透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「昆虫はすごい」を読む

2019-10-30 | A 読書日記



 朝カフェ読書で『昆虫はすごい』丸山宗利/光文社新書を読み始める。

先日書店でこの新書の帯に書かれた「あなたのやっていることはすでに昆虫がやっている」「あなたは飛べない、でも昆虫は飛べる」というコメントを目にして読んでみたいと思った。第2回全国中学ビブリオバトル決勝大会で優勝したチームのコメントだという。

ぼくもこのコメントで本を買い求めたのだから、なかなか優れているのだろう。このところ休日も何かとすることがあって忙しいが、隙間時間を使ってでも読みたい。

ついでにぼくの本を同じようにして撮ってみた。





1220 安曇野市三郷の火の見櫓(加筆)

2019-10-29 | A 火の見櫓っておもしろい


1220 安曇野市三郷小倉 室町地区公民館 3脚66型 撮影日191027

 安曇野市三郷(旧三郷村)小倉はエリアが広く、まだ見ていない火の見櫓が何基もあるかもしれない。この火の見櫓もその内の1基。

櫓の構成がおもしろい。上半分が丸鋼のブレースをいれた一般的な構面(等辺山形鋼の柱と、同材の横架材から成る構面)2段で、下半分が脚という構成。となると脚が長い、「脚長火の見」ということになるが、脚の下半分は単材で、トラスから成る複合脚は上半分のみ。

梯子桟の数と桟の間隔(35cm)により、見張り台の床面の高さはおよそ7.7m、床面から屋根のてっぺんまで3.3mと見て、総高はおよそ11mメートルと推測した。並び立つ防災行政無線柱は何とも味気ない姿(火の見櫓好きはこのような評価をしてしまう)。



屋根葺き材の鋼板のジョイント部分が開いてしまっている。この状態だと強風で鋼板が吹き飛ばされてしまう恐れもあるから、修理をして欲しい。

屋根下にすき焼き鍋のような双盤を吊り下げてある。見た目は半鐘の方がいいかな。

6角形(本では六角形と表記した)の見張り台の床は平鋼を一方向にすのこ状に構成している。床の構成も見張り台のチェックポイント。

床と直下の横架材との間に斜材を入れることも少なくないが、この火の見櫓は何も入れていない。



梯子桟は丸鋼2本、1本より登り降りしやすいだろう。


梯子に設置してある表示板



部材の接合はボルトと溶接でリベットは使われていない。


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130枚目 洗練されたデザインのカフェにて

2019-10-28 | C 名刺 今日の1枚


130枚目 鈴木利行さん BELL WOOD COFFEE LAB 

 Fさんから紹介されていたカフェを訪ねた。第一印象は「洗練されたデザイン」。

外皮は黒、内部は白。壁面のポスターも時計のデザインも好いし、レイアウトもピシッと決まっている。テーブルの上のメニューリストも端正にデザインされている。訊けばオーナー鈴木さんのデザインだという。

トータルにデザインされていて気持ちの良いカフェだ。週末のサードプレイス、土曜日の仕事帰りにひと時を過ごしたいカフェ。



BELL WOOD COFFEE LAB 
〒399-8205 安曇野市豊科3197-1
MAP
 


2019-10-27 | A 読書日記

 「おかえり、栞の場所で待ってるよ」  今日(27日)から始まった読書週間の標語。

栞が枝折る(しおる)に由来することは昔何かで読んで知っていた。語源由来辞典にも次のような説明がある。栞は動詞「枝折る」の連用形が名詞化された語。「しおる」とは、山道などを歩く際、迷わないように木の枝を折って道しるべとする動作のことで、そこから道しるべを「しおり」と言うようになり、 さらに意味が転じ、書物の間に挟んで目印とするものや、案内書などを「しおり」と言うようになった。

ところで今や文庫でこの栞(栞紐)を付けているのは新潮文庫だけとなった。このことについて新潮社では次のように説明している。**「安価で軽装な文庫本といえども書籍であり、これを蔵書として扱う読者にこたえたい」 という考えが新潮文庫にあるからです。**

何年か前、「文庫は新潮、新書は中公」というタイトルの記事を書いた。(過去ログ

なぜ岩波文庫ではなくて新潮文庫なのか。岩波は本当に読書好きの人がいつも持ち歩いていて、ボロボロになるまで繰り返し読む文庫というイメージがある。それに対して新潮は本そのものが好きで丁寧に扱い、読んだあときちんと書棚に並べて置く文庫というイメージ。私は先に引いた新潮文庫に栞を付けている理由の説明もこのことを補足しているように思う。



私の本(と書くとなんだか恥ずかしいような嬉しいような気持ちになる)も読んでいただいている人に「おかえり、栞の場所で待ってるよ」と優しく語りかけているだろうか・・・。



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爲三郎記念館

2019-10-27 | A あれこれ





 今月25日(金)、名古屋市昭和区にある八勝館の御幸の間で食事、館内の他の部屋を見学した後、千種区にある古川美術館の分館・爲三郎記念館を訪ねた。





伝統的な和の文化が絶えることなく継承されていくことを願う。



館内のショップで『茶』千 宗屋/新潮新書を買い求めた。読むのは来月(11月)になるだろう。





― 10基目の「道路またぎ」

2019-10-27 | A 火の見櫓っておもしろい

 私が知り得た限り道路をまたいで立っている火の見櫓、私はこれを「道路またぎ」と呼んでいるが、全国で9基ある。内訳は長野県に3基、隣の山梨県に3基、福島県、茨城県、栃木県にそれぞれ1基だ(過去ログ)。

 
― ネットで見つけた10基目の「道路またぎ」

10基目の道路またぎは岐阜県安八郡輪之内町に立っている。輪之内町の商工会のホームページに載っていた写真を転載させていただいた。公道ではなく敷地内通路ではないかと思われるが、これも「道路またぎ」としてよいだろう。

輪之内町の商工会のホームページには上掲した写真に**上層は一般的な組み方だが、下層は方形に嵩上げされたようになっている為、車がくぐり抜ける事ができる。**という説明がある。

輪之内町ってどこにある町だ? ネット検索してみた。名神高速道路の大垣ICからそれ程遠くはないところだと分かった。大垣の先の関ケ原まで日帰りで行ってきたことがある。だが遠い・・・。でも行かなくては。


20190825 初掲

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堀口捨巳の数寄屋

2019-10-26 | A あれこれ

 魯山人ゆかりの料亭・八勝館の「御幸の間」は昭和天皇皇后両陛下が愛知国体に出席された時の御宿泊所として昭和25年に建築された。設計は数寄屋建築をいくつも手掛けた堀口捨巳。この作品は翌昭和26年に日本建築学会賞を受賞している。またDOCOMOMO Japanにも選定されている。

昨日(25日)、この「御幸の間」で食事をし、館内の他の部屋を見学するという貴重な機会を得た。


「八勝館」玄関前庭



「八勝館」玄関




「御幸の間」設計:堀口捨巳 昭和25年建築  

静かで落ち着いた静謐な空間 床の間に掛けてある富士山の絵に目がいった。女将の説明で北大路魯山人作だと知る。長さ4間(約7.3m)の杉面皮の床框はすごい。

この部屋で食事をいただいた。

 


松茸だ! 今年は不作だと聞く。貧しい暮らしのおじさんは驚き、心の中で叫ぶ。






御幸の間から庭に迫り出した観月台を見る。


吊り束と天井の棹の取り合い


御幸の間外観 左側に観月台



「残月の間」設計:堀口捨巳 昭和25年建築  表千家の「残月亭」の写し

確か村野藤吾にも残月亭の写しがある。



「桜の間」設計:堀口捨巳・早川正夫 昭和33年建築の現代数寄屋


床の間


次の間


吊り束と天井板 へ~ こんなのもありなのか・・・。


次の間に掛けられた堀口捨巳の書 




「菊の間」 改築設計:堀口捨巳 昭和33年改築


「菊の間」次の間



露路


「田舎家」外観


「田舎家」内観 

滋賀県甲賀郡から移築したという築約400年の民家

蓄年の重みを感じる空間

数寄屋建築、床の間の書画、生け花、器、懐石・・・ 美的感性が創りだす「和」。





贅沢な時を過ごさせていただいたことに感謝。


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FM長野で火の見櫓を熱く語る

2019-10-23 | H 「あ、火の見櫓!」



 今日(23日)FM長野の平日夕方の帯番組『ラジモ!』の「ジモトーク」というコーナーの収録に臨んだ。

ダイナマイト・マンダムさんと小林 新さんに火の見櫓について、自費出版した「あ、火の見櫓!」について語った。おふたりとも既に本を読んでいただいていたので話しやすかった。

前回(2016年11月 過去ログ)と同様、編集の妙に期待したい。

放送予定は11月6日(水)夕方5時から。


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家とは何か?

2019-10-22 | A あれこれ



 『建築ジャーナル』という一般の人にはなじみがないであろう雑誌の10月号に「新しい家観」という特集が組まれている。

以下に特集記事のリード文を引く。**今、若い世代の家に対する意識が変わりつつある。タワマン好きな団塊ジュニアに比べてもっと若い世代は所有や財産という価値観に対して冷淡で柔軟だ。一見建築家の設計する家とは相反し、無関係のようにも見える、アドレスホッパーやシェア、職住一致の小商いなどの新しい「家観」は、都市開発が見失っているものへの警鐘とも取れるのではないか。(後略)**

この記事で「アドレスホッパー」なる言葉をはじめて目にした。あえて家を持たず、宿を転々とする暮らし と言った意味のようだ。私のような古い人間はここで橋幸夫のデビュー曲・潮来笠が浮かぶ。 ♪ 薄情そうな渡り鳥 風が吹くまま西東・・・。寅さんがアドレスホッパーな生活者ということになるだろうか。でも寅さんには帰ることができる家が柴又にある。

特集の対談でアドレスホッパーな生活をしている方が語っている。**平日は渋谷付近にいて休日は離れたところの宿を借りてという感じで、1カ月の家賃を分散させて自分に最適な形をオンデマンドで組み立てる生活スタイルをやってみたんです。**

いや~、私には考えられないライフスタイルだ。これだと根無し草の寂しさを味わうことになるのでは。根無し草の寂しさ、これは突き詰めれば人とのリアルなつながりを欲するかどうか、という問題なのかもしれない。このことについてはFacebookなどの世界で人とつながっていればいいという考え方というか、捉え方もあるのかもしれない。このようなつながりで可とするなら、アドレスホッパーな生活もあり得るのかな。でも家族は?行政などのとつながりは?


十和田市現代美術館


「家」とは一体何だろう・・・。

十和田市現代美術館が好例だが、「家」の機能をひとつにまとめないで分散配置してもよい。更にこの考え方を進めると、街中に寝室、台所・食堂、リビング、書斎などを分散配置するという考え方も出来るし、実践も可能だ。しかもこれらは自分の持ち物でなくてもよい。書斎は街中の図書館やカフェ、台所・食堂は街中の定食屋、というように。また寝室は何もひとつでなくてもよいわけだから、ある期間はA町のシェアハウス、時にはB市のカプセルホテル といった「家」も成立する。学生時代はこれに近い生活ぶりだったことを思い出す。

必要な時に必要な部屋をアセンブル(空間的に一カ所にまとめるということではないが)しながら暮らすなどというライフスタイルもあり得るのかもしれない。このように考えるとアドレスホッパーな生活が少し自分に近づいてくるような気がしないでもない。


 過去ログ


縄文土器の螺旋紋様

2019-10-20 | A あれこれ


朝日村熊久保遺跡・焼町式土器(深鉢)

 東筑摩郡朝日村の朝日美術館で11月24日までの会期で開催されている「朝日村の縄文土器」展を見てきた。この展示会のポスターで見た縄文土器の渦巻の紋様を直接見たいと思ったので。

以下、この展示会のチラシからの引用。**朝日村では縄文時代中期を中心とした遺物が多数出土しています。中でも鎖川左岸に位置する熊久保遺跡と鎖川右岸に位置する山鳥場遺跡は、集落跡や遺物の特徴から長く続いたムラがあったことが分かっています。本展では、昭和37年に始まり平成12年まで10次にわたる発掘調査がされた熊久保遺跡と、平成28年から29年にかけて調査された山鳥場遺跡から出土した遺物を一同に展示します。(後略)**

ゆったりと展示された美術館内の会場、展示されている多くの縄文土器にくるり、渦巻がデザインされている。








熊久保遺跡・唐草文土器(埋甕)

螺旋紋様は火の見櫓の屋根の先の蕨手に通じるデザインで、元々は全く同じものなのかもしれない。渦巻状の形は生命の連続性をイメージさせ、縁起が良いと解されていたのであろう。岡本太郎ではないが、縄文人の造形力に魅せられた。

縄文土器の螺旋の造形が連綿と受け継がれ、火の見櫓の蕨手にもなったのかもしれない。


塩尻市宗賀にて

過去ログ


 


― 半鐘の音で避難の決断も

2019-10-20 | A 火の見櫓っておもしろい


テレビ画面(NHK)を撮影した画像 Sさん提供 

謹んで台風災害のお見舞いを申し上げます。


 台風19号の豪雨による千曲川の堤防決壊、氾濫。防災行政無線柱のスピーカーから流れる避難を呼びかける音声が雨音で聞き取れない・・・。地元消防団の分団長の判断で火の見櫓の半鐘を叩いて住民に避難を促した。半鐘の音を聞いて避難した住民が命を救われた。

防災訓練の際にもスピーカーから音声が流れる。職場で窓を開けて音声を聞くこともあるがよく聞き取れない。緊急時には余分な情報の伝達は不要ではないか、危険が迫っているから直ちに非難して、というただそれだけ住民に伝われば良い。こんな時には半鐘の音が有効、ということが今回の水害時に改めて示された。火の見櫓の半鐘の有効性、有用性は東日本大震災後にも確認されている。

火の見櫓は江戸時代から連綿と続いてきたシンプルな情報伝達システム。その見直しがなされることを願う。


 


あ、やった!

2019-10-19 | H 「あ、火の見櫓!」




2019年10月18日(金)

 昨日(18日)の市民タイムスに地域のベストセラーが掲載された。なんと7位に『あ、火の見櫓! 火の見櫓観察記』が入っていた。うれしい。

わざわざ平安堂あづみ野店まで出かけていって、本を購入していただいた皆さん、フェイスブックなどで本を紹介していただいた皆さん、ありがとうございます。

まあ、最初で最後、たった一度だけの出来事だと思いますが、今夜は皆さんに感謝しつつ、ちょっとだけアルコール摂取をしたいと思います。


 


半鐘連打

2019-10-19 | D 新聞を読んで

 台風19号により被災された皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。





 昨晩(18日)7時50分ころバロ友のFさんから「火の見櫓が救った命」という題のメールが来た。NHKの「知るしん」というローカル番組で、先日の千曲川氾濫で被害の大きかった長沼地区で避難を躊躇っていた人々の背中を押し、命を救ったのは消防団が火の見櫓で連打した半鐘の音だったという内容の放送をしましたが、見ましたか。

私は番組を見ていなかったので次のように返信した。**そうですか、残念ながら見ていませんでした。間延びした防災無線放送では緊迫感が伝わりませんよね。その点、半鐘の連打は違いますからね。**

その後、ケータイで長文を打つのがもどかしく、私は電話をした。「新聞記事にならないですかね」「テレビの後追いになりますから、どうでしょうね」などと話した。

今日(2019年10月19日)の信濃毎日新聞朝刊の第一社会面に大きく取り上げられていた。

新聞記事に「半鐘」という大きな文字を見るのは初めて、火の見櫓の全形写真を見るのもおそらく初めてだ。

**雨音の中、長野市長沼地区の火の見やぐらの半鐘が一斉に鳴り響いた。千曲川決壊が迫っていた状況下、打ち鳴らしたのは地元の消防団員たちだった。(後略)** 以上記事のリード文からの引用。

長野市消防団長沼分団の分団長は**住民に避難を呼び掛けたスピーカー放送の内容が、あの雨音でうまく聞き取れなかったのではないか。(後略)**と考え、消防団の役員や班長に**「とにかく5分間、目いっぱい連打して、すぐ逃げてくれ」** と伝えたという。

5分間の半鐘連打、これは地元住民に確実に伝わり、避難喚起になっただろう。

写真は新聞記事に載っている火の見櫓 団員が半鐘を叩いた火の見櫓のうちの一基。


長野市長沼 4脚8〇型 撮影日190512



被害が大きかったこの辺りを今年の5月に巡っている。このすぐ近くで千曲川の堤防が決壊してしまった。

収穫したばかりのお米を廃棄しているというニュースに涙、水害にあったリンゴの購入申し込みが全国から届いているというニュースにも涙。この記事を書いていてまた涙。


 拙ブログでは以前から引用部分を**で示しています。