575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

若狭の海幸山幸物語 ③~絵巻物の行方~竹中敬一

2018年02月28日 | Weblog

若狭の国 松永庄新八幡宮にあつた「彦火火出見尊絵」(ひこほほでみこと)
など三種類の絵巻物はその後、どうなったのか。
室町時代末期、貞成(さだふさ)親王の日記の中に出てきてから、200年余り
過ぎた江戸時代になって、文献上に登場します。

若狭 小浜藩の藩医が著した「若狭郡県志」の中に、「彦火火出見尊絵」と
「吉備大臣入唐絵巻」が、いつの間にか、新八幡宮から同じ松永地区にある
明通寺に移されていることが記されています。
ところが、「伴大納言絵巻」だけは、どういうわけか、明通寺ではなく、
どこの社寺かわかりませんが、「遠敷」(おにゅう)の地にあり、それを
若狭藩主、酒井忠勝(さかい ただかつ)に献上していることが、酒井家に
伝わる文書によって、知ることができます。
もしかして、「伴大納言絵巻」だけは、松永庄新八幡宮から消え、誰かの
手によって、明通寺ではなく小浜藩主に献上されたのかもしれません。

その後、三種類の絵巻物は、更に持ち主を変えながら、最終的に「伴大納言
絵巻」は出光美術館に、「吉備大臣入唐絵巻」はアメリカのボストン美術館
に収められています。

海幸山幸神話を題材にした「彦火火出見尊絵巻」は、と云うと。
明通寺にあったこの絵巻物は、小浜藩主、酒井忠勝によって召し上げられ、
徳川家光に献上されました。忠勝は家光からの信頼が厚く、幕府内で老中、
大老という要職に就いて将軍を支え、と同時に小浜藩の基礎を築きました。

家光はしばしば江戸牛込(うしごめ)にあった忠勝の山荘へ御成(おなり)
されたようで、そんな折、忠勝は「彦火火出見尊絵巻」を献上したようです。
この際、忠勝は御用絵師の狩野種泰に命じて、模写本を作らせ、国もとの
明通寺に残しました。

一方、家光に献上した原本の方は明暦の大火(1657)で、江戸城が炎上した際、
失われてしまいました。
若狭彦姫神社と関係の深い海幸山幸の神話を題材に描かれた絵巻物を手離すに
当たり、たとえ模写本とはいえ、国もとに残して後世に伝えようとした
酒井忠勝の見識ある判断がなかったら、「彦火火出見尊絵巻」は、文献上に
残るだけの幻のものになっていたことでしょう。
酒井忠勝は日頃、若狭彦姫神社を深く崇拝していたそうです。

(参照「日本絵巻大成」中央公論社 刊 昭和52年~昭和54年)

次回からは、江戸時代に模写された「彦火火出見尊絵巻」の世界を探訪して
みることにします。模写本とはいえ、精密で巧みな写しを見ていますと、さぞ、
平安時代末期に作られた原本に極めて近いものではないかと、想像してみたく
なるほどです。模写本はもちろん、彩色されていますが、私は稚拙ながら更に
これを模写した鉛筆画を随所に入れてみます。

写真は「日本絵巻大成」(中央公論社)
「彦火火出見尊絵巻」(ヒコホホデミノミコト エマキ)昭和54年 刊
「伴大納言絵詞」(バンダイナゴン エコトバ) 昭和52年 刊
「吉備大臣入唐絵巻」(キビノオトドニットウ エマキ)昭和52年 刊

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しらうめのまろき蕾のまろきまま  佐保子

2018年02月27日 | Weblog

春を感じた梅が蕾をふくらませました。
しかし、なかなか花を開きません。
今朝も見にいきましたが・・・蕾は丸いままです。
寒さがなかなかゆるんでこないのです。
春を待つこころを蕾に託した句。

ひらがな表記のやさしさ。
一字のみの蕾という漢字。
「まろき」のリフレイン。「ま」音の積み重ね。
春が待ち遠しいという気持ちが伝わってきます。

                   遅足


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園児らの朝のあいさつ梅ひらく  亜子

2018年02月26日 | Weblog

幼稚園でしょうか、保育園でしょうか。
子どもたちの朝のあいさつが聞こえて来ます。
園庭には梅の花が咲きはじめました。

梅の花が開くような明るいあいさつ、とも読めます。
私は白梅を連想しましたが、紅梅も白梅もでしょうね。

「ら」「あさ」「あいさつ」「ひらく」
6つの「あ音」がリズムをつくっています。
春らしい心地よい句です。
               遅足


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父母愛でしままに薫るや里の梅  静荷

2018年02月25日 | Weblog

故郷の家に咲く梅。白梅、あるいは紅梅でしょうか。
作者の父母、きっと祖父母も愛でた梅の花。
その梅が昔と同じように咲き、匂っています。
現実に目の前にある故郷。
あるいは、今はもうない心の中の故郷。
どちらとも、読みは読者に任せられています。

この句に使われている「薫る」という言葉。
植物を表す「艹(くさかんむり)」に「熏」。
「熏」は、袋の中に物を入れて、火であぶり、
くゆらせていることから「香をたく」という意味に。
さらに「良い匂いがする」から「雰囲気が良い」へと変化。
抽象的な匂いをも表現するようになります。
「風薫る」というような言い方も生まれました。

この句、ふるさとの風が伝わってきませんか?(遅足)


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2月句会の最終結果です。

2018年02月24日 | Weblog
8人が出席。いつものような賑やかな句会。
楽しい早春のひと時を過ごしました。(遅足)

題詠「梅」
①父母愛でしままに薫るや里の梅(静荷)佐保子・遅足・亜子・晴代・立雄
②園児らの朝のあいさつ梅ひらく(亜子)郁子
③しらうめのまろき蕾のまろきまま(佐保子)穂實・等
④三浦越え梅のにおいの風に乗り(立雄)遅足・等・麗子
⑤今日咲くと選びたる梅真白なり(遅足)穂實・晴代・郁子・静荷
⑥梅蕾紅き拳を握りしめ(麗子)能登
⑦寒肥やしいつの返しか梅つぼみ(結宇)
⑧梅咲いて空透けてゆく山のきわ(晴代)佐保子・すみ・静荷
⑨梅の花巡る子蜂や光源氏(等)能登・結宇・郁子
⑩梅一輪一坪の庭清めおり(能登)佐保子・穂實・狗子・等・立雄
⑪梅匂うこっそり置いた未練かな(えみ)すみ・亜子・結宇
⑫遠来の客のもてなし梅香る(すみ)狗子・晴代・麗子
⑬白梅のつぼみは紅を隠しをり(狗子)能登・麗子・静荷
⑭ポッケで鳴る鈴ほどの「ぽっ」梅の花(郁子)すみ・遅足・亜子・狗子・結宇・立雄

自由題
①芹の根の歯ごたえ楽し鍋旨し(すみ)郁子
②如月や捲ればそこにあった愛(えみ)能登
③はだれ野やこの地に生きる覚悟あり(能登)静荷
④春窮の鳩の群れ追ふ肥えし犬(等)遅足・郁子
⑤悴んで言葉不足の日となりぬ(晴代)佐保子・亜子・結宇・麗子・静荷
⑥梅花皮(かいらぎ)や指温める春の亭(結宇)穂實・すみ・遅足・狗子・立雄
⑦「もーいーかい」「まーだだよー」と春の声(麗子)能登・等
⑧幾度も目白来て浴ぶ春の水(佐保子)麗子
⑨具を持ちて鍋焼急かす亭主どの(立雄)晴代・静荷
⑩わが影の縮こまりたる寒さかな(亜子)佐保子・穂實・すみ・狗子・等・麗子・立雄
⑪春寒やこの先私が行く処(静荷)亜子・郁子
⑫枯蓮水面に風のかすり傷(遅足)能登・狗子・等・結宇・晴代・立雄
⑬天気図に縦縞の濃い余寒あり(狗子)穂實・遅足・結宇
⑭平手打ちくらわすしぶき御神渡る(郁子)佐保子・すみ・亜子・晴代

次回は3月28日(水)午後1時20分 YWCA会議室

題詠は「囀り」です。

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若狭の海幸山幸物語 ②〜絵巻物の伝来〜竹中敬一

2018年02月23日 | Weblog

海幸山幸神話を題材にして描かれた「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)絵巻」を
取り上げる前に、ここで、しばらく神話の話から離れて、この絵巻物の伝来について
触れておきます。

かって、日本を代表する三種類の絵巻が若狭の地にありました。この事実は室町時代
(15世紀)に皇族の方が書いた日記の中に見られます。
伏見宮貞成(ふしみのみや さだふさ)親王が33年間にわたって書き綴ったものです。
その中の嘉吉(かきつ)元年(1141)4月26日の日誌です。
"若狭の国 松永庄(まつながしょう)の代官からの情報で松永庄新八幡宮に三種類の
絵巻物があることがわかった。「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)絵巻」、
「伴大納言(ばんだいなごん)絵巻」、「吉備大臣入唐(きびのおとどにっとう)絵巻」
である。これらの絵巻物を借り受けられたのは喜ばしいことだ。早速、宮中に参上して
後花園天皇にお見せしょう。」(筆者 意訳)
貞成親王は当時、若狭松永庄の領主でもありました。

この時、後花園天皇のまだ13歳だったそうです。実は、貞成親王と後花園天皇は親子の
関係にありました。絵巻物好きの我が子のために連日、せっせと各地から絵巻物の名品を
借りてきて、宮中に運んだことが日記に書かれています。

もともと、この三種類の絵巻物は後白河天皇の意を受け、平安時代末期(12世紀後半) に
作られたものです。絵師は常盤光長(ときわみつなが) と云われていますが、
その履歴ははっきりしていません。
三種類の絵巻物は蓮華王院(三十三間堂)に収められていましたが、後白河天皇の他界後、
管理が疎かになったようで、その後の消息は貞成親王の日記に出てくるまでは謎に
包まれたままです。

若狭の松永庄新八幡宮にあつたことは事実ですが、新八幡宮が松永庄のどこにあった
のか、その旧跡すら、はっきりしていません。
古代から中世にかけて、若狭の中心地は遠敷(おにゅう)と、松永のふたつの地区で、
遠敷には若狭彦姫神社。松永には真言宗の古刹(こさつ)、明通寺(みょうつうじ)が
あります。

小松茂美氏は「鎌倉時代、若狭松永庄の領主だった皇族が彦火火出見尊絵巻など
三種類の絵巻物を霊験あらたかな若狭彦神社の神宝として寄進したのではないか。
しかし、打ち続く戦乱の世に不安をいだいた若狭彦神社では、密かに、新八幡宮の
神庫に移したのではないか。」と推測しています。(続く)
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梅咲きそろう句会    麗

2018年02月22日 | Weblog
金子兜太さんの訃報で始まった昨日の「梅句会」。
兜太さんの

    梅咲いて庭中に青鮫が来ている

という凶暴な幻とも言える俳句を鑑賞してからの選句となりました。
575の会では温かい気持ちになる梅に票が集まりました。

それでは一言講評です。



題詠「梅」
①父母愛でしままに薫るや里の梅

亡き父母の愛した梅。いつまでも変わらないふるさとの梅の姿がそこにはありました。「薫る」という言葉も活きています。

②園児らの朝のあいさつ梅ひらく

園児らの元気な朝の挨拶に梅も開いた、その瞬間を詠まれました。

③しらうめのまろき蕾のまろきまま

リフレインの効いた一句。「まろきまま」というひらがなもまるいですね。

④三浦越え梅のにおいの風に乗り

三浦半島の梅林を詠まれたのでしょう。景の大きなさわやかな句です。

⑤今日咲くと選びたる梅真白なり

朝の一時、生け花にする今にも咲きそうな白梅を選びました。汚れのない清らかな一句。

⑥梅蕾紅き拳を握りしめ

蕾が固く閉じている様子を詠もうとしましたが、「梅蕾」に再考の余地あり。「臘梅や」などとしては?というアドバイスをいただきました。

⑦寒肥やしいつの返しか梅つぼみ

冬の間ちゃんと梅の木に肥やしを与えておられる作者。いつ咲いてくれるのでしょう?油かすでは咲かない?やはり鶏ふんなどがいいようです。

⑧梅咲いて空透けてゆく山のきわ

「山のきわ」をより身近な都会の景にした方がよりよいとのアドバイスあり。「空透けてゆく」は美しいですね。

⑨梅の花巡る子蜂や光源氏

小さな蜂が梅の周りに飛んでいます。それを光源氏のように美しいものに吸い寄せられると詠みました。源氏物語の「梅壺」の女御を思い出しました。

⑩梅一輪一坪の庭清めおり

一輪と一坪の対句。きれいに韻を踏んでいます。梅の清らかさを見事に表現されました。

⑪梅匂うこっそり置いた未練かな

古今和歌集のような和歌の趣きのある一句。梅の匂いと未練が引き合います。

⑫遠来の客のもてなし梅香る

こちらは漢詩の趣きのある一句。梅を生けて遠来のお客さまをおもてなしする作者の心遣いが現れています。


⑬白梅のつぼみは紅を隠しをり

白梅も蕾の時は少し紅色をしているそうです。紅梅かと思いきや咲くと白梅です。観察の一句。


⑭ポッケで鳴る鈴ほどの「ぽっ」梅の花

実際には聞こえない「ぽっ」という梅の開く音を、ポケットの中で鳴る鈴の音の音に転換して表現した最高句。お見事!!

いかがでしたでしょうか?
庭に青鮫は現れませんでしたが、繊細な俳句の世界を味わうことが出来ました。
まだまだ寒くてなかなか紅梅までは咲いていませんが、春はもうそこまで来ていますね。
来月は第4週の水曜日。桜も開花しているかも?「さえずり」がお題です。またにぎやかにさえずりましょう。
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2月句会の投句が集まりました。

2018年02月21日 | Weblog
寒い日もすこしづつ春へむかって歩き出したようです。
さて「梅」句会の投句が集まりました。
いろいろな梅が咲き競っています。
どの句に風が集まるのでしょうか?  遅足

題詠「梅」
①父母愛でしままに薫るや里の梅
②園児らの朝のあいさつ梅ひらく
③しらうめのまろき蕾のまろきまま
④三浦越え梅のにおいの風に乗り
⑤今日咲くと選びたる梅真白なり
⑥梅蕾紅き拳を握りしめ
⑦寒肥やしいつの返しか梅つぼみ
⑧梅咲いて空透けてゆく山のきわ
⑨梅の花巡る子蜂や光源氏
⑩梅一輪一坪の庭清めおり
⑪梅匂うこっそり置いた未練かな
⑫遠来の客のもてなし梅香る
⑬白梅のつぼみは紅を隠しをり
⑭ポッケで鳴る鈴ほどの「ぽっ」梅の花

自由題
①芹の根の歯ごたえ楽し鍋旨し
②如月や捲ればそこにあった愛
③はだれ野やこの地に生きる覚悟あり
④春窮の鳩の群れ追ふ肥えし犬
⑤悴んで言葉不足の日となりぬ
⑥梅花皮(かいらぎ)や指温める春の亭
⑦「もーいーかい」「まーだだよー」と春の声
⑧幾度も目白来て浴ぶ春の水
⑨具を持ちて鍋焼急かす亭主どの
⑩わが影の縮こまりたる寒さかな
⑪春寒やこの先私が行く処
⑫枯蓮水面に風のかすり傷
⑬天気図に縦縞の濃い余寒あり
⑭平手打ちくらわすしぶき御神渡る

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満鉄へ華北交通へ大陸へ卒業生はすべて売り切れ

2018年02月20日 | Weblog

昭和16年の就活状況を伝える記事です。
この年の名古屋高等工業高校の卒業生は250名。
その進路を次のように伝えています。
大学進学を希望する70余名のうち、24名が進学の予定。
これは文部省が大学進学を抑制していたため。
地元名古屋の三菱、愛知時計、大同さらに厚生省関係に
公平に分散されるが、昨年にくらべて中国大陸進出組が激増。
就職先は満州鉄道、満州飛行機、華北交通、華中水雷など・・・
待遇は内地が75円なのに対して外地は倍額以上とも。

華北交通株式会社は、南満州鉄道のグループ会社で、
ポツダム宣言の受諾に伴い閉鎖された日本の国策会社。
中国華北地方の鉄道・バスの運行を担っていた。
(ウィキペディアより)
名古屋高等工業高校は、現在の名古屋工業大学です。

この4年後には敗戦。大陸に渡った学生たちには
どんな未来が待っていたのでしょうか・・・

これで父の切り抜き帳からは終わります。
ありがとうございました。
機会をみて続きを紹介したいと思っています。遅足
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象さんもお腹が空きます米穀の切符制度のはじまる四月

2018年02月19日 | Weblog

昭和16年4月からおコメの配給制度が始まりました。
戦争中のお米の不足から、お米の生産、流通を政府が管理。
16年から、まず六大都市で米穀通帳が交付されることに。

動物園の動物たちも配給制度の対象でした。

春が来たといふに無情の風は動物園の檻にまでしみ込んで
人間並みに米を主食とする名古屋東山動物園の象君と熊君が
『ザウもクマった事になりました・・・しかし国策のためならば
仕方がありません』と切符制断行の来月からそれ相応に
減食することになりました・・・

お米の配給は戦争が激しくなるにつれ量が減り遅配続き。
敗戦前後には、闇でないとお米が手に入らなくなりました。
いまの北朝鮮の人々と同じ苦労ですね。

この米穀手帳、私が結婚するころまで家にありました。(遅足)


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中学に合格西川良輔君 傷痍軍人二十六歳

2018年02月18日 | Weblog

先日、大学の合格者発表がありました。
これから高校受験、合格発表と続きます。
こうした受験戦争は戦前も同じだったようです。
合格発表は70年前も大きく取り上げられていました。
昭和16年3月27日の名古屋新聞です。

西川良輔さんは伊藤銀行滝子支店に勤務しながら
金城商の夜学に通っていましたが、
昭和12年応召、翌13年に名誉の負傷。
秋に退院、復職しました。
向学心に燃えていた西川さんは昭和中学を受験。
みごとに合格したものです。二十六歳でした。

西川さんが合格したのは昭和中学。
昭和16年に出来たばかり。今の昭和高校です。
伊藤銀行は、国の政策により、同じ年に、
愛知銀行・名古屋銀行と合併、東海銀行になっています。

                    遅足
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梅白し七十年をひとくぎり   遅足

2018年02月17日 | Weblog

昭和16年の父の切り抜き帳を読んでいます。
父は当時、名古屋新聞に務めていました。
ざっと70年余り前の名古屋の様子が垣間見えます。
この年の4月には小学校が国民学校に変ります。
「明治4年、小学校制が誕生して70年目。国民学校へ」
と書かれていました。
12月には太平洋戦争に突入する歴史の転換点です。

2018年、その太平洋戦争の敗戦からざっと70年。
やはり変わり目に来ています。70年。おおよそ3世代です。
戦争に負け、もう懲り懲りと思った世代を第一世代とすれば
今は、その孫の世代が時代を引っ張っています。

売り家と唐様で書く三代目

ということわざがあります。
初代は苦労して家や財産を築く。
二代目はそれを受け継いで手堅く家を守る。
しかし、生まれたときから裕福な三代目。
苦労知らず、遊芸などで身を持ち崩し、
ついに家を売り家に出すようになる。
その売家の札の字が唐様で、しゃれている。
遊芸におぼれていた生活がしのばれる、という意味です。

生まれた時から平和な時代の三代目。
平和ボケから戦争をしらぬまま国の憲法を変える。
ことわざが、そのまま国家にも当てはまるとは
限りませんが・・・

普通の国、戦争の出来る国へと先を急ぐ安倍さん。
ちょうど三代目です。

写真は4月から国民学校となることを伝える名古屋新聞の記事。
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若狭の海幸山幸物語① 〜「秘密縁起」〜竹中敬一

2018年02月16日 | Weblog

福井県小浜市遠敷(おにゅう)に鎮座する若狭彦神社は彦火火出見尊
(ヒコホホデミノミコト・山幸彦)を、若狭姫神社は山幸彦の妃
豊玉姫(トヨタマヒメ) を、それぞれ祭神としています。
若狭彦姫神社は奈良時代から伝わる由緒ある神社で、「延喜式」
(967年 施行)の神名帳(じんみょうちょう)に神名大社として載って
います。また、中世には若狭一ノ宮として幅広い階層から信仰されて
いました。

若狭彦姫神社には、古くから門外不出の「秘密縁起」という巻物一巻が
伝えられいます。
私の父が一時期、この神社に奉職していたこともあって、四年前、特別に
巻物を見せてもらいました。達筆な漢文。所々、読めるものの、独特の
難解な文体で前へ進むことができません。
これまで、ごく限られた専門家にだけに閲覧が許されました。
幸い、古筆学者の小松茂美氏が解読した内容の一部が公開されています。
(「日本絵巻大成」中央公論社・昭和54年 刊)、また「小浜市史・社寺文書編」
(昭和51年 刊)に全文、活字化され、こちらも公開されています。
但し、すべて文語体です。

その内容は、まず、この世の始まり以来の神々の系譜を簡単にたどった後、
ホノスソリ ノミコト(海幸彦)と彦火火出見尊 (ヒコホホデミノミコト・山幸彦)は、
天孫の二二ギノミコトの御子であるという行(くだり)から始まって、海幸山幸の
神話が展開されています。
この物語が「秘密縁起」の大部分を占めており、最後に彦火火出見尊と豊玉姫を
祭神とするのが若狭彦姫神社であるとして、「様々な口伝えがあるが、この記述
こそが、これまで秘密としてきたもので、かりそめにも、他人に見せてはならない。」
(筆者の意訳)と結んでいます。

これまで多くの歴史家が「秘密縁起」の内容は、すでに「日本書紀」「古事記」に
記載されていることばかりで、あえて取り上げるには及ばないとしています。
それでは、一体、どこが「秘密」なのか、ということになります。
私はその部分は海幸山幸の神話にあり、「記紀」に取り上げられる前から、口伝えで
若狭地方にこの物語があったと考えています。
「記紀」成立後、導入部の神々の系譜と最後の結びの部分を付け足して、いつの
時代かに文章化したものと思われます。
古筆学者の小松茂美氏は「書風から推して、室町時代のものと思われる。…その
原本がはたして、いつの時代にさかのぼるのか、ちょっと見当もつかない。」と
しています。
多分、奈良時代に文章化されたものをもとに、何回か書き写されたと思われます。

若狭彦姫神社には、この「秘密縁起」をもとに描かれたと思われる絵巻物が伝わって
います。次回は絵巻物についてお伝えします。


写真は福井県小浜市遠敷(おにゅう) に鎮座する若狭姫神社と千年杉 (筆者 撮影)
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開花間近    麗

2018年02月15日 | Weblog
更新遅くなりました。申し訳ありません。

来週の句会は「梅」がお題です。
うちの庭にも紅梅の木が一本あります。
今、庭に出てみたらまもなく開花しそうな気配でした。
昨日から急に春めいてきて隣の公園からも子供たちの元気な声が聞こえ始めました。
春はもうすぐですね。

        梅開く心開いて窓も開く   麗

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2月句会近づく  遅足

2018年02月14日 | Weblog
寒い寒い日が続きます。聞こえてくるのは雪の便り。
題詠は「梅」です。しかし、梅の便りもまだのようです。
朱露さんの書き残したブログにこんな句と一文が。

 梅林の響き可笑しき俳句会  朱露

  バイオリン・バイリンガル・煤煙。
  「梅霖(バイリン)は梅雨で夏だ。
  「梅毒」には不気味な説明が延々。
  コロンブスのアメリカ発見が契機。

「バイ」という音からの連想を楽しむ朱露さん。
毒も混入された句です。

江戸時代の俳人、其角の句。

  梅が香や乞食の家ものぞかるゝ

風流な梅に乞食という俗を取り合わせた其角らしい句。
さて句会には、どんな句が集るのでしょうか?
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