575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

秋風の自転車雲の上に出る   遅足

2010年09月30日 | Weblog
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秋霖の一日生きる手立てかな    朱露

2010年09月30日 | Weblog
  「秋霖秋雨人を愁殺す」とは物騒な言葉。 
  シュウリンシュウウヒトヲシュウサイス。
  「愁殺」は「シュウサイ」で深い愁いだ。
  何方が言った言葉なのか忘れてしまった。

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空きびんの中が本籍秋高し   遅足

2010年09月29日 | Weblog
船団・小枝ドクターの診断です。

かなり抽象的な内容ですが、
「空きびん」の空虚さが本籍と繋がっているのでしょうか。
秋の空が澄んで高く感じられる日の「空きびん」も透明感があり、
虚ろに響き合いますね。
空と瓶だけのシンプルさがいいです。

   

ありがとうございます。

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夜学無理朝学にして十余年   朱露

2010年09月29日 | Weblog


   酒を飲みながら勉強は出来ない。
   会社をやめてから朝学に代える。
   夜明け前に寝床の中で猛勉強だ。
   N H K ラジオ「明日への言葉」。 

      

   「夜学」が秋の季語、ナゼでしょうねえ。

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鴉とひととき    鳥野

2010年09月28日 | Weblog
ようやく秋めいて、空気も澄み、生き物すべてが息づいてきた様子。

ベランダに鳩がよくやってきて、甘え声を出しています。

先日の夕方、堀川沿いの桜の木で、鴉が2羽、通りかかったワタシに啼きかけてきました。(ような気がしました)
そこでワタシも負けずに返答。物まね声でカーカーと大声をあげると、なんと、どこからか仲間らしき群れが集まって、啼き立てるのです。

警戒するのか、物ねだりか、はた仲間と認めたのか。啼き交わしは暫く続きました。
川向こうは、名城公園。薄闇の空が広がって、嘴太鴉の声は次第に物悲し気になっていきました。

  ・ 恋う恋うとあきらめ悪き大鴉あれは夕日に溶けたというに

                          鳥野
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秋の雨お食事処灯りたり    朱露

2010年09月27日 | Weblog
  

   県道の向こうがお食事処「とみわ」。
   住んで三十年だが入ったことがない。
   秋の夕暮れ山裾の平屋に灯が入った。
   「秋雨人を愁殺す」って誰の言葉だ。

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かなかなの梢国文学科あり     遅足

2010年09月27日 | Weblog
地下鉄の駅が大学の構内にあり、駅までを歩きます。
けやきの木にかなかなが・・・
ちょうど、文学部の4階あたりで、国文学科がありました。





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すき焼きの肉なくなって話し込む    朱露

2010年09月27日 | Weblog

      すき焼きは冬と思っていたが無季だった。
      四季を通じて食われてはやっていけない。
      ホストだから控え目にしたら忽ち肉なし。
      「武士は食わねど高楊枝」と豆腐を食う。

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寄物陳思   遅足

2010年09月26日 | Weblog
①いきいきと死んでゐるなり水中花

②いきいきと死んでをるなり兜虫


川柳作家の樋口由紀子さんは、この2つの句について
こんなことを言っています。

①は川柳人が、②は伝統派の俳人に支持する人が多い。
川柳人には、生きているように見える死んだ兜虫は、
そのままで、面白くない。

川柳は、自分との関係でモノを詠む。感情移入をする。

もともと生死と関係のない水中花。
それを死んでいるようだと見る。
①は、自分を水中花に感情移入した句。

一方、②の兜虫の句は、
モノとしての兜虫を取り出してみせた句。
兜虫という季語が持っている世界にひたって
句を味わうことになる。

川柳人には、季語感覚がないので、兜虫の句は興味を引かない。

   

寄物陳思。
モノに托して思いを陳べる、とは昔から言われていること。
いずれにせよ思いを伝えるために詠むのですが
比重の置き方に違いがあるようです。

思いを陳べるためにモノに比重を置いて詠む。
思いを悟らせない。これが俳句。
一方、思いに比重をおいてモノを詠む。モノは脇役。これが川柳。

私は、どうも川柳のほうが好きなようです。


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秋の田の車をよける烏かな    朱露

2010年09月26日 | Weblog

     我が豊橋東部の低い山麓は穀倉地帯。
     九月末ともなると一面黄金の海状態。
     その中を広い農道が一本走っている。
     ここで毎年烏を轢き殺しそうになる。 

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秋風の自転車○○へ角曲る    遅足

2010年09月25日 | Weblog
新しい自転車を買いました。
電動自転車です。
スタートする時に、ペタルを強く踏み込まないように
注意を受けました。
思わぬ速さでスタートして事故につながるとのこと。

注意して出発。
いつもは降りて歩いた坂もスムース。
秋風とともに、どこまでも・・・

さて、どこまで行きましょう?

○○を入れて楽しんでいます。


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秋高しイチローという困り者    朱露

2010年09月25日 | Weblog

    みんな同じ程度でいてもらいたいわけ。
    少し位の違いはまあ我慢してもいいが。
    しかしそれでは生きていても詰らない。
    同時代にイチローが居るのを喜ぼうよ。

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センニンソウ                    草女

2010年09月24日 | Weblog
連れ合いが体調を崩していまい、野外に出歩くことができない日々が続いた。そんな私を慰めるかのように柿の木いっぱいにセンニンソウが咲いた。キンポウゲ科センニンソソウ属のつる性の半低木というと堅苦しいが園芸種のクレマチスと同じ仲間。花は直径2~3㎝上向きに無数と言っていいほど咲く。花弁に見える4個の萼片の中に長い雄しべが美しい。花が終わると雌しべがのび、白くて長い毛が密生する。この様子を仙人の髭にたとえて仙人草という名が付いたという。

 我が家のセンニンソウは海上の森から種を持ってきて芽生えたものであるが、ここまでの道のりは長かった。7年前の秋から海上の森を歩き始めたため、センニンソウとの初対面は長い毛のある種であった。花を見たことはなかったが、家でも咲かせたいと思いこっそり種を採りティシュに包んでポケットに入れておいたのに、洗濯をするときすっかり忘れ、そのまま洗濯機の中。以来秋になると、種を持ち帰り播くが発芽しない。熟しているかどうかもわからないし、播き方も分からない。いつか芽生えるだろうと毎年根気よく続けた結果、昨年から咲き始めた。ただ何時巻いたかのもか、分からないのだ。

 センニンソウを庭で栽培するのは、問題がある。茎や葉に皮膚にかぶれを起こす有毒物質を含む。ネットには、この葉をもんで手首の内側に絆創膏で貼り、水ぶくれを作ることによって扁桃腺炎が治るという記事が数多く出ていた。毒と薬は紙一重だということは承知しているが、これには驚いた。しかもそれが扁桃腺炎に効く理由は分かってていないというのに、テレビで紹介されて広く知れ渡ったという。確かにセンニンソウの根は漢方では威霊仙(いれいせん)と呼び、利尿、鎮痛等に用いるそうだけれ
ど、私ならやらない。もっとも私の扁桃腺は体力の限界をかなり超えた時に炎症を起こすくらいだから深刻ではないので、とやかく言うべきでないかもしれない。

 
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指紋まだなき白桃を雲に置く  工藤博司

2010年09月24日 | Weblog
先日の赤旗・文化欄で見つけた句。

桃という言葉は様々なイメージを引き寄せる。
それは読む人と桃とのかかわり方でもある。

指紋という言葉は、どちらかと言えばマイナスのイメージが強い。
桃には、収穫から食卓まで、一体、いくつの指紋が残されるのであろう。
そのたびに桃は汚されていくのだろうか。

作者は、指紋のついていない無垢な桃を詠んでいる。
雲に置く、という表現に、天上にあこがれる気持ちを
読み取るのは読者としての楽しみでもある。

作者には、他に、こんな句がある。

 ふるさとの石を噛んでる塩とんぼ

 「ドイツイデオロギー」読み切って夏終る

             (遅足)
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秋の雨何故か鬼平犯科帳    朱露

2010年09月24日 | Weblog
  

      池波正太郎は十一年上の大先輩だ。
      戦前戦後の東京を存分に生きた人。
      私は人の顔色を見ながら生きる人。
      それも一つの生き方ではあるけど。

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