575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「他愛もない嘘」

2021年02月27日 | Weblog



和田誠<わだまこと>1936年 大阪生まれ。父の勤め先がNHK大阪放送局。終戦となり都内の世田谷代田に転居します。都立芦花高校を経て多摩美術大学のデザイン科を卒業。1959年広告代理店ライトパブリシティにデザイナーとして入社します。ちなみに、学生時代にジェームズ・スチュアートにファンレターを送り、イラストを褒められたことがデザイナーになるきっかけだったといわれています。

「ひとだまの 明るさのもと 月見草」〈独鈷〉

1964年に灘元唯人、宇野亜喜良、山口はるみ、横尾忠則らと東京イラストレータズ・クラブを結成。フリーランスとなってからは週刊文春の表紙や三谷幸喜、阿川佐和子の装丁などをデザイン。黒柳徹子の「窓ぎわのトットちゃん」の装丁をデザイン。それが縁となり「徹子の部屋」に出演しています。

「マンモスを 閉ざして氷河 静かなり」〈独鈷〉

1984年には真田広之主演の「麻雀放浪記」や小泉今日子主演の「怪盗ルビィ」などの映画を監督。さらに、久里洋二、柳原良平、真鍋博とアニメーションの会を結成。手塚治虫や横尾忠則も参加し青山一丁目の草月ホールで上映会を行うなど幅広い分野で活躍します。

「秋茄子を デニムの膝で 磨きけり」〈独鈷〉

現在、和田誠の句集「白い嘘」は稀少本で入手困難。Amazonでも売り切れ状態のまま。親交があったというコピーライターより句集を借り引用できました。なお、笹公人と和田誠の共著「連句遊戯」白水社刊はAmazonで販売されています。

「風車 草の匂ひの 幼年期」〈独鈷〉

和田家は月に一度、親族が集まる句会があり幼少期より俳句を詠んでいたといわれています。和田誠が句集を出すことは当然かもしれません。ちなみに、句集「白い嘘」は”White lie” 訳すると「他愛もない嘘」となります。

「ぶらんこの 上には芝生 下は空」〈独鈷〉

和田誠の妻は料理愛好家の平野レミ。長男の妻は女優の上野樹里。和田誠に頼まれレミを紹介したのはラジオ番組で共演していた久米宏。天衣無縫なレミに翻弄されていた久米は気乗りしなかったと語っています。和田誠。享年83歳。

写真と文<殿>

Makoto Wada <和田誠> Born in Osaka in 1936. His father works at NHK Osaka Broadcasting Station. He will move to Setagaya Daita in Tokyo at the end of the war. He graduated from the design department of Tama Art University after graduating from Tokyo Metropolitan Ashihana High School. In 1959 he joined the advertising agency Light Publicity as a designer. By the way, it is said that he sent a fan letter to James Stewart when he was a student and was praised for his illustrations, which made him a designer.

"Evening Primrose under the Brightness of Hitodama"

In 1964, he formed the Tokyo Illustrators Club with Tadahito Nadamoto, Aquirax Uno, Harumi Yamaguchi, Tadanori Yokoo and others. After he became freelance, he designed the cover of Shukan Bunshun and the bindings of Koki Mitani and Sawako Agawa. He designed the binding for Tetsuko Kuroyanagi's "Totto-chan of the By the window". That is the reason why he appears in "Tetsuko's Room".

"Close the mammoth and make the glacier quiet"

In 1984, he directed films such as "Mahjong Horoki" starring Hiroyuki Sanada and "Phantom Thief Ruby" starring Kyoko Koizumi. In addition, he formed an animation group with Yoji Kuri, Ryohei Yanagihara, and Hiroshi Manabe. He is active in a wide range of fields, including screenings at Sogetsu Hall in Aoyama 1-chome with the participation of Osamu Tezuka and Tadanori Yokoo.

"Polished autumn eggplant with her denim knees"

Currently, Makoto Wada's haiku collection "White Lie" is a rare book and difficult to obtain. It remains sold out on Amazon. I was able to borrow a haiku collection from a copywriter who said that I had a friendship. In addition, Kimihito Sasa and Makoto Wada co-authored "Renku Yugi" published by Hakusuisha, which is sold on Amazon.

"Windmill Grass Smell Childhood"

It is said that the Wada House has a haiku poem once a month where relatives gather and has been writing haiku since childhood. It may be natural for Makoto Wada to publish a haiku collection. By the way, his haiku collection "White Lie" translates to "White lie" as "a lie without love".

"The sky above the swing and the sky under the lawn"

Makoto Wada's wife is Remi Hirano, a culinary enthusiast. His eldest son's wife is actress Juri Ueno. Hiroshi Kume, who co-starred on a radio program, introduced Remi to Makoto Wada. Kume, who was at the mercy of the guiltless Remi, says he was reluctant. Makoto Wada. He is 83 years old.

Photograph and text

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快の膳湯気に春菊香り立つ  晴代

2021年02月26日 | Weblog


麗子さんはこの句に対し
「快の膳」に喜びが伝わって来ます。長引く不調を克服しての春菊の香りでしょうか?コロナにかかった人の嗅覚異常のことも頭をよぎりましたとコメントされました。
また
竹葉さん:病気の快復おめでとうございます。まずは嗅覚から食欲を!って、いいですね。
須美さん:快の膳には春菊の香りが合う と。

上五「快の膳」は、なかなか出ない言葉と思います。たった5文字で見事に全体の景が描かれていると思いませんか?題詠の春菊の青さ、香りも際立ちます。
ご存じのように俳句は世界一短い文学。限られた文字数でいかに多くのものを詠み込めるかが決め手です。この句からは
快気祝いの宴席での和やかな談笑、ご本人の笑顔、加えて春菊の香りと、音・映像・香りが鮮やかに浮かびあがります。だからこそ、この病はコロナではなかったか。久しぶりの身内の集りではなかったのかなどと、読み手がさらなる想像を広げることができるのです。お手本のようですね。

さて「春菊」の俳句づくりはいかがでしたか。私は苦戦をいたしました。
先人はどんな句を詠んでいるかなと調べたりもしました。

さすが子規庭の春菊見て一句  等

等さんも苦戦されたかなと勝手ながら想像していただきました。郁子


◇正岡子規の春菊句
 春菊や長屋の庭の夕ながめ
 春菊や今豆腐屋の声す也
 春菊や豆腐屋の声聞ゆ也  

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春菊やマスクはずして一人鍋  亜子

2021年02月25日 | Weblog

外食や会食がはばかられる昨今、
接待はなぜなくならないの?と。。この国は不思議なことばかりですね
独り言ちしながら
たまには家でひとり、マスクをとって気兼ねなく鍋を食べたい。
これは家族のために三食用意している主婦の言葉かな  (笑)

コメントです。
千香子さん:コロナ禍の中で外食するも、一人でせざるをえず、苦々しい思いでしょう。春菊の苦さと合っている感じです

等さん:今日この頃の一人暮らしの方の夕食の風景が、サラリと上手く表現されています。“マスク外して一人“が全てを表しています。

須美さん:今の状況にぴったり。

能登さん:早くこの状況が変わることを・・・

作者の亜子さんは、最愛のご伴侶を亡くし、おひとりの食卓。切なさも感じます。
台所に立ち続けることも、何作ろうと悩むことも幸せなこと・・と言えなくもない・・ 郁子
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ほろ苦き春菊語る人の道  郁子

2021年02月24日 | Weblog
今朝はまた冷え込んだ朝となりました。
三寒四温。俳句では冬の季語になるのだそうですが
体感としてまさに今の実感ですね。
逆に春菊は「春」という字が入っていながら鍋野菜で冬のイメージでした。
いただいたコメントをご紹介します。


等さん:”ほろ苦き”を「春菊」に掛けるか、「人の道」に掛けるか難しい所ですが、何れにしても 含蓄の多い良い句と思います。
 
千香子さん:久しぶりに帰省した息子と人生とは仕事とはなど話し合っている様子を想像しました。それは春菊みたいに苦いところもあるなどと。  

須美さん:春菊も人の道もほろ苦い。 

泉さん:春菊は他の野菜と違い少し苦いので味わい深い。

素敵に解釈してくださりありがとうございます。

春菊に人の道を語らせるなんて大仰なことを申すつもりはありませんでしたが、
分別くさい一句になったかもしれません。
最初は、苦手な春菊を前に、これを克服せねば一人前とは言えないぞ!と言われている少年をモチーフに考えていました。
大人になるための可愛い登竜門 しかし容易に進めぬ人の道。

 春菊食ぶ親指たてて大人へと 

実はこの句が最初でした。
  (これじゃ、訳わからないよなあ・・・)と推敲していった一句です。意図が変わってしまったかな。
美味しいものを食べてgoodさながら親指をたてる幼い子を見ました。(笑)
子どものリアクションも最近はグローバル化しているように思いますが
いかが思われますか?  郁子
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春菊を吾子楽しめる歳となる  須美

2021年02月23日 | Weblog
作者の須美さん。「春菊」の兼題を考えて下さったのは、実は須美さんです。
小さい頃、春菊を嫌って食べなかったお子さんが歳をとり、好んで食べる様になったことを詠まれました。

多くの方の共感を得ました。

能登さん:
千香子さん:野菜、特に子供が苦手とする、香りと苦みのある春菊を、おいしいと感じて、食べられるようになった、子供の成長を頼もしく思っている様子が伝わってきます。
泉さん:若い頃はあまり好きでなかったのに 味を楽しめる年になったことがわかる。
亜子さん:春菊の苦みは大人の味。我が子がようやく春菊のおいしさがわかるようになった感慨を込めた一句。
能登さん:同感です。
結宇さん:まあ、ある年齢にならないと納得できない香りかもね。その成長ぶりを喜ぶ姿でしょうか。

私も頂きました。とても素直ないい句だと思いました。須美さんのお子さんはお二人ともすでにご結婚されていますが、いつ頃から春菊の味がわかるようになったのでしょうか?紅さんの句の12歳ごろでしょうか?
私はしばらく春菊を食べていないのでもしかしたらおいしく感じられる年になっているかも知れません。
皆さん、よい休日を。麗子
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「坂の上の美少女」

2021年02月21日 | Weblog



吉永小百合<よしながさゆり>1945年都内代々木の生まれ。父は東大法学部を卒業後に外務省を経て「シネ・ロマンス」という映画雑誌を刊行。しかし事業に失敗したため、少女時代の吉永小百合は新聞配達して家計を支えようとしていたと語っています。

「夏草の 陰に息づく 青がえる」<鬼百合>

吉永小百合は、地元の代々木中学から目黒の駒場高校へ入学。そして、早稲田大学の文学部に入学し文学士の称号を得ています。1957年「赤胴鈴之助」というラジオ東京の連続ドラマでデビュー。1959年「朝を呼ぶ口笛」が映画での初作品となります。1962年「キューポラのある街」の主役に抜擢。そして大ヒット曲「いつでも夢を」で歌手としても広く知られるようになります。

「ぬくもりを そっと抱きて 初雪の降る」<鬼百合>

余談となりますが、吉永小百合の駒場高校は井の頭線を挟んで東大の反対側。東大前の小さな商店街を抜け坂の上にあります。「昔、坂の上に美少女がいた」行きつけの八百屋の店主から聞いたことがあります。

「川澄みて 魚の背きらりと そぞろ寒し」<鬼百合>

吉永小百合は、松原智恵子、和泉雅子らと日活三人娘といわれ、純愛・青春の映画に出演。爆発的な人気を得る女優となりますが、清純な娘役から大人の女優への脱皮に逡巡。そのため、周囲を驚かすほど大胆な役柄や役作りに挑戦しています。しかし、定着した清純なイメージは払拭できなかったようです。その後、映画の衰退によりTVへ移行。NHK「夢千代日記」では艶やかな大人の女性の心情を演じきり高い評価を得ています。

「足袋白く舞う女<ひと>鼓つ女 唄う女」<鬼百合>

母方の祖母が、英文出版の社長。叔母は「婦人画報」の編集長。吉永小百合と文学との繋がりは生まれながらにしてあったと思われます。吉永小百合は「東京やなぎ句会」にも参加しています。実は「破礼句」を詠んでいます。俳句では、人間味あふれる吉永小百合の体温を感じることができるようです。ちなみに俳号は「鬼百合」<きゆり>

「松茸を 喰らひつしゃぶり つまた喰らひ」<鬼百合>

近年は反戦や脱原発などのボランティアへ活動の場を移しています。吉永小百合。お酒に強い小柄なスイマー。そして限りなく魅力あふれる女性。現在76歳。

"Beautiful girl on the slope"

Sayuri Yoshinaga.Born in Yoyogi, Tokyo in 1945. After graduating from the Faculty of Law at the University of Tokyo, her father went through the Ministry of Foreign Affairs and published a movie magazine called "Cine Romance." However, she says that because of the failure of her business, Girls' Generation Sayuri Yoshinaga was trying to support her household by delivering newspapers.

"The blue that lives in the shade of summer grass" <Kiyuri>

Sayuri Yoshinaga entered Komaba High School in Meguro from her local Yoyogi Junior High School. And she enrolled in the Faculty of Letters at Waseda University and she has the title of Bachelor of Arts. She made her debut in 1957 with a serial drama on Radio Tokyo called "Akado Suzunosuke". Her 1959 she made her first film in her movie, "The Whistle Calling the Morning." She was selected as the protagonist of "City with Cupola" in 1962. And with her blockbuster song "Always Dream", she became widely known as a singer.

"She gently embraces the warmth and the first snow falls."<Kiyuri>

As an aside, Sayuri Yoshinaga's Komaba High School is on the other side of the University of Tokyo across the Inokashira Line. It is located on a slope through a small shopping street in front of Todaimae. I've heard from the owner of a favorite greengrocer, "Once upon a time, there was a beautiful girl on the slope."

"The river is clear and the back of the fish is cold and she is all cold." <Kiyuri>

Sayuri Yoshinaga is said to be the three daughters of Nikkatsu, including “Chieko Matsubara” and “Masako Izumi”, and has appeared in pure love and youth movies. She becomes an actress who gains explosive popularity, but she crawls from her innocent daughter role to an adult actress. She is therefore challenging her bold roles and roles to the extent that she surprises her surroundings. However, it seems that her innocent image that had taken root could not be dispelled. She then moved to TV due to the decline of her film. In NHK's "Yume Chiyo Diary", she plays the emotions of a lustrous adult woman and she is highly evaluated.

"Tabi white dancing woman drumming woman singing woman" <Kiyuri>

The maternal grandmother is the president of English publishing. Her aunt is the editor-in-chief of "Fujin Gaho". It seems that the connection between Sayuri Yoshinaga and her literature was her natural connection. Sayuri Yoshinaga also participates in the "Tokyo Yanagi Kukai". She actually wrote a "rude phrase". In haiku, you can feel the body temperature of Sayuri Yoshinaga, who is full of humanity. By the way, her haiku name is "Tiger lily" <Kiyuri>

"Eat matsutake mushrooms, suck them, and eat them again" <Kiyuri>

Sayuri Yoshinaga. She is now 76 years old. In recent years she has moved her activities to volunteers such as anti-war and nuclear power plants. Sayuri Yoshinaga, a petite swimmer. She and she is an endlessly attractive woman.

Photograph and text <Tono>
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「上を向いて歩こう」

2021年02月21日 | Weblog


永六輔<えいろくすけ>1933年 都内浅草の生まれ。元浅草の正尊寺が生家。江戸時代に帰化した中国人を祖先とし永を「ヨン」と呼称していた時期もあったといわれています。1944年、戦禍を避けるため長野県の佐久に転居。終戦後、東京に戻り早稲田に転入。学資を得るために秋葉原で中古の部品集めラジオを作り渥美清らと販売しています。

「寝返りを うてば土筆は 目の高さ」<六丁目>

ラジオの製作で聴いていたのがNHKの「日曜娯楽版」この番組プロデュサーで日本の放送作家の草分けともいえる三木鶏郎の誘いにより司会者、放送作家としてデビューします。

「ゆるゆると 湯舟に沈む 初冬かな」<六丁目>

1961年にNHK制作でスタートした音楽バラエティTV番組「夢であいましょう」で作と構成を担当。渥美清、坂本九、黒柳徹子らにより、オシャレで斬新な番組として大人気となりました。また、独特の語り口を生かしディズニー映画「わんわん物語」の声優を担当。作曲、中村八大「上を向いて歩こう」作曲、いずみたく「見上げてごらん夜の星を」などの作詞も担当。マルチプレイヤーとして精力的に活躍します。

「猫八が 虫を鳴く夜の 寄席を出る」<六丁目>

後年となりますが「永六輔の土曜ワイドTokyo」で無名だった久米宏を抜擢。久米は自らの番組「ニュースステーション」で永を「生涯の恩人」と語っています。ちなみに、永はつぼイノリオと親交があり、CBCラジオ「つぼイノリオの聞けば聞くほど」に出演した際のギャラは天丼との由。

「朝市に 紅を添えたり 唐辛子」<六丁目>

永は、直木賞作家で演劇プロデューサー安藤鶴夫と親交があり、能、狂言、歌舞伎、落語などの伝統芸の知識を得ています。また、生家である浅草の最尊寺で「永住亭」という寄席を定期的に開催。また「住吉木遣り連 大江戸小粋組」など江戸の古典文化の保存にも尽力しています。

「一瞬の 梅が香やがて 降りる駅」<六丁目>

六輔は1969年に結成された「東京やなぎ句会」の創立メンバーで、小沢昭一、江國滋、桂米朝、加藤武、柳家小三治など錚々たる顔ぶれが並びます。永は下部組織として「やなぎエンタープライズ」を設立。句会員の落語や講演などを催し句会の運営費を得ています。永は句友の葬式を生家の寺で行い、余剰金で旅に出ると語っていたそうですが叶わぬ夢となりました。

「遠まわりして 生きてきて 小春かな」<六丁目>

永は愛妻家で日本テレビの廊下で一目惚れした女性と結婚。68歳の時に妻に先立たれ、妻宛のハガキを1500通書き続けています。永六輔。俳号「六丁目」享年83歳。


写真と文<殿>
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「俳句の海に潜る」

2021年02月20日 | Weblog


小澤實<おざわみのる>1956年 長野の生まれ。1972年。松本深志高校に入学し、ガリ版による手作りの詩集を出版。ちなみに、小説「なんとくなくクリスタル」で知られ長野県知事となった田中康夫とは同級。信州大学の文学部に入学。信大連句会の会員となり同大学教授の東明雅やのちに国文学者となる宮坂静生より俳句を学びます。

「本の山 くづれて遠き 海に鮫」<實>

やがて、水原秋桜子の弟子で俳誌「鷹」を主宰していた藤田湘子に師事。自らも「信大俳句会」を結成します。上京し成城大学の研究課程に進学。江戸時代の北条霞亭など漢詩人の研究に没頭します。

「かげろふや バターの匂ひ して唇」<實>

1985年、「鷹」の編集長に就任。1998年、句集「立像」により俳人協会の新人賞を受賞。2000年「澤」を創刊し主宰者となります。ちなみに、相子智恵、川上弘美、野崎海芋、葛西省子、押野裕など斬新でユニークな感性を持つ俳人たちは實の門下生。

「北斎漫画 ぽろぽろ人の こぼるる秋」<相子智恵>

「ばれをるも 使ふ居留守や 目白鳴く」<川上弘美>

「潜望鏡上げよ さくらの夜なれば」<野崎海芋>

「蜂の子の 手足出たるを 食べよと」<葛西省子>

「大学に 羊生まれぬ 秋の風」<押野裕>

小澤實は「俳句は謙虚な詩である」を信条とし作者の個性より詠み手の気持ちを考えるべきと述べています。さらに、下記の句のように中七で切れ、下五でさらに描写を続ける手法は「澤調」と称されています。

「たれ刷いて うなぎの艶や さらに刷く」<實>

人類学者中沢新一との共著「俳句の海に潜る」角川書店刊は、自然や仏教と俳句との関わりを記した異色の対談集。拙文の参考にさせていただきました。小澤實は早稲田大学や跡見学園女子大学で講師を務め、NHK俳句選者や角川俳句賞の選考委員など幅広い分野で精力的な活動を続けています。小澤實。現在65歳。句会は下記サイト。http://www.sawahaiku.com/


写真と文<殿>
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春菊や花のみ愛でし乙女あり  竹葉

2021年02月19日 | Weblog

春菊も花であった・・よく考えたらあたりまえでした。
食用にしているのは東アジアだけで、他の国はもっぱら観賞用なのですね。
可憐な花の写真もネットで検索しました。

この句に対して
殿さま: 近似句を作句「春菊に 脇役となる 花ありて」さらに推敲した感。
紅さん: 描写が美しい
佐保子さん、晴代さんも票を投じました。

私もいただきました。
美しい描写の裏に何か含みがあるかと想像し、
乙女を、まだ幼い少女ととりました。
苦味の閾値の低い子どもは、多分春菊は苦手でしょう。
麗子さんもそうでしたか (笑)
食べられない春菊を前に「私はお花だったら好きだったのに・・」というおしゃまな言い訳が聞こえてきました。

竹葉さんから投句メールをいただいた際、日常がほの見えるこんな文章が。。
 夫に出来た句を聞かせたら「春菊って花だろう!」って、緑の葉物は子供並みにお箸を避けます。
私や熟年の娘は春菊の苦味など苦味にはいりませんが。そう言えば昨日庭の隅で取れた蕗の薹を楽しみました  

思わず笑ってしまいました。
ひょっとして、乙女の正体は旦那さまだったでしょうか。  郁子

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春菊や湯に放たれて踊りだす  麗子

2021年02月18日 | Weblog
今朝はまた雪景色。ヒーターの前から離れられません。
春菊メール句会も終わりました。また、皆様からのコメントなどを載せていきたいと思います。

香り高く彩り豊かな春菊。冬の鍋料理に欠かせません。
くつくつと煮え始め、春菊の手足が踊るかのように揺れている状況を詠んでみました。
選句していただいた方のコメントです。

殿様:擬人化による躍動感あふれる句。
能登さん:確かに踊りだすような動きですね。 
郁子さん:湯に放たれた春菊の様子が目に見えるよう、春の躍動感も。
泉さん:鍋物で湯気とともに踊っている様子。
亜子さん:春菊の葉は、お鍋に入れる時、ホウレンソウなどに比べて軽いと思うので踊るという感じがよくわかる。
紅さん: 動が効いている。

ありがとうございました。実は、私、正直に言うと春菊は好んでお鍋に入れないのです。すき焼きにも(笑)
まだまだ子供の味覚なのでしょう。
今夜は寒の戻りでまた皆様のご家庭の食卓にお鍋登場しそうですね。春菊も踊るかな?麗子



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2月 春菊句会の発表です!

2021年02月17日 | Weblog
① 春菊やマスクはずして一人鍋  (亜子)能登 等 佐保子 千香子 須美
② 春菊の郷の記憶はどのページ (結宇)
③ 春菊の 青き香りの 水彩画 (殿)等 遅足 紅 竹葉 結宇
④ さすが子規庭の春菊見て一句 (等)郁子
⑤ 薹立ちて春菊子孫残したる (能登)佐保子
⑥ 春菊や湯に放たれて踊りだす (麗子)殿 能登 郁子 遅足 泉 紅 亜子
⑦ 快の膳湯気に春菊香り立つ (晴代)麗子 須美 竹葉 結宇
⑧ 春菊の湯気にさそわれ味香り (泉)
⑨ 春菊を吾子楽しめる歳となる (須美)能登 麗子 千香子 泉 亜子 結宇
⑩ 園庭の春菊和える年長児 (千香子)晴代 
⑪ 春菊の 旨さ覚える 十二歳 (紅)殿 亜子
⑫ 春菊や花のみ愛でし乙女あり (竹葉)殿 郁子 佐保子 晴代 紅
⑬ ほろ苦き春菊語る人の道 (郁子)等 晴代 千香子 須美 泉
⑭ 春菊や葉先のすでにいたみそむ (佐保子)麗子 遅足 竹葉
⑮ 三月の新芽の香り誕生日 (遅足)

自由題
① 春の日やこころ拡げて物干し台 (郁子)麗子 晴代 須美 亜子 竹葉 結宇
② 吹流しちぎれんばかり春一番 (須美)泉
③ 鳥獣戯画の切手の便り春の雲 (千香子)能登 麗子 晴代
④ 節分や豆拾う子の年いくつ (結宇)郁子
⑤ 福はうち豆の小袋ベッドの中(うち)(等)須美
⑥ 節分や年々ふえる豆の数 (泉)
⑦ 蟇(ひき)穴を出てコロナ禍に合掌す (亜子)竹葉
⑧ わすれ雪うれしさつらさふりつもる(能登)等 遅足 佐保子 泉 竹葉
⑨ 紅のなほあたらしき泪壺 (遅足)能登 等 千香子 
⑩ 横顔の梅蕊弾け青空に (竹葉)郁子
⑪ 鈍色(にびいろ)の 午後のどこかに 梅の花 (殿)等 遅足 佐保子 千香子 須美 紅 亜子 結宇
⑫ 老梅や香よし枝よし空青し(晴代)殿 泉 紅
⑬ 梅の木の枝ごと違ふ花の数 (佐保子)殿 麗子 遅足 晴代 千香子 紅 亜子 結宇
⑭ 立春やリフォーム始まる古き家 (麗子)郁子 佐保子
⑮ 首都高の バックミラーに 小さき春 (紅)殿 能登

トップ賞は
兼題 麗子さん
自由題 殿さまと佐保子さん でした。
おめでとうございます!
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春菊句会の投句が揃いました。

2021年02月16日 | Weblog
お鍋の彩りに欠かせない春菊。香り高い大人の味が揃いました。どの春菊がお気に召したでしょうか?
明日、結果を発表しますね。麗子

春菊句会 2021.2月
① 春菊やマスクはずして一人鍋  
② 春菊の郷の記憶はどのページ 
③ 春菊の 青き香りの 水彩画 
④ さすが子規庭の春菊見て一句 
⑤ 薹立ちて春菊子孫残したる 
⑥ 春菊や湯に放たれて踊りだす 
⑦ 快の膳湯気に春菊香り立つ 
⑧ 春菊の湯気にさそわれ味香り 
⑨ 春菊を吾子楽しめる歳となる 
⑩ 園庭の春菊和える年長児 
⑪ 春菊の 旨さ覚える 十二歳 
⑫ 春菊や花のみ愛でし乙女あり 
⑬ ほろ苦き春菊語る人の道 
⑭ 春菊や葉先のすでにいたみそむ 
⑮ 三月の新芽の香り誕生日 


自由題
① 春の日やこころ拡げて物干し台 
② 吹流しちぎれんばかり春一番 
③ 鳥獣戯画の切手の便り春の雲 
④ 節分や豆拾う子の年いくつ 
⑤ 福はうち豆の小袋ベッドの中(うち)
⑥ 節分や年々ふえる豆の数 
⑦ 蟇(ひき)穴を出てコロナ禍に合掌す 
⑧ わすれ雪うれしさつらさふりつもる 
⑨ 紅のなほあたらしき泪壺 
⑩ 横顔の梅蕊弾け青空に 
⑪ 鈍色(にびいろ)の 午後のどこかに 梅の花 
⑫ 老梅や香よし枝よし空青し
⑬ 梅の木の枝ごと違ふ花の数 
⑭ 立春やリフォーム始まる古き家 
⑮ 首都高の バックミラーに 小さき春 
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追悼句 キンセンカ咲きたる庭に友はなく 竹葉

2021年02月15日 | Weblog

2月11日のこのブログで「どさり落つ張り出し雪や友の逝く」と「大寒や星にひと声闇に染む」について取り上げて頂いたので私的なことで恐縮ですが追加させて頂き、またこの機会に俳句の嘘についてもちょっと書かせて頂きます。

1月の初めに亡くした友は私と同郷の地で生まれ育ち18歳からの友人でした。
偶然50年近く前同じ千葉に住み、本格的な友情を育んできました。東京へ演劇や美術館や音楽会に行ったり、時々電話で悩みや愚痴など手が痺れ耳が痛くなるほどの長電話をし、会ってないお嫁さんやお孫さんのお名前も人柄も知っていて、初めて今回お会いしても、向こうも私を下の名前で呼んでくれてああだった、こうだったと同じ事柄の話が弾みました。
彼女は日本の古典も勉強していましたが英語の勉強から教会に通っており、西洋文化により傾倒していました。だから、本当はキンセンカより薔薇が相応しい人でした。
本当に得難い友だったとなくして日々思い出され、俳句は不思議な程次々浮かんできます。

亡き友の家はマンションで庭はなく、大きめのベランダに形よく陶器の鉢に木や木箱にジュリアンなど綺麗に植えてありました。「友はなく」以外は事実ではありません。事実ではない嘘は普通の生活ではあまり許されませんが、俳句では嘘は想像と創造の産物で、もはや嘘ではなくれっきとした句となって作者から離れた作品になるのですね。辻桃子は「なぜあなたの俳句は佳作どまりか」で「正直に」と言いながら、本当は弟はいないが自作の俳句に弟を詠んでいます。俳句ではどうしてもという時は許されるとありました。どこまでが許されるのか、読み手が真実と捉えられればよいのでしょうか。

前掲の句は友の死に合う花を花言葉からキンセンカを見つけて、仏花として育てていた義母を思い出し使いました。
また1月の投句の雪は昔の大雪のドキッとした感じを思い出して作りました。
ただ後から考えると「どさり落つ」は俳句に相応しくないどぎつい表現だったと反省しています。俳句には使わない方が良い言葉がありそうで、もっと勉強しなくては。。

さて、友のことを詠んだ句を最後に並べさせていただいて終わりにします。

眠れぬと言いし友あり合歓の花
しにたいを聞き流しをり暮れの鐘
耳の中蝉時雨鳴る一月七日
友多き友を見送る赤き薔薇
教会に通いし友に数珠もちて
友の孫深々礼すキンセンカ
友の子と泣き笑いして語る冬
美しき英語絵本や眠れる森の美女
既読無き溢れる言葉雪解けん
友の笑みあの雲乗りて春呼びに
今日もまた星流れるや冬空に

竹葉

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「阿吽」

2021年02月14日 | Weblog


加藤武<かとうたけし>1929年 都内築地の生まれ。生家は築地市場の仲卸業。両親や姉が古典芸能を嗜んでいたこともあり、幼い頃から東銀座の歌舞伎座に通い顔なじみだったという逸話があります。銀座の泰明小学校から麻布中を経て早稲田大学に入学。フランキー堺、仲谷昇、小沢昭一は麻布中の同級生。早稲田大学では演劇研究会に入り今村昌平や北村和夫と親交を深めます。

「ひたし菜の 色さえざえと 白子干」「阿吽」

早稲田大学を卒業した後、新宿の大久保中学で英語教師を務めます。しかし、1952年に辞職して文学座の研究生となり、最盛期の杉村春子より演劇の指導を受けるという幸運に恵まれます。一時期、小沢昭一や永六輔と芸能座を結成しますが、文学座に戻り役者だけでなく演出や脚本家としても活躍します。

「水琴の やがて音せり 土用照り」「阿吽」

1954年、黒澤明監督「七人の侍」1957年、「蜘蛛巣城」を経て「悪い奴ほどよく眠る」で主人公の相棒という準主役に抜擢。黒澤映画には欠かせない俳優となります。また、金田一耕助シリーズでは、胃痛持ちの警部役として出演。近年では「釣りバカ日誌」の専務役など日本を代表する一流のバイプレーヤーといっても過言ではないでしょう。

「船のまま 佐渡に抱かるる 五月晴」「阿吽」

加藤武は江國滋や小沢昭一らと東京やなぎ句会の同人。俳優は仕事の持つ特質から心情を詠んだ句が多い気がします。しかし、自然を古典的に描写した硬調な句が多く、軽妙な雰囲気を持つ役者「加藤武」とは全く違う顔を見せています。下記は加藤武が家庭を持った頃の句。父親としての優しい実像が見えてきます。

「髪結いし ままおとなしく 初湯かな」「阿吽」

「存分に 障子破らせ 春支度」「阿吽」

加藤武。死の前日まで精力的に仕事をこなし急逝。享年86歳。俳号は「阿吽」<あうん>。阿吽とは神社の狛犬。対の狛犬は心で通じ分かり合うとされています。「よし! 分かった」加藤武の姿が浮かびます。


写真と文<殿>
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「猫のいる風景」

2021年02月13日 | Weblog


こしのゆみこ 1951年愛知県幡豆郡幡豆町の生まれ。幡豆町は市町村統合により現在の西尾市。実家は三河湾に浮かぶ兎島が望める風光明媚な地で「越野商店」というよろず屋を営んでいました。

「夏氷 皿百枚 越野商店」<こしのゆみこ>

ゆみこの父は「漁藍」という俳号を持つ俳人。ゆみこは父より俳句を学びます。1989年「海程」に入会し金子兜太に師事。海程は1960年代に俳壇で起こっていた伝統回帰の流れに対し、自由な表現を目指す前衛俳句の中心的な存在の同人誌でした。造形俳句の実践的な場として日本の俳壇に大きな影響を与えたといわれています。しかし、2018年に終刊。現在は2018年月創刊の「海原」に継続されています。

「金魚より 小さいわたしの いる日記」<こしのゆみこ>

ゆみこの第一句集は「コイツァンの猫」ふらんす堂刊。あとがきによれば「コイツァン」とはゆみこが訪れたイタリアの海辺の町。散歩しながらのぞく路地にはいつも猫がいた。と記されています。陶芸家でもあるゆみこは、コイッアンで見かけた猫の陶器を制作し句集の装画としています。シンプルな装丁。ページをめくるとあらわれる斬新な世界に惹きこまれていきます。

「砂糖菓子の 溶ける快楽 平泳ぎ」<こしのゆみこ>

ゆみこの第一句集「コイツァンの猫」の上梓と同時期に猫の陶芸作品を集めた「陶猫展コイッァンの猫」は銀座のギャラリーで開催されています。俳句が添えられたモノクロの写真と陶器の猫が展示。ゆみこの制作する猫たちは無表情に近く仏像のようなおだやかさを感じます。

「青ばかり 使う日子猫 抱きにけり」<こしのゆみこ>

1994年、ゆみこは俳句結社「豆の木」を結成。1996年には、有季定型、無季、口語、自由律を信条とする現代俳句協会の新人賞を受賞しています。

「紅葉かつ散る 空色にぬる おもちゃ箱」<こしのゆみこ>

こしのゆみこ。現在70歳。宗主である金子兜太は「芽吹きのはじまった枯れ木の中でぼんやりと、なんとなくにこにこと、そこにいるのである」とゆみこの不思議な魅力を述べています。ゆみこは独自の世界で猫たちと暮らしている感。


写真と文<殿>
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