西伯利亜<シベリア>「玉竜」や「龍の髭」は庭や公園のグランドカバーに使われます。これらの実が「龍の玉」といわれ晩秋の季語。美しいコバルトブルーが特徴でシベリア寒気団が日本の上空に達した頃に結実します。シベリアからの置き土産といった感。
外苑前の銀杏並木。吐息が漏れるほど色づいています。ところで、銀杏やソテツなどの裸子植物はジュラ紀の頃に生まれたといわれています。ジュラ紀とはいまから約2億年前。恐竜が跋扈していた時代。火山活動により二酸化炭素が多く、現在よりも温度や湿度が高いため動植物の大型化に繋がったといわれています。いまの地球温暖化は人類の排出する二酸化炭素の増大が原因。遠い未来、再び、恐竜の時代が訪れるかもしれません。
景がはっきり浮かびます。
丁寧に写生することで、その日のお天気や風、作者の心象などを想起させ世界が広がっていくようです。
皆さまからのコメント。
・弱弱しい返り花。かぼそき枝に震えるとは、なんとはかなく、いとおしい存在でしょう(麗子)
・精密な描写から読み手の詩心を醸し出す佳句(殿)
・綺麗な句ですね(紅)
・今にも折れそうな枝にかろうじて花を咲かせている(泉)
こちらの句も景がさっと浮かびます。
黒き幹抱く一輪帰り花 竹葉
・実際に帰り花を見て句を作られたのでしょう。黒い幹は桜の古木でしょうか?一輪咲いた帰り花。古木のエネルギーを感じました。(亜子)
・観念的な句が多い中、くっきり映像が浮かぶ秀句(能登)
・黒き幹抱く一輪が好き (須美)
幹からひょろりと細い枝が出て花をつける不思議ですね。
作者 竹葉さんは
【「黒き幹」で桜をイメージできるかと思いますが、花桃の黒い木に、真っ赤な花を付けたのを詠みました。
「赤き一輪」か「いだく一輪」か迷いましたが、帰り花を女性的に感じたので「抱く」を生かしました 】 とのことです。
黒き幹は佐保子さんもとりあげた花桃でしたね。古木のようです。
何の木ととふまでもなし帰り花 来山
返り花。帰り花。戻り花。帰り咲。狂い咲。二度咲。忘れ花。
いろいろと呼ばれる今回の詠題は、和歌・連歌にはないようで、
俳諧に到って盛んに作られたということ。
とりわけ元禄・天明の俳人たちは、この現象に興趣をもやしたそうです。
今回は他にも山吹、鉄線と色のある帰り花もありました。
やはり実際に見たり経験することが大切ですね。出不精の私は反省です。郁子
郁子さんの本領発揮の一句。「もしやのあの子」なんて俳句の中でなかなか言えるものではありません。特に「もしやの」の「の」がいいですね。
実は運転中に花の横をとおり過ぎ「もしや今のが帰り花?」と思って作られたそうです。私は最初この句を見て、スピリチュアルな郁子さんだから、きっと通り過ぎたあの子は亡くなった子だと勝手に思ってしまいました。幻のようにあの世からふと帰り花になって戻って来たのかと。
そんな少々不思議な魅力に富んだ一句です。
皆様からのコメントです。
亜子さん:ドラマのワンシーンのよう。「もしやのあの子」の意味ははっきりとわからないが、心の動きと帰り花がよくあっている。
殿様:下五を「戻り花」としなかった作者。江戸の粋を感じます。
結宇さん:ふとあとになって気づくことがありますよね。 昔の交流とかを思い出してるのでしょうか。
すみさん:もしやのあの子が好き
佐保子さんも採られています。
★★★
ふっと通り過ぎた花にも何かを感じ取る。それが季節はずれの小さくはかない帰り花ならなおさらのこと。
心揺さぶられる秀句だと思いました。麗子
玄冬<げんとう>冬の海。 灘<なだ>海の難所。劔崎<つるぎざき> 三浦半島の岬。
三浦半島は徳川家康の外交顧問を務めた三浦按針の所領地。三浦按針は英国の生まれで本名はウイリアム・アダムス。当時の国際社会はポルトガルやスペインによる大航海時代。5隻のオランダ船で極東を目指しますが、江戸に辿り着いたのは1隻のみ。当時のポルトガルやスペインの国策はカトリックの布教とともに奪略が目的。日本在留のイエズス会 <カトリック>神父や商人は英国人<アングリカンチャーチ>である三浦按針と激しく対立します。しかしカトリックとプロテスタントの確執に気がついた家康は三浦按針を250石の旗本として起用。三浦按針は英国の東インド会社との貿易条約の締結など外交官として活躍します。実は、三浦按針は家康と懇意の仲。按針は英国に戻る自由を得ていました。しかし母国に戻ることなく亡くなります。享年55歳。岬に建つ三浦按針の碑。冬の荒ぶる海を見つめているようです。
拾い集めた朴の葉。本の栞<しおり>として使っていました。しかし、乾燥したのでしょう。栞は砕けていました。仕方なく本の縁を折ります。砕けた朴の葉が冬の始まりを告げているようです。ところで、575の先輩諸氏も楽しい句会の時間を過ごされたご様子。学会と重なり出席できなかったことをお詫び申し上げます。実は、別句会に出席。場所が実家の裏のカフェ。TVではお見かけしても2年ぶりの句会。旧交を温めました。話を俳句に戻します。11月の投句では急逝した友に初冬の梅の開花を伝えたいと詠みました。その連句がこちら。「冥界の かほり伝えし 帰り花」<殿> 注釈、季節外れの冬に咲く梅。冥界の花かもしれません。
兼題で、トップ賞となったこの句。「帰り花」の捉え方を考えさせられる鑑賞となりました。
・狂い咲きを突き詰めると“冥き世の灯”となる訳で、そこからの灯とは大変なものが、出て来たものですね(等)
・「冥き世」は初めは「くらき」と読めませんでしたが黄泉の国かなと想像しました。「淡彩の灯」がそこに有りそうで、「帰り花」にぴったりだと思いました(竹葉)
・帰り花は淡い灯のようです(紅)
・コロナ禍で皆の気持ちは明るくない世の中。ほんのりと灯がともったような帰り花が、一筋の希望を示しているような気がしました。敢えて「暗い」とせず「冥い」としたのではないでしょうか?(亜子)
私も最初、帰り花とはこの世の花でなく、冥土にほの光る淡々とした灯とみたて、魅かれつつもちょっと怖くてとれずにいました。
しかしそこに希望を見るといわれると 時季外れに咲く花が何かのメッセージを帯びてくるように思い始めます。
志この世に残し帰り花 亜子
作者の伴侶は生前、戦争の語り部として平和のありがたさ 素晴らしさを次世代に伝え続けました。
二つの句が響き合い、思いは途絶えず、次々と開く希望と見えなくもありません。
少し前まで、彼岸と此岸にどうしようもない隔たりを感じていましたが
大切な人との別れを経験するたび、境目がだんだん薄れていきます。
お花畑があるとも聞きます。「思い」が花になるなら、そこからのこぼれ花こそ「帰り花」といったところでしょうか。
私事ながら、本日父の23回忌でそんなことを感じました。郁子
昨日は、小春日和の下、2020年1月以来の対面でのミニ句会が行われました。まだまだマスクが外せず大きな声でのおしゃべりは出来ませんでしたが、久しぶりに楽しい一時でした。9名の方が参加してくださいました。会えなかった間の皆さんの近況報告。
家族を亡くした方、介護が大変になった方、コロナで毎日お昼ごはんを作らなければならなかった方、お孫さんができた方。出不精になった方。それでも皆さん、日々の生活を大切にして、俳句を作ることで自分の気持ちと向き合ったようでした。俳句という17文字が心の支柱のようなアンテナのような存在であったことがよくわかりました。
コロナの収束までまたメール句会となりますが、この時期に思い切ってミニ句会を決行。久しぶりにお会いできて「やっぱり句会は対面がいいね~」という思いを新たにしました。句の解釈が一方通行ではなく、座を囲んで色々おしゃべりするのが楽しいのですよね。
さて、今回の兼題は「返り花」「帰り花」でした。
私のこの句は今回のミニ句会の挨拶句として、またコロナ禍で亡くした母が帰り花となって帰ってきてくれたような気持ちで作りました。
皆さんからいただいたコメントです。
等さん:”思いがけない時に会う“という意味で、意外性を期待した良い句だと思います。
郁子さん:殺風景な中に見つけたときは嬉しくなったりします。私もこんなふうに詠みたかったのです。
殿様:「帰り花」自然が生み出す異変を吉兆と捉えた作者帰り花の咲く日。会いたい人に会えるでしょうか。
須美さん:会いたい人に会えそうな気持ちになるのに納得。
★★★
ありがとうございました。等さん曰く、帰り花には大きく二つに分けられるとのこと。
①時季外れに咲く花、狂い咲き
②早く咲くため小さく寂しい
皆さんの句はどちらだったでしょうか?またこのブログでご紹介したいと思います。
とにもかくにも、昨日は久しぶりに皆さんお元気で会いたい人に会えたので、今はこんな気持ちです。ご参加の皆様、お忙しい中ありがとうございました。
帰り花会いたい人に会えました 麗子
- 一年(ヒトトセ)の区切り訪ねむ返り花(結宇)
- 返り花会いたい人に会えそうな(麗子) 等 竹葉 郁子 殿 遅足 須美
- 帰り花 出雲に願う 縁結び(紅)
- 帰り花 鬼籍<きせき>の友に 伝えたし(殿) 竹葉 紅 千香子
- 冥き世の淡彩の灯や帰り花(能登) 等 竹葉 紅 亜子 佐保子 晴代
- 志この世に残し帰り花 (亜子) 麗子 能登 泉
- 返り花として生を全うす(遅足) 能登 泉
- 返り花かぼそき枝に震えたり(須美) 麗子 郁子 殿 紅 泉
- 子の畑に花桃二輪返り花(佐保子) 晴代
- 山吹の返り咲く色深く見ゆ (晴代) 遅足 千香子
- 帰り咲く小さき鉄線ビンの中 (等) 結宇 千香子
- においなし白い小さな返り花 (泉) 等 郁子 佐保子
- 通り過ぎてもしやのあの子帰り花(郁子) 殿 亜子 結宇 佐保子 須美
- 街道の道標新た帰り花 (千香子) 麗子 結宇 遅足 晴代
- 黒き幹抱く一輪帰り花 (竹葉) 能登 亜子 須美
自由題
- 立冬や立山連峰屹立す (麗子) 能登 遅足 佐保子
- 先住の塔婆文字消ゆ落ち葉掃き(結宇) 竹葉 泉
- 野菊見てくちびるに歌こぼれ出づ(佐保子) 郁子 亜子
- 顔見世の 隈取り映える 時の人(殿) 紅
- 七五三神社の前の大あくび (須美) 麗子 郁子 亜子 泉 晴代 千香子
- ふるさとの 蒼天を突く 百舌鳥のこゑ (紅) 竹葉 麗子 能登 殿 亜子 遅足 千香子
- 時雨るるや暖簾をくぐり湯気を浴ぶ(能登) 結宇 佐保子 須美
- こんもりと毛布に潜む猫地雷 (郁子) 等 竹葉 麗子 殿 紅 結宇 須美
- 階下より上へとビルの秋の暮 (晴代)等
- 自撮りしおり古着替え替え新松子 (千香子)
- 寝返れば背骨の軋む夜寒かな(亜子) 等 結宇 遅足 泉 晴代 千香子 須美
- 円空仏まなこ地に落ち団栗に (等) 能登 郁子 殿 紅 晴代
- 霧の中テールライトを追いかける (泉)
- 孤高なる銀杏紅葉(いてふもみじ)や杜の如(竹葉) 佐保子
いかがでしたか?予想はあたりましたか?
題詠トップは 能登さんと麗子さん。
自由題は 紅さん、亜子さん、郁子に同票が集まりました。
今年のしめくくりとなる来月も頑張りましょう!
贄<にえ> 神に供える物。奈良・平安時代に編まれた「延喜式」によると神や天皇などの貴人に魚介、鳥獣、果物を献上したとあります。百舌は贄を自らが食べることは少ないので神への供え物かもしれません。
理<ことわり> 自然の法則
植物には短日植物と長日植物があります。日照時間が短くなると開花する菊や椿。日照時間が長くなると開花する桔梗や花菖蒲。桜が秋に咲く。桜が自然の摂理を捨ててしまった感。
11月の題詠は「帰り花」どんな花が咲いたのでしょうか。ところで、題詠はいくつか詠んでいます。今回は投句しなかった拙句をご紹介いたします。神は万物の創造主。そして全ての万象は神の御心とカトリックでは伝えます。しかし広大な世界には目の届かない事象もあるでしょう。季節を間違えて咲いた美しい花。正さないのは神の躊躇いかもしれません。
シン マツコ? と読んでしまった私。(笑)
人気タレントさんの名ではありません。
新松子(しんちぢり) 今年出来た松毬をいいます。
晩秋の季語なのですね。勉強になります。
剪定を終えたあとなど、赤ちゃんのような松の実を目にしていたことを思い出しました。
鱗片がすきまなくきっちりつまった様子は青々と匂いたつようです。
松は常葉。作者は枯れゆく秋に新しい生命を感じたのでしょうか (殿)
拭きあげた窓は遠くまで見え気持ちの良いものです。こんなに広いお庭の家に住んでいるなんて良いですね。
”窓に近々”ではないでしょうか。(等)
身近なところでの発見にひかれました。新松子のつやつやした感じが浮かんできます。(千香子)
拭き終えた綺麗な窓と清々しい新松子の取り合わせが好き。(須美)
青く固い新松子が綺麗になった窓ガラスを打ちそうな景色が見えます (竹葉)
ぴかぴかに磨き上げた窓から作者は外を眺めたのでしょう。
気持ちもさっぱり、ガラスのように透明度を増した心だからこそ気づいた光景かもしれませんね。
♪ 松ぼっくりがあったとさ 高いお山にあったとさ・・
ころころころころあったとさ お猿がひろって食べたとさ ♪
ところで 松ぼっくりって食べられるのでしょうか? 郁子
何気ない朝の景色を詠んだ句が自由題に集まりました。
目白が来たことにより会話が始まる朝の窓辺。皆様からのコメントです。
亜子さん:「会話始まり」がポイント。目白を通して一人暮らしではなく家族の会話が始まりました。
晴代さん:少し季節は戻りますが好い一日になりそうな朝。
佐保子さん:目白って群れでやってきますよね。鳴き声をかわしつつ。あっいっぱい来たねとうちの中でも会話が始まる。始まりとするのがいいのか、始まると切った方がいいのか私はきったほうがいいかなと。
泉さん: 朝のすがすがしい感じがする。
★★★
佐保子さんのおっしゃる通り、「目白来て会話始まる朝の窓」でもいいかも知れません。
朝には何かしらの発見があります。
朝一番金木犀の香をかげり 佐保子
窓を開けるとどこからか金木犀の香りが飛び込んで来ます。幸せな一瞬です。
千香子さん:「朝一番にひかれました。朝から良いことがあった、ほっとする1日のはじまり。」
私の拙句「ひとひごと朝顔の花咲き続け」はご近所の朝顔のすだれを詠みました。奥様を亡くされ一人暮らしとなった旦那様を励ますように10月中旬まで毎朝、朝顔が咲き続けました。
朝は必ずやって来ます。同じような朝でも小さな発見があると嬉しいですね。今朝は南天の実が色づいているのを発見しました。皆様よい一日をお過ごしくださいね。 麗子