575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

今年も良い句が沢山ありました。   遅足

2008年12月31日 | Weblog
いよいよ大晦日です。
今年一年の句会で最高点を獲得した句です。

   

12月
  亡き母の心に添ひて年用意(静荷)  

11月
  抱擁を解かぬ路上の初しぐれ(亜子)

  鼻の下こする癖ありむかご飯(静荷)  

10月
  片恋ひにピリオドを打つ同窓会(郁子)

  秋夜長素粒子のこと考える(麗子)

9月
  病室の匂いにも慣れ秋団扇(愚足)

  秋天を鑿で彫りたる八ヶ岳(能登)

8月
  青すすき居丈高に風つかむ(狗子)

  枝豆や未だ熟さぬ者同士(朱露)

7月
  信号にかまわず渡るパナマ帽(晴代)

  ハローワーク異界が口を開けている(童子)

6月
  短夜や家計簿あわぬまま閉じて(晴代)

  梅雨晴れ間新築の家立ち上がり(麗子)

5月(蒲郡吟行)
  竹島や青葉若葉に膨れおり(鳥野)

4月
  抽出しに折り目正しき紙風船(静荷)

  その不幸買いますという花の闇(静荷)

3月
  春風の栞はさんで眠りけり(遅足)

  幼稚園低き蛇口に風光る(麗子)

2月
  願掛けの絵馬に枝垂るる梅の夢(郁子)

  通過する列車のあとは春の風(郁子)

1月
  門松の紙貼ってある学生寮(狗子)

  ひょいと抱き親子で鈴を鳴らしをり(立雄)

    

さて来年もましょう。   遅足


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きらきら大好き   鳥野

2008年12月30日 | Weblog
冬至が済んだとはいえまだまだ日は短く、帰りの頃は大方暗くなっています。
このところ街の夜のきらきらしいこと。
クリスマスに続く年末年始、一年のうちで最も華やぐ季節です。

ところで、クリスマスってなんの日。こどもたちは言います。

「サンタさんにプレゼントを貰う日」「デコレーションケーキをみんなで食べる日」「ツリーを飾る日」・・・。

若者たちはパーティーを楽しみにしています。

キリスト教では、イエスの降誕を感謝し、祝福する重要な祭日、教会では敬虔なミサが行われます。

祈りも懺悔もドコ吹く風の日本の商戦。といいながらも私め、イルミネーションの美しさには目を奪われています。

  ・ 降誕の恩寵あまねく受ける夜かでで虫一対石垣にいる  鳥野



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解体工事前に校舎の思い出、児童が俳句に  愚足

2008年12月28日 | Weblog
☆碧南の親戚がこんな記事の載った中日新聞を送ってくれました。
*******************************************************************
 碧南市の小学校で20日、建て替えに向けて全校児童が「本校舎とのお別れ俳句」を作って廊下に飾り付け、来場者を出迎えたそうです。

 年間を通して俳句づくりに力を入れている同校では、児童655人がそれぞれ校舎の思い出をテーマに作品を発表し、

 すき間風の冬の授業には「ふゆの風まどががたがた学しゅうしつ」(2年)
 古い校舎を愛しんだ「本館のかべの黒すじなみだかな」(5年)、花火大会の夜を振り返る「夏休み花火を見たよ屋上で」(4年)などの力作が並んだそうです。

 この日は、卒業生や地域の人たちなど160人以上が来校。校舎を回って児童たちの俳句を鑑賞した後、「三代の学舎壊す鎚の音」「旧校舎25年前思い出す」などの句を作り、体育館に掲示していたそうです。

全校児童でお別れ句発表会なんていいですね。私も教員の時廃校を経験しましたが、こんな風に思い出を全校で表現できたら素敵だろうと羨ましく思いました。

解体の校舎の屋根や冬ガラス     ぐ
 解体の重機に弾む未来の目 
     
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数え日    遅足

2008年12月28日 | Weblog
もうあと、数日で今年も終ります。
季語の数え日は、こんな忙しい空気を見事に
言い当てています。

  数え日の日記記さぬ日のつづく

    

  時雨るるや昼を灯せる宿場町  

先日の塔句会で、一番、票を集めた句です。
もちろん私も一票を。
なんと言っても中七が良いですね。
しかし面白いもので、採らなかった人も。
その方は「うまいけれど、何か物足らない」と。

翌日、テレビで盆石といって、
お盆のうえに石と砂で絵を描くものを紹介していました。
二見ケ浦の風景を見事に仕上げたあと、
つくった人は、「きれいに作ってあってもダメ。勢いがないとね」と。

確かに上手い句と勢いのある句を両立させるのは至難の業ですね。

   

来年はどんな年になるのでしょうか?
とにかく健康が大切ですね。
寒くなってきました。
風邪にはお互い、充分注意しましょう。




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少年の千五百走冬の池   朱露

2008年12月27日 | Weblog

  多米小恒例の冬の競争に眷属四人。
  一年女二年女は参加に意義を見た。
  五年男十一位六年男六年連続一位。
  この男の箱根駅伝を見て死にたい。

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カンツバキ(寒椿) 草女

2008年12月26日 | Weblog
1月のお題が寒椿と聞いたので、以前からの疑問を調べてみた。名古屋市の植え込みに多く見られるカンツバキの正体は?
 名前とは裏腹にサザンカの仲間。中国からの渡来説と「シシガシラ」というサザンカの園芸品種からの交配説がある。

サザンカとツバキの分かりやすい違いは、花の落ち方。サザンカの花は一枚一枚になってちるが、ツバキの花は一個ごと落ちる。花のない時期は葉柄の毛の有無で調べるが、なかなか難しい。植え込みのカンツバキは花びらがバラバラになって散っていた。

 歳時記を引くと植物の世界とは異なる世界が広がっている。本来は春の花である。
 椿が冬のさなかに咲いているものを寒椿といい、寒の椿・冬椿ともいう。12月19日海上の森で一輪の藪椿の蕾が大きくふくらんでいて、こういうのを寒椿というのかなと思った。奈良のお寺で侘助が咲いていたが、侘助という季語があるからこれは「寒椿」の中にはいらないのかな。・・・・難しい。

 雪椿は小林幸子の歌で有名になったが、藪椿が多雪地帯に適応した型で、主に日本海側にはえる。雪の重みに耐えるために根本から分岐し、枝はしなやか。4~5月藪椿に似た花が咲く。これも名前とは裏腹に春の季語。ややこしい。

  生きることは一と筋がよし寒椿     平之助
  白といふ艶なる色や寒椿        浩山人
  寒椿落ちたるほかに塵もなし      悌二郎
  山の雨やみ冬椿濃かりけり       白葉女



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聖夜明け   麗

2008年12月25日 | Weblog
聖夜が明け今日はクリスマス。
朝焼けが美しい朝でした。

子供の頃は兄と物置(なぜ物置だったのでしょう?
普通は枕元ですよね)に置かれたプレゼントに大喜びしたものです。
今朝も子供たちの笑顔があふれたことでしょう。

子供のいない我が家は普段通りの朝。
いつもの朝より静かな感じさえも。。。

     聖夜明け静かな朝を迎えおり  麗
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街という虚しき楽器踏み鳴らすハンバーガーをほほばりながら

2008年12月24日 | Weblog
荻原先生の歌です。
現代短歌最前線(上巻)のなかの、作者自選の200首の最初の歌です。 

この歌は使われているコトバに難解なものはありません。
街という虚しき楽器、という比喩も、理解不能ではありません。
踏み鳴らす、という続くコトバが歌の流れをつくっています。
しかし、歌から受ける感じは奇妙なものです。
虚しき、というコトバが引き出す感覚でしょうか。
先生の歌の違和感は、どこからくるのでしょうか?

   


200首の歌のあとの解説は、次のような書き出しです。

  自分がまるでアンドロイドみたいだと思うことがよくある。
  アンドロイドといっても機械のように正確になにかができるわけでもなく、
  人間が持つ愚かな欲望だけはしっかり備わっていて、
  どこがどうだと説明するのはむずかしいのだけれど、
  いかにも人間らしく生きていることが妙に嘘くさく感じられるのだ。
  十代の頃から、稀にこの嘘くささを感じることもあったが
  二十代でかなりあからさまに噴出し、
  三十代、それも後半になってその頻度が増えた。
  たとえば、お腹がすいた、おいしいものを食べたい、
  気の合う人と一緒に食べたい、という素直な欲望が
  どこからか湧くのと同時に、
  なぜそんなことをしなくちゃいけないんだ、
  本当にお腹が空いているのか、おいしいって何なんだ、
  気の合う人が、お前にはいるのか、という影の声のような
  不思議な感覚が自分の中に奔るのだ。

こう書いたあと、先生は、さらに、

  私は世界とずれを感じたことはなかった。

とも。そして、教科書にも載った歌

  まだ何もしてゐないのに時代という牙が優しくわれ噛み殺す

について、

  世界と奇妙に共鳴しているという実感があるからこそ書けた
  作品だったように思う。
  ずれが感じられないからこそ自分が何も出来ないままに
  じわじわ殺されてゆくのを感じてしまうというパラドックスが、
  当時も今も自分を支配し、作歌の起点になっているらしい。

   

先生は、俳句について、こんな言い方をされたことがあります。

   あたりまえのことを、あたりまえのコトバで、
   自分にとってあたりまえでなく詠む。

このコトバを理解する鍵がありそうですが・・・
よく分かりません。
どうも生きていることをパラドックスと感ずる感性が
不足しているというか、完全に欠如しているからでしょうか。

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荻原教室・近況報告(7)  鳥野

2008年12月23日 | Weblog
前回の報告から、3ヵ月のご無沙汰でした。
「はじめての短歌」の講座も回を追うごとに充実。
受講生の眼差しはますます真剣になり、作品の内容も向上してきました。
私めはすっかり蚊帳の外。ロートルなんてと、おいてけぼりです。

オープンカレッジの俳句講座も活気いっぱいの様子。うかうかしてはおられません。

題詠の題は「動」に続いて「作」「停」から。先生のお作です。

 「作」 心とはあんなかたちか作るにはむづかしそうな秋雲がゆく

 「停」 通過駅なのか満員だったのか秋はわたしに停まることなく

 「飾」 飾りだったはずがいつしか本体となりわたしがなくなる紅葉

 「掛」 いつ見ても二時半をさすほのぼのとかなしき時計掛けている店

 「買」 買ひもの袋に葱挿しているひと増えてなにかが澄んでゆく気配来る

 「売」 火星の土地を三千円で売っている星に土地もつことなくて冬

 「走」 化粧の匂ひや解消されないストレスや花束とともに終電車へ走る




 
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天皇誕生日     遅足

2008年12月23日 | Weblog
23日は平成天皇の誕生日。75歳。

天皇誕生日、天皇の日とも。りっぱな季語。

   天皇誕生日やわらかく玉子焼く 佐藤典子

ところで、明治天皇は11月3日。
大正天皇は8月31日。
昭和天皇は4月29日。 

11月3日は文化の日。
4月29日は昭和の日、といずれも国民の祝日。
大正天皇の8月31日は?
なぜか?不公平ですね。

   舌をやく白湯なり天皇誕生日   遅

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柿の木        愚足

2008年12月22日 | Weblog
 我が家の庭に渋柿がある。いつのまにか大きくなって今はすっかり葉を落とし残り柿をつけて揺れている。
 坪内稔典氏の「季語集」によれば、芭蕉の句に「里古りて柿の木持たぬ家もなし」というのがあり、昔は嫁ぐに当たって柿の木の苗を持って行ったらしく、その嫁が一生を終えると、すでに大木になっているその柿の枝が切られて、火葬の薪やお骨を拾う箸にされた。古い農家などに今も残る大きな木はそんなふうにして代々の女たちが残したものだという。
ところでこの記事が妻の目に触れたらどんな感想を言うか恐ろしい。

  祖父親(おおじおや)まごの栄や柿みかむ(蜜柑) 芭蕉
  百年の家は売られて柿たわわ            土谷倫
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蕪村は耳の人             愚足

2008年12月21日 | Weblog
★朱露さんの記事で蕪村の命日の近いことを思い出した。蕪村と言えば最近読んだ松岡正剛氏の千夜千冊「蕪村全句集」の記事が思い出される。紹介したい。 
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0850.html
**************************************************************

秋もはや其の蜩(ひぐらし)の命かな
 立ち聞きのここちこそすれ鹿の声 
 蜻(こほろぎ)や相如が絃のきるる時

 秋の始まりの句だ。「其の蜩」は「その日暮らし」とも読めて、「その」が効いている。「相如が絃」は司馬相如が卓文君の恋情をもよおして弾いた琴のこと、その絃がぷつりと切れたかのようにコオロギが鳴きやんだという一瞬の趣向である。虫の音というもの、ずっと鳴いているときよりも、ぷつんと途絶えたときに、こちらの耳がぴくんと動く。
 こういう句を見ていると、蕪村は耳の人でもあったなと思えてくる。そうなのだ、蕪村は案外に耳の人なのである。雲裡が再興した幻住庵に暁台が旅寝をしているところに蕪村が寄ったとき、蕪村は「丸盆の椎に昔の音聞かむ」と詠んでいる。暁台の言葉も丸盆の椎の木目も、蕪村には音なのである。耳なのだ。大坂の松濤芙蓉花を訪れたときは詞書きを「浪花の一本亭に訪れて」として、「粽(ちまき)解いて蘆吹く風の音聞かん」と詠んだ。
 蕪村は耳を注ぐ。耳を傾けるのではなく、注ぐ。・・・・・・・・
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蕪村忌や昨日の空は今日の空   朱露

2008年12月20日 | Weblog


      凧(いかのぼり)きのふの空の有りどころ
      昨日の空を見るにはどうしたらいいのか。
      凧の代わりに烏を見ているが全然見えぬ。
      蕪村天明三年十二月二十五日六十八才没。


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カラタチ(枳殻)

2008年12月19日 | Weblog
 久し振りに平城京跡に行ってきた。ライトアップされた朱雀門はとても美しかった。2010年は平城遷都1300年にあたり、その年に向けて大極殿が復元されつつあった。    東院庭園も復元されていた。そこは200m×300mあった東宮の住まいのほんの片隅ということで当時の広さは私の手にあまる。水を巧みに使った庭園の生垣にカラタチがつかわれていた。
もう葉はすっかり落ち、鋭い棘がむきだしになっていた。悪がきの中学生だった連れ合いが音楽の時間に白秋の名曲「からたち」を歌う度笑いこけたという「金の玉」なる実は茶色になっている。

 カラタチは中国原産のミカン科カラタチ属の落葉低木で奈良時代に渡来した。渡来したばかりのカラタチ、人々の憧れの的の梅、人工の池、小川、朱の橋などなどここは時代の先端の技術を誇った処だったにちがいない。

 白秋の歌ですっかり馴染んでいるカラタチだが、最近はとんと見かけない。白い花は4月ごろ葉がでる前に咲くのでよく目立ち、香りたかいという。私はまだこの花に会ってはいない。

 カラタチの実は酸味と苦味が強く食べることができない。が、耐寒性があり病害虫にも強いので日本の柑橘類のほとんどがカラタチを台木にしている。

平城のうしろたのめる枳殻かな    太祇
 からたちの実を権者へのつぶてとす  小泉もとじ
 からたちの花摘むように指きりは   坪内稔典
 からたちの落花折檻これでもか    平畑静塔

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忘年会   麗

2008年12月18日 | Weblog
今年最後の句会は6名の参加でちょっぴり淋しかったですが
内容はなかなか充実したものになり来年もがんばろうと思えるいい句会でしたね。

それにしても合理化、金融危機、リストラ、
派遣切りと暗いニュースばかりの今年の暮れ。
ままならぬことが多いことばかりなのに

晴代さんの句は玉の様に光ってみえました。 

     年年のゆく年玉を敷くごとく

1年を感謝の気持ちで玉のように丸い気持ちで終えられるというのは
なんとすばらしいことでしょう。

私も1年なんとか健康で暮らせこうして句会で好きなことを話し楽しく過ごせる時間は
まさに玉の時。来年はあるがままを受け入れ謙虚に生きていけますように。

    行く年に感謝の気持ち玉とする   麗

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