575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

イチゴの赤は別れの色    鳥野

2009年03月31日 | Weblog
記念日・・・いろいろあります。

ネットで調べたら365日のすべてが記念日で埋まり、押し合い圧し合い。中にはこじつけや語呂合わせも。

ところで、22日は知る人ぞ知る<ショートケーキ>の日。その理由は、「上に15日(イチゴ)が乗っているから」だって。

そのことが話題になったのは、ある友人が「私の誕生日は22日でショートケーキの日、みんなが喜んでお祝いしてくれるけど、私はイチゴがきらいなの」と言ったのが始まりでした。

イチゴがきらいで食べられないというのは珍しい。わけを聞けば悲しい思い出が。

戦地へ出征する父上をバンザイで見送った日、テーブルにイチゴが山積みされていたそうです。

幼かったその日から、彼女にとって、イチゴの赤は別れの色。何十年間も涙の色。拭いようもないトラウマになってしまいました。

歓呼の声や旗の波・・・死語にしなければ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十二音を貯めておいて、いつも口ずさむ。  藤田湘子の講座より(愚)

2009年03月30日 | Weblog
 春眠にも飽き手を伸ばしたら、藤田湘子の「俳句の入口」という昔BOOK-OFFで買った本が落っこちてきた。これも何かの縁とパラパラめくって赤線の多いページを読んでみた。
「十二音を貯めておくおく」
 例えば⑤+⑦で、「本買えば表紙が匂ふ」のフレーズを思いついたら貯めておく。
 次に⑦+⑤で、「こときれし夜を誰も知らず」のフレーズを書き留めておく。
 このとき、この十二音を何度も音読しリズム感があるか確かめておく。
 そして、それぞれの下や上の季語をいつの日か探し当てる。
 そしてこの季語を見つけても句全体を音読しリズム感を確かめる。

 ところで、これらの句の季語は「雪の暮」と「こほろぎの」で、それぞれ
大野林火と山口青邨の句です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 夏みかん酸っぱしいまさら純潔など  鈴木しづ子

2009年03月30日 | Weblog
なんだコリャ俳句の最終回です。


☆ 女性は純粋という観念をひっくり返した句。

○ 赤ちゃんが出来て酸っぱいものが食べたい。
  そんな赤ちゃんの出来た時の句。

○ 妊娠は関係ないと考えた方がカッコ良い。
  太宰治の女性徒みたい。世界はウザイと言っている句。

   

作者は大正8年生まれ。
敗戦直後、男女の性愛を詠むことなど、とんでもないという時代に
性愛をストレートに詠んで注目された。
昭和21年に出版された句集「春雷」は、句集として稀有な
5000部を越すベストセラーとなった。
春雷が評判を呼んだ後、行方が分からなくなったという伝説の女性俳人。

   


なんだコリャ度は高くない句ですね。
戦後の混乱のなかで、女性の権利が見直された時代。
俳句の世界では驚きの目で見られたでしょうね。

いまでは性愛を詠むのには、なんの抵抗もないですが・・・
でも短歌よりは俳句のほうがオトナシイかな?



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暮遅しかっぱえびせんカルシウム   朱露

2009年03月29日 | Weblog

      東から頼朝が山越えして来たこの辺り。 
      氏神春日神社のお祭で子供神輿が出た。
      癇癪玉が破裂する、菓子の大袋を貰う。
      酒の肴になるのはかっぱえびせんだけ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雛祭り    遅足

2009年03月29日 | Weblog
旧暦では今日が3月3日。
雛祭り。

我が家の庭でも、さくらんぼの花や水仙が
花を終えて、いまは桃、黄水仙、乙女椿が
咲いています。
つい先日、満開をむかえて桃も、
もう散り始めて、若葉に。

塔句会に

 幼な子は雛の向きを変りをる(竹内)

という句がありました。
お孫さんが飾ったお雛様。
内裏様とお雛様がご対面とか。
この句をいただいて一句。

 子の飾る背中合わせのお雛様  

新暦ではなく、旧暦のほうが
雛祭りも気分が華やいだ感じがしませんか?


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春はあけぼの憲法九条深く息   石塚真樹

2009年03月28日 | Weblog
歳時記を開いていたら、
こんな句に出会いました。

枕草子の春はあけぼの、を頭に
憲法九条ふかく息、と収める。

一年中で一番季節の良い春、しかもその曙です。
人は、そんな時に、ふっと憲法九条に
思いをはせる。

そして深呼吸。
この平和をココロから味わっているようです。

春はあけぼの、と置いたことから
平和への気持ちが、古代からの願いでもあるよと
言っているようにも。

九条を詠った句は、そんなに読んでいませんが、
なかなか良い句だと思います。
                遅足






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壷焼の腸を噛んでも憂き世かな   朱露

2009年03月28日 | Weblog

       焚火で焼いたサザエの腸(ワタ)を食べる。
       もう機銃掃射はない真夏の真鶴の磯だった。
       その後壷焼の腸より旨いものを食ってない。
       スーパーで栄螺を見るが懐かしいとは思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第七十二回 東海民放クラブ 「塔」句会の記録です。

2009年03月27日 | Weblog

2009・3・25(水) 

春暁の富士玲瓏と横たわる(竹内)      
幼な子は雛の向きを変りをる(竹内)
馬酔木咲く夢一文字のねねの寺(寺井)小泉
ぼた餅は老女手作り春彼岸(大橋) 
花咲くを見しと言ひつつ靴ぬぎぬ(石田)中野 松田 
よみがえる古きポストへ花便り(小泉)中野 竹内 石田
つんつんとぼうず頭の春大根(竹内)中野 角谷    
盆梅の一鉢もあり転居の荷(石田)角谷 大橋 江本 荒川 小泉 寺井 松田
共白髪お手々つないで梅公園(中野)
山頂に海の風あり初桜(小泉)松ヶ崎
春暁の駅に入り来るブルートレイン(松ヶ崎)
陽射し受けにぎわう狭庭たら芽吹く(角谷)
啓蟄や出土の土器のひとかけら(江本)大橋 松ヶ崎 荒川 小泉 寺井 松田    
鳥集く目もせわしなき庭の春(荒川)寺井          
バースデイみずのとうしの春おぼろ(中野)     
春の土裸足で軽く踏んでみる(荒川)竹内 石田 
掘りおこすひと鍬ごとに土匂ふ(江本)竹内 松ヶ崎 石田
鯖ずしや立てつけ悪き白障子(寺井)松田
春疾風鳥の羽舞ふ駅舎かな(松ヶ崎)角谷 竹内 荒川 
舟形の木棺出でし春の泥(松ヶ崎)大橋 竹内 江本 石田 小泉
飛花落花しるき汀の暮れなずむ(小泉)荒川   
ものの芽の土押し上げるこの力(石田)角谷
ふきのとう雪水あびて緑増し(角谷)小泉
三川を渡る春風一列に(松田)角谷 大橋 荒川
タイヤ跡くつきり映す春の雪(角谷)    
我よりも春をよろこびわれの声(松田)
春の灯のひとつに自動販売機(松田)江本 松ヶ崎 寺井
春彼岸住職静かに掃き清め(荒川)石田
三月や仰げば尊し昭和消え(中野)大橋 江本    
号外やサムライニッポンサクラ咲く(大橋)中野
よなぐもり
霾晦ビル解体の足場組む(大橋)江本 松ヶ崎 寺井 松田
水温む貸ボート屋のペンキ塗り(江本) 
ご開帳龍も飛び出す京の春(寺井)中野
      
※今回は、会員12名のうち、清水さんが欠席し、11名が出席しました。
1人が3句を出句し、5句を選句しました。

※4月の句会は22日で、会場はいつもの通り「東生涯学習センター1F第1集会室」です。
5月は27日で、会場はいつもの通りです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菜の花           草女

2009年03月27日 | Weblog
 渥美半島の縄文遺跡や東大寺の瓦を焼いた登り窯跡などを見学し、そのあと菜の花畑を楽しむという会に参加した。見頃を少し過ぎたかなという気がしたが、十分綺麗であった。なにより驚いたのは花と土産物の施設フラワーパークが無くなって、そこが一面の菜の花畑になっていたとこだ。2,3回は行っているし、伊良湖岬とフラワーパークは一心同体位に思っていたから、これも世の流れかと考えさせられた。
 さて、私が一番好きと言ってもいい俳句「 菜の花や月は東に日は西に 」の菜の花と今私達が見ている菜の花は同じものではない。在来の菜の花は、明治以降、ほとんどセイヨウアブラナに取って代わられた。江戸時代、蕪村が見たのは在来種のアブラナで、高野辰之の唱歌「おぼろ月夜・菜の花畑に入り日うすれ・・・」はセイヨウアブラナ若しくは野沢菜とされている。
 また、これから観光などで河川敷や休耕地を黄色に染めるのはセイヨウカラシナでヨーロッパ原産の2年草。
 アブラナの仲間は雑種ができやすいので一つ一つの品種を見分けるのはたいへん難しい。食用の菜の花、ナバナには2種類ある。三重県が生産の主体であるナバナは、セヨウアブラナのほうで、蕾が大きくなる前に収穫する。他方、蕾付きの茎を束ねて売っているのは、在来種のアブラナ。
 アブラナと表現してきたがナタネという言い方もある。また、セイヨウカラシナと言ったり、ハルザキヤマガラシと表現している場合もある。見分けのが難しい上に名前がはっきりしていないので私達素人の植物好き泣かせの一つである。
 蛇足ですが、連れ合いの好きな菜の花の句は

    家々や菜の花色の灯をともし    木下夕爾
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桃の花    麗

2009年03月26日 | Weblog
当地は桃の産地。
かわいいピンクの花が咲き始めました。
ところで、今、郁子さんから1冊の本をお借りしています。
「抵抗の新聞人 桐生悠々」という本です。すでに絶版になり入手は難しいとのことですがお孫さんの郁子さんから貸して頂きました。

その本によると、
悠々さんは「桃の花」とう短編小説をかいておられます。
それは隣に住む継母の継子へのいじめに気づいた主人公が
隣の家の庭先に咲く桃の花さえ、うとましいものに感じるというもの。
やがてその子は亡くなったことがわかり、その隣人にあえて
悔やみのハガキをだします。
そのハガキには

    「眠れ眠れ世は冬枯れの風早し」

という一句がしたためられていました。

悠々さんの得意の俳句が短編小説の最後をよく締めくくっているとこの本の
著者、井出孫六氏が書いておられます。

今は、まだ悠々さんが新聞記者になった頃を読んでいます。
今後、軍部を批判していくジャーナリストとしての悠々さんの功績を読むのが楽しみです。その頃には我が家の桃の花も満開でしょう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魔がさして糸瓜になりぬどうもどうも   正木ゆう子

2009年03月25日 | Weblog
なんだコリャ俳句です。

☆ 次に生まれ変わる時は何になろうか?という転生の句。
いろいろあるのに糸瓜を選んでしまった。

みんなで昼食にカツ丼を食べに行って、一人分だけカツ丼が
なくて、ついつい玉子丼で良いと言ってしまった。
なぜ玉子丼と言ってしまったのか?そんな時のクヤシサが
「どうもどうも」というところに出ている。
そう言いながらも玉子丼で良いじゃないかと開き直っている。

そんな感じで、糸瓜で良いじゃないか、と思っている。
下手に出ているようで攻勢に出ている。

○ 「魔ささして」が良い感じがしないな。

○ 「どうもどうも」の軽さが良い。渡る世間はこんなものじゃない、と
言っている。みんな糸瓜仲間なんだって。

     

俳句も遊びなんだと教えてくれる句です。
どうも真面目につくってしまう。
もっと遊べると良いな。
               遅足

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辛夷散る向こう三軒両隣   朱露

2009年03月25日 | Weblog


      散った辛夷の花の汚さをご存知か。
      早起きを幸い起き抜けの落花拾い。
      非常にいい屈伸運動で心身屈折す。
      手伝わないタフな女がいる分屈折。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

零れ梅見つかった   鳥野

2009年03月24日 | Weblog
「零れ梅」という雅な言葉があります。
広辞苑によれば、「咲きこぼれて散る梅花、またその模様」と出ています。

歳時記は、と見てみても、当方手持ちのものには、どれも載っていません。

ワタシの捜している物は違うのです。時々、人に尋ねても「さあ」。

食べ物が不足しがちだった子どものころ、祖父が小さく握って食べさせてくれた懐かしい味。

ほろりと甘く、どこかナイショめいた美味。うっかりすると、掌の上でくずれてしまいました。

あれはいったい何だったのか、分らずしまいだったのに、ネットは賢い。

「味醂の絞り粕」と教えてくれました。

餅米を天然発酵させ、焼酎を加えて醸造した味醂を、丁寧に絞ったもの。
なるほど、伝統の自然食。上質のおやつだったのです。

酒造の町としてアピールしている伊丹市では、JR駅構内の観光物産ギャラリーで、売っているとか。ネットでも買えるみたい。素朴な味にもう一度、出会えそうです。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草餅と芭蕉       愚足

2009年03月23日 | Weblog
 来月の句会のお題に「草餅」が入っているので、先輩の句で参考になるものは無いかと歳時記を開いてみた。
 すると、大先輩、芭蕉先生が二句作っている。

 青ざしや草餅の穂に出でつらん

 両の手に桃とさくらや草の餅

 最初の青ざし(夏の季語)は麦穂を挽い撚った菓子。で句意は、青ざしは草餅が穂を出したようだ。さらに解説には草餅には恋の余情があり「穂に出ず」を取り合わせたところが新しみだという。
 次の両の手の句意は、私の庵の庭には、美しい桃と桜があり、門人にも桃桜に比すべき其角や嵐雪がいる。私は両手に花で草餅を食べる幸せ者だ。とのこと。

 この句を読む限り、芭蕉先生も俳聖とは言い難いような気がするが、いずれにしろ「草餅」には苦労しそうである。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

取り合わせとはもっとも原始的な方法  遅足

2009年03月23日 | Weblog
俳句のテクニックの一つに「取り合わせ」が
あります。
坪内稔典さんが書いているのを引用します。

   

取り合わせとはAとBを組み合わせること。
その組み合わせは新しい世界を作り、
未知の感覚や認識の出現を可能にする。
つまり、もっとも原初的な創造の方法である。
あるいは、発想や認識を新しくする端的な方法と見てもよい。

この取り合わせを、言葉において効果的に発揮できるのが俳句。
俳句の短さが取り合わせを活かすのである。

   

取り合わせの関係が近すぎると類想に。
遠すぎると理解不能に。
塩梅が難しいですね。
読者の蓄積によっても判断が違うし・・・




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする