■ 注文していた本が届いた。『中村屋のボース』中島岳志/白水社。内容の濃い本である、とこのカバーデザインが情報発信している。好きなデザインだ。著者の中島さんについてはしばらく前に既に書いた。若い(1975年生まれ)研究者だ。
帯の文章をここに載せておく。**R.B.ボース。1915年、日本に亡命したインド独立の闘士。新宿・中村屋にその身を隠し、アジア主義のオピニオン・リーダーとして、極東の地からインドの独立を画策・指導する。アジア解放への熱い希求と日本帝国主義への止むなき依拠との狭間で引き裂かれた、懊悩の生涯。「大東亜」戦争とは何だったのか? ナショナリズムの功罪とは何か? を描く、渾身の力作。**
ボースは新宿中村屋の看板メニューとなっている「インドカリー」を伝えたインド人で後に相馬愛蔵と黒光の娘俊子と結婚する。ふたりのロマンスも描かれていて単なる硬い本ではない。
これからじっくり読み進もうと思う。
■ 登場人物には作家の性格や趣味が投影される。『スモールトーク』角川文庫の主人公ゆうこは無類の車好きだが、これは作者絲山秋子の車好きの投影。ゆうこの元彼の本条は最初にオレンジ色のTVRタスカンに乗って彼女の前に現れる。会いたくなんかない元彼だが車好きのゆうこは「ドライブ行かねえか?」との誘いに応じる。
ふたりが車の中で交わす会話「見直したな」「惚れ直さないでね」などは『沖で待つ』の登場人物(会社の同僚)が交わす会話と同じ雰囲気。
元彼の本条は今や売れっ子相手の音楽プロデューサー、ゆうこの前に現れる度に車が違う。車好きの作者が描いたこの『スモールトーク』の主人公は実はゆうこではなくて車だ。
ゆうこはいつも本条に替わって車を運転する。そして車の評価をする、こんな具合に。**音はすばらしい。でも作った音だ。本当の音じゃない。6Lのスポーツカーなのに抑えてあって、野暮さは微塵もない。エンジン音がぎっしり詰まったきれいな和音になっている。不協和音ではない。調和している。回転を上げるとその低音が盛り上って、ちゃんとコーラスもついてくる。**
この作家は本当に車好きなんだろう。こんなふうにエンジン音について詳細に描くのだから・・・。
この小説に登場する6台の車に作者は試乗したそうだがそれぞれ外観、内装、乗り心地、エンジンの調子などをゆうこに評価させている。
巻末に収められているエッセイをこの作家は**「馬には乗ってみよ」というのは本当だ。クルマにも乗ってみないとわからない、というのを今回の小説の試乗で思った。「人には・・・・・」の方はまだまだこれからの課題である。**と結んでいる。
からっとしたこのユーモアが好きだ。
① 02122 京都24会に出かけた時に撮った写真
② 010616
①は京都駅。ゆるやかに秩序づけよという原広司さんの教え。
②のモダンなデザインは槇さんだといっても通じるだろう。きちんと繰り返しているが実はこれも原さん。宮城県図書館のガラスのキャノピー。6年半前、仙台まで「せんだいメディアテーク」とこの図書館を見学に出かけたのだった。
**同じものはつくるな。同じものになろうとするものは、すべて変形せよ** **材料が同じなら、形を変えよ。形が同じなら、材料を変えよ。**と教える原さんだって時にはこういうこともする。
①のゆるやかな秩序も②のタイトな秩序も共に「繰り返しの美学」。私が取り上げているのは②だと既に何回も書いた。
■ 地球温暖化防止のためにできることは何? 宇宙船地球号の乗組員として必要な問題意識ですね。
灯油価格の高騰で暖房費が嵩む、暖房費を節減するためにはどうすればいい? こういう問題意識でももちろんOK。
本稿では住宅の「断熱性能の向上」について考えてみます。
究極の高断熱住宅が「無暖房住宅」、台所の熱や家電製品などからの排熱だけで特に暖房しなくても生活できる室温が保てる住宅、厳密にはなにか違うかもしれませんが、基本的にはこんな押えでOKでしょう。
壁や屋根、床そして開口部、どの部位も断熱性能が低すぎる、そう思います。
壁 在来木造住宅の場合、柱のサイズイコール壁厚ですから約10cm。従って断熱材を壁の構面内に入れようとすれば最大厚10cm、どんな断熱材を使っても薄すぎます。それに間柱や筋交の部分にはきちんと断熱材をセットできないので熱的な性能が壁全体で均一になりません。
屋根に断熱材を入れるということはまだ一般化していないかもしれません。壁と比較すると屋根という部位は小屋裏、天井裏として空間的に曖昧に広がっていますから屋根の断熱は天井材の上に断熱材を敷いて、オシマイというケースがまだ多いのではないでしょうか。
床に断熱材をきちんと設置するためには床下地を工夫する必要があります。根太の間に設置してオシマイでは全く不十分。根太の高さは一般的には約5cm。従って断熱材の厚さも5cmが限度。床下換気をするので温度は外気温とほぼ同じ。和室の場合、タタミにも断熱性能がありますが、フローリングの場合には床が冷たい・・・。
開口部 木造住宅の場合、もともと障子一枚、板戸一枚で内外を仕切っていたのですから、断熱性能はゼロに等しかったのですね。その流れで開口部の断熱性能はきわめて低いのが現状でしょう。木からアルミに建具の材質は変わりましたが、アルミは熱をよく伝える材料ですから熱的には弱点です。ガラス一枚の断熱性能など無に等しい・・・。
熱源 このような外皮の住宅ですから冬は寒くて当たり前。灯油をバンバン焚いてようやく室温を保っているというのが実情でしょう。
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各部位の断熱性能をもっと向上させるには・・・。試みにその方法(あまり具体的ではありませんが)を挙げてみます。
壁 在来木造の構面内に断熱材を設置しても前述したように厚さが十分確保できないからダメで、壁面の外に断熱材を設置する構法(外壁断熱)を採用したらどうでしょう。
屋根 野地板の上か下に断熱材を入れます。(この部分に断熱材を入れることは天井を張らないときは一般的に行なわれますが、天井を張る場合はあまり行なわれません。)そうした上で天井材の裏側に断熱材を入れます。小屋裏を断熱材で充填してしまうという大胆?な考え方もありますが、通気性が損なわれるので好ましくないと思います。
床 一般的な床組みでは断熱材をきちんと入れることは無理、床下通気は冬寒い。わざわざ隙間風を入れているようなものでしょう。コンクリートのベタ基礎を採用して、基礎の下にも上にも断熱材を入れます。
開口部 アルミサッシは製造過程でもエネルギーを大量に使います。熱伝導率が低いプラスチックサッシが普及しつつありますが、個人的には建材としてのプラスチックが好きではありませんから、木製サッシを使いたいです。ガラスはペアガラスを採用。日本ではまだ馴染がありませんがトリプルガラスなら更に性能が優れています。
(注)本稿では壁などの通気性の確保については触れませんが、十分考慮する必要があります。
熱源 灯油に頼らないことです。
①太陽エネルギーの積極的な利用を考えます。それもパッシブシステムが好ましいと思います。OMソーラーシステムなどはその代表例です。
太陽光発電はアクティブシステムの代表例で普及が進んでいるようですが、個人的にはあまり好きになれません。
②木をエネルギーとして積極的に使います。木を燃やしてもCO2は排出されます。しかしその生育過程までトータルに考えると未確認ですがたぶんプラスにはならないはずです。それに木は唯一再生可能な資源です。
「既存の住宅の断熱性能を向上させるための改修にはかなり費用がかかるじゃないか・・・」「ごもっとも! ごもっとも!」
○暖房区画という手もあります。住宅内で冬用の生活ゾーンを決めてその部分のみ断熱性能を上げる、という方法です。普段使わない客間、予備室などは今のままで諦めます。
○厚着をする、これは基本です。モモヒキを愛用します。ンナもの穿いたら若い子にもてない、などとミヤサカおとうさんのようなことを言ってはいけません。、厚着をすることは住宅の断熱性能を体の近傍で補うという建築的な方法と捉えることもできるでしょう。
○酒を飲んで体を温める。これもお薦めです。それも日本酒がいいですね、米の需要が増えますから。麦を使うビールはダメです。これ以上ビールの需要が世界的に増えたら麦の生産が追いかないという指摘もあります。
○夜の組み体操をきちんと実践して一緒に寝たらどうでしょう?。電気毛布などを使うべからず、ですね。
以上オトウサンのための無暖房住宅講座?でした。
■ 京都の北山通りには「WEEK」「SYNTAX」などの高松伸さんの作品がある(あった?)。もう何年も前にこの通りを歩いたことがあるがどれも自己主張の強いデザインで京都の景観上どうなのかなと思わざるを得なかった。
今回引いたのはその高松さんの作品「キリンプラザ大阪」。この作品は確か日本建築学会賞を受賞している。大阪の繁華街道頓堀に在るこの建築は見学した記憶がある。外壁には独特のデコレーション?が施されているが特に違和感を感じなかったのは立地によるのだろうか。夜は上部が行燈のようになってよく目立っていた。
完成してまだ20年しか経っていないがどうやら取り壊しが決まったらしい(未確認)。たった20年・・・、短すぎる寿命。
この国の住宅の寿命は25年、アメリカは50年、イギリスは75年、大体こんなことになっている。この世のものは全てうつろう、この国の古来からの世界観が現代建築にも反映しているのだろうか。
このままではこの国は建築廃材に埋もれてしまう・・・。
■「新日曜美術館」(NHK教育TV)で佐川美術館の別館「樂吉左衞門館」が取り上げられた。この建築は十五代樂吉左衞門氏によって構想され、設計に3年、施工に2年を要したという(開館は2007年9月)。
番組では樂吉左衞門氏自身による展示室・茶室の設計コンセプトの説明があり、また施工の様子も詳細に紹介された。もちろん完成した建築内部も紹介されて興味深く見た。さすが竹中工務店、画面を見ただけで実にきちんと施工していることが分かった。
利休の待庵から400年余、利休が土壁に求めたわびを黒コンクリートに託した現代の前衛的な茶室。大半が水中に埋められていて、水面上には屋根のみが浮かんでいる。
細部にまで神経の行き届いた「竹中スタイル」が例えば地上部分の外壁の開口部廻りからも見て取れた。樂吉左衞門氏の既成概念にとらわれない自由な発想と「竹中スタイル」が見事に融合していた。美術館近くの体育館に茶室のモックアップ(原寸大の模型)を造って光の扱いなど様々なことを検討したという。
樂吉左衞門氏が杉の縁甲板型枠黒コンクリート打ち放しの床の間に、確か利休の孫が作ったという花入れを掛けて花を活けた。そのときの氏の言葉「花入れが空間を受け入れた」には驚いた。「空間が花入れを受け入れた」ではない。
氏にとっては建築も茶碗も花入れも等価なのだ。この茶室は予約すれば見学できるという。滋賀県、日帰りも可能だが京都、奈良とセットで出かけるのもいい。
■新日曜美術館「茶室誕生」は今夜(24日)夜8時から再放送されます。
興味のある方は是非ご覧下さい。
■ ジョサイア・コンドルと氏の一番弟子の辰野金吾。
今回引いたカードはスペードのA。「日本の建築界の母」否、男だから父か、ジョサイア・コンドル。イラストの背景の洋館は中央部分が隠れていて分かりにくいが・・・、鹿鳴館。
コンドルが工部省の招きに応じてイギリスからやって来たのが明治10年、24歳の時だったそうだ(若かったんだ・・・)。コンドルの教えを受けた明治初期の学生達が日本の近代建築の基礎を築いた。辰野金吾もそのひとり。
日本の伝統的な美にすっかり魅せられてしまったコンドルは任期を終えても帰国せずにこの国に永住することを決意して、銀座に事務所を開いて設計の仕事を続けた。
明治政府は御雇建築家に教育と実作を期待した。創られた建築はどれも重厚で存在感があった。弟子達の創った建築も然り。建築が文化であることを体現していた。それが100年足らずで経済活動(だけではないが)の単なる「ハコ」と化してしまった・・・。コンドルや氏の教えを受けた明治初期の建築家達の情熱はいつの間にか消え去ってしまった・・・。
辰野金吾設計の東京駅周辺はガラスの高層建築オンパレードだが、文化的香りがしない。それが私の知性の無さ、感性の鈍さ故ならいいのだが、どうもそれだけではなさそうだ。
休日の昼間っから嘆いていても仕方がない・・・。本稿、強制終了!
■「建築トランプ」 今回は平等院鳳凰堂。10円玉のデザインに採用されているからこの建築はみんな知っている。でも・・・、建立の経緯などをきちんと知っている人は案外少ないのでは。 歴史に疎い私はこの鳳凰堂のことについてはほとんど何も知らない。オシマイ。
というわけにもいかないので何か書く。
**宇治の別業を伝領していた藤原頼通は、永承七年(1052)に至って、別業を喜捨して仏寺とした。これが平等院の始まりである。ここで、寺の創立やその後の沿革の概略を眺めてみよう。**
カードの背景として写した『日本名建築写真選集 平等院』新潮社(発行1992年)にはこんな書き出しで始まる解説が掲載されている。その要約をここに書いてもいいが、ネット検索するといくらでもこの寺の解説が載っているから省略する。
極楽浄土ってこんなところだ、とそのありさまをを現世に具現化したのが平等院鳳凰堂だということくらいは知識にある。上空から俯瞰するとこの堂が鳳凰に似ているというのが名前の由来だという知識もいつの間にかインプットされている。でも鳳凰堂という名称は古いものではなく、江戸時代になってからのことだろうと先に挙げた写真集の解説で伊藤延男氏は指摘している。
鳳凰をモチーフに造られたわけではなく、江戸時代に誰かがそのように見立てたのだろうか。
同書の図面を転載させていただきました。
中年オジサンにはこの配置図が鉄腕アトムに見える。アトムってこういう格好で飛んでいた。中堂の両側の翼廊(アトムの腕の部分)をピロティ形式にして空中に浮かべているのは翼を表現する為だ、と何かで読んだような気がする。でもそれも後世の人がそのように「解釈」したに過ぎなくて創建当時には何か別の「意図」があったということだろうか。
残念ながら宇治には行ったことがない。やはり京都、奈良にいつか出かけなくては・・・。
■ 書店で本を探す。
どうしても平積みされている本に目が行く。書棚に並ぶ本のタイトルを具に(つぶさにってこんな字なのか、備にとも書くのか・・・)見て探すことも必要だ。久しぶりに中公新書の棚をじっくり見てこの本を見つけた。
『日本の庭園 造景の技とこころ』進士五十八。
明日じっくり読もうと思う。江戸時代の美の達人小堀遠州が気になりだしてからこの手の本にも関心が及ぶようになった。
カバーの折り返しにこの本の紹介文がある。**石と水、そして木。日本庭園はこれらを美しく組み合わせ、その地の自然と歴史と文化を一体として表現した。(中略)植栽、石組、水工などの作庭技術を詳細に解説する。(中略)本格的日本庭園入門書。**
中公新書はどちらかというと地味だが、中身の濃い本が多いように思う。
この本で日本庭園に関する知識を少し得てから、例えばこんなところを散策するのもいいかもしれない。
■ 鈴木建設営業3課のハマちゃんが主人公の映画「釣りバカ日誌」。皆さんご存知ですよね。
ハマちゃんの「ワークライフバランス」を自分のそれと比較してあまりの違いに愕然として、「いいな~ハマちゃん」と思いながらついこの映画を観てしまうという人が多いのではないでしょうか。
ハマちゃんの机の引出しには釣り用の小道具がびっしり。有給休暇をめいっぱい取って、釣り三昧。営業先から直帰することもしばしば。出張先では仕事を早めに切り上げて釣り、釣り、釣り。でもハマちゃんは営業成績もそこそこではないのかな。
そんなハマちゃんの日常が羨ましくて仕方がないというオトウサンが多いのではないでしょうか・・・。
就労時間の長短とアウトプット(仕事の成果)には正の比例関係がある、という認識がまだ一般的なのかも知れませんね。でも仕事の内容が昔とはだいぶ変わってきていますから、そうでもないらしいです。残業大国日本の労働生産性があまりよくないというのが最近の実態のようですね。
ライフが充実していないとワークの成果も上がりませんよ、少子化に歯どめをかけるためにも両者の適度なバランスが必要ですよ、などと厚生労働省は唱えているようです。
ワーク(仕事)とライフ(プライベートな生活)の適度なバランスが大切というわけなんですね。「ワークライフバランス」、そのバランスポイントはもちろん人によって異なるでしょうし、そもそも時間の長短だけで判断できる問題でもないようにも思われます。両者の内容というか質も同時に考えないと問題の本質が見えてこないでしょう。
(アルコールしたのでこの先の論理の展開、省略)
結局この問題は人生観に帰着するような気がします。バランスポイントなんてどうでも ♪いいじゃないの幸せならば というわけです。
少しこの問題について考えてみませんか? と提起して今回はオシマイ。
■ ついにジョーカーを引いた。浅田彰氏が釣り針のような月に腰掛けている。
建築トランプに何故浅田彰?と思わないでもないが、この人は広く芸術批評をしていて文学や建築にも詳しい。以前、磯崎新氏との対談を雑誌で読んだ記憶がある。磯崎新氏は建築家というよりは思想家、浅田彰氏も思想家だから両氏の対談のテーマは建築思想論ではなかったか。
かつて浅田彰氏の『構造と力』や『逃走論』という難解な本がベストセラーになって話題になった。残念ながら共に未読なので手元に無い。
昨晩このカードを引いたとき、さて何か本があったかなと書棚を探して田中康夫氏との対談集『憂国呆談』幻冬舎を見つけた。目次を見るとテーマが多岐にわたっていて建築も話題になっているが、内容をすっかり忘れているので今回はそこまでは触れないでおく。
今回はこの辺で。
■「NHK長野放送会館」を引いた。
残念ながら手元にこの建築の写真が無い。見学したような気がするが、記憶が曖昧。いや確かに見学した。長野駅からそう遠くない所に在る。
公開コンペで設計者を決めたが当選したのはみかんぐみだった。確かコンペの審査委員長は地元長野の宮本忠長さんだったような気がするが記憶が曖昧。
みかんぐみはメンバーが4人(最初から4人だったっけ?)。紅一点の加茂さんは、写真で見る限りはチャーミングな女性って、ンなこと関係ないか。
みかんぐみの作品、例えば「八代の保育園」などは雑誌で見る機会があったが、優秀な人達が楽しんで設計したという印象だった。
さて「NHK長野放送会館」。デザイン的な特徴はアンテナタワーと建築とを一体にデザインしていることだろう。カードのイラストではよく分からないが、建築の外壁にもタワーにも正面側にはアルミ製のルーバーを取り付けてデザイン的に一体感を持たせている。
この作品は「新建築」に掲載されているが、それによると、このルーバーは構造上の安全性と風切り音が発生しないことを風洞実験によって確かめているとのことだ。 飛行機の翼と同じ断面のルーバーは風圧を考慮して上方ほど傾きを水平に近づけて、間隔も次第にあけているという。周到な設計はさすが。
実施設計にあたってはいろんな人達とコラボレートしたとのことだがメンバーは明るくて社交的な人達に違いない。
みかんぐみ設計の伊那東小学校が現在工事中ではなかったか。いつごろ完成予定か分からないが見学に出かけたいと思う。
■ Aモード全開ではありますが、Bモードでも書いておこうと今回は『文学的商品学』斎藤美奈子/文春文庫を取り上げます。このところ読書欲が乏しく、エッセイのような軽いものを読んでいます。
南大門が放火によって焼失したと知ったとき直ちに『金閣寺』三島由紀夫を思い浮かべましたが、再読しようという気にはなりませんでした。
この『文学的商品学』は帯にもあるように商品情報を読むように小説を読んでいます。さらに帯に倣えば川端康成から、村上春樹まで、のべ70人の82作品を、ファッション、食べ物、貧乏など、9つのテーマで読み解いたものです。『文壇アイドル論』などユニークな視点で書いている作家だということは承知していましたが、作品を読むのはこれがたぶん初めて。この本を昨日ザックリと読んでみました。この作家にかかれば渡辺淳一さんのファッション描写など形無しです。
作家も編集者も気がつかない明らかな間違い、例えば地理の間違い、そう地図を基に書いて取材をしないで済ましたような場合には、??な描写ってあるんですね。推理小説のトリックを有り得な~い!と指摘している評論もあります。
ときにはこんな本を読んでみるのも楽しいものです。
■ 先日菊竹さんの「スカイハウス」について書きました。今回は吉村順三さんの「軽井沢の山荘」です。スカイハウスもこの軽井沢の山荘も偶然にも1辺が4間の正方形のプランです。空中に浮かべているところも同じです。
鳥の巣のような家をつくりたかったのだという指摘をどこかで読んだような気がします。確かに『小さな森の家 軽井沢山荘物語』建築資料研究社のまえがきに吉村さんは**この樹の上で、鳥になったような暮らしのできる家をつくろうと思いついた。**と書いています。
吉村さんは大学のような規模の大きな建築も設計していますが、やはり住宅作家、住宅の設計では右に出る人はいないといってもいいでしょう。今現在住宅作家として活躍している人達にも明らかに吉村さんの影響を受けていると思われる作品が少なくありません。
藤森さんは「建築は素材だ」とどこかに書いていましたが、吉村さんなら「建築はプロポーションだよ」、間違いなくそう書いたでしょう。天井や壁に安価なラワン合板を使っても絶妙の寸法比によって心地良い空間を創出してしまう・・・。
この山荘の外壁に吉村さんは杉板を張っていますが、防湿のために亜鉛鉄板を捨て張りしたり、床下の断熱のために浅間砂利を敷き詰めたりと基本的な性能向上のためにいろいろな試みもしています。今回『小さな森の家 軽井沢山荘物語』を読み返して気がつきましたが、浅間砂利は遮音のためにトイレと隣室の間仕切り壁にも詰められています。
そもそも空間を空中に浮かべたのも鳥の巣をただ単につくることだけでなく防湿のため、防犯のためという実利的な意図があってのことなのですね。
軽井沢の山荘はスカイハウスと共にベスト3に入る名作、私はそのように評価しています。
■ 昨晩、中学の時の同級生と飲みました。年に数回やっている33会でした。ン十年前(20年前?30年前?40年前?50年前?、60年前?まさか)たった2年間同じクラスだった、ということだけでなのですが、いまだに交流が続く仲間達との飲み会。いつも楽しいひと時を過ごします。
さて中学3年の時の修学旅行は電車で京都、奈良へ出かけたことは記憶にありますが、一体どこを見学したのか、悲しいかなもはや記憶ははるか彼方に流れて消えてしまっています。京都では清水寺を観たこと、奈良では興福寺を観たこと位しか覚えていないのです・・・。
街中の移動に今の修学旅行生達はタクシーを利用するそうですが、私達のころはたぶん観光バスではなかったかと・・・、でもそのことについても記憶がありません。歳を取るとよくものを忘れると聞きます。でも昔のことはよく覚えているものだ、とも聞きますが、どうもそれも私に限っては当て嵌まりそうも無く・・・。
昨晩、ワインやビール、焼酎などをかなり飲みながら修学旅行のことを話すと「東大寺にも法隆寺にも行った」ということなのですが、その記憶は・・・「無」です。
ところで今回アップした写真は、いつごろかな、15年くらい前に撮ったものではないかと思います。過去のダイアリーを調べればわかるかもしれませんが「ずく」がありません(「ずく」というのは信州の方言、意味は説明しませんがなんとなく文脈で分かりますよね)。
この光景を目にしたときは驚きました。背景の興福寺の五重塔、猿沢の池のほとり、坂の途中の旅館。はるか彼方の記憶とピッタリと符合する光景。ここはあの修学旅行で泊まった旅館です。「あの時とオンナジダ!!」
都市の光景の変化の早いこの国で、よく変わらずにいてくれたものです。
奈良、行ってみたいです。ここにもまた行ってみたいです。繰り返し書いているとその気になって実現するかもしれません。
昨晩の話では来年の春に歌舞伎を観に行こうということに、でも酒席での話ですから・・・。確か以前ベトナムに行こう!ということになったこともありますが実現していません。話の結論がどこに流れ着くことやら・・・。でも一昨年2回目の修学旅行は実現しました。