575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

遠花火白黒映画の原節子  江本絵門

2009年07月31日 | Weblog

ボクは花火が無性に好きだ。それも音が腹に響いてくるところが見たい。
それとは別に、遠くの花火には、何故か淋しく切ないものがある。
小津安二郎の映画の、縁側で話す父親の笠智衆と娘の原節子のシーンが
思い出された。
(句集・天邪鬼より)

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コクランの花         草女

2009年07月31日 | Weblog
「コクラン」・・ラン科クモキリソウ属で、常緑樹林内に生える多年草。
山といっても深山ではなく、海岸がそんなに遠くない常緑樹林内が好みらしい。今迄、幾度もみかけたが、葉だけだったり、花茎は出ていても蕾だったりで花をみることがなかった。
 海上の森にコクランが生えているのに気づいたのが、去年の秋。あまり通らない道筋なので、花の頃にな是非会いに行こうとおもっていた。
 7月10日の海上の森は小雨がパラパラし、今にもザァーと大雨がきそうな雲いきであったが、去年見つけた所より近い場所にコクランが咲いているとのことである。
 期待いっぱいででかけた。確かに咲いていたが、思った以上に小さいし、辺りが暗い。写真に撮るのはむずかしい。それぞれ工夫を凝らして写し、サテライトに引き上げた。

早めの昼食を食べていると、よく出会う人達がやってきて、コクランがきれいに写っているカメラの液晶モニターを自慢げにみせてくれた。
全員が再挑戦を心に思い、帰りがてら、再びのコクラン撮影会。私達は黒と白が裏表になっている下敷きをあっちにしたりこっちにしたりしてシャッターをきった。この下敷きがなければ、ピントが合わないほどちいさな花なのに、それをルーペで見ることもなくぼけない写真をとることだけが頭にあった。
苦労の甲斐あって、写真はうまく撮れた。その写真を見てびっくりし、その場の観察のおざなりを後悔した。コクランはとても面白い形の花だったのだ。名前のように黒ではないが、暗紫色の花びらは線形で黄色いずい柱(ラン科の花でめしべとおしべが合体したもの)が湾曲して上をむいている。まるで小さな子供がやんちゃし、手足をばたつかせ、唇を突き出している様。せっかくのチャンスだったのにこの目で直接観察しなかったことが、悔やまれてならない。
 いくらよく撮れても写真は写真なのである。

  夏草のそよがぬままにホルダーへ      ぐ

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マッチ箱の爆弾落ちた広島に     朱露

2009年07月30日 | Weblog

       という話を友だちから聞いたのが何日か。
       それからすぐ「忍び難きを忍び」の放送。
       たちまちカービン銃のアメリカ兵の上陸。
       撒き散らされるガムとチョコレートの雨。

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立石寺   麗

2009年07月30日 | Weblog
先月の句会でも少しお話しましたが
先日、山形へ出かけてきました。

天童温泉のお風呂場で、紅花祭りを見に来たという方が
「今日は立石寺に登ってきた」と嬉しそうにお話して下さったので
私も登って見ることに。

恥ずかしながらこの山寺が芭蕉の
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の舞台だったことも知らずに訪れました。

太陽の光が全く差し込まないほど。
鬱蒼とした杉木立の中、ひたすら上を目指します。

おくの細道に

「岸を巡り、岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂寞として心澄みゆくのみおぼゆ」

とあるようにこんな急峻な山の中にお堂を造った昔の人の苦労をしのびながら
頂上からの景色を堪能しました。吹き抜ける風がなんとも言えず心地よく、まさに心澄みゆく思いでした。

320年前、芭蕉が見た景色を私も旅人からの薦めで訪れることができたことになんだかありがたみを感じました。

旅から戻り、早速「おくの細道」を読み返しました。

「閑かさや」は始め「さびしさや」だったこと。岩にしみ入るは「しみこむ」だったことなど知りやはり推敲の大切さを思い知りました。いつも「えいや!」と俳句を作っている我が身を反省したことしきりでした。

立石寺ではなぜか蝉の声が聞こえませんでしたがいつの日か
またあの山寺でしみ入る蝉の声を聞きたいと思います。
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人形の頭(かしら)ころがる晩夏かな   遅足

2009年07月29日 | Weblog
e船団の早瀬先生の診断です。

 いわゆるホラー俳句。そういう世界としては、ある俳句かもしれない。
が、差込式の人形の頭が畳に転がっている夏座敷というのは、
くつろいでみたい世界。
かしら、と読ませた方がいいのだろうか。
かしらはやや昔の響き。
あたま、と即物的に言った方が、強い効果が立ち現れるのでは。

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荻原俳句教室より   遅足

2009年07月29日 | Weblog
今回の宿題は「ハンカチ」


ハンカチの妻やこころをすこし病む  遅足

先生のコメント
春愁や、愁思、という季語があるが、この句、春や秋ではダメ。
ハンカチという夏だから句として成り立っている。
すこし病む、の「すこし」も良い。
すこし重い句だが、作者のなかに実感があればOK。
だが、すこし重い句。


ハンカチをあらって意地をほしておく  遅足

先生のコメント
ハンカチを洗う人、洗わない人との関係が見えてくる。
人と人の関係がうかがわれる。

(ハンケチは意外におもしろい季語ですが、
結構、難しかったです。)

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梅雨明けはいつ?    鳥野

2009年07月28日 | Weblog
近頃のお天気はわがまま気まま。夜なか大きな雷鳴に驚かされ、ようやく梅雨明けかと思ったら、また雨です。
予想のできない雲行きに、気象の先生方も、エルニーニョか、地球温暖化か、とお手上げの様子。

大変な被害も出ていますが、季節感の狂騒に植物も動物も困惑しています。

ペットもご他聞にもれず、イヌの散歩に待ったがかかり、ネコはカミナリに腰を抜かし、「いい加減にしてよ」のうんざり顔?

そんな愚痴をこぼしながら、ベランダから見下ろすと、小雨の舗道を娘さんと小型犬のペアが足取りも軽く過ぎて行きました。

 ・ レインコートを着せられた犬と傘のひと愉しむがごとピチピチと行く

                               鳥野
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大雨に揺れてる蜘蛛と眼高かな   朱露

2009年07月28日 | Weblog

     雨の音で目が覚めたら眼高の鉢が洪水だ。
     カバーを掛けに出たら蜘蛛の巣が大揺れ。
     蜘蛛は中心に居て「我関せず焉」の構え。
     眼高共全八匹何やらハシャギ廻っている。

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ひげ剃りの鏡に停まるバッタかな   朱露

2009年07月27日 | Weblog

       五十五年剃った計算で二万回少々になる。
       バッタがひげ剃り中停まるとは空前絶後。
       バッタは何故滑らないのかそれが不思議。
       剃って机に向かったらパソコンが動かぬ。

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水澄む           愚足

2009年07月27日 | Weblog
 次の句会は八月十九日まだまだ暑い、七日立秋、二十三日処暑。それにもまして選挙公示日のあくる日。蝉の合唱のように選挙カーが走り回りそう。
 そんな時の句会のお題を「水澄む」としたのはやや勇み足。
 歳時記を見れば、秋の長雨もおさまり、台風も去って川は日一日と澄みを加える。水澄み流れる様は自然の見事な摂理・・・(飯田龍太)とのこと。
 八月十九日では実感が伴いそうもないが、こうなれば想像力と経験と観察力で句作するしかないと腹を決めた次第である。
 とりあえず気分を立て直そうと、このお題の名句を探した。

  水澄める国に水澄むごと寝まる     吉田鴻司
  正座してこころ澄むほうへ行く     村越化石
  池澄むや松の姿を正しうし       宇咲冬男
  投票に出るや一本野川澄み       平畑静東
  水澄むや人はつれなく美しく      柴田白葉女
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ちょっと変わった話題です。   遅足

2009年07月27日 | Weblog
写真は、ムクゲの木。
韓国の国の花でもあります。

朝鮮日報という韓国の新聞の記事です。
見出しは「韓国で最も古いムクゲの木が江陵市で発見」
(韓国では新聞は保守、テレビは革新という構図になっているそうです。)

このムクゲの木は、江陵市の江陵朴氏の祭堂(祭祀〈さいし〉を行う堂)
の前庭にある木で、最高110年経つものとみられています。

このムクゲの木は高さ4メートル、幅6メートルで、根元の直径が0.5メートル、
幹周りは1.5メートル。
ムクゲの木は通常、樹齢20-40年ほどで、それ以上経つと枯れてしまう。
このムクゲが長生きできたのは、適時に薬を与え、
肥料をたくさん与えたためと考えられています。

江陵朴氏宗家のチョ・キルジャさん(79)は
「16歳で嫁入りしたときから、このムクゲの木はあった。」とのこと。

パク・ヒョンスン博士は「こんなに大きく、多くの花を咲かせるムクゲの木は
初めて見る。ムクゲは毎日花を咲かせ散るため、たくさんの肥料が必要だ。
遺伝的側面から研究資料として活用し、保護樹に指定して管理する必要がある」と述べた。

 (この後の記事がいかにも韓国らしいです。)

ムクゲの木は日帝強占期に民族精気抹殺政策で大半が損なわれたため、
韓国では古い木があまり残っていない。

 (樹齢が数十年だから、そんな古いムケゲが残っているわけが
  ないでしょう、とツッコミたくなる部分です。
  まだ朴政権の頃、韓国旅行にいって、ガイドさんから
  「ここは豊臣秀吉が焼いた」と何回、聞かされたことか。
  滋賀県などを旅行すると、ここは織田信長が焼き討ちした、
  と、案内板にありますが、あの二人は悪名も高いですね。)

ところで、ムクゲって、そんなに寿命が短いのでしょうか?
そういえば、大木は見かけませんね。






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世紀の天文ショーより、世紀の政治ショー  愚足

2009年07月26日 | Weblog
 先週は、46年ぶりの天体ショウで、NHKを始めとして全国的な大騒ぎでした。冷めやすいマスコミは今やそんなことがあったの?と言った態度です。
 あの日、私は前日の夜更かしで寝入っていて、雲の間の日食の姿さえ見ることが出来ませんでした。

 報道によると皆既日食を見た多くの人が人生観が変わったと感じているそうですね。曰く「自然の圧倒的な神秘に、人間の小ささを痛感した。」「自然は悠久で瑣事に拘らなくなった。」「自然の偉大さに、謙虚になった。」「太陽の偉大さに圧倒された。」「太陽のエネルギーを目の当たりにして、その恵みに涙があふれた。」etc???
 
 これらの感想を聞くと、今回空が晴れ渡らなかったのが、何とも残念です。
 日本国民がこれほど熱中しているのだから、完全に皆既日食が日本を通過したならば何千万の国民が自然について謙虚になり、今の恵みに満足し、わがままや、贅沢を言わなくなったことだろう。
 誠に、残念50年ぶりのチャンスを逃したのである。次回は26年後だと言うではないか。
 その頃私は90歳を過ぎていて人生観を変えるには遅すぎるようです。

 しかし、ご安心あれ、もう一つの世紀のショウ…世紀の政治ショウが40日後にやってきます。
 これも、50年ぶりではないですか!!!
 その上、このショウは見るだけではなくこちらが主人公です。
 後世の人にあっと言わせる政治ショーを見せようではありませんか!!!!
 
   日食で人生変わる軽き人
   玉の輿乗ってみたいわ大リング
   次見るは養老院のテラスかな
   次のショー天の窓から見下ろして
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祇園花傘行列    遅足

2009年07月25日 | Weblog
暑い暑い京都の夏。
八坂神社のお祭は山鉾巡行と思っていましたが、
昨日、花傘行列が行われていました。

午前10時、花傘を中心に長い行列が
八坂神社を出発、四条通りに繰り出していきました。

祇園祭は、ほぼ一ヶ月にわたって行われているんですね。
京都は、町衆の町だと実感しました。

写真は出発前の花傘です。


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秋立つや日本チャチャチャ総選挙   朱露

2009年07月25日 | Weblog

       選挙権を得て半世紀余り経った二千九年秋。
       今後何回もこの権利を行使する時間はない。
       思えば長い七十余年であったと画面が滲む。
       キイを叩く指が震えて来たので失礼します。

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ナンキンハゼ       草女

2009年07月24日 | Weblog
海上の森のサテライトの近く、大きなナンキンハゼがある。黄色の雄花の花序(花をつけた茎または枝)が今年も木を覆い、蜂が集まっている。毎年のことであるから、別に気にもせず通り抜けようとしたとき、仲間の一人が言った。「雌花をみつけよう。」
ナンキンハゼの雌花? 今まで考えたこともない。雌雄別種? この木の実を見たことがない。

ナンキンハゼは名前のとおり中国から江戸時代に渡来し、その実から櫨の如くロウを採った、トウダイグサ科シラキ属の落葉高木。秋には美しく紅葉し、冬には、白い実が小さな星のような姿をみせる。夏は葉柄が長いため、サラサラと葉が風に揺れ清涼感を感じる。だから、名古屋市は街路樹として多くを植栽している。あまりにも身近な樹木であるから、観察しようと思わなかった。そこが私の欠点だ。

 仲間の言うように花序の基部を調べていくと、小さな雌花があった。雌雄別種ではなく、雌雄同種である。雄花が先に咲き、自家受粉を防いでいる。海上の森付近に他のナンキンハゼが見当たらないから、受粉できないでいるのか、私達が気付かないのでいるのか、この木の実を見ていない。                「これからようく観察しよう。」の仲間の言葉に頷くほかはない。

  街路樹の雌雄気になる歳になる
  街路樹の歳を愛しく思いけり
  街路樹に身をよせ拭う暑さかな
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