575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

やわらかい記憶   麗

2019年10月31日 | Weblog
朝起きて、沖縄の首里城が全焼というショッキングなニュース。
14年前に訪れた首里城。心惹かれる場所でした。沖縄戦で全焼してようやく復元されて、2000年に首里城跡が世界遺産にも認定されていたのにとても残念です。また復元されるのに多くの年月を必要とすることでしょう。沖縄の人の心のよりどころとなっている首里城の復興をお祈りしたいと思います。

さて、先日10月28日の毎日新聞に漫画家の西原理恵子さんの「りえさん手帖」に「軟らかい記憶」という漫画コラムが載っていました。
夜、目を閉じると後悔や怒りや悲しみがやってきてしまう時に、自分の一番遠いものから順に、大切なやわらかい記憶を探すというもの。それは、いつ来るか分からないのにバス停でずっと待っていた祖父の姿だったり、初めて子犬を抱いた記憶だったり。
子供の頃の暖かいちょっと甘酸っぱい記憶を呼び起こしていくというもの。
そうすると幼かった頃の自分が満たされて穏やかに眠りにつけるのでしょう。

私にとってのやわらかい記憶。
それは小学1年生の時。母の病気が悪化し、夜に遠くの病院に緊急入院することになった時のこと。高熱が下がらずほとんど話すこともできなくなっていた母はタクシーで父と病院に行ってしまいました。母との別れがつらくて泣いていた私を6歳違いの兄が、壁に貼ってあった大阪府の地図を指さしながら、「今お母さんのタクシーはこの辺を走っているはずや。。。」と道路を指で追って教えてくれました。たったそれだけのことなのに、50年たってもその時の心細い感じと兄らしい素朴な優しさを思い出します。

大好きな「となりのトトロ」のアニメの中で姉妹がお母さんの見舞いに行くシーンがありますが、私は涙なくして見ることが出来ません。少し元気になった頃、ベッドサイドで母は私の髪をとかしてくれました。約4ヶ月、母は入院しましたが、私の誕生日の前の日に退院してきてくれました


秋晴れのぽかんとした時間、そんなやわらかい記憶がなぜか浮かんで来ます。

        秋晴れや心の隙間埋めていく  麗



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旧姓や呼ばれて秋思うわのそら 竹葉

2019年10月30日 | Weblog

作者は、この句を詠んだ時のことを、こう言っています。

「台風15号のお見舞いで思わぬ人たちからの声掛けがあり、
昔を思い出しました。」

とても良い着眼点ですね。
しかし、なぜ下五を「うわのそら」としたのでしょう?
現実を離れて、心が昔に飛んで行ってしまったことを
表現したかったのでしょうか?

「秋思」という季語にはそういった意味が含まれていると思います。

 旧姓や呼ばれて秋思生まれけり
        
 旧姓や呼ばれて秋思始まりぬ

でも良いと思います。
5文字で何か別のこともいえそうです。

 旧姓や呼ばれて〇〇〇秋思わく

 旧姓や呼ばれて深き夜の秋思

うわのそら、の意味を読み違えていたら御免なさい。遅足
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テレビ、老人のツブヤキ 〜 夕方ニュース ⑵ 〜  敬一

2019年10月29日 | Weblog

以前にテレビ番組の取材でイタリアへ行った時、コーディネーターで東大留学経験の

ある才女に 「 イタリア気質て一口で言って何ですか 」と聞いてみたことがあります 。

彼女は即座に それは 「 マンジャーレ 、アモーレ、カンターレ 」と言いました 。

日本でも沢田研二の同名の歌があるようです 。

確かに「食べること 」「愛すること 」「歌うこと」はイタリアのみならず、万国共通、

人間の欲望の的をよく突いている言葉だと思います 。

テレビ局在職中、「 そこが知りたい 」という情報番組を担当していた時、色々な話題を

取り上げた結果、悔しいことですが、食べ物と温泉を出せば視聴率が良かったことを

思い出します 。

私は今、腎臓病で厳しい食事制限をしているため、若い頃、好物だった食べ物は一切、

食べられませんが、夕方ニュースで美味しそうな鰻丼や色々なラーメンが紹介されると

食べられないのは わかったいるのに、ついつい見てしまいます 。

思えば 、テレビはこの3つの人間の欲望を満たすために腐心してきました 。

テレビ番組で「 アモーレ 」はドラマで、「 カンターレ 」は歌番組で、手を替え品を替え

放送してきました 。

情報番組や夕方ニュースは 「 マンジャーレ 」に目をつけ、これでもか これでもかと

人間の欲望をくすぐるような食べ物の話題を流すようになりました 。

食べて、しばらく経てばまたお腹が空いてくるという本能をくすぐるように、テレビで

何回、鰻丼やラーメンを見ても、その度に美味しいそうだと、つい見てしまう我が身が

不思議です 。

テレビ草創期、社会に大きな影響力のある 「 夢の箱 」だったものが、今では、「世相

に 媚びる 箱 」か 。

あまり、欲望を満たすことにうつつをぬかしていると、そのうち、気づいた頃には、

手遅れで報道の自由が更に縛られているかもしれず、心しておかなければいけないで

しょう 。

( これも、余計なお世話かもしれませんが、私は今もジャーナリスト桐生悠々を尊敬して

います 。)





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中日歌壇!!

2019年10月28日 | Weblog
今朝の中日新聞  中日歌壇に宗匠の歌が                    
小島ゆかり先生、トップ選です!

  親指の付け根の洞のひろがりて水にコップがおちてゆく 秋




{総評}
手が痩せ、筋肉が衰えたのだろう。その辛い現実を
これほど詩的な迫力をもって詠める作者の力量に感心する。
「洞」「落ちてゆく」そして空白を伴う「秋」に、
深い孤独が潜んでいる。(小島ゆかり)


久しぶりの登場ですが、ちょっと寂しく感じます。
親指の付け根に確かに三角の部分がありますね。
そこを「洞」ということで、多くの想像が生まれます。
先回の句会で
「親指の先より秋思生まれけり」と宗匠が詠まれましたが
この句と響きあいました。素晴らしいです。郁子


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漸<やや>寒に 褻衣<せつい>あなぐる 暗き蔵  殿

2019年10月27日 | Weblog

褻衣は 普段着のこと。



あなぐる 【探る・索る】
探し求める。さぐる。くわしく調べる。
台風が去って急に寒さが身にしみる気がします。
着るものを秋冬のものにと。
「あれ?あれってどこへ?」

真冬のもので間に合わせていますが・・・
昼間は暑いです。ハイ。(遅足)

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テレビ、老人のツブヤキ 〜 夕方ニュース ⑴  敬一

2019年10月26日 | Weblog

今では東京キー局だけでなく、どこのローカル局もキャスターによる夕方ニュース

を流しています 。

一体、ストレートニュースからキャスターの顔出しによる今のようなスタイルになった

のはいつ頃からか、ちょっと調べてみました 。

アメリカでは三大ネットワーカーの1つCBSが1948年に「CBSイブニングニュース 」の

前身、「 テレビジョンニュース 」でダグラス・エドワードを初めてアンカーに起用 。

1962年には、後に「 大統領よりも信頼できるニュースアンカー 」と言われた

ウオルター・クロンカイトが起用され、その翌年には「CBSイブニングニュース 」が

正式にスタートしています 。

私は名古屋のCBCテレビに在職中、昭和57年 ( 1982 )に研修旅行で、同僚5人とCBSなど

アメリカのテレビ局を訪れました 。

「 CBSイブニングニュース 」のアンカーはクロンカイトからダン・ラザーに変わって1年

余り経った頃でした 。ダン・ラザーも人気があり、私達はその放送現場を見学しましたが、

あの時の熱気は今も忘れられません 。

TBSは開局当初からCBSと業務連携しています 。

私達が研修旅行でCBSを訪れた際に感じたことがありました 。

日本初のTBSをキイー局としたニュースネットワーク JNN ( ジャパン ニュース ネット

ワーク、1959年 発足 )は、CBSの全米を網羅する強大なネットワークを、

更に、これも 日本初の本格的なキャスターによるニュースショー「 JNNニュースコープ 」

( 1962年 開始 )も「 CBSイブニングニュース 」をお手本にしているように思えたこと

でした 。

私がいたTBS系列のCBCでは他のローカル局に先駆けて昭和49年 ( 1974 )に「CBC

ニュースワイド 」をスタートさせています 。その後、あっと言う間にどのテレビ局も

キャスターによる夕方ニュースを始め、今日に至っています 。

CBCの社史によれば「 CBCニュースワイド 」の最高視聴率は32%をマーク 、放送評論家

の青木貞信氏が 「テレビの新しい波 ・名古屋ジャーナリズムが生まれた 」とあります 。

青木貞信氏や志賀信雄氏は私より5歳位年上で放送評論家として活躍されましたが、すでに

故人 。私もテレビの世界から離れて久しい為、よくわかりませんが、その後、お二人の

ような放送評論家は出ていないのではないでしょうか 。

それに、今のテレビ界では、放送評論家など必要としていないようにさえ思えます 。

平成の世になって、「 個人情報保護法案 」、「 特定秘密保護法案 」などが次々に成立

して、言論の自由が脅かされ、真綿で首を絞められるように、何となく息苦しくなって

きたことと関係があるようです 。

私は夜8時過ぎには就眠しますので、テレビを見るのは昼間の僅かの時間帯でしかあり

ませんが、民放局で正面から社会問題を取り上げているのはTBSの「 報道特集 」位

のように思います 。

夕方ニュース枠ではその日の出来事を掘り下げる企画は少なく、まとめて、その日の

ストレートニュース ( ヘッドラインニュース )を伝えた後は各局独自の特集を組んで

いますが、その内容は食べ物が一番、多いように思います 。( 名古屋の民放各局の場合 )

ここからは想像でしか言えませんが、現場の人間は誰からの指示があったわけでもない

のに、見えない重圧に忖度しているのではないでしょうか 。

自ずと、視聴率のとれそうな話題を探すうちに、行き着く先が食べ物ということになった

のでしょう 。私はこの現象を見て 「 昔に比べて… 」などと言うつもりはありません 。

この辺は次回 お伝えします 。










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里の秋 落ち葉踏みしめ なに思う  幸泉

2019年10月25日 | Weblog

人がめっきり少なくなってきて、歩いていると、
落ち葉の音だけがくっきりして、
なんとなく寂しい気持ちになってきました、と作者。

俳句の着眼点はとても良いと思います。
課題は「どう表現するのか?」です。

下五の「なに思う」は必要でしょうか?
歩いていると落葉のおとだけクッキリとして。
ここに焦点をあてて575に。
落葉をそのまま使えば

  落葉踏む一歩一歩に秋思あり

となりますが、「秋思」という季語は
こうした気持ちを含んでいます。
したがって足音を写生するだけでも良いのです。

  里を訪ふ足音につく秋思かな

これは良くありませんが・・・   遅足

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朗読会   麗

2019年10月24日 | Weblog
気持ちのよい秋晴れの昨日、今年も郁子さんと「つくしの会」の朗読を聞きに行きました。
女性ばかりの朗読会なので、夫婦間のくすっと笑えるエッセイや、亡き夫をしのぶ作品など心にしみる作品が多く、毎回どんな本に出会えるかも楽しみのひとつです。去年亡くなったさくらももこさんの作品も朗読して下さって懐かしい一時でした。


今回一番心に残った作品は「おはぎと兵隊」。久住昌之さんのエッセイ。思わず涙がこぼれました。
それは戦時中のおはぎにまつわる母の思い出話です。

作者のお母さんが、予科練に入った兄の休日に、水戸偕楽園までおはぎを持って行くお話。
山梨から朝一番の満員の汽車に乗り、20個も手作りのおはぎを持って、会えるかどうかもわからないのに父と出かけて行きます。目深に帽子をかぶった多くの兵隊さんの中から兄を見つけた喜び!
おいしそうに何個もおはぎをほおばる7つボタンの兄。「このあとどこに行くの?」と聞いても答えられません。
そして、別れ際まで兄はおはぎを食べ続けます。別れた後、ひっつかないようにとおはぎにはり付けてあった薄紙がひらひらと舞い、その薄紙に、兵隊さんの面影を見るというようななんとも切ないお話です。(記憶を元に書いているので詳しいことは、PARCO出版のアンソロジー 「おやつ」という本に収録されています)


この「おはぎと兵隊」を書いた作家、久住さんはなんとあの「孤独のグルメ」の原作者でした。食べ物エッセイを多く書いているのでまた読んでみたいと思います。
それにしても朗読という声だけの発表会なのに、映像がまざまざと目に浮かぶのは本当に不思議です。これが「声の力」なのですね。朗読指導をされている鎌田吉三郎さんもとってもお元気で「博士」はご健在でした。

           秋日和平和の味をかみしめる  麗
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旧姓の声のはなやぐ菊日和  遅足

2019年10月23日 | Weblog

私は、1961年に大学に入学しました。
文学部のフランス語を第2外国語としたクラスでした。
先日、その同窓会があり、54人のうち、15人が出席。
実に58年振りに再会した友も。
でも、顔の分からない人はいませんでした。

女性は奥さんを含めて7人。
みな旧姓に帰ってオシャベリを楽しんでいました。
男性陣はお酒も控えめで、静かなもの。
昼食後、喫茶室へ。まだまだお喋りは続いたそうです。

菊の名の由来は「窮まる(きわまる)」が語源で、
一年の最後に咲くことから名付けられたとか。
散り急ぐ桜に対して、寒さのなかでも咲き続けます。
能に「枕慈童(まくらじどう)」という演目があります。
菊の露を飲んで700年も長生きをした少年の話です。

秋の一日。あの若い頃に帰ったひと時でした。
再会すれば、また若い自分たちに会えるかな?  
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親指の先より秋思生まれけり   遅足

2019年10月22日 | Weblog
台風から温帯低気圧になった20号。
朝の雨もあがりました。今日は令和天皇の即位の日。

テレビの朝ドラも時間が変更。なじみのない儀式の説明が続きます。
日頃、天皇を意識することもなく生きています。

天皇って私にとって何なのか?
戦前は近づくことも出来なかった天皇。
戦後は国民の前に膝をついて慰問するように。
本当に天皇と国民の関係は変ったのでしょうか?

現在の憲法は第一条で天皇について規定しています。
天皇について考えることは憲法について考えること。

安倍さん達の思うままに進められていく即位式。
憲法の精神に沿っているのでしょうか?

この秋思。少しは考えるようにという天意でしょうか?


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自由題の一言感想 ②  遅足

2019年10月21日 | Weblog
一言感想の続きです。まとめるのは難しいですね。 


⑨「不自由展」慰安婦像の愁思かな  千香子

なんとか再開、無事(?)閉幕した愛知・ビエンナーレの「表現の不自由展」
人間たちに囲まれたあの少女像。慰安婦像の少女の心を思うと・・・。

⑩金橘の 甘煮転がす 舌の先  紅

金橘は中国原産。皮ごと食べることができて栄養があります。
インフルエンザの予防や美肌効果があるそうです。
甘煮にして味見を。母の味でしょうか。

⑪田籾焼くけぶりは先祖供養かな  結宇

田籾を焼く農作業を見ることは少なくなりましたねと、しみじみ。
出席者もほとんど見ていない光景でした。

⑫冷まじき現世の夕や鳰の海  殿

すさまじき うつせ におのうみ。
難しい読みを学ばせていただきました。
夕暮れの琵琶湖の冷たさが伝わって来ました。

⑬墓石にゆらりふわりや秋のてふ  竹葉

墓石を離れずに飛ぶ蝶。
死者のたましいなのでしょうか?とくに秋の蝶は。

⑭なゐのわきあきつのしまの生きがたし  能登

災害列島の日本。古くから厳しい現実に向き合って来ました。
「あきつのしま」は日本ですが、「あきつ」とはとんぼのことと、
等さんが教えてくださいました。

⑮曼珠沙華言葉やさしく皮肉られ  晴代

皮肉めいたことを言葉巧みに言う人がいるそうです。
それを毒のある華に合わせてみました、と晴代さんの言葉。

⑯台風や 神輿出るかな そわそわと  幸泉

神様も台風には勝てませんね。空を見上げて・・・。

⑰新米の新種整列悩ましや  すみ

いろんな銘柄の新米が出ています。ネーミングが勝負。
「ふふふ」なんていうものもあるそうですよ。
どれを買うか迷いますね~。

(一言感想の文責は遅足にあります。)



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自由題の一言感想 ①  遅足

2019年10月20日 | Weblog

10月句会の付録として自由題の一言感想です。

①照る月や死臭腐臭の波の音  等

60年前の伊勢湾台風の記憶を詠んだ句。
放送局に入社したばかりでした。
現場での臭いが忘れられないという話に一同衝撃を受けました。

②秋思などなぎ倒してのトライかな  麗子

ラグビーワールドカップでの日本の見事なタックルとトライ。
秋思がぶっ飛びました。
「なぎ倒して」がよいと言われました。

③夕焼に誘われすすき野原歩く  静荷

ご自分でつくったことを忘れていたという作者。皆さん大笑い。
そのあと、そこまでの域に達した自然な自由律の作品ということに感動。
どこかメルヘンチックな句。

④龍淵(ふち)に潜(ひそ)むや風に立つ水面  亜子

亜子さんの作、確か鶴舞公園の竜が池でつくられたとか。
作者は結宇さんでは・・・と想像した麗子さんと私は「えーっ!」と驚く。
春は天へ。秋は淵に。中国の龍の世界は雄大です。

⑤実柘榴の採られず道に落ちつぶる  佐保子

柘榴はいつの間にか果物の地位からすべり落ちて・・・。
カラスも見向きしません。下五がいいですね。

⑥新涼の声の乗りこむ無人駅  遅足

新涼の声ってどんな声なんだろう?
晴代さんが「無音!」と即座に応えました。
一日に数本しか無いローカル列車。どんな人が乗ってきたのでしょう?

⑦虫すだく圧増す夜の奥の底  郁子

「圧増す」が良いといってくださった方も。
「圧増す夜」でなく「厚増す闇」のほうがよかったかなと思いました。

⑧秋祭りひとり静かにいなり寿司(狗子)

り、り、り、のリズムの良さで、この「ひとり」は
淋しさを感じないという感想も。実際は?

この感想は麗子さんと郁子さん、それに遅足の3人で。
それぞれの記憶をもとに遅足がまとめたものです。
文責は遅足にあります。

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多摩川の 泥<こひぢ>照らすや 後<のち>の月   殿

2019年10月19日 | Weblog

「多摩川の 泥<こひぢ>照らすや 後<のち>の月」という句を詠みました。

「泥」「こひぢ」しかし、和歌では「恋路」という意も含んでしまいます。
上記の句の場合、「こひぢ」というルビを用いるべきではないのでしょうか?、と殿様から。




「泥(どろ)」を古語では「こひぢ」と読みます。
泥(ひぢ)に接頭語の「こ」がついたものです。

和歌の世界では、音が同じ「恋路(こひぢ)」にかけることが多いようです。
古語辞典を開けると、源氏物語のなかの歌。

 袖ぬるるこひぢとかつは知りながら降り立つ田子(たご)のみづからぞ憂き

(涙で)袖がぬれる恋の道と一方では知りながら、泥の中に踏みこむ農夫のように恋の道に踏みこんでしまう私は、わが身ながらつらい。

とありました。

この句は、恋の句ではありません。
しかし恋の句と読まれる可能性はあります。
私は良いと思うのですが、皆さんはどうお考えですか?

恋の道は泥道なんでしょうね?(遅足)
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10月句会の結果です。  遅足

2019年10月18日 | Weblog
10月の題詠は「秋思」でした。実体のない思い。
写生とどう取り合わせるのか?も、ひとつのポイント。
ごらんの結果でした。


題詠「秋思」

①吾が秋思メトロノームに急かされて(結宇)竹葉・佐保子・紅・すみ・麗子
②素描する筆先にある秋思かな(殿)能登・紅・晴代・狗子・亜子・郁子・麗子
③捨てられぬカセットテープ秋思あり(麗子)幸泉
④レジかごのかさ減るたびの秋思かな(郁子)
⑤秋思あり肩に雲おき御嶽山(晴代)能登・幸泉・静荷・等・千香子・麗子
⑥玻璃戸より浅間眺めし虚子秋思(等)結宇・遅足・静荷・狗子
⑦靴箱に 毬栗ひとつ 秋思かな(紅)殿・竹葉
⑧母のゐし畳照り映え秋さびし(千香子)能登・結宇・遅足・すみ
⑨馬もまた睫(まつげ)伏せゐる秋思かな(亜子)殿・竹葉・佐保子・晴代・静荷・等・千香子・郁子
⑩親指の先より秋思生まれけり(遅足)紅・狗子・千香子
⑪秋思わく吉田山荘賑ひて(佐保子)
⑫姑の逝きて身深き秋思かな(静荷)佐保子・遅足・晴代・郁子
⑬雲流れ飽かず眺むる秋思かな(能登)幸泉・等・亜子
⑭里の秋 落ち葉踏みしめ なに思う(幸泉)
⑮旧姓や呼ばれて秋思うわのそら(竹葉)
⑯取り込みし干し物冷やり秋思かな(すみ)結宇
⑰頬杖にちょっと秋思のポーズして(狗子)殿・すみ・亜子

自由題

①照る月や死臭腐臭の波の音(等)能登・結宇・狗子・千香子・亜子
②秋思などなぎ倒してのトライかな(麗子)能登・佐保子・遅足・晴代・すみ・静荷・狗子・千香子・郁子
③夕焼に誘われすすき野原歩く(静荷)幸泉
④龍淵(ふち)に潜(ひそ)むや風に立つ水面(亜子)郁子・麗子
⑤実柘榴の採られず道に落ちつぶる(佐保子)幸泉
⑥新涼の声の乗りこむ無人駅(遅足)竹葉・結宇・佐保子・紅・晴代・すみ・静荷・等
⑦虫すだく圧増す夜の奥の底(郁子)晴代
⑧秋祭りひとり静かにいなり寿司(狗子)結宇・郁子・麗子
⑨「不自由展」慰安婦像の愁思かな(千香子)竹葉・等・亜子
⑩金橘の 甘煮転がす 舌の先(紅)殿・竹葉
⑪田籾焼くけぶりは先祖供養かな(結宇)幸泉・等・千香子
⑫冷まじき現世の夕や鳰の海(殿)能登・紅
⑬墓石にゆらりふわりや秋のてふ(竹葉)
⑭なゐのわきあきつのしまの生きがたし(能登)殿・遅足・亜子・麗子
⑮曼珠沙華言葉やさしく皮肉られ(晴代)殿・佐保子・紅・すみ・静荷・狗子
⑯台風や 神輿出るかな そわそわと(幸泉)
⑰新米の新種整列悩ましや(すみ)遅足

次回は11月20日(水)午後1時20分 愛知芸文センター
題詠は「落葉」です。

なお、来年1月は第4水曜日の22日です。

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秋思句会   麗

2019年10月17日 | Weblog
台風19号が大災害となってしまい、さわやかな青空がかえって秋思の思いを強くする昨日、575の句会が無事に開かれました。
久しぶりにすみさんも参加され、郁子さんからは広島の紅葉まんじゅう、佐保子さんからは、京都の吉田山荘のクッキーのお土産を頂きにぎやかな句会となりましたが、2時間内で全ての句を論評するのは少し窮屈という声もあがっています。
句会の楽しさは、あーだこーだ言い合う雑談の中にありますもんね。少し進行が変わるかもしれません。

では恒例の一言講評です。「秋思」という人生の儚さを感じる秋のなんだかぼんやりした淋しさは意外に難しいお題でした。

題詠「秋思」


①吾が秋思メトロノームに急かされて

カチカチと規則正しく刻むメトロノーム。「人生の時間」というものを意識させられなんだか焦ってしまう気持ちでしょうか?

②素描する筆先にある秋思かな

素描と秋思がよく合うという声が多かったです。繊細な筆先にも秋思が宿ります。何をデッサンされているのか気になります。

③捨てられぬカセットテープ秋思あり

どうしても捨てられないカセットテープ。声や歌や思い出が詰まっています。もうカセットデッキもないので再生方法もないのですが。。

④レジかごのかさ減るたびの秋思かな

子供たちも独立し、スーパーのレジの会計ですっかり量が減った買い物かごに秋思を感じました。消費増税ととった方も。

⑤秋思あり肩に雲おき御嶽山

5年前に噴火した御嶽山。毎日のように御嶽山を眺める作者。御嶽山の肩にある雲の中に、もしかしたら行方不明の方がおられるのでは?という気持ちになったそうです。人間にも秋思があるように、山には山の秋思がある気がしました。

⑥玻璃戸より浅間眺めし虚子秋思

下五の「虚子秋思」が絶品。語呂もいいですね。自分の秋思を虚子に託しています。ちなみに虚子は戦時中、長野県小諸市に疎開しておりそこで厳しく美しい風土に触れ「小諸時代」という世界を築いたそうです。記念館があるそうですよ。


⑦靴箱に 毬栗ひとつ 秋思かな

ぽつんと置かれた毬栗。情景が目に浮かびます。ただ「毬栗」も秋の季語なので、惜しい!

⑧母のゐし畳照り映え秋さびし

いつも母が座っていた畳。いなくなってそこに秋の日が差し込んでと解釈した方が多かったのですが、作者曰く、月の光だったとのこと。そうなると「照り映え」にもう一工夫をという声がありました。

⑨馬もまた睫(まつげ)伏せゐる秋思かな

馬の長い睫にも人と同じような秋思があるように感じた作者。馬の優しいまなざしが伺えます。出雲大社の神馬との交流で感じた秋思でした。

⑩親指の先より秋思生まれけり

ちょっとシュールな一句。作者はおのずと知れますね(笑)啄木のようにじっと親指を眺めていたのかも知れません。手足の中でも親指が一番重要だとリハビリを通して感じられるそうです。そこから生まれた秋思。深いです。

⑪秋思わく吉田山荘賑ひて

京都にある元東伏見宮別邸の料理旅館。豪華な京料理をいただけます。にぎやかな京都にお一人での旅だったことで、かえって
秋思が忍び寄ったのかも知れません。

⑫姑の逝きて身深き秋思かな

107歳のお姑さんを見送られた作者。いろんな確執があったそうですが、最後の言葉を思い返すと我が身の行く末も考えさせられたそうです。「身深き」に全てがこもっていますね。


⑬雲流れ飽かず眺むる秋思かな

飽きることなく眺める雲の行方。どこか人生そのものを感じるまさに秋思らしい一句。

⑫里の秋 落ち葉踏みしめ なに思う

めっきり人も訪れることもなくなった里の秋。落ち葉を踏みしめる足音だけが聞こえます。やや説明的なのでその音だけに焦点をあてるとよいとのアドバイスがありました。

⑮旧姓や呼ばれて秋思うわのそら

下五の「うわのそら」にもうひと工夫との声がありました。

⑯取り込みし干し物冷やり秋思かな

あんなに暑かった夏の洗濯物とは全く違う、ひんやりした感触に秋の淋しさを感じられました。「干し物」を具体的にした方がいいとの声あり。

⑰頬杖にちょっと秋思のポーズして

おしゃれな一句。広隆寺の弥勒菩薩のような感じでしようか?ロダンの「考える人」の真似でした。

いかがでしたでしょうか?いろんな秋思がありました。
なんとなくもの悲しく故郷が恋しくなる「秋思」。大和言葉では「秋あはれ」「秋さびし」というそうです。
そんな感傷的な気持ちをいかに具体的なものと合わせるかがポイントになった句会でした。
ちなみに自由題では「秋思などなぎ倒してのトライかな」に票が集まりました。人生色々あるけれど、なぎ倒して行きましょう!

来月のお題は「落ち葉」「落葉」です。こちらは具体的。これにはどんなものに合わせるといいのでしょうか?
それでは、本日これにて秋思ならぬ終止です。

次回は11月20日(水)午後1時20分 愛知芸文センターでお待ちしています。尚、随分先の話ですが、
来年1月は、イレギュラーで第4水曜日の1月22日となりました。   麗

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