575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

古の都はおぼろ東大寺  麗子

2011年04月30日 | Weblog
古の都はおぼろ、という57が良いですね。
どなたかも指摘されていましたが、
おぼろ、という季語によって、
平成の今が、千三百年前にも繋がっているように感じられます。

古の都はおぼろ、古の都のおぼろ。
どちらが良いのかな?と思案中です。

最近、作者が東大寺を訪れた時の句だそうです。
観光客のなかには、大仏様に東日本の復興を祈っている人も多く、
「こうなったら、もう一体大仏をつくるか」とか、
「改元しかない・・・」という声も聞かれたそうです。

そういえば改元という手もあったんですね。   遅足




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浜名湖の顔色偲ぶ夏の朝    朱露

2011年04月30日 | Weblog
  東の低い山を越えれば浜名湖が目の前。
  毎度太平洋と間違えたくなる浜名湖め。
  「三ヶ日原人」という先祖に会いたい。
  お前は何処の馬の骨だと言われるかも。 

              
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天を恨まず・・・     遅足

2011年04月29日 | Weblog
気仙沼市階上(はしかみ)中学校。卒業式。
卒業生代表の答辞。

『“階上中学校といえば防災教育”と言われ、
内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私達でした。

しかし、自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、
私達から大切なものを容赦なく奪っていきました。

天が与えた試練と言うには惨すぎるものでした。

辛くて、悔しくて、たまりません。

しかし、苦境にあっても天を恨まず、
運命に耐え助け合って生きていくことが、

これからの私達の使命です。』

涙をこらえながら、天を仰ぎながら、
一つ一つの言葉を絞りだしていたそうです。

15の春を迎えた言葉です。





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五月寒しげんこつ醤油イカリ豆 朱露

2011年04月29日 | Weblog
      「げんこつ醤油」は新潟長岡の菓子。
      「イカリ豆」は赤穂の塩広島市から。
      ビールは麒麟淡麗内容量135m l 。
      昨日の朝冷酒今朝ビール、文句ある?

               



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くしゃみした途端この世は朧にて  朱露

2011年04月29日 | Weblog
花粉症でしょうか?私もクシャミの連発に悩まされています。
作者も同病でしょうか。
クシャミをすると、涙がじわっと・・・
この世はまさにボンヤリとしてきます。
そして、この世とは違う世界が見えたりする。
ちょっと面白くてオソロシイ句。

クシャミをしたのが大地だと大変です。  遅足

句会で、この句には「くしゃみ」と「朧」という
2つの季語がありますが、どうなんでしょう?
という疑問が出されました。

ちょうど船団の朝倉ドクターが、この疑問に回答されていますので、
転載します。

Q:一句に季語が複数あるのはタブーでしょうか?
初心者ですのでわかりません。

A:原則は、一句につき一季語です。
ただし、例外もあります。
その場合、主となる季語(季語として、句の中での存在意義が重いということ)が
はっきりとしていなければなりません。
つまり、句を読んだ読者が、季節に悩んだり、
どっちの季語が大切なのだろう、
と考えるようなものは、多分に佳句とはいえないでしょう。
 しかし、あえて季語を羅列するような句も存在します。
作者の狙いが当たったとき、魅力的な句として受け入れられることでしょう。


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黙阿弥の科白つぶやく朧かな  晴代

2011年04月28日 | Weblog
庭の緑もだんだん濃くなってきています。
梅の実、サクランボの実、苺などが
少しづつ大きくなってきています。

さて、この句で思い出すのは

月もおぼろに白魚の・・・の名調子。
河竹黙阿弥の「三人吉三廓初買(くるわのはつがい)」
そのなかの有名なお嬢吉三の台詞。
もう少し続けると。

 月も朧に白魚の篝も霞む春の空
 冷てえ風もほろ酔いに心持ちよくうかうかと
 浮かれ烏のただ一羽ねぐらへ帰える川端で
 竿の雫が濡れ手に泡思いがけなく手に入る百両

七五調。内容もさることながら調べで聞かせます。
作者が、朧といえば、この名台詞が浮かぶのも頷けます。

近代に入って俳句も短歌も内容を重視。
調べが、少しなおざりにされたキライもありましたが、
コトバ遊びを支えているのも調べのよさでしょう。

私は、白波五人男の台詞かと思っていましたが、三人吉三でした。
教養のないところが露呈してしまいました。
                     遅足
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昔蚊というものありし防空壕    朱露

2011年04月27日 | Weblog
  ハエ目カ科の虫で幼虫ボウフラ季語夏。
  何故「防空壕」なのか話せば長くなる。
  飛べなくなるまで血を吸うアホなヤツ。
  蚊や蝿を言い間違えてハやカエになる。

            


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無駄もまた潤いになる朧かな   狗子

2011年04月27日 | Weblog
すまじきものは宮仕え、といわれたサラリーマン。
祖父の時代から孫の時代まで、男たちの多くはサラリーマン。

このサラリーマン生活、勝ち負けの世界。
それは、効率を追求しつづけるため・・・
最近では、効率を追求したあげくに、
派遣社員という制度まで作ってしまった。

定年となり、競争世界から解放されてみると・・・
無駄だと思ってきたモノやコトが違った様相を見せる。

効率や競争というモノサシで分類してきたモノゴトが
ぼんやりながらも、ひとつの全体として、見えてくる。
見えなかった良さを発見したりもする・・・

朧、という季語と格闘した句。
成功したとは言えませんが、考えさせられた句です。

いまだに「どうして勝ち負けに拘るの?」と、言われている。
言の葉の端々に、勝った・負けたという価値判断が出るらしい。

                    遅足

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寒さの春   鳥野

2011年04月26日 | Weblog
 ・ みちのくに降り積む雪の映像を消してより一日負債あるごとし

中日歌壇の小島ゆかり選に入った松田宗匠の作品です。

この欄は日曜日の本紙の全7段を、俳句と短歌で縦割りにした堂々たる構成。
よく目立つページです。

松田さんは、その短歌の部で、なんど入選を果たされたことか。

こんどの作品を選者は「正直で厳しい心、多くの人の思い」と述べています。

チェルノブイリに匹敵する放射能禍、こんなに苛酷な代償を払わなければ、原発を見直すことができなかったのでしょうか。

計画の当初から、核の脅威を説き、反対していた人たちを、時代遅れの異端者のごとくに攻撃。

政府は小・中学校の副読本で「原子力わくわくランド」「チャレンジ原子ワールド」と礼賛しています。

幾たびもの、地震や津波に耐えてきた三陸の人たちも、核には為す術もないのです。

  ・ 悼むがに寒さの去らぬ春宵に献ずと独り聴くレクイエム

  ・「原子力わくわくランド」の文字躍る児の副読本、机に置かれ

                          鳥野
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冷やし酒睨みつつ飲む半世紀     朱露

2011年04月25日 | Weblog
  人と飲む時は燗酒ということになる。
  これが面倒なのでまず人とは飲まぬ。
  冷やし酒は夏の季語だが無論冬でも。
  独り沈痛のオモムキで飲むのが作法。

          

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常照皇寺の九重桜     遅足

2011年04月25日 | Weblog
京都の北、いわゆる京北にある常照皇寺(じょうしょうこうじ)。
秋の紅葉と春の桜が有名。
時は春・・・先日、ここの九重桜を見にいきました。
国の天然記念物にも指定されているこの桜。
八重桜かと思いきや・・・
薄紅色の枝垂桜で、一重の小さい花しか咲いていませんでした。

写真は、部屋のなかから見た九重桜です。
花の盛りは、ちょっと過ぎていました。

この寺は、南北朝時代の光厳天皇が開いたもの。
九重桜の名の由来は、天皇の后、九重の君からきているとか。

北朝の最初の天皇になった人ですが、
南北朝の政争を嫌い、この山里へと身を移しました。
南朝の後醍醐天皇は南の吉野。
これに対抗して京の北に隠棲したのでしょうか?

政治家としてよりも、歌人として有名で、「風雅集」の撰者でもあります。

風雅集の歌は、「自然描写はより繊細に、風趣はより閑寂に、
心理表現はより内省的になる傾向を見せ・・・」
と、解説書にありました。

天皇の歌を一首

    くれはてて色もわかれぬ花の上に
       ほのかに月のかげぞうつろふ

陽射しがなくて小寒い感じでしたが、
ちょっと雅な(?)気分にもなった一日でした。


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読み手の想像力をどう活性化させるのか?   遅足

2011年04月24日 | Weblog
週間ブックレビューで、東直子さんの歌集が紹介されていました。
歌集が取り上げられるのは珍しいことです。

出演者の一人で、歌集を読んだことのない人が、
面白いことを言っていました。

「自分が読んだのとは、まったく違う意図で書かれている歌もある。
でも、それでも良いんだ。歌は誤解、誤読が許されるジャンルなんだ」と。

歌よりも、俳句はさらに短く17文字しかない。思いを充分、伝えることは出来ない。
読み手の想像力を、どう働かせるのか?
読み手が持っている記憶などを刺激、理想のイメージを呼び起こすのか。
そこが勝負。

そう指摘されると、この句が名句と言われる理由が分かるような気もします。

   滝の上に水現れて落ちにけり  後藤夜半

最初、読んだ時は、アタリマエじゃない。
どこが名句なの?と思いましたが・・・
(この句のスゴイところは、滝の上に、と言ったところ。脱帽!)

一方、思いが多すぎて、コトバに無理をさせるのも良くないそうです。
たとえばキーワードとなるコトバが多すぎると、
読者は、いろいろ考えるほうに気を使ってしまます。
その結果、想像力の翼が羽ばたくのをやめてしまいます。

さらに気をつけないといけないのは、気の利いた表現。
これも、場合によって、読み手の想像力を妨げてしまうこともありそうです。

俳句ってムツカシイのだ!

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手をひろげ足をひろげて柏餅   遅足

2011年04月23日 | Weblog
船団・南村ドクターの診断です。

柏餅を食べている子供(大人も)の様子だろうか。
「手」と「足」の所作に焦点をあて、
その場にいる皆がくつろぎ、賑やかに、
思い思いの態で食べているのがよくわかる。
そして「ひろげ」が柏餅の葉を剥く動作をも思わせて愉快。

ありがとうございます。
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京都・仁和寺の御室桜を見てきました。 遅足

2011年04月22日 | Weblog
徒然草で勉強した仁和寺。
「これも仁和寺の法師」、として紹介されていた、
鼎をかぶって抜けなくなった法師のお話しなど・・・。

初めて桜見物に・・・
仁和寺の桜には「御室桜(おむろざくら)」と呼ばれています。
満開は例年4月下旬。
桜の名所の多い京都で、季節の最後を飾る桜です。

境内には200本ほどある八重咲きの里桜。
里桜は、山桜に対し、人が里で交配によって造りだした
園芸品種の総称だとのこと。

丈が低いのが特徴で、3米ほどです。
「花(鼻)が低い」ということから「お多福桜」ともいうそうです。
背が低いのは、岩盤が固く深く根を張れないためといわれていましたが、
最近の調査で、岩盤ではなく粘土質の土壌のせいであることが解ったとか。

  ねぶたさの春は御室の花よりぞ  蕪村

          

今回の京の和菓子は亀屋陸奥の「松風」

小麦粉、砂糖、麦芽飴そして白味噌を混ぜ合せて
発酵させた生地に、ケシの実を振りかけて焼き上げたもの。
味噌の麹を使って小麦を発酵させて焼いたパンでしょうか。
素朴な味わいでした。

この和菓子、戦国時代の戦いのなかから生まれてもの。
亀屋陸奥は、代々本願寺に仕えているお菓子屋さんでしたが、
石山本願寺が織田信長に攻め込まれた際に、
3代目が、兵糧の代わりに創り出したものだそうです。
道理で砂糖など一切使っていないわけです。
お店は西本願寺のすぐ近くでした。



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朧物語    麗

2011年04月21日 | Weblog
昨日の「朧句会」は、会場のお隣の工事で建物が揺れ続け
お部屋を変更してもらうというハプニング。
騒音で頭もおぼろ?でもたくさんの物語が見え隠れした
ちょっとミステリアスな句会でしたね。

朧というはっきりしない様が、頼りなさとともに心模様の乱れや、
ふとした瞬間の時空間の移動を思わせ
どの俳句からも短編の小説が生まれる気配を感じました。
そういう意味ではトップ賞の値遇さんの

  朧夜や時計鳴り出す骨董屋

はまさに映画のワンシーンのようで古めかしい柱時計の映像まで浮かびます。

以前「マジックアワー」という三谷幸喜さんの映画を見ました。
夕暮れ時の一番美しい
一瞬を待つ映画関係者のシーンを思い出したのは
 
能登さんの

  なにものか我が身に入りぬ夕おぼろ

女性陣の胸の中に何かが入りました。私が小説かなら傑作が生まれそうな朧俳句でした。
来月はどんな夏物語が生まれるか楽しみです。


追伸

番外の句は値遇さんの名前を読み込んだお祝いの句だったのですが
震災で離ればなれなった人が再会できたと詠んで下さった方がいてこれまた嬉しい誤算でした。

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