575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

進化の最優等生は?   鳥野

2010年11月30日 | Weblog
23年と22年の2匹のネコが、連れ立って逝って間もなく1年。
寂しさはまぎれず、ネコと聞けば耳がそばだちます。

そんな時、新聞紙上で、「ネコの進化」というカルチャーがあることを知りました。
月1回の6ヶ月講座、いつかネコはトラになる、の副題にも目を惹かれました。

講師は動物生態学で著名な今泉忠明氏。とくにネコ科の動物については権威です。

早速、受講を申し込み。まだ2回目が済んだところですが、そのお話が滅法おもしろい。
話の脱線も随所で例えば、「最も進化している動物は?」の答えは「牛」という。

「草を入れたらミルクが出てくるなんて、すばらしい装置」というわけ。

なにしろ、動物に対する愛情は溢れるばかり。著書も多く、博識で2時間はあっという間です。

先回「ペンギンはなぜ燕尾服を着ているのか」という動物不思議学の本をいただきました。

ペンギンといえば印象深いのは、
 
 ・ 日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも

                        塚本邦雄
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みんな俳句が好きだった④     堺利彦      ぐ

2010年11月29日 | Weblog
 明治三年福岡県生まれ、幸徳秋水と「平民新聞」を創刊。日本の社会主義の先駆者。
 日本社会党の結成や日本共産党創立にも係る。社会主義、平和主義を掲げ日露開戦に反対したりして政府に弾圧され、何度も投獄された。
 俳句は大阪で小学校教員や新聞記者をしていた時代に旺盛に作った。俳号は枯川。

 大正一五年巣鴨刑務所での作。

  板じきの秋やひやひや足の裏。
  生き残るこほろぎを背に寝る夜哉
  汁の実の一口茄子や秋日和

 出獄、帰宅を想定した句も

  息白く命の窓に別れかな
  板敷きに壁に冷たき別れかな
  白い飯、熱い茶 火鉢 冬こも

★内藤好之のみんな俳句が好きだったより
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金星が消えゆく冬の高血圧    朱露

2010年11月29日 | Weblog

   明けの明星が消えるのを見たのが失敗。
   慌てて血圧を測ったところで後の祭だ。
   熱燗を一本飲んで湯たんぽを抱え寝る。
   そこへ電話がタテツヅケに二本かかる。


                
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酉の市あれ人さらいと手を引かれ    朱露

2010年11月28日 | Weblog

    十一月の酉の祭りで大東亜戦争前のことだ。
    太平洋戦争という言い方は敗戦後に決まる。
    お前を見ている男は人さらいだと母が言う。
    今でも私をじっと見る男は人さらいと思う。

                

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思いがこもりすぎると、伝わりにくくなる。   らくせき

2010年11月28日 | Weblog
大相撲。連勝を続ける白鳳が敗れた一番。
解説の舞の海さんが「自分の身体に力が入ってしまって、
肝心の相手に伝わっていない」と評していました。
たしかに白鳳は我武者羅に身体を動かしていましたが、
稀勢の里はびくともしませんでした。

歌つくりにも同じことが言えるようです。
歌人の穂村弘さんがこう言っています。
「スポーツでは、初心者にむかって肩の力をぬくように指導するが
短歌でも同じように、コトバを軽くにぎるように」と。

例にあげていた歌

 しらない空を啄ばむようにつつきあう 鳥の臓腑のいちぬけの砂 ひろたみえ

これが、最終的には

 食卓に鳥放つとき わたしたち おとがいわたるはじめての夏

となったそうです。

鳥を食べる歌だそうですが、
確かにカチカチだったコトバが自由になって、分かりやすくなっています。

      

俳句でもよく荻原先生に、これで2句出来ます、と指摘されました。

コトバを軽くつかむためには、句を一日ねかせて、読み直す必要がありますね。

 
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人一人豆腐のごとく沈みをり   遅足

2010年11月27日 | Weblog
船団・岡野ドクターの診断です。
 えー!この人死んでますよね?いいのかな、こんな句を採ってしまって。
それに無季だし・・・無季はいいんです、自分でもごくまれに出来ちゃうときあるし。
「豆腐のごとく」がなんとも見事に死体を表現している、と読みました。
古いですが、一瞬、大江健三郎の『死者の奢り』を連想してしまいました。
アルコール槽の死体処理のアルバイトの話でした。
~のごとくはぴたっと決まると「一枚の餅のごとくに雪残る」川端茅舎
 「てぬぐひの如く大きく花菖蒲」岸本尚毅 など傑作になりますが。

        

ありがとうございます。


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タカノツメ                    草女

2010年11月26日 | Weblog
唐辛子のタカノツメではなく、ウコギ科タカノツメ属の落葉小高木のタカノツメである。秋この木は明るいレモンイエローに黄葉する。海上の森にはたくさんのタカノツメがあり、森が明るさを増す。新芽の頃食べることができるそうがだ、食したことはない。材は柔らかく、経木か箸にするくらいの用途しかない。

 しかし、この時期森を歩く者にささやかな楽しみをくれる。雨の後など少し湿り気を感じるとき、砂糖が焦げているような甘い香りが漂ってくる。この香りを嗅ぐと必ず家族で作ったカラメル焼きをおもいだす。昭和18年生まれであるから、記憶が定かではないがザラメが配給された。母に付いて行き、お櫃一杯にザラメが入れられるのを見ていて、とても不思議な気持ちになった。子供ごころになぜザラメ?と思ったかどうかは分からない。

 以後我が家では家族が七輪を囲みカラメルを作った。銅製のお玉に垂直な持ち手が付いている道具の中にザラメを入れ火に掛け、泡が湧いてきたら重曹をいれる。運がいいとカラメルになるけれど、たいていは失敗して鼈甲飴になる。幼い私はカラメルにならないのは少し残念だったが鼈甲飴でもいっこうに構わなかった。
タカノツメの落ち葉は湿り気があると発酵して香るのだそうだ。これから暫くの間、森を歩く楽しみの一つになる。

この木だけでなく、殆どの樹木は葉を落とす前に次の芽を作っている。この芽は冬の間を耐える仕組みを持っていて、冬芽と呼ばれている。その冬芽が冬芽としては大きく(5~10㎜の卵形)先がとがり、湾曲している様子が鷹の爪に似ているところからタカノツメの名前が付いた。

  
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熊の眼が殺されたわけ訊いている   能登

2010年11月26日 | Weblog
この熊の句、句会で多くの票を集めました。
今年は山で食料が手に入らないため、熊が里に出没、
怪我人まで出る騒ぎでした。
テレビでは撃ち殺された熊の姿も映し出されていました。

みなさん、この映像を見ていたことでしょう。
そして、その時、感じたことが、見事に一句となって
目の前に置かれた時、ためらわず一票を投じたと思います。
風がこの一句に吹いた句会でした。

         

テレビは数多くの句の材料を提供してくれます。
いまや俳句にテレビはなくしてならない存在になっています。

これまでテレビを見て句をつくることは
あまり推奨されなかった時があったようです。
テレビからは、体験に裏打ちされたような句は
なかなか生まれません。
一理ある考えです。

作者の能登さんは、テレビカメラマンでした。
このことが、句にリアリティを与え、
頭でつくった句になることがなかったのでしょう。

                    遅足
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枯葉五枚蛍光スタンド下に置く    朱露

2010年11月26日 | Weblog

   それがどうしたと言われると困る。     
   ひと月ほどになるが全く変化なし。
   枯葉だから当たり前ではあるけど。
   置き方を変えて見るがつまらない。

            


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打ち掛けの碁盤の寒さ近寄らず   朱露

2010年11月25日 | Weblog

    金八段と結城九段の天元戦を並べる。
    並べても何故こう打つか分からない。
    分かれば九段だと思って諦めがつく。
    諦めがつかないまま一生並べるのか。

             

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木の葉髪卑怯者共去らば去れ     朱露

2010年11月25日 | Weblog

 初冬に抜ける髪を「木の葉髪」と言う。
 白髪の木の葉髪の寂しさを君よ知るや。
 俳句の七五は昔デモで合唱した労働歌。
 二行目はミニヨンの君よ知るや南の国。

           



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曹操へ暗い憧れ老いし冬   朱露

2010年11月24日 | Weblog

   吉川英治三国志を読んだのは四年生。
   戦争が終わった年でぼろぼろの本だ。
   蜀の劉備、呉の孫権、魏の曹操では、
   陰謀家で詩人の曹操に憧れたが無理。


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三里ってどこ?  鳥野

2010年11月23日 | Weblog
11月の句会に ”脚むくみ独り灸する冬の暮”(愚足)の句が出ていました。
句からは、空調の暖かな部屋隅で、ゆっくりと灸を据える長閑な景が浮かびます。

事実は闘病の手段の一つ。大変な努力をされていることでしょう。

灸は3千年も前に古代中国北部で始まった、とされる療法。免疫機能の亢進、血流の改善など、万病に効くと、長い歴史が証明しています。

旅をするには、歩くより方法の無かったころ、三里に据える灸は、ありがたいものでした。

芭蕉翁も、宿りすれば、まず股引の破れをつづり、笠の緒をつけかえ、灸をすえるのが日課。
松島では、月が心に掛かって、気もそぞろの様子です。

愚足師、ご自愛ください。お灸も怠りなく。

 ・ 艾置き火を点す勇気もたざれば三里のあたりを指で押しおく

                         鳥野
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みんな俳句が好きだった③   高村光太郎       ぐ

2010年11月22日 | Weblog
 坐りだこ囲炉裏に痛しひえの飯

 百燭に雉子の脂のぢぢと鳴る

 新米のかをり鉋のよく研げて

 上の句は光太郎が空襲で焼かれた東京から岩手県の花巻近郊の
山裾の小屋で、神経痛に悩まされながら「独居自炊孤坐黙念」の
七年を送った時の句である。この不自由な暮らしを耐えたのは
戦争協力の詩づくりの深い自責の念からと言われており、句にも
そうした厳しさが表れている。
 
 若き頃、職人に読み書きは不要と父から厳しく戒められていたが
美校卒業前に読売新聞社の俳句懸賞募集に下記の句で入選して許されたという。

 夕月や満山の花仙に入る
 
 青巒の裾点綴す桜かな

 そして、イタリア旅行し感銘を受けた時の句が「伊太利亜遍歴」で

 岩の上に基督のいる寒さかな

 ドナテロの騎馬像青し春の風

 春雨やジョツトの壁画色褪せたり

 など残された句は六十余句に過ぎない。
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肉を食べよう    遅足

2010年11月21日 | Weblog
料理の楽しさのひとつは、食材を幅広く
楽しめることにある。

いくら調味料を上手に使っても
食材が乏しくては食卓は豊かにならない。

俳句がスランプと感じて久しい。
使うコトバが決まっているのではないのか?
と、気付いた。

上五中七と、コトバが浮かんでも、
最後のツメがチンプになってしまう。
コトバの巾が狭いのである。
新しいコトバに挑戦してもなかなか上手く行かない。

   肉食うてなのを耐へゐる残暑かな  橋本栄治

これまで魚と野菜中心。
新しい食材として肉も食べてみようか?
食べなれないコトバも新しい料理法が必要かも・・・

これまで関心の向かなかった俳人の句を
読むことから始めようか・・・



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