575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

○のひげ五月を送る風のなか  遅足

2006年05月31日 | Weblog
東山植物園に薔薇を見に行きました。
写真は○のひげ、という花です。
なにのひげに似ています?
○は漢字一字です。


さて、昨日に続いて鷹羽狩行さんの句。
今回は「吾子」句です。

 注連縄の逞しき縒(より)男の子産め

 まだ馴れぬこの世の寒さ乳を欲る

 天瓜粉しんじつ吾子は無一物

 子が寝て後(のち)少しすっぱき夜の枇杷

 吾子を抱く外套のまま手套のまま

   手套(しゅとう)=手袋

鷹羽さんは健康的ですね。それで詩になっている。
そこが良い。



 
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妻と寝て銀漢の尾に父母います  鷹羽狩行

2006年05月30日 | Weblog
鷹羽狩行さんには妻を詠んだ句がありました。

 雨滴怺へし紅葉谷蜜月旅行(ハネムーン)

 スケートの濡れ刃携へ人妻よ

 新緑のアパート妻を玻璃囲ひ

 新妻の靴ずれ花野来しのちに

 夫とゐて冬薔薇に唇つけし罪

スケートの句も本人の妻を詠んだ句とのこと。
でも人妻と言われると・・・

こんな句が作れたら・・・  遅足

写真はなんでしょう?
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この植物の名前を決めてください。 雅子

2006年05月29日 | Weblog
 この植物は五月の初めに、高山に抜けるせせらぎ街道で撮った植物の写真です。

 植物の名前を当てて欲しいのですが、わかる方はおみえでしょうか。

 「ヤナギじゃない?」・・・その通りヤナギですが・・もう少し詳しく。

 「ネコヤナギではないわね。」・・その通り。 銀座のヤナギでもありません。

 手がかりが無い? ・・ではヒントを。これは「ヤマネコヤナギ」と書きます。

 では、何と呼ばれる植物でしょうか???

 アナウンサーの方もおみえですね。 どう読みますか???

                         
 
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竹林の闇急ぎたる姫蛍          愚足

2006年05月29日 | Weblog
5月25日に蛍を見に行きました。

 場所は、天白区の相生緑地で地下鉄野並駅の北東にある緑地です。
 市内では数少ないヒメボタルの生息地で、毎年この時期に多くの市民が見物に出かけます。
 この日は、天候の不順なせいかいつもなら最盛期にあたるのですが、まだ出始めたばかりで、数えるほどしか見られませんでした。
 十時ごろ集合して、懐中電灯片手にそろそろと緑地の中へ。竹林の間を登り、見かけたという梅林の小道にさしかかると、先行の皆さんが地べたに座り込んで観察中。
 入れてもらって目を凝らすと、あちらに二三頭、そちらに四五頭と確かに点滅していました。よく光るのは雄でホバーリングしながら草むらの上をゆっくり飛んでいました。木の葉の隙間の飛べない雌に懸命の信号を送っているのだそうです。
 例年なら草むらに電飾のように群がるとのこと、話を聞きちょつと悔しい思いもしました。
 観察には、雨の降った次の日の夜中の一時以降がいいとのことでした。

 一度お出かけになってはいかがでしょう。

     焦がれてもそしらぬふりの姫蛍      愚 

              
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河骨や天女に器官ある如し  永田耕衣

2006年05月28日 | Weblog
河骨はスイレン科の水生植物。
茎を長くのばし、水上に黄色い花を咲かせる。
これは長野県安曇野の満願寺に咲いていたものです。

永田耕衣は難解句が多いです。
本人も早い時期には、難解と言われ悩んだそうです。
しかし石田波郷から、
「只ひとり理解者があればよいではないか」と言われて
悩みは吹っ飛んだそうです。
(この時、波郷さんが違う返事をしていたら
今日、私が悩むことはなかったかも。)

さて、この句は、
河骨や、と切れていますから、
河骨をじっと見ているか、想っている。
すると、それは、本来、肉体を持たない天女が
器官を持っているように感じられる。
という意味でしょうか。
私、河骨を見ても、そんなイメージは全然。

先生にお尋ねしたら、河骨という表記にそういう
イメージを喚起するものがあるかもとのこと。
たしかに河の骨って、河に骨なんかないのに、
奇妙なイメージですね。
河に骨があったとしたら、天女に器官があっても・・・
おかしくないか?
実際の花、そして漢字の表記からの連想かも。

この句をじっと見ていたら、ダビンチ・コードを思い出しました。
神聖なるイエスが肉体の交わりをして子供がいた。
この聖と俗。天上的なものと肉体的なもの。
そういう世界観が背景にあって、この句は生れたんじゃないでしょうか?

先生曰く、河骨と見ると、この句を思い出しますよ。
確かにインパクトのある句です。
どうして、こんな句に引っかかりを感ずるんだろう?

               (遅足)






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季語のハウツウ

2006年05月27日 | Weblog
昨日、八事福祉会館の俳句教室に行ってきました。
先生の添削が興味深かったので紹介します。
先生は俳人協会の方で、季語は必要とされています。

  土埃上げてバス行く田舎道

この句について季語がないと指摘されました。
そして田舎道はなくても分かるので、
下五に季語を入れるようにと。

花の季語を入れると良いと言われました。

    

みなさんならどんな季語を入れます?

    

           (文責・遅足)




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俳句の素材になるでしょうか?       鳥野

2006年05月26日 | Weblog
 長野県丸子町の郊外、別所温泉の近くの修那羅峠に、石仏の並ぶ異郷のような一画があります。すでにご存知かも。
 幕末の頃、修那羅大天武という修験者が開いた安宮神社の裏手、深い木立ちの下道に沿って点在する数多くの像。なかば朽ちたもの、土くれと見まがうもの、とにかく異様です。
 大天武に感謝した村人たちの奉納で、かっては1200余りあったものが、盗まれたりとて今は800余体。安産、左うちわ、縁結び・・・いずれも生活に密着し、人あり、動物あり、建物あり、稚拙で、土俗的で、それなりの表情がまたいい。

 歌人の斉藤史は、歌集「ひたくれない」のなかに、修那羅峠の項を設け39首を収めています。

 冬ちかき光を溜めている草生石は古りつつなほ土ならず
 蚕神 ねずみをやらう猫神とまつられたまひ直立つ猫の殿
 秋不作くるしすべなし逃れたし南無通用金神と刻みたりけり
 咳霊神 痰護明神 癪明神 ねがえる数の苦を人はもつ
 何聞きて耳とがりたるけもの神言葉吐かねば口裂けにつつ
 山かげに転び寝馴れし素朴神おちば褥を恋ひたまふらむ

   愚作も
 修那羅路の千の像(かたち)に千の願 願を持たざるわれも真向かう
 不動尊の憤怒の相を鎮めんと猫の石神四肢揃えおり   
                          
                        
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あれから20年  麗

2006年05月25日 | Weblog
1987年に260万部の売り上げだった俵万智さんの
「サラダ記念日」。久しぶりに読み返したら驚くべき発見あり。

「また電話しろよ」「待ってろよ」いつもいつも命令形で愛を言う君

という短歌がありました。あれから20年。
今の若者男性は「また電話するね」「待っててね」
という口調に変わってきています。
これは優しくなったというのでしょうか?

俵さんも今はシングルマザーの道を選び短歌も子育ての歌に変わっています。

「どこまでも歩けそうなる皮の靴いるけどいないパパから届く」
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人人人

2006年05月24日 | Weblog
人を頭にした言葉遊びをしませんか?

人などは
人と思わぬ
人のなか
 
 人○○○
 人○○○○○
 人○○○

のパターンです。笑点ですね。
長良さんの得意技でしたね。

   

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蓼科の春

2006年05月23日 | Weblog


20、21日と蓼科に遊びました。

 トンネルを抜けても木曽の緑かな  亜子

亜子さんの句の通り、名古屋の緑とは違う、
もうひとつの緑でした。

ビーナスラインの竜源橋から天祥寺原まで、
普通の人の足で1時間20分。
なんと倍近くかかりました。
そこから蓼科山頂まで、また普通の足で1時間20分。
山頂近くは雪。天祥寺原で諦めました。
途中、ウグイスやオオルリの鳴き声を楽しみ、
ホシガラスの姿を観察しました。

 囀りを抜けまた囀りの中を行く

 囀りを抜けて天上世界まで

名古屋に帰ったら、蚊が待っていました。

                遅足


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子規先生、晶子先生ごめんなさい。        愚足

2006年05月22日 | Weblog
 師匠に習い「パクリ」修行中。
 師匠はワンフレーズのパクリですが、実力のない当方はツーフレーズ、すりーフレーズの完全パクリ句です。

 今回は子規先生の短歌と与謝野晶子先生の短歌を失敬しました。

  くれなゐのバラやはらかに春の雨
  我が病 いへもせぬうち牡丹散る
  柿染みて僧声あらげ鴉追う

  逢ふ人のみな美しき桜月
  うすものや蛍ながるる夜風かな
  ひと箱にひなををさめて桃の花

 できたできた。 依存症になりそう。 
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バラ散るや己がくづれし音の中  中村汀女

2006年05月21日 | Weblog
作者が自分の作品を解説した本がありました。
中村汀女は、この句について次のように述べています。

私はこの、自分の心がそこにくずれたような音を
いまも思い起こすことがある。
しんとした部屋に、この音は明らかに大きかった。
そして、大輪のクリーム色の花びらは、まさに、
己がくずれた音のなか、その音に包まれ、おさまるままに
ぱらっと一枚も残さずほどけ散ったのであった。

 (自選自解 中村汀女句集より)

                    

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再び・桃のなか別の昔が夕焼けて  

2006年05月20日 | Weblog
中京大学の俳句講座で、この句について先生にお聞きしました。
読み方は、そんなに外れていないとのことでした。
こうした句を読んだり、作ったりする時のポイントとして
次のようなお話しがありました。


ファンタジーの世界を描く場合、読み手が現実の世界と
つながっていると感じさせることが大切。
とくに俳句の場合には。
作者の中村苑子は、読む人に、別の世界が夕焼けて、
というファンタジーを共有してもらうために
桃を持ってきている。ファンタジーへの入口として。

   

桃の中になら、別の昔が夕焼けていることもありそうと感じたら、
この句は難解な句ではなくなるのではないでしょうか。

   



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77は蛇足でしょうか

2006年05月19日 | Weblog
俳句とは全く無縁、無関心だった私めが、暖かく仲間に迎えていただき、3ヶ月がたちました。
いまだに作り方は手探り、味わい方も良し悪しも分からず、無我夢中です。

ひと足先に始めた短歌は、575のあとに77がつきますが、最近はこれが重荷。駄目押し、説明、言い訳などと思えてなりません。

かというものの、短歌に未練もあって、捨て去ることも出来ず、中途半端なまま。ときには、俳句として作ったものに、蛇足を加えてカッコつけたりしています。

  3月の兼題「土」

 土器(かわらけ)の水零しおり春の月

 土器色の月中天に傾きて朧朧に水零しおり

                      鳥野

   * はじめて投稿します。うまく届きますように。

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しんみり。。でも   麗

2006年05月18日 | Weblog
長良さんを悼む句を寄せ合った今月の句会。

前回の句会の時はあんなにお元気だったのにと思うと
今さらながら残念さ、悲しみがこみ上げました。
と同時に皆さんが長良さんを思う気持ちがあふれて、
句を詠み上げる時、泣きそうになりつらかった。。。
でも長良さんのいつもの指定席を空席にすることなく
遅足さんが座ってくださったことは
ありがたかったです。

そんな中
「駅までの俳句談義や春暮るる」という追悼句を作られた立雄さん。
一緒に帰る駅まででは中途半端で
いつももっとじっくりお話したかったという気持ちを聞いて
この句会のメンバーの優しさや暖かみを実感したひとときでした。
あまりのショックに俳句が作れなくなったと言われた静荷さんも
今日を区切りにしてまた進んで行けそうとも。
つらいけど長良さんの明るさを引き継いで
これからも和やかな楽しい会にしていきましょうね。
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