575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

新涼の日本列島で目が覚める    朱露

2009年08月31日 | Weblog

      八月三十一日の朝は総選挙の翌日で涼しい。
      選挙結果は世界中の人が知って驚いている。
      兄と姉は知る事が出来ないのが残念だった。
      ガバと起きて道路の落葉を掃いてまた寝る。

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異常気象と政治・地域経済そして俳句  (遠藤津慶の日々・そして俳句より)

2009年08月31日 | Weblog
夏真っ盛りなはずの今年。八月は梅雨明けもなく、雨。

庄内平野の田んぼは、出穂期を迎えて早いところでは穂揃い期に入っています。
しかし、天候不順がこのまま続くと開花がすすまず、不稔になります。
ただでさえ、米価の下落で収入が極端に低下している農家にとって、まさに死活がかかっている情勢です。

加藤紘一代議士は、こうした農民の危機にも、「行き過ぎた小泉構造改革の所産」と公言し、まるで自民党の中枢に居た人物とは思えない、他人事のような態度です。
親子二代にわたって、半世紀の間、庄内の農民を言いくるめて強固な地盤を築いてきた代議士にあるまじき言動に「今回の選挙でいくら票を減らすかが見もの」とこれまでの支持者から公然と声があがっています。
先日、海水浴場に顔を出した代議士を見た、ある青年は「まるで只のジジイだった」と印象を話してくれました。

       打ち上げの花火自民の自爆音     津慶

鶴岡・赤川大花火が昨夜おこなわれました。
夕刻から、かろうじて雨は小康状態になったものの、どんよりとした空気は、花火の硝煙を停滞させ、華やかさはイマイチでした。

=======================
★遠藤さん、あなたに付きまとっていたどんよりした空気は、昨夜の派手な自民自爆音で吹き飛びましたか? (愚足)
 
※遠藤さんのブログはhttp://blog.livedoor.jp/sasurai_001/archives/51501487.htmlです。
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水澄むにまかせて不破の関の址    遅足

2009年08月30日 | Weblog
この句、句会で評価されず。
さて、このまま捨てては可哀想。再考することにしました。
「水澄むにまかせて」が、一番気に入ったフレーズなので
そのまま残して、その後を考えることにします。

まず、なぜ、不破の関の址か?
それは不破の関にまつわる、こんなお話しが背景に。

人住まぬ不破の関屋の板びさし荒れにしのちはただの秋風

新古今和歌集の藤原良経の歌
この歌に誘われて、荒れはてた板びさしからもれる月を
見ようと思った二条良基さん。現地に行って驚きます。
不破関の人たちは、京からえらいお方おいでになるので
見苦しくてはいけないと、関屋をふきかえしてしました。
月の歌を詠もうと意気込んでいた二条さんはがっかり。

ふきかへて月こそもらね板庇とく住みあらせ不破関守

不破の人々の苦労は無駄だったんですね。
さらに時代が下がって芭蕉さんも、不破の関を訪れています。

秋風や藪も畠も不破の関   芭蕉

秋風とともに詠まれた不破の関。
水と一緒に詠んでみようという句でした。

水澄むにまかせて不破の関の址


声にしてみると、どうも調べがよくない。
調べは、すうっと、こころに入り込んでいきます。
何回も声にしてみなさいという教えは、
調べを整える工夫について言っているんでしょうね。

水澄むにまかせて不破は関の址

このほうが、調べは良くなったような気がします。
しかし「フワワ」という音が、水澄む、のイメージの足をひっぱっている感じ。

そこで思い切ってフワを捨て、キソへ。

水澄むにまかせて木曽は関の址

木曽にも関はありましたが、不破のような歴史はありません。
関は捨てたほうが良いようです。

水澄むにまかせて木曽は谷の中

これでは調べは良いのですが、ひっかかってくるものがありません。
調べがよくなると、耳には入りやすいのですが、余情がありません。
言い尽くしてはダメなんでしょうね。
読んだあとのなにかがありません。
ひっかかりを残すのは言葉だそうです。
ここでは「まかせて」が、その働きをするかどうか?
時間を置いてみます。

(写真はアサギマダラ・蓼科で撮影したもの)


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顔当り棋譜並べたる秋の朝    朱露

2009年08月30日 | Weblog

     子供の頃将棋若い頃麻雀年とって囲碁。
     日本棋院の認定試験を受け数段の腕前。
     数段の意味はその日によって違うから。
     少年プロ棋士の深慮遠謀が読めぬ絶望。

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はひふへほ「は行」はどこか秋の色  江本絵悶

2009年08月29日 | Weblog

「は行」というものは面白い。濁音と半濁音のある唯一の行なのだ。
しかも笑い声にもこの「は行」が活躍する。
「か行」も笑い声かもしれないが、こちらは少し不気味。
「は行」にボクは、秋の色を感じた。

    (写真は蓼科の風景です。遅足)

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日焼け褪めぬブラジル人と私と    朱露

2009年08月29日 | Weblog

    テキはポルトガル語なので話にならぬ。
    十九世紀初めまでポルトガルの属国だ。
    コンビニで会う顔馴染みとは笑い合う。
    こうして世界は一つになるのだ皆の衆。

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ナガエコミカンソウ     草女

2009年08月28日 | Weblog
長年気になっていたコミカンソウをずーと見たとがない。トウダイグサ科コミカソウ属の1年草で、図鑑には畑や道端にはえる、と書いてある。が、いまだに会えず憧れている。実の付いている植物を幼いころから好み、センナリホウズキがお気に入りであった私だから、直径2,5cmと小さいが、蜜柑のような色と形の実が一列に並ぶ草を見逃すわけがないと思っている。

 昨年の6月、野並でのバードウオッチングのとき、見慣れない草があちこちに生えていた。端正に並んだ小さい葉、羽状複葉にも見えて、マメ科のようだが・・・内心コミカンソウかなと思ったが、自信がない。帰って調べると、アフリカ及びインド洋のマスカレーヌ諸島原産の1年草で、ナガエコミカンソウ(別名 ブラジルコミカンソウ)というトウダイグサ科の草であった。再び、野並を訪れ、ナガエコミカンソウを3本道端からもらってきた。猛暑の中、水を切らさぬよう気を付けたが、花を咲かせた様子も実を付けた様子もなく、寒くなって枯れた。帰化植物とは言え、コミカンソウには縁がなかったと諦めていたのが、この春、庭のあちこちから芽生えてきた。
ナガエコミカンソウは、沖縄、小笠原島に分布してのが近年都市地域に急速に広
まっているという。熱帯や亜熱帯に帰化しており、都市地域のヒートアイランド現象がこの草の分布を広げたとおもわれる。我が庭は亜熱帯なんだ!! 暑さもそうだが、冬の厳しい寒さが無くなって、非耐寒性の植物にとって住みやすくなってきたということだろう。
 それにしても、この繁殖力の強さには、脱帽。3本のうち、1本が僅かな実を付けていたのだ。それでこんなに増えたのなら、わが庭は来年の春はナガエミカソウだらけになるだろう。さすが、帰化植物!
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月下美人   麗

2009年08月27日 | Weblog
先週の句会でもお話ししましたが
お盆で里帰りしたときに生まれて初めて月下美人の花を見ました。
実家のお向かいの奥さんが
「咲いているわよ」と見せて下さいました。
15センチくらいの大輪の花。
白い花びらが反り返って濃厚な甘い香りを放ちます。
惜しげもなく切って下さり枕元に
おいて寝ました。夜中に時々眺めました。

去年母がその奥さんから月下美人の花を頂いた時
飽きもせず一晩中ながめて寝不足になったとか。
一夜限りの花なので
朝にはしぼんでぐったりとするその様子は
子供を産んだあとの女性のようななんともいえぬ
大仕事を終えたような余韻が漂っていたということでした。

生々しい月下美人の花は、はかないけど力強い生命力があります。
実家を後にする時、またその奥さんが月下美人の葉っぱを下さり持ち帰りました。
挿し木にすると簡単に根付くとか。
来年は我が家でも咲くといいな。ちなみに英語ではa Queen of Night(夜の女王)というそうです。

今宵咲き月下美人の今宵萎ゆ  山口誓子
花開く力に月下美人揺れ    藤本三楽
咲くための吐息香となる女王花 稲畑汀子
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虫十五句          愚足

2009年08月26日 | Weblog
玉虫はとぶよ 少年 老いやすく      水本火生

さびしさは 秋の彼岸の みづすまし    飯田龍太   

湯浴水 こほろぎ 流してしまいけり   前田貴美子 

鬼の子の覗いてをりし この世かな    北田桃代 ※鬼の子=蓑虫

一条 みどり残れる 枯蟷螂        横山房子   

あおあおと 空を残して 蝶 分かれ     大野林火

草の葉を落つるより飛ぶ 蛍かな       芭蕉

蟻の列 雲の峰より つづきけん       小林一茶

閑さや岩にしみ入蝉の声           芭蕉

やれ打つな 蠅が手をすり 足をする     一茶

ひっぱれる糸 まっすぐや 甲虫       高野素十

たたかれて 昼の蚊を吐く 木魚かな    夏目漱石

しずかなる力 満ちゆき ばった とぶ    加藤楸邨

とどまれば あたりにふゆる 蜻蛉かな   中村汀女    

行水の捨てどころなし 虫のこえ       上島鬼貫 







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早うござんす閉門が・・・  鳥野

2009年08月25日 | Weblog
南側ベランダの真正面に見える名古屋城の天守閣。ことしは再建50周年にあたり、催し事も多彩のようです。
その一つ、宵祭りも終わり、いつもの静寂が戻りました。
ふだんでも天守閣は10時までライトアップされ、ビルの明りや街の灯が落ちると、城の輪郭が際立ちなかなかの壮観です。

ところが、見学時間は午前9時から、午後4時半まで。
夏の4時半といえば、まだ真っ昼間。ここで閉門と聞いても納得できない様子です。


このところは、だれが仕掛けたのか、時代物がブームとか。

”歴女”、”歴ドル”まで現れて、名古屋城も大変な人気。入城した若者どもは、早々に締め出され名残り惜しいことでしょう。

    ・ スピーカーに「蛍のひかり」流されて名城はひと日のお役目了える

                                 鳥野
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秋晴れの起き抜けにして固唾呑む    朱露

2009年08月24日 | Weblog


       成行きに息をこらすのが「固唾呑む」意味。
       総選挙で固唾を呑んだことは五十五年ない。
       もう生涯固唾は呑めないと殆どあきらめた。
       それがこの秋固唾の呑み過ぎで酒を忘れた。

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ナラ枯れ          草女

2009年08月24日 | Weblog
 7月24日、海上の森を歩いていると、緑色の葉が一面に落ちている。そんなに風が強かったかな、など言っているうち葉は森全体に落ちているのではなくコナラの周りだけに落ちていることに気づいた。海上の森にはコナラが多い。その日気がついたのは、5,6本のコナラで、ついに海上の森にも魔の手が伸びてきたことを実感した。
 私達が、気づき始めたのは、一昨年ぐらいからで、それも長野や岐阜県での森の真夏の紅葉である。緑の森にところどころまっ茶になっている木があるのだ。キクイムシのせいだと教えられた。
 調べてみると、被害は1980年代の後半頃、日本海側で拡がり始め今や全国に及んでいる。夏カシノナガキクイムシが、繁殖のため木に穴をあけ入り込みその体にについているナラ菌が材部に入ると黒褐色に変色し、水を通す能力を失い枯死する。カシノナガキクイムシが入り込んで枯死するのは、ナラ類のミズナラ、コナラなどや、シイ類のウラジロガシ、マテバシイなどであリ、ブナ科の樹木だけに被害がある。。しかしその被害は大きい。
 さて、このナラ菌は、いわゆるカビであるが、新しく見つかった種で、明らかになっていないことの多くあり、「ナラ菌」の名前も仮の通り名だそうだ。ナガキクイムシ科の昆虫のカシノナガキクイムシは在来種であるし、ナラ菌も依然からあった。というのは、この虫の多くのメスは、ナラ菌がないと産卵できないし、生まれてきた幼虫はナラ菌を食べて成長する。成長し、飛べるようにならと、ナラ菌を体に取り込んで別の木まで運ぶ。では、なぜナラ枯れの被害が大きく目立つようになっか。それは昭和30年年代の燃料革命で、薪や炭が使われなくなって木を伐らなくなり、老木が増え、それが被害にあっているという。また、地球温暖化も一因といわれている。
 ネットで調べていると、マツ枯れのように全部の木が被害に会うわけではないから、大丈夫という記事や、景観が悪いのが問題という記事もあった。私はそんなことではなく、知らない間に重要なことが起きつつあり、それが私達の生活の変わりように起因していることに恐ろしさを感じている。

 


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今日は「処暑」     遅足

2009年08月23日 | Weblog
今日は二十四節季の一つ、処暑。
処とは「留まる」「止まる」という意味。
日中の残暑はあっても、朝晩はすずしくなります。
暑さがおさまるのが処暑です。
秋らしさが目に肌に。
空の高さ、澄んだ空気、長くなった影・・・

歩行器がなくては歩けなかった母、
リハビリで初めて杖もなしに歩く練習を。
「最初の一歩が怖かったけれども、歩けた!」
と嬉しそうでした。

  踏み出す蹠(あうら)に力処暑の母  

旧暦の七月七日は、今年は8月26日(水)です。
新暦の七夕は梅雨の頃で、天の川などは見えません。
処暑過ぎの頃ならば、空も澄んで星もよく見えます。

  文月や六日も常の夜には似ず   芭蕉

文月は旧暦で七月のこと。
七夕の前の夜も常の夜のようではない。
一年に一回の逢瀬。
待つ恋心を詠ったものでしょうね。



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柿通信    角寿

2009年08月23日 | Weblog

昨夕、久しぶりに柿畑を見てきました。
この暑させいか、柿の粒は、大きくなっておらず、
見た目には、変化は、見られませんでした。
きっと、照りつける太陽の日を浴び、
内部充実に努めているのでしょう。
秋風が吹き出すと、一気に大きくなり、
色付き出すでしょう。
出歩くようになれば、また、お知らせします。

   

久しぶりの柿通信。実は充実してきましたね。
赤くなるのが楽しみです。  遅足

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秋暑し国を憂いて幾千万   朱露

2009年08月23日 | Weblog

    まるで旧軍部が使いそうな言い方だ。
    二千九年八月三十日は総選挙の日だ。
    国と自分の行方が一体の思いになる。
    戦後何十回も投票したがこれほどの。

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