575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

搾られて搾られてなほ檸檬かな    亜子

2011年08月31日 | Weblog
今回の題詠、檸檬という季語のパワーと正面から格闘した句です。
檸檬が檸檬でなくなるまで搾られる・・・
しかし檸檬の本質が変わらない。
強いメッセージを読むことが出来ます。

今の世の中、働く人は、搾られて搾られて・・・
と、読む人もいました。

作者は、アナウンサーを生涯の仕事としてきた人。
一時期、会社と組合の対立が激化して、
アナウンサーの仕事が出来なくなってしまいました。
しかし、見事、アナウンサーの仕事に復帰しています。
そんなことを思い出させる一句です。

表面は物静かですが、芯はシッカリした先輩。  遅足


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べい独楽の腕は確かな喜寿の腰    朱露

2011年08月31日 | Weblog
     べい独楽を知らない人は関係なし。
     三人の息子どもに教えるヒマなし。
     その息子どもには教えるヒマあり。
     私の独楽を弾き出すのは十年無理。

               



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目にはさやかに見えねども  鳥野

2011年08月30日 | Weblog
秋なのです。
暑さのピーク。連日が真夏日。それでも秋は立ち、もう夏は終りました。

歳時記の解説には「繊細な神経があれば、そここに秋が忍び寄っていることに気づくであろう」
と、ありました。

でもと一こと言いたくなります。

8月半ばの日曜日を選んで、縁の者が集まった「お盆」も秋の行事、その席で切った西瓜も秋のもの。
この分かり難い「季語」の定義をすんなりと、理解し受け入れておられる俳句の人たちはすごい。

何時まで続くこの暑さ。感性を研ぎ澄まして、秋を捜すことにしましょう。
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北窓の山そこにあり秋の声     朱露

2011年08月29日 | Weblog
       多米山系成れの果ての小山が目の前。
       多米街道・人家・赤岩寺・小山の順。
       足元を源頼朝一行が西へ歩いて行く。
       南は団地とプレハブ住宅群で大混雑。

                 



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檸檬てふ字よ過ぎにし日若き日々   静荷

2011年08月29日 | Weblog
これも若い頃の思い出の句。
文字に強い関心を持ってるところから
文学少女の頃の思い出を詠んだものと考えました。

しかし恋の句ではありませんでした。
若い頃に熱中した山登りの訓練の思い出だそうです。
レモンが甘く感じられるまでシゴキが続いたそうです。

あのレモンが甘いなんて・・・でも本当だそうです。
檸檬を甘く感ずるのは若さの特権かも知れませんね。

                 遅足             
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秋高し怒鳴れば笑う多米の山    朱露

2011年08月29日 | Weblog
     人間の音の中で「怒鳴る」のが最悪。
     怒鳴れば怒鳴り返すので最悪又最悪。
     怒鳴らなければ陰に籠って更に最悪。
     とばっちりを食う人は山を見て溜息。

                



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檸檬並べ唱歌校歌を口ずさみ 晴代

2011年08月28日 | Weblog
果物屋が店先に檸檬を並べながら、
子供の頃の唱歌を歌っている句、と想像しました。

しかし、この句も恋の句でした。
作者によれば、思いを伝えたかった人は、
頭のかたちが檸檬のようだったとか・・・

スーパーで買ってきた檸檬を並べて、
若い頃を思い出している・・・
と、いう句だそうです。

檸檬は女性たちに恋を連想させるパワーがあるのですね。

                遅足

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秋の夢娘のような母叱る    朱露

2011年08月28日 | Weblog
     五十八で死んじゃ子供が可哀想だ。
     私なんかあれから怒りっぱなしだ。
     自分の為を考えないからこうなる。
     泣いてごまかそうとしてもダメだ。

               



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初デートレモンスカッシュつつきおり   麗子

2011年08月27日 | Weblog
初恋から初デートへ。
窓から雨の見える喫茶店。ファミレスでしょうか?
注文したレモンスカッシュも氷ばかりになって、話題も種切れに。
しかし恋とは二人だけの世界。
二人でいることだけがウレシイ。
レモンスカッシュをつつきながらも、二人の時間は続きます。

初、という唯一字の漢字。
カタカナが続き、最後にひらがなで、つつきおり。
つつきおり、という言い方が、面白さを演出しています。

                     遅足



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そぞろ寒娘のような母の写真     朱露

2011年08月27日 | Weblog
       母に抱かれている赤ん坊は私だ。
       母の横にいる男は父に違いない。
       二人は上の一行をどう思うかな。
       特に母はこの句をどう思うかな。

                



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片すみに夢見るレモンの恋ごころ  郁子

2011年08月26日 | Weblog
「片」「夢」「恋」という言葉からが、呼び覚ますものは、
初恋、しかも片思い、という恋ですね。
作者も少女時代を思い出して、と話していました。

初恋とは一体、いつの事だったのか?
あれが初恋だったのか・・・
どなたも胸に秘めた初恋があるのではないでしょうか。

初恋がレモンと取り合わせてあるので、
爽やかな初恋だったのだろうな、と感じました。

この句、中七が字余りですが、
あまり気にならないのは、なぜでしょう?

               遅足
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夢悪し秋の朝雲飯旨し   朱露 

2011年08月26日 | Weblog
    長女の年ぐらいの母の哀れな姿。
    亭主を蹴飛ばす夢でも見せてよ。
    それはムリか君は明治の古い女。
    今度悲しい顔だと怒るよホント。

           



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積ん読や檸檬の梶井基次郎 朱露

2011年08月25日 | Weblog
檸檬の梶井基次郎、という言い回しが良いですね。
青春時代の本でしょうか?
一度は読んだのですが、また読んでみようと
机の上に積んでおいたのが、ついつい・・・

梶井基次郎といえば檸檬、檸檬といえば梶井基次郎ですが、
「櫻の樹の下には」も良いですね。
桜の樹が美しいのは下に死体が埋まっているから、
という思いが痛烈です。

若いころには??と、いう気持ちでしたが、
身近な人が亡くなったり、自らも死を意識するようになると、
不思議に、納得させられるものがあります。

そういえば、積む、という言葉が本とともに
檸檬にもかかっているような気もすます。

                   遅足

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小言並べ母を送って酒にする    朱露

2011年08月25日 | Weblog
     何故あんな男と所帯を持ったんだ、
     とお前に言われるのが一番辛いよ。
     母はさめざめと泣きすぐ泣きやむ。
     年に一度私に会えるのが楽しみで。

              



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庭檸檬 長鋏食(は)む ボトンゴロン 智恵

2011年08月24日 | Weblog
三重県に主人が単身で暮らしているのですが、
久々に庭木をみたら、檸檬が庭の高い木に生っているので、びっくり。
その数、大小40個以上でした。
もちろん収穫などは初めてです。
通販で主人が購入した長い鋏で、高い枝の檸檬を挟み、
地面に落ちて転がる様を表現したつもりです。
初体験づくしの収穫の喜び、です。
と、作者の弁。

結宇さんは「ボトンゴロン」という擬音語が良いとの評。
たしかに収穫は大きかったですね。
食む、が、面白いという声がありました。
私も同感です。

                   遅足
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