575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

イイギリ          草女

2010年12月31日 | Weblog
 この時期のイイギリを見た人はその木を一生忘れないことだろう。木全体の枝に真っ赤な葡萄の房のような実がぶら下がっている様子は実に壮観である。葉が残っていても美しいが今は葉が落ち実だけが日に映えている。40年位前、森林公園の芝生広場の北側にそういう状態の木を見つけ、イイギリという名前にたどりついてから、憧れの木になった。その後森林公園に行く機会がないまま過ぎて、最近探してもないのだ。イイギリの寿命は4,50年と短いそうだから、枯れてしまったらしい。イイギリ科イイギリ属の落葉高木で東アジア特産。我が国では西日本中心に分布している。実を付けているイイギリは簡単に見分けられるが、そうでない時期のイイギリを発見するのは難しい。長い間、この木の花を見たいという願いを持っていた。しかし叶えられないと諦めていた。

 この12月、珍しく連れ合いが鶴舞公園で散歩したいと言い、車を公会堂の方の駐車
場に止めようと名大病院の前の道を走っていて思わず叫んだ。「イイギリ!」駐車場の東側、つまりテニス場の西側に7本のイイギリが植えられていた。うち4本が実を付けこれらが雌木で他は雄木らしい。4月~5月が花期、もうめちゃくちゃ楽しみ。

 鶴舞公園へは、1週間に1度以上行っているが、殆ど通り道として利用している。その通り道から50mぐらい離れてイイギリが実を付けているのに見えていなかった。

 今年の夏が終わろうとしていた頃、連れ合いの具合が急変した。前から変だとは感じ
ていたし、医師の診察も受けていたが病気は突然攻めてきた。命が危ぶまれた。
 そのことがあって、お互いの大切さに気付くことが出来た. 普段通らない道でイイギリを思いがけず見えたように、人生には思いがけず気づくことが有る。
 イイギリの発見は嬉しかったが、連れ合いの緊急外来での一晩はお断りだ!!
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初暦をわりの絵まで捲って見  上原富子

2010年12月31日 | Weblog
初暦。新暦とも。
新しいカレンダー。頂くと、ついつい句のように捲って見る。

世間とのかかわりが少なくなっていくに連れて
カレンダーの数も減っていく。
前は、かけておく場所を探すのに苦労したが、
今では、そんな気遣いはいらない。

  子に来るも我にもう来ず初暦 加藤楸邨

最近では、そのカレンダーもが小さくなっている。
不景気は新暦にも。

古暦は、新年をひかえ、まだ使われているもののこと。
わが家にも、一日を残した古暦がまだ壁に。
一年、ご苦労様。

  カレンダーはずして壁を広くする  遅足

みなさま、お世話になりました。よいお年を。

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金星と月の位置よし大晦日    朱露

2010年12月31日 | Weblog

      午前六時半東南上空ほぼ真横に並ぶ。
      手のひらで二つ隠れる程の接近ぶり。
      多米山系上空は黄金色に浮き上がる。
      鳥も鳴かず風もない大晦日の日の出。

             のち


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あと1日   麗

2010年12月30日 | Weblog
今年も残すところあと1日となりました。
いつもの24時間なのに年末になると急に時計の進みが速くなる。不思議な感じ。
あれもしなかった。これもできなかったと心に残ることがある反面
来年はあれをしよう、あそこにも行きたいとちょっと楽しみでもあるこの季節。
ここ数年、あまり声高に今年の目標というのはやめて
できそうなことを続けるというハードルの低い目標にはなってきているのですが
日常のささやかな喜びに感謝できる1年にしたいものです。
俳句に関してはできるだけ自分の周りにおきたこと、聞いた話を575にまとめる工夫をしたいものです。
来年もどうぞよろしくお願いします。皆様佳いお年をお迎え下さい。

    晦や時計の進み速くなり   麗
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セーターの箱をかかえてイブの道   麗子

2010年12月30日 | Weblog
クリスマス・イブ。恋人たちにとって大切な日。
手編みのセーターを、キレイなリボンの箱に。
道をいそぐ女性の姿が浮かんできます。
冬だからこその景、ロマンチックですね。
雪でも降ってくれば・・・

私にとって、イブは、クリスマス・プレゼントを待ちながら
フトンに入ってサンタを待つ夜でした。

仏教のこの国に、キリスト教の行事を普及させてきたのは
一儲けしようという商売人。
20世紀の初めには、明治屋が銀座の進出、
クリスマス商戦に打って出ているそうです。

戦前には早くのイブを楽しむ若者の姿もあったとか。

そして80年代・・・
山下達郎さんの「クリスマス・イブ」が巷に流れ、
イブは恋人たちのものになりました。

そいうえば、奥さんから毛糸の手袋を・・・  遅足

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熱燗やベルリンフィルの日本人    朱露

2010年12月30日 | Weblog

          十二月三十日早朝熱燗を飲み B S 2 を見る。
          ラフマニノフピアノ協奏曲第二番ハ短調他。
          数人の日本人男女を確認して思わず泣いた。
          「日独伊三国同盟」を思い出すアナクロ男。

                     





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セーターで行けない所行かぬ主義   朱露

2010年12月29日 | Weblog
サラリーマン時代、背広とネクタイは必須でした。
この背広の対極にあるのがセーター。

現役時代、テレビ番組の打ち合わせで、市長さんと面会。
当然背広にネクタイ。
しかし背広同士が打ちあわせをすると、
なぜか面白い話が出てこない。

ネクタイのキライだった私、ある時から、
カジュアルな服装で出かけることにした。
ノー・ネクタイのほうが、私的な話が聞きやすい。
こうして聞き出した話のほんの一部は、
番組を親しみやすくする効果があったかも。

          

子ども時代、映画を観にゆくのは、ハレの出来事だった。
エノケンの映画も、一張羅を着こんで、出かけた。

一方、新しく登場したテレビは茶の間にあり、普段着の世界。
高嶺の花だったスターを、身近な存在にしたのもテレビだった。

戦後、時代はセーター化してきたのかも知れない。

作者もテレビの先輩、堅苦しいことは嫌い。セーター主義。
時代の先端を歩いてきたのかな?

                       遅足
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寒椿夜通し咲いて日の出かな    朱露

2010年12月29日 | Weblog

        二階から眼の下に寒椿二本と金柑一本。
        濃い緑の中深紅の花々と鈴なりの金柑。
        師走二十九日七時半多米山脈から光線。
        N H K は為替と株の値動きなど放送中。

                   

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七福神のご利益は   鳥野

2010年12月28日 | Weblog
新しい年は目の前です。
年は改まっても、情勢の変わり映えは期待薄。ということで、”神頼み”とまいりましょう。

わが住まいに至近の弁天通りは、かつて名古屋有数の繁華な商店街。狭い道の両側に店が軒を並べ、買い物客で賑わつていました。

その道の真ん中に幅3メートルの分離帯があり、白い牛に乗った弁天さまが、鎮座されていました。

やがて道路は自動車交通のために整備され、人の流れも変わりました。

折角の通り名を継承したいものと、置き並べられたのが七福神の石像。

ユニークな造形作家として有名な、にわぜんきゅうさんの手のなる像はどれも、暖かな癒しの表情です。

近場での開運祈願に一巡りしてみては如何でしょうか。

俳句の季語としては「七福神詣」、もしくは「福神詣」。

 ・ 願ぎごともなくて福神詣かな 虚子



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男物セーターベンチにそぼ濡れて   静荷

2010年12月27日 | Weblog
濡れているのは脱ぎ捨てられたセーター?
あるいは、セーターを着た男?

自由題の句。

 スーツ着た娘がひとりひなたぼこ

こちらは就活の風景を切り取ったもの。

ひょっとして濡れているのは職を失った男のセーターだろうか?

人が肌につけたものにはフシギな生々しさが感じられる。
平安朝の男が恋する女性の衣服を抱きしめたのも
衣服にタマシイが宿っていると感じていたからかも。
謡曲の井筒では、シテの女が、亡き業平の衣服を身につけて舞う。

ベンチで雨に濡れたセーター。
どんな人が身につけていたのでしょう?

                   遅足


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正月や多米の山見て缶ビール   朱露

2010年12月27日 | Weblog

    夜明け前某局「明日への言葉」聴き起きる。
    寒暖天候に関係なく東の低い山脈を眺める。
    正月は特例として缶ビールを片手に眺める。
    七時半太陽が全身を現し正視に耐えず黙祷。

                

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起き抜けのセーターの首後ろ前  立雄

2010年12月26日 | Weblog
前と後。
この言葉は人類普遍と思っていたら、意外、
前後、というコトバを持たない種族があるという。

一般には、目があるほうが前。ない方が後。
あるいは、足の向いているほうが前?
前進、後退。
前進には良いイメージ、後退には良くないイメージがある。
なぜ?

ミドリムシのような単細胞の生きものにとって
どちらが前なんだろうか?
目がないから、刺激があると、反射的に動く。
動いた方向が前?

なんて考えると、境界というものが怪しく感じられる。

起き抜けは、意識がぼんやりとしている。
ひょとして、ミドリムシに戻っているのだろうか?

               遅足

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孫娘とべい独楽喧嘩年忘    朱露

2010年12月26日 | Weblog

   道徳、宗教、政治的確信に基づく犯罪、
   これを「確信犯」と言う。
   俳句で「孫」を詠むのはみっともない。
   知っていて詠むのは、図図しいと言う。

             

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行く年や日の出の前の山睨む    朱露

2010年12月25日 | Weblog
    十二月二十五日朝七時日の出を前の山。
    西から来る雲が赤らみつつ山脈へ向う。
    空は青く光って来たが下界はまだ暗い。
    七時二十分顔面に日が射し眼が眩んだ。

              


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寒雀むかしは道のやわらかき   五味一枝

2010年12月25日 | Weblog
冬になると、わが庭にも雀がよく姿を見せます。
猫が見ていてもあまり気にしていないようです。
餌が少なくなって、お腹が空いているのでしょうか?

道が舗装されていなかった昔のほうが
確かに雀の数が多かったような気もします。
瓦屋根の家が少なくなり、雀にとっては、
巣をつくる場所が減っているそうです。

         

先日、京都の伏見稲荷に行ってきました。
参道には、お土産屋さんが、ずらっと軒を並べていました。
ふっと見たら、「寒すずめ一本500円」と書いた札。
雀の焼き鳥・・・
店の人の話では、寒中の雀は美味しくて、薬にもなると、
人気があったそうです。

どうしようかな?と、一瞬迷いましたが、パス。
甘酒で寒さをしのぎました。

    寒雀串を刺されて売られける   遅足

          




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