『方丈記』の2項目「予、ものの心を知れりしより」にある平安末期、
安元3年(1177)に都でおきた大火についてお伝えします。
この文章の初め、リードの部分の原文を紹介します。
「去ぬる安元三年四月二十八日かとよ。風激しく吹きて、静かならざりし夜、
戌の時ばかりに、都の東南より、火出で来て、西北に至る。
果てには朱雀門、大極殿、大学寮、民部省まで移りて、一夜のうちに、塵灰となりき。
火元は、樋口富小路とかや。舞人を宿せる仮屋より、出で来たりけるとなん。」
このリード部分だけで、安元の大火の概要がわかります。
私は若い頃、民放局のラジオニュース課にいて、新聞社や共同通信から
送られてくるニュース原稿を放送用にリライトしていた経験があります。
昭和30年代の頃ですが、当時を思い出してリライトしてみます。
「安元3年4月28日の夜8時頃、都の東南、富小路あたりから出火しました。
折りからの強い風に煽られて、火はみるみるうちに都の西北へと燃え広がりました。
火の手は皇居近くの官庁街まで燃え移り、この辺り一帯は一夜にして焼け野原となりました。」
この後、火災の状況を述べて最後に
「火もとは、富小路近くの芸人を寝泊まりさせる仮小屋からとみられています。」
以上ですが、デスクから「リード部分はもっと短く」と言われるでしょう。
もちろん、私のリライトした味気ない文章と違って『方丈記』の記述は
客観的とはいえ、文学的表現が随所に見られます。
このリード部分の後に続く火災の様子を描写した場面、
例えば「火の光に映じてあまねく紅なる中」。
夜中、一面に燃え広がる様を「あまねく紅」とは見事。
また、強風に「吹き切られたる焔、飛ぶが如くして一、ニ町(1町は約110m)を超えつつ移りゆく」という表現。
火事場をまるで動画を観ているかのようにリアルに目に浮かんできます。
司馬遼太郎の「翔ぶが如く」はひょっとしてここからかも。
同じ災害でも、安元の大火は記者の目で、
次回お伝えする元暦の大地震については随筆家の目で記述しています。
竹中敬一