさんの『ジヴェルニーの食卓』(集英社文庫)を読み終えた。

マティス、ドガ、セザンヌ、モネというほぼ同時代を生きた画家たち(*1)の暮らしぶり、創作の様子が活き活きと描かれている。読み手である私は彼らの間近でその様子を見ている目撃者という気持ちになる。演劇を客席からではなく、演者と同じ舞台上で見ているような感じ、とでも言えばいいのか。やはり原田マハさんは表現力に優れている。

本書には短編が4編収録されているが「うつくしい墓」はマティスの生活を家政婦として支えた経験のある老いた女性が若い女性新聞記者のインタビューで語るというスタイルでストーリーが展開していく。

マティスの作品は好きだ。晩年の切り絵による創作の様子などを前述したように間近で見ている感じがしてワクワクした。ヴァンスのロザリオ礼拝堂のステンドグラス「生命の木」はマティスの代表作とも評される作品だそうだが(小説に出てくる知らない作品はネットで調べ、画象を見ながら読み進んだ)、この礼拝堂の内部空間に感動して修道女になろうと決心したことをこの女性が語る件に涙。

ゴッホに「タンギー爺さん」という画題の有名な作品があるけれど、それと同じ題名の短編はタンギー爺さんの娘がセザンヌに宛てて手紙を書くというスタイルでストーリーが進む。セザンヌの作品も好きだ。タンギー親父と呼び、親しくしていた画家たちのひとりゴッホ。**父に「親父さんの肖像画を描かせてくれ」と言い出したのです。父は大変驚いて、「そりゃありがたいけど・・・・・・わしにはそれを買い取る金がないよ」と答えたそうです。それで、ゴッホに笑われたと。画家のほうは、溜まりに溜まった絵の具代の代わりに、肖像画を描いて帳消しにしようと思ったというわけで。**(165頁)

セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、スーラ・・・。他にも何人もの画家が同じようにしていたとのこと。タンギー爺さんが亡くなって、残されていた借金の返済に彼らの絵を充てようと競売会を開くも、後年有名になる画家たちもまだ評価されていなかったということで・・・。

改めてネットでゴッホの描いたタンギー爺さんを見て、優しい表情をしていることに気がついた。タンギー爺さんっていい人だったんだなぁ。

「エトワール」ではドガが描いた踊り子がどんな少女だったのか、ドガが踊り子のことをどう思っていたのか、また表題作「ジヴェルニーの食卓」ではモネの暮らし、創作の様子がそれぞれ身近にいた女性の目線で描かれる。知らなかった、そうだったのか・・・。

人生いろいろ、画家たちの人生もいろいろ。感慨。

**目覚めて、呼吸をして、いま、生きている世界。この世界をあまねく満たす光と影。そのすべてを、カンヴァスの上に写し取るんだ。**(217,8頁)モネの決意。

**印象主義なんぞもう古いんです、(中略)見たものを見たように描いてちゃだめなんだ、画家の感性をいかにして作品に昇華させるかが重要なんだ、(後略)**(163頁)

小説には大学で美術史を専攻し、キュレーターの経験もある原田マハさんの絵画の捉え方、絵画に対する考え方も当然反映されている。原田マハさんのアート小説は勉強になる。


*1
マティス:1869~1954
ドガ:1834~1917
セザンヌ:1839~1906
モネ:1840~1926


 


「安曇野」絶版

2023-12-19 | D 新聞を読んで


 信濃毎日新聞の今日19日の地域面(17面)に上掲した見出しの記事が載っていた。

記事は現在の安曇野市出身の臼井吉見の『安曇野』が現在絶版で、二つの市民団体がこの小説の復刊に向けた協議を発行元の筑摩書房と進めるよう、安曇野市の太田市長に要望したことを伝えている。また、太田市長は筑摩書房の喜入冬子社長と7月に面会した際、復刊を要望し、その時、喜入社長から安曇野市の一定額の負担があれば文庫本の復刊は可能という回答を得たということも伝えている。

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今年(2023年)7月12日に堀金公民館で筑摩書房の喜入社長の講演会が開催され、私も参加したが、会場に太田市長の姿もあったからこの時に話しをされたのだろう。尚、この日は臼井吉見の命日。

筑摩書房は現塩尻市出身の古田 晁が創業した出版社だが、古田 晁と臼井吉見は大正7年(1918年)旧制松本中学(現松本深志高校)に入学し、その日に出会った。その後、共に松高、東大に進学した親友同士。

古田 晁は出版社の創業について臼井吉見に相談していて、筑摩書房という社名は臼井が提案したということはよく知られている。また、筑摩書房が経営危機に陥った際には、臼井が企画した「現代日本文学全集」の出版が筑摩書房を救うことになった、ということも知られている。だから、講演で『安曇野』が現在絶版であることを聞いた時はびっくりした。筑摩書房は臼井吉見が10年がかりで書いた代表作『安曇野』を絶版にしてはいけないと思う。

本は次々絶版になる。売れなくとも名作は出版し続けるという責務が出版社にはあると私は言いたい。

晩年、古田 晁は健康を損ない禁酒していたそうだが、臼井吉見から『安曇野』の脱稿を聞いて飲酒。梯子して行きつけのバーで倒れ、自宅に送られる車内で亡くなったこと、駆け付けた臼井吉見が号泣し、泣き声が家の外まで聞こえたこと、また『安曇野』の刊行記念の祝賀会では臼井吉見の席の隣が空席で、そのことについて臼井吉見が挨拶で触れたことなどを別の講演で聴いた(過去ログ)。

安曇野という呼称がいつ頃からあるのか知らない。だが、臼井吉見の『安曇野』によってよく知られるようになったということは知っている。『安曇野』の復刊を願う。