575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

南天の色づきて婚ちかづけり  遅足

2018年11月30日 | Weblog

庭に南天の木があります。
11月のはじめころから色づき、今ではもう真っ赤です。
私事で申し訳ありませんが、11月23日は結婚記念日。

南天の実が色づくのを見ながら、結婚が近づくのを待っていた
若い頃を思い出して詠んだものです。

今年は結婚して53年目でした。
麗子さんのお父さんとお母さんは61年目!
大先輩の愛妻ぶりには遠く及びませんが・・・
喧嘩せずに仲良くしていきたいと思っています。

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相思相愛?  麗

2018年11月29日 | Weblog
芸能界は離婚ラッシュ。
「卒婚」なんて言葉も聞かれます。

先日、両親が61回目の結婚記念日を迎えました。その日、施設にいる母の外泊許可が出て、一人暮らしの父の元に帰宅しました。なんと、父は母に手紙を書いていました。

手紙には、戦争で家を焼かれ不自由な生活な中で家庭を共に築いてくれたことへの感謝が書かれてしました。何度かの大病を乗り越え、今は施設で淋しい思いをしていると思うと申し訳ないと。でも62回目の記念日に向けてがんばろうといった内容でした。父の感謝状でした。

毎日、母の元へ見舞いにいく父は施設でも有名になっているようで、書道の時間に「愛妻」とか「相思相愛」という文字を書かされ、施設の壁に貼られているそうです。
デイケアを嫌がっていた父も職員さんに冷やかされてまんざらでもないみたい。
責任感の固まりのような昭和一桁の父。

小春日和の今年。穏やかな季節が続くことを祈ります。

      小春日や父の手紙に涙する  麗

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加減よく菜にふる塩や冬はじめ  晴代

2018年11月28日 | Weblog

高山の観光園での「菜洗い」のニュースを見ました。
冬になると紹介される定番のイベントです。
洗っているのは赤蕪や白菜。素手ですから手も真っ赤。
昔なら皹、皸ですね。

洗いあげた白菜、蕪は塩を振って漬け物に。

 沢庵や家の掟の塩加減  高浜虚子

家々でそれぞれの塩加減がありました。
炊き立ての新米と一緒に食べたら美味しいでしょうね。

塩は人間の生活に欠かせません。
江戸時代には、名古屋でも塩作りが行われ、
信州まで運ばれていったそうです。 

 塩の道また仏みち木の葉散る  団藤みよ子

塩を菜に振るという内容には、歳時記の定番。
新しさを出すには、どうしたら良いでしょうか?  遅足
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騒がしき重機小春のパーカッション   郁子

2018年11月27日 | Weblog
  
無味乾燥な機械の音を楽器に見立てたのが面白いです。と等さん。

建設ラッシュであちこちで重機の音が。
それを小春のパーカッションと見立てたのが面白い。
うるさく感じていた心が和みます、とすみさん。

パーカッションとは打撃を意味し、
そこから打楽器全般のことを指すようになったとか。
季語との取り合わせはどうでしょう?

冬に入っても温かな日があります。ほっとするやさしさです。
騒音が小春という季語を通った後には音楽に聞こえる。
季語が見事に生かされていると思います。(遅足)
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瀬の音に目覚めし鏡花冬はじめ  等

2018年11月26日 | Weblog

泉鏡花。高野聖などの名作を残した明治の作家。
明治6年、金沢市下新町で生まれました。
この地に鏡花の記念館があり、近くを浅野川が流れています。

作者の旅先での思いを句に詠んだものでしょうか。
瀬の音に目覚めると・・・浅野川。ここは金沢。
泉鏡花のことを思いだしました。
あの鏡花もこの瀬の音に目を覚ましたことであろう・・・と。

冬のはじめ、空気の澄み切った早朝。
瀬の音がはっきりと聞こえてきます。
季語の冬はじめ、が、ぴんと張りつめた
北の都の空気を伝えてくれています。

写真で見る鏡花は神経質そうな顔ですが、
有名な潔癖症で、生ものは決して食べませんでした。
貰い物の菓子をアルコール・ランプで炙って食べたり、
酒は煮立つまで燗をつけなければ絶対に飲まなかったそうです。
また「豆腐」の字を嫌い、かならず「豆府」と書いたとか。
                      (遅足)
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冬はじめヒートテックのまとめ買い  麗子

2018年11月25日 | Weblog

わたしのことを詠んだ句ですと、すみさん。
まさに共感の句です。
冬の準備にまとめ買い、をする。そのひとつがヒートテック。
水分(汗)を吸収し繊維自体が発熱、
薄くて暖かい下着をセールスポイントに、
2003年にお目見えしたとそうです。

子供の時には考えられない温かな肌着の登場。
それまでは肌着と言えば綿。ウールは上等品で高価でした。
らくだの股引、あたたかかったなあ・・・

昭和・平成の半世紀で、私達の暮しは随分様変わりしたものです。
次の時代はどんな世の中になるのでしょう?(遅足)
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父、竹中 皆ニの短歌から ~ 「 湖北遊草 」④ ~竹中敬一

2018年11月24日 | Weblog

父の第三歌集 「 しらぎの鐘 」 ( 昭和 57年 ) より


 仏頭のいます聚落 秋の日の光のなかにわれかへりみる


 金箔の剥げたる黒きみ仏は おほに豊かに立たせ給へり


 み仏を背後に仰ぎ感歎す 御体の傾き言ひがたくして


み仏は滋賀県長浜市高月町渡岸寺 ( どうがんじ ) の向源寺にある

十一面観音立像のこと。

私は以前に拝観したことがありますが、今回の琵琶湖の旅の最後

に立ち寄ってみることにしました。

もう、午後もだいぶ過ぎていました。近くの駐車場から向源寺へ

向かう途中、茶店のご主人が 「 お寺は午後4寺で閉扉しました。

どこから? 」と呼び止められ「 ここの観音堂は名古屋と深いご縁

があります 」とのこと。

向源寺の住職のお話では、明治30年 、十一面観音が国宝に指定さ

れたのを機会に観音堂を再建することになり、住職と村人が手分け

して近畿地方を中心に浄財を募って廻った。

村人の一人で観音信仰の篤い小川清平さんは京都で募金活動を始め

たが、思うように集まらず 、当てのないまま名古屋へ。54歳で亡く

なるまで、18年間も名古屋に住み着き、募金活動を続けた。

大正14年 小川さんらの浄財をもとに立派な観音堂が建立された。

設計を担当したのは、名古屋高等工業学校 ( 現 、名古屋工業大学 )

の土屋純一教授とのこと。

寺伝によると 、奈良時代、聖武天皇の時に疫病が流行った為、加賀

白山を開いた泰澄 (たいちょう)に命じて、十一面観音を祀ったのが

始まりと言われています。

泰澄は渡岸寺の村からも望める己高見山 ( こだかみやま 923m ) の

開祖でもあり、石道寺や鶏足寺などこの周辺の村々には多くの観音像

が伝えられています。

観音信仰の篤い土地柄で、渡岸寺の十一面観音が戦国時代、浅井 、織田

の戦いで、堂宇が焼失した時、住職と村人が土中に観音像を埋めて、難

を逃れたそうです。

渡岸寺の十一面観音については、その美しさを愛でる文章が多く紹介

されていますが、この彫刻の特徴についての言及は少ないようです。

私は大学時代に学んだ日本美術史では渡岸寺の十一面観音が彫られた

平安時代前期をわざわざ貞観 ( じょうかん ) 時代として区別していた

のを思い出します。

特にこの時代、彫刻には際立った特長がありました。

それはまず一木彫 ( いちぼくちょう ) といって、頭部から足先、時には

台座まで も一本の木から彫り出されていること、

もう一つの特長は仏像が着ている衣の衣文に翻波 ( ほんぱ ) 式衣文が

現れていることです。

これは、衣の皺を丸く膨らんだ大波と大波の間に三角波のような鋭い

小波を入れる表現方法です。

渡岸寺の十一面観音は、見事にこれらの特長を具えています。


写真は滋賀県長浜市高月町渡岸寺 ( どうがんじ ) の向源寺 筆者 撮影
渡岸寺観音堂の十一面観音立像は撮影禁止です。

               

あの観音様は意外に名古屋と縁が深いのですね。遅足




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11月句会の最終結果です。  遅足

2018年11月23日 | Weblog
静荷さんの選句も頂きました。ご覧の結果となりました。

題詠「冬はじめ」
①冬はじめヒートテックのまとめ買い(麗子)すみ・遅足・晴代・郁子
②瀬の音に目覚めし鏡花冬はじめ(等)遅足
③加減よく菜にふる塩や冬はじめ(晴代)能登・結宇・智恵・千香子・亜子・静荷
④走り寄る頬紅き子の冬始め(能登)智恵・静荷
⑤手帳買う空欄の未来(あす)冬はじめ(郁子)等・智恵・すみ・亜子
⑥耳で振るカセットボンベ冬はじめ(すみ)能登・結宇・遅足・麗子・狗子
⑦木魚までとどく日差しや冬はじめ(遅足)等・能登・結宇・千香子・佐保子・すみ・麗子・狗子・晴代・亜子・郁子・静荷
⑧はや点る赤提灯や冬はじめ(亜子)佐保子・狗子・晴代
⑨夕月のはやくも冴えて冬はじめ(静荷)千香子・佐保子・郁子
⑩池の鳥くるを待ちをり冬はじめ(佐保子)等
⑪冬はじめ子らも鎌手に歩道(みち)の草(千香子)
⑫奈良坂や原生林の冬はじめ(結宇)
⑬南座の顔見世興行冬はじめ(狗子)麗子

自由題
①虎落笛形見の筆の竜の彫(千香子)結宇・遅足
②手入れせぬ黄菊白菊薫る庭(佐保子)すみ・狗子
③冬近し補聴器に鳴る風の音(亜子)結宇・遅足・麗子・晴代・静荷
④むず痒し肌粉をふく冬旱(すみ)能登
⑤騒がしき重機小春のパーカッション(郁子)等・智恵・佐保子・すみ・狗子・晴代
⑥柿紅葉レシピ教わる垣根ごし(晴代)千香子・郁子・静荷
⑦小春日や外泊許可の出たという(麗子)能登・智恵・すみ・亜子
⑧路地折れて風も曲がりぬ寒暮かな(等)千香子・亜子・郁子
⑨眠られぬ枕に三すじ木の葉髪(能登)等・狗子・郁子
⑩南天の色づきて婚ちかづけり(遅足)能登・佐保子・麗子・亜子
⑪からからと落葉に押され山降る(静荷)等・結宇・智恵・千香子・佐保子・遅足・麗子・晴代
⑫粟津止む八百年を木曽檜(結宇)
⑬おめかしをハロウイーンかと間違える(狗子)静荷

次回は12月19日(水)午後1時20分・愛知県芸文センター12階C会議室
題詠は年末、年の暮れに関わる一切の季語OKです。

来年1月の句会は、イレギュラーです。23日(水)になります。ご注意下さい。
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冬はじめ句会   麗

2018年11月22日 | Weblog
思いもよらぬ遅足さんの交通事故から二ヶ月。昨日、お元気に句会に出席して下さいました。
まだ右手がご不自由とのことでしたが、復活の俳句は見事トップ賞!!シンプルな表現がますます遅足さんの魅力に加わり一同圧倒されました。遅足さんの新境地、ますます期待が高まります。
小春日のお天気も味方して和やかな冬はじめの句会となりました。
では一言講評です。


題詠「冬はじめ」

①冬はじめヒートテックのまとめ買い

ユニクロの温かい下着のヒートテック。一度着ると手放せなくなりました。どんどん繊維も進化しています。冬のはじめの買い物です。

②瀬の音に目覚めし鏡花冬はじめ

金沢出身の泉鏡花。作者も金沢で暮らしたご経験があるようです。時代を超えて浅野川の瀬音を聞いたのでしょう。

③加減よく菜にふる塩や冬はじめ

ご自身で白菜のおつけ物を作られる作者。白菜を半日干してから慣れた手つきで塩を振ります。家の母が「初雪のようにふる」と言っていたことを思い出しました。ちなみに作者は浅漬けがお好きだそうです。

④走り寄る頬紅き子の冬始め

走り寄って来たのはお孫さんでしょうか?最近りんごのようなほっぺの子供が少なくなりました。

⑤手帳買う空欄の未来(あす)冬はじめ

「日記買う」は冬の季語ですが「手帳買う」は季語ではありません。
未来を「あす」と仮名を振るのはいかがなものかという説もあるそうです。「あすを買う」にしては?というアドバイスもあり。

⑥耳で振るカセットボンベ冬はじめ

身近な暮らしからの一句。「耳で振る」の「で」に賛否両論。「耳に振る」ではいかがでしょうか?

⑦木魚までとどく日差しや冬はじめ

仏間の木魚まで冬の日差しが届きました。これが遅足さん復活の秀句です。お見事!!

⑧はや点る赤提灯や冬はじめ

日暮れが早くなりました。大須のお店の赤提灯がつきました。作者は女性でした。


⑨夕月のはやくも冴えて冬はじめ

「冴えて」も冬の季語でした。三日月が目に見えるようです。

⑩池の鳥くるを待ちをり冬はじめ

「くる」が惜しいとの声がありました。

⑪冬はじめ子らも鎌手に歩道(みち)の草

この仮名も少し無理があるような。読みづらい感じがしました。


⑫奈良坂や原生林の冬はじめ

「奈良坂」の固有名詞があるのですが、ややイメージを抱きにくいのが残念でした。

⑬南座の顔見世興行冬はじめ

京都の冬の始まり。「顔見せ」がそもそも冬の季語とのことでした。季語は難しいですね!

いかがでしたでしょうか?
例年になく暖かい冬はじめでしたが、明日からいよいよ寒くなるようです。
皆様温かくしてお過ごし下さい。そして来月は平成最後の忘年句会です。

12月19日(水)の午後13時20分からです。
お題は年末、年の暮れに関わる一切の季語OKです。いろんな季語が揃いそうですね。

尚、来年の話ですが、1月の新年句会は、イレギュラーで第四週の 23日(水)になります。ご注意下さい。麗

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11月句会の投句が集まりました。   遅足

2018年11月21日 | Weblog
木枯しが吹きはじめました。サッポロからは雪のたより。冬本番です。
暖冬と言うことですが、どんな冬になるのでしょう?


題詠「冬はじめ」
①冬はじめヒートテックのまとめ買い
②瀬の音に目覚めし鏡花冬はじめ
③加減よく菜にふる塩や冬はじめ
④走り寄る頬紅き子の冬始め
⑤手帳買う空欄の未来(あす)冬はじめ
⑥耳で振るカセットボンベ冬はじめ
⑦木魚までとどく日差しや冬はじめ
⑧はや点る赤提灯や冬はじめ
⑨夕月のはやくも冴えて冬はじめ
⑩池の鳥くるを待ちをり冬はじめ
⑪冬はじめ子らも鎌手に歩道(みち)の草
⑫奈良坂や原生林の冬はじめ
⑬南座の顔見世興行冬はじめ

自由題
①虎落笛形見の筆の竜の彫
②手入れせぬ黄菊白菊薫る庭
③冬近し補聴器に鳴る風の音
④むず痒し肌粉をふく冬旱
⑤騒がしき重機小春のパーカッション
⑥柿紅葉レシピ教わる垣根ごし
⑦小春日や外泊許可の出たという
⑧路地折れて風も曲がりぬ寒暮かな
⑨眠られぬ枕に三すじ木の葉髪
⑩南天の色づきて婚ちかづけり
⑪からからと落葉に押され山降る
⑫粟津止む八百年を木曽檜
⑬おめかしをハロウイーンかと間違える

どの句に凩が集まるのでしょうか?

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木枯しを父流水を母のこゑ   千代田葛彦

2018年11月20日 | Weblog

父も母ももうこの世にはいません。
もし音として存在するのなら・・・・
父は木枯し。母は流れる水の音。

父は風。実体のない存在。きびしい風来坊。
これに対して、母は水。産む女性はやさしい実体。
その違いをあざやかに指摘した句です。

今の父親は木枯しからは遠いイメージでしょうか?
母の方がこわい存在かも・・・

  木枯しを母落水を父のこえ

かな?  遅足

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まぼろしの手が月光に濡れている  遅足

2018年11月19日 | Weblog

右手を骨折して2週間ギブスをはめていました。
すっかり手の動きがぎこちなくなり、リハビリに通っています。
週に2日くらいですが、これが痛い!
一度硬くなった筋肉はなかなか元に戻ってくれません。
これまで出来たことも出来ません。

幸い私は手を失わずに済みましたが、運が悪ければ、
右手は動かなくなっていたかも・・・。

事故などで失った手足が痛むことがあるとか。
あるはずのない四肢が存在するように感ずる。
幻影肢(げんえいし)というそうです。

今日もこれからリハビリです。

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山彦も又うちわりぬ大鉞   白梵庵

2018年11月18日 | Weblog

時々散歩に行く名古屋市千種区の桃巌寺。
織田信長の父・信秀の菩提寺であり、緑色の大仏さんで知られています。
この境内に句碑があります。
大鉞は「おおまさかり」と読みます。

白梵庵(はくぼんあん)は、榎本馬州(えのもとばしゅう)の俳号。
馬州は、元禄14年生まれ。尾張藩の家老・成瀬家の家臣でした。
ある時、馬州は妻と子を失ってしまいます。
木曽川で遊んでいた子供が、川に転落。助けようとした母ともども
溺れ死んでしまったのです。
この後、馬州は、出家。俳句三昧の生活を送ったと言われます。

昨日、紅葉見物をかねて桃巌寺へ行ってきました。
この碑、以前に紹介したことがあるかも・・・    遅足
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父、竹中 皆ニの短歌から ~ 「 湖北遊草 」③ ~竹中敬一

2018年11月17日 | Weblog

父の第四歌集 「 永遠と木草 」( 昭和57年 ) より


 竹生島 遠くおぼろにかすみつつ 蒼深きかな琵琶のみづうみ


 みづうみは鈍く光りて影の如き 竹生の島はいつまでも見ゆ


竹生島 ( ちくぶしま ) は、湖北の沿岸沿いならどこからでも眺められます。

私は今回 、彦根から長浜まで湖岸道路を車で向かいましたが、長浜市の

尾上( おのうえ )という所から見た竹生島が気に入って、そこで写真を

撮ってきました。


「 永遠と木草 」より


 曇 ( どん ) 色にたたふる琵琶の みづうみは そのままくもれる空につらなる


 荒海のなぎさと矢張り異りて 琵琶のみづうみのなぎささざなみ


 琵琶のうみ空と水とのけじめなく 曇り光れり塩津過ぎれば


塩津は湖北の長浜市西浅井町 ( にしあざいちょう ) にある古くからの港町。

江戸時代まで琵琶湖水運の要所として栄えました。日本海で獲れた海産物

や物資は 敦賀で水揚げされ、深坂峠 ( 370 m ) を越えて塩津港に運ばれ

ました。ここで再び船積みして湖上を大津へ。

最後に陸路で京、大阪まで運んだそうです。

( インターネット「 塩津港 ~ 以内恵子 ~ 」を参考 )

若狭からの場合は小浜から若狭街道を通って今津へ運び、後は敦賀ルート

と同じコースを辿りました。

かっては、物資の中継地として栄えた塩津も今はその面影もなく、ひっそり

と静まりかえっていました。


   滋賀県長浜市尾上 ( おのうえ ) から見た竹生島 筆者 撮影

              

尾上の近くには野鳥観察館があって時々行きます。

そろそろ白鳥など渡り鳥の季節ですね。

竹生島がなかったらサミシイ景色でしょうね。遅足
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三年寝太郎の智恵    遅足

2018年11月16日 | Weblog

先日、金石拓男さんの絵本展を、名古屋・栄のギャラリー
ごっと洞で見てきました。

金石さんは知人の息子さんで、1966年生まれ、中国に留学。
上海ビエンナーレに日本人としてただ一人入選。
中国を題材にした独特のスタイルの作品が印象的です。

絵本は、寝てばかりで働かない「三年寝太郎」のお話。
私の知っているのは、旱魃に悩む村人を救うお話ですが・・・
このお話は違います、どんな智恵を発揮しているのでしょう?

           

ある年の暮れ、餅つきに忙しい長者どんの家に、
寝太郎は、赤い紅を塗りたくった猫を送り込みました。
長者どんは、真っ赤になった餅など縁起が悪いと捨ててしまいます。
これを集めた寝太郎、しばらくは餅でお腹が一杯に。
さて、餅を食べてしまった寝太郎は・・・

夜、提灯を持って村人の崇拝するお地蔵様の杉の木にのぼります。
そして、こう言いふらしました。
「寝太郎は地蔵の生まれ変わりだ。
いまは食うに困っておられる。
酒、餅などを届よ」と。
作戦は見事に成功、寝太郎は何もせず安気に暮らしました。

            

村人は寝太郎の悪知恵に騙されたようなお話ですね。
これは昔の人が「智恵」をいい知恵、悪い智恵と別々のものとは
考えていなかったからでしょうか?
いつの間には悪知恵のお話は淘汰されていったのかも・・・

  さざんかや三年先のこと思う  遅足



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