高齢化が進む日本。生家のある青山周辺でも廃屋が点在します。廃屋の小さなひだまりに一匹の猫。春の時間がやっくりと流れていきます。
南青山がふるさと。周辺の緑地といえば代々木公園くらい。自然とは全く無縁の生活。そんな、私に花の名を訊ねる友人。無言の時間が続きます。
まほろばとは理想郷の意。ところで、釣りの名人といわれた太公望は中国、周の時代の政治家。釣り糸を垂れ周の王「文王」が通りかかるのを待っていたといわれています。その釣り糸の先の針はまっすぐ。釣りたいのは魚ではなく「文王」の心だったようです。やがて、太公望は知将として認められ国の王となります。あの諸葛孔明が生まれる1,000年も前の話。
山女魚<やまめ>と「甘子」<あまご>は夏の季語。しかし「春告げ魚」にも含まれ微妙。ちなみに、俳句で山女魚<やまめ>と甘子<あまご>は区別しないとの由。文と写真<殿>
卒業の季節を迎えました。教授たちと激論を闘わしていた少女。いつもの勝気さはなく無言のまま。「さようなら」と声をかけます。横を向く少女。暮れの春が過ぎていきます。文と写真<殿>
お水取り句会で、「天平」2句がありました
表題の句と私の句です。
お水取り天平僧の息づかい 郁子
示し合わせたかのようですが偶然です
初めての題詠に苦戦のふたり、歴史調べからとりかかったようですね。「天平の甍」もよぎったことが後でわかりました。(笑)
しかし天平僧というのはダメでしたね。
今回、練行衆、若狭井、籠松明、青衣の女人・・など新しい言葉を教えていただきました。
麗子さんの句に対するコメントです。
亜子さん:お水取りの情景を簡潔に描写しており、様子が目に浮かぶ。「天平の火」がぴったりくる
結宇さん:視覚的でこちらを選びました
やはり俳句は体験に基づくものか、映像が浮かばなければいけませんね。
そこから取り手は、場の空気感や、そこに書いていないもの、心情までを想像する自由を得て
一句がどんどん広がっていきます。
亜子さんは、【句をとるのも力量が必要】とおっしゃいます。
確かに! 亜子さんの評で、私の拙句をどれだけ広げていただいたことか。
一見平凡に思える句でも、とり手の懐の深さ、精神性の豊かさが解釈に現れます。
思いがけない発見が次なる発想の種子になるのです。だから俳句は面白い。
皆さまの解釈コメントを読ませていただくのが毎回楽しみです。郁子
「ひとひら」とは薄くて平らなもののいちまいのこと。「ひとひらの雪」や「ひとひらの花びら」などと使われることが多いと思いますが、「ひとひらのひかり」と来ました。
遅足さんはこれまでも「ひとひら」という言葉を効果的に使われています。
ひとひらのわが子へつなぐさくらぶえ 20年4月
窯跡に拾うひとひら風のいろ 19年9月
さざんかやひとひら遠き訃のごとく 18年11月
どれも遅足さんらしい情緒あふれる句です。そして、今回「お水とり」の火にも「ひとひら」を使われました。
闇の中で一片の光から始まるお水とり。ロマンティックです。
「ひとひらのひかり」というひらがなの効果にまたしても魅かれました。
では、選句された方の感想です。
泉さん:暗闇の中、お堂から小さな光がともると いよいよはじまるという感じがする。
能登さん:小さな光から始まるドラマの幕開きを、静かに優しく表現しています。しかも殆どひらがなで表記し、「水」だけを漢字にして、火の祭典に見えるこの儀式が「お水取り」と言うことの、「?」も表していると思います。
晴代さん:ひらかな表示が少々気にはなりますが、確かに一片から始まりますね。
いかがでしたでしょうか?
遅足は東大寺んのお水取りには行ったことがないそうですが、想像でも遅足マジックは健在です。麗子
日本は、営利目的で植林された杉や檜など針葉樹ばかりの森となってしまいました。外国から輸入した木材の方が安価となり、森は放置され無為となってしまいました。針葉樹は保水力がないため大雨が降ればそのまま川へと流れます。近年、多発する洪水は植林の放置が招いたと指摘する識者もいます。ところで、山桜は群生することがないとの由。放置された針葉樹の森。1本の山桜が咲いています。
新型コロナウイルスによる死亡者は世界で266万人を超えました。オリンピックよりすべきことがあるのではないでしょうか。昨夜よりの春疾風。すべてを洗い流してほしい。写真と文<殿>
市ヶ谷から水道橋を通り隅田川へと流れる水路。実は江戸城の外堀で川沿の道が外堀通り。堤に歩道が設けられ桜の名所となっています。そんな桜並木にひっそりと咲く枝垂れ梅。眺めると色もそれぞれ。雨が近いのでしょうか。淡く霞んで見える午后。写真と文<殿>
東日本大震災では、私の企画書で市民グループの方々の協力を得て石巻にある仮設住宅「にっこり団地」で炊き出しやイベントを行いました。イベントの目玉が手筒花火。石巻の消防署に説明してもわからないため、手筒の断面図を描き了解を得た思い出があります。震災より10年を経過して訪れた海。穏やかで静かな海が広がります。あらためて、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。写真と文<殿>
春は別れの季節。ふるさとを離れる学生や新社会人。そして彼らを見送る両親。「期待と不安に包まれている」とある学生は面接で話してくれました。ふるさとの両親にとっては嬉しく寂しい季節となるでしょう。春は幸せと悲しさの折り混ざる季節といった感。 写真と文<殿>
お水取り句会では、この句も同数でトップとなりました。
恥ずかしながら、私はお水取りを見たことがなく、勝手なイメージとして東大寺二月堂に1270年も続いている法会であるならば、
さぞかし静々として重々しいものと思っておりました。
練行衆の足音、松明火の粉のはぜる音、鐘の音も加わり、にぎやかで活気に満ちたものなのですね。今年は観客の歓声が聞かれず残念でした。
皆さんのコメントをご紹介します。
◇結宇さん:この虫は火と音に驚いたのかな。読み違いですかね。春の虫が動き出すとか
◇晴代さん:火の温さと明るさとありがたさに虫もおもわずはいでたか?
◇須美さん:春の訪れを告げるお水取りに虫這いづるが良く合っているし暁闇も良い
◇千香子さん:お水取りが済むと春が来るといわれている、まさにその様子が感じられます。
暁闇(ぎょうあん)という言葉が一句を締めているように思いました。
あかつきやみとも読みますが まだ夜明け前のほの暗いやみを指します。
でもお日さまは必ず登ります。希望に満ちた春の訪れを皆が願って祈っています。
虫が這い出たのは自粛明けを知ったからか、それとも待ちきれず動き出したのか・・(笑)
時事句と見てもちょっと楽しい一句です。 郁子