575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

遠雷や増せり悔しさ負け試合  すみ

2017年07月31日 | Weblog
遠雷が季語です。雷は一年中起こりますが、
夏の雷は特に強く、落雷して危害をおよぼすことから
夏の季語とされています。
副題(季語を表す別の言葉)も多く、
遠くに聞こえる「遠雷」、晴れ間に走る「日雷」、
他にも「雷鳴」「迅雷」「はたた神」など様々です。
雷につきものの「稲妻」は秋の季語なので要注意。
稲を実らせる雷が「稲妻」というわけです。
「雷」は音に重きを置いた季語ですね。
(夏井いつきさんの解説です)

夏の高校野球の出場校が決まっていきます。
歓喜の声、落胆の涙・・・
早稲田実業の清宮選手の甲子園出場はなりませんでした。

句の試合はもう少し低学年の試合と読みました。
野球か、サッカーでしょうか。
家に帰ってきてからも悔しそうな表情。
リードしていた試合を逆転されてのでしょうね。
その心を象徴するように遠くで雷の音が・・・
口惜しさを噛み締めて子どもは成長して行きます。(遅足)

遠雷といえばこんな句も。

  遠雷や襖へだてし兄の黙  池田澄子

思春期の兄妹の微妙な関係が背景にありそうです。

  遠雷やはづしてひかる耳かざり  木下夕爾

  遠雷の蜻蛉がとまりなほしけり  加藤楸邨

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園バスの子の目の先に夏つばめ  郁子

2017年07月30日 | Weblog
幼稚園バスに乗っている子供。一人?二人?
なにかを目で追っています。
作者の目の前を横ぎって飛んでいく影。
それは燕の姿でした。
ああ、園児たちが見ていたのは燕だったと。

季語は夏燕。
燕は、春、南方から渡ってきて、春から夏にかけて産卵。
雛を育てる頃の夏燕は、野や町を忙しく飛び回っています。

言外にバスを待っているお母さんの姿をも連想させます。
この句のままでも良いと思いますが。
もう少し映像を補ってみました。

  バス降りる子の目の先へ夏燕

イマイチですね。遅足


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ねむの花けんかの因は小さきこと   晴代

2017年07月29日 | Weblog
若い男女が些細なことから口喧嘩を始めて・・・
おさまるどころか、ドンドン声も大きくなって行きました。
作者が、そんな出来事に合歓の花を取り合わせた句です。
もともと小さなことが原因だから、仲良くして、というやさしさを感じます。

些細なことが炎上、大きな喧嘩に発展するこはよくあります。
相手の言い方が、以前の喧嘩を思い出させて、売り言葉に買い言葉。
このパターンに陥ると、なかなか脱出できません・・・・
当事者にしかわからない事情もあるのでしょう。

合歓の花といえば、

  ほほゑみといふしづけさに合歓の花  坂本宮尾

女性のやさしいイメージ。
合歓という漢字は、男女が仲良くしている様を表したものとか。
喧嘩も収まれば、前より仲良くなっていることでしょう。

                    遅足

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父、竹中皆二の短歌から ~久須夜岳(くすやだけ)~竹中敬一

2017年07月28日 | Weblog
内外海半島の入り口にある「いるかや」周辺も高度経済成長期、開発の波が
押し寄せてきました。
我が家の裏手に広がる入江の真正面に久須夜岳(619m)がそびえていますが、
昭和47年7月、この内外海半島のシンボルにエンゼルラインという名の観光有料道路が
開通します。
昭和45年(1970) の着工以来、秀麗で緑なす久須夜岳が次第に削られて赤茶けた肌を
さられしていきます。
その頃の父の歌から

 久須夜ヶ岳山肌赤く削られゆき 傷傷しかりし此の一年は

 赤肌となりたる久須夜の山の傷 わが神経にひびきて痛し

 幾億年かかりて今に落ちつける古生層の山ぞ 何ゆえ削る

 雨霧のおほへるときにおぼろなり 久須夜ヶ岳の山肌の傷

 入海の岬の山の真じかくに住みて四十年 山削らるる

エンゼルラインの工事を請け負った大手建設会社の社長は父と歌友であり、我が家へも
時々、立ち寄られたこともあります。
しかし、この一連の歌が短歌誌「創作」に発表されると、それ以来、父とその社長とは
疎遠になってしまいました。

父は自然破壊など社会の動きには常に敏感で、「いるかや」に立ち寄るお客さんを
つかまえて、社会の動きについての持論を喋っているのをよく見かけました。

その後、「いるかや」の周辺はどう変貌したのか。
昭和30年代までは藁葺きの家が殆どでしたが、次々に近代的な建物に生まれ変わり、
以前と変わらないのは、「いるかや」の建物ぐらいになりました。
村々へはトンネルが貫かれ、道は拡張されてアスファルト舗装されました。
父の昭和44年の歌に

 籠に担ひ魚運びしもなくなりて 単車走らす漁夫の女ら

小浜の町の魚市場まで、早朝、魚を運ぶのは女の仕事。籠に詰めた魚を荷(になえ)棒の
両端に吊るして肩に担い、一気に峠を越え、平坦地に出た所にある「いるかや」で、
一休みするのが習わしでした。それが単車に、更にマイカーに変わり、「いるかや」を
素通りしていくようになりました。

  写真は小浜港から見た久須夜岳(619m)
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夜の谷を行く   麗

2017年07月27日 | Weblog
梅雨明けしてからもすっきりしないお天気が続きます。蒸し暑さも加わってかなりバテ気味です。
桐野夏生さんの「夜の谷を行く」という小説を読みました。

小説は1972年のあさま山荘事件が舞台となっています。連合赤軍の山岳ベースから脱走した女性が主人公。あの壮絶な事件から39年。5年間の服役を経て一人静かに過ごしている女性の元に一人のジャーナリストが話を聞きたいと現れます。

2011年、2月5日永田洋子が獄中で病死。そして東日本大震災がおこります。世間との接触をさけてひっそりと生きて来た彼女でしたが、忘れてしまいたい過去が次々と思い出されていきます。
結婚を控えた姪にも事件のことは秘密にしていましたが、ハワイでの海外挙式に参加すると、もしかするとアメリカ大使館への放火の疑いで再び逮捕されるかもとおそれて姪に本当のことを話すことに。。。

二度と会わないはずだった同士との再会。次第に女たちの連合赤軍の真実が明かされて行きます。


あさま山荘事件の時、私はまだ小学一年生でした。
詳しいことは全くわからなかったのですが、大人たちがテレビに釘付けになっていたこと。鉄球が打ち込まれた様子などをなんとなく覚えいます。

悲惨なリンチ殺人の背景には何があったのか?女性の嫉妬が引き起こした事件なのか?大人になった今でも理解できません。
閉鎖空間の恐ろしさと密告におびえる心理状態など。決して気持ちのいい小説ではありませんが、あの時代を象徴する事件の小説は、まさに「まさに夜の谷を行く」ような不気味さです。

蒸し暑い夏に、凍り付くような寒さの一冊はいかがでしょうか?麗子
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枇杷食めば佛のやうな種ころり   亜子

2017年07月26日 | Weblog
この句、私が差し上げた枇杷を詠んだ句だそうです。
枇杷の種は果肉に比べて大きすぎると思います。
枇杷の身になってみれば、大切なのは種。
果肉は、いわばお駄賃ですから、小さいほうが良いのでしょう。
人間は誰も、もっと小さかったら・・・思うものらしいですね。

  邪魔なれば暇出されたる枇杷の種  中原道夫

種が転がったり弾んだりするのを詠んだ句もあります。

  枇杷の種はずみころがる海の家  桜井博道

  枇杷の種弾みて富士の山開き  飯田龍太

種が弾んで富士山の山開きが始まったという展開も面白いですね。

亜子さんのように種から仏様を連想する句は知りません。
仏のような種ころり。上手いですね。
決して種を邪魔ものとしていない。作者の人柄が感じ取れます。
種には薬効があり、焼酎に漬け込んだものが利用されてきたそうです。

こんな句があります。

  ふたまわり下の男と枇杷の種  池田澄子

年齢差の大きい男を枇杷の種と比較する発想・・・
主人公の女性(作者とは限りません)と
二回り下の男性との関係、どう読みます?  遅足





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文月や龍太の風の吹く日かな  静荷  

2017年07月25日 | Weblog

  文月や六日も常の夜には似ず

七夕の前夜を詠んだ芭蕉の句です。
文月は旧暦七月のこと。ふづき、ふみづき、と読みます。

龍太とは飯田龍太のこと。山梨県出身の俳人。
俳人・飯田蛇笏の四男で、父の俳誌「雲母」を継ぎました。
自然豊かな甲斐の風土を讃えた句を詠んでいます。

  水澄みて四方(よも)に関ある甲斐の国

四方を山に囲まれた甲斐の国。水の澄んだ美しい国。
国という古語が句に深みを与えています。

私の好きな句は、

  かたつむり甲斐も信濃も雨の中

龍太の風、とはこの句の風ではないでしょうか?

  どの子にも涼しく風の吹く日かな

有名な句を踏まえた作。
忌日を季語にしてしまう俳句ならではの句。
でも、ちょっとズルイな。   
                遅足
 
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日本の神話八月はじまりぬ  遅足

2017年07月24日 | Weblog
日本の神話といえば、古事記や日本書紀に記された天孫降臨神話。
でも八月に語りつがれるのは記紀神話ではありません。

1945年6日、広島へ。9日は長崎へ原爆投下。
そして15日の終戦、という敗戦の歴史です。

とくに15日は「終戦の日」として語られてきました。
なぜ敗戦と言わないのか?私には長い間の疑問でした。
ひとつの答えがこの句です。
史上最悪の危機に遭遇した日本人は、新しい神話を必要としていたのです。
そして、8月15日は、敗戦ではなく、昭和天皇の聖断によって戦争を終えた日とする。
新しい神話を創作したのではないでしょうか・・・
それにしても575の定型に押し込んだだけのダメ句ですね。

          

歌手で、作曲家の平尾昌晃さんが亡くなりました。79歳。
「♪星はなんでも知っている・・・」私の青春歌です。黙祷。
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夏場所や若さ溢るる朝稽古   立雄

2017年07月23日 | Weblog
夏場所といえば、5月に開かれる大相撲本場所。
この句では名古屋場所のことを指しています。

作者がショートステイにいった名古屋の老人ホーム。
ここに山響部屋が寄宿。朝から稽古の声が。
稽古も一段落して、力士さんたちと記念写真も。
サービス精神にあふれた部屋ですね。
十両以上が関取。幕下以下の力士は取的というそうです。
この部屋の関取は、十両の北太樹一人。
今場所の成績は今日まで、5勝9敗です。

この句のポイントは中七の「若さ溢るる」です。
ちょっと常套句な感じが否めません。
推敲の余地がありそうです。(遅足)

名古屋場所声のぶつかる朝稽古  

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7月句会の結果です。  遅足

2017年07月22日 | Weblog
猛暑のなかの「晩夏」句会。8人の出席。ご覧の結果となりました。

題詠「晩夏」
①夏深し白檀の扇畳みけり(智恵)等・立雄
②夕餉どき赤児と眠る晩夏かな(すみ)能登・狗子
③くちびるに虚を重ねゆく晩夏光(郁子)遅足・亜子・すみ
④草丈の止まり影這ふ晩夏かな(晴代)結宇・遅足・立雄
⑤夕空に機影きらめく晩夏光(静荷)晴代
⑥宍道湖に影曳く小舟晩夏光(亜子)佐保子・等・晴代
⑦晩夏光白内障の手術待つ(佐保子)能登・亜子・狗子・麗子
⑧ト書きには振り返らずとある晩夏(遅足)結宇・佐保子・亜子・等・麗子・郁子
⑨義経の命を燃やす晩夏かな(立雄)
⑩能登太鼓晩夏の波に負けじかな(結宇)すみ・狗子
⑪十三分日の出は遅し晩夏なり(能登)麗子・郁子
⑫父の耳遠くなりにし晩夏かな(麗子)晴代
⑬鷺の曳く一筋の水脈(みお)晩夏光(等)結宇・能登・佐保子・遅足・すみ・郁子・立雄
⑭雨のごと蝉の鳴き声晩夏の句(狗子)

自由題
①夏場所や若さ溢るる朝稽古(立雄)
②日本の神話八月はじまりぬ(遅足)狗子
③文月や龍太の風の吹く日かな(静荷)
④枇杷食めば佛のやうな種ころり(亜子)結宇・能登・佐保子・遅足・すみ・晴代・郁子・立雄
⑤ねむの花けんかの因は小さきこと(晴代)佐保子
⑥園バスの子の目の先に夏つばめ(郁子)麗子
⑦遠雷や増せり悔しさ負け試合(すみ)等・立雄
⑧千枚田数へて先は夏の海(結宇)遅足・亜子・すみ・等・狗子・晴代・麗子
⑨殺されし子猫洗へる霹靂(はたた)神(佐保子)能登・等
⑩かき氷突き抜けて空雲かかり(智恵)
⑪ゆらゆらと海月になって漂うか(能登)亜子・狗子・麗子
⑫仙人掌の花の一夜の時間軸(麗子)結宇・佐保子・すみ・郁子
⑬夏祭りお祓い皺のお巫女さん(等)
⑭翅わって威嚇の音のこがね虫(狗子)結宇・能登・遅足・亜子・晴代・郁子・立雄

番外 実感と語感の乖離晩夏かな  能登

次回は8月23日(水)午後1時20分  
愛知芸文センター12階・催事室Ⅾ(アートスペースⅮ)です。
題詠は「馬鈴薯」です。

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父、竹中皆二の短歌から ~老松 伐られる~竹中敬一

2017年07月21日 | Weblog
私の生家「いるかや」の前の一本松が伐られることが決まったのが昭和47年(1972)、
父が歌友の前川佐美雄氏に寄せた歌です。

  君かって宿り給ひし「いるかや」は 今赤土の崖に面する

  狸共穴を追はれし如くにて あるときの我うろうろと居り

地蔵堂は「いるかや」の横に僅かな村の空き地があって、そこに新しく建てられる
ことになりました。我が家のある一帯は村有地です。今でもごく僅かながら借地代を
村に納めています。父はよく私にくどいように云っていました。
「ここの土地を買ったりしてはいけない。この村に住まわせてもらっているという
ことを忘れるな」と。

新しい地蔵堂の脇に父の歌碑を建てる話がお弟子さんたちの間で持ち上がりました。
お弟子さんの一人がこの歌碑の話を父にしたところ、一笑に付したそうです。
そして、「私の歌碑なら断る。もし、どうしてもというなら、この街道にたつ老松が
道路拡張のため伐られる。その松の鎮魂なら…」と云って、やっと了承したという。

その老松が伐られる日がきました。父は思いを歌に託します。

  昭和四十八年六月十四日 樹齢五百年の松は伐られき

  拓かれし観光道路さもあらばあれ 樹齢五百年の大松伐られき

父のお弟子さんたちが歌友に寄付を募り、村の協力もあって昭和59年(1984)に、
父の歌碑が建ちました。歌碑の下には老松の根っ子の部分が葬られています。
歌碑には父の字をもとに、初期の代表作が刻まれています。

  老松に渡らふ風のひびきあり うば玉の夜にわれはきくかも

写真は、竹中皆二の歌碑 背後は入江と久須夜岳 (619m)

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梅雨明けの晩夏句会    麗子

2017年07月20日 | Weblog
昨日、名古屋地方は梅雨明けしました。いよいよ灼熱の名古屋の夏が始まります。
ところが、俳句の世界ではもう晩夏。この時期に夏の終わりを詠み込むのはなかなか難しかったですね。過去の記憶を引っ張り出しました。

では一言講評です。

1,「夏深し」と「扇」が季重なりいう声も。白檀の扇を畳むのは貴婦人のよう。
2,姪御さんに赤ちゃんが生まれたそうです。初めての育児に披露困憊。「そんな時は赤ちゃんと一緒に寝ればいいのです」と先輩ママからのアドバイス。ほのぼのとした平和な俳句です。
3,このくちびるは誰のことでしょう?虚を重ねゆくを「嘘」と敢えて読んだ方もおられました。ミステリアスでちょっとむなしい気持ちを表しました。
4,目地に生えた根性ある雑草を詠んだそうです。その草丈の影が這うようになりました。太陽が傾いて来たのですね。
5,晩夏の夕空に機影がきらめきます。
6,一幅の絵の様な俳句。作者の退職記念の宍道湖への旅。一艘のしじみ舟がいつまでも浮かんでいたそうです。
7,もしかすると光を失うかもしれないと不安に思う手術前の心境と晩夏光が響き合います。
8、ドラマ「やすらぎの郷」の原稿用紙の場面から「ト書き」が浮かんだとか。さすがテレビ業界人!「振り返らず」がもの思う晩夏によく合います。
9,平泉での義経の最期。「夏草や兵どもが夢の跡」。
10,勇壮な能登太鼓の音も聞こえてきそうです。下5の「負けじかな」に一考をという声も。
11,19日現在、夏至の日に比べてもう13分も日の出が遅くなっているそうです。具体的な数字に一票。
12,私の言うことを何度も聞き返す耳の遠くなった父。一夏毎に衰えていく姿を見るのは辛いもの。「なりにし」を「なりたる」にした方がよいというアドバイスあり。
13,鷺がすーっとひく一筋の水脈。「みお」と読みます。美しい晩夏の風景。テレビ塔の近くにも鷺が飛んで来たそうです。
14,季節は蝉時雨の真っ最中。そんな時に晩夏の句とは!!という違和感を詠みました。セミが晩夏の句を作っていると詠んだ方も。

いよいよ夏本番。バテないように熱中症にも注意して過ごしましょう。
来月はお盆なので一週遅れの句会です。お題は「じゃがいも」です。暑さに負けず作りましょうね。麗子
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今日は7月句会です。   遅足

2017年07月19日 | Weblog
7月句会の投句が集りました。
題詠、自由題とも、力作、自信作、そうでもない作・・・
でも評価はまた別のもの。そこに句会の面白さがあります。

題詠「晩夏」
①夏深し白檀の扇畳みけり
②夕餉どき赤児と眠る晩夏かな
③くちびるに虚を重ねゆく晩夏光
④草丈の止まり影這ふ晩夏かな
⑤夕空に機影きらめく晩夏光
⑥宍道湖に影曳く小舟晩夏光
⑦晩夏光白内障の手術待つ
⑧ト書きには振り返らずとある晩夏
⑨義経の命を燃やす晩夏かな
⑩能登太鼓晩夏の波に負けじかな
⑪十三分日の出は遅し晩夏なり
⑫父の耳遠くなりにし晩夏かな
⑬鷺の曳く一筋の水脈(みお)晩夏光
⑭雨のごと蝉の鳴き声晩夏の句

自由題
①夏場所や若さ溢るる朝稽古
②日本の神話八月はじまりぬ
③文月や龍太の風の吹く日かな
④枇杷食めば佛のやうな種ころり
⑤ねむの花けんかの因は小さきこと
⑥園バスの子の目の先に夏つばめ
⑦遠雷や増せり悔しさ負け試合
⑧千枚田数へて先は夏の海
⑨殺されし子猫洗へる霹靂(はたた)神
⑩かき氷突き抜けて空雲かかり
⑪ゆらゆらと海月になって漂うか
⑫仙人掌の花の一夜の時間軸
⑬夏祭りお祓い皺のお巫女さん
⑭翅わって威嚇の音のこがね虫

番外 実感と語感の乖離晩夏かな

名古屋地区 7月19の日の出は夏至より13分遅く、
日没は4分早い、とのことです。
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孕子も子ども茅輪をくぐりける   遅足

2017年07月18日 | Weblog
名古屋の千種区にある城山八幡宮。
大茅輪くぐりがあると教えられて行ってみました。
茅輪神事は、この時期に流行する疫病から身を護るための行事。
京の祇園祭などと同じです。

輪くぐりに使われる茅(ち・かや・ちがや)はイネ科の植物。
冬になって枯れても、春になれば、根から芽を出す生命の力。
根は薬にもなることから、古代から信仰の対象に。

まだ昼の暑さの残る境内は夜店も出て、老若男女で一杯。
あちこちにたむろする中学生、少女たちの浴衣姿が目を引きます。
「オトウサン」と声を掛けられて、ついつい「祓芦」を買いました。
一本200円の祓芦で身を清め、茅輪を右、左、真ん中とくぐります。
拝殿に礼拝。家族と知人の健康を祈願。

  下駄草履サンダルくぐる茅輪かな

子ども専用の小さな茅輪もありました。
お腹の赤ちゃんも茅輪をくぐっていました。
健康な子供が生まれますように。



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今日は海の日    遅足

2017年07月17日 | Weblog
最近は海水浴に行くこともなく、海とは縁のない生活をしています。
改めて、海と言えば子供の頃の父と行った三河湾の御馬(おんま)海岸。
ボートからのぞいた海のきれいだったこと!
透き通って、海底の砂が白くきらきらと輝いていました。
数少ない父との思い出です。

この辺りは、古代には、引馬野(ひくまの)と呼ばれていました。
馬に関係の深い土地だったのでしょうか。
持統天皇が行幸された地とされており、万葉集にはその時、詠まれた歌が。

  引馬野ににほふ榛原(はりはら)入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに

天皇は、伊勢から海を渡って三河へ。諫言をも聞かずに行幸。
その目的は謎につつまれたままです。

今は埋め立てられて、護岸堤防が続く殺風景な御馬海岸。
私が見た海の色は持統天皇のご覧になった海と同じ色だったんでしょうか?

もう一つ思い出す海の色は黒潮。太平洋で見たのは文字通りの蒼く黒い海でした。

  海の日の瞼に残る海の色

海の日は、1995年に制定された日本の国民の祝日。
制定当初は7月20日でしたが、その後7月の第3月曜日に。
世界中で「海の日がを国民の祝日となっているのは日本だけだとか。
今また、制定当初の「7月20日」に戻そうという動きがあるそうです。
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