透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「脳の意識 機械の意識」

2017-11-30 | A 読書日記



■ 先日読み終えた『身体知性』に収録されている著者の佐藤友亮氏と内田樹氏との対談で、人の情動や記憶をコンピューターに全部移行することができるかどうかということが語られていた。佐藤氏のこの問いかけに内田氏は原理的に不可能だと思うと答えていた。その理由を内田氏は記憶というのは実体ではないからとしていた。更にこのことについて氏は詳しく語っているが、ここには記さないでおく。

昨日(29日)、『脳の意識 機械の意識 脳神経科学の挑戦』渡辺正峰/中公新書 を書店で手にした。この本のまえがきに著者の渡辺氏は**未来のどこかの時点において、意識の移植が確立し、機械の中で第二の人生を送ることが可能になるのはほぼ間違いないと私は考えている。**と書いている。

意識とはなにか、記憶とはどう違うのか、この本を読み進まないことには分からないが、これは上掲した内田氏とはまったく違う見解ではないか。このSFが扱うようなテーマに興味を覚えて読み始めた。

**物質と電気的・化学的反応の集合体にすぎない脳から、なぜ意識は生まれるのか――。多くの哲学者や科学者を悩ませた「意識」という謎。本書は、この不可思議な領域へクオリヤやニューロンなどの知見を手掛かりに迫る。さらには実験成果などを踏まえ、人工意識の可能性に切り込む。(中略)人間と機械の関係が変わる未来を描きだす。**以上帯に書かれている本書の紹介文。

脳を物質と電気的・化学的反応の集合体にすぎないと分析的に捉えてしまうことになんとなく違和感を覚える。難しいテーマの本で、理解できる内容かどうか・・・。とにかく読んでみよう。


 

 


この切手は?

2017-11-29 | D 切手



 数日前、ある工務店からオープンハウスの案内が封書で届いた。貼ってあったのがこの切手。初めて目にする切手だから、調べてみようとネット検索してみたが、画像が出てこなかった。

花札の図をモダンにリ・デザインしたようなこの切手は何だろう・・・。


 


「維新の構想と展開」

2017-11-28 | A 読書日記



 先月16日ころ読み始めた『維新の構想と展開』日本の歴史20 鈴木 淳/講談社をようやく読み終えた。隙間時間を充てたこま切れ読書であったから、だいぶ日数を要した。

五箇条の御誓文発布(明治元年)から帝国憲法発布(明治22年)までの期間を扱っているが、詳細な記述で、また知らない人物も多く(知っている人物がかなり少なく)内容を十分理解することはできなかった。やはり私には明治という時代を概観するような本が合っているということが分かった。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』あたりがふさわしいかな・・・。


 


「身体知性」を読んだ

2017-11-28 | A 読書日記


『身体知性 医師が見つけた身体と感情の深いつながり』佐藤友亮/朝日選書 

 先日(22日)東京に出かけた際、この本を丸善本店で買い求め、興味深く読んだ。以下備忘録。

第3章には「医師の身体」が西洋医学の分析の隙間を補完している という見出しがついているが、この見出しが本書の内容を端的に示している。

著者の佐藤氏は第3章の中で、少ない判断材料で何らかの意志決定をしなければならない状況で、最終的な判断を下す方法には「論理的推論」と「身体感覚的判断」のふたつがあることを示している。身体感覚的判断というのは要するに直感のこと、と解してもたぶん間違ってはいないと思う。普段、私たち一般人は常に論理的推論にもとづいて判断しているわけではなく、「論理的推論」と「身体感覚的判断」このふたつを併用して判断し、行動しているのだが、これは医師にも当てはまると、著者は指摘している。そうなのか、という思いとそうだろうな
という思い・・・。

**西洋医学は、分析に基づく論理を重視していますが、身体という、人間にとって身近だが不確かなものを扱う以上、医師は分析に基づかない判断、簡単に言うと、経験による判断を求められる場合が少なからずあるわけです。**(57頁)と書き、別の頁では**西洋医学は、分析に基づく論理的推論に最も価値を置いています。しかし、臨床現場ではそれだけで太刀打ちできるものではなく、医師の身体感覚的判断(近道思考)に頼らざるを得ないところがあります。(中略)西洋医の医師は科学的分析に基づく整合性の隙間を、自分の生身の身体という不安定なもので埋めています。**(71頁)と書いている。これが西洋医学の分析の隙間を補完しているということの意味だ。

佐藤氏は以上のような論述が読者の誤解を招かないよう、続けて**近道思考とは、決して何も根拠のないところから直感だけで判断を下すものではありません。医師は、不確定要素の多い問題に対して、西洋医学の基盤である分析的知識と過去の経験をベースにして、即座には論理的に説明できないような臨床判断を、自分の身体を介して行います。これは知識や経験をもとに、「機能的な身体感覚」とでも呼べるようなものを用いて行われるものです。**(71頁)と述べている。

**西洋医学の教育は、医師の身体感覚を用いた近道思考が一定レベルで必要であることを認識し、その質が高まるような働きかけをする必要があります。**(72頁)と佐藤氏は主張している。

第4章以降、このことについて詳しく論じている。医師であり、合気道家でもある佐藤氏だからこそ可能な論考なのだろう。


 


レストランあづみ野の黒部ダムカレー

2017-11-26 | F ダムカレー

 長野自動車道の梓川SAのレストランでも黒部ダムカレーがメニューに加わった。この情報をしばらく前に得ていた。

ネットで調べて下り線SAの「レストランあづみ野」でも上り線SAの「レストラン梓川」でも黒部ダムカレーを提供していることが分かった。このことを知ってしまったからには食べないわけにはいかない。

昨日(25日)の昼にレトランあづみ野で食べた。


レストランあずみ野 黒部ダムカレー 竣工写真 

堤体は三日月を立体にしたような形をしているが、両岸まで到達しておらず、下流域にルーが流れ出している。

梓川SAでなぜ黒部ダムカレー?という素朴な疑問。黒部ダムが全国的に知名度の高い観光地だからか。梓川には日本で3番目に高いアーチ式の奈川度ダム、その下流に水殿(みどの)ダムと稲核(いねこき)ダムがある。

余談だが、松本から上高地・高山方面へ向かう時には(その逆も)、奈川渡ダムの堤頂(天端)を通過する。堤頂を国道158号が通っているから。だから、ご当地ダムカレーとして奈川度ダムカレーとでも名付けて欲しかったなぁ、とは私の勝手な希望。稲核ダムは別の店に提供を求めたい。ふさわしい店がある。

*****


■ レストランあづみ野 黒部ダムカレー諸元

・ダム型式:アーチ式ライスダム
・堤体長:約15cm(ダム両端部の直線距離を計測したから堤体の実長ではない)
・堤体高:約4cm(計測が難しく、目視により推測した)
・堤体幅:不明(最も幅の広い堤体中央部で計測すればよかった)
・堤体重量:不明(経験的に250g以上はあると思われる)
・総貯ルー量:不明(やや少なめ)
・ダム湖:面積が広く、浅い 
・ダム湖に浮かぶ遊覧船・ガルベ:ハンバーグ(竣工写真では分かりにくい)
エビフライと串あげは放水の様子を表現しているとのこと。店内のテーブルに置いてあるメニュー表に**夏場の迫力の放水を模した海老フライ**という説明がある。だとすれば、放水方向が逆、野菜のある下流に向いていないといけない。まあ、料理としては当然この向きだけれど・・・。この辺りにはマニアなこだわりが欲しいところ。
・敷地:楕円形の白い皿 長軸直径37.5cm 短軸直径27cm 縁で測った深さ3cm かなり広い敷地だ。
・施工費:1,480円(税込み)
・発注後施工に要した時間:12分(注文12:05 竣工12:17)
・施工業者:アルプスシャツ(株)フード事業部 レストランあずみ野のスタッフ 厨房が見えないので詳しいことは分からない。
・味:検査資格を有する別の検査員に同行してもらい再度検査したい。もちろん検査に必要な費用は負担するつもり。




施工会社「レストランあづみ野」の外観


 


940 安曇野市三郷温の火の見櫓

2017-11-26 | A 火の見櫓っておもしろい


940 安曇野市三郷温(みさと ゆたか)の火の見櫓 3脚66型 撮影日171125

 県内各地に点在する火の見櫓は到底見尽くせるものではない。近くにもまだ見落としているものが少なからずあるようだ。昨日(25日)松本平ではごく一般的なタイプの火の見櫓を見かけた。



くるるんな蕨手がない屋根はスッキリ。照明やスピーカー、アンテナなどのない見張り台もスッキリ。



単材(等辺山形鋼)の脚もよく見かけるけれど、やはりこのような複材のトラス脚が好い。

すぐ横に道祖神が祀られている。道祖神は集落に悪霊が入り込むのを防ぐ守り神だから、辻に祀ることが多かった。火の見櫓も消防団員がアクセスしやすいこと、という条件からそのようなところに建てられることが多かった。だから結果的にこのように道祖神と火の見櫓が同じところにあることが案外多い。


 


品川神社の狛犬

2017-11-25 | C 狛犬

創始は1187年(文治3年)に 源頼朝が安房国の洲崎明神(千葉県館山市の洲崎神社)の天比理乃咩命を迎えて海上交通安全と祈願成就を祈ったことだというから古い。

1600年(慶長5年)、徳川家康が関ヶ原出陣の際に参拝したという。1868年(明治元年)に明治天皇が都内の十社を「准勅祭神社」と定められ、その中に品川神社もあった。

御祭神は天比理乃命(あめのひりのめのみこと)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、宇賀之売命(うがのめのみこと)の三柱。



 23日の朝、友人とJR品川駅で待ち合わせ。京浜急行の新馬場駅北口から徒歩で数分の品川神社に向かう。一の鳥居には昇り龍と降り龍が巻き付いている。前夜から雨が降り続いていたが、これは龍が水神だからか。だとすると縁起が良い。もっと良い位置で写真を撮りたかったが雨降りだから諦めた(などと言い訳をする)。この写真には富士塚が写っていない。やはり何を撮りたいのか決めてからカメラを構えないと・・・、反省。


△ 一の鳥居 石段踊り場の左側に富士塚の登り口、いや登拝道入口がある。雨で石段が滑りやすかったが富士塚に登った。昔はこの辺りから江戸湾が見えたんだろうな、すぐそこが海か・・・。



 
△ 一の鳥居の前の狛犬 1925年(大正14年)建立

 
△ 二の鳥居の前の狛犬 1792年(寛政4年)建立 石工:四郎兵衛 阿像(右)には宝珠が、吽像(左)には角がついている。

   
△ 富士塚の横に鎮座する浅間神社の狛犬 2004年(平成16年)に日本参道狛犬研究会の三遊亭円丈師匠が奉納した。 

   
△ 備前焼狛犬 1830年(文政13年)建立 以前は金網のケージに納めていたようだが、今現在はむき出し状態。阿像の尾の先の色が違う、補修したのだろう。

   
△ 御嶽神社前の狛犬 雨脚が強くなり、上手く撮ることができなかった。頭頂部に窪みがある。


△ 神楽殿

   
△ 拝殿前の狛犬 1884年(明治17年)建立 石工 清三郎 子獅子が親獅子に甘えている。家内安全、子孫繁栄の願いを表現しているのだろう。子獅子のいない親獅子だけの凛とした姿も好い。

△ 拝殿の内部に神殿狛犬がいた。撮影禁止だから写真は無い。

参拝の後、御朱印をいただく。




 


ドーダの建築 ホキ美術館 

2017-11-25 | A あれこれ




ホキ美術館 2012年3月以来5年半ぶりの再訪 以下その時(20120401)に書いた記事の再掲(一部加筆)

■ ドーダの建築。30メートルのキャンチレバーだぞ、ドーダすごいだろ。しかも筒状に閉じていないんだぞ、ドーダすごいだろ。日建はこんなことだってできちゃうんだぞ、ドーダすごいだろ。

2枚の鋼板と中骨からなるサンドイッチ構造の「プレート」で「日」を横にしたような断面を構成している。ただし、南側はプレートが上部のみで、下はガラスになっている(写真)。ということで、外観上筒状に閉じていない構造だが、北側の壁と間仕切壁、床と屋根の各プレートで筒状に閉じたキールを構成して構造的に成立させている。

構造的に高度な解析をしたんだろうな、と思う。でもデザイン的な必然性を感じない。なぜ、30メートルものキャンチレバー構造にしなくてはならなかったのか、分からない・・・。開放した1階部分は裏スペース、有効に使っているわけでもない。そこでドーダの建築、高度な構造解析力を自慢する(だけの)建築ではないかと思った次第。もちろん、すごいことは認めた上で。


追記(20171125)

 先日、信越放送(SBC)の朝のラジオ番組で江口泰広さん(学習院女子大学国際文化交流学部名誉教授)の話を聞いた。マーケティング論が専門の江口さん、話のキーワードは「知覚品質」で、商品の品質は消費者が決めるというものだった。

生産者がどんなに品質がよいと思っていても、それを消費者に認めてもらえなければだめ。そこで必要になるのが品質情報の可視化、情報発信。パイロットの制服も医者の白衣もその高度な職能であることを示すもので、職能情報の可視化。そう、彼らが短パンにTシャツではダメなのだ。

22日はこのような捉え方でこの建築を見た。日建設計の技術力の高さが30メートルものキャンチレバーに可視化されている。そう、建築設計者もデザイン力、技術力の高さをアピールする必要があるのだ。

同時に林昌二さんが健在だったらこの建築をどう評価しただろう、とも思った。


 


国立歴史民俗博物館

2017-11-25 | A あれこれ

 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)は芦原義信氏の設計。佐倉城址公園に建設され、1983年に開館した。


エントランスへのアプローチ


館内案内図 大きな中庭を囲むように展示室が配置されている。


エントランスホールから中庭に続く大階段



ホールに展示されている根来寺多宝塔(国宝 室町時代 和歌山県岩出市)の模型(S=1:10)


なるほど! こんなふうになっているのか




道標を兼ねた庚申塔 複製 原品:千葉県八千代市 1749年(寛延2年)


気仙沼 尾形家 旧網元の民家(1810年) 東日本大震災で倒壊し、津波で流された。修復保存の活動が進められている(現況は調べていない)。


土間と囲炉裏 和風モダンな雰囲気になっている空間


近江西物部集落(滋賀県長浜市高月町)のジオラマ 火の見櫓が立っていれば最高だったけれど・・・。

第4展示室 民俗 興味深い展示内容であった。個人的な利用目的に限り写真撮影が認められている(フラッシュや3脚の使用不可)、何枚か撮ったが掲載は省略する。


 


― 江戸橋広小路の火の見櫓

2017-11-24 | A 火の見櫓っておもしろい

 国立歴史民俗博物館では第3展示室へまっしぐら。ここには江戸橋広小路のジオラマがあって、火の見櫓が立っていることが分かっていたから。



右側に日本橋川が流れている。後方に日本橋が見えている。3角形の広小路(空地)に火の見櫓が立っている。



日本橋側から火の見櫓を望遠する。左後方に江戸橋が架かっている。2階建て止まりの家並みの中にあって、火の見櫓は遠くからでもよく見えるランドマーク、ということが分かる。





幕府大棟梁甲良家が残した図面集「諸絵図」に示されている「火之見番所」、雑誌「東京人」NO.309 2012年5月にこの図面が載っている。

見張り台の方形の屋根の軒の高さが十間一尺(約18.5m)ある。今現在立っている鉄骨造の火の見櫓でもこんなに高いものは少ない。実に存在感がある。




日本橋の先の屋根の上に枠火の見が立っている。上の写真の左上に小さく写っている。





広重の「日本橋 朝之景」に描かれた枠火の見かもしれない。 


 


939 東京都調布市の火の見櫓

2017-11-23 | A 火の見櫓っておもしろい




939 東京都調布市上石原の火の見櫓 4脚88型 撮影日171122 
中央自動車道を走行中の観光バスから撮影したので後方のクレーンとの位置関係が違う。

 昨日、今日(23日)と千葉、東京へ出かけてきた。中央自動車道の通勤時間帯の渋滞は慢性的だ。そのおかげ(?)で、車窓から高速道路沿いに立っている火の見櫓を撮ることができた。 窓の外を見ていなかったが、ヤグラセンサーが反応した。

屋根のくるるん(Kさんの表現)も写っているし、避雷針に付けてある方位を示す飾り(方位標と呼ぶかどうか調べないと)も写っている。
この火の見櫓を調べて、調布市の消防分団の詰所(RC造)の屋上に立っていることが分かった。場所は京王線西調布駅の近く。まだ東京にも火の見櫓が残っている。いつか出かけたい。



「オリエント急行殺人事件」

2017-11-21 | E 週末には映画を観よう

 アガサ・クリスティ原作の映画「オリエント急行殺人事件」のリメイク版が12月8日に公開される。この映画を観る前に、1974年に制作された同作品を観ておこうと、DVDを借りた。で、昨晩(20日)観た。

舞台の大半が雪崩で線路が埋まっていて立ち往生したオリエント急行の車内、豪華な出演者の演技そのものだけを楽しむという舞台劇のような映画だった。このような動きのない、静的な表現は現在制作される映画では皆無、ではないかと思う。

オリエント急行の一等寝台車に乗り込むために次々登場する個性的な乗客たち。イスタンブールの駅を出発して快走するオリエント急行、流れるワルツ。

ミステリーだから敢えてストーリーは書かない(よく知られたストーリーではあるが)。エンディングではカーテンコールに応えるかのように登場人物たちが次々登場して、事件の首謀者と乾杯していく。

やはり場面展開の激しい映画に慣れてしまっているから、なんとなく物足りなく感じてしまった。映画の観賞眼をもった、映画好きには魅力的な作品だろう。

ひとつ気になったのはポアロの早口で怒鳴りたてるような話し方、特に最後の謎解きの場面ではもっと静かに説いて欲しかった・・・。原作は昔読んでいるが、ポアロの語り口について記述があったかどうか、記憶にない。再読するか、いやもうその気力はないなぁ。


 


「城の科学」

2017-11-19 | A 読書日記


『城の科学 個性豊かな天守の「超」技術』萩原さちこ/講談社ブルーバックス

■ この本の著者・萩原さちこさんは**小学生のときに松本城を訪れて天守内部の軍事的な工夫に魅了されたのが、城に目覚めたきっかけでした。**(3頁)と書いている。書店でこの本を手にし、この件を読んで早速買い求めて読んだ。

縄張り、石垣、堀など、城には魅力的な要素がいくつかあるが、なんといってもその中心は圧倒的な存在感で一番目立つ天守。この本は天守に絞って国宝5城(*1)を中心に城の歴史、城の構成、築城技術、城の意匠という観点からその魅力を解説している。

以下に章立てを記す。

はじめに
第1章 城と天守の歴史
第2章 天守のつくり方 木造建築としての特徴
第3章 天守の発展 形式と構造の変化
第4章 天守の美と工夫

以上が一般論

第3章には天守が「望楼型」と「層塔型」というふたつの形式に分けられること、またその構成は独立式、連結式、複合式、連立式に分けられることが紹介されている。やはり取り上げる対象が何であれ、タイポロジーが研究の出発点であることを再認識した。

「望楼型」と「層塔型」の構造上の特徴とその違いの説明には なるほど!だった。


第5章 姫路城の漆喰 よみがえった純白の輝き
第6章 松本城天守の漆の秘密 日本で唯一の漆黒の天守
第7章 丸岡城の最新調査・研究事例 科学的調査で国宝をめざす
第8章 松江城の新知見 明らかになった独自のメカニズム
第9章 松本城・犬山城・彦根城天守の謎 天守に隠された変遷

以上が各論 

第9章で**松本城天守群は2時期にわたる増設で完成していますが、実は大天守そのものも別の時期に増築されて完成した可能性を秘めています。**(246頁)と萩原さんは書き、続けてこのように推論される根拠として、**下層階と上層階で部材の新旧や表面の仕上げ、番付、室内の雰囲気に違いがあります。**とした上で、そのことを具体的に説明しているが、更に**松本城大天守の増築説に明確な証拠はなく、現在のところは推論の域を出ません。(247頁)**としている。

このように注意深く書かれた説明文を読むと、この本が根拠も示さない眉唾本とは明らかに違うことが分かる。巻末に修理工事報告書などの参考文献が載っているが、よく調べたものだと思う。


*1 姫路城 松本城 彦根城 松江城 犬山城