MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

大磯左義長

2019年01月14日 | まち歩き
正月も過ぎて小正月に各地で開催される伝統の火祭り「左義長」が大磯海岸で行われました。

「大磯の左義長」は、道祖神(セエノカミサン)の火祭りで数百年の歴史を有し国指定の重要無形民俗文化財に指定されていて家内安全・無病息災を願ってきました。

今年も北浜海岸には、9地区の道祖神と高さ7~8mの火櫓(サイト)が設置され、ダルマや松、竹、しめ縄、正月飾りなど縁起物が飾られて夜の海岸を鮮やかに彩っていました。






火櫓(サイト)の先端には、大穂竹(おんべ竹)が突出て穂先には御札や書初め、極彩色の飾りが飾られ天にお帰りの準備され、櫓の周りは長い竹の竿に団子を取りつけてサイトに火が付くのを待つ大勢の人で囲まれていました。


櫓の前には、村の守り神の庚申塚や道祖神が祀られ、お神酒と十日豆腐が飾られていますが、八百比丘尼の人魚の肉を食べて八百歳まで生きた尼さんの伝説によって、豆腐をその人魚の肉に例えて長生きするようにお豆腐を食べる習慣に従い、お豆腐が配られていました。






6時30分に恵方の方向からサイトに点火されると、火柱が高く舞い上がり書初めや縁起物が大磯の空を赤く染めて約20分で燃え尽きていました。








サイトの炎がオンベ竹に届き始めると、櫓を支えて四方に張られていた綱が外されて恵方の方向に倒されて団子焼きが始まりました。




サイトの火が燃え盛ると、ふんどし姿の若い衆が火の周りに集まり「ヤンナゴッコ」と呼ばれる綱引きが行われ、そり型の台に乗せられた悪堂と疫病神が押し込められた「仮宮」を海に引き入れて引き合いを行ってその後に、「仮宮」を踏みつぶして壊し 疫病神を退治していました。








9基のサイトが燃え尽きるまで約30分の短い火祭りでしたが、大磯の空に火花が咲く壮大な寒さを感じない火祭でした。




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