575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

季語について・夏しぐれ  

2019年06月30日 | Weblog

害鳥と 指さす雛に 夏しぐれ 殿

この句の季語・夏しぐれ。私はこう書きました。

 時雨は冬の季語。夏の時雨という季語。
 緑雨、青時雨は聞いたことがあります。
 夏しぐれは初めてです。
 やさしく降る夏の雨といった感じでしょうか。
 青しぐれ。これも良いと思いますが。
 みなさんはどうお考えですか。(遅足)

殿さまからメールをいただきました。

 句は雨に濡れ死にゆく雛の生命を詠んでいます。
 そのため体温を奪う冬の「時雨」がふさわしいのですが、
 季に合わせ「夏しぐれ」としました。
 青時雨は、青葉の木立から落ちる水滴を時雨としたもの。
 生命力を感じる「青葉」とは真逆の情景と思われます。

さらに。写真とともに。

 害鳥は駆除。死を意味します。さらに「指さす」は名指しでの非難。
 「雛」は卵から孵ったばかりの幼鳥。
 雨に濡れ体温を失うことは死を意味します。
 しぐれは「しとしと」とした雨。
 時の経過がゆっくり。
 つまり、ゆっくりと死の訪れを待つ雛の情景を詠んでいます。

季語にこれだけの意味を持たせることが出来るのですね。
読み手の力量も問われます。ハイクってコワイですね。遅足


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「 津島祭礼図屏風 」12 〜 町方衆を乗せた船 〜 竹中敬一

2019年06月29日 | Weblog


南北朝時代、後醍醐天皇の皇子、宗良親王を主君として、北朝方と戦った一党、

( 四家七名字 )が津島に住み着き、戦国時代になると、この人達が商人、金融業、

大地主になっていきますが、その四家に大橋家が名を列ねています 。

近世になると、惣年寄役 ( 町役人 )などを務め、苗字、帯刀を許されています。

また、津島天王祭では、津島5ヶ村の一つ筏場 ( いかだば )を取り仕切る車屋

( くるまや )を世襲しています 。

伴家も大地主、金融業、紺屋を経営するなどして、尾張藩に多額の調達金、御用金を

納めています 。

今も「 津島祭礼図屏風 」が大橋家蔵とあるのは、多分、大橋家が屏風絵の注文主

だったのでしょう 。




「 綴プロジェクト 」高精細複製品より

天王川に船を浮かべ、川祭りを見物しているのは、裕福な町方衆 。

日の丸印の中が白く塗られているのは、財政難で御用金が出せなくなったため

というのですが …… 。



屏風絵の朝祭り ( 八曲一双 )を見てみると、天王川に浮かぶ観覧船はざっと30艘 。

富裕な町方衆を乗せた船が目立ちます 。

よく見ると 、商店の屋号を旗印に掲げています 。ところが、その旗印を丸く塗り

つぶした船も見えます 。

一説では、町方衆の中で財力が衰え、御用金が一定の額に達しなかった為という

のですが … 。

私は先日、京都国立博物館で仏教大学蔵と舟木本の「洛中洛外図 」を見てきましたが、

いずれにも、町屋が並ぶその入口には屋号の印を染め抜いた暖簾が描かれていました 。

屋号の印は様々ですが、津島祭礼図屏風に出てくる旗印に似た暖簾もありました 。

これを見て津島祭礼図の旗印を丸く塗りつぶしたというのは違うのではないか、

とも思うようになりました 。

船に掲げられた屋号の旗印は日の丸の中が確かに白く塗りつぶされているように見え

ます 。丁度、日輪の輪のように リング状になっています 。

ところが、これと同じ図柄が 両方の「洛中洛外図 」にありました 。ということは、

津島祭礼図の場合もリングの中を塗りつぶしたのではなく、これが商店の屋号だった

とも考えられるのです。 つづく


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あの武将は誰?

2019年06月28日 | Weblog

先日、小牧へ行った帰り、名鉄小牧線で南に向かっていたら、
間内(まない)駅の近くで、鎧姿の武将の像が見えました。
こんなところに関係のある武将て、一体誰?

帰宅して、インターネットで検索。浅井長政の像と分かりました。
北近江の武将・浅井長政は、織田信長の妹・市と結婚しますが、
信長に反旗を翻し、小谷城は落城、一族は秀吉らの手で殺されます。

長政には側室との間に七郎という男の子がありました。
七郎は秘かに美濃に逃れ、二十歳の時に、小牧の牛山村に移住。
慶安3年(1650)この世を去ったそうです。

その子孫は代々、この地に住み、その家は幕末まで続きましたが、
9代目の時、大正2年(1913)神奈川県藤沢市に転居。
私の見た銅像は、牛山浅井家の子孫が建立したものでした。

歴史には勝者があり、敗者が生まれます。
しかし敗者の歴史は語り継がれることはありません。

尾張・小牧は織田の領土。本能寺の変の後、天下は秀吉の手に。
さらに関ヶ原の戦いを通じて徳川に。尾張は徳川の領土に。
七郎が移り住んだ背景には、時代の大転換があったのかも知れません。 

車窓からちらっと見た敗軍の将・浅井長政。
穏やか温もりの感じられる表情だったような気もしています。

  敗軍の将に一日の梅雨晴れ間  遅足

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ブライクコ&レイコ  四間道編   麗

2019年06月27日 | Weblog
友人のKさんのご案内で久しぶりに三人でのブラ散歩。
今回は名古屋駅から歩いて15分くらい。下町情緒あふれる四間道・円頓寺界隈を目指しました。

長いアーケードが続く円頓寺商店街には、懐かしい看板のお店や、最近できた多国籍の飲食店、小劇場。昔ながらのお寺や神社も抱え込み、昭和の香りが満載の不思議な空間です。

商店街の角にあったこじんまりした「金比羅神社」。そこで「名古屋弁おみくじ」なるものを発見!
早速引いてみました。小吉でしたが、文面が見事な名古屋弁。名古屋生まれの郁子さんが読み上げて下さいました。
「思い通りになるようでならんのだわ」
願望「目の前にあるでよ」恋愛「考えなおしゃあ」(笑)

さて、この商店街に交差する四間道は、名古屋城築城とともに作られた商人の町。元禄時代の大火のあと、防火の目的で道路の幅を四間(約7.2メートル)に広げたことから四間道(しけみち)と呼ばれるようになったそうです。黒塗りの格子戸が残る風情のある町並み。蔵を改装したおしゃれなレストランもあります。

一本路地を入ると写真のような屋根神さまを祀る古い家屋がありました。この屋根神さまは名古屋独特とのことで、疫病や火災から身を守るための屋根の上に社を祀っています。思わずテンションがあがります。
ここからはまさに路地裏散歩。お昼にはおしゃれなおそば屋さんで冷たいおそばを堪能しました。(ミシュランにも載ったらしいです)

ちょっと視線を上に向けると名古屋の高層ビルが見える都会のエポックのような場所。
7月31日から8月4日までは「円頓寺七夕まつり」が開かれます。さぞかしにぎわうことでしょう。そして、今年は3年に一度の「あいちトリエンナーレ」が8月1日からこの四間道界隈でも開催されるとのこと。昔ながらの下町に新しい芸術が加わってどんな変化が起きるのか、夏にもまたブラブラ歩きたいと思いました。
あっそうそう。今回は訪れられなかったレトロ喫茶にも次回チャレンジしたいです。(小倉トースト発祥の喫茶店だそうです。)
一日ではとても行き尽くせない路地裏散歩。奥のふかーいブラ散歩でした。お土産に小さなガラス細工の小鳥のお守りを買いました。

           梅雨晴れ間屋根神様も機嫌良し  麗
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遠雷やカルテの向こう注射針  千香子

2019年06月26日 | Weblog

夏の季語・雷。夏井いつき先生は、こんな風に解説してみえます。

雷は一年中起こりますが、夏の雷は特に強く、
しばしば落雷して危害をおよぼすので夏の季語とされています。
昔から「地震・雷・火事・親父」なんていいますが、
恐ろしいものの代表格でもあります。
副題も多くあって……副題っていうのは季語を表す別の言葉ですね。
遠くに聞こえる「遠雷」や、晴れ間に走る「日雷」、
他にも「雷鳴」「迅雷」「はたた神」など呼び名は様々です。
雷につきものの「稲妻」は秋の季語なので注意が必要ですね。
稲を実らせる雷が「稲妻」だというわけです。
両者を比較すると「雷」はその音に重きを置いた季語であることが分かりますよね。
(俳句集団「いつき組」の日誌より)


夏のある一日。蒸し暑い日。
病院での診察。カルテのむこうに見える注射器。
その針に視線がいってしまいます。
ちょっとコワイ感じと遠雷。
つきすぎという意見もありそうですね、
たとえば

  ひやしんすカルテの陰の注射針

という取り合わせは?離れすぎですか?

         

ずいぶん前に『遠雷』という映画を観ました。
立松和平の原作の映画化、主演は永島敏行。
東京郊外の農村を舞台にした苦い青春映画だったか。
なぜかタイトルの遠雷が忘れられません。(遅足)

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樹雨さえ集めて反旗 我が山河  竹葉

2019年06月25日 | Weblog

季語は、樹雨(きさめ)。
霧が森を流れていくとき、木の葉に集まって大粒の雨となって降る現象。
ケープ・タウンのテーブル山の樹雨は有名、年間雨量の2倍も樹雨が降るとか。
夏の季語です。

作者の故郷は岐阜。風光明媚な金華山と長良川。
しかし雨が降り続くと洪水になることも。
樹雨のようなやさしい雨さえ集まると激流となり、人間に反旗を。

今年は伊勢湾台風から60年。
我が奥さんのふるさとも岐阜。ご近所に馬を飼っている家があったそうです。
こんにちで言えばトラック運送業のような仕事をされていた一家でした。
伊勢湾台風の前に名古屋の港区のほうへ引っ越されていきました。
そして・・・。

日本は豊かな自然は、時に荒ぶる神としての貌をみせます。
樹雨という言葉には、自然への畏怖も込められているのかも。(遅足)
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三千のたすきを繋ぐ走り梅雨  紅

2019年06月24日 | Weblog

3,000人が参加するマラソン大会。
世界的な大会らしく各国から選手が参加しました。
そこで「三千世界」という仏教上の意味も含め、
上五を決めました。
すでに梅雨の始まりなのでしょうか。
たすきを繋ぐランナーは、雨に追われるように走り抜けていきました。
と、作者。

三千世界。
仏教用語で、三千大千世界の略称。
仏教の宇宙観によると、私たちの住む世界を一世界として
1000個集ったものが小千世界。
この小千世界が 1000個集ったものが中千世界,
この中千世界がさらに 1000個集ったものが大千世界。
こんにちの言葉で言えば全宇宙でしょうか?

たすきを繋ぐ。
物事を次の人へ受け渡す。後を引き継ぐこと。
駅伝において、走者がスタートからゴールまで、
襷を受け渡して走り抜く事が由来とされているそうです。

私たちは、生まれてから死ぬまで走り続けているようです。
それは、親から受け継いだ遺伝子を子へ伝えていくためでしょうか。
まるでタスキをつなぐように。
ここまでの人生75年余り。
駅伝のランナーのような生き方をしてきたのかな、と感ずるこの頃です。
                              (遅足)
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害鳥と指さす雛に夏しぐれ  殿

2019年06月23日 | Weblog

人に害があるので害鳥。
鳥からすれば独断的な判断でしょう。
すべての生命に大小はないと考えます。
弱々しく儚い命。
そんな雛たちに静かに雨が降ります、と作者。

夏しぐれ。
時雨は冬の季語。夏の時雨という季語。
緑雨、青時雨は聞いたことがあります。
夏しぐれは初めてです。
やさしく降る夏の雨といった感じでしょうか。
青しぐれ。これも良いと思いますが。
みなさんはどうお考えですか。(遅足)

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「津島祭礼図屏風 」11 〜 町方衆 〜 竹中敬一

2019年06月22日 | Weblog


昭和59年に当時、愛知県津島市教育委員会の樋田 豊 氏 ( 故人 )が調べた

「津島祭礼図屏風 」8 点のうち、個人蔵とはっきりわかるのは、「大橋国富氏 」、

「 伴家 」(今は徳川美術館蔵 )の2点です 。

大橋家、伴 家とも津島の名家 。

こうした裕福な町方衆が屏風絵の注文主だと考えられます 。

「 津島市史 」( 昭和50年 刊 )などによると、南北朝時代、後醍醐天皇の皇子、宗良

親王を主君として、北朝方と戦った一党 ( 四家七名字 )が津島に土着 。

戦国時代、この人たちが中心となって大地主、商人、金融業などで財をなし、自治組織

惣 ( そう )を作り、津島5ヶ村の経済を支えたという 。




「 綴プロジェクト」高精細複製品より

天王川に屋根付きの大きな船を浮かべ、祭りの様子を見物するのは
商家の大旦那 でしょう 。


昔、習った西洋美術史を思い出します 。

津島祭礼図屏風が描かれたとされる江戸時代前期、オランダではギルド ( 同業組合 )の

活躍で、黄金期にあり、富裕層は競って画家に肖像画を描かせています 。

レンブラントなど多くの画家がギルドなどからの依頼で制作したのが集団肖像画 。

( 記念写真のように依頼者全員の姿を描くべきところ 、レンブラントの大作 「 夜警」

はある特定の人物を大きく描いたり、市民隊 以外の人も入れて当時 、不評だっが、

芸術作品としての価値は高く 、名画として今に伝わっています。)

富裕層の台頭期はどの時代、どの国でも同じような現象が見られるようです 。つづく










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6月句会の結果です。

2019年06月21日 | Weblog
「雨」句会の結果です。
紅さんが参加して下って、ますます投句の彩りが豊かになりました。
ご覧のような結果となりました。(遅足)

題詠
①害鳥と指さす雛に夏しぐれ(殿)結宇・竹葉・すみ・紅・千香子・狗子
②三千のたすきを繋ぐ走り梅雨(紅)殿・遅足
③樹雨さえ 集めて反旗 我が山河(竹葉)佐保子
④遠雷やカルテの向こう注射針(千香子)能登・結宇・竹葉・紅・晴代・郁子
⑤天翔ける雷呼ぶ城の鬼瓦(等)幸泉
⑥走梅雨頭痛信号発令中(麗子)能登・亜子・等・郁子
⑦ひとり守る廃線跡の梅雨しづく(結宇)
⑧紫陽花は雨にうたれし香りなし(幸泉)紅・殿
⑨梅雨寒や歯医者の椅子は二十五度(晴代)すみ・千香子・等・遅足
⑩駅前に折れたビニ傘男梅雨(すみ)竹葉・亜子・幸泉・狗子
⑪食欲のないとふ夫や梅雨菌(つゆきのこ)(佐保子)千香子・晴代・郁子
⑫梅雨三日濡れざるもののなかりけり(遅足)佐保子・すみ・麗子
⑬古書店の古書の匂ひや梅雨に入る(亜子)幸泉・晴代・等・狗子
⑭飛び込みし寒過ぎのカフェ走り梅雨(能登)等
⑮梅雨晴れ間遊具を磨く尻雑巾(郁子)能登・結宇・遅足・亜子・麗子
⑯保育所の子供並んで梅雨晴れ間(狗子)佐保子
 
自由題
①夏椿わが母の忌を修しをり(佐保子)能登・竹葉
②入室の扉重たき梅雨入りかな(亜子)遅足・晴代・麗子・郁子
③白玉や歯ごたえ楽し歯無し母(すみ)能登・紅・殿・幸泉
④葉陰より目高ついと出つっと消え(晴代)竹葉・すみ
⑤軒下を飛び舞う燕追うばかり(幸泉)
⑥つゆ草や子等はゆうべの夢かたる(結宇)麗子
⑦夕虹や明日を信じる力あり(麗子)亜子・等
⑧どかと落つ梅雨入りの雨はガードより(等)
⑨峰雲や平和行進とおる二時(千香子)結宇・佐保子・亜子
⑩早朝の 車窓に触れる 慈雨ななめ(竹葉)幸泉
⑪多国籍ランナー達の夏の陣(紅)佐保子・殿
⑫芭蕉庵あゆみ止まりし春の蝉(殿)結宇・紅・千香子
⑬涅槃とは束の間の華遠花火(遅足)能登・千香子・等・狗子
⑭ふと消えてふと甦る揚羽かな(能登)紅・狗子・郁子
⑮雨だれに縫いつけていく過去未来(郁子)結宇・竹葉・すみ・遅足・亜子・幸泉・晴代・狗子・麗子
⑯知らぬ子に手をつながれて夜店の灯(狗子)佐保子・遅足・千香子・晴代・等・郁子
 
次回は7月17日(水)午後1時20分 愛知県芸文センター
題詠は「トマト」です。
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梅雨晴れ間の雨句会   麗

2019年06月20日 | Weblog
昨日の句会。兼題は「雨」または「雨のつく漢字」でした。いろんな雨が降り注ぎました。ちなみに俳句の世界では「梅雨入り」を「ついり」と読むことも勉強になりました。
今月から新たに豊橋の紅さんが投句されています。どうぞよろしくお願いいたします。

では恒例の一言講評です。

①害鳥と指さす雛に夏しぐれ

害鳥は烏でしょうか?人間にとっては害鳥でも鳥に罪はありません。ましてや雛には。小さな命に夏しぐれが降ります。

②三千のたすきを繋ぐ走り梅雨

三千のたすきは何だろう?と想像しました。マラソン大会とのことでしたが、作者は三千世界という仏教の意味を込められたそうですが、そこまで読み切れず。

③樹雨さえ 集めて反旗 我が山河

「きさめ」と読みます。故郷岐阜長良川を詠まれたのでしょうか?

④遠雷やカルテの向こう注射針

カルテの向こうに看護師さんの持つ注射針が見えます。不安な一時。窓からの遠雷が尚一層、不安な気持ちを駆り立てます。

⑤天翔ける雷呼ぶ城の鬼瓦

鬼瓦と雷が呼応している迫力ある一句。上田城の実景とのこと。光景が目に浮かびます。

⑥走梅雨頭痛信号発令中

頭痛持ちには辛い季節到来です。ズキズキという頭痛信号なので「発令中」より「点滅中」の方がよかったかも?全て漢字で鬱陶しさを表現したつもりですが意外にスカッとするというコメントも。

⑦ひとり守る廃線跡の梅雨しづく

下五の「梅雨しづく」の状況が読み切れず。

⑧紫陽花は雨にうたれし香りなし

「うたれし」「香りなし」というリズム。ただ「うたれし」だと過去形になってしまうという指摘あり。古文の助動詞の使い方難しいです。

⑨梅雨寒や歯医者の椅子は二十五度

六月は虫歯予防月間です。苦手な歯医者さんの椅子は確かに二十五度くらい頭が上がっています。その発見が新鮮でした。

⑩駅前に折れたビニ傘男梅雨

放送では「男梅雨」「女梅雨」は言わないことになっていますが、俳句の世界では許されるのではないでしょうか?荒々しい雨が上がりました。「ビニ傘」という表現が新鮮。駅で見かける光景です。

⑪食欲のないとふ夫や梅雨菌(つゆきのこ)

夫の体調を心配する奥さんの気持ち。じめじめした梅雨菌がよく合います。

⑫梅雨三日濡れざるもののなかりけり

その通りの俳句なのですが、三日も雨が続けば心情も濡れますね。

⑬古書店の古書の匂ひや梅雨に入る

今や少なくなった古書店。ただでさえほこりっぽい匂いに梅雨時の古書の匂い。

⑭飛び込みし寒過ぎのカフェ走り梅雨

冷房が効きすぎたカフェ。思わぬ雨に打たれたのにこの寒さは辛いですね。

⑮梅雨晴れ間遊具を磨く尻雑巾

「尻雑巾」という作者のユニークな造語。雨が上がり、子供のおしりで拭く滑り台ですね。「梅雨晴れの」としてはどうか?というコメントありました。

⑯保育所の子供並んで梅雨晴れ間

こちらも梅雨の晴れ間にお散歩に出るかわいい保育所の子供たち。車がつっこんで来ませんように祈るばかりです。

いかがでしたでしょうか?
このところ梅雨の晴れ間が続きます。雨の日の句会ならまた取り方も違ったかも知れませんね。

来月のお題は「トマト」です。どんなトマトが味わえるでしょうか?7月17日(水)午後1時20分 愛知県芸文センター12階会議室Dでお待ちしています。麗


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6月句会の投句が集まりました。

2019年06月19日 | Weblog
梅雨に入って雨の日が続きました。
今日は晴れ。もう3日程、雨が降ってきません。
今年の梅雨はメリハリがはっきりしているようです。
題詠は「雨」です。いろいろな句が揃いました。


題詠

①害鳥と指さす雛に夏しぐれ
②三千のたすきを繋ぐ走り梅雨
③樹雨さえ 集めて反旗 我が山河
④遠雷やカルテの向こう注射針
⑤天翔ける雷呼ぶ城の鬼瓦
⑥走梅雨頭痛信号発令中
⑦ひとり守る廃線跡の梅雨しづく
⑧紫陽花は雨にうたれし香りなし
⑨梅雨寒や歯医者の椅子は二十五度
⑩駅前に折れたビニ傘男梅雨
⑪食欲のないとふ夫や梅雨菌(つゆきのこ)
⑫梅雨三日濡れざるもののなかりけり
⑬古書店の古書の匂ひや梅雨に入る
⑭飛び込みし寒過ぎのカフェ走り梅雨
⑮梅雨晴れ間遊具を磨く尻雑巾
⑯保育所の子供並んで梅雨晴れ間
 
自由題

①夏椿わが母の忌を修しをり
②入室の扉重たき梅雨入りかな
③白玉や歯ごたえ楽し歯無し母
④葉陰より目高ついと出つっと消え
⑤軒下を飛び舞う燕追うばかり
⑥つゆ草や子等はゆうべの夢かたる
⑦夕虹や明日を信じる力あり
⑧どかと落つ梅雨入りの雨はガードより
⑨峰雲や平和行進とおる二時
⑩早朝の 車窓に触れる 慈雨ななめ
⑪多国籍ランナー達の夏の陣
⑫芭蕉庵あゆみ止まりし春の蝉
⑬涅槃とは束の間の華遠花火
⑭ふと消えてふと甦る揚羽かな
⑮雨だれに縫いつけていく過去未来
⑯知らぬ子に手をつながれて夜店の灯

どの句に票が集まるのでしょうか?
予想がつきませんね。遅足

 
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白犀も河馬も眠れり若葉して  佐保子

2019年06月18日 | Weblog

動物園にも季節はめぐってきます。
白犀も河馬ものんびりと居眠りを。
見上げると花は終わり若葉に。
頬を撫でる風。

犀も河馬もふるさとを思い出しているんでしょうか?
いまは動物園で生まれる動物も多くいます。
名古屋には動物園生まれの河馬がいるとか。
あの水槽とンクリートの飼育室がふるさとなのでしょうか?
                   
                       (遅足)

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麻のれん白き襟足風と抜け  殿

2019年06月17日 | Weblog

神楽坂老舗の蕎麦屋。
のれんが涼しげな麻となりすでに夏の趣き。
そこに白いえり足の女性。
のれんを揺らし風とともに抜けていきました、と作者。

下五の「風と抜け」が良いですね。
風と共に抜けていった。
風となって抜けていった。
あざやかなイメージのみを残して・・・。
そして目の前には風にゆれる麻のれん。

景は再び頭へ戻りました。
浮世絵のような江戸情緒たっぷりですね。(遅足)
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父の日の父の沈黙母の黙  遅足

2019年06月16日 | Weblog

「父の日」というものを知ったのは小学生か中学生の頃か。
しばらくして我が家でも、父に感謝しようということに。
めずらしく早く帰った父を囲んで・・・
なにがあったのか?記憶にありません。

「ありがとう」と言った後、父も母もなにも言わずに沈黙。
明治生まれの父。大正生まれの母。
農村に育ったふたりには、どうしていいか分からなかったかも。
これも正確な記憶ではありません。
そうじゃないか?という句です。

テレビからはアメリカの文化が溢れていました。昭和30年代。
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