『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

ベンチャーズナンバー

2006年10月07日 | Weblog
今日は、午後から三鷹市のイベントで長女が吹奏楽を演奏するので出かけた。
ところが、演奏の方は全然駄目。音が小さい、切れが無い・・・・
明らかに練習不足。昨日までテストで仕方ないが、
音楽は甘くないということ。
娘も、出来が良くなかったのを自覚していたのが唯一の救い。

でも、今日はその後に子供の頃に好きだった歌手「渚ゆう子」が
ゲストで出演するのでそれを見て帰ってきた。
彼女も既に60歳。でもさすがにかつての雰囲気を失っていない。
最初は「京都の恋」、そしてベンチャーズの曲に歌詞をつけた「京都慕情」「長崎慕情」、に同じくベンチャーズの曲で奥村ちよの「北国の青い空」や
山内賢&和泉雅子の「二人の銀座」、欧陽菲菲の「雨の御堂筋」を
変わらぬ歌声で聞かせてくれた。
そして、元々ハワイアン出身の彼女がフラダンスを踊りながら、
「カイマナヒラ」ほか2曲、そして最後は自身のヒット曲で
日本放送大賞最優秀歌唱賞を受賞した「さいはて慕情」で幕を閉じた。
9曲で約40分。歌謡ショウを楽しませてもらった。

歌謡ショウを見ながら、僕が若い頃にやっていた
舞台照明の事を思い出した。
幕開けのときに緞帳に8の字を描きながらピンスポットを
緞帳に当てて、幕開けを迎えることから始まり
歌いはじめにピンスポットを歌手の頭の上から
落とすように当てる技や上半身だけに小さく明かりを当てる
抜きといわれる照明テクニック。
それを嫁さんに説明しながら、自分が照明をやっている気持ちになった。
嫁さんもかつて僕が美空ひばりの照明をやっていたと言うことが嘘じゃないって納得したように、解説どおりの照明に「おぉ・・・」と声を出す。

その頃は今と違って大きな舞台ではピンスポットに
まだアークを使用していた。
今はクセノンランプで明るく、ピンスポットをやるのには
絞りとシャッターだけ。
アークと言うのは、まさに溶接と同じ。
炭素の棒を燃やして目がくらむほどの光を出すために
まず、炭素棒を綺麗な丸い光が出きるように炊かなければならない。
その光の形を維持するために右手の指は炭素棒が燃えて
短くなる分だけレバーを少しずつ回して炭素棒を
常に前へ送り出して間隔を一定にすると同時に
光の形が変わらないように集光用のミラーの角度も調整する。
その光の具合を反射板で見るのが右目。
左目は舞台上、左手は今のと同じシャッターと絞りを操作する。
これをできる職人的な人間が少なかった。
それだから、当時このアークピンスポットは「大砲」と呼ばれ、これをを炊ける人間は重宝された。
僕はそんな事もあって、この「大砲」があった
神奈川の大和市民会館に暇さえあれば行っては、
タダ働きしながら練習させてもらったものだ。

その甲斐があって、僕は数少ない人間になれた。

でも、プロの歌手って凄いね。
たった一人で40分もお客に唄を聞かせちゃうんだから。
バンドや弾き語りは、演奏と言う部分も見せ場になるのだけれど、
歌謡曲の歌手は、自分の歌だけでお客さんを満足させなくちゃいけない。
そういう意味では、美空ひばりはやっぱり凄かった。
スタッフを大事にして、仕事には凄くきびしくてミスは許されない。
僕がやっていたのは21歳の頃だったけど、実力があれば年齢に関係なく
ギャラは破格だった。

そんな事を思い出しながら、今日は何だか得した気分。
遅くなったのと、子供と楽しく過ごしたかったので、夕食は外食。
子供の大好きな焼肉をたっぷり食べてきました。
そんな、えへへ・・・な一日でした。
コメント
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