■ この数日間に届いた2通の封書に貼られた切手はデザインのテイストがよく似ている。
初めて見る切手だったから、調べてみた。2枚とも2020年9月25日発行、お祝いの手紙や礼状にも使うことができるグリーティング切手「ハッピーグリーティング」だと分かった。
きれいな切手。
■ この数日間に届いた2通の封書に貼られた切手はデザインのテイストがよく似ている。
初めて見る切手だったから、調べてみた。2枚とも2020年9月25日発行、お祝いの手紙や礼状にも使うことができるグリーティング切手「ハッピーグリーティング」だと分かった。
きれいな切手。
(再)松本市今井(上新田公民館) 撮影日2020.11.29
■ 紅葉シーズンも終わり、郊外の集落ではたわわに実る柿の鮮やかな橙色だけが無彩色の風景の中によく映えている。橙色のドットは草間彌生の絵画が出現したかのよう。この季節限定の風景。
諏訪大社上社前宮拝殿 撮影日2020.11.26
茅野市のカラーマンホール蓋 諏訪大社上社前宮の近くにて 撮影日2020.11.26
幕の内弁当的マンホール蓋の中身は以下の通り。
・中央に小さく配した「市章」
・国宝土偶「縄文のビーナス」と「仮面のビーナス」
・「八ヶ岳」
・市の木「白樺」
・尖石・与助尾根(とがりいし・よすけおね)遺跡の「復元竪穴住居」
・「北八ヶ岳ロープウエイ」
・車山高原の「ニッコウキスゲ」
・「下水道」の文字
盛りだくさんだが、配色も好いし、よくまとまっているデザインだと思う。
■ 11月の読了本は7冊。
『巨人たちの星』ジェイムズ・P ・ホーガン(創元SF文庫2017年46版)
第一作『星を継ぐもの』と第二作『ガニメデの優しい巨人』に続く作品。この三部作に続く『内なる宇宙』も創元SF文庫に収録されているから、いつか読みたい。『巨人たちの星』は描写されている場面を具体的にイメージすることがなかなかできなかった。内容を理解することが難しく、読了するのに何日もかかった。
『本所おけら長屋 十五』畠山健二(PHP文芸文庫2020年第1版第1刷)
涙あり、笑いありの人情時代小説。人気シリーズで累計117万部突破の人気シリーズと帯にある。何巻まで続くのか分からないが、これからも刊行される度に読むつもり。
『水都 東京 地形と歴史で読みとく下町・山の手・郊外』陣内秀信(ちくま新書2020年第1刷)
『庚申信仰』平野 実(角川選書1969年初版)
庚申信仰に関する基礎的な知識を得ることで、庚申塔観察がより深まることを期待して読んだ。庚申塔について具体的に論じた第三章は特に有益だった。
『四国遍路の世界』愛媛大学四国遍路・世界の巡礼研究センター編(ちくま新書2020年第1刷)
全15講から成る四国遍路講座。15人の講師が自身の専門領域から四国遍路について講じている。八十八ヶ所すべてを巡ることは叶わないだろうが、いくつかの霊場にはお参りしたいと思う。
『日本語の奥深さを日々痛感しています』朝日新聞校閲センター(さくら舎2020年第1刷)
朝日新聞朝刊のコラム「ことばの広場」「ことばのサプリ」に掲載された記事を書籍化したもの。新たに生まる言葉、変化する言葉をどのように捉え、どのように理解するか。
『つゆのあとさき』永井荷風(岩波文庫2020年第35刷)
荷風を岩波文庫で読む。いいねぇ。
1265 茅野市宮川高部 (高部公民館) 3脚無3変形 撮影日2020.11.26
半鐘を吊り下げるのは上の写真に写っている貫通柱ではなく、反対側(西側)の柱。
■ 建設中の高部公民館の東隣に茅野市消防団宮川分団の屯所があり、そこに火の見櫓が立っていた。ここは「神長官守矢史料館」のすぐ近くだが、いままでこの火の見櫓には気がつかなかった・・・。火の見櫓より建築に関心があったのだろう(もちろん今もそうだが )。
高部公民館の敷地に火の見櫓が立っていたようで、この火の見櫓はその後継ではないかと思われる。亜鉛メッキした鋼管でつくられていて古いものではない。半鐘を吊り下げてあるから火の見櫓には違いないが、櫓上端に消火ホースを掛ける作業をするための床面を設えてある。消火ホース乾燥塔に火の見櫓としての機能も持たせた、と捉えるのが妥当かもしれない。消火ホースの長さ(20m、二つ折りにして10m)に合わせて櫓の高さを決めたようだ。
左:信濃毎日新聞2月1日付朝刊31面より(黄色い〇は筆者による)西側の貫通柱を写したもの
右:神長官守矢史料館に掲示されていた高部公民館の模型写真
高部公民館の屋根を貫く柱に半鐘を吊り下げるというのは、古い火の見櫓へのオマージュという意味もあるかもしれない。火の見櫓は地域の象徴でもあるから、地域住民が利用する公民館に半鐘を残すのはとても好いことだと思う。
■ 建築史家であり建築家でもある(いや、今では逆、建築家であり建築史家でもある)藤森照信さんは長野県茅野市の出身で、デビュー作「神長官守矢史料館」は地元宮川高部地区にある。史料館から徒歩で数分のところに「高過庵」と「低過庵」、「空飛ぶ泥舟」もあって、フジモリ建築ファンがこれらの作品の見学に訪れている。どれもとてもユニークな作品だ。そして今、高部公民館の建て替え工事が行われている。この公民館も藤森さんの設計(過去ログ)で完成は来年(2021年)5月の予定だという。
撮影日2020.11.26
左上:神長官守矢史料館(過去ログ) 右上:高過庵(過去ログ)
左下:低過庵(過去ログ) 右下:空飛ぶ泥舟(過去ログ)
建設中の高部公民館(撮影日2020.11.26)
県道岡谷茅野線と市道に挟まれた細長い敷地にフィットさせるために公民館も細長い。
屋根を貫く柱 屋根の東端
なかなか迫力ある外観だ。屋根の西端を貫いて立つ枝付き柱。柱(たぶん右側の太い柱)に半鐘を吊り下げる予定だという。外壁は低過庵にも使われている焼杉板張り。来年(2021年)の5月、竣工したらまた出かけたい。楽しみだなぁ。
■ 塩尻市内にある平出遺跡の高床式の倉。柱に付いている刀のつばのようなものは何?
「ネズミ返し」です。地面からネズミが柱を上っていってもこのオーバーハングを越えることはできません。落っこちちゃいます。
では、下の送電線の鉄塔に付けられている棚状のものは何?
正式な名称は知りませんが機能的には「ヒト返し」です。周囲を高いフェンスで囲う替わりに柱脚に「ヒト返し」を付けています。地面からヒトが柱脚を上っていってもこのオーバーハングを越えることはできません。体を鍛えていれば越えることができるかもしれませんが・・・。
山形村にて 100708
ネズミやヒトが上るのを阻止する理屈というか原理は同じです。従って形も共通しています。やはりデザインには必然的な理由がある、私はそう考えています。それを説明できないデザインはデザインに非ず、は言い過ぎかな・・・。
注)ネズミとヒト 共に単なる動物として移動条件を考えているためにカタカナ表記にしました。オーバーハングしているところでは重力に抗して移動することに限界がある、ということが共通しています。
2010.10.20
■ 北 杜夫の『楡家の人びと』(*1)が新潮社から刊行されたのは1964年。この年、北 杜夫37歳。
この長編小説も自室の書棚に並ぶのは新潮文庫。『木精』もそうだったが、『楡家の人びと』も単行本を書棚に並べておきたいと思い、一昨日(21日)松本の古書店・想雲堂で買い求めた。こうして再び書棚の本が増えてゆく・・・。
**戦後に書かれたもっとも重要な小説の一つである。この小説の出現によって、日本文学は、真に市民的な作品をはじめて持ち、小説というものの正統性(オーソドクシー)を証明するのは、その市民性に他ならないことを学んだといえる。(中略)これは北氏の小説におけるみごとな勝利である。これこそ小説なのだ!**三島由紀夫の絶賛文が箱の裏面に載っている。
トーマス・マンを敬愛していた北 杜夫は「ブッデンブローク家の人びと」に感銘を受け、いつかは一家の歴史を書いてみようと大学生のころからずっと考えていたそうだが(「マンボウ 最後の大バクチ」、「どくとるマンボウ回想記」による)、この小説を30代半ばで書いている。凄いとしか言いようがない。これほどの長いスパンのなかで、多くの人物がリアルな存在感を持って描かれた小説が日本にどのくらいあるだろうか。私は藤村の「夜明け前」くらいしか直ちには浮かばない。
*1 毎日出版文化賞受賞作品
本稿は2012.01.15の掲載稿の一部を引用し、加筆した。
■ 岩波書店の創立者である岩波茂雄が信州は諏訪の出身であることはよく知られている。筑摩書房の創立者も信州出身であることを知る人も少なくないと思う。
筑摩書房創立者の古田 晁は長野県東筑摩郡筑摩地(ちくまじ)村(現塩尻市北小野)の出身。筑摩書房という名前は古田の出身地の名前に由来する。生家は塩尻市に寄付され、現在記念館になっている。昨日(22日)この記念館を訪ねた。
記念館外観(館内は撮影禁止)
蔵造りの記念館の1階が展示室で古田 晁の年譜をはじめ交流のあった作家の写真や書簡などが展示されている。2階は3間続きの和室(10畳、8畳、6畳)で、説明板にあるように多くの作家が逗留している。なお、この建物は渡り廊下、門と共に登録有形文化財(2009年4月登録)。
ついこんなところに目がいってしまう。これは2階の雨戸の戸袋で銅板亀甲張り。
記念館に設置されていた説明板を掲載することで、記念館に関する説明の文章化を省略する。
*****
太宰 治が玉川上水に入水する前日に当時大宮に住んでいた古田 晁を訪ねるも、古田は実家に帰省中で不在だった・・・。
「会えていたら太宰さんは死なんかったかもしれん」という古田痛恨の言葉が記念館の案内リーフレットに載っている。そう、古田と太宰とは交流があったのだ(*1)。
文学散歩も良いものだ。今度は臼井吉見の記念館を再訪しよう。
*1 古田と太宰の交流については11月8日に塩尻のえんぱーくで行われた作家・松本侑子さんの講演(古田 晁が敬愛した太宰 治と「人間失格」)で詳しく聴いた。この講演で松本さんは太宰の葬儀の時の古田の弔辞を涙ながらに読んだ(弔辞の原稿は記念館に展示されている)が、その時はぼくも涙してしまった。
(再)塩尻市北小野 4脚44型 撮影日2020.11.22
■ 塩尻市北小野にある両小野中学校のグラウンドの隅に火の見櫓が立っている。学校の敷地内というのは、珍しいかもしれない。以前見ているが(過去ログ)再び観察した。
この火の見櫓は全形が整っていて、屋根と見張り台のバランスも良く、美しい。
4隅を面取りした見張り台。手すりには櫓同様リング付き交叉ブレースが設置されている。手すりの変形に対して有効かもしれない。このくらい避雷針が長くてすくっと立っていると見た目にも良い。
トラス組のがっしりした脚。
火の見櫓製作所の所在地は「筑摩地村」。
480
■ しばらく前に図書カードで購入した『四国遍路の世界』愛媛大学四国遍路・世界の巡礼研究センター編(ちくま新書2020年第1刷)を読む。
第1講から第15講まで、15人の研究者が四国遍路についてそれぞれの専門領域で論じていて、多岐にわたる内容が深く掘り下げられている。第7講まで読み進んだが、第5講の「道標石から見た四国遍路」では様々な型の道標が取り上げられていて興味深い。その分類で、頭部について弧頭型、前高弧頭型、円頂型、隅突起型、尖塔型、三角頂型、前高三角頂型、平頂型が挙げられている(094頁)。名称から形の見当はつくが、できればこれら全ての型の写真を掲載して欲しかった、と思う。
『あ、火の見櫓!』においても火の見櫓の様々な形を取り上げたが、それらを体系的に分類することがきちんとできていないことを反省している。
今日(22日)と明日、この本を読むことに時間を割きたいと思うが・・・。
■ 朝日村社会福祉協議会主催の高齢者ふれあい学習で「火の見櫓の魅力」についてお話させていただく機会を得て、今日(20日)の午後無事開催することができた。
雨降りにもかかわらず、会場のマルチメディアセンターには30人もの方々が集まってくださった。中には『あ、火の見櫓!』を持参された方も。うれしい。また、私の近くの席に着いた方からは「市民タイムスで記事を読みました」と声をかけていただいた。
パワーポイントを使い、パソコンの画面に表示させたタイマーに時々目をやりながら説明したので、時間はピッタリで、予定通り1時間(正確には15秒くらい残して)で終わらせることができた。
準備していただいた社協のスタッフの方々、お集まりいただいた皆さんに感謝します。ありがとうございました。
今年はコロナ禍で4月と7月に予定されていた火の見櫓講座が中止となったが、10月15日と11月7日、それから今日と3回開催され、火の見櫓の魅力についてお話させていただいた。これで今年の広報活動も一段落した。
今後の展開についてしばらくあれこれ考えようと思う。
撮影日時 2020.11.20 10:30頃
■ 隣家の柿の木に飛来して実を啄ばんでいるキミ、ツグミだっけ? 去年もこの木で観たけれど、名前忘れちゃった。このおじ(い)ちゃん、歳とってますます物忘れがひどくなってね。
■ 再開した「ぼくはこんな本を読んできた」の2回目は理系本を並べてある書棚(*)からで、『情報列島日本の将来』黒川紀章(第三文明社1972年初版発行)。
『情報列島日本の将来』は黒川紀章が30代のときに書いた本だが、既にこの本の第一章「二元論からの脱出」で「共生」という概念について触れている。
日本の伝統的な住宅にみられる縁側、内でも外でもない空間。建築と自然とを繋ぐ役割を果たす「縁」。建築と自然、あるいは都市との共生はこの「縁」空間、「中間領域」を設けることで可能となる。「共生」という概念の肝は要するにこういう考え方だと私は理解している。
この考え方を最も明快に具体化したのが福岡銀行本店だと、私は思う。アーバンルーフという屋根のついた「中間領域」を都市に開放している。学生時代に見学に出かけてこの空間に設えてある黒御影石のベンチに座ったことを今でも憶えている。
黒川紀章は建築のみならず中国やロシアの地方都市の計画なども手掛けて国際的に活躍した建築家だがその実績に相応しい評価を必ずしも得ていないように思う。何故だろう。
過去ログ1
過去ログ2
過去ログ3
2007.10.13の記事再掲
* 小説やエッセイなど文系本を納めた書棚を「書棚1」、理系本を納めた書棚を「書棚2」とする。
■ 『木精』(新潮文庫)を初めて読んだのは1981年9月のことだった。その後、1996年5月、2000年6月、2006年9月、2012年3月、2015年4月と再読を重ねてきた。これ程繰り返し読んだ作品は他にない。自室の書棚の本を100冊まで、いや10冊まで減冊しても『木精』は残るだろう。
松本市内の古書店・想雲堂に所用があり、昨日(18日)の夕方出かけた。コーヒーを飲みながら、書棚を見ていて北 杜夫の『木精』(新潮社)の単行本を見つけた。 自室の書棚に置いておきたいと思い、買い求めた。
小さな幸せ。
過去ログ
『木精』1975年(昭和50年)新潮社より刊行、文庫は1979年。